八月の陽射しがIS学園の正面ゲートを白く照りつけていた。その眩しさの中、一台の白いロールスロイスが静かに停まった。ドアが開き、セシリア・オルコットが優雅に降り立つ。夏の日差しを受けても、その姿はどこか涼しげだった。白い日傘を差し、淡いブルーのワンピースに身を包んでいる。長い金髪が、風にさらりと揺れた。
「やっと戻ってこれましたわ」
セシリアは、小さくそう呟いた。目の前には、見慣れたIS学園の門。一週間ぶりの光景だった。だが、その脳裏にはまだ本国イギリスでの日々が鮮明に焼き付いていた。溜まりに溜まった職務。国家代表候補生としての報告。専用機の再調整。バイオリンコンサートへの参加。旧友との再会。そして両親の墓参り。その最後の一つが、セシリアの胸に重くのしかかっていた。
(どうして、何も言わずに逝ってしまったのかしら)
セシリアは、日傘の柄を握る手に力を込めた。墓前で手を合わせた時の感覚が、まだ手のひらに残っている。冷たい石の感触。花束の香り。そして、そこに眠る二人の姿。
(何故、私を一人にしてしまったの)
その問いは、何度も心の中で繰り返してきた。答えの出ない問い。だが、それでも考えずにはいられない。
(どうして、二人は一緒に居たのかしら)
事故だった。そう聞かされている。だが、詳しいことは分からない。セシリアが知らされたのは、結果だけだった。二人が同時に逝ったという結果だけ。
「お嬢様」
不意に、声をかけられた。セシリアははっと顔を上げた。そこには、チェルシー・ブランケットが立っていた。セシリア付きのメイドだ。髪をきっちりとまとめ、メイド服に身を包んでいる。その表情は、どこか心配そうだった。
「どうなさいました。お顔の色が、優れないようですけれど」
「何でもありませんわ。少し、考え事をしていただけ」
セシリアは、そう言って微笑んだ。だがその笑みはどこか無理をしていた。チェルシーは、そんなセシリアをじっと見つめていたが、やがて静かに頭を下げた。
「そうですか。それでは、お荷物の方は私どもがお部屋に運び込んでおきますので」
チェルシーは、うやうやしく頭を下げた。そして、もう一人のメイドと共に荷物を運び出し始める。セシリアは、その背中を見送りながら小さく息を吐いた。
(そうだわ。一夏さんに、会わなくては)
セシリアは、そう思った。一週間ぶりだ。会いたい。その気持ちが、胸の奥でゆっくりと膨らんでいく。と、そこへ。
「お嬢様」
チェルシーが、戻ってきた。その手にはもう荷物はない。
「早速、織斑様に会いに行かれるのですか?」
「ええ。そのつもりですけれど」
セシリアがそう答えるとチェルシーは少しだけ口元を緩めた。その笑みは、どこか茶目っ気を含んでいる。
「言い忘れていたことがありました」
「何かしら」
「あの、白いレースの下着。あれは織斑様用なのですか?」
その瞬間、セシリアの体が固まった。時間が、止まったかのように感じられた。チェルシーの言葉が、頭の中でゆっくりと繰り返される。
(白い……レースの……下着……)
セシリアの顔がかっと熱くなった。あれは、イギリスでこっそりとネットで買ったものだ。誰にも見られないように、慎重に。なのになぜチェルシーがそれを知っているのか。
「あ、あの……それは……」
セシリアは、言葉にならなかった。チェルシーは、そんなセシリアを見て少しだけ笑みを深めた。
「お嬢様。派手過ぎる下着は、返って逆効果と思われます」
チェルシーはそう言って、軽く頭を下げた。
「それでは、私はこれで」
そう言って、チェルシーは仕事に戻ってしまった。セシリアは、その場に立ち尽くしていた。顔はまだ熱い。まさか、バレていたなんて。イギリスで、こっそりとネットで買ったことが。誰にも言わないつもりだったのに。
(チェルシー……あなた、いつから知っていたの……)
セシリアは、心の中で呟いた。だがその答えは返ってこない。と、そこへ。
「セシリア?」
聞き覚えのある声がした。セシリアは、はっと顔を上げた。そこには一夏がいた。IS学園の制服姿で、少しだけ汗をかいている。どうやら、走ってきたらしい。その表情は、どこか嬉しそうだった。
「一週間ぶりだな。おかえり」
「た、ただいま戻りましたわ」
セシリアは、まだ熱の引かない顔でそれでも精一杯の笑みを浮かべた。一夏は、そんなセシリアを見て少しだけ首をかしげた。
「どうした? 顔、赤いけど」
「な、何でもありませんわ。少し暑いだけですの」
セシリアは、そう言って日傘を軽く揺らした。一夏は、まだ納得していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。と、そこへ。
「お嬢様」
チェルシーが、再び現れた。その手には冷たい飲み物が載ったトレーがある。一夏は、チェルシーの姿を見て首をかしげた。
「えっと……どちら様ですか?」
「私は、セシリアお嬢様付きのメイドチェルシー・ブランケットと申します」
チェルシーはそう言って、優雅に頭を下げた。一夏はその言葉を聞いて、何かを思い出したように顔を輝かせた。
「ああ! セシリアが話してた、チェルシーさんですね。セシリアが良く話していました」
「そうですか」
チェルシーはそう言って微笑んだ。その笑みは、どこか上品でそしてどこか茶目っ気を含んでいる。
「一夏様。私もお嬢様からお話は伺っております」
「え、俺の話? 何て言ってたんです?」
一夏が、興味津々といった様子で聞いた。チェルシーは、そんな一夏を見て少しだけ笑みを深めた。そして、人差し指を唇に持っていく。
「女同士の秘密ですわ」
その仕草は、どこか楽しげだった。一夏はその答えに、少しだけ残念そうな顔をした。
「えー。気になるなあ」
「ふふ。それは、お嬢様にお聞きになってくださいな」
チェルシーはそう言って、軽く頭を下げた。
「それでは、私はこれで。ごゆっくりどうぞ」
そう言って、チェルシーは去っていった。その背中を、セシリアと一夏はしばらく見送っていた。やがて、一夏が口を開いた。
「いい人だな、チェルシーさん」
「ええ。本当に、そう思いますわ」
セシリアは、そう答えた。その声はどこか温かかった。チェルシーのあの茶目っ気。それが、セシリアの胸の痛みを少しだけ和らげてくれた気がした。セシリアは、一夏の方を向いた。
「一夏さん」
「ん?」
「お茶でも、如何かしら。色々と話したいことがありますの」
「おう。じゃあ、行こうか」
一夏は、そう言って歩き出した。セシリアは、その隣を歩きながら先ほどのチェルシーの言葉を思い出していた。
(派手過ぎる下着は、逆効果……)
その言葉が、頭の中で繰り返される。セシリアは、小さくため息をついた。
(チェルシー。あなたに、いつかお返しをしなくてはなりませんわね)
そんなことを考えながら、セシリアは一夏の隣を歩いていった。
―――
セシリアの自室は一夏が想像していたよりもずっと落ち着いた空間だった。白を基調とした調度品に、ところどころに配置された青いアクセント。窓辺には花瓶が置かれ、夏の花が活けられている。部屋の主の趣味の良さが、随所に感じられた。
「どうぞ、一夏さん」
セシリアが差し出した紅茶のカップを受け取る。上品な香りが、ふわりと立ち上った。
「ありがとう。いただきます」
一口含むと、独特の華やかな香りが広がった。どこか果実のような、それでいて爽やかな後味。一夏は思わず感嘆の声を漏らした。
「うまいな、これ」
「ふふ。ダージリンのファーストフラッシュですわ。今年の出来が良いと聞いて、取り寄せておきましたの」
「よく分かんないけど、なんかすごいな」
一夏が正直にそう言うとセシリアは少しだけ誇らしげに微笑んだ。自分で椅子に腰かけ、優雅にカップを傾ける。しばらく、静かな時間が流れた。窓の外では、蝉の声が遠く聞こえている。
「それで、一夏さん」
セシリアが、カップをソーサーに戻して口を開いた。
「向こうでのお話、聞かせてくださいな。色々と大変だったのでしょう?」
「ああ。まあ、色々あったよ」
一夏は、少しだけ考え込むようにしてから話し始めた。倉持技研の研究者たちとのこと。白鴉・熾天のデータを取るために、連日のように計測が行われたこと。研究員たちが、そのデータの異常性に戸惑っていたこと。VOBの推力データを前に、何人もの研究者が首をひねっていたこと。パルスブレードの出力特性が、既存のISのフレームワークでは説明しきれないと、議論が白熱したこと。
「向こうの人たち、最初は『こんなのISじゃない』って言ってたんだ。でも、データを見ていくうちにだんだん真剣になってきてさ。最後の方は、みんなで『これは新しい』って盛り上がってたよ」
「まあ。それは、良かったですわね」
セシリアは、そう言って微笑んだ。その笑みには、どこか安堵の色が混じっている。一夏の機体が、認められつつある。それが自分のことのように嬉しかった。
「それで、そっちは? イギリスどうだった?」
一夏が、今度は聞き返した。セシリアは、カップを手に取ったまま少しだけ目を伏せた。
「そうですね……色々と、ありましたわ」
セシリアの声は少しだけ静かだった。家に戻れば、溜まりに溜まった職務が待っていた。書類の山。決裁を待つ案件。使用人たちからの報告。国家代表候補生としての報告義務。専用機の再調整の立ち会い。どれもこれも、セシリアでなければできないことばかりだった。
「仕事は、大変だった?」
「ええ。でも、慣れていますもの。幼い頃から、こういう生活でしたから」
セシリアは、そう言って軽く肩をすくめた。その仕草には、どこか諦めにも似たものがあった。だが、それだけではなかった。
「それから……バイオリンのコンサートにも出ましたの」
「へえ! すごいな。セシリア、バイオリン弾けるんだ」
「ええ。小さい頃から習っていましたから。今回は、旧友たちも来てくれまして。久しぶりに、色々と話すこともできましたわ」
セシリアは、その時のことを思い出していた。舞台の上で、スポットライトを浴びながら弓を走らせた感覚。観客席から聞こえる拍手。楽屋で交わした旧友たちとの談笑。どれも、かけがえのない時間だった。だが、その話をしているセシリアの表情は、どこか曇っていた。
「セシリア?」
一夏が、心配そうに声をかけた。セシリアは、はっと顔を上げた。
「ああ、ごめんなさい。少し考え事を」
セシリアは、カップを置いた。そして少しだけ迷ってから口を開いた。
「墓参りにも、行きましたの。両親の」
「……そうか」
一夏は、静かにそう言った。セシリアの両親が、もうこの世にいないことは聞いていた。詳しいことは知らない。だが、セシリアがそのことを話す時の表情を見れば、簡単に聞いていいことではないと分かる。セシリアは、窓の外に目を向けた。
「お墓の前に立つと、いつも思うのです。どうして何も言わずに逝ってしまったのか、と。何故私を一人にしてしまったのか、と」
その声は、静かだった。だがその静けさの中に、深い悲しみが潛んでいることを、一夏は感じ取った。
「二人は、一緒に逝きました。事故でした。詳しいことは、今でも分かりません。ただ……二人が一緒に居たことだけは、確かです」
セシリアは、そこで言葉を切った。一夏は何も言わなかった。何を言えばいいのか、分からなかった。ただセシリアの話を聞いていた。
「ごめんなさい。暗い話をしてしまいましたわね」
セシリアが、無理に笑顔を作った。一夏はゆっくりと首を振った。
「いや。話してくれて、ありがとう」
その言葉に、セシリアは少しだけ目を丸くした。そして、ふっと肩の力を抜いた。
「一夏さんは、優しいですわね」
「そうか?」
「ええ。そういう時、余計なことを言わないでしょう。それが、とてもありがたいのです」
セシリアは、そう言って紅茶を一口含んだ。冷めてしまったそれは、しかしなぜか先ほどより美味しく感じられた。しばらく、二人は無言で紅茶を飲んでいた。蝉の声が、遠くで聞こえている。やがてセシリアが口を開いた。
「一夏さん」
「ん?」
「明日、皆で遊びに行くのでしょう?」
「ああ。鈴音が言い出してさ。せっかくだから、皆で行こうって話になって」
セシリアは、その言葉に少しだけ目を細めた。鈴音が言い出した。その事実に、セシリアは内心で小さく笑った。あの鈴音が、一夏を誘ったのだ。きっと二人で行きたかったに違いない。だが、この男は「皆で行こう」と言ったのだろう。想像するのは容易だった。
(本当に、この方は……)
セシリアは、心の中で呟いた。だがその口元は緩んでいた。この鈍感さも、一夏らしい。そしてその鈍感さに振り回される自分もまた、自分らしい。そう思うとなんだかおかしかった。
「明日、楽しみですわね」
「おう。セシリアは、どこ行きたいとかある?」
「そうですね……」
セシリアは、少しだけ考え込むふりをした。そして、悪戯っぽく笑った。
「一夏さんとご一緒できれば、どこでも」
一夏は、その言葉に一瞬だけ固まった。セシリアは、そんな一夏の反応を見て満足げに微笑んだ。
「なんて、冗談ですわ」
そう言って、セシリアはカップを置いた。その頬は、ほんのりと赤い。一夏は何か言おうとして、結局何も言えなかった。その様子を見て、セシリアはさらに笑みを深めた。窓の外では、夕陽がゆっくりと沈み始めていた。夏の一日が、静かに終わろうとしている。