生徒会室。一夏は楯無本音、虚の三人に囲まれ、生徒会副会長の着任を祝福されていた。部屋の中央には小さなテーブルがあり、そこに座らされた一夏の顔は正直に言って疲れ切っていた。昨日の襲撃、あの深緑のISとの戦い記憶の奔流、そして今朝の全校集会。もう何日分もの出来事を一日で詰め込まれたような気分だ。
「一夏君、そんなに疲れた顔しないの。副会長就任よ? もっと喜びなさいよ」
「いや……嬉しいんですけどね。色々ありすぎて……」
「まあまあ。元気出して!」
楯無はそう言ってにこやかに笑っている。その笑顔を見ながら一夏は心の中で叫んだ。(誰のせいでこんなことになっていると思っているんですか!)とはいえ口には出さない。出したところで、楯無には通じないだろうから。
「そもそもね、一夏君。あなたが部活に入らないのが悪いのよ」
「えっ」
「IS学園の生徒なら、どこかの部活に所属するのが普通でしょ? それをあなたはどこにも入らずにふらふらしてるから、こういうことになるの」
「ふらふらって……」
「そうだよー。おりむーがどこか一つの部活に入れば、一部の人は諦めるよー」
本音がのんびりと手を上げながらそう言った。その言葉には、どこか呆れたような響きがある。
「でも一夏君がどこかに入ったら入ったで、その他の大勢の生徒が『私の部に入って』って言い出しますからね。だから今回の措置を取ったの」
虚が眼鏡を掛けなおしながらそう補足した。なるほど、と一夏は思った。つまりこの処置は、部活間の均衡を保つための苦肉の策ということか。それにしても、と一夏は思う。なんだかんだ言って、自分は生徒会の連中にいいように使われているだけのような気がする。
その時だった。虚がふと声を潛めて一夏に尋ねてきた。
「ねえ、一夏君。ちょっと聞きたいんだけど」
「ん? 何だ?」
「貴方が招待したお友達の名前はなんていうの?」
一夏は虚の質問の意図が読めず、首をかしげた。なぜ今弾の名前が出てくるんだ。
「ああ、知ってますよ。名前は五反田 弾。俺の悪友で実家が定食屋やってて……」
「うんうん」
「中学校からの付き合いで、よく一緒に遊んでたな。あと妹の蘭もいて……」
「そうなのね」
虚はなぜか頬をほんのり赤らめながら、真剣に一夏の話を聞いている。一夏はその様子にますます首をかしげながらも、弾の人柄や普段の様子をぽつぽつと話していった。虚は時折小さく頷きながら、その話を聞いていた。
「……ありがとう、一夏君」
「え? あ、はい」
虚はそう言って、少しだけ照れくさそうに笑った。その笑顔は、いつもの真面目な雰囲気とは少し違って見えた。楯無がそんな虚の様子をちらりと見て、面白そうに口元を緩めた。
「さて、と。堅苦しい話はここまでにして。一夏君の副会長就任を祝して——」
楯無がそう言って、どこからともなく手作りのケーキを取り出した。白いクリームに飾られた、見るからに美味しそうなケーキだ。
「わあ……」
思わず一夏が声を漏らすと、楯無は満足げに笑った。
「私の手作りよ。食べてみて」
「お茶入れますね」
虚がそう言って、慣れた手つきでお茶の準備を始める。その手際はなかなかのものだ。
「私は取り皿を用意するよー」
本音がそう言って、丁寧に皿を並べていく。
やがてケーキが切り分けられお茶が注がれ、全員の前に揃った。楯無がグラスを掲げる。
「それでは——織斑一夏君の生徒会副会長就任に、乾杯!」
「乾杯」
「乾杯ー」
「かんぱーい」
一夏も疲れた様子ながらグラスを掲げて「乾杯」と唱えた。カチン、と軽やかな音が生徒会室に響く。その音が、なんだか妙に心地よく聞こえた。ケーキを一口食べると、ほのかな甘さが口の中に広がった。お茶とよく合う。一夏はふと思った。昨日はあんなに大変なことがあったのに、こうして今普通にケーキを食べている。それがなんだか不思議で、でも少しだけ嬉しかった。
「どう? 美味しい?」
「はい。美味いです」
「良かった」
楯無はそう言って嬉しそうに目を細めた。虚がお茶をすすりながら、ふと窓の外を見た。本音はのんびりとケーキを食べている。一夏はそんな三人の様子を見ながら、少しずつではあるが自分の居場所がここにあるような気がしていた。
夜。IS学園の廊下はしんと静まり返り、足音だけがやけに大きく響く。楯無は学園長室の前に立ち、小さく息を整えてからノックをした。
「失礼します」
返事を待たずにドアを開けると、中には初老の男性——轡木十蔵が机に向かって座っていた。窓の外には月が浮かび、その淡い光が部屋の中に差し込んでいる。十蔵は顔を上げ、楯無の姿を認めると穏やかに微笑んだ。
「更識君か。夜分にどうしたのかい?」
「報告したいことがあって参りました。学園祭の襲撃者と、織斑一夏君のことです」
「うむ。座りなさい」
楯無は促されるままに椅子に腰を下ろした。そして、昨日の出来事を順序立てて話し始める。五十一機の無人IS。白鴉・熾天と同じ設計思想。教師陣を追い詰めた高い戦闘能力。そして——一夏を強襲した深緑のIS。十蔵は静かに耳を傾け、時折小さく頷きながら楯無の報告を聞いていた。楯無が話し終えると、十蔵はしばらく黙って考え込んだ。
「襲撃者の正体は依然として不明か」
「はい。無人ISはすべて自爆し、深緑のISも同様に。鹵獲できたものはありません」
「ふむ……」
十蔵は机の上で両手を組み眉間に皺を寄せた。襲撃者の謎。そして、一夏の異常性。あの深緑のISは明らかに一夏を狙っていた。それも、他の誰でもない一夏個人を。
「更識君。何か他に、気になることはあったかい?」
楯無は少しだけ躊躇ってから、鞄から小さなボイスレコーダーを取り出した。
「これをお聞きください。一夏君と深緑のISとの戦闘時の会話を録音したものです」
十蔵はそれを受け取り、再生ボタンを押した。部屋の中に、通信越しのざらついた音声が流れ始める。
『よぉ、久しぶりだな。野良犬』
『お前は……誰だ?』
『……まだ、完全に目覚めちゃあいねえようだな』
『だったら、無理矢理思い出してもらうぜ野良犬!』
『お前一体何者なんだ!』
『知りたいか? なら、思い出せ。お前の中に眠るあの記憶を——レイヴンの記憶をな!』
『レイヴン……?』
『何もしてねえよ。ただ、お前の中に眠ってるもんが目を覚まし始めてるだけだ』
『ふざけるな……! 俺は、俺は織斑一夏だ! そんな記憶、俺のものじゃない!』
音声が終わると、十蔵は静かに再生を止めた。部屋の中に、重い沈黙が落ちる。
「……野良犬。レイヴン。一夏君の中に眠る記憶、か」
十蔵は録音機を机の上に置き、窓の外の月を見上げた。その目は、何か遠いものを見るように細められている。深緑のISと一夏。あの会話から察するに、両者の間には何らかの繋がりがある。それも、ただの敵味方ではないもっと深い何かが。十蔵はゆっくりと口を開いた。
「更識君。これからも一夏君の傍に居てあげて欲しい」
「……はい。勿論です」
楯無は迷いなく頷いた。その声には、確かな意志が込められている。十蔵はそんな楯無の返事に、少しだけ安堵したような表情を見せた。
「頼んだよ」
「失礼します」
楯無は一礼して学園長室を出ていった。ドアが静かに閉まり、部屋には十蔵一人が残される。十蔵はもう一度、窓の外を見上げた。月が静かに夜空に浮かんでいる。その光はどこか冷たく、しかしどこか優しい。
「織斑一夏君……」
十蔵はぽつりと呟いた。あの少年の未来に、幸福が訪れることを。自分にできることは限られている。だが、せめてもの願いを込めて。十蔵は月に向かって、静かに祈った。