翌日。一年一組は第六アリーナで、山田摩耶による高速機動の授業を受けていた。アリーナの中央に集まった生徒たちの前で、摩耶はいつもの柔らかな笑顔を浮かべながら、しかしその声にはどこか熱のこもったものを感じさせた。
「えー、今日は高速機動について学びます。まずは実演を見てもらいましょう。セシリアさん、一夏さん前に出てきてください」
「はい」
「了解ですわ」
名前を呼ばれた二人が前に出る。摩耶は続けて説明した。
「セシリアさんにはブルーティアーズに高速機動パッケージ『ストライク・ガンナー』を装備してもらいます。一夏さんは通常装備のままですが、白鴉・熾天のスラスター出力を調整してもらっています。では、一周してきてくださいな」
「「はい」」
一夏とセシリアはそれぞれのスタート位置に着いた。セシリアのブルーティアーズには背部に大型のスラスターユニットが装着されている。一方の一夏の白鴉・熾天は、見た目こそ通常装備と変わらないが、内部のスラスター出力が最適化されていた。
(出力は七割に抑えてある。これでどのくらいの速度が出るか、見てみよう)
(ああ。だが油断するなよ。向こうは高速機動に特化した装備だ)
(分かってる)
摩耶の合図が響いた。
「始め!」
二人の機体が同時に駆け出した。いや——駆け出したのはセシリアだけだった。一夏の白鴉・熾天は、まるで空間に溶け込むように音もなく加速した。そのスピードは瞬く間にアリーナの壁面を流れる風景と化す。セシリアも負けじとスラスターを吹かし、食らいつこうとする。ストライク・ガンナーによる加速は確かに強力だった。しかし——一夏の機体は、明らかにその上をいっていた。
「速い……!」
セシリアは歯を食いしばりながらスラスターを全開にする。ブルーティアーズの加速が上がり、一夏の背中に迫る。だが一夏はその速度を維持したまま、コーナリングでも一切減速しない。白鴉・熾天の姿勢制御は精密そのもので、機体が流れるようにコースをなぞっていく。
(すごいな。この機体、本当に曲がるのが速い)
(ふむ。スラスターの出力配分を変えただけでここまで違うとはな)
(ああ。これならキャノンボール・ファストも……)
一周を終え、二人の機体が同時に停止した。正確には、一夏が僅かに先にゴールラインを通過した。だが、その差は紙一重。セシリアもすぐに続いた。摩耶は嬉しそうに拍手を送った。
「お見事です、二人とも! 特に一夏さん通常装備であの速度は驚きです。セシリアさんも、ストライク・ガンナーを使いこなしていましたね」
「ありがとうございます」
「光栄ですわ」
二人が機体を降りると、そこに千冬が歩み寄ってきた。その表情はいつも通り厳しい。
「ご苦労だった。今年は異例の一年生参加となるキャノンボール・ファストだが、各自結果を残すように。訓練機組の選出は私が行う」
「はい、織斑先生」
「それから、織斑。お前は篠ノ之とエネルギー分配調整について相談しろ」
「え? 箒と?」
「そうだ。お前の機体と篠ノ之の紅椿では、エネルギー配分の思想が根本的に違う。互いに学ぶところがあるはずだ」
一夏は箒の方を見た。箒は少し驚いた表情を浮かべていたが、すぐに真剣な顔つきになって頷いた。
「分かった。よろしく頼む、一夏」
「ああ、こちらこそ」
授業が終わり一夏と箒はアリーナの一角に移動した。箒は紅椿の展開装甲のデータを表示しながら、眉を寄せていた。
「紅椿の展開装甲は、各部位に独立してエネルギーを配分している。だが、その配分は自動支援プログラムに任せきりで、私自身が細かく制御できていないのが現状だ」
「なるほどな。それで、どこが課題なんだ?」
「高速機動時のエネルギー消費が激しい。特に背部のスラスターと展開装甲の兼ね合いが難しい。同時に使うと、すぐにエネルギーが枯渇する」
一夏は箒の説明を聞きながら、頭の中の声に語りかけた。
(どう思う?)
(ふむ。展開装甲の独立稼動とスラスターの併用か。ならば、配分を時間軸で分ければいい)
(時間軸で分ける?)
(ああ。展開装甲の稼動タイミングとスラスターの噴射タイミングをずらすんだ。背部の二機をビットとして切り離す瞬間に、スラスターへの配分を一時的に落とす。そしてビットが独立したら、その分のエネルギーをスラスターに回す。そうすれば、無駄な同時消費を抑えられる)
(なるほど。それなら……)
一夏は顔を上げた。
「箒。展開装甲の稼動とスラスターの噴射を、同時にやろうとしてないか?」
「え? ああ、それは……基本、同時に使うことが多いが」
「その同時消費が問題なんだよ。たとえば背部の二機をビットとして切り離すとき、一瞬だけスラスター出力を落とすんだ。で、ビットが離れたらその分のエネルギーをスラスターに回す。そうすれば、無駄な消費を抑えられる」
「そんなことができるのか?」
「理論上はな。配分のタイミングをずらすだけで、総消費エネルギーはかなり減るはずだ。後は、展開装甲の各部位の優先順位を決めて、状況に応じて動的に配分を変える。自動支援プログラムに任せきりにしないで、お前自身が配分をコントロールできるようにするんだ」
「動的な配分……」
箒はしばらく考え込んだ。それから、感心したように一夏を見た。
「一夏。どうしたら、そんな考えが浮かぶんだ?」
「え? あー……まあ、色々と試行錯誤してるうちにってやつだよ」
「そうか……」
一夏は曖昧に笑ってはぐらかした。頭の中の声が、静かに囁く。
(ふむ。なかなか上手いはぐらかし方だったな)
(仕方ないだろ。お前の存在を説明するわけにもいかないし)
(それはそうだ。だが、あの女は鋭い。いつかは気づくだろうな)
(その時はその時だ。今は、目の前のことをやるだけさ)
箒は一夏の提案をメモに取りながら、何度も頷いていた。
「やってみる価値はありそうだ。ありがとう、一夏」
「どういたしまして。キャノンボール・ファスト、お互い頑張ろうな」
「ああ」
箒はそう答えて、少しだけ照れくさそうに笑った。
―――
一夏は次に、増設スラスターの量子変換を終わらせたシャルロットとラウラのところへ向かった。二人はすでに機体を展開し、最終調整を終えたところだった。
「一夏、来てくれたんだ」
「ああ。調子はどうだ?」
「上々だよ。ラウラもね」
「当然だ。この程度の調整、私にかかれば造作もない」
ラウラはそう言って胸を張った。一夏はそんな二人を見て、ふと提案した。
「せっかくだから、二人の動きを見せてもらえないか? 直視映像で見てみたいんだ」
直視映像——ISを通して操縦者が見ている世界を共有する機能。これを使えば、一夏は二人の視点から機動を見ることができる。
「いいよ。じゃあ、一周してくるね」
「行くぞ、シャルロット」
「うん!」
二人の機体がスタートラインに着き、同時に駆け出した。一夏は直視映像を通して、その光景を見つめる。シャルロットのラファール・リヴァイヴは、両サイドのシールドをスラスターとして巧みに使い、コーナリングで大きく減速することなく機体を流すように曲げていく。一方ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンは、背部の増設スラスターを爆発的に噴射し直線的な加速で一気に距離を詰める。対照的な二人の機動だが、どちらも洗練されていた。
(シャルロットは曲線的な機動、ラウラは直線的な機動か)
(ああ。それぞれの機体の特性をよく理解しているな)
二人が一周を終えて戻ってくると、一夏は素直に感心した。
「流石だな、二人とも。特にカーブでの速度維持がすごい」
「ありがと」
「当然だ。この程度で褒められてもな」
シャルロットは笑顔で、ラウラは相変わらずの強気な態度で応えた。一夏はそんな二人に礼を言って、他の専用機持ちのところも回っていった。一通り見終わった後、摩耶のところへ戻る。
「どうでしたか?」
「そうですね……本番は油断出来ませんね。みんな仕上がってきてる」
「ふふ。なら、一夏さんにも本番を想定した動きを体験してもらいましょうか」
摩耶はそう言って、いたずらっぽく笑った。
「キャノンボール・ファストを想定した高機動戦闘の模擬戦、やってみませんか?」
「ぜひ、お願いします」
一夏が頷くと、摩耶は早速とばかりに自身のISを展開した。ラファール・リヴァイヴ——両サイドのシールドをスラスターに、背部に増設スラスターを三基搭載した高速機動仕様だ。一夏も白鴉・熾天を展開し、二人はスタートラインに並んだ。
「それでは……始め!」
摩耶の合図と同時に二人の機体が弾けるように駆け出した。摩耶のラファール・リヴァイヴは、三基の増設スラスターを唸らせて一気に加速する。一夏も負けじと白鴉・熾天のスラスターを吹かした。
(来るぞ。アサルトライフルとグレネードだ)
(分かってる)
頭の中の声の警告に従い一夏は機体を左右に振って射線を回避する。摩耶のアサルトライフルが火を噴き、続いてグレネードが放たれた。一夏は十二連装垂直ミサイルを放ちながら、リニアライフルで牽制する。ミサイルが摩耶の進路を塞ぎ、その隙に一夏は前に出た。
最初のカーブに差し掛かる。一夏はここで機体を前のめりに倒し、逆さまの姿勢になった。
「なっ!?」
摩耶が驚く声が聞こえた。一夏はそのままレーザーキャノンを拡散モードで発射する。広範囲に広がるレーザーが摩耶に襲いかかる。摩耶は巧みに機体を捻って回避し、アサルトライフルで反撃しようとする。だが一夏はすでに体を真正面に戻し、再びミサイルを放っていた。
「くっ……!」
摩耶はサブマシンガンでミサイルを迎撃する。だがそのうちの一つが煙幕弾頭だった。爆発と同時に視界が白く閉ざされる。
「煙幕……! でも、これくらいで!」
摩耶は巧みな操縦技術で煙幕の中のカーブを曲がり切って抜け出した。そのまま互いに攻防を続けながら、アリーナを一周する。そして——。
「ゴール!」
僅かな差で、摩耶が先にゴールラインを通過した。二人は機体を停止させ、一夏は息を整えながら摩耶の方を見た。摩耶は少し息を切らしながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「いやあ、驚きました。まさかカーブで逆さまになってレーザーを撃ってくるとは」
「すみません、無茶苦茶な動きで」
「いいえ。ああいう発想は、実際の戦闘ではとても有効です。特にキャノンボール・ファストのような高速戦闘では、相手の予想を裏切る動きが勝敗を分けますから」
「参考になりました」
一夏はそう答えながら心の中で思った。流石は元日本代表候補生。あの煙幕の中のカーブも、普通なら減速せざるを得ないところを完璧なライン取りで抜けていた。自分が逆さまになって撃ったレーザーも、あれだけ至近距離から放たれれば回避は難しいはずなのに、摩耶はきっちり避けきっていた。
(伊達に代表候補生をやってたわけじゃないな)
(ああ。いい経験になっただろう)
(そうだな。本番に向けて、もっと磨かないと)
摩耶は一夏のそんな内心を知ってか知らずか、にこやかに言葉を続けた。
「本番まで、まだ時間はあります。今日の模擬戦で見つかった課題を、一つずつ潰していきましょう」
「はい。よろしくお願いします」
一夏はそう答えて白鴉・熾天を待機状態に戻した。アリーナには午後の柔らかな光が差し込んでいる。キャノンボール・ファストまで、残りわずか。一夏は改めて気を引き締めた。