夕食後の食堂は、一日で最も騒がしい時間だった。
トレイが重なる音。食器のぶつかる音。女子たちの笑い声。その喧騒の中に一夏はいた。テーブルの上には空になった食器が重ねられ、その周りを一組の女子たちが取り囲んでいる。
「織斑君、代表おめでとう!」
「ほんとすごいよね。代表候補生に勝っちゃうんだもん」
「ねえねえ、次の試合はいつ? 応援に行くからね」
次々と飛んでくる言葉に一夏は照れくさそうに笑いながら応じていた。最初は戸惑っていた。女子に囲まれること自体はもう慣れたが、こうして改めて祝福されるとむず痒い。だが、悪い気はしなかった。
「ありがとう。でも、まだ始まったばかりだから」
「謙虚! そこがいいんだよね、織斑君は」
「そうそう。あのセシリアさんに勝ったのに、この謙虚さ」
「いや、本当に運が良かっただけというか……」
一夏がそう言うと、女子たちは口々に「またまたー」と笑った。その輪の少し外れたところで、箒が腕を組んで立っていた。
「お前、そんなに謙虚に言うと本当に実力がないと思われるぞ」
「え、そうか?」
「ああ。あれだけの戦いを見せておいて、運が良かったはないだろう」
箒の声は淡々としていたがその口元はわずかに緩んでいた。一夏はその表情を見て、少しだけ嬉しくなった。
「箒も、そう思う?」
「思う。お前のあの動きは、並のものじゃなかった。少なくとも、入学したばかりの人間の動きじゃない」
「……そうか。ありがとう」
一夏は、頭をかいた。箒の言葉は素直に嬉しかった。そこへ、別の声が加わった。
「あら、箒さんだけずるいですわ」
「セシリア」
「わたくしだって、織斑さんの戦いを間近で見た一人ですのに」
セシリアは、優雅な足取りで近づいてきた。手には紅茶のカップが握られている。その所作の一つ一つが、いかにも貴族の令嬢らしかった。
「それに、飛行訓練の時も思いましたけど、あなたの操縦は本当に無駄がない。あれは、どうやって身につけたんです?」
「え、どうって……」
「教えてくださいな。わたくしの参考にもなりますし」
一夏は、言葉に詰まった。どうやってと聞かれても。頭の中の声に従っているだけだ、とは言えない。だが——
(——適当に誤魔化せ。深く考えるな)
頭の中の声が、そう囁いた。一夏は苦笑いを浮かべた。
「えっと……感覚、かな。こう、体で覚えるというか」
「感覚、ですか。抽象的ですわね」
「うん。でも、それしか言いようがないんだ」
セシリアは、少し不満そうだったがそれ以上は追及しなかった。代わりに、箒に視線を移した。
「箒さんは、織斑さんと幼馴染なんですってね」
「……ああ」
「でしたら、彼の昔の話を聞かせてくださいな。参考になるかもしれませんわ」
「昔の話、か」
箒は、少し考え込むような顔をした。その横顔に、一夏はふと昨日の箒の表情を思い出した。何か言いたげで、でも言えない。そんな複雑な色。だが、今の箒はその表情をしていなかった。ただ、懐かしむようなそんな顔だった。
「昔は、本当にただの馬鹿だったぞ。剣道の稽古についてきては、すぐに音を上げて」
「お、おい箒。それは言わなくていいだろ」
「事実だ」
箒は、少しだけ笑った。その笑顔は、一夏が知っている幼馴染の笑顔だった。セシリアも、その話に興味を持ったようだった。
「まあ。では、剣道を?」
「ああ。一夏は、うちの道場に来てたんだ。だが、すぐにへばってな」
「箒、それ昔の話だろ。今は違うって」
「今も、大して変わらんだろう」
ふいに「失礼しまーす」
凛とした、それでいてどこか弾んだ声が輪の中に割って入った。一夏は、振り返った。そこにいたのは見覚えのない女子生徒だった。手には小さなボイスレコーダーを握っている。その目は、好奇心に輝いていた。
「織斑一夏君、だよね?」
「あ、はい。そうだけど」
「わたくし、新聞部の黛薫子っていうの。取材をさせてもらっても良いかな?」
薫子は、そう言ってボイスレコーダーを一夏の顔の前に差し出した。
「クラス代表になった感想を、聞こうか」
「感想、かあ」
一夏は、少し考えた。無難なところがいいだろう。そう思って、口を開いた。
「えっと……嬉しいです。まさか自分が代表になれるとは思っていなかったので。でも、その分責任も感じています。これから、クラスのみんなの期待に応えられるように頑張りたいです」
「……以上?」
「え、あ、はい。以上だけど」
「ふーん」
薫子は、ボイスレコーダーを止めた。その表情は、明らかに不満そうだった。
「面白くないなぁ」
「えっ」
「だって、どこにでもあるような感想じゃん。もっとこう、波乱万丈な心境とかライバルへの対抗心とか、そういうのが聞きたいんだよ」
「いや、でも……」
「仕方ないなぁ。捏造しとこうか」
「捏造!?」
「うん。『織斑一夏、クラス代表就任に際しセシリア・オルコットへの宣戦布告を行う』とか。『織斑一夏、その実力を隠していたと発覚』とか。ね、面白そうだよねぇ」
一夏は、苦笑いを浮かべた。この先輩は、とんでもない人だ。そう思ったが、なぜか嫌な感じはしなかった。その屈託のない笑顔が、どこか憎めなかったのだ。
「あの……捏造はやめてくださいよ」
「あら、残念」
薫子は、そう言ってからふとセシリアに目を向けた。
「では、セシリアさんにもお話を伺いましょうか」
「わたくし、ですか?」
「うん。模擬戦で敗れた心境を、是非」
「それは、ですね……」
セシリアが話し始めようとした、その時だった。薫子は首をかしげた。
「うーん。でも、長くなりそうだね」
「え?」
「話を聞いていたら、記事が長くなりそうだから。写真だけ撮らせてもらうね」
「ちょっと、話を聞きなさいな! わたくしはまだ何も」
「はい、そこに並んでくださいな。織斑君とセシリアさん」
薫子は、セシリアの抗議を軽く流した。そして、二人を並ばせようとする。一夏は、セシリアと顔を見合わせた。セシリアは、明らかに不服そうだったがなぜか一夏の顔を見ると少しだけ頬を染めた。
「……仕方ありませんわね」
「え、いいのか?」
「先輩が、どうしてもと言うなら仕方ありませんわ」
セシリアは、そう言って一夏の隣に立った。その距離は、少しだけ近かった。薫子がカメラを構える。
「はい、チーズ」
シャッターが押された、その瞬間だった。
「ちょっと待ったああああ!」
声が、食堂に響き渡った。一夏が振り返ると、そこには——一組の女子達が全員、いや、ほぼ全員がなぜか一斉に駆け寄ってくるところだった。箒も、その中にいた。その顔は少しだけ怒っているように見えた。
「な、何をやっているんだ皆」
「何って、決まってるでしょう!」
先頭の女子が、声を張り上げた。
「セシリアだけ、ずるい!」
その言葉に、セシリアの顔が一気に赤くなった。
「なっ、ずるいとは何ですの! わたくしはただ、写真を撮られていただけで」
「二人で並んで写真なんて、ずるいったらないわよ!」
「そうそう! 私たちも織斑君と写真撮りたい!」
「代表になった記念だもんね!」
「ちょ、ちょっと待て皆」
一夏は、女子達の勢いに押されながら後ずさりした。だが、食堂のテーブルが後ろにあって、それ以上下がれない。
「織斑君、こっち向いて!」
「わ、分かったから、押すな押すな」
次々と女子達が押し寄せる。薫子は、その光景を見て目を輝かせた。
「これは、いい写真が撮れそう」
「薫子先輩、助けてくださいよ!」
「あら、助ける必要があるの? 楽しそうだよ?」
薫子は、そう言ってカメラを構えた。シャッターが、何度も押される。その度に女子達の歓声が上がった。一夏は、その中で苦笑いを浮かべていた。箒は、少し離れたところからその光景を眺めていた。その表情は、どこか複雑だった。だが、すぐに小さく息を吐いてその輪の中に加わった。
「お前ら、ほどほどにしろ」
「箒さん、あなたも来なさいよ!」
「わ、私は……」
「ほら、織斑君の隣、空いてるわよ!」
箒は、一瞬だけためらった。だが、やがて一夏の隣に立った。その顔は、少しだけ赤かった。セシリアは、その様子を見て何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。
「はい、チーズ!」
薫子の声に、全員が笑顔を作った。シャッターが、押される。食堂の照明がその瞬間を明るく照らしていた。一夏は、ふと頭の中の声が静かに笑ったような気がした。
(——賑やかだな)
その声は、どこか優しかった。一夏は心の中で小さく答えた。
(——ああ。賑やかだ)
そして、写真の中の自分が少しだけ照れくさそうに笑っているのを、彼は知らなかった。
翌朝。
一夏はいつものように教室の席に着いた。窓の外はよく晴れていて、山の稜線がくっきりと見える。朝の光が机の上に斜めに落ちていた。鞄から教科書を取り出していると、前の席の女子が振り返った。
「ねえ、織斑君。聞いた?」
「何を?」
「二組に転校生が来るんだって。それも、中国の代表候補生なんだって」
一夏の手が止まった。中国。その言葉が、妙に引っかかった。何か引っかかる。だが、それが何なのかは分からない。ただ、胸の奥が微かにざわめいた。
「中国の代表候補生か。どんなISを持ってるんだろうな」
「そこが気になるの?」
「うん。代表候補生ってことは、専用機持ちなんだろ? どんな装備なのか、どんな戦い方をするのか」
「もう、織斑君はISのことになると本当に」
女子はくすくす笑った。
「私も気になるな」
声のした方を見ると、箒が立っていた。登校してきたばかりなのだろう。鞄を肩にかけている。
「中国の代表候補生。聞くところによると、かなりの実力者らしい」
「箒も知ってるのか」
「ああ。中国国内の模擬戦では無敗だと聞いた」
その言葉に、セシリアが反応した。いつの間にか近くに来ていた。
「無敗、ですの? それはなかなか」
「セシリアも気になるか」
「ええ。わたくしも代表候補生ですから。同じ立場の者が来るとなれば、興味がありますわ」
「そうだよな」
一夏は頷いた。代表候補生。それぞれの国を背負う者たち。その一人が、この学園に来る。それは純粋にIS乗りとして気になることだった。
「でもさ」
女子の一人が、少し安心したような声で言った。
「専用機持ちって、今のところ一組と四組だけじゃない? だから、まだ余裕だよね」
「そうそう。一組には織斑君がいるし、四組には代表候補生がいるし」
「二組に転校生が来ても、まだこっちが有利でしょ」
女子たちは、そう言って笑い合った。その空気は、どこか平和だった。だが——
「その情報、古いよ」
声が、教室の入り口から聞こえた。一夏は、その声に覚えがあった。いや覚えがあるどころではない。何年も、何年も聞いていないその声。だが、忘れるはずがなかった。
教室の入り口に、一人の少女が立っていた。長い髪をツインテールに結い、制服を着崩すでもなくきっちりと着こなしている。その顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。一夏は、思わず立ち上がった。
「鈴……?」
凰鈴音。小学生だった頃の、幼馴染。一夏の記憶の中の鈴音は、もっと幼くてもっとやんちゃで、よく一夏をからかっていた。だが、今の鈴音はその面影を残しながらも、ずっと大人びていた。背筋が伸びていて、その目はまっすぐに一夏を捉えている。
「久しぶり、一夏」
「お前、どうしてここに」
「転校してきたのよ。中国の代表候補生としてね」
鈴音は、そう言って教室の中に入ってきた。その足取りは、確信に満ちていた。女子たちが、ざわめく。箒は鈴音をじっと見つめていた。セシリアはその姿を観察するように見ていた。
「なんだ、その顔」
鈴音は、一夏の顔を見て笑った。
「まさか、こんなところで会うとは思わなかった?」
「いや、そうじゃなくて。驚いただけだ。まさか、代表候補生だったなんて」
「ふん。あんたこそ、IS学園の唯一の男子だって聞いた時は驚いたけどね」
「はは……」
一夏は、頭をかいた。鈴音はそんな一夏の様子を見て、少しだけ表情を緩めた。だがすぐにまた不敵な笑みを浮かべた。
「まあいいわ。今日は、挨拶に来ただけじゃないの」
「え?」
「一組に、宣戦布告よ」
教室が、静まり返った。鈴音は一夏の前に立った。その目は、真剣だった。
「あたしは、二組のクラス代表になる。そして、一組の代表であるあんたに挑戦する。一夏、あんたがどれだけ本気かあたしに思い知らせてみなさいよ」
その言葉に、教室がざわめいた。宣戦布告。転校してきたばかりの少女が、いきなりクラス代表を名乗り出て、しかも一組の代表に挑戦する。普通なら、無謀と笑うところだ。だが鈴音のその姿は、誰にも笑えなかった。それだけの気迫があった。
一夏は、しばらく鈴音を見つめていた。そして、ふっと笑った。
「鈴音」
「何よ」
「それ、似合わないぞ」
鈴音の顔が、一瞬で赤くなった。
「なっなによ、それ! あたしは真剣に」
「分かってる。真剣なのは分かってるけどさ。鈴は、そういう風に格好つけるタイプじゃないだろ。昔から、思ったことはすぐ口に出すし笑う時は大口開けて笑うし」
「あ、あんたねぇ! 昔の話を持ち出すんじゃないわよ!」
「だって、事実だろ?」
「むきーっ!」
鈴音は、拳を握って震えていた。その顔は、さっきまでの不敵な笑みがどこへやら、すっかり素の鈴音だった。一夏は、そんな鈴音を見てどこか懐かしい気持ちになった。やっぱり、鈴音は鈴音だ。そう思った。
「おい、そこの二人」
その時、教室の入り口から冷たい声がした。千冬だった。腕を組んで、仁王立ちしている。
「もうショートホームルームの時間だ。騒ぐなら外でやれ」
「あ、織斑先生」
「それと、そこの転校生。お前の教室は二組だ。ここは一組だ。さっさと戻れ」
「う……」
鈴音は、千冬の迫力に押されたように一歩後ずさった。だが、すぐに気を取り直して一夏を指差した。
「覚えてなさいよ、一夏! あたしは本気だからね!」
「あ、ああ。分かったから」
「また後で来るから!」
鈴音は、そう言って、慌てたように教室を出ていった。その背中は、少しだけ早足だった。千冬はその様子を見送ってから、教室の全員に向き直った。
「席に着け。ホームルームを始める」
一夏は、席に着いた。隣の席の女子が興味津々といった様子で話しかけてくる。
「ねえ、織斑君。今の子知り合いなの?」
「ああ。幼馴染だ。小学生の頃の」
「へえ。幼馴染が、転校してきたんだ。それも代表候補生として」
「まあ、そうなるな」
一夏は、窓の外を見た。朝の光がまだ眩しかった。鈴音の言葉が、頭の中に残っている。
(一夏、あんたがどれだけ本気かあたしに思い知らせてみなさいよ)
本気。一夏は自分の手を見た。ISを操る手。白鴉を駆る手。その手が、微かに震えているような気がした。それは、恐怖ではなく期待だった。
(——面白い相手が来たな)
頭の中の声がそう呟いた。一夏は、心の中で答えた。
(——ああ。そうだな)
鈴音。中国の代表候補生。そして、幼馴染。その彼女がこれから一夏の前に立ちはだかる。それは、純粋に楽しみだった。同時に少しだけ怖くもあった。鈴音の目は、一夏の中の「何か」を見透かそうとしているように見えたからだ。だが、今はそれよりもだ。
(どんなISに乗ってくるんだろうな)
IS乗りとしての好奇心が、静かに胸の奥で燃えていた。