蒼穹の異邦人 ~魔王を倒した勇者、1942年のミッドウェー海戦に降り立つ~ 作:Monutaka
ぱちん。
天城悠真が指を鳴らした。
その瞬間。
赤城へ向かっていた二十七機のアメリカ軍機が、太平洋の空から消えた。
◇ ◇ ◇
太平洋上空。
アメリカ海軍攻撃隊。
「……何だ?」
先頭機の操縦士は、思わず目を疑った。
つい先ほどまで、前方には厚い雲が広がっていた。
ところが。
その雲が、消えた。
いや、違う。
空そのものが、変わっている。
「……どういうことだ?」
慌てて周囲を確認する。
僚機はいる。
編隊も崩れていない。
エンジンも正常。
高度も速度も変わっていない。
だが、眼下の景色だけが違っていた。
水平線の向こうに、巨大な陸地が見える。
「……島?」
操縦士は眉をひそめた。
ミッドウェー近海に、あんな大きな島があっただろうか。
そのとき、無線が鳴った。
『隊長! 聞こえますか!』
「聞こえている。どうした!」
『前方に陸地が見えます!』
「こちらでも確認している!」
『あれは……ハワイ島ではありませんか!?』
「……何?」
操縦士は、もう一度陸地を見た。
巨大な島影。
見覚えのある海岸線。
そして、遠方にそびえる山々。
確かに、ハワイ島に似ている。
だが。
「馬鹿な……」
操縦士は呟いた。
「我々は、ミッドウェーにいたはずだぞ……?」
ミッドウェーからハワイ島までは、千キロをはるかに超える距離がある。
数秒で移動できるはずがない。
しかも、燃料計は先ほどと変わっていない。
飛行時間も増えていない。
ただ、景色だけが変わった。
『隊長! 現在位置を確認してください!』
「……確認している!」
『では、ここはどこですか!?』
「それがわからんから確認しているんだ!!」
無線の向こうが静かになった。
操縦士は、額に浮かんだ汗を拭った。
敵機に攻撃されたわけではない。
爆発も衝撃もなかった。
それなのに。
自分たちは、戦場から消えていた。
◇ ◇ ◇
同時刻。
ハワイ島、ヒロ飛行場。
「……何だって?」
無線担当者は、受話器を耳に押し当てた。
『こちらアメリカ海軍攻撃隊! 現在位置の確認を求む!』
「所属と現在位置を報告せよ」
『所属は海軍攻撃隊! ミッドウェー方面で作戦行動中だった!』
「……ミッドウェー?」
担当者は顔をしかめた。
『ところが、突然ハワイ島らしき陸地が見えた! 現在位置がわからない!』
「待て。もう一度言え」
『我々は、ミッドウェーから来た!』
「……君たちは、今どこにいると言った?」
『ハワイ島の北東上空と思われる!』
担当者は、手元の地図を見た。
ミッドウェー。
ハワイ島。
その距離を考える。
そして、ゆっくりと受話器を握り直した。
「……飛行時間は?」
『数秒だ!』
「…………」
担当者は、無線機を見つめた。
故障だろうか。
それとも、誰かの悪ふざけか。
「……こちらヒロ飛行場。君たちは、自分たちが何を言っているのかわかっているのか?」
『わかっている! だからこちらも困っているんだ!』
「ミッドウェーから数秒で飛んできたというのか?」
『そうだ!』
「……それは不可能だ」
『そんなことは、我々が一番よく知っている!!』
担当者は、思わず受話器を耳から離した。
怒鳴り声が、部屋中に響いた。
しばらくして。
「……待機せよ。上官に報告する」
『了解! それと、着陸の許可を求む!』
「……何?」
『燃料が心配だ! このまま飛び続けるわけにはいかん!』
担当者は、深く息を吐いた。
目の前の地図を見つめる。
そして、呟いた。
「……いったい、何が起きているんだ?」
◇ ◇ ◇
空母『赤城』。
「……終わりました!」
悠真が、元気よく報告した。
南雲忠一中将は、少年を見つめた。
「……終わった?」
「はい。敵機二十七機、全部移動させました」
「……どこへ?」
「ハワイの方です!」
「……ハワイ?」
源田実中佐が、思わず聞き返した。
「ハワイとは……真珠湾のある、あのハワイか?」
「はい!」
悠真は、あっさり頷いた。
「近くに大きな島があったので、その上空に移しました」
「…………」
南雲は、海図へ視線を向けた。
ミッドウェー。
ハワイ諸島。
その距離を考える。
そして、少年を見た。
「……天城君」
「はい?」
「……君は、敵機をハワイまで移動させたのか?」
「そうですよ」
「……一瞬で?」
「はい」
源田が、ゆっくりと口を開いた。
「……搭乗員は?」
「全員無事です。飛行機も壊してません」
「……燃料は?」
「そのままですよ。飛べる状態で移したので」
源田は、口を閉じた。
敵機二十七機。
そのすべてが、一瞬で戦場から消えた。
撃墜されたわけではない。
損傷したわけでもない。
ただ、ハワイへ移動させられた。
それだけだ。
だが。
それだけのことが、どれほど異常なのか。
この少年は、理解しているのだろうか。
「……長官」
源田が、静かに言った。
「……我々は、今、とんでもないものを見ているのかもしれません」
南雲は、黙って頷いた。
敵機を撃墜するには、戦闘機が必要だ。
対空砲が必要だ。
弾薬が必要だ。
そして、味方にも損害が出る可能性がある。
だが、この少年には、そのどれも必要ない。
指を鳴らすだけで、敵の攻撃隊が消える。
これは、戦闘ではない。
南雲は、背筋に冷たいものを感じた。
◇ ◇ ◇
「……あの」
悠真が、遠慮がちに口を開いた。
「……何だ?」
「……さっきのラーメンの話なんですけど」
「…………」
源田が、ゆっくりと少年を見た。
「……まだ、その話をしているのか」
「そりゃそうですよ!」
悠真は、真剣だった。
「俺、三年間ずっと食べたかったんですから!」
南雲は、こめかみを押さえた。
この少年は、たった今、敵の攻撃隊を消し去った。
それなのに、次に考えていることがラーメンである。
「……天城君」
「はい?」
「……君は、自分が何をしたのか理解しているのか?」
「え?」
「敵の攻撃隊を、戦闘することなく排除したのだぞ」
「……ああ」
悠真は、少し考えた。
「でも、誰も死んでないですよね?」
「……それは、そうだが」
「じゃあ、よかったじゃないですか!」
にこりと笑う。
南雲は、何も言えなくなった。
戦場では、敵を撃墜することが戦果になる。
敵機を何機落としたか。
敵艦を何隻沈めたか。
その数字が、戦いの結果を示す。
だが、この少年には、その尺度が通用しない。
敵を殺す必要がない。
敵の兵器を破壊する必要すらない。
ただ、攻撃できない場所へ移せばいい。
南雲は、静かに息を吐いた。
「……源田」
「はっ」
「……この戦争は、何かが変わるかもしれんな」
源田は、少年を見た。
その言葉を、否定できなかった。
◇ ◇ ◇
そのときだった。
「長官!」
見張員が、鋭い声を上げた。
「新たな敵機接近!」
南雲が即座に顔を上げる。
「方位は!」
「南方より、複数!」
艦橋の空気が、一変した。
悠真も窓の外を見た。
「あ、また来てますね」
源田が振り返る。
「……また、わかるのか?」
「はい」
悠真は、空間認識魔法を広げた。
今度は、先ほどよりも大きな編隊だった。
「……結構いますね」
南雲が、厳しい表情で尋ねた。
「数は?」
「えーっと……三十機くらいです」
「天城君。先ほどと同じことができるか?」
「もちろんです!」
悠真が右手を上げた。
そのとき、源田が口を挟んだ。
「待て、天城君」
「はい?」
「今度も、ハワイへ送るつもりか?」
「そうですよ。あそこなら基地に戻れますよね?」
「……まあ、そうだが」
源田は、思わず南雲と顔を見合わせた。
敵機を撃墜するのではない。
捕獲するのでもない。
ただ、ハワイへ送り返す。
まるで、迷子を家へ帰すかのように。
「……天城君」
南雲が尋ねた。
「君は、敵機を何機まで移動させられる?」
「見つけられれば、何機でも大丈夫ですよ!」
「……そうか」
南雲は、それ以上聞かなかった。
悠真は、にこりと笑った。
「じゃあ、二便目いきまーす!」
ぱちん。
南方から接近していた敵編隊が、消えた。
◇ ◇ ◇
午前七時。
赤城艦橋。
南雲は、海図を見つめていた。
敵機が二度、接近した。
そのどちらも、攻撃を受ける前に消えた。
日本艦隊は、爆弾一発受けていない。
敵機を一機も撃墜していない。
だが、敵の攻撃は完全に阻止された。
「……信じられん」
源田が、ぽつりと呟いた。
「……これほどの防空能力が、存在するとは」
南雲は、静かに頷いた。
「……あの少年がいれば、我が艦隊は沈まぬのかもしれん」
源田は、すぐには答えなかった。
そして、慎重に口を開いた。
「……長官」
「……何だ」
「……一つ、懸念がございます」
「……言ってみろ」
「……あの少年は、我々の命令に従うのでしょうか」
南雲は、少年へ視線を向けた。
悠真は、艦橋の片隅で、何かを考えていた。
「……醤油ラーメン、ないのかなぁ」
小さな呟きが聞こえた。
源田は、深く息を吐いた。
「……長官」
「……何だ」
「……あの少年は、我々の想像を遥かに超えています」
「……うむ」
「……しかし、軍人ではありません」
南雲は、黙っていた。
「……我々の目的と、あの少年の目的が一致するとは限りません」
南雲は、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな」
そして、少年を見つめた。
敵を殺さずに、戦いを終わらせる。
その力を持つ少年が、何を望むのか。
それは、まだ誰にもわからなかった。
◇ ◇ ◇
同時刻。
ハワイ島、ヒロ飛行場。
無線室には、異様な緊張が漂っていた。
「……何だと?」
将校が、通信担当者の報告を聞き返した。
「……ミッドウェー方面へ向かった海軍攻撃隊が、突然ハワイ島上空に現れたと?」
「はい」
「……飛行時間は?」
「……数秒とのことです」
「…………」
将校は、しばらく黙っていた。
そして、低い声で尋ねた。
「……君は、私をからかっているのか?」
「いいえ! 実際に無線交信を行っています!」
そのとき、別の通信兵が叫んだ。
「新たな編隊から入電!」
「……何?」
「……こちらもミッドウェー方面から来たと!」
将校の顔が引きつった。
「……何機だ?」
「……約三十機です!」
「……どういうことだ?」
将校は、窓の外を見た。
遠くの空に、航空機の影が見え始めていた。
その数は、明らかに通常の飛行場周辺の交通量を超えている。
将校は、受話器を握りしめた。
「……司令部へ連絡しろ」
「はっ!」
「……緊急事態だ」
通信兵が、慌ただしく動き始めた。
将校は、もう一度空を見上げた。
ミッドウェーから、数秒で現れた航空機。
しかも、一度ではない。
二度も。
そんなことが、現実に起きるはずがない。
だが。
目の前の空には、確かに航空機が飛んでいた。
「……いったい」
将校は、呟いた。
「……太平洋で、何が起きているんだ?」
その問いに答えられる者は、まだ誰もいなかった。