週末の日曜日。駅前のショッピングモールは家族連れや若者で賑わっていた。二階の水着売り場は、夏を目前に控えてかいつもより人出が多い。
一夏は私服姿で、色とりどりの水着が並ぶ棚の前で立ち尽くしていた。箒、セシリア、鈴音、シャルロットはそれぞれに私服を着ている。そしてラウラだけは、なぜか制服のままだった。
「ラウラ、なんで制服なんだ?」
「私服など持っていないからな。仕方あるまい」
ラウラはそう言って胸を張った。一夏は思わずため息をついた。さすがにそれはどうなのだろう。
「ラウラ、後で服も買った方がいいんじゃないかな」
シャルロットがそう言って苦笑いした。ラウラは少しだけ不服そうな顔をしたが、反論はしなかった。
一夏は水着選びにこだわりがなかったので、すぐに決めた。無難な紺色のトランクス。これで十分だろう。だが、女子たちの買い物は長かった。
「なあ、これはどうだろうか」
箒が、白いワンピースタイプの水着を手に取って言った。セシリアがそれをちらりと見て、首を傾げる。
「篠ノ之さん。それはちょっと地味すぎませんこと?」
「うるさいな。動きやすさが大事なんだ」
「でも、臨海学校ですわよ? もう少し華やかでもいいのではなくて?」
セシリアはそう言って、自分は鮮やかなブルーのビキニを手に取っていた。鈴音は、そんな二人のやり取りを横目で見ながら、黒いスポーティな水着を手にしている。
「あんたたち、そんなんで大丈夫なの?」
「鈴音さんこそ、地味すぎやしません?」
「機能性重視よ。海で泳ぐんだから」
三人はそれぞれに譲らず水着売り場はにわかに賑やかになった。シャルロットは、そんな三人から少し離れた場所で、ラウラと共にいた。
「ラウラ、これなんかどうかな」
シャルロットが差し出したのは、深紅のワンピースタイプの水着だった。ラウラはそれをじっと見て、少しだけ顔をしかめた。
「私は、もっとこう……戦闘的なものがいいのだが」
「水着に戦闘的なものはないよ。ほら、これなら動きやすいと思うけど」
シャルロットはそう言って、別の水着を手に取った。白と黒のツートンカラーの、スポーティなデザイン。ラウラはそれをじっと見て、少しだけ興味を持ったようだった。
「ふむ……」
「試着してみる?」
「ああ。そうしよう」
ラウラはシャルロットと共に試着室へと向かっていった。一夏は、そんな光景をのんびりと眺めていた。
「ちょっと、あんた」
不意に、背後から声をかけられた。一夏が振り返ると、そこに一人の女性客が立っていた。三十代くらいだろうか。きつい化粧に、派手な服装。そして一夏を見下すような目つき。
「何ですか?」
「何ですかじゃないでしょ。見て分からないの? そこに散らかってる水着、片付けなさいよ」
女性客は、そう言って床を指差した。確かに、そこにはいくつかの水着が散らばっていた。だが、それは一夏が散らかしたものではない。女性客が試着の際に落としたものだろう。
「すみません。それは俺が散らかしたものじゃないので」
「はあ? あんた男でしょ? 女の人が困ってるんだから、手伝うのが当然でしょ」
「いや、だからって……」
一夏は戸惑った。女性客の言い分は、明らかに理不尽だった。だが女性客は一夏の反応を見て、さらに声を大きくした。
「何よその態度。警備員呼ぶわよ?」
「え……」
一夏は、思わず言葉に詰まった。警備員を呼ばれるのは面倒だ。だが、理不尽な要求に従うのも違う気がする。
(どうしよう……)
一夏は、頭の中で考えを巡らせた。頭の中の声が、静かに囁く。
(——この手の人間は、理屈が通じない。女尊男卑の思想に染まった面倒な人だ。相手にするだけ無駄だ)
(分かってるけど……)
一夏が迷っていると、不意に声がかけられた。
「何をしている」
低く、凛とした声。一夏が振り返ると、そこに織斑千冬と山田真耶が立っていた。千冬は、じっと女性客を見つめている。その目は、静かだがどこか威圧的なものを感じさせた。
「あ……」
女性客の顔色が変わった。千冬の姿を見て、何かを察したのだろう。女性客は、慌てたようにその場から離れていった。あっという間の出来事だった。
「まったく……」
千冬は、女性客の背中を見ながら小さくため息を吐いた。真耶も、同じようにため息をついている。
「千冬姉。なんでここに?」
「現地視察の帰りの摩耶と合流して、買い物をな」
「そうだったんだ」
一夏は納得した。確か、真耶は現地視察に行っていたはずだ。その帰りに千冬と合流したのだろう。
「それじゃあ、私は篠ノ之さんたちのところに行きますね」
真耶は、そう言って一夏と千冬を二人きりにした。一夏は、少しだけ首を傾げた。なぜ真耶は自分たちを二人きりにしたのだろう。
「余計なことを」
千冬は、そう短く言って一夏の腕を掴んだ。そして、水着売り場の方へと歩き出す。
「え、千冬姉?」
「お前も水着を選ぶのだろう。付き合え」
「ええっ?」
一夏は、千冬に引っ張られるままに水着売り場を歩いた。千冬は、いくつかの水着を手に取り一夏に見せる。
「これと、これ。どちらがいいと思う」
千冬が手に持っていたのは、黒と白の水着だった。黒はシックで大人っぽいデザイン。白は清楚で可憐な印象。どちらも千冬によく似合いそうだった。
「え……どっちがいいって言われても……」
「お前の意見を聞いている」
千冬は、真剣だった。一夏は少しだけ考えた。そして、正直な感想を述べることにした。
「黒の方が、千冬姉らしいかなって思う」
「……そうか」
千冬は、その言葉を聞いて少しだけ口元を緩めた。そして、黒の水着を手に取った。
「では、これにする」
そう言って、千冬はさっさとレジへと向かってしまった。一夏は、その後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
(千冬姉らしい、か……)
一夏は、心の中で呟いた。千冬はいつも強くて、凛としていて。でも時々こうして、一夏に意見を聞いてくる。その姿は、どこか姉というより一人の女性のようにも見えた。
(——お前の姉は強い人だな)
(ああ。そうだな)
頭の中の声が静かに囁いた。一夏は、その声に心の中で答えた。そして、千冬の後を追いかけた。レジの前で、千冬は一夏を振り返った。
「一夏。お前も、ちゃんと選んだのか」
「ああ。もう買ったよ」
「そうか」
千冬は、そう言って、小さく頷いた。その表情はどこか満足そうだった。
「なら、さっさと帰るぞ。他の連中も待っている」
「ああ」
一夏は、千冬と並んで歩き出した。その背中は、いつもより少しだけ柔らかく見えた。水着売り場では、まだ箒たちが騒いでいる。だが、一夏はそんな光景をどこか遠くのように感じながら、千冬の隣を歩いていた。
―――
薄暗い部屋の中、篠ノ之束はモニターの光だけを頼りに情報を処理していた。部屋のあちこちには、無数のケーブルが這い回り壁一面に設置されたディスプレイが青白い光を放っている。束は椅子の上であぐらをかき、時折キーボードを叩きながら次々と流れ込むデータを眺めていた。
「ふーん。臨海合宿、ねえ」
モニターの一つにIS学園の行事予定が映し出されている。来週から始まる郊外特別実習期間。場所は海辺の研修施設。生徒たちは三日間、学園を離れて訓練に励むらしい。
「箒ちゃんも行くんだろうなあ。せっかくの海なのに、訓練ばっかりじゃ可愛そうだよね」
束はそう呟きながら椅子の背にもたれた。天井を見上げ、何かを考えるように目を細める。
「そうだ。箒にプレゼントしようかな。新型のIS」
束の口元が、いたずらっぽく緩んだ。赤椿。まだ誰にも見せていない、とっておきの機体。箒のことを思うと、自然とアイデアが湧いてくる。あの真面目で不器用な姉の娘に、どんな機体が似合うだろうか。どんな登場の仕方をすれば、一番驚いてくれるだろうか。
「うーん。やっぱりドーンと派手に登場かな。海だから、空から降ってくるのもいいかもね」
束は楽しそうに笑いながら、モニターの操作を続けた。だが、その指がある画面で止まる。
「……白鴉」
モニターに映し出されていたのは、IS-01Kai“SHIROGARASU”。一夏の専用機のデータだった。束はその機体の設計図をじっと見つめ、ゆっくりと目を細めた。
「やっぱり、君は普通じゃないよね。いっくん」
束の声から、楽しげな調子が消えた。代わりに、静かな警戒の色が滲む。モニターには白鴉の装甲構成、ジェネレーター出力武装群が次々と表示されていく。そのどれもが、ISの設計思想からは逸脱していた。まるで、別の世界の技術体系で作られたかのように。
束は、ゆっくりと目を閉じた。そして、遠い記憶の扉を開く。
――それは、まだ一夏が小さかった頃のこと。
束は千冬の家を訪ねていた。用事は千冬に会うためだった。だが、その日、千冬は不在だった。代わりに家にいたのは、まだ幼い一夏。縁側に一人で座り、ぼんやりと空を見上げていた。
「いっくん?」
束が声をかけると、一夏はゆっくりと振り返った。その瞬間だった。
束の視界に、一瞬だけ、別の光景が浮かんだ。荒廃した大地。赤く染まった空。そして、その空を飛ぶ一羽の鳥。炎を纏った、黒い鳥。それはISのどの機体とも似ていなかった。まるで、別の世界の兵器のように。
束は、思わず息を呑んだ。幻視は一瞬で消え、目の前にはいつもの幼い一夏がいるだけだった。
「どうしたの? 束お姉ちゃん」
無邪気にそう問いかける一夏。束は、笑顔を作って答えた。
「ううん、なんでもないよ。それより一夏君。空を見てたの?」
「うん。鳥さんが飛んでるなあって」
「鳥さん、かあ」
束は、一夏の隣に座った。そしてもう一度空を見上げた。何の変哲もない、青い空。だが束の脳裏には、あの炎を纏った黒い鳥の姿が焼きついて離れなかった。
――あれは、なんだったのか。
束は、その後も何度か一夏に会う機会があった。そのたびに、一夏の中に何かが眠っていることを感じた。普段は普通の少年。だが、時折、その瞳の奥に別の何かが覗く。戦場を知る者の目。冷徹な生存本能。そんなものが、一夏の中に確かに存在していた。
束は、それ以来、一夏の中にある存在を警戒するようになった。千冬の弟としてではなく、一人の人間として。そしてISの開発者として。
「……いっくん」
束は、静かに呟いた。モニターの光が、その横顔を照らしている。
「君の中の何かが、完全に目覚めませんように」
その声は、祈りにも似ていた。束はゆっくりと目を開けた。モニターには、まだ白鴉のデータが映っている。束は、しばらくその画面を見つめていたが、やがて小さく息を吐いて別のウィンドウを開いた。
「さて、と。赤椿の最終調整でもしようかな」
束は、気を取り直すようにそう言った。そして、再びキーボードを叩き始める。薄暗い部屋の中、カタカタという音だけが静かに響いていた。
だが、その指先は、ほんの少しだけ震えていた。