五十八話
夕食時。学園の食堂は多くの生徒で賑わっていたが、一夏たちのテーブルはいつもの面々で固まっていた。箒はサンマ定食、セシリアはビーフシチュー鈴音は麻婆定食、シャルロットはクリームコロッケ定食、ラウラは季節のサラダパスタそして一夏はだし巻き卵定食。それぞれ好きなものを食べながら、他愛のない話に花を咲かせていた。その中で一夏はふと、思い出したように言った。
「あ、そうだ。言い忘れてたんだけど——今月の二十七日、俺の誕生日なんだ」
「えっ」
シャルロットが目を丸くした。クリームコロッケを乗せたフォークが宙で止まる。
「二十七日って……日曜日だよね?」
「ああ。そうなるな」
一夏が頷くと、セシリアがビーフシチューを口に運びながら、少々お怒り気味の声を上げた。
「もう、一夏さんったら。そういう大事なことは事前に言って欲しいですわ」
「ごめんごめん」
ラウラが季節のサラダパスタをフォークで器用に巻き取りながら、じろりと一夏を睨んだ。
「何故黙っていた」
「いや……大したことじゃないかなと思って」
「大したことだ」
ラウラはぴしゃりと言い放った。それからふと、何かを思い出したように口元を歪めた。
「まあ、知っていて黙っていた奴も居るようだが」
その視線の先には箒と鈴音がいた。箒はサンマ定食を、鈴音は麻婆定食を食べている。二人はその言葉にびくりと肩を震わせた。
「わ、私は……聞かれなかったから……」
「わ、私も……聞かれなかったし……」
箒と鈴音が焦りながらそう答えると、ラウラはふんと鼻を鳴らした。一夏はだし巻き卵定食を食べる手を止めて、セシリアシャルロット、ラウラの三人に向き直った。
「三人とも、ごめん。俺が悪かった」
「分かればよろしいのよ」
「うん。許すよ。でも、プレゼントはちゃんと考えるからね」
「当然だ。何が欲しいか、今のうちに考えておけ」
セシリア、シャルロット、ラウラの三人はそう言ってもう誕生日プレゼントのことを考え始めているようだった。一夏はその様子に申し訳なさとありがたさが入り混じった複雑な表情を浮かべた。
「あのさ。誕生日当日なんだけど——ISの拘束バトルレース、キャノンボール・ファストがあるだろ? だから、四時に始めるつもりなんだ」
一夏がそう言うと、シャルロットが少し驚いたように聞き返した。
「四時から? それって、レースが終わってからってこと?」
「ああ。せっかくの誕生日だし、みんなと一緒に過ごしたいからな」
その言葉に、箒と鈴音も顔を上げた。セシリアはにっこりと微笑み、ラウラは小さく頷いた。一夏はふと、明日からキャノンボール・ファストの高機動調整が始まることを思い出した。
「そういえば、明日からキャノンボール・ファストの高機動調整が始まるんだよな。具体的に何をするんだ?」
「基本的には高軌道パッケージのインストールが基本だが」
ラウラがパスタを咀嚼しながら答える。
「お前の白鴉・熾天には無いし、必要も無いだろう。あれは通常のISが高速機動を実現するための追加装備だ。お前の機体は元から速い」
「ただでさえ速い白鴉・熾天に高軌道パッケージなんて付けたら手に負えないよ」
シャルロットが苦笑しながら付け加えた。
「武装も妨害と防御に適していますし、レース向きの機体ですわね」
セシリアがそう言うと鈴音が麻婆定食を食べながら、にやりと笑った。
「VOBを付けたらぶっちぎりで一位になりそうね」
「VOBは真っ直ぐしか飛べないから確実に大惨事になるぞ」
一夏は即座に反論した。あの爆発的な推進力は確かに魅力的だが、コースを曲がれないとなれば壁に突っ込むだけだ。
「それよりも一夏。生徒会の各部活への派遣はまだなの?」
「ああ。今、抽選と調整をしているって聞いた」
一夏がそう答えると、鈴音はふと思い出したように周りの面々を見渡した。
「そういえば、みんなはもう部活に入ったのか?」
その質問に、まず箒が答えた。
「私は最初から剣道部だ」
「ラクロス部よ」
「私は料理部」
「テニス部ですわ」
「茶道部だ」
それぞれが自分の所属を答える。一夏はそれを聞きながら、改めて自分がどこにも所属していないことを実感した。だからこそ、ああいう措置が取られたのだろう。一夏は小さくため息をついてから、残りのだし巻き卵定食を食べ進めた。誕生日まであと少し。キャノンボール・ファストに、部活の派遣にそして——自分の中に眠る記憶のこと。やるべきことは山積みだが、こうして仲間と食卓を囲んでいる時だけは、そのすべてを忘れていられた。
―――
夕食を終えた一夏は自室へと向かう廊下を歩きながら、頭の中の声と相談していた。
(なあ、キャノンボール・ファストに向けて白鴉・熾天の調整をどうするか、少し考えたいんだが)
(ふむ。高機動調整か。お前の機体は元から速い。だが、レースとなれば話は別だ。直線の加速だけでなく、コーナリングでの安定性も重要になる)
(だよな。VOBは論外として、スラスターの出力配分をどうするか……)
(それと、リニアライフルの折り畳み機構を活かした軽量化も考えられる。レースでは武装の重量が仇になるからな)
(ああ。そこら辺は明日、実際に機体を触りながら……)
そこまで考えて、一夏は自室のドアを開けた。
「ただいまー」
と言った瞬間一夏の言葉は止まった。部屋の中。退去したはずのベッドの上で、楯無が寝転がりながらファッション雑誌を読んでいた。
「おかえり、一夏君」
楯無は雑誌から顔を上げて、にこやかにそう言った。一夏はガクッと項垂れた。なんでこの人はこうも自由なのか。
「……何しに来たんですか」
「冷たいなあ。せっかく報告に来てあげたのに」
楯無はそう言って起き上がると、雑誌を閉じて姿勢を正した。その表情が、ふっと真剣なものに変わる。一夏もその変化に気づいて、自然と背筋が伸びた。
「報告って?」
「学園祭の時の無人ISの残骸の調査についてよ」
一夏は真剣な表情で楯無の話を聞く体制に入った。楯無はベッドの端に腰かけ、一夏にも座るように促した。
「残骸の調査が進んでいるの。自爆したとはいえ、完全に消え去ったわけじゃない。いくつかのパーツは原型を留めていてね。そこから色々なことが分かりつつあるの」
「どんなことが?」
「まず、あの無人IS。あれはISの技術体系とは根本的に違う設計思想で作られている。シールドエネルギーによる防御は最小限で、代わりに物理装甲に頼っている。そして、動力源も——」
楯無は少し言葉を切って、一夏の目をまっすぐに見た。
「ISのコアとは別の系統のものよ。ISの技術を使っているのは間違いないんだけど、そこに別の技術が組み合わされている。私の家の情報網でも、この組み合わせには心当たりがなくてね」
「別の技術……」
一夏はその言葉を繰り返した。頭の中の声が、静かに呟く。
(別の技術、か。やはりあの機体は……)
(お前、何か分かるのか?)
(いや。ただ、あの深緑のISの男が言っていた『レイヴン』という言葉。それが関係している)
一夏はその声に内心で頷きながら、楯無に問いかけた。
「その別の技術って、何なのか分かったのですか?」
「まだ断片的にしか。ただ、一つだけ言えることがある」
楯無はそう言って、少し声のトーンを落とした。
「あの無人ISも深緑のISも、設計思想が白鴉・熾天とあまりにも似ている。いや——正確に言えば、白鴉・熾天の設計思想を『別の方向から再現しようとした』痕跡がある」
「俺の機体の……?」
一夏は息を呑んだ。白鴉・熾天は、一夏の中に眠るレイヴンの記憶が再構成した機体だ。ならば、同じ設計思想を持つ機体を作れるということは——。
「つまり、俺と同じような誰かが、あの機体を作ったってことですか?」
「可能性は高いわ。そして、その誰かがあの深緑のISの男と繋がっている」
楯無の言葉に一夏はしばらく黙り込んだ。自分の中の記憶。あの深緑のISの男。そして、同じ設計思想を持つ無人IS。それらが一本の線で繋がろうとしている。だが、その線の先にあるものはまだ見えない。
「楯無先輩。その調査、俺も協力できないですか?」
「ええ。そのつもりで話に来たのよ」
楯無はそう言って、いつもの飄々とした笑みを浮かべた。
「ただし、無茶はしないこと。あなたはまだ生徒会副会長なんだからね」
「分かってますよ」
一夏はそう答えながら、頭の中の声に語りかけた。
(どうやら、俺の記憶の謎は俺たちだけの問題じゃなくなってきたみたいだ)
(ああ。だが恐れることはない。記憶が何であれ、お前はお前だ。そしてやるべきことは変わらない)
(ああ。まずはキャノンボール・ファスト。そして、誕生日。その先に——この謎を解く手がかりがあるはずだ)
(その意気だ)
一夏は決意を新たにしながら、楯無に向き直った。
「楯無先輩。調査の詳細、明日また聞かせてください」
「ええ。じゃあ、私はこれで」
楯無はそう言って立ち上がった。ドアの方へ歩きながら、ふと思い出したように振り返る。
「そうそう。誕生日、楽しみにしてるわよ」
「なんで知ってるんですか……」
「ふふ。先輩を甘く見ないことね」
「一夏、ちょっといい?」
ノックと共にシャルロットの声が響いた。一夏が返事をしようとするより早く、楯無が扉のドアを開けてしまった。
「じゃあね。一夏君」
楯無はそう言って実に楽しそうに去っていった。残されたのは、廊下に立つシャルロットと部屋の中に立つ一夏。シャルロットはしばらく、楯無が消えていった廊下の先をじっと見つめていた。それから、ゆっくりと一夏の方へ視線を戻す。その表情は、いつもの穏やかなシャルロットのものではなかった。なにか、不穏な雰囲気を纏わせている。
「……一夏。今の、どういうこと?」
一夏は慌てた。どう誤解を解こうか、頭の中で必死に言葉を探す。いや、誤解というか実際に楯無が勝手に部屋にいたわけで、自分は何もやましいことはないのだが、この状況でそれを説明しても信じてもらえるかどうか。
「いや、あの、これはだな楯無先輩が勝手に……」
「ふーん。勝手に、ねえ」
シャルロットの目が細められる。一夏は冷や汗をかきながら、どう説明したものかと考えていると——シャルロットが「ぷっ」と吹き出した。
「あはは。ごめんごめん、冗談だよ」
シャルロットはそう言って、けらけらと笑い始めた。
「怒ってないよ。また楯無先輩に振り回されてたんでしょ? いつものことだもんね」
「お、おう……」
一夏はほっと胸を撫で下ろした。どうやら本当に冗談だったらしい。だが、心臓に悪いことこの上ない。
「で、何の用だ?」
「うん。あのね……」
シャルロットは少しだけ落ち着かない様子で、視線をあちこちに泳がせた。そして、意を決したように顔を上げる。
「買いたい物があるんだけど、今度の週末、二人で一緒に行かない?」
一夏は少し驚いた。シャルロットが自分を誘うなんて、珍しい。いや珍しいというほどでもないか。最近はよく一緒にいるし、こういう誘いも増えた。けれど、なんだか照れくさそうにしているシャルロットを見ると、こちらまで少し気恥ずかしくなる。
「ああ、いいぞ。何を買うんだ?」
「えっと……それは、行ってからのお楽しみ」
「なんだよ、それ」
「いいの。とにかく、週末は空けておいてね」
シャルロットはそう言ってにっこりと笑った。その笑顔は、いつもの優しい笑顔とは少し違って、なんだかとても嬉しそうなそんな笑顔だった。
「絶対だよ!」
シャルロットはそう言って、小指を差し出した。
「指切り、しよ?」
「お、おう」
一夏も小指を差し出す。二人の小指が絡み合った。シャルロットが、楽しそうに歌うように言う。
「指切りげんまん、嘘ついたらクラスター爆弾のーます♪」
「……相変わらず怖いことを言うなぁ」
一夏は思わず呟いた。クラスター爆弾のーます、とは。しかも歌うように楽しそうに言うのがまた怖い。頭の中の声が、静かに苦笑する。
(なんとも恐ろしい指切りだ)
(だよな……)
(だが、それだけ本気だということだろう。大事にしろ)
(分かってるさ)
一夏は心の中でそう答えて、シャルロットに向き直った。
「じゃあ、週末な」
「うん! 楽しみにしてるね!」
シャルロットはそう言って、嬉しそうに手を振りながら去っていった。一夏はその背中を見送りながら、ふと思った。週末か。誕生日も近いし、キャノンボール・ファストもある。色々と忙しくなりそうだ。だが——こういう約束があるのは、悪くない。一夏はそう思いながら、部屋のドアを閉めた。頭の中の声が、また静かに囁く。
(さて。まずはキャノンボール・ファストの調整だな)
(ああ。週末までに、機体を仕上げないと)
(そして、誕生日プレゼントのことも考えないとな)
(……そうだった。何が欲しいか、まだ決めてなかったな)
(ふむ。あの女たちのことだ。きっと何かしら用意してくるだろう。楽しみにしておくといい)
(お前は気楽でいいな……)
一夏はそう返しながら、ベッドに腰かけた。窓の外には、静かな夜が広がっている。その夜の向こうに、週末があり誕生日があり、そして——まだ見ぬ謎が待っている。一夏はしばらく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。