銅剣が見つかってから、四日が経った。
その間にも発掘は続いていた。
遺跡というものは、一つ何かが出たからといって、他の作業が止まってくれるわけではない。
土器片が出れば記録する。
遺構らしきものが見えれば確認する。
写真を撮り、図面を取り、土を運ぶ。
そして神代博繁には、大学へ戻れば戻ったで別の仕事が待っていた。
「先生、これ来週までですよ」
研究室の机に置かれた書類を見て、博繁は顔をしかめた。
「……何これ」
「非常勤の先生の来年度の希望調査です」
「俺に関係ある?」
「あります。先生が出してないので」
「じゃあ俺のだった」
院生が呆れた顔をする。
博繁は書類を引き寄せた。
机の端には、発掘現場から持ち帰った資料が積まれている。その横には読みかけの論文。さらにその横には、コンビニで買ったまま忘れていたペットボトルのコーヒー。
我ながら、あまり褒められた机ではない。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
発掘調査の関係者用に登録してある番号だった。
「はい、神代です」
『お疲れさまです。今、大丈夫ですか?』
銅剣の保存処理を担当している研究室の職員だった。
「大丈夫です。何か出ました?」
『出た、というほどではないんですけど』
その言い方に、博繁はペンを置いた。
『この前話していた表面の線なんですが、少し見やすくなってきました』
「ああ、模様みたいに見えたやつ」
『模様かどうかは、まだ何とも言えません』
「相変わらず慎重ですね」
『先生方がすぐ名前をつけたがるので』
「俺だけみたいに言わないでください」
電話の向こうで小さく笑う声がした。
『ただ――』
少し間があった。
『少なくとも、腐食だけでこうなったようには見えないんですよね』
博繁は椅子に座り直した。
「人為的ってことですか?」
『そこまではまだ言いません』
「言わないんだ」
『言いません』
即答だった。
『製作時の痕跡なのか、後から付いた傷なのか、それとも意図して付けたものなのか。その辺りをもう少し見ます』
「分かりました」
『写真、送りますね』
通話を切って間もなく、メールが届いた。
添付された画像を開く。
保存処理前よりも、銅剣の表面がはっきり見えるようになっていた。
博繁は画面を拡大した。
線がある。
一本ではない。
いくつかの細い線が交わっている。
「……傷?」
口に出してみたが、しっくりこない。
だからといって、模様だと言い切れるほどでもない。
しばらく眺めていると、後ろから声がした。
「先生」
「ん?」
「書類」
「あ」
さっきの院生が立っていた。
「電話が来る前から何も書いてませんでしたよ」
「今、大事なところなんだよ」
「来年度も大事です」
「……はい」
博繁はスマートフォンを伏せた。
*
その日の夕方。
必要な書類をどうにか片付けた博繁は、大学図書館の端末に向かっていた。
別に、何か大層な仮説があったわけではない。
ただ気になった。
それだけだった。
弥生時代。
銅剣。
線刻。
記号。
祭祀。
思いつく言葉をいくつか変えながら検索する。
論文の題名を眺め、開き、違うと思えば閉じる。
何本か目で、見覚えのある遺跡名が出てきた。
「荒神谷……」
当然と言えば当然だった。
今回の発掘地点から遠くない。
そして何より、三百五十八本の銅剣が出土した場所だ。
博繁は資料を開いた。
銅剣の形式。
出土状況。
埋納方法。
研究史。
何度も目にした内容を流しながらページを進める。
その途中で、指が止まった。
「……あった」
銅剣に残された印についての記述だった。
一部の銅剣には、いわゆる×印と呼ばれる線刻が確認されている。
博繁は椅子の背にもたれた。
もちろん知識としては知っていた。
荒神谷の銅剣について研究していれば、一度くらいは目にする話だ。
ただ――。
博繁はスマートフォンを取り出した。
研究室から送られてきた写真を開く。
それから、資料の写真を見る。
もう一度、スマートフォン。
資料。
スマートフォン。
「……似てるな」
隣の席にいた学生が一瞬こちらを見た。
博繁は声を落とした。
荒神谷の銅剣にある×印。
今回出土した銅剣に見える線。
確かに似ている。
少なくとも、まったく無関係だと切り捨てるには少し気になる。
けれど。
博繁は画面をさらに拡大した。
「違うな」
今回のものは、単純な×には見えなかった。
保存処理の途中だから、まだ全体が見えていないだけかもしれない。
腐食がそう見せている可能性もある。
そもそも本当に人為的な線なのかさえ、まだ確定していない。
似ている。
でも、同じではない。
博繁はしばらく二つの画像を見比べていた。
やがてスマートフォンを机に置く。
「……綾瀬先生に聞くか」
時計を見る。
午後六時四十七分。
少し考えた。
「明日でいいな」
博繁は端末を閉じた。
研究者だって、腹は減る。
立ち上がりかけて――もう一度だけ、画面を開いた。
荒神谷の×印。
そして、三百五十九本目と呼ばれ始めた銅剣の線。
博繁は二つを見比べる。
「似てるんだけどなあ」
今度は誰にも聞こえない声だった。