日輪の女王
第4話 見学ですか?
「似てはいるな」
翌朝。
博繁のスマートフォンを覗き込みながら、綾瀬はそう言った。
発掘現場の隅に置かれた簡易テーブルには、昨日までの記録用紙と図面が広げられている。
その端には、博繁が持ってきた荒神谷遺跡の資料が置かれていた。
「ですよね」
「ただ、同じかと言われると分からんな」
「俺もそう思います」
綾瀬はスマートフォンの画像と資料の写真を交互に見る。
「こっちはまだ処理の途中だろ」
「はい」
「なら、今比べても仕方ない」
「昨日、俺が一時間くらい使って出した結論と同じですね」
「一時間もかかったのか」
「……言わなきゃよかった」
綾瀬は笑って資料を置いた。
博繁はもう一度、二つの画像を見る。
荒神谷から出土した銅剣に残る×印。
そして今回見つかった銅剣に、うっすらと見えている線。
似ている。
それ以上のことは、まだ言えない。
「この×って、結局なんなんです?」
博繁が聞いた。
「知らん」
「即答ですね」
「分からないものを分からないと言って何が悪い」
「いや、正しいですけど」
綾瀬は資料を指で軽く叩いた。
「所有を示したとか、製作集団を示したとか、祭祀上の意味があったとか。いろいろ言われてる」
「決め手はない」
「ない」
「夢がないなあ」
「それを調べるのがお前の仕事だろ」
「先生の仕事でもあるでしょう」
「俺は忙しい」
「俺も忙しいですよ」
「三十三歳は働け」
「五十八歳も働いてください」
「働いてる」
そんな話をしていると、少し離れたところから声が飛んできた。
「先生ー!」
二人同時に振り返る。
作業員が手を上げていた。
「どっち?」
博繁が聞く。
「若い方!」
「ほら、お前だ」
「こういう時だけ年齢使うのやめてもらえます?」
博繁は資料を置いて立ち上がった。
*
昼を過ぎても、特に新しいものは出なかった。
正確には、小さな土器片はいくつか出ている。
だが銅剣の翌日ともなると、どうしても地味に感じてしまう。
「人間って贅沢ですね」
休憩中、アルバイトの男が麦茶を飲みながら言った。
「何が?」
「この前まで土器出ただけで、おおって言ってたのに」
「言ってたの君だけだけどね」
「今は銅剣じゃないと物足りない」
「そんなポンポン出てたまるか」
博繁はタオルで首筋を拭いた。
今日も暑い。
九月も半ばに近いというのに、日差しにはまだ夏が残っている。
午後の作業が始まり、博繁は遺構の確認に回った。
一区。
二区。
三区。
写真を確認し、記録の抜けを指摘して、また歩く。
発掘現場の端まで来たところで、ふと人影が目に入った。
道路脇に、一人の女性が立っていた。
若い。
二十歳そこそこだろうか。
白いシャツに細身のパンツという、ごく普通の格好をしている。
帽子もかぶらず、発掘現場の方を眺めていた。
地元の人かな。
たまにいる。
発掘をしていると、近所の人が何をしているのか気になって見に来ることがある。
博繁はそのまま通り過ぎかけた。
二、三歩進んで、なんとなく振り返る。
まだいる。
こちらを見ているというより、発掘現場全体を眺めているようだった。
――可愛い子だな。
そう思った。
それだけだった。
「先生!」
また呼ばれた。
「はいはい!」
博繁は女性から視線を外し、声のした方へ向かった。
*
一時間ほどして、博繁が現場の入口へ戻ると、さっきの女性はまだいた。
さすがに少し気になった。
見学なら構わないが、作業区域へ入られると困る。
「すみません」
博繁が声をかけると、女性が振り返った。
「はい?」
「見学ですか?」
女性は一度、発掘現場を見た。
それから博繁を見る。
「そんなところです」
「そんなところ?」
「見てただけなので」
「ああ。ここからなら大丈夫ですよ。ただ、向こうは作業区域なんで入らないでください」
「分かりました」
素直に頷いた。
それで会話は終わるはずだった。
博繁も仕事へ戻ろうとした。
「銅剣」
背中に声がかかった。
博繁は振り返る。
「え?」
「出たんですよね」
「ああ」
もう知っているのか。
「よく知ってますね」
「近所で話してる人がいたから」
「もう噂になってるんだ」
「三百五十九本目なんでしょ?」
博繁は思わず顔をしかめた。
「……誰から聞いたんですか、それ」
「違うの?」
「違うというか、間違ってはいないというか……」
「じゃあ合ってる」
「いや、考古学的にはそういう数え方はしないんです」
「でも三百五十九本あるんでしょ?」
まただ。
博繁は数日前にも、まったく同じような会話をした気がした。
「もう三百五十九でいいです」
「諦めた」
「説明すると長いんで」
女性が笑った。
からかわれているらしい。
話し方も表情も、特に変わったところのない人だった。
「この辺の人なんですか?」
「うん。まあ、この辺」
「それで見に来たんだ」
「そんなところ」
またそれだ。
博繁は少し笑った。
「こういうの、好きなんですか? 遺跡とか」
「嫌いじゃないよ」
「へえ」
「先生は好きなの?」
「好きじゃなきゃ、こんな暑いところで土掘ってないですよ」
「それもそうか」
彼女は笑った。
「先生!」
遠くからまた声が飛んできた。
博繁は振り返る。
「はい!」
「ちょっと確認お願いしまーす!」
「今行きます!」
返事をしてから、女性を見る。
「じゃあ、ごゆっくり。作業区域だけ気をつけてください」
「ありがとう、先生」
「俺、そんな偉い先生じゃないですけどね」
「でも先生なんでしょ?」
「一応」
「じゃあ先生」
「……まあ、いいか」
博繁が歩き出す。
「あの」
今度は女性の方から呼び止めた。
「はい?」
「名前」
「え?」
女性が博繁の胸元を指した。
名札がついている。
「神代博繁先生」
「ああ」
自分の胸元を見る。
「これ便利だな」
「私は美咲静香」
「静香さん」
「うん」
博繁は一度、その名前を口の中で転がすようにしてから言った。
「……綺麗な名前だね」
静香は少し笑った。
「私も、気に入ってるの」
「そっか」
「うん」
「じゃあ、よろしく。美咲さん」
「よろしく、神代先生」
「先生!」
また呼ばれた。
「はいはい、今行きます!」
今度こそ博繁は歩き出した。
数分後には、また土器片の確認をしていた。
美咲静香。
地元の人。
たぶん、遺跡に興味がある。
それから――。
まあ、綺麗な子だった。
その程度だった。