翌日も、美咲静香は発掘現場に来た。
博繁がそれに気づいたのは、昼前だった。
昨日と同じ道路脇。
今日は帽子をかぶっている。
「また来たんですか?」
声をかけると、静香が振り返った。
「来ちゃダメだった?」
「いや、そういう意味じゃないですけど」
「じゃあ来てもいいんだ」
「……まあ」
「よかった」
静香は笑った。
昨日会ったばかりなのに、妙に遠慮がない。
「今日は帽子かぶってるんですね」
「昨日、先生が暑そうだったから」
「俺を見て学習したんですか」
「うん」
「だったら正解です」
博繁は自分の帽子のつばをつまんだ。
「九月だからって油断すると、普通にやられますよ」
「先生、昨日すごい汗だったもんね」
「見てたんですか」
「見学だから」
「そうでしたね」
静香は発掘現場へ視線を移した。
作業員が土を運び、別の区画では記録写真を撮っている。
昨日と変わらない風景だった。
「今日は何か出た?」
「そんな毎日銅剣が出たら困りますよ」
「困るの?」
「大騒ぎになります」
「嬉しいんじゃなくて?」
「嬉しいですけど、大変です」
「贅沢だね」
「昨日、同じこと言ってた奴がいましたよ」
静香が笑う。
「じゃあ、みんな同じこと考えるんだ」
「かもしれませんね」
「先生!」
現場から声が飛んできた。
「ほら、呼ばれてる」
「本当に便利だな、先生って」
「便利屋じゃないんですけどね」
「行ってらっしゃい、先生」
「はいはい」
博繁は手を上げて、現場へ戻った。
*
昼休み。
博繁が簡易テーブルでコンビニのおにぎりを食べていると、駐車場の方から聞き慣れた声がした。
「博兄!」
一瞬、無視しようかと思った。
「聞こえてるでしょ!」
仕方なく振り返る。
若い女性が紙袋を片手に歩いてきていた。
綾瀬はるむ。
綾瀬教授の娘である。
二十五歳。
博繁がまだ学生だった頃から知っているので、感覚としては妹に近い。
「何しに来たんだよ」
「第一声がそれ?」
「仕事中だから」
「お父さんいる?」
「先生なら向こう」
「これ渡しに来た」
はるむが紙袋を差し出す。
博繁は受け取らなかった。
「自分で渡せよ」
「今から用事あるの」
「俺だって用事あるよ」
「おにぎり食べてるじゃん」
「昼休みっていう大事な用事だよ」
「じゃあ食べながら渡して」
「どうやってだよ」
「考古学者なんだから考えて」
「考古学を何だと思ってるんだ」
はるむが笑った。
「相変わらずだね、博兄」
「お前もな」
結局、博繁は紙袋を受け取った。
「何入ってんの?」
「お母さんから。お父さん、また家に資料置きっぱなしにしたから」
「本人に言えよ」
「だから今言いに来たんじゃん」
「俺に」
「博兄に」
「本人は?」
「あとで怒る」
「なら最初から本人に渡せ」
「細かい男はモテないよ」
「余計なお世話だ」
博繁がおにぎりの残りを口に入れたところで、はるむの視線がふっと動いた。
「……あれ?」
「ん?」
はるむは博繁の肩越しを見ている。
「どうした?」
「……静香先輩?」
博繁も振り返った。
道路脇に静香がいた。
自動販売機で買ったらしいペットボトルを手にしている。
「……でも、いくらなんでも若くない?」
はるむが呟いた。
「はるむ、彼女を知ってるのか?」
「大学の先輩」
「静香さんが?」
「うん。二つ上」
博繁は静香を見る。
次にはるむを見る。
もう一度、静香を見る。
「……何よ、その目」
「いや」
「絶対なんか思ったでしょ」
「何も」
「今、私と静香先輩を見比べた」
「気のせいだ」
「二回見た」
「よく見てるな」
そのとき、静香もこちらに気づいた。
少し驚いた顔をしてから、笑った。
「はるむちゃん。久しぶりだね」
こちらへ歩いてくる。
「静香先輩! やっぱり!」
はるむも手を振った。
静香が近づいてくる間に、はるむが博繁の袖を引いた。
「ちょっと」
「なんだよ」
声が小さい。
博繁もつられて声を落とした。
「なんであの人、若いままなのよ」
博繁は静香を見た。
それから、はるむを見る。
「はるむ」
「なに」
「美人はいつまでも美人なんだぞ?」
はるむの目が細くなった。
「……それ、どういう意味?」
「褒めたんだけど」
「誰を?」
「…………」
「誰を?」
「いや、だから――痛っ!」
尻をつねられた。
「何すんだよ!」
「なんとなく」
「なんとなくで人の尻をつねるな!」
「何してるの?」
いつの間にか静香が目の前にいた。
「静香先輩が昔から全然変わらないって話です」
はるむが答える。
「そう?」
静香は自分の頬に触れた。
「自分じゃ分からないな」
「変わってませんよ。ほんとに」
「じゃあ、得したのかな」
「絶対得してます」
「だって」
静香が博繁を見る。
「なんで俺に言うんですか」
「さあ?」
静香は楽しそうに笑った。
*
「それにしても、びっくりした」
はるむが言った。
三人は発掘現場から少し離れた日陰にいた。
博繁は昼休みの残り。
はるむは父親に用事。
静香は見学。
三人ともここにいる理由は違う。
「先輩、こっちにいたんですね」
「うん。この辺に戻ってきてるの」
「全然知らなかった」
「言ってないもん」
「言ってくださいよ」
「ごめん、ごめん」
「大学以来ですよね?」
「そうだね」
博繁が口を挟む。
「二人って同じ大学だったんだ」
「そうだよ」
はるむが答えた。
「静香先輩、二つ上」
「へえ」
「何、その反応」
「いや、昨日会ったばっかりだから」
はるむが止まった。
「昨日?」
「うん」
静香が答える。
「ここで会ったの」
「へえ」
今度は、はるむが博繁を見る。
「なんだよ」
「別に?」
「その顔やめろ」
「どの顔?」
「なんか面白いもの見つけた顔」
「気のせいじゃない?」
静香が二人を見比べた。
「仲いいんだね」
「よくないです」
「仲いいよ」
二人の声が重なった。
「どっち?」
静香が笑う。
「博兄とは昔から知ってるんです」
「博兄?」
静香の目が博繁へ向いた。
嫌な予感がした。
「そう。博兄」
「へえ」
「やめてください」
「何が?」
「その『へえ』」
「いい呼び方だね、博兄」
「静香さんまでやめてくださいよ」
「なんで?」
「なんか恥ずかしい」
「博兄」
「はるむ」
「博兄」
「静香さん」
「博兄」
「二人ともやめろ!」
二人が笑った。
何がそんなに面白いのか分からない。
「先輩、昔からこういう人好きでしたよね」
はるむが言う。
「こういう人って?」
「からかうと面白い人」
「おい」
「そうかも」
「静香さんまで納得しないでください」
「だって面白いし」
「昨日より扱い雑になってません?」
「仲良くなったってことでしょ」
静香がさらっと言った。
博繁は一瞬黙った。
「……昨日会ったばっかりですけどね」
「時間は関係ないんじゃない?」
「そういうもんですか」
「そういうもんじゃない?」
静香はペットボトルの蓋を開けた。
それ以上の意味などなさそうに、水を一口飲む。
「そういえば」
はるむが静香を見る。
「静香先輩って、昔から有名でしたよね」
「何が?」
「美人で」
「やめてよ」
「本当じゃないですか。覚えてないんですか?」
「何を?」
「学食とかで――」
「はるむちゃん」
「はい」
「その話、終わり」
「まだ何も言ってないですよ」
「だから終わり」
博繁は笑った。
「へえ」
静香がこちらを見る。
「神代先生」
「はい」
「楽しそうだね」
「いや、別に」
「ふうん」
「……なんですか」
「なんでもない」
静香とはるむが顔を見合わせる。
また笑った。
なんだ。
この二人、会ったばかりのはずなのに。
いや。
会ったばかりなのは自分だけだった。
そう思うと、少しだけ妙な感じがした。
*
「じゃ、私行くね」
しばらくして、はるむが立ち上がった。
「父親に渡さなくていいのか?」
博繁が紙袋を持ち上げる。
「博兄に渡したからいい」
「よくない」
「よろしく」
「おい」
「静香先輩、今度ゆっくり話しましょうね」
「うん」
「連絡します」
「待ってる」
はるむは数歩歩いてから振り返った。
「博兄」
「なんだよ」
「お父さんにちゃんと渡してよ!」
「自分で渡せ!」
「じゃーね!」
そのまま駐車場へ走っていく。
博繁は紙袋を見た。
「自由だな、あいつ」
「可愛いじゃない」
「昔からあんな感じですよ」
「博兄って呼ばれてるしね」
「それはもう忘れてください」
「無理かな」
「なんでですか」
「気に入ったから」
「俺は気に入ってないんですけど」
静香が笑った。
「じゃあ、博兄」
「増やすな」
また笑う。
結局、その日も静香はしばらく現場を眺めてから帰っていった。
*
翌日。
午前の作業が始まって一時間ほど経った頃。
博繁は記録用のボードを抱えて現場を歩いていた。
昨日より少しだけ雲が多い。
風もある。
作業をするにはありがたい天気だった。
一区を確認する。
二区へ向かう。
その途中。
なんとなく道路の方を見た。
誰もいない。
そのまま数歩歩く。
もう一度見る。
やはり、いない。
――今日は来ないのか。
別に毎日来るとは言っていない。
そもそも、まだ二回しか会っていない。
博繁は視線を戻した。
「誰か探してるの?」
真後ろから声がした。
「うわっ!」
振り返る。
静香が立っていた。
「そんな驚く?」
「……いつからいたんですか」
「今来たところ」
「なら普通に声かけてくださいよ」
「かけたよ?」
「そういう意味じゃなくて」
静香が笑う。
「私を探してたみたいだったから」
「探してません」
「そう?」
「そうです」
「ふうん」
「なんですか」
「別に?」
どこかで聞いたような言い方だった。
「……はるむの真似してません?」
「気のせいじゃない?」
静香は博繁の横を通り過ぎた。
「今日も暑いね、先生」
「昨日よりマシですよ」
「そう?」
「あと」
「なに?」
「博兄は禁止ですからね」
静香が振り返る。
少し考える。
そして笑った。
「分かった、博兄」
「聞いてました?」
「聞いてたよ」
「じゃあなんで――」
静香はそのまま歩いていく。
博繁は小さく息を吐いた。
それから、少しだけ笑った。
「……ほんと、自由だな」
静香が振り返る。
「何か言った?」
「何も言ってません!」
「そう?」
「そうです!」
静香はまた笑った。
博繁も仕事に戻った。
昨日までと、何かが大きく変わったわけではない。
発掘現場には今日も土があり、記録があり、暑さがある。
ただ。
道路の方を見る回数が、少し増えただけだった。