蒼穹の異邦人 ~魔王を倒した勇者、1942年のミッドウェー海戦に降り立つ~   作:Monutaka

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第9話 世界が少年を追う

昭和十七年六月六日。

 

 アメリカ合衆国。

 

 ハワイ、真珠湾。

 

「……もう一度、最初から話していただきたい」

 

 海軍情報将校の言葉に、レイモンド・スプルーアンス少将は、わずかに眉をひそめた。

 

「……これで何度目だ?」

 

「申し訳ありません、提督。しかし、ワシントンからの命令でして」

 

「……そうか」

 

 スプルーアンスは、椅子に深く腰掛けた。

 

 机の上には、何十枚もの報告書が積まれている。

 

 そのすべてが、たった一人の少年について書かれたものだった。

 

「……少年は、どこから現れたのですか?」

 

「空だ」

 

「……航空機に乗っていたのですか?」

 

「違う」

 

「……落下傘で降下した?」

 

「違う」

 

「……では?」

 

 スプルーアンスは、将校を見た。

 

「……飛んでいた」

 

「…………」

 

「……自分の身体でな」

 

 将校は、ゆっくりとペンを置いた。

 

「……提督」

 

「何だ」

 

「……私は、真面目に質問しております」

 

「……私も真面目に答えている」

 

 沈黙。

 

 将校は、深く息を吐いた。

 

「……失礼しました」

 

 ◇ ◇ ◇

 

「……では、次の質問です」

 

 将校は、別の書類を取り出した。

 

「……少年は、何か武器を持っていましたか?」

 

「……見た限りでは、何も」

 

「……銃は?」

 

「……ない」

 

「……爆弾は?」

 

「……ない」

 

「……何か装置を身につけていた可能性は?」

 

「……少なくとも、私には見えなかった」

 

 将校は、困惑した表情を浮かべた。

 

「……それでは、どうやって我が艦の対空砲を無力化したのでしょうか」

 

「……わからん」

 

「……砲弾が消えたという証言もあります」

 

「……事実だ」

 

「……対空兵装そのものが消えたとも」

 

「……それも事実だ」

 

「…………」

 

 将校は、しばらく黙っていた。

 

 そして、慎重に尋ねた。

 

「……提督」

 

「……何だ」

 

「……その少年は、人間だったのでしょうか」

 

 スプルーアンスは、窓の外を見た。

 

 真珠湾には、見慣れた軍艦が停泊している。

 

 だが、その光景を眺める彼の胸には、これまでにない不安があった。

 

「……少なくとも」

 

 スプルーアンスは、静かに答えた。

 

「……我々と同じ姿をしていた」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同日。

 

 ワシントンD.C.。

 

 ホワイトハウス。

 

「……名前は?」

 

 フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、報告書から顔を上げた。

 

「……判明しておりません」

 

 海軍長官フランク・ノックスが答えた。

 

「……所属は?」

 

「……不明です」

 

「……階級は?」

 

「……不明です」

 

「……年齢は?」

 

「……十代後半と推定されています」

 

「……国籍は?」

 

「……日本人と思われます」

 

「…………」

 

 ルーズベルトは、ゆっくりと報告書を置いた。

 

「……つまり」

 

「……はい」

 

「……我々は、三隻の空母を移動させた人物について、何も知らないということかね?」

 

「……そのとおりです」

 

 大統領は、目を閉じた。

 

「……実に困ったものだ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 会議室には、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルも同席していた。

 

「……大統領」

 

「……何だね、マーシャル君」

 

「……一つ、懸念があります」

 

「……聞こう」

 

「……この少年が、日本軍の命令で行動していたとは限らないという点です」

 

 ルーズベルトは、眉を上げた。

 

「……どういうことかね?」

 

「……少年は、我が軍の将兵を一人も殺しておりません」

 

「……うむ」

 

「……攻撃機の搭乗員も、空母の乗員も、生存しております」

 

「……そうだな」

 

「……もし日本軍が、この少年の力を完全に掌握しているのであれば」

 

 マーシャルは、少し間を置いた。

 

「……なぜ、我が軍の主力空母を無傷で返したのでしょうか」

 

 ノックスが、腕を組んだ。

 

「……見せつけるためかもしれん」

 

「……その可能性はあります」

 

「……あるいは、我々の戦意を挫くための作戦か」

 

「……それも考えられます」

 

 マーシャルは、静かに続けた。

 

「……ですが、少年自身が殺傷を避けた可能性もあります」

 

 ルーズベルトは、しばらく考えていた。

 

「……なるほど」

 

 そして、窓の外へ目を向けた。

 

「……我々は、敵の兵器を探しているつもりだった」

 

「……はい」

 

「……だが、探すべきは兵器ではなく、一人の人間なのかもしれんな」

 

 ◇ ◇ ◇

 

「……それで、ノックス君」

 

 ルーズベルトは、海軍長官を見た。

 

「……この少年を見つけることはできるかね?」

 

「……全力を尽くします」

 

「……うむ」

 

「……太平洋艦隊の生存者から、さらに詳しい証言を集めます」

 

「……頼む」

 

「……また、日本側の通信も調査いたします」

 

「……うむ」

 

 ルーズベルトは、少し間を置いた。

 

「……ただし」

 

「……何でしょうか」

 

「……見つけたからといって、すぐに攻撃してはならん」

 

 ノックスが、顔を上げた。

 

「……大統領?」

 

「……彼は、我々の将兵を殺さなかった」

 

「…………」

 

「……その理由を知りたい」

 

 ルーズベルトは、静かに続けた。

 

「……可能ならば、話をしてみたいものだ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同じころ。

 

 東京。

 

 海軍省。

 

「……山本君」

 

 海軍大臣、嶋田繁太郎大将は、目の前の書類を見つめていた。

 

「……君の考えは、理解した」

 

「……ありがとうございます」

 

 山本五十六は、静かに頭を下げた。

 

「……だが、問題がある」

 

「……承知しております」

 

 嶋田は、机の上に置かれた報告書を指で叩いた。

 

「……この少年の存在が、陸軍に知られればどうなる?」

 

 山本は、黙っていた。

 

「……戦局を一変させる力だぞ」

 

「……はい」

 

「……利用したいと考える者は、必ず現れる」

 

「……そうでしょう」

 

「……君の極秘命令だけで、すべてを抑えられると思うか?」

 

「……思いません」

 

 嶋田は、顔を上げた。

 

「……では、どうする?」

 

 山本は、静かに答えた。

 

「……本人の意思を、何よりも優先します」

 

「…………」

 

「……天城君は、我々の部下ではありません」

 

「……うむ」

 

「……まして、所有物でもありません」

 

 山本は、嶋田をまっすぐに見た。

 

「……我々が力ずくで従わせようとすれば、彼の信頼を失うでしょう」

 

 嶋田は、長い息を吐いた。

 

「……それは、そうだろうな」

 

 前日、東京の海軍省から北太平洋の大和へ、一瞬で移動させられた記憶が蘇る。

 

 あの少年を拘束する。

 

 命令に従わせる。

 

 そんなことが可能だとは、到底思えなかった。

 

「……山本君」

 

「……はっ」

 

「……彼は、今どこにいる?」

 

「……別室で待たせております」

 

「……何をしている?」

 

「……菓子を食べております」

 

「…………」

 

 嶋田は、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……そうか」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 海軍省。

 

 別室。

 

「……おいしい!」

 

 悠真は、満面の笑みを浮かべていた。

 

 目の前には、茶菓子が並んでいる。

 

「……これ、もう一つ食べてもいいですか?」

 

 付き添いの士官が、困惑した表情で頷いた。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

 悠真は、嬉しそうに菓子を口に運んだ。

 

 その様子を、士官はじっと見つめていた。

 

 この少年が。

 

 敵空母三隻を、瞬時にハワイへ送り返したという。

 

 しかも、乗員を一人も殺さずに。

 

「……天城君」

 

「はい?」

 

「……一つ、聞いてもよろしいか」

 

「いいですよ!」

 

「……君は、本当に戦争を終わらせられると思うかね?」

 

 悠真は、少し考えた。

 

「……うーん」

 

「…………」

 

「……やってみないと、わからないです!」

 

「…………」

 

 士官は、思わず苦笑した。

 

「……そうか」

 

「でも!」

 

 悠真は、顔を上げた。

 

「……山本さんが、終わらせたいって言ってましたから」

 

「……うむ」

 

「……僕も、手伝いたいんです」

 

 士官は、しばらく少年を見つめた。

 

 そして、静かに頷いた。

 

「……そうか」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 午後。

 

 海軍省。

 

 山本と嶋田は、再び会談を続けていた。

 

「……アメリカとの接触についてだが」

 

 嶋田が、口を開いた。

 

「……正式な外交経路を使うには、準備が必要だ」

 

「……はい」

 

「……外務省との調整もいる」

 

「……承知しております」

 

「……そして、何より」

 

 嶋田は、山本を見た。

 

「……アメリカが、こちらの話を聞く保証はない」

 

「……そのとおりです」

 

 山本は、静かに頷いた。

 

「……だからこそ、天城君の提案には意味があります」

 

「……大統領に直接会う、という話か」

 

「……はい」

 

 嶋田は、深く息を吐いた。

 

「……簡単に言ってくれる」

 

「……私も、そう思います」

 

 二人は、しばらく黙っていた。

 

 そして、嶋田が言った。

 

「……しかし、仮に大統領の目の前に突然現れたとして」

 

「……はい」

 

「……それは、暗殺者と誤解されるのではないか?」

 

 山本は、眉をひそめた。

 

「……その危険はあります」

 

「……相手が警戒すれば、話し合いどころではなくなる」

 

「……はい」

 

「……何か、事前に我々の力を示す方法が必要だろう」

 

 山本は、しばらく考えた。

 

「……そうですな」

 

 そのとき。

 

 こんこん。

 

 扉が叩かれた。

 

「……失礼します!」

 

 悠真が、顔を覗かせた。

 

「……天城君」

 

「はい!」

 

「……どうした?」

 

「……お菓子、ごちそうさまでした!」

 

「…………」

 

 嶋田は、静かに頷いた。

 

「……それは、よかった」

 

「……あと、ちょっと聞こえたんですけど」

 

 悠真は、首を傾げた。

 

「……アメリカの大統領に、力を見せればいいんですか?」

 

 山本は、顔を上げた。

 

「……そういう話をしていたところだ」

 

「……なるほど!」

 

 悠真は、ぽんと手を打った。

 

「……じゃあ、簡単ですね!」

 

「…………」

 

 山本と嶋田は、顔を見合わせた。

 

「……簡単?」

 

「はい!」

 

「……どうするつもりだ?」

 

 悠真は、にこにこと笑った。

 

「……大きいものを見せればいいんじゃないですか?」

 

「…………」

 

「……大きいもの?」

 

「はい!」

 

 悠真は、両手を大きく広げた。

 

「……誰が見ても、びっくりするようなものです!」

 

 山本は、少し考えた。

 

「……例えば?」

 

「……えっと」

 

 悠真は、首を傾げた。

 

「……戦艦とか!」

 

「…………」

 

 山本の眉が、ぴくりと動いた。

 

「……戦艦?」

 

「はい!」

 

「……どこの戦艦だ?」

 

「……アメリカの!」

 

「…………」

 

 嶋田が、ゆっくりと山本を見た。

 

「……山本君」

 

「……はっ」

 

「……この少年は、今、何と言った?」

 

「……アメリカの戦艦、と」

 

「…………」

 

 悠真は、元気よく続けた。

 

「だって、アメリカの戦艦なら、アメリカの人も知ってるじゃないですか!」

 

「……それは、そうだが」

 

「……それを見せれば、びっくりすると思うんです!」

 

 山本は、静かに尋ねた。

 

「……天城君」

 

「はい?」

 

「……その戦艦を、どうするつもりだ?」

 

「……え?」

 

 悠真は、きょとんとした。

 

「……運びますけど?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 嶋田は、静かに椅子へ背を預けた。

 

「……山本君」

 

「……はっ」

 

「……どうやら、我々は恐ろしい相談を始めてしまったようだ」

 

 山本は、深く息を吐いた。

 

「……そのようですな」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その夜。

 

 ワシントンD.C.。

 

 ホワイトハウス。

 

 ルーズベルト大統領は、再び報告書を読んでいた。

 

 空を飛ぶ少年。

 

 無力化された対空砲。

 

 瞬時に移動した空母三隻。

 

 そのすべてが、理解を超えていた。

 

 大統領は、静かに呟いた。

 

「……この少年は、何を望んでいるのだろうな」

 

 答える者はいなかった。

 

 ルーズベルトは、窓の外を見た。

 

 静かな庭。

 

 白い建物。

 

 穏やかな夜。

 

「……できることなら、話してみたいものだ」

 

 その願いが、思いもよらぬ形で叶うことを。

 

 彼は、まだ知らなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同じころ。

 

 東京。

 

 海軍省。

 

「……天城君」

 

「はい!」

 

 山本は、少年を見つめた。

 

「……一つだけ、約束してほしい」

 

「……何ですか?」

 

「……誰も傷つけないことだ」

 

 悠真は、真剣な表情で頷いた。

 

「……もちろんです!」

 

「……そして、勝手に行動しないこと」

 

「……はい!」

 

「……必ず、わしに相談すること」

 

「……わかりました!」

 

 山本は、少しだけ安心したように息を吐いた。

 

「……うむ」

 

 悠真は、にこにこと笑った。

 

「……じゃあ、山本さん!」

 

「……何だ?」

 

「……戦艦って、どれくらい大きいのがいいですか?」

 

「…………」

 

 山本は、固まった。

 

「……天城君」

 

「はい?」

 

「……まだ、何も決まっておらん」

 

「……あっ、そうでした!」

 

 悠真は、照れくさそうに笑った。

 

「……つい、楽しみになっちゃって!」

 

「…………」

 

 山本は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 この少年は、恐ろしい力を持っている。

 

 だが、それ以上に恐ろしいのは。

 

 本人に、その自覚がほとんどないことだった。

 

 昭和十七年六月六日。

 

 世界は、まだ知らなかった。

 

 空母三隻を消した少年が。

 

 今度は、アメリカの戦艦に目をつけたことを。

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