蒼穹の異邦人 ~魔王を倒した勇者、1942年のミッドウェー海戦に降り立つ~ 作:Monutaka
昭和十七年六月四日。
午前八時過ぎ。
北太平洋。
アメリカ海軍航空母艦『ホーネット』。
「……エンタープライズとの連絡は、まだ回復しないのか」
艦橋に、重苦しい声が響いた。
「はっ。無線による呼びかけを続けておりますが、応答ありません」
「護衛艦からの報告は?」
「……それが」
通信士官は、一瞬ためらった。
「エンタープライズが、突然消失したとの報告が入っております」
「…………」
艦橋にいた士官たちが、一斉に顔を上げた。
「……消失?」
「はい」
「撃沈されたのか?」
「いえ。爆発も、火災も確認されておりません」
「では、どうしたというのだ!」
通信士官は、青ざめた顔で答えた。
「……わかりません」
沈黙が落ちた。
巨大な航空母艦が、突然消える。
そんな報告を、誰が信じられるだろうか。
だが、護衛艦からの報告は、繰り返し同じ内容を伝えていた。
エンタープライズは、沈んだのではない。
消えたのだ。
そのときだった。
「……司令官!」
見張員が、突然叫んだ。
「本艦上空に、正体不明の飛行物体!」
「何だと!?」
「……人間です!」
「…………」
艦橋の空気が凍りついた。
「……何を言っている」
「少年が、一人で空を飛んでおります!」
士官たちは、窓へ駆け寄った。
そして、見た。
青い空。
その中に、黒髪の少年が浮いていた。
少年は、こちらを見ていた。
そして。
「あ、いたいた!」
満面の笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
「……よし、二隻目発見!」
天城悠真は、目の前の空母を眺めていた。
エンタープライズとは、少し形が違う。
だが、やはり巨大だった。
「……アメリカって、こんな船を何隻も持ってたんだなぁ」
悠真は、感心したように頷いた。
そのとき。
甲板上の水兵たちが、慌ただしく動き始めた。
対空砲が、こちらへ向けられている。
「あっ」
悠真は、慌てて両手を振った。
「待って待って! 撃たないで!」
もちろん、声が届く距離ではない。
だが、悠真には別の方法があった。
空間魔法で、声だけを艦橋へ届ければいい。
『あー、あー。聞こえますかー?』
突然、艦橋に少年の声が響いた。
「…………」
士官たちは、顔を見合わせた。
『えっと、さっき別の船で撃たれちゃったんで、できれば撃たないでもらえると助かります!』
「……どこから声が?」
『あ、空にいる僕です!』
士官たちは、窓の外を見た。
少年が、にこにこと手を振っている。
「……何者だ!」
『日本人です!』
「日本軍の新兵器か!?」
『えっ? 違いますよ!』
悠真は、少し考えた。
『あのー、これから船を移動させるんですけど、中にいる人はみんな無事なので安心してください!』
「……何?」
『それじゃ、いきますね!』
「待て! 何を――」
ぱちん。
◇ ◇ ◇
ホーネットの周囲を航行していた護衛艦。
「…………」
見張員は、双眼鏡を下ろした。
もう一度覗いた。
そして、叫んだ。
「……ホーネットが消えた!!」
艦橋から士官たちが飛び出してきた。
「何だと!?」
「本艦の前方にいたはずの空母が、突然消失しました!」
「……馬鹿な!」
だが、海には何もなかった。
巨大な航空母艦がいた場所に、ただ波だけが残っている。
◇ ◇ ◇
ハワイ諸島沖。
アメリカ海軍航空母艦『ホーネット』。
「…………」
艦橋の士官たちは、呆然としていた。
周囲の景色が、まったく変わっていた。
先ほどまで見えていた護衛艦がいない。
代わりに、遠くの水平線には島影が見える。
そして。
『はい、到着でーす!』
再び、少年の声が響いた。
『ここ、ハワイの近くです! あ、船がぶつからないように、少し離れたところにしておきました!』
「…………」
艦長は、何も言えなかった。
『それじゃ、僕は次の船に行ってきますね!』
「……次の船?」
『はい! あと一隻あるので!』
少年の声が消えた。
艦橋には、長い沈黙が残った。
「……司令官」
参謀が、震える声で尋ねた。
「……今のは、何だったのでしょうか」
誰も答えられなかった。
◇ ◇ ◇
同時刻。
アメリカ海軍航空母艦『ヨークタウン』。
艦橋には、緊張が走っていた。
「……エンタープライズに続き、ホーネットも消息不明?」
「はっ!」
「……二隻とも、敵の攻撃を受けたのか?」
「不明です!」
士官たちは、険しい表情で海図を見つめていた。
航空母艦二隻が、短時間のうちに消息を絶った。
それも、爆発や沈没の報告すらない。
何かが起きている。
だが、その正体がわからない。
そのとき。
「……司令官!」
見張員が、叫んだ。
「本艦上空に、未確認飛行物体!」
「……何だと?」
「……人間です!」
「…………」
艦橋に、沈黙が落ちた。
そして。
窓の外に、一人の少年が現れた。
「こんにちはー!」
「…………」
少年は、にこにこと笑っていた。
その姿を見た一人の士官が、ぽつりと呟いた。
「……まさか」
「……何だ?」
「……あれが、二隻を消したのでは……」
誰も否定できなかった。
◇ ◇ ◇
「……さてと」
悠真は、ヨークタウンを見下ろしていた。
「これで最後かな?」
空間認識魔法を広げる。
周囲の海域に、ほかの航空母艦らしい反応はない。
「……よし!」
悠真は、満足そうに頷いた。
「じゃあ、これもハワイに送って……」
そのとき。
艦橋から、拡声器の声が響いた。
『待て! 撃たない! 撃たないから、話を聞いてくれ!』
「……お?」
悠真は、首を傾げた。
言語理解魔法によって、相手の言葉が理解できた。
『君は、何者なんだ!』
「……えっと」
悠真は、少し考えた。
「ただの日本人です!」
『……日本人?』
「はい!」
『……我々に、何をするつもりだ!』
「ハワイに送ります!」
『……何だと?』
「大丈夫です! 沈めたりしませんから!」
悠真は、にこりと笑った。
「じゃあ、いきますね!」
『待て! まだ話は――』
ぱちん。
◇ ◇ ◇
ハワイ諸島沖。
アメリカ海軍航空母艦『ヨークタウン』。
突然、周囲の景色が変わった。
艦橋にいた士官たちは、呆然としていた。
「……ここは」
航海士が、海図を見つめる。
「……ハワイの近海と思われます」
「…………」
艦長は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
エンタープライズ。
ホーネット。
そして、ヨークタウン。
アメリカ海軍の航空母艦三隻が、戦場から姿を消した。
そのすべてが、たった一人の少年によって。
◇ ◇ ◇
午前九時過ぎ。
日本海軍航空母艦『赤城』。
「ただいまー!」
天城悠真が、艦橋に現れた。
南雲忠一中将が、顔を上げる。
「……天城君」
「はい!」
「……どうだった?」
「終わりました!」
「……何がだ?」
「空母、全部ハワイに送っておきました!」
「…………」
源田実中佐が、海図から顔を上げた。
「……全部?」
「はい! 三隻です!」
艦橋に、沈黙が落ちた。
三隻。
アメリカ海軍の航空母艦三隻が、戦場から消えた。
その意味を、南雲は理解していた。
敵の航空攻撃能力は、決定的な打撃を受けた。
だが。
南雲は、すぐに喜ぶことができなかった。
「……天城君」
「はい?」
「……君は、何のために、そこまでしてくれたのだ?」
悠真は、少し考えた。
「え?」
「……我々は、戦争をしている」
南雲は、静かに続けた。
「君は、その戦争に、突然現れた」
「はい」
「……だが、君には、この戦争に参加する義務はない」
悠真は、目を瞬かせた。
南雲は、少年を見つめた。
「……それなのに、なぜ我々を助ける?」
悠真は、しばらく考えた。
そして。
「……うーん」
頭を掻いた。
「……だって、目の前で人が死ぬの、嫌じゃないですか」
「…………」
「それに、僕、日本人ですし」
悠真は、少し照れくさそうに笑った。
「困ってる人がいたら、助けたいじゃないですか」
南雲は、何も言わなかった。
源田も、黙っていた。
この少年は、戦争の勝敗など考えていない。
国家の利益も。
軍事的な価値も。
ただ、目の前の人間を助けようとしている。
その力は、あまりにも巨大だった。
そして、その心は、驚くほど単純だった。
南雲は、ゆっくりと息を吐いた。
「……源田」
「はっ」
「……この少年を、兵器として扱ってはならん」
「……長官?」
南雲は、静かに続けた。
「……彼は、我々の命令で動く兵士ではない」
そして、悠真を見た。
「……天城君」
「はい!」
「……君が我々を助けてくれたこと、心から感謝する」
「いえいえ!」
「……だが、これから先、君に何かを頼むときは、必ず君自身の意思を確認する」
悠真は、少し驚いた顔をした。
「……え?」
南雲は、静かに頷いた。
「……それが、我々の責任だ」
源田は、しばらく南雲を見つめていた。
そして、深く頷いた。
「……はっ」
◇ ◇ ◇
そのとき。
「あのー」
悠真が、そっと手を上げた。
「……何だ、天城君」
「……ところで」
南雲が、首を傾げた。
「……醤油ラーメンって、まだですか?」
「…………」
源田は、静かに目を閉じた。
南雲は、ゆっくりと天井を見上げた。
アメリカ海軍の空母三隻を、たった一人で戦場から消し去った少年。
その少年が、今もっとも気にしていること。
それは、戦争の行方でも、国家の命運でもない。
ただ、一杯の醤油ラーメンだった。
「……源田」
「はっ」
「……何とかしてやれ」
「……はっ」
源田は、深く息を吐いた。
「……この戦争が終わる前に、ラーメンを用意せねばならんとはな……」
悠真は、満面の笑みを浮かべた。
「やったー!」
南雲は、その姿を見つめながら、静かに呟いた。
「……山本長官に、報告せねばならんな」
その言葉に、源田の表情が引き締まった。
「……はっ」
日本海軍連合艦隊司令長官。
山本五十六。
この海戦で起きた、常識では説明できない出来事。
そして、歴史そのものを変えるかもしれない、一人の少年。
その存在が、ついに連合艦隊の最高指揮官へ報告されようとしていた。