蒼穹の異邦人 ~魔王を倒した勇者、1942年のミッドウェー海戦に降り立つ~   作:Monutaka

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第4話 空母エンタープライズ消失

 

 昭和十七年六月四日。

 

 午前七時二十五分。

 

 北太平洋。

 

 アメリカ海軍航空母艦『エンタープライズ』。

 

「未確認飛行物体、右舷上空!」

 

 見張員の叫びが艦橋に響いた。

 

「距離、およそ五百ヤード!」

 

「高度、二百フィート!」

 

「航空機か!」

 

「違います!」

 

 見張員は双眼鏡を握り締めた。

 

「……人間です!」

 

 艦橋にいた士官たちが、一斉に振り返った。

 

「何だと?」

 

「人間が、空中に浮いております!」

 

 その報告を聞いたレイモンド・スプルーアンス少将は、ゆっくりと窓へ歩み寄った。

 

 そして、見た。

 

 青い空。

 

 白い雲。

 

 その間に、一人の少年が浮かんでいた。

 

 黒髪。

 

 見慣れない服装。

 

 両手を後ろに組み、興味深そうに艦を眺めている。

 

 翼もない。

 

 発動機もない。

 

 落下傘もない。

 

 それなのに、少年は空中で静止していた。

 

「…………」

 

 スプルーアンスは、しばらく何も言わなかった。

 

 やがて、低い声で尋ねた。

 

「……あれは何だ」

 

 誰も答えられなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その少し前。

 

 日本海軍航空母艦『赤城』。

 

「……敵の攻撃隊は、これで二度退けた」

 

 南雲忠一中将が、海図を見つめながら言った。

 

「だが、敵空母が健在である限り、攻撃は続く」

 

「はっ」

 

 源田実中佐が頷いた。

 

「索敵機からの報告を待っておりますが、敵空母の位置は依然として不明です」

 

 そのとき。

 

「あのー」

 

 悠真が、ひょいと手を上げた。

 

「その空母って、見つければいいんですよね?」

 

 源田が振り返る。

 

「……探せるのか?」

 

「ちょっとやってみます!」

 

 悠真は、目を閉じた。

 

 数秒後。

 

「あ、いました!」

 

「……何?」

 

「東の方に、大きい船が何隻かいます。上が平らなやつも!」

 

 源田が、海図を覗き込む。

 

「……空母か!」

 

 南雲は、すぐに決断した。

 

「天城君。その艦隊を確認してもらえるか」

 

「いいですよ!」

 

 悠真は、にこりと笑った。

 

「じゃあ、ちょっと見てきますね!」

 

 そして。

 

 ふっ。

 

 少年の姿が消えた。

 

 源田は、空になった場所を見つめた。

 

「……長官」

 

「何だ」

 

「……我々が何時間もかけて探している敵艦隊を、数秒で……」

 

 南雲は、静かに頷いた。

 

「……あの少年がいる限り、戦い方そのものが変わるかもしれんな」

 

 ◇ ◇ ◇

 

「……すっげえ」

 

 天城悠真は、目の前の巨大な航空母艦を見下ろしていた。

 

 長大な飛行甲板。

 

 整然と並ぶ艦載機。

 

 艦橋から伸びるマスト。

 

 海面を切り裂く巨大な艦首。

 

「これがエンタープライズかぁ……」

 

 歴史の教科書や映像で見たことはあった。

 

 だが、実物は想像以上だった。

 

「……こんなの、よく造ったな」

 

 悠真は、感心しながら艦の周囲を飛んだ。

 

 そのとき。

 

 甲板上の水兵たちが、こちらを指差していることに気づいた。

 

「……あ」

 

 悠真は、軽く手を振った。

 

「ハロー!」

 

 水兵たちは、誰も手を振り返さなかった。

 

 代わりに、何人かが慌てて走り出した。

 

「……あれ?」

 

 悠真は首を傾げた。

 

「……英語、通じなかったかな」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 エンタープライズ艦橋。

 

「司令官!」

 

 対空指揮所から報告が入った。

 

「未確認物体、なおも本艦周辺を旋回中!」

 

 スプルーアンスは、少年を見つめていた。

 

「……速度は」

 

「推定不能です」

 

「……高度は」

 

「自在に変化しております」

 

「……飛行装置は」

 

「確認できません」

 

 スプルーアンスは、眉をひそめた。

 

 理解できない。

 

 だが、理解できないからといって、無視できる存在ではなかった。

 

 少年は、空母のすぐ近くを飛んでいる。

 

 敵の偵察手段である可能性もある。

 

 爆発物を携行している可能性も否定できない。

 

「……警告せよ」

 

「はっ!」

 

 拡声器から英語が響いた。

 

『未確認飛行物体に告ぐ! 直ちに本艦から離れよ!』

 

 悠真は、声のした方を向いた。

 

「……ん?」

 

『繰り返す! 直ちに退去せよ!』

 

 悠真は、少し考えた。

 

「……あー」

 

 英語だった。

 

 学校で習った英語とは、ずいぶん発音が違う。

 

 だが、異世界で習得した言語理解魔法が、意味を補ってくれた。

 

「……離れろってことか」

 

 悠真は、納得した。

 

「そりゃそうだよな。戦争中だし」

 

 少年は、空母から距離を取ろうとした。

 

 しかし、その瞬間。

 

 甲板上の一人の機銃員が、少年の動きを見て叫んだ。

 

「動いたぞ!」

 

「攻撃態勢か!?」

 

「こちらへ向かってくる!」

 

 少年は、ただ横へ移動しただけだった。

 

 だが、未知の存在を前にした水兵たちには、その動きすら脅威に見えた。

 

 そして。

 

 緊張に耐えきれなくなった一人が、引き金を引いた。

 

 ――ダダダダダッ!!

 

 機銃が火を噴いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「……え?」

 

 悠真は、目を瞬かせた。

 

 無数の弾丸が、自分に向かって飛んでくる。

 

 だが、悠真は避けなかった。

 

 避ける必要がなかった。

 

 弾丸が少年から三メートルの距離に達した瞬間。

 

 空間が、わずかに歪んだ。

 

 弾丸が消えた。

 

 一発。

 

 二発。

 

 十発。

 

 数十発。

 

 すべてが、何の音もなく消失した。

 

 そして、次の瞬間。

 

 ――ザザザザザッ!!

 

 エンタープライズから数百メートル離れた海面に、無数の水柱が立った。

 

 弾丸は、発射されたときの速度を保ったまま、別の場所へ転送されていた。

 

「…………」

 

 機銃員は、呆然とした。

 

 照準は、確かに合っていた。

 

 弾丸は、少年に向かって飛んだ。

 

 それなのに、少年は無傷だった。

 

 しかも、弾丸は途中で消え、遠方の海面に現れた。

 

「……何だ、今の」

 

 隣の水兵が、震える声で呟いた。

 

「……弾が、消えたぞ」

 

 悠真は、困ったように頭を掻いた。

 

「……いや、撃たなくてもいいのに」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 艦橋では、混乱が広がっていた。

 

「機銃射撃、効果なし!」

 

「目標、損傷なし!」

 

「弾丸が、目標直前で消失!」

 

 スプルーアンスは、鋭く命じた。

 

「射撃中止!」

 

 しかし、命令が全艦に伝わるより早く、別の対空砲座が発砲してしまった。

 

 ――ドォン!!

 

 五インチ高角砲。

 

 砲弾が、少年へ向かって飛んだ。

 

 悠真は、ゆっくりと振り返った。

 

「……お?」

 

 砲弾が接近する。

 

 距離、百メートル。

 

 五十メートル。

 

 十メートル。

 

 そして。

 

 消えた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 エンタープライズ後方。

 

 護衛駆逐艦の見張員が、突然現れた砲弾を目撃した。

 

「……なっ!?」

 

 空中に、何もない場所から砲弾が出現したのである。

 

 しかも、猛烈な速度で飛んでいた。

 

 ――ドォォォン!!

 

 砲弾が、エンタープライズの後方海面に着弾した。

 

 巨大な水柱が立つ。

 

「本艦後方に着弾!」

 

「敵機はどこだ!?」

 

「確認できません!」

 

 スプルーアンスは、艦橋の窓から後方を見た。

 

「……どういうことだ」

 

 自艦から放たれた砲弾が、なぜ後方から現れたのか。

 

 敵の攻撃か。

 

 何らかの新兵器か。

 

 それとも。

 

 彼らの知らない物理現象が起きているのか。

 

 そのとき。

 

 悠真が、空中で右手を上げた。

 

「……あー、もう」

 

 少年は、ため息をついた。

 

「……危ないなぁ」

 

 そして。

 

「……ちょっと、静かにしてもらおうかな」

 

 指を鳴らした。

 

 ぱちん。

 

 次の瞬間。

 

 エンタープライズの対空砲が、すべて消えた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「…………」

 

 砲員たちは、固まった。

 

 目の前にあったはずの高角砲が、ない。

 

 機銃もない。

 

 砲架だけが残っている。

 

 弾薬も、照準装置も、何もかも消えていた。

 

「……え?」

 

 一人の砲員が、呟いた。

 

 さっきまで、確かに触れていた。

 

 鋼鉄の砲身。

 

 重い機械。

 

 油の匂い。

 

 それらが、瞬きする間に消失したのである。

 

「……砲が」

 

 別の水兵が、震える声で言った。

 

「……砲が、消えた」

 

 悠真は、満足そうに頷いた。

 

「よし」

 

 転送先は、無人の岩礁だった。

 

 砲そのものを破壊したわけではない。

 

 ただ、別の場所へ移しただけだ。

 

 悠真にとっては、机の上の消しゴムを動かすのと同じくらい簡単なことだった。

 

 しかし。

 

 エンタープライズの乗員たちにとっては、悪夢だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 午前七時三十二分。

 

 エンタープライズ艦橋。

 

「……全対空兵装、使用不能」

 

 報告を受けたスプルーアンスは、無言で海図を見つめた。

 

 敵は、一人。

 

 航空機ではない。

 

 艦艇でもない。

 

 兵器らしきものすら持っていない。

 

 それなのに、空母の対空兵装が一瞬で消えた。

 

「……司令官」

 

 参謀が、声を震わせた。

 

「……あれは、何なのでしょうか」

 

 スプルーアンスは、静かに答えた。

 

「……わからん」

 

 そして、窓の外を見た。

 

 少年は、まだ空中に浮かんでいた。

 

 まるで、何事もなかったかのように。

 

「……だが」

 

 スプルーアンスは、低く続けた。

 

「……我々の知る兵器では、あれを倒せない」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 悠真は、エンタープライズを見下ろしていた。

 

「……うーん」

 

 このまま放っておけば、また攻撃されるかもしれない。

 

 かといって、沈めるのは嫌だった。

 

 艦には、大勢の人間が乗っている。

 

 彼らも、命令に従って戦っているだけだ。

 

 悠真は、少し考えた。

 

「……あ、そうだ」

 

 少年は、ぽんと手を打った。

 

「……船ごと、どっかに移せばいいじゃん」

 

 行き先は、ハワイの近海でいいだろう。

 

 先ほどの航空機も、あちらへ送り返したばかりだ。

 

 悠真は空間認識魔法で、転送先の海域を確かめた。

 

 十分な水深がある。

 

 近くに船もいない。

 

 これなら問題なさそうだ。

 

「……よし」

 

 悠真は、静かに右手を上げた。

 

「……お引っ越し、っと」

 

 ぱちん。

 

 指を鳴らした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 エンタープライズ艦橋。

 

「……司令官!」

 

 見張員が、突然叫んだ。

 

「海が……!」

 

 スプルーアンスは、窓の外を見た。

 

 そして、目を見開いた。

 

 水平線が、歪んでいた。

 

 いや。

 

 違う。

 

 海そのものが、変わっていた。

 

 周囲にいたはずの護衛艦が、消えている。

 

 空の雲の形も違う。

 

 何より、遠くの水平線には、見覚えのない島影が浮かんでいた。

 

「…………」

 

 スプルーアンスは、言葉を失った。

 

 参謀が、震える声で尋ねた。

 

「……司令官」

 

「…………」

 

「……我々は、どこにいるのでしょうか」

 

 スプルーアンスは、ゆっくりと海図を見た。

 

 現在位置。

 

 針路。

 

 速度。

 

 どれも、今の景色と結びつかなかった。

 

 数秒前まで、彼らはミッドウェー島北方の海域にいた。

 

 それが今。

 

 周囲の海は、まったく違う様相を見せていた。

 

「……測位しろ」

 

 スプルーアンスは、低く命じた。

 

「……はっ」

 

「現在位置を、直ちに確認せよ」

 

 参謀たちは、慌ただしく動き始めた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数十分後。

 

 エンタープライズ艦橋。

 

「……司令官」

 

 航海長が、青ざめた顔で報告した。

 

「……現在位置が、判明しました」

 

「……どこだ」

 

 航海長は、震える手で海図を指差した。

 

「……ハワイ諸島の北西海域です」

 

「…………」

 

 スプルーアンスは、しばらく黙っていた。

 

「……もう一度言え」

 

「……ハワイの近海であります」

 

 艦橋に、沈黙が落ちた。

 

 ミッドウェーからハワイまで、はるか千キロメートル以上。

 

 それを、わずか一瞬で。

 

 航空母艦が移動した。

 

「……馬鹿な」

 

 スプルーアンスは、呟いた。

 

 だが、複数の測位結果が同じ海域を示していた。

 

 彼らは、確かにハワイ近海にいた。

 

「……司令官」

 

 参謀が、震える声で尋ねた。

 

「……あの少年は、何者なのでしょうか」

 

 スプルーアンスは、長い沈黙のあと、答えた。

 

「……わからん」

 

 そして、静かに続けた。

 

「……だが、一つだけ確かなことがある」

 

 参謀たちは、彼を見た。

 

「……あれが敵であるならば」

 

 スプルーアンスは、海図を見つめた。

 

「……我々に、勝ち目はない」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻。

 

 ミッドウェー島北方海域。

 

 日本海軍機動部隊。

 

 空母『赤城』艦橋。

 

「……まだ戻らんか」

 

 南雲忠一中将が、窓の外を見た。

 

「はっ。天城君は、敵艦隊の確認に向かったままです」

 

 源田実中佐が答えた。

 

 そのとき。

 

「ただいまー!」

 

 突然、艦橋に声が響いた。

 

 悠真が、何事もなかったかのように現れた。

 

「……天城君」

 

 南雲が尋ねた。

 

「敵空母は確認できたか?」

 

「はい! エンタープライズって船でした!」

 

 源田が、身を乗り出した。

 

「……エンタープライズだと?」

 

「はい。大きかったですよ!」

 

「……それで、今はどこにいる?」

 

「ハワイの近くです!」

 

「…………」

 

 源田は、口を閉じた。

 

 南雲が、静かに尋ねた。

 

「……移動させたのか」

 

「はい!」

 

 悠真は、満面の笑みを浮かべた。

 

「乗ってた人も、みんな無事です!」

 

 南雲は、ゆっくりと頷いた。

 

 敵空母一隻が、戦場から消えた。

 

 それも、たった一人の少年によって。

 

 だが、南雲はすぐに海図へ視線を戻した。

 

「……源田。ほかの敵空母の所在は?」

 

「依然として不明です」

 

 その言葉を聞いて、悠真が首を傾げた。

 

「……あれ?」

 

 目を閉じる。

 

 空間認識魔法を、もう一度広げた。

 

 すると、別の海域に、巨大な船影が二つ浮かび上がった。

 

「……あー」

 

 悠真は、頭を掻いた。

 

「……まだ二隻いたんだった」

 

「……何?」

 

 源田が顔を上げた。

 

 悠真は、にこりと笑った。

 

「じゃあ、そっちも見てきますね!」

 

 言い終わるより早く、少年の姿が消えた。

 

 南雲と源田は、しばらくその場所を見つめていた。

 

「……源田」

 

「はっ」

 

「……あの少年は、我々の想像を超えておるな」

 

「……はい」

 

 南雲は、静かに海図へ目を落とした。

 

 敵空母は、まだ二隻。

 

 だが、その二隻もまた、一人の少年によって運命を変えられようとしていた。

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