昼休みの食堂は、朝の教室とは比べ物にならないほど賑やかだった。
一夏は箒とセシリアを連れて食堂の入り口をくぐった。注文口の前に列ができていて、あちこちから「何にする?」「日替わりまだある?」なんて声が飛び交っている。だが、その喧騒の中に一夏はすぐに目的の人物を見つけた。テーブルの一つに、鈴音が座っていた。腕を組んで、こちらを見ている。いや正確には一夏を睨んでいる。
「遅いわよ、一夏」
「お、おう。悪い。授業が長引いてさ」
一夏はそう言いながら、財布を取り出した。
「とりあえず昼食買おうぜ。鈴もまだだろ?」
「え、あたしも?」
「そりゃそうだろ。一緒に食べるんだから」
「べ、別に一緒に食べるなんて言ってないわよ」
「いいからいいから。何がいい?」
鈴音は少しだけむくれたが結局「ラーメン」とだけ言った。一夏は頷いて、注文口へと向かった。
「俺が日替わりランチ。箒は?」
「きつねうどんだ」
「セシリアは?」
「わたくしは洋食ランチで」
「了解。じゃあ、俺がまとめて買ってくるよ」
一夏はそう言って列に並んだ。その後ろ姿を見送りながら、箒とセシリアは空いている席を探した。鈴音も、少し遅れてついてくる。
「ここ、空いてるわよ」
鈴音が指差したのは、窓際の四人掛けのテーブルだった。箒が頷き、セシリアがその向かい側に座る。鈴音は一夏の分も確保するように、隣の席に鞄を置いた。
「あの、凰さん」
セシリアが口を開いた。鈴音は顔を上げる。
「わたくし、セシリア・オルコットと申しますの。英国代表候補生ですわ」
「知ってるわよ。有名じゃない」
「あら、そうでしたの。それは光栄ですわね」
セシリアは少しだけ得意げな顔をした。だが、鈴音の次の言葉にその表情が固まる。
「でも、一夏に負けたんでしょ?」
「ぐっ……」
セシリアは言葉に詰まった。その頬がわずかに赤くなる。鈴音は、そんなセシリアを見てふっと笑った。
「まあ、あたしも人のこと言えないけどね。一夏が相手じゃ、誰だって苦戦するわよ」
「……あなたも、織斑さんのことを知っているんですの?」
「幼馴染だからね。小学生の頃から」
「幼馴染……」
セシリアは、その言葉を繰り返した。その声にどこか複雑な響きがあった。
「私は、篠ノ之箒だ」
箒が、静かに名乗った。鈴音は、箒の方を向いた。その目が少しだけ鋭くなる。
「知ってるわ。篠ノ之神社の娘で、剣道の全国優勝者」
「……よく知ってるな」
「一夏から聞いたからね」
「そうか」
箒の声は、淡々としていた。だがその視線は鈴音をまっすぐに捉えている。鈴音も、それに応じるように箒を見返した。その間に、微妙な緊張が走る。
「へえ。あんたが、一夏の言ってた箒ね」
「一夏が、私のことを?」
「うん。昔から、よく話してたわよ。『箒は剣道が強くてさ』とか『箒はいつも真面目でさ』とか」
「……そうか」
箒は、少しだけ視線を逸らした。その耳が、わずかに赤くなっている。鈴音は、その様子を見て何かを悟ったような顔をした。
「ふーん。なるほどね」
「何がだ」
「別に。ただ、あんたのことはよく分かったわ」
鈴音は、そう言って、ふっと笑った。その笑みはどこか挑戦的だった。箒は、何か言い返そうとしたがちょうどその時、一夏が戻ってきた。
「お待たせ。ほら、鈴のラーメン」
「ありがと」
「箒のきつねうどん。セシリアの洋食ランチ。んで、俺の日替わりランチ」
一夏は、トレイをテーブルに並べていく。日替わりランチは、焼き魚に味噌汁ご飯に小鉢がついた和食だった。
「お、今日は鯖か。いいな」
「一夏、それ美味しそうね」
「鈴のラーメンも美味そうじゃん。何味?」
「醤油よ。あたし、醤油ラーメンが好きなの」
「へえ。俺も醤油派だな」
一夏は、そう言って自分の席に座った。鈴音が鞄をどけて、その隣に座る。四人がテーブルを囲んだ。
「では、改めていただきますわよ」
セシリアが、そう言って手を合わせた。その所作は、やはりどこか優雅だった。
「いただきます」
四人の声が、揃った。
食事が始まると、自然と会話が弾んだ。鈴音はラーメンを啜りながら、一夏に話しかける。
「ねえ、一夏。この学園って、男子トイレとかあるの?」
「あるよ。一応な。俺が来てから急遽整備されたって聞いた」
「へえ。あんた、よくやってけるわね。女子だらけの中で」
「まあ、慣れたよ。最初は戸惑ったけど」
一夏は、味噌汁を一口飲んだ。
「でも、みんな優しいし。助けられてばっかりだ」
「ふーん。あんた、相変わらずお人好しね」
「そうか?」
「そうよ。昔から、誰かに頼まれると断れないし。損な性格してるわ」
「鈴に言われると、ぐうの音も出ないな」
一夏は、苦笑いを浮かべた。箒がその様子を見て、少しだけ口を挟んだ。
「一夏は、昔からそうだ。自分のことより、他人のことを優先する」
「箒まで」
「だが、それは悪いことじゃない。お前の良いところだ」
箒の言葉に、一夏は少しだけ照れた。セシリアは、その様子を見て何かを考え込むような顔をした。
「織斑さんは、お二人の幼馴染なんですわね」
「まあ、鈴は小学生の頃の話だけどな。箒は、もっと前からだ」
「そうなんですの」
セシリアは、紅茶を一口飲んだ。それから少しだけ間を置いて、口を開いた。
「わたくし、幼馴染というものが、少し羨ましいですわ」
「え?」
「だって、そうでしょう? 小さい頃からお互いのことを知っていて、何でも話せて。わたくしにはそういう相手がいませんから」
セシリアの声はどこか寂しげだった。一夏は、その声に何かを感じたがうまく言葉にできなかった。代わりに、鈴音が口を開いた。
「別に、羨ましがることでもないわよ」
「あら?」
「幼馴染って、いいことばかりじゃないわ。昔の失敗とか、恥ずかしい話とか全部知られてるんだから。それに……」
鈴音は、少しだけ言葉を切った。そして、一夏をちらりと見てから続けた。
「お互い、成長して変わっちゃうこともあるしね」
「鈴……」
「なによ」
「いや、なんでもない」
一夏は、首を振った。鈴音の言葉には何か引っかかるものがあった。だが、今はそれを追及する時ではない気がした。箒が、そんな二人の様子を見て静かに言った。
「幼馴染でも、変わらないものもある」
「へえ?」
「一夏は、昔から一夏だ。お人好しでISのことになると周りが見えなくなる。それは、今も変わらない」
「箒、それ褒めてるのか?」
「さあな」
箒は、少しだけ口元を緩めた。一夏は、その笑みを見てなんだかんだ言って箒も変わってないな、と思った。鈴音はそんな二人のやり取りを見て、少しだけ目を細めた。その表情は、どこか複雑だったがすぐにいつもの不敵な笑みに戻った。
「まあいいわ。とにかく、これからよろしくね。二人とも」
「ええ。よろしくお願いしますわ」
「ああ。よろしくな」
セシリアと箒がそれぞれ応じた。鈴音は、満足そうに頷いてまたラーメンを啜り始めた。一夏は、その光景を見ながら自然と笑みがこぼれた。四人で食べる昼食は、思っていたよりもずっと賑やかで、そして楽しかった。
(——悪くないな)
頭の中の声が、そう呟いた。一夏は心の中で答えた。
(——ああ。悪くない)
窓の外では、昼の光がさんさんと降り注いでいた。
―――
食堂を出た四人はそのまま午後の授業へ向かう流れだった。だが、廊下を少し歩いたところで鈴音が足を止めた。
「箒。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
その声は、さっきまでの軽い調子ではなかった。箒は振り返った。鈴音の目は、真剣だった。
「何だ」
「二人で話したい。ちょっと付き合って」
鈴音はそう言って、一夏とセシリアを見た。
「一夏とセシリアは先に行ってて。あたしたち、すぐ戻るから」
「え? ああ、分かった。でも遅れるなよ」
「分かってるわよ」
一夏は少し不思議そうな顔をしたが、セシリアと共に廊下の先へと歩いていった。その背中が見えなくなるまで、鈴音はじっと待っていた。そして、箒に向き直る。
「こっちよ」
鈴音は、そう言って歩き出した。箒は少しだけ戸惑いながらも、その後に続いた。食堂の裏手にある非常階段を上がった先、普段はあまり人が来ない渡り廊下の端。そこは窓が大きく、外の景色がよく見える場所だった。だが、今は誰もいない。鈴音は窓際に立って、外を見た。箒はその少し後ろに立った。
「で、話とは何だ」
「単刀直入に聞くわ」
鈴音は振り返った。その目は、まっすぐに箒を捉えている。
「あんた、一夏の中の『何か』に気づいてるでしょ」
箒の表情が、わずかに強張った。その反応を、鈴音は見逃さなかった。
「やっぱり」
「……何の話だ」
「とぼけないで。あたしは、知ってるの。一夏が時々見せる、あの目」
「目?」
「戦場みたいな、冷たい目。あたし中国で見たことがあるの。一夏がふとした瞬間に、そういう目をするのを」
箒は、黙っていた。その沈黙が、何よりの答えだった。鈴音は小さく息を吐いた。
「あんたも、見たんでしょ」
「……ああ」
箒は、観念したように頷いた。
「何度か。一夏が、訓練中とかに見せる。あの目は、一夏のものじゃない」
「そう。あたしもそう思う」
「お前は、いつ気づいた」
「小学生の頃よ。あたしと一夏がまだ小さかった頃。一夏が、急に黙り込んで遠くを見るような目をしたの。その時は、なんとも思わなかった。ただのぼーっとしてるだけだと思ってた。でも、大きくなるにつれてその回数が増えていった。そして、その目がどんどん冷たくなっていった」
鈴音は、窓の外を見た。遠くに山が見える。その稜線が、なんだか一夏の中の「何か」のように思えた。遠くて、掴みどころがなくて。
「あたし、怖かったのよ。一夏の中に知らない誰かがいるみたいで。あたしが知ってる一夏は、あんな目をしない。あんな目をするのは、別の誰か。でもそれが誰なのか、あたしには分からない。一夏自身も、気づいてないみたいだし」
「……そうだな。一夏は、自覚していない。だがあの目をする時の一夏は、明らかに何かが違う。判断が速い。動きが鋭い。まるで、戦い慣れているかのようだ」
「戦い慣れ、ね。あんたもそう思うのね」
「ああ。そして、それが怖い。一夏は普通の人間だ。IS学園に来るまで、戦いなんて縁がなかった。なのに、あんな動きをする。説明がつかない」
箒の声は、静かだった。だがその中に確かな困惑と、そして恐怖が滲んでいた。鈴音は、その声を聞いて自分だけが怖がっていたわけじゃないんだ、と思った。それが少しだけ救いだった。
「あんたは、どう思う?」
「何が」
「一夏の中の『何か』の正体。あんたは、何だと思う?」
「分からん。だが……」
箒は、少し考え込んだ。
「一夏のあの動きを見ていると、時々思うんだ。一夏は何かを『思い出している』んじゃないかと」
「思い出してる?」
「ああ。一夏自身は忘れている。だが、体が覚えている。そういう風に見えることがある。あの日、お前が言ったように一夏の中に別の誰かがいる。だが、それは一夏を乗っ取ろうとしているわけじゃない。ただ、そこにいる。一夏と共に」
鈴音は、その言葉を噛みしめた。一夏と共に、いる。それは鈴音が感じていたこととどこか似ていた。一夏の中に、別の誰かがいる。でもその誰かは、一夏を害そうとはしていない。ただ、そこにいる。そして時々、表に出てくる。
「あたしも、そう思う。一夏の中の『何か』は、一夏の敵じゃない。でも味方でもない。ただ、そこにいる。あたしが知らない、一夏の一部」
「そうだな」
「あたし、それが悔しいのよ」
鈴音は、窓枠に手を置いた。その指に少しだけ力が入る。
「あたしは、一夏のことを知ってるつもりだった。幼馴染で、昔から一緒で何でも知ってるって。でも、違った。一夏の中にはあたしが知らない世界がある。あたしが入れない世界が」
「……分かる」
「箒も?」
「ああ。私も、一夏のことを知っているつもりだった。だが、あの目を見るたびに思う。私は、一夏の何を知っているんだろうと」
箒の声は、少しだけ震えていた。鈴音はその声を聞いて、この少女も自分と同じなんだと思った。一夏のことを想って、でも一夏の全部を知っているわけじゃなくて、それがもどかしくて悔しくて。そんな気持ちを抱えている。
「なあ、鈴音」
「何」
「お前は、一夏の中の『何か』を、どうしたい」
「どうしたいって……」
「知りたいのか。それとも、怖いのか」
「両方よ」
鈴音は、即答した。
「知りたい。あたしが知らない一夏の一部を。でも、怖い。その先にあたしが知らない一夏がいるかもしれないから。あたしが知ってる一夏が、実はほんの一部で、本当の一夏はもっと別のところにいるかもしれない。そう思うと、怖いのよ」
「……私もだ」
「箒も、同じ?」
「ああ。だが、私はもう決めた」
「決めた?」
「一夏の中に何があろうと、私は一夏を見続ける。あの目を見ても、一夏は一夏だ。それは変わらない。だから、私は一夏の隣にいる。たとえ一夏の中に私の知らない誰かがいても」
箒の言葉は、静かだったが強い意志が込められていた。鈴音は、その言葉を聞いて少しだけ驚いた。この少女は、自分よりもずっと覚悟を決めている。そう思った。そして、それが少しだけ羨ましかった。
「あんた、強いわね」
「強くはない。ただ、一夏を信じているだけだ」
「信じる、か。あたしも信じたいとは思うけど」
「無理に信じる必要はない。お前は、お前のやり方で一夏と向き合えばいい。だが、一つだけ言っておく」
「何よ」
「一夏は、お前のことを大切に思っている。それは、私にも分かる。だからお前があまり悩みすぎると、一夏も心配する。それは一夏の負担になる」
「……分かってるわよ」
鈴音は、少しだけむくれた。だがその言葉が箒なりの気遣いなんだということは理解できた。
「ありがと。少しだけ、すっきりした」
「そうか」
「あんたと話せてよかったわ。まさか、あんたが同じこと考えてるとは思わなかったから」
「私もだ。まさか、お前にこんなことを話すとは思わなかった」
箒は、少しだけ口元を緩めた。鈴音も、つられて笑った。その笑顔は食堂で見せていた不敵な笑みとは違う、素の笑顔だった。
「じゃあ、戻ろうか。あんまり遅いと一夏が心配する」
「ああ。そうだな」
二人は、渡り廊下を戻り始めた。その足取りは、来た時よりも少しだけ軽かった。鈴音は、歩きながら思った。
(一夏。あんたの中に何がいるのか、あたしには分からない。でもあたしはあんたと向き合う。あんたがどれだけ本気か、この目で確かめる。そして、あんたの中の『何か』が何なのか、いつか知りたい。あたしが知ってる一夏と、あたしが知らない一夏。その全部を、あたしは見てみたい)
その想いは、鈴音の中で静かにしかし確かに灯っていた。