メッセージアプリを開き、通話機能を探す。目当ての相手の名前を選び、通話ボタンの上で指を止めた。
たったこれだけの動作になぜこうも緊張しなければならないのか。
大きく息を吸い込み、覚悟を決めて通話ボタンを押す。
ワンコールもしないうちに相手が電話に出た。
手元が震え、落としそうになるのを何とか両手で支えて事なきを得る。
『珍しいやん。どしたん?』
「…あーちょっと聞きたいことがあって」
『朝日。アンタと違って私は明日も仕事やねんな』
慌てて時計を見れば、もうすぐ日を跨ごうかという時間。
「なんだ。まだ早いじゃん」
『嘘やろアンタ。あーそういやゲーマーか何かやったか』
「…あーお役所勤めって早いん?」
『大体8時半には皆おるで』
どうやら今日の叔母は機嫌が悪いらしい。
まあ、今はそれよりも聞かなければならないことがある。
『朝日。アンタも私には分からん世界やけど社会人やろ。ならもう少し時間を見て行動しいや』
一転して、こちらを心配するような口調に変わる。
いつものように電話口の向こうで腕でも組んでいるのだろう。
「あー気を付けます。で、叔母さん。ちょっと聞きたいことがあるんやけど」
『何や。彩葉のことか?』
「せや。アイツ結局こっち来るんか?何も話聞いてへんけど」
『何や姉さん伝えてないんかいな』
電話口から、叔母のため息が聞こえてきた。
「まぁこっちからもあんま連絡取らんしなぁ」
『そんなもんかいな。まぁええわ。東京の高校に決まったからもうすぐそっち行くで』
「ホンマか。ありがとな」
『はいはい。んじゃ週末にな』
叔母の声がしなくなったスマホを一度眺め、彩葉の名前をメッセージアプリで探す。
連絡を取ろうとした指を止め、もう一度時計を確認する。
流石に高校生になるのだから起きているだろうが、今更何と送っていいのか分からず頭を掻く。
諦めたように息を吐き出し、ベッドに寝転ぶ。
そして、気が付けば朝日が差し込んでいた。
それから数日後。約束していた週末がやってきた。
待ち合わせ場所に選んだ喫茶店に、集合時間より一時間近くも早く着いてしまった。
落ち着かなげに店の入り口を見つめる自分に、どことなく情けなさを感じる。
せめて早く叔母が現れてくれないものか。
落ち着かない気分を紛らわせようと、店内に視線を走らせた。
レトロな質感の壁紙に、アンティーク調のランプが掛けられている。そこから漏れる柔らかな光が、店内を優しく照らしていた。
扉を開く音がして慌てて視線を戻せば、まだ約束の時間より早いというのに叔母の姿が見える。
今日は休みだからかゆったりとした服装でのんびりと店内を見渡している。
こちらに視線をやった叔母に手を上げて示せば、ゆっくりと歩いてくる。
向かいの席に腰を下ろした叔母は、こちらの姿を上から下まで確かめるように眺めた。
その視線に少し居心地の悪さを覚えながら、叔母が口を開くのを待つ。
「ま、ええやろ。甥っ子の服に一々文句つけても仕方ないし」
「またそんな言い方してからに。これでもちゃんと選んだんだって」
選んだのは自分ではなくチームメイトの一人だが。
店員が水を運んできた。叔母は紅茶と軽食を注文し、こちらに目を向けた。
「あーコーヒーで」
店員が注文を確認して立ち去る。その背中を、ぼんやりと目で追った。
叔母は面白がるように目を細めた。
「彩葉の近況報告やってな。お兄ちゃんは大変やねえ」
「今までほっといたのは悪かったって」
「私に謝ってもなあ。アンタが出てったときえらい泣いたんで」
「だから叔母さんに頼むんだって」
多分嫌われているだろうから。
「ゆーてもなぁ。あの子ももう高校生やろ。何年も連絡を絶ってたお兄ちゃんに急に来られてもなあ」
「…それいわれると辛いねんなぁ」
自分でも思っていたより重いため息が出る。
高校を卒業して東京に越してきてから、好き勝手にやってきた自覚はある。
今ではプロのゲーマーとして活動し、広告料やら何やらでそれなりに稼いでいる。
それを言い訳に、妹をあの家に置いたままにしていたのも自分だ。
もっとも、あの妹のことだ。今さら俺が面倒を見ると言ったところで、素直に頷くとも思えない。
だからこそ、こうして時折会う叔母に仲介や情報を頼もうと、場を設けたのだ。
「姉さんもそうやけどアンタら面倒くさいよなぁ」
「まぁ家族って面倒なもんやろ多分」
「ウチも姉さんがアレやから何となく分かるよ。私が一番下やったから朝日の気持ちはちゃんと分かってやれんやろうけど」
叔母はいつの間にか運ばれてきたサンドウィッチを頬張りながら、遠い目をしていた。
昔の母や兄弟たちを思い出しているのか。
それとも蒸発したと聞く叔母の両親のことでも思い出しているのか。
「そういやアンタ料理は出来るん?それとも誰かしてくれる人おるんか?」
「急に何やねん。最近は冷凍食品やら何やらあるから平気やって」
「そういう問題ちゃうねんけどなぁ」
叔母は呆れたように紅茶を口に運んだ。
「料理はなあ。ウチのチームメイトが割とマメでちょいちょい作りにくるよ」
「お、ええやん。大事にし。アンタモテる顔はしとるんやから」
「何か引っかかる言い方やな」
叔母は返事の代わりに、楽しそうにサンドウィッチを口へ運んだ。
「じゃ、また会おうな。今度は手料理でもご馳走してぇな」
「カップ麺くらいならいくらでも」
「せめてもう少しマシなもんないんかい」
喫茶店を出て、徒歩で来たという叔母を途中まで送ることにした。帰り道も、取り留めのない会話が続く。
信号が丁度赤になり、二人並んで待つ。
「あ、そうや。思い出した。アンタらがやっとるやつ何やったけ」
「…どれよ?」
「あの何か目に入れるやつ」
「あースマコンか」
「それそれ。彩葉が勧めてくれたけど全然分からんかってな。何する玩具なん?」
「難しいこと聞くなあ」
さて、どう説明したものか。
まさか信号待ちの間にプレゼンを求められるとは思わなかった。
「彩葉がな、しばらく前からヤチヨ?がええって、一緒に曲とか聴かせてくれるんやけどね。一緒に遊びたいとか言われてもーたしなぁ」
「あーなるほど。なら折角やからやってみたら?何ならプレゼントするで」
定価は十二万程度だ。その程度の額であの世界にハマってくれるなら安い買い物だ。
青になった信号を一緒に渡りながら叔母の反応を待つ。
いつまでも何も言わない叔母を不安に思いながら見れば、信じられないものを見る目で見られていた。
横断歩道を渡りきり、未だに口をパクパクとさせている叔母を歩道の端へ促す。そこで言葉が出てくるのを待った。
「…朝日。アンタが優しい子なんわ知っとったつもりやけど。結構高いものやで?」
「それに、甥っ子に奢ってもらうほど困ってへんで」
あ、地雷踏んだっぽい。
いつもは緩く垂れた目がいつもの母のように吊り上がり始め、少し叔母から距離を取る。
「あーちゃうねん。ちょっと待って、だから怒らんといて」
「ほう。今なら聞いてあげる。納得させてみい」
こういうとこだけ母と似ないでいいと思う。
「あれやん。彩葉と遊びたいならやっぱスマコンがいるやん。よくお世話になっとるし、だからお礼ってことで」
「私はそんなんより孫の顔でもみたいな」
「…あー善処します」
よく家に来る二人の顔が浮かんだが、残念ながら両方男だ。
「他には何かいいたいことある?」
「叔母さんには色々世話になっとるし、そのお礼ってことであかん?」
「ちょっと弱いな。私がアンタらの世話焼くんわ自分がしたいからや」
「んーっと。俺が契約してるとこで俺らモデルのが出るからそれを叔母さん用に一つってのは?」
「朝日しか分からんのにか」
いつの間にか叔母の目元から険しさが消え、口元には淡い笑みが浮かんでいた。
「といってもアバターだから、実際の見た目とは結構違うよ。だから気に入るかもしれないし」
「おーまた分からんことが増えたな。何や仮想空間でライブ見る玩具じゃないんか」
「いやまあそれも楽しみの一つだけど」
あの妹はどんな説明をしたんだ。
「ツクヨミっていう仮想空間があって、そこで活動するためにアバターを作るんよ」
「あー?」
ダメだ理解してない顔してる。
「彩葉が言うてたやん。ライブ見て騒げば元気出るって」
「感想がおばあちゃんになってるけど大丈夫?」
「最近の若い子にはついてけん」
まだそこまで年じゃないはずやけど。
「ま、物は試しっていうし。一回やってみたら?店頭でお試し品とかあるし」
「便利な世の中になったなぁ」
「それで気に入ったら連絡して。いいモデルを渡すから」
「それはいらんゆうに」
頑固というか何というか。
叔母と別れ、帰路についたところでスマホが震えた。画面を見ると、叔母からメッセージが届いていた。
『これおもろいなあ。ヤチヨって子がずっと喋ってくれる。一人暮らしにはいいやん』
「そういう使い方想定してないと思うんやけど」
◇◇
カリカリとペンの走る音が部屋に響く。
参考書を捲る静かな音、イヤホンからヤチヨの持ち歌が流れてくる。
「…一人暮らしって楽なんだなぁ」
ぼそりと呟いた言葉が静かに部屋に溶ける。
ノートから目を離し、部屋を何となく見渡せば狭い部屋が視界に収まる。
生活に必要なもの。それから、ヤチヨの神棚と、机の上に並べたエナドリ。
…冷静に考えるとダメな大学生の部屋みたいだな。
一瞬、お母ちゃんの声が脳裏をよぎったが、慌ててかぶりを振る。
「…水飲も」
のろのろと立ち上がり、水道を目指す。
蛇口を捻ってコップに水を注いでいたら扉がノックされる。
「おーい。彩葉、開けるでー」
のんびりとした声に続いて、鍵の開く音がした。やがて、何のためらいもなく扉が開き、叔母である梢が顔を見せる。
「きゅ、急にどしたん?」
「さっきええもん買ってな。彩葉に見せたろ思って」
そう言いながら、買い物袋から食品や総菜を取り出し、慣れた手つきで冷蔵庫にしまっていく。
注いだままの水を一気に飲み干し、コップをシンクに置く。手伝おうと近付いたときには、もうほとんど終わっていた。
「あの、いつもすみません」
「ええって。最初こっちに越してきたアンタの食事見たけど酷かったからなぁ」
梢はけらけらと笑いながら、私の頬を軽くつついた。
そのまま誘うように私の手を取り、何処か浮足立った様子で殆ど叔母専用になった座布団に腰を下ろす。
正面に座りながら、何かいいことでもあったのかと考える。
「彩葉、これ私も買ったんよ」
ポケットから取り出したそれを、梢は私の正面に置いた。見覚えのある形。スマコンだった。
「わあ!結局買ったんだ」
「そやねん。何か電気屋で試させてもらってな。これおもろいやんとおもてん」
梢は満面の笑みを浮かべ、そのときの様子を身振り手振りで一生懸命に説明してくれる。そんな叔母を見て、私も思わず笑みがこぼれた。胸をなでおろしながら、改めてスマコンに目を向ける。
熱心に布教した甲斐があったというものだろうか。
これで叔母とも一緒にヤチヨのライブを見たり一緒に遊んだりできるかもしれない。
内心でガッツポーズをしながら叔母の顔を見れば、待ちきれないのかソワソワと体を揺らしている。
「で、彩葉が良かったらちょっと遊ばへん?」
「あーちょっと待って。まだ予習済んでへんねん」
「ありゃ、そりゃアカンな。じゃ大人しく待っとくわ」
「いいよいいよ。キャラクリしながら待ってて」
…何か今日の叔母は随分とかわいらしい気がする。
「しっかしおもろいなぁ。スマコン。彩葉に聞いたときは何かすごいライブ見れる機械くらいに思ってたんに」
「いや、間違ってはないから」
ヤチヨのライブはすごいのだ。
実際に叔母にも見て感じてもらいたい。
それ以外の遊び方もあるが、叔母がそこまで手を出すとはとても思えない。
精々がツクヨミ内を散策するくらいだろう。
「で。目に入れて、と」
叔母の瞳がオレンジ色に光る。
スマコンは問題なく機能しているようだ。
「ん。それで目閉じたらチュートリアル始まるから」
「了解」
◇◇
目を閉じた瞬間、世界が変わった。
「はー最近の玩具はすごいんやねぇ」
店頭で試したものより鮮やかな世界が目の前に広がり、これがとても仮想空間とは思えず感嘆の息を漏らす。
空には無数の銀河が広がり、星々が流れ星のように瞬いている。
やがて、波しぶきとともに大きな赤い鳥居が姿を現した。
足元には浅い湖が広がり、その水面には灯篭が果てしなく浮かんでいる。
そして、私の目の前にヤチヨが舞い降りた。
「太陽が沈んで、夜がやってきます」
店頭で聞いた声よりも、ずっと感情のこもった声だった。
彼女が、姪っ子の大好きなヤチヨ。AIライダー、月見ヤチヨなのだろう。
「や、さっきぶり」
軽く片手を上げて挨拶すれば、にこやかに両手を振るヤチヨ。
「ドーモ。ヤチヨなのですよ。何でも姪っ子さんと遊びたいとか?」
最近のAIはすごいなぁ。
自然な動きで私の手を取り、耳元に口を近づけ。
「出かける前に、その恰好じゃあつまらない」
私の目の前に山のような服飾品が並ぶ。
割と和風のものが多いのはそういう世界観だからだろうか。
…これ、キャラ作るだけで大分時間かかりそうやなぁ。
思わず天を仰ぐと、ヤチヨが指を振り、おすすめのアイテムをいくつか示してくれた。
「アンタ、滅茶苦茶便利やね。話もおもろいし。ええ買い物したわ」
「神々のサポートをするのがヤチヨのお仕事なのです」
えへんと腰に手をあて、胸を張るヤチヨの頭を軽く撫でてやる。ヤチヨは嬉しそうに小さく目を細め、その手を受け入れていた。
「決める項目多いなー。これ一日で終わるんかいな」
「ヤッチョが決めてもいいなら、ある程度絞るけど?」
「お、そんなんまでしてくれるんか。ならお願いするわ」
「お任せあれー」
優雅にヤチヨがくるりと回る。
それに合わせて、私の体が光り出した。
「おお?」
「こんな感じでどうかな」
いつの間にか姿見を用意していたヤチヨが、私の方へ向けてくれる。
全体的には、いわゆる神官のような装いだろうか。
緑を基調とした落ち着いたデザインで、後ろ髪をまとめている髪留めは白い蝶だ。
「まー可愛らしい恰好だことで」
「よく似合ってると思うよ」
「そうやね。ついでだから喧嘩せんように青い糸で縁取りしてくれる?」
「かしこまりー」
ヤチヨが言い終わる前に、衣装の縁取りが青色へと変わった。
便利な子やなぁ。
「これでええかな。んじゃ行ってくるわ」
もう一度姿見で自分の姿を確かめ、一つ頷く
「はい、行ってらっしゃい。楽しんできてね」
小さく手を振るヤチヨに手を振り返し、いつの間にか設置されていた金色のゲートをくぐる。
「お、来たね。梢さん」
声がする方に目を向ければ、ストリート系といったか、そんな恰好をした狐耳の少女が立っていた
随分と綺麗な子だ。顔つきは彩葉をもう少し成長させたような感じだろうか。
「ん。あぁ、彩葉か。随分美人さんにしたんやな」
「…ちょっとくらいいいじゃん」
「ええよ。良く似合ってるやん」
「ホント!やった。これ結構気に入ってたんだよね」
飛び上がらんばかりに喜ぶ彩葉の様子を微笑ましく思いながら、彩葉の小さいときのことを思い出していた。
現実にいるときよりも、随分と表情豊かなようだ。
「梢さんどっか行きたいとこある?何処でも案内するよ」
「ホンマか。てか、時間大丈夫なんか。結構かかったやろ」
「全然平気だって。大体30分くらいだし、むしろ早い方だよ」
「ほー。何か3時間くらい居た気がするわ。なら彩葉のおすすめに連れて行ってや」
「お、いいの。なら今日は一日もらうね」
こちらの手を引き、足早に駆ける彩葉についていきながら周りを見渡す。
少し欠けた月が、世界を静かに照らしている。
建物は時代劇に出てくるような和風のものから、中華風のものまでさまざまだ。
ヤチヨの趣味なのか、開発者の趣味なのかは知らないが、随分と趣味がいい。
いくつもの商店を巡り、ヤチヨからログインボーナスとして仮想通貨をもらった。試しにそれを使ってお茶を買おうとしたが、何と無料だという。
適当な縁側で腰を下ろす。隣に彩葉も座りパフェを食べている。
「…味せえへんな」
「まだ味覚は未実装だからねー」
全くの無味無臭な飲み物に驚き、隣の彩葉に目を向ける。彼女は慣れた様子でパフェを食べ進めていた。
「梢さん疲れてない?」
「まだ大丈夫やけど。この世界広いなー」
彩葉が連れていってくれた範囲だけでも、近所の商店街を丸ごと収められそうな規模だ。それがまだメイン通りの一部だというのだから、とんでもないことだ。先が楽しみで仕方がない。
「でしょ!作ってくれたヤチヨに感謝しないと」
隣でいきなり虚空に向かって祈り始めた姪っ子を視界から外し、建物を眺める。長屋の屋根までは、せいぜい二メートルほどだろうか。仮想空間ということはあそこも歩いていけるのだろうか。
「そういや、屋根の上とかも行けるんか?」
「…え、大丈夫だけど。チャレンジャーだね梢さん」
「アカンなら止めとくけど」
ぱちくりと目を瞬かせる彩葉に、悪戯っ子のようにウィンクすれば笑い声をあげて勢いよく立ち上がる。
「いいじゃん。私も気になってはいたんだ」
「何かワクワクするなぁ」
本当に幸せだった子供時代に戻ったようだ。
彩葉の先導で、屋根に軽々と登る。
どうやらこの世界の体は現実と違ってかなり動けるらしい。大した苦労もせずに屋根の上に立つ。
そのままいくつかの建物を経由し、徐々に高い建物を目指していく。
「見て梢さん。あそこがさっきまで私たちがいたところ」
「おおー。大分登ったなあ」
大鳥居を見下ろせる高さまで来たところで足を止め、二人して街を見渡す。
小さくなった人影が、ひっきりなしに行き交っている。
「結構な人数おるんか?」
「えっと、多いときは1億超えるんじゃないっけ」
「嘘やろ。猫も杓子もかいな」
驚いたように彩葉を見れば、当然のことのように笑っている。
彼女にとって当たり前のことなのだろう。
「はー世界は広いなあ」
屋上に寝転び、星空を見上げる。
満天の星が瞬いている。
「それこそ外周部に海があって、そこも潜れるみたいだよ。仮想空間だから息も続くし」
「うっわ。そっちも気になるな」
「たまにでいいから一緒に散歩しようよ。友達も紹介したいしさ」
私の隣に座った彩葉が、ゆっくりと髪を撫で始める。その手にされるがまま、次はどうするか考えた。
といっても答えは一つだろう。
「私もよう分からんから願ったり叶ったりやね。あっちのでかい城も行ってみたいし」
「あ、あっちはヤチヨ城だから一般ユーザーは立ち入り禁止だって。運営の人が使ってるんじゃないかな」
視線を横にずらすと、立派な城が目に入った。そちらを指差して尋ねると、彩葉は半ば諦めたように呟いた。
…一度突撃したのだろうかこの子は。
「アカンなあ。そんなこと言われたら突撃しとうなる」
「…最悪BANされるからやめた方がいいよ。折角買ったのにもうツクヨミに入れませんはしんどいやろ」
「それはアカンなぁ。ま、ええわ。もうええ時間やろ。晩御飯食べて帰るわ」
「え、もうそんな時間?あーホントだ」
「これどうやって止めるん?」
「普通にレンズ外せば止めれるよ。自動でサーバーにデータ保存されるみたい」
彩葉の言葉に頷き、一度目を開ければ元のアパートの一室に戻ってきた。
「はーおもしろ。でもこれ慣れんと事故るな」
「たまに部屋でこけてる人とかいるみたいよ」
隣ではさっさとスマコンを外して片付けを始めている彩葉の姿。
私も同じようにスマコンをケースに仕舞い、ポケットに放り込む。
台所に向かい夕食の準備を始める。
「あ、あの何か手伝おうか?」
「二人おったら狭いやろ、ここ」
座って待つように手で示すと、彩葉は不服そうな顔を浮かべ、小さく唸った。
その姿に少し笑みが漏れる。すると、ますます唸り声が大きくなった。
「なら総菜なんぼか皿に並べてや。今日は鶏もも肉を焼くからな」
「分かった。前にも聞いたけど手料理てどうやったら上手になるん?」
「経験やな。前みたいなとんでもこさえるの止めたらすぐにうまくなるわ」
フライパンに油を注ぎ、中火にかけてしばらく温める。
手持ち無沙汰なのか彩葉が隣に来て、何か手伝えないかと視線を彷徨わせる。
「手洗っておいで。ほんの20分くらいや」
「…洗い物は私がするね」
「頼むわ」
焼き上がった鶏もも肉を皿に盛り、彩葉が並べた総菜と一緒に食卓へ運ぶ。二人で向かい合い、手を合わせた。
「お肉が柔らかい!」
「泣くなこれくらいで。アンタまた飯抜いたんか」
「…忙しくて」
彩葉は露骨に目を逸らした。思わずため息が漏れる。
「バイト変えなって前言ったで」
「…時給いいから」
「それで体壊したらどうするんや。姉さんのとこ帰りたくないんやろ?」
「が、頑張ります」
この子のこういう反応はいまいち信用できない。
「えっと梢さん。今日ツクヨミどうだった?」
露骨に話題を逸らしにかかったぞこの姪っ子。
「面白かったよ。あんな世界があるんやなぁ。初めて知ったわ」
「やった。後でフレンドコード送っておくから登録しておいてね。これで私がログインしたら分かるから」
「分かった分かった。ほれ、しっかり食べ。明日もどうせバイトやろ」
元気よく返事をして、料理を次々と平らげていく姪っ子を眺めながら、もう少し定期的に顔を出すべきかと考える。
本人が一人暮らしをしたいと言っているのだからある程度は任せるべきなのだろうが、この子は割と生活能力が低い。
それこそ夏場に、学校へ来ていないと聞いて様子を見に行ったら、部屋で冷たくなっていたなんてこともあり得る。
「どったの?」
「口の中のもの一応片付けてから喋りい」
「ふぁい」
お茶で勢いよく流し込み、不思議そうにこちらを見る姪っ子の頭を軽く撫でる。
「アンタ悪い男に騙されんようにな」
「何言ってんの。私がモテるわけないじゃん」
姉さんの若いころに似とるからモテそうやけど。
まぁ姉さんに比べたら彩葉のが何倍も接しやすいけどな。
「ご馳走さまでした」
「はい。お粗末さまでした」
皿を何枚も重ね、危なげなく運んでいく彩葉を横目に、帰る準備を始める。といっても鞄一つだから楽なものだ。
「あ、次はいつ来れるの?」
「ん。月末やないかな。そんなに会いたい?」
「そんなんやあらへん!もう意地悪せんといて」
照れたように顔を赤くする彩葉の手を取り、軽く握る。
「彩葉。何べんもいうけど姉さんを追う必要はないんよ」
「…でも、そうせな褒めてくれん」
「あの人が他人を褒めるもんか。義兄さんくらいやで褒められたん」
あの人にとっては朝日も彩葉も一応身内や。だから余計に始末が悪い。
朝日はそれが分かっていたから早々に家を出れた。
この子はそんな器用なことが出来なかったからずるずると姉のいうことを聞いてしまった。
私もある程度は間に入った。けど、四六時中そばにおれるわけやない。
今にも泣き出しそうな彩葉の頬を撫で、できるだけ優しく抱きしめた。
「彩葉。何ならもうあの家に帰る必要はないんよ。あの人にはお世話になったから私がたまに顔見せるし」
私の服を掴む腕に力が込める。
「…前みたい喧嘩せえへん?」
「するかもなぁ」
私の答えの何が面白かったのか小さく笑う姪っ子の背中を撫でてやりながら、今度京都に帰ったら姉さん秘蔵の酒でも空けてやろうかと心に誓う。
本編時空に比べると彩葉の精神状態と栄養状態は多少マシです
でも平気で無理するし、ご飯は抜く