「先生、ちょっと来てもらえます?」
声をかけられ、神代博繁は顔を上げた。
九月に入ったというのに、暑さはいっこうに衰える気配がない。
発掘現場を容赦なく照らす太陽を恨めしそうにひと睨みしてから、博繁は首に巻いたタオルで額の汗を拭った。
「なんだ? 何かあったのか?」
「いや、それが……」
少し離れた発掘区画から呼びに来たアルバイトの青年は、どうにも歯切れが悪い。
「なんか出ました」
「なんかって何だよ」
「それが分かんないから先生呼んでるんじゃないですか」
「……もっともだな」
博繁は苦笑して腰を上げた。
三十三歳。
東都大学文学部の専任講師で、専門は弥生時代末期から古墳時代初頭にかけての祭祀と青銅器。
一応、学生からは先生と呼ばれる立場にはなった。
だが、炎天下の発掘現場では大学教員だろうがアルバイトだろうが関係ない。
暑いものは暑い。
「どこ?」
「あっちです。三号区の端っこ」
「また石じゃないだろうな」
「たぶん」
「その『たぶん』が一番信用できないんだよ」
「この前はすみませんでした」
「お前、あの石まだ持って帰ってないだろ」
「あれ、持って帰らなきゃダメなんですか?」
「いらないなら拾うなよ」
そんな話をしながら、二人は発掘区画へ向かった。
今回の調査は、道路整備に先立って行われているものだった。
工事予定地の事前調査で遺構らしきものが確認され、念のため掘ってみようということになった。
場所は出雲。
しかも、あの荒神谷遺跡からそう遠くない。
とはいえ、この辺りを掘れば何でも出てくるというわけではない。
ここで期待されていたのも、せいぜい当時の集落や祭祀に関係する痕跡だった。
土器の破片でもまとまって出ればありがたい。
建物跡でも確認できれば御の字。
少なくとも、博繁自身はその程度に考えていた。
「先生、ここです」
三号区の隅では、作業を止めた数人がしゃがみ込んでいた。
博繁が近づくと、そのうちの一人が場所を空ける。
「これなんですけど」
「どれ?」
「ここ」
指さされた先に目を落とす。
土の中から、何かがほんの少しだけ顔を出していた。
博繁はその場にしゃがみ込んだ。
「……触った?」
「触ってません」
「本当に?」
「本当ですって。なんか変なのが見えたんで、そこで止めました」
「なら優秀」
「石だったら?」
「今日は早く上がっていいぞ」
「マジですか」
「嘘に決まってるだろ」
「先生、ひどいなあ」
周囲から小さな笑いが起きた。
博繁も笑いながら軍手を外した。
露出しているのは、ほんの数センチほどだった。
土に覆われているため色も形もはっきりしない。
だが、石ではなさそうだった。
博繁は顔を近づける。
「……金属ですか?」
後ろから誰かが言った。
「たぶんな」
「何ですかね」
「だから、それを見るんだよ」
細い竹べらを受け取り、周囲の土を少しずつ落としていく。
急がない。
こういう時ほど急いではいけない。
数分前まで冗談を言っていた博繁の手元を、いつの間にか全員が黙って見ていた。
少しずつ輪郭が現れる。
細長い。
思っていたよりも長い。
そして――薄い。
博繁の手が止まった。
「先生?」
「ちょっと待って」
もう一度、慎重に土を払う。
土の下から、青緑色に変色した金属の表面がわずかに姿を見せた。
博繁の表情から笑みが消えた。
「……綾瀬先生、呼んできて」
「え?」
「いいから。あと、ここから先は誰も触らないで」
さっきまでの気楽な空気が、ほんの少しだけ変わった。
青年が立ち上がる。
「先生、これ……もしかして結構すごいやつですか?」
「まだ分からない」
博繁はそう答えた。
分からない。
分からない以上、決めつけてはいけない。
それが発掘の基本だ。
ただ――。
土の中から現れつつある形を見れば、考古学をやっている人間なら一つの可能性を考える。
博繁はそれを口にはしなかった。
ほどなくして、綾瀬教授が早足でやってきた。
「神代、何が出た」
「まだ途中です」
「見れば分かる」
「じゃあ聞かないでくださいよ」
「口の減らないやつだな」
綾瀬は博繁の隣にしゃがみ込んだ。
そして、露出した部分を見る。
そのまましばらく何も言わなかった。
「……どこまで出した?」
「ここまでです」
「位置は?」
「原位置です。見つけたところですぐ止めてもらいました」
「写真は」
「まだです」
「よし」
綾瀬は立ち上がった。
「記録からやるぞ。神代、触るなよ」
「分かってます」
「お前、こういう時だけ子供みたいな顔するからな」
「してませんよ」
「してる」
周囲から、また小さな笑いが起きた。
ただし今度は、誰も先ほどのような大きな声では笑わなかった。
何かが出た。
しかも、たぶん普通のものではない。
それだけは皆にも伝わっていた。
記録と撮影を済ませ、慎重に作業を再開する。
少しずつ。
本当に少しずつ。
長い間、土の中に眠っていたものが姿を現していく。
やがて綾瀬が小さく息を吐いた。
「……銅剣だな」
誰も声を上げなかった。
博繁も答えなかった。
目の前にあるものから視線を外せなかった。
弥生時代の銅剣。
それ自体が、この地域でまったく考えられない出土品というわけではない。
むしろ出雲には、日本の考古学史に残る有名な発見がある。
荒神谷遺跡。
大量の青銅器が一度に出土し、それまでの弥生時代像を大きく揺さぶった遺跡だ。
しばらくして、後ろで見ていたアルバイトの青年が、おそるおそる口を開いた。
「先生」
「ん?」
「荒神谷って、銅剣いっぱい出たところですよね」
「ああ」
「何本でしたっけ」
博繁が答えるより先に、綾瀬が言った。
「三百五十八本」
「三百五十八……」
青年は目の前の銅剣を見た。
それから綾瀬を見る。
最後に博繁を見た。
「じゃあ……」
少し間を置いて。
「これで三百五十九本ってことですか?」
誰も答えなかった。
ギャグではありません。