夏休みも終盤に差し掛かった午前。日差しはまだ夏の名残を残しているが、どこか吹く風に秋の気配が混じり始めていた。そんな中、一夏の家の前に五人の少女が集まっていた。
「懐かしいな。全然変わってない」
箒が、目の前の家を見上げてそう呟いた。木造の、どこか古びた佇まい。だが手入れは行き届いていて、庭の草木も整えられている。幼い頃、何度も訪れた家だ。
「そうね。昔と変わらないわね」
鈴音も、隣でそう応えた。その声にはどこか懐かしさが滲んでいる。二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
一方、セシリアとシャルロットは、少しだけ緊張した面持ちで家を見つめていた。特にセシリアは、妙に背筋を伸ばしている。
「これが、一夏さんの……」
「うん。思ったより、普通の家だね」
シャルロットがそう言って、セシリアを落ち着かせようとする。だがセシリアは、まだ少しだけそわそわしていた。
「初めて来たから、ちょっと緊張するわ」
「分かるよ。私も」
ラウラは、そんな二人をよそに興味津々といった様子で家を観察していた。
「ここが、一夏と教官が住んでいる家か」
「そうよ。意外と普通でしょ?」
「ふむ。もっと軍事的な要塞のような家かと思っていたが」
ラウラの言葉に、箒が思わず吹き出した。
「それはないだろう」
「そうか? 教官なら、そのくらいしそうだが」
そんなやり取りをしていると鈴音がインターフォンを鳴らした。しばらくして、玄関の扉が開く。
「おー、みんな来たのか」
一夏が、いつものように柔らかな笑みを浮かべて出迎えた。
「お邪魔します」
「お邪魔します」
五人揃って頭を下げる。一夏は、そんな五人を家の中へと招き入れた。
「散らかってるけど、上がってくれ」
「失礼するわ」
「お邪魔します」
リビングへと案内された五人を、一夏はソファへと座らせた。
「ちょっと待っててくれ。麦茶用意するから」
「あ、僕手伝うよ」
「大丈夫だ。座っててくれ」
シャルロットが立ちかけたのを、一夏はそう言って制した。そして、キッチンへと向かっていく。五人を残して。
「ふむ……」
ラウラが、リビングを見回した。
「質素だが、整頓されているな」
「一夏らしいわね」
「そうだな。昔からこういう家だった」
箒が、懐かしそうにそう言った。とそこへ一夏が麦茶の入ったグラスを盆に乗せて戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
五人に麦茶が配られる。そして、それぞれがお土産を出し始めた。
「一夏さん。これ、私からのお土産ですわ」
セシリアが、美しい箱を差し出した。開けると、中には六種類の小さなケーキが並んでいる。色とりどりで、どれも繊細な作りだった。
「おお、すげえ」
「本当はもっと早く渡したかったんですけど……」
「いや、嬉しいよ。ありがとうセシリア」
次に、箒が包みを差し出した。
「私は、水羊羮だ。近所の和菓子屋のものだが、美味いぞ」
「お、いいな。夏はやっぱ羊羮だよな」
「ああ。冷やしてあるから、ちょうどいい」
鈴音も、負けじと包みを開けた。
「はい、一夏。胡麻団子。手作りだから」
「鈴音が作ったのか?」
「うん。結構頑張ったんだからね」
「すごいな。ありがとう」
シャルロットが、続いてクッキーの入った袋を差し出した。
「私はクッキー。焼きたてだから、まだ温かいよ」
「おお、サクサクしてそうだな。ありがとうシャルロット」
最後に、ラウラがチョコレートの箱を差し出した。
「チョコレートだ。美味いぞ」
「ありがとうラウラ。これ、どこのだ?」
「私の行きつけの店だ。あまり知られていないが、味は保証する」
「へえ、楽しみだ」
一夏は、テーブルの上に並んだお土産を見渡した。ケーキに羊羮、胡麻団子クッキー、チョコレート。どれもそれぞれの個性が光るものばかりだ。
「なんだか、ちょっとしたパーティーだな」
一夏が、そう言って笑った。その笑顔につられて、五人も笑顔になる。
「そうね。せっかくだから、皆で分け合いましょう」
「そうだな。俺も皿出すよ」
一夏がそう言って立ち上がる。そして、皿とフォークを用意するとそれぞれのお土産を少しずつ取り分けた。ケーキの甘さと、羊羮の上品な甘さ。胡麻団子の香ばしさに、クッキーのサクサクとした食感。チョコレートの濃厚な味わい。どれも、美味しかった。
「うん、美味い」
「でしょう? 私が選びましたの」
「セシリア、自慢しすぎよ」
「別に自慢してないですわ。事実を言っただけ」
「ふふ、二人とも。喧嘩しないで」
「喧嘩なんてしてませんわよ」
そんなやり取りをしながら、六人は和やかな時間を過ごした。一夏の家のリビングに、笑い声が響いていた。
―――
昼が過ぎ、皆でゲームをやりながら楽しんでいるうちに、時間はあっという間に過ぎていった。テレビ画面にはレースゲームが映し出され、セシリアと鈴音が激しく競り合っている。箒はその横で悔しそうな顔をし、シャルロットはのんびりと観戦している。ラウラはというと、ゲームそのものよりも一夏の操作をじっと見つめていた。そんな和やかな空気の中、玄関の扉が開く音がした。
「ただいま」
低く、落ち着いた声。リビングのドアが開き、千冬が姿を現した。白いYシャツにジーンズというラフな私服姿。だが、その立ち居振る舞いにはどこか軍人的な鋭さが残っている。
「あ、千冬姉。お帰り」
一夏が、そう言って立ち上がった。千冬が持っていたカバンを受け取り、自然な仕草で尋ねる。
「麦茶でも飲むか?」
「ああ、もらおうか」
千冬がそう答えかけた、その時だった。彼女の視線がリビングのソファに座る五人の少女たちへと向けられた。箒、セシリア鈴音、シャルロット。そしてラウラ。五人の目は、なぜか羨ましそうに一夏と千冬のやり取りを見つめている。ラウラに至っては、興味深そうにその様子を観察していた。
「……ふむ」
千冬は、一瞬だけ眉を上げた。そしてすぐに表情を戻すと一夏に向き直った。
「いや、やはりいい。仕事だからすぐに出る」
「え、もう? せっかく帰ってきたのに」
「ああ。急ぎの案件だ」
千冬は、そう言って自分の部屋へと向かおうとした。一夏が、その後ろ姿に声をかける。
「千冬姉。部屋にスーツと秋物の服、バッグに入れて置いてあるから」
「分かった」
千冬は短くそう答えて、廊下の奥へと消えていった。その背中を見送りながら、五人は何とも言えない表情を浮かべていた。
(夫婦みたい……)
箒が、心の中でそう思った。一夏の自然な気遣い。千冬の短いながらも信頼しきった返事。長年連れ添った夫婦のような、そんな空気。箒はなんだか複雑な気持ちになった。
(あの二人、本当に姉弟なのかしら……)
(一夏さん、あんなに自然に……)
(織斑先生も、一夏の言葉に迷いがないし……)
セシリア、鈴音、シャルロットもそれぞれ似たようなことを考えていた。ラウラだけは、興味深そうにそのやり取りを観察していたが、やがて小さく「ふむ」と呟いた。
「どうしたんだ、みんなして難しい顔して」
一夏が、五人の様子に首を傾げた。その時だった。リビングのドアから、ひょっこりと千冬が顔を出した。いつの間にか、スーツ姿に着替えている。黒のスーツが、よく似合っていた。
「一夏」
「ん?」
「今日は帰れないから、後は好きにしろ。ただし女子は全員分の布団が無いから泊まるんじゃないぞ」
そう言い残して千冬は今度こそ家を出ていった。玄関の扉が閉まる音が、リビングに響く。
「緊急の仕事なのか……?」
一夏が、ぽつりと呟いた。その声には少しだけ心配の色が混じっている。だが、すぐに気持ちを切り替えたように五人の方を向いた。
「で、みんなは何時まで居る? 夜まで居るなら、夕飯の買い出しをしないと」
その言葉に、五人はほぼ同時に反応した。
「夜まで居るわ!」
「私も夜まで居る!」
「もちろん、夜までいるぞ」
「私も、夕飯までご一緒させてください」
「僕も一緒に夕飯を作ろう」
食い気味の返事に、一夏は少しだけ驚いたように目を丸くした。そして、すぐに笑みを浮かべる。
「分かった。じゃあ、五時くらいに出るか。近くにスーパーがあるから、そこに行こう」
「ああ」
「楽しみだわ」
「何を作ろうかな」
「一夏、何が食べたい?」
「うーん、そうだな……」
五人がそれぞれに夕飯の話を始める。一夏は、そんな光景を見ながらなんだかんだ言って賑やかだな、と心の中で思った。そして五時になるまでの間、六人はリビングで雑談を続けた。ゲームの話、夏休みの話IS学園の話。話題は尽きることなく、笑い声が絶えることはなかった。
―――
夜。駅から少し離れたところにある商店街。その地下へと続く階段を降りた先に、ひっそりと佇むバーがあった。看板には控えめな文字で「Bar Crescendo」と記されている。重厚な扉を開けると、落ち着いた照明と木の香りが迎えてくれる。カウンターの向こうには、初老の男性が静かにグラスを磨いていた。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声。千冬と摩耶は、並んでカウンターの端へと腰を下ろした。
「いつもの」
「私も同じものを」
千冬の短い注文にマスターは静かに頷いた。手際よく氷を扱う音が、静かな店内に響く。やがて、琥珀色の液体が注がれたグラスが二つ、二人の前に置かれた。
「ありがとう」
千冬はグラスを手に取り、一口含んだ。その横顔はどこか疲れているように見えた。摩耶も、静かにグラスを傾ける。
「お疲れのようですね、織斑先生」
「そう見えるか」
「ええ。いつもより、少しだけ」
摩耶の言葉に、千冬は小さく笑った。そしてグラスを置いて、ぽつりと言った。
「今日、家に帰ったらな。一夏の奴が女子五人と一緒にゲームをしてた」
「まあ」
「箒にセシリア、鈴音にシャルロット。それにラウラだ」
「賑やかですね」
摩耶は、そう言って微笑んだ。千冬はグラスの中の液体をじっと見つめながら続けた。
「一夏がな、私のカバンを受け取って『麦茶でも飲むか』って聞いてきたんだが、その後に五人全員が妙な顔をしてな。羨ましそうに私と一夏のやり取りを見てた」
「ふふ。それは、微笑ましいですね」
摩耶がそう言ってグラスに口をつける。千冬は、少しだけ眉をひそめた。
「微笑ましいで済む話か? あの五人全員、何か勘違いしている風だったぞ?」
「あら。それは今に始まったことではないでしょう」
「……そうだが」
千冬は、そう言って黙り込んだ。マスターが、静かに水を差し出す。千冬はそれを受け取り、一口含んだ。
「一夏は鈍いからな。五人の気持ちに気づいているのかいないのか」
「さあ。どうでしょうね」
摩耶は、そう言って首を傾げた。そして、少しだけ考え込むようにしてから、尋ねた。
「心配なんですか?」
その言葉に、千冬はしばらく黙っていた。グラスの中の氷が、小さく音を立てて溶けていく。やがて、千冬はぽつりと答えた。
「少しな」
その声は、いつもの千冬らしくないどこか柔らかな響きだった。摩耶は、そんな千冬の横顔をじっと見つめた。マスターは、静かにグラスを磨き続けている。バーの中に、静かな時間が流れていた。
「一夏は、私が思うよりずっと多くのものを背負ってる。白鴉のこと。中に居る何かのこと。これまで起きた事件のこと。それに、あの五人の気持ちもいつかは向き合わなきゃいけない」
「そうですね」
「あの五人はいい奴らだ。箒は真っ直ぐで、セシリアは責任感があって鈴音は面倒見がよくて、シャルロットは優しくてラウラは強い。どの娘も、一夏には勿体ないくらいだ」
「勿体ない、ですか」
「ああ。だが、一夏も負けてはいない。あの歳であそこまで成長するとは思わなかった。だからこそ……」
千冬は、そこで言葉を切った。そしてグラスに残った液体を一気に飲み干した。
「だからこそ、心配なんだろうな。あの五人と一夏が、これからどうなるのか。それが、少しだけ気になる」
千冬は、そう言ってグラスをカウンターに置いた。マスターが、静かに新しいグラスを差し出す。千冬はそれを受け取り、一口含んだ。摩耶はそんな千冬の姿を見ながら、ふと口元に笑みを浮かべた。
「織斑先生は、いいお姉さんですね」
その言葉に、千冬は少しだけ目を丸くした。そして、小さく笑った。
「そうか?」
「ええ。こうやって、弟さんのことを心配できるなんて。なかなかできることじゃないですよ」
「……そういうものか」
「そうです」
摩耶は、そう言って頷いた。千冬は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。マスターが、静かにグラスを磨く音だけがバーの中に響いていた。
―――
暗い部屋の中その男は誰かと通信していた。窓のない部屋。壁一面に並んだモニターだけが、ぼんやりとした光を放っている。男は椅子に深く腰掛け、指を組んだままモニターに映し出されたデータをじっと見つめていた。そこに映っているのは、一人の少年の全身スキャンデータ。年齢、身長、体重、IS適性値脳波パターン、そして——
「間違いないのか?」
声の主は、男と女が入り混じったかのような声だった。低く、しかしどこか女性的な響きも含んでいる。その声に、通信の向こうから複数の声が返ってきた。
「ええ、間違いありません」
答えたのは、女性の声だった。冷静で分析的で、どこか事務的な響き。
「データに誤差はありません。脳波パターン、IS適性値、そして……例の『残滓』の反応。全てが一致しています」
「全く、面倒な事になった」
続いたのは、男性の声。低く重く、どこか疲れを含んだ声。
「まさか奴もこの世界に居るとは」
その言葉に、通信の向こうの空気が少しだけ張り詰めた。そして——
「そんなこと言って~本当はリベンジしたいんじゃないの~? スティンガー君」
悪戯っぽい、どこか楽しげな声。その声にスティンガーと呼ばれた男は低く唸った。
「黙っていろ主任」
「はいはい、すみませんね~」
主任と呼ばれた男はどこまでもふざけた様子でそう答えた。その声には、緊張感のかけらもない。だがその軽さの奥には、どこか底知れないものを感じさせるものがあった。
「相変わらずだな、主任」
スティンガーが、そう言って吐き捨てるように言った。
「お互い様でしょ~? スティンガー君も、変わらないねぇ。相変わらず過去に囚われてる」
「貴様……」
「今はそんなことをしている場合じゃないでしょう」
女性の声が、二人を制した。その声にはどこか諦めにも似た色があった。しばらく沈黙が流れた。そして——
「計画を、前倒しにする必要がある」
男と女が入り混じった声の主が、静かにそう言った。その声には、有無を言わせぬ響きがあった。通信の向こうから、複数の声が賛同を示す。
「異論はないな?」
「ありません」
「仕方あるまい」
「賛成~」
「では、決まりだ」
男と女が入り混じった声の主が、最後にそう言った。その声はどこまでも冷徹で、そしてどこか哀しみにも似た響きを含んでいた。
「力を持ち過ぎた者は全てを壊す。故に我々は排除しなければならない」
その言葉を最後に通信が切れた。暗い部屋に、静寂が戻る。男はしばらくの間、動かなかった。やがてゆっくりと天井を見上げた。そこには、何もない。ただ暗い天井があるだけだ。だが、男の目には何かが見えているようだった。
「織斑一夏……」
男は、ぽつりと呟いた。その声は静かだった。だが、その奥には長い年月をかけて熟成された執念のようなものが滲んでいた。
「いや、イレギュラー」
男は、そう言い直した。その言葉には、どこか懐かしさとそして——憎しみにも似たものが混じっていた。
「今度こそ……」
男は、そう言って、ゆっくりと目を閉じた。暗い部屋の中、モニターの光だけが静かに瞬いていた。