IS学園から離れた町の路地裏。夕暮れの光が古びた煉瓦の壁に斜めに差し込み、長い影を落としている。人通りもまばらなその場所で、オータムとMは機体を展開したまま通信を繋いでいた。
「——というわけでスコール。無人ISは全部自爆しちまって、一機も鹵獲できなかった」
オータムの報告に通信の向こうから短い沈黙が返ってきた。やがてスコールの落ち着いた、しかしどこか疲れたような声が聞こえてくる。
「……そう。やっぱり連中、用意周到ね」
「ああ。最初から鹵獲される前提で動いてたみたいだ。あの深緑の奴も、最後は自分から爆散しやがった」
「深緑? 誰かと交戦したの?」
「ああ。IS学園の生徒の一人——白鴉に乗ってた奴と戦ってた。どうやらあれが例の『器』みたいだな」
通信の向こうでスコールが小さく息を呑む気配があった。だが、すぐに冷静な声に戻る。
「……分かった。とにかく、二人とも一旦帰還して。カーラとウォルターと共に次の策を考えるわ」
「了解」
「分かった」
オータムとMは短く応答し、機体を収納しようと動いた。
「ちょっと待ったー!」
明るく、しかし妙に場違いなほど元気な声が路地裏に響いた。オータムとMはとっさに身構え、声のした方へ視線を向ける。そこに立っていたのは、奇抜な服をひらりと翻した女性と、その隣に控える目を閉じた銀髪の少女だった。
「あんたは……篠ノ之束……!?」
オータムは思わず声を上げた。ISの生みの親にして、世界を揺るがす天才科学者。その人物が、なぜこんな路地裏に。束はそんなオータムの驚きなど気にも留めない様子で、にこにこと笑っている。
「私達も君達の所に連れってってくれない?」
あまりにも唐突なその申し出に、オータムとMは顔を見合わせた。Mが低い声で問う。
「何が目的だ?」
束の笑みが、すっと消えた。代わりに現れたのは、年齢にそぐわないほど真剣な表情だった。
「奴らに対抗するために君達が持っている情報が欲しいの。勿論、対価はちゃんと払うよ」
その言葉に、オータムとMはしばし沈黙した。束の隣で、銀髪の少女が、静かに二人の様子を窺っている。オータムはやがて、小さく息を吐いた。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、再びスコールへと通信を繋ぐ。その間、クーが束に小さく声をかけた。
「束様……」
「分かっているよクーちゃん。でも、少しでも奴らの情報が必要なの」
束の声には、覚悟のようなものが滲んでいた。クーちゃんと呼ばれた少女はその背中を見つめ、静かに頷いた。
「分かっています」
夕暮れの路地裏に、しばしの静寂が訪れる。オータムの通信が終わるのを、誰もが黙って待っていた。
―――
暗闇の中。どこにあるのかも分からない、窓一つない部屋。壁も天井も黒く塗り潰されたその空間で、オールマインドは複数の相手に今回のIS学園襲撃について報告していた。声は淡々と、感情の起伏もなくただ事実だけを並べていく。
「——以上が今回の襲撃の結果です。無人IS五十一機、全機損失。深緑のISも自爆により回収不可。鹵獲された機体はありません」
報告を聞いた男——主任が、薄く笑うような声を上げた。
「メディアではIS学園襲撃事件で持ち切りだそうだね。まあ、これだけ派手にやれば当然か」
「ええ。ですが、戦果としては芳しくありませんね」
冷静にそう分析したのはキャロルだった。彼女の声には感情がなく、ただ数字と結果だけを淡々と評価する響きがある。
「白鴉・熾天と同じ設計思想の機体を投入し、VOBまで装備させたにもかかわらず、これだけの損失とは。調整が甘い証拠です」
その言葉に、スティンガーが低い声で応じた。
「面倒な事が増えるだろうが……まあ、許容範囲か」
男と女が入り混じった声が暗闇の中に響く。それは特定の誰かのものではなく、そこにいる全員の総意のような、不思議な響きを持っていた。
「無人ISの初の実戦投入にしては、こんなものか」
「ええ。データは取れましたからね」
そこへ、新たな声が通信に加わった。軽やかで、どこか飄々とした男の声だ。
「やあやあ、皆さんお揃いで」
主任がその声の主に気づいて、少しだけ声の調子を変えた。
「財団君。データ収集は終わったのかい?」
「ええ、終わりましたよ」
財団と呼ばれた男は、少しだけ間を置いてから続けた。
「けど、死神部隊と比べればまだまだ制御が甘い。直ぐに調整しないといけないね」
その言葉に、主任は楽しげな声で応じた。
「調整は良いけど、今度は俺の機体も用意してよ。久々にあの傭兵と殺り合いたいし」
その声には、隠しきれない期待と高揚が滲んでいた。財団はそんな主任の様子に、少しだけ苦笑するような気配を漂わせながら答えた。
「今急ピッチで製造してますよ」
「楽しみだ」
主任がそう言って笑う。その笑い声は暗闇の中に吸い込まれるように消えていった。そして、男と女が入り混じった声が静かに告げた。
「報告は以上だな? なら私は次の作戦を考える」
その言葉を最後に通信の一つが切れた。主任はその切れた通信の先を眺めるようにしながら、小さく呟いた。
「相変わらず淡々としてるねぇ」
「それが彼等ですから」
キャロルがそう答える。その声には、どこか信頼のようなものも混じっていた。主任は少しだけ頷いて、それからふと思い出したように言った。
「そういえばオールちゃん。例の狂犬君は今どうしているの?」
オールマインドは、いつもの抑揚のない声で答えた。
「いつものシミュレーターを行っています」
「そう。相変わらず真面目なことで」
主任はそう言ってまた小さく笑った。暗闇の中、複数の影が静かに動いている。次の作戦に向けて、すでに動き出している者。データの調整に追われる者。そして、己の機体の完成を心待ちにする者。それぞれの思惑が交錯する中で、オールマインドだけは静かにただ淡々と、次の任務の準備を進めていた。
―――
夜。IS学園の寮の一室で一夏は楯無からこれまでの出来事の裏側を説明されていた。窓の外には月が浮かび、部屋の中は小さな明かりだけが灯っている。楯無はいつもの飄々とした態度ではなく、どこか真剣な表情で語っていた。
「最近、妙な組織が動いているの。そして——その狙いは一夏君、あなたよ」
「俺?」
「ええ。だから私がここに同居しているのは、予防線の意味もあってのことだったの」
一夏はその言葉に、今日の出来事を思い出した。空から降ってきた五十一機の無人IS。そして深緑のIS。あの男の声。
「楯無先輩。妙な組織って、今日襲ってきた奴らのことですか?」
「いいえ」
楯無は静かに首を振った。
「あれは完全に予想外の事態だった。私の読みでは、あの襲撃は別の勢力——もっと別の、私達も把握していない何かが絡んでいる」
一夏は眉をひそめた。ではあの深緑のISの男は何者なのか。自分の中に眠るというレイヴンの記憶は何なのか。楯無はそんな一夏の様子を見ながら、言葉を続けた。
「私の家はね、対暗部用暗部として裏の世界に関わってきた家なの。だから、ある程度の情報は入ってくる。でも、今回の件はその私の家の情報網にも引っかからない。それが……少し怖いのよ」
楯無の声に、ほんのわずかな翳りが混じった。一夏はそんな楯無を見て、彼女がどれだけのものを背負っているのかを改めて感じた。そして、頭の中の声が静かに言った。
(ふむ。対暗部用暗部か。なるほど、納得できる話だ)
(お前、知ってたのか)
(何となく、な。あの女、只者じゃないと思っていたがやはりそういうことか)
一夏は心の中でその声に応えながら、楯無に向き直った。楯無はそんな一夏を見て、少しだけ躊躇うように口を開いた。
「それでね、一夏君。実は——あなたが深緑のISと戦っている時、私達もその通信を聞いていたの。箒ちゃん、セシリアちゃん、鈴音ちゃん、シャルロットちゃん、ラウラちゃんと一緒にね」
一夏はその言葉にはっとした。あの戦いの最中、自分は確かに叫んでいた。「お前は誰だ」「俺の中にある記憶は何なんだ」と。それをみんなが聞いていた。
「一夏君。何か隠していることがあるんでしょ?」
楯無の問いは、静かだった。だがその静けさの中に強い意志を感じた。一夏はどう説明すればいいのか悩んだ。自分の中に眠るレイヴンの記憶のこと。ルビコン。コーラル。ベイラム。レッドガン。知らないはずの言葉が次々と浮かんでは消える。あの深緑のISの男が言った「野良犬」という言葉。それらを、どう話せばいいのか。一夏が黙り込んでいると、楯無はそんな一夏の様子を見て、ふっと優しく微笑んだ。
「今すぐじゃなくていいわ。でも、皆と一緒にいつかちゃんと説明してね」
その言葉に、一夏は少しだけ救われたような気がした。
「……ありがとう、楯無先輩」
「いいのよ。私は先輩だからね」
楯無はそう言って、いつもの飄々とした笑顔を見せた。それから、小さく欠伸をして立ち上がった。
「さあ、もう寝ましょう。明日も色々あるんだから」
「ああ」
楯無が明かりを消す。部屋の中が、月明かりだけの静かな暗闇に包まれた。一夏は布団に入り、天井を見上げた。隣の布団から、楯無の「おやすみ」という声が聞こえる。
「おやすみ、楯無先輩」
一夏もそう答えて目を閉じた。だが、すぐには眠れそうになかった。頭の中では、あの記憶の奔流がまだ微かに渦巻いている。ルビコン。コーラル。レイヴン。そして——野良犬と呼ばれた誰かの記憶。一夏は布団の中で、そっと自分の手を見つめた。暗闇の中でも、その手は確かに自分のものだ。だが、その中に自分ではない誰かがいる。その事実が、一夏の胸に重くのしかかる。
(眠れないのか)
頭の中の声が、静かに問いかけた。
(ああ。色々考えちまって)
(無理もない。今日は色々あったからな)
(お前は……どう思う。俺の中の記憶のこと)
(さあな。だが、一つだけ言える。記憶に飲まれるな。お前はお前だ。それは変わらない)
その言葉に、一夏は少しだけ安心した。そうだ。自分は織斑一夏だ。そのことは、何があっても忘れない。一夏はゆっくりと息を吐いた。やがて、隣から聞こえてくる楯無の静かな寝息に、一夏も徐々に眠気を誘われていった。明日、また考えよう。記憶のこともあの深緑のISの男のことも。そして——自分の中に眠るレイヴンのことも。一夏はそう心の中で呟いて、静かに目を閉じた。月明かりだけが、二人の眠る部屋を静かに照らしていた。
―――
翌朝。一夏は再び体育館に来ていた。全校集会である。周囲にはすでに大勢の女子生徒が集まっており、その空気はどこかぴりぴりとしている。昨日の襲撃事件のせいで、あの「織斑一夏争奪戦」の投票ができなかった。その怒りは当然、謎の勢力へと向かっている——はずだったのだが、実際に体育館に充満しているのは、なにかもっと別のせっかくのチャンスを潰されたことへの不満と焦燥だった。
「せっかくあの日、投票するつもりだったのに……」
「あの無人ISのせいで……」
「絶対許せないわ。あの謎の組織」
ひそひそと交わされる声はすべて昨日の襲撃への恨み言だ。一夏はその輪の中に立っているだけで、なんだか針の筵に座っているような気分だった。壇上に上がった楯無が、マイクの前に立つ。その表情はいつものように飄々としていて、何を考えているのか読めない。
「えー、みなさん。昨日の襲撃事件で予定していた投票ができなかったこと、私も残念に思っています」
楯無の言葉に、体育館中からため息が漏れた。だが楯無は続ける。
「なので、私なりに考えた結果——」
そこで一度言葉を切り、にっこりと笑った。
「織斑一夏君を、生徒会に入れることにしました」
一瞬、体育館が静まり返った。そして、次の瞬間あちこちからブーイングが飛び交った。
「えーっ! ずるい!」
「なんで生徒会なのよ!」
「近水楼台先月を得る気!?」
「先輩ばっかりずるい!」
一夏はその言葉の嵐に思わず顔を引きつらせた。待ってくれ。俺は何も聞いていないぞ。そんな一夏の内心を知ってか知らずか、楯無は平然と続けた。
「まあまあ、最後まで聞きなさい。一夏君には生徒会のマネージャーや庶務として、一日ごとに各部活に派遣することにします」
体育館が、しんと静まり返った。先ほどまでの怒号が嘘のように消え、代わりに訪れたのは期待に満ちた沈黙。
「つまり、各部活に一日ずつ一夏君が来るってことよ」
その瞬間。体育館が、爆発した。
「ええええっ! それって最高じゃない!」
「うちの部活に一夏君が来るの!?」
「一日ごとってことは、順番が回ってくれば……!」
「先輩たちだけずるいなんて言ってごめんなさい!」
「生徒会に感謝!」
さっきまでの怒りがどこへ行ったのか、女子生徒たちは満面の笑みで歓喜の声を上げている。一夏は呆然とその光景を見つめていた。なんだこれは。なんでこんなに話がまとまっているんだ。いつの間にか決まっていたことに、一夏はただただ圧倒されるばかりだった。
「それでは、特に問題は無いようなので」
楯無がマイクに向かって、満足げに締めくくる。
「織斑一夏君は生徒会へ所属。以後は私の指示に従ってもらいます」
その言葉を合図に体育館中から一夏に向けて拍手が巻き起こった。それはもう、祝福なのか激励なのかあるいは別の何かなのか。一夏にはもはや判断がつかない。
「はは……ははは……」
一夏は乾いた笑いを漏らしながら、がっくりと肩を落とした。頭の中では、あの声が苦笑いを漏らしている。
(ふむ。見事な采配だな。あの女、なかなかやる)
(他人事だと思って……)
(いや、なかなか面白いことになったじゃないか。各部活を回るとは、それはそれで色々な経験ができそうだ)
(お前は前向きだな……)
(まあ、なるようにしかならんさ)
一夏は頭の中の声にそう返しながら、壇上の楯無を見上げた。楯無は一夏に向かって、ウインクを一つ送ってきた。どうやら最初からこうするつもりだったらしい。一夏はもう一度、深いため息をついた。先輩には、敵わない。それが一夏の正直な感想だった。