「じゃあ……これで三百五十九本ってことですか?」
誰も答えなかった。
少しして、綾瀬がため息をついた。
「違う」
「違うんですか?」
「荒神谷から出土した銅剣は三百五十八本。これはこの遺跡から出た一本だ」
「でも、合わせたら三百五十九ですよね」
「神代」
「なんです?」
「説明してやれ」
「嫌ですよ。たぶん何を言っても三百五十九って言いますよ、この人」
「だって三百五十九じゃないですか」
アルバイトの男は納得していない顔をしていた。
綾瀬はもう相手にするのをやめたらしい。
「とにかく記録を先にするぞ。位置、もう一度確認して」
「はい」
それで現場は、いつもの作業に戻った。
出土位置を記録し、写真を撮る。
周囲の土を確認しながら、慎重に作業を進める。
銅剣が一本出たからといって、発掘現場全体が止まるわけではない。
少し離れた場所では別の作業員が土を掘り、誰かが一輪車を押していた。
休憩場所には、飲み終えたペットボトルが並んでいる。
九月の太陽は、相変わらず暑かった。
しばらくして、さっきのアルバイトがまた口を開いた。
「先生」
「今度は何?」
「これ、すごいんですか?」
博繁は手を止めた。
「すごいって?」
「ニュースになるとか」
「ああ」
少し考える。
「俺たちには、かなり面白い」
「俺たち?」
「考古学やってる人間には」
「テレビ来ます?」
「そこまでは知らない」
「俺、映ります?」
「たぶん映らない」
「なんだ」
「そこ目的だったの?」
男は笑いながら、また作業へ戻っていった。
博繁も銅剣へ視線を戻す。
確かに興味深い。
荒神谷遺跡の近くで、別の遺跡から銅剣が出た。
それだけでも調べる価値は十分にある。
だが、今の段階ではそれ以上のことは何も言えない。
年代も。
この場所に埋められた理由も。
荒神谷との関係も。
これから調べることだった。
*
「神代」
綾瀬に呼ばれたのは、銅剣の表面を確認していたときだった。
「はい」
「ここ」
綾瀬が指した場所を見る。
青緑色の表面。
土と腐食に覆われていて、細かな状態まではまだ分からない。
「何かあります?」
「……線、見えないか」
博繁は顔を近づけた。
確かに。
言われてみれば、表面に細い線のようなものがある。
一本ではない。
いくつかが重なっているようにも見える。
「なんか……ありますね」
「だろ」
「傷ですか?」
「分からん」
「腐食?」
「それも分からん」
博繁は角度を変えて見る。
光の当たり方で、見えたり見えなかったりする。
「模様?」
綾瀬が博繁を見る。
「早い」
「言ってみただけですよ」
「保存処理しながら見てもらおう。今ここで決めることじゃない」
「ですね」
それで話は終わった。
少なくとも、その日は。
夕方になるころには、博繁の頭の中は別のことで埋まっていた。
出土した土器の記録。
翌日の人員配置。
撮影した写真の整理。
大学へ戻れば、書きかけの論文もある。
考古学者だって、一日中古代の謎について考えているわけではない。
むしろ、そうでない時間の方が長い。
*
翌朝。
「先生、これ読めません」
発掘現場に着いて早々、博繁は作業員に紙を突きつけられた。
「何が?」
「昨日のラベル」
「書いてあるでしょ」
「先生の字が汚くて」
「失礼だな」
受け取って見る。
「……俺も読めないな」
「ほら」
「誰が書いたんだ、これ」
「先生です」
そんなやり取りをしていると、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
画面を見る。
大学の研究室からだった。
「はい、神代です」
『お疲れさまです。昨日の銅剣なんですけど』
博繁は少しだけ姿勢を正した。
「何か分かりました?」
『いや、まだそこまでは』
「ですよね」
『今後、出土状況や共伴する資料も含めて年代を絞っていきます。保存処理も進めますけど、表面の状態について少しだけ』
「表面?」
『綾瀬先生が言ってた線です』
「ああ」
『拡大した写真、送ります』
通話しながらメールを開く。
画像が一枚届いていた。
昨日よりも、線が少し見やすい。
博繁は指で画面を拡大した。
「これ……」
『腐食の痕かもしれませんし、傷かもしれません』
「模様……みたいにも見えるな」
電話の向こうで少し間があった。
『そう見えなくもないです』
「ですよね」
『でも、人工的なものかどうかはまだ分かりません』
「はいはい。分かってます」
『先生、すぐ決めつけるから』
「決めつけてないですよ」
『何か分かったらまた連絡します』
「お願いします」
電話を切った。
博繁はしばらく画像を見ていた。
「先生!」
離れたところから呼ばれる。
「四区、確認お願いします!」
「あ、はい!」
スマートフォンをポケットに入れ、そちらへ向かう。
数歩進んでから、博繁はもう一度だけスマートフォンを取り出した。
画面の中の銅剣。
その表面に見える、細い線。
「……模様ねえ」
スマートフォンをしまい、今度こそ歩き出した。