前略:
長生きしてくださいね、とか、言うような間柄でもなかったでしょ。
だからあれだけ。
➤
——器の再構成。重力の帰還。
わたしは地面に膝をついた。は、は、は、と短く呼吸を繰り返す。先ほどと違うこと。襟を掴み損ねたてのひらは、刀の柄だけを未だに握りしめていた。
「——貴様、」
顔を上げる。
半壊した家屋の屋根に柩が立っていた。先ほど見たときと比べて、腕が取れたのとは反対側の足先が、半ばから消滅していた。わたしだけアルタナの暴発に叩き込んで、退避しようとして、ちょっとだけ失敗したのだと推察がつく。具体的には片足の先っちょ分。
「今、たしかに……」
「……そうね、」
歪む視界に構っていられない。わたしは、強くまばたきをして泪を落とした。まだ、まだ、まだ! 泣いている場合じゃあないに決まっていた。天照院奈落ってぜったい、足先なくなっても傷口地面につけて無理やり動くでしょ。
刀の柄はベコベコで砕けかけている。体格差や性差はどうしても筋力差を生み出す。わたしも八面六臂ぐらいの強靭なマッチョになりたかったものです。
……ないものねだりは、もう、やめだ。
「黄泉から門前払いされました」
笑おうとして失敗する。馬鹿になった涙腺からまた水分が漏出する。
「まだわたし、お呼びじゃないみたい」
地獄に出禁を食らったばかりで地獄絵図みたいな街の中、膝を伸ばして両足で立つ。脇腹がまだ痛む。怪我までそのまままるっと再構成、完治ってわけにはいかなかったのかしら。いかなかったみたいね。人生なかなか都合よくは回らない。
こんなに果てのない路を一足先に勝ち抜けだなんて、本当、ひどい部下だった。
投げられたものを反射的に刃を避けて掴み取る。金属部分は直感的に避けて、柄だけを掴んでから理解する、これ刀だ——あれ、というか、わたしがさっき放り捨てた兄上の脇差では。
視界の端で投擲源をうかがった。先程ぶん投げてアルタナの暴発から逃した町人が、息を切らしていた。……そういえば、あの場を見てはいらっしゃったんでしたっけ? 距離は取っていたとしても——近距離過ぎると虚に戯れがてら仕留められている——そうでないと、わたしが怒ったところなぞ見られませんものね。であれば拾っていてもおかしくはないですね。
「殺すのは、やめたの?」
町人の目がまたたく。我が国にはごくありふれた、平々凡々な目の色だ。たとえばわたしが殺した誰か、手に掛けようとしたそよ姫、失われた部下、数多の人々が同じ色の瞳を持っている。
「殺しに来たのであって、介錯をしに来たんじゃない……」
「なるほどね。それは道理です」
投げ渡された刀で空を切った。すべての清算を死で贖わんとするなれば、まずは生き抜かなくては話にならない。
柩に差し向ける。
「通してください」
柩は返答の代わりに、折れた錫杖を構え直す。
無言のうちに打ち合った。剣戟の音が響く。柩の反応速度は変わらない。重く、強く、疾い。もとより片腕のままあの速度で応対していたのだから、足先ちょこっと落とした程度大差はないのだろう。お願いだから大差あってほしい。
しかし彼の表情からは、先程はなかった、まるで得体のしれぬものを見るような様子がうかがえる。アルタナの暴発から生身で生き延びたのだ。だいぶ意味不明でしょう。わたしも意味不明だと思います。
わたしもわたしで満身創痍は変わらない。肺全体で呼吸しても酸素が足りなくて脳みそがふわふわと浮く気分。涙が止まらなくなっちゃったので、視界は相変わらず歪んでいるし、酸素をさらに欲して呼吸は上がる一方だ。正直絶不調にも程がある。
「——あらヒカリさん」
声が鳴る。
柩は咄嗟に、上体をひねった。不死身の烏にトラウマを刻み込むほど三段突きは痛かったのか。わたしはすかさず、既に折れていた錫杖をさらに叩き折った。
柩が膝からくずおれる。崩れた姿勢の脇を走り抜ける。背中が袈裟懸けに斬られているのが見えた。
「真選組の皆さん、知らない? 近藤さんと山崎さんと一緒にいたのだけど、さっきアルタナの暴発ではぐれちゃったの」
「軽い口調でなさる話ではないのでは」
わたしの隣に降り立ったミツバさんは頬についた返り血を拭った。真選組の制服を、女性用に仕立てたみたいな服装だ。
「アテはありますよ。……あなた、本当に入隊したの?」
「制服って説得力があるの。それに格好いいでしょう?」
「ハイハイ格好いい」
わたしは適当に軽口を叩く。
背後をチラと振り返ると、柩はいよいよ夥しい出血をこぼしながらも、短杖よりも短くなった錫杖の柄を支えに、なんとか立ち上がっていた。
『ゴホッ、は、』
通信機越しに咳き込む音が聞こえた。七年もの付き合いから、どなたであるかを直感する。
「……河上さん? ……生きて、いらっしゃいますか、」
『……ヒカリ』
河上さんは喘鳴の中でわたしの名前を呼んだ。
『ぬし、何かしたか?』
「なぜ皆さん揃いも揃ってわたしを疑うの。あなたは宇宙にいらっしゃって、わたしは地球におります。できることないでしょ」
『目の前で、敵の銃だけが、すべて器用に暴発したのだが』
「知りませんよ」
『自爆用にまとっていた爆弾も、いつまで経っても、起動しないし』
「あなた次顔を合わせたらまずそのお綺麗なお顔ぶん殴って差し上げますね。やめなさい自爆前提で行動なさるの。あなたその無茶のおかげで大概に重傷ですからね常に」
『絶ッ対にぬしにだけは言われたくない』
本当に皆さんそうやってわたしのことをいじめる。
通信機がザザザと音を立てて『よォ、助手失格女』なんだか文豪の作品タイトルみたいな呼び方をされた。
『その様子じゃあ上手くいったか』
「——ひらが、さん」
『通信ができりゃあクラッキングができる。ネーミングセンス以外は上出来な、都合のいい人工衛星もあるしな。ちょうど〝蜂〟を撒くのに繋げられるようにしたばっかだったろ』
走りながら、思わず天を振り仰ぐ。
ターミナルには、一際大きなアルタナの奔流がきらめいていた。夜空は照らされて光り輝き、人工衛星の点滅はどこともわからない。
『助手失格の助手代、護衛代。あとは——馬鹿息子とそのダチの後輩どもへの餞別。そんぐらいにはなっただろう』
——どうにも、息が詰まる。
喉にこみ上げてきたものを飲み込んだ。走りながらも一度ぎゅっと目を瞑ると、目尻から涙が落ちた。
『爺さん』
『あんだよ詐欺師の総督殿』
兄上の通信が割って入る。今の今まで聞いていたのだろうか。わたしの柩との心中未遂も耳にしていただろうか。……どうしよう。あとで怒られるかもしれない。
けれど兄上はわたしをまず叱ることはなく『……悪い、』と真っ先に言った。
『あ? 気色悪いな。てめえ謝るようなタマだったか』
『その人工衛星の前身を爆破したとき。てめえの息子のダチ、いつか機を見て頭下げさせるっつったと思うが——無理そうだ』
平賀さんの通信がしばし沈黙した。『そーかよ』と、やがて彼はぶっきらぼうに言った。
『最初っから最後まで付き合ってもらった義理だ。遺骨だけでも掻き分けて連れて帰る』
『……馬鹿野郎。知らねえよ。骨如きに拘ってる暇あんなら、目の前の世界救ってこい。理不尽叩き壊してこい。てめえらそういう組織だろうが』
平賀さんはぶっきらぼうのまんまだった。
『ぜんぶ、それからだろ』
『——そうだな』
最後の語尾は、震えていたように思う。
もう上手に繕える気がしなくて、わたしは通信機の電源を落とした。よりによって平賀さんに、わたしが今泣いていることを悟らせたくはなかった。ヒッと声が漏れて、鼻をすすり、しゃくりあげる。
泣いている暇なんてないのに、ここのところ、わたしは泣き虫と呼ばれたころみたいに涙腺が弱くなっていた。隊員が死んだくらいじゃあ泣かないと思っていた。実際にこの七年、ほとんど泣かないでここまで来たはずだったのに。
わたしの空いた手をミツバさんが掴んで、たしかに握りしめられる。生きている、あたたかい、体温。
「ハンカチ、必要?」
「……だい、じょうぶ、です」
刀を持ったままの手、煤けた手の甲でわたしは目尻を拭う。
「そう」
「でも、でもね」
離れようとしたミツバさんのてのひらを、わたしは握り返す。体温ごと、その指を逃さないように。
「い……一緒に、いてもらっても、いいですか」
ミツバさんは、目をまたたかせたようだった。視界がにじんで細部はろくに見えないけれど、紅茶色の瞳が大きく丸くなったのを見た——気がする。
「一緒に、連れて行くから。もう、置いていかないから……」
ミツバさんに言うことでもなかったと思う。誰に向かって話しているのか、わたし本人ですら判然としない。
置いていきたくなかったし、置き去りにされたくなかった。一緒に守りたかったし、守られるだけなんて嫌だった。助けを求めるほど弱いと思われたくなんかなかった。ずっと——ずっと、けれど、やっぱりわたしは肝心なところで、守られて、助けられて、手を差し伸べられてばかりだ。
縁が繋がり、因果は巡る。わたしの知らないところで誰かが助かって、わたしは、知らないうちに守られていた。
「もちろん」
即答だった。
「大丈夫よ。お友達」
指先が絡む。わたしの親指を、指の腹が撫でた。
「置いて行った人たちひとりずつ、引っ叩いて、怒るんでしょう?」
「ッはい、」
またぐずっと鼻が鳴った。本当、相変わらず、わたしだけずーっと子どもみたい、嫌になります。
それがわたしだった。
折れたターミナルの周りは一際瓦礫がひどく、死屍累々といった有様だ。その周辺をさらに取り囲むように、かぶき町の人々が、かぶき町に連なる縁の人々が、戦いを見守っていた。わたしたちの到着は最後——ほんとうに、最後だったみたい。
虚は血を吐き、蹲っていた。
「欠片のひとつだったのは、私だったということか」
彼が呟く。その足が一歩、後ろに下がった。
虚の背後には、底のない、文字通りの奈落が口を開けている。
「虚様、ァ」
我々をずっと追っていた柩が、姿勢を崩し、どしゃりと崩折れた。千切れた片腕の先を地面につけて、片足だけでもまた立ち上がろうと藻掻く。
反射的に刀を構えたミツバさんを——わたしは、手で制した。
わたしは勘違いをしていた。
わたしたちの到着は、最後ではなかった。
「ひつぎ」
柩の背後で、肉塊が、喋った。
肉塊——もはや、そうとしか評しようがない。髪はちりぢりに焦げて、表皮は真っ黒く煤けて、腹からは内臓が漏れている。喋ると血肉ともつかぬ塊がべしゃりと落ちた。かろうじて人型を保っているだけのもの。
柩が振り返り、大きく目を見開く。
「あ——」
「やめろ」
それが
「もう、いい」
柩が折れた錫杖を取り落とした。
肉塊が一歩を踏み出す。わたしは足を引いて路を開けた。
「手は」
尋ねる。
「いらん」
肉塊がわたしに向かって、すこしだけ傾いた。もはや機能を果たしているのかも怪しい水晶体が、腫れ上がった瞼の間から覗く。
「おろかもの」
「この期に及んで罵倒をなさるの、あなたって……」
すぐにわたしから眼差しは外れた。もう体力を消耗している余裕はないのだと思う。
肉塊の歩みは遅々としていて、たぶん、止めようと思えば誰でもできた。誰も止めなかった。かぶき町のひとも。真選組のひとも。第七師団のひとも。万事屋のひとも——銀さんも。
一方ですべての人々が、その歩みを注視していた。張り詰めた空気がそこにあった。
一歩一歩と、虚に向かって、彼は歩みを進める。
「 」
喋る拍子にまた、ごぽりと血肉が落ちた。濁った水音に風向き、あの焦げた有様では唇もろくに読み取れない。そもそも顔と思わしき箇所は虚の方に向いていた。
わたしはそのひとがなんと言ったのか——虚を、なんと呼んだのか、わからなかった。なんと呼んでいたとしてもしっくりこない気がしたし、なんと呼んでいたとしても納得できる気がした。
「おそばに」
これだけは聞こえた。
底なしの奈落の縁に足をかけ、虚もまた、肉塊の歩みを見ていた。彼には、呼び名が聞こえただろうか。聞こえなかっただろうか。
不意に、ごく一瞬、その顔がゆるむ。風ひとつない水面のごとく凪いだ表情が、まるで——聞き分けのない子どもを、仕方ないと見つめる、ように。
わたしはその顔を、似た顔を、たしかに知っていた。〝先生〟が塾生たちに見せた顔だ。くだらない悪戯を叱りつけて、そのあとに、ふとゆるむのだ。
虚の踵が奈落の縁を乗り越えた。
「莫迦な子だ……」
肉塊の足(足だと思う。たぶん)その先が、虚とともに、奈落の縁を乗り越えた。二人揃って落ちていく。堕ちていく。刹那重なった影が網膜に永久に灼きついた。
次の瞬間、アルタナがふたたび噴き上がった。彼らの身体はアルタナに跡形もなく灼かれた。
「——どちらでしたか?」
銀さんがわたしを振り返った。具体的な語彙は使わなかったけれど、兄貴分はわたしの意図を汲み取ったらしい。
わたしは、あれが真実、虚だという確信は持てなかった。
わたしは、あれが真実、〝先生〟だという確信も持てなかった。
「わからねェ」
彼はそう言った。
その顔は、すこしだけ、迷子の表情に似ている。
➤
戦後処理の話をしましょう。
……え? 入院? それはしました。
その後の話です。
➤
ドンドンドンッと兄上が並べたのは、培養槽に閉じ込められた、残骸みたいな死体だった。上半身の欠片が泡立つ溶液の中で漂っている。……あっ、今、もしかしてまばたきした?
訂正、残骸みたいな死体:みたいな瀕死の物体だった。
「……これなんですか高杉くん」
銀さんが尋ねた。彼はキャスター付きの社長椅子のメリットを利用して、培養槽たちから目一杯距離を取っていた。
「天導衆の残骸」
兄上は端的に答えた。
「我が家に気色悪ィモン持ち込んでくんじゃねえよ! うちにはガキがいるんですけどぉ!? 教育に悪すぎるわ!!!」
「いねえだろ吹きさらしの万事屋」
現在地、万事屋の天井は全開だった。というか全壊だった。解放軍に吹き飛ばされたとのことである。神楽陛下は最近は、志村さんのお宅に居候なさっているそうだ。
「吹きさらしってわかってんなら尚更機密持ち込まんでもらってもいいですかねえ!?」
「今更白夜叉にちょっかい出す馬鹿がどこいんだよ」
「やめろ白夜叉呼びマジでやめろ俺は足洗ったんだよその名前夜右衛門が殺した扱いなの下手に公にすると諸共首飛ぶのテロリストの基準で物言うなざっけんなよてめえ」
ノンブレスでまくしたてる銀さん。
「てめえのところでアルタナ兵器を占有してんだろうが。こいつらなまじ不死の血混ざってっから下手に容器からも出せねえんだよ」
兄上もまた苛立たしげに、爪先で容器を小突く。
「俺のとこで超危険物の占有に至ったのはてめえの同盟相手が〝そんじゃ、これ邪魔だから置いてくね〟とか抜かして押し付けてきやがったからですけど。俺だって不本意なんですけど。できることなら誰かに押し付けたいけど押し付けるに足るアテがねえから仕方なく占有してるだけなんですけど。なんなら君ら全然引き取ってくれてもいいんですけど」
たぶん神威さんなりの銀さんへの信頼なのだけど、あのひとの信頼の示し方が非常に大迷惑なのはわたし・阿伏兎さん・云業さんに共有される共通認識である。宇宙海賊との接触が多かった兄上・河上さんも把握しているただの大前提だ。
「兵器ついでにこれも処分しとけ」
「万事屋銀ちゃんはじつはゴミ処分場じゃなくてねー!?」
わたしはお二人の漫才を眺めて、小太郎さんと坂本さんに視線を移した。
「こちら……その、天導衆って、本当ですか」
「どうしような」
「わしらも扱いに困っちょる」
「本当なんだ……」
「実際、露見する前にどうにか殺して処分するのが最も良くはある」
「そうですよね……」
小太郎さんが真面目なお顔で本当にまともに過激なことを仰るくらいには危険物だ。どうするのこれ。まだ生きているとすれば、もしかして、わたしたちの話も聞こえているの。
銀さんが頭を抱えている。
「て、て、てめえらで処分してくんないかなー!? 一般人に押し付けてこないでくれる!?」
「俺はちょっとしばらく無理」
「無理とかあるかァ!?」
「だって松平公が脱獄の際に新政府に口利きしてくれるって約束してくれたから……」
小太郎さんがもじもじと指先を合わせた。体格に見合わない仕草だし、仕草に見合わない内容だった。……なんですって?
銀さんが天導衆(残骸)から視線を引き剥がし、こちらを見つめてくるのでわたしは首を横に振った。その話知らない。わたし知らない。なんにも知らない。わたしが拷問されている最中にでも発生したやりとりなんじゃないですか。
まあ小太郎さんが新政府に関わることに否はない。どのような物事であろうと生真面目に取り組む御方だ。国や民を思う心は真実だ。
ただ、松平公、ちゃんと手綱握れるのかしら……。
「わしもしばらくはのぉ」
坂本さんが腕を組む。
「快援隊、商品在庫ごと天鳥船と吹き飛んだき。損害を取り戻さにゃ……今ビットコインちゅうモンに全財産つぎ込んで一発逆転を」
「アおまえはいいよ。うん。好きにやってな」
迅速に銀さんが諦めた。決意の固さを悟ったからかもしれないし、なにより、破産の気配を感じたのかもしれない。現状の相場において、仮想通貨に一発逆転を賭けるのは博打が過ぎる。
「つかそれこそ鬼兵隊の担当だろうが。悪行三昧なんでもござれ、隠蔽する伝手なんざ腐り余るほど豊富。天導衆ぐらいついでに殺しとけ。兵器もついでに処分しとけ」
「我々はそれこそダメですよ」
「ぬァ〜にが駄目だよ世の中舐め腐った犯罪者兄妹がよ」
「わたしと兄上、あと佐々木さんですね。明後日処刑されますので」
ガタタガッタン! と、音を立てて銀さんが椅子から滑り落ちた。
このひと本当に知らなかったんだ。あんなに堂々とお触れが出ていたのに。
つまり、華陀である。
あの女が遺した爪痕は大きく、そして天導衆もとい虚が遺した爪痕はさらに深々と残されている。具体的にはターミナルは折れたし江戸城も半壊したし江戸市中はアルタナの暴発で穴だらけ、洪水がさらっていったものも多かった。
それでもって世間的には、天導衆の暴走までひっくるめて、元凶は鬼兵隊と春雨とされている。
あの女本当に無理。
松平公と鬼兵隊幹部全員を同じ場に一堂会する暴挙を成し遂げたのは、誰であろう、佐々木さんである。
彼はターミナルの残骸から掘り起こされた。まったくしぶといひとだ。
「と・いうわけで、殺しましょうか」
車椅子ミイラマン:もとい、包帯まみれの佐々木さんはそう仰った。
「宇宙海賊はまあ江戸幕府が処刑するような立場でもないので置いときましょう。とりあえず鬼兵隊総督と、主にだいたい華陀のせいでやたらめったら名が売れた鬼兵隊の百舌鳥、あと私も必要カナ〜悪逆非道の行いを支援した挙句国家転覆した警察庁長官。民衆感情はこのあたりの首連座で並べておけば手を打てるでしょう」
「異三郎」
音もなく、佐々木さんの首に抜き身の刃が押し当てられる。今井さんの昏い目が上司を見据えていた。
「それって処刑人はもちろん私よね?」
「あなたに任せると本当に全員の首を刎ねそうなのでだめです」
佐々木さんはまるで表情を変えずに言った。
「なーんだ。フリね」
スッキリした顔で納刀する今井さん。
松平公が無言で佐々木さんを指差してこちらを見つめてくるので、わたしはとりあえず、兄上の方を見つめた。兄上は顔を反らした。反らした先には誰もいない。
「万斉」
「すまん、腹に開いた穴が突然疼いたもので」
河上さんは座布団の上に転がって、まったく平静なお声で言った。明らかに嘘だ。視線から避けるためだけによくもまあ先の怪我を持ち出す。
「そもそも成人男性の管轄は成人男性本人に帰結すべきでしょう」
武市さんがキリッと言って「……ちなみにヒカリ殿」わたしに顔を寄せてきた。
「彼女が妹弟子というのは真に゙ッ」
ヒソ……と言い終わる前に、また子さんが武市さんの髷を鷲掴んで「ブッ」畳の上に叩きつけた。叩いて被ってジャンケンポンでもなかなか見ない瞬発力だった。
起き上がった武市さんは鼻を抑えて涙目だ。
「猪女、暴力女、いったいどなたに似たんだか!」
「皆さん揃ってわたしを見るのやめてください」
違いますが。……わたしは暴れ馬であって、猪じゃない。
「兄上の悪影響でしょ。頬頬頬
「日常が戻ってきたな」
河上さんはわたしの頬が伸ばされるのを日常扱いしないでほしい。それとも対象は、また子さんと武市さんの漫才の方かしら?
「肉が落ちたな。つまみづれェ」
舌打ちして兄上は指を離す。「肥えさせるか」「さては、出荷を目論まれています……!」わたしは戦慄した。
「つか武市先輩は発言をそろそろ見直せッス。マジで。ったくこないだみたくもうちょっと格好つけらんないもんか……いや常に格好ついてんのもそれはそれで嫌だな……」
ぶつくさ言いながらまた子さんは武市さんを押しのけて、わたしの横に座り直した。この間からとみに河上さん・武市さんへの当たりがつよい。置いて行かれそうになった怒りみたいなものを悟っているので、わたしはつつかないと決めている。今回ばかりはわたしもまとめて墓穴になるためです。
さて、それにしても。
「首、本当に落とさなくともよろしいのですか」
「あなたはその不用意な発言で果たして何が起きるのか、よく考えてから発言しなさい」
佐々木さんの半眼がわたしに向けられる。そう言われても、とわたしは顔触れを確認した。
「順に、テロリスト、テロリスト、テロリストですよ」
「それを言い出したらこの場にいる全員がテロリストなんだよ。個人が特定できねえからな」
松平公すらも一応、十五代目将軍暗殺を目論み、黒縄島から逃亡し、そよ姫の身柄を誘拐(※保護)した重犯罪者ではある。
「スパーンと首刎ねて終わりッ! ……なんて無理に決まっているでしょう。国がシッチャカメッチャカで宇宙もハッチャカメッチャカであなたがただけ上がりなど誰が許そうが私が許しませんからね」
「ハッチャカメッチャカってなんだよ」
「何故なら、私はこれから表向き処刑されたのをいいことに人権のない過労が内定しているからです」
「話聞かねえなこいつ」
佐々木さんの目は、さながら虚が落ちた底なしの深淵の如く、虚ろな空洞に見えた。
「巻き込むに決まっている」
「あの、だいぶ、嫌です……」
「まさか逃げられるなどと思わないことだ」
「あなた、仰ることがいまだに魔王そのものですよ……」
「てめえ生き残ったのを良いことに開き直り始めてるだろ……」
思わず兄上の袖に縋ると「俺も巻き込まれるっつってんだろ助け求めてきたところで何も出ねえんだよ」息継ぎなしに唸られた。どうやら振り払われないらしい。
「お可哀想に」
「兄妹揃ってちゃんと哀れだな」
同僚二人に哀れまれている。
「……イヤおまえらは何他人事面してんだ」
兄上がぐりんと首を回してお二人を振り返った。
「俺らが巻き添えならてめえらも巻き添えに決まってんだろ」
「は!?」
「拙者死にかけたのだが!? なんなら全治してないのだが!?」
「私もですが!?」
「全治してないのは全員そうだよ」
それは本当にそう。
皆さん包帯巻いたりコルセットつけたり、立てかけられた松葉杖や佐々木さんが腰かけている車椅子もべつにポーズでもない。
「また子は何をすれば。全員殺しますか。……事務処理や折衝中心になるとお役御免スか」
また子さんがそわそわと尋ねる。この設問からは〝晋助様のお役には立ちたいけれど、できればお役御免になってほしいナ〜〟という雰囲気を感じる。
「とりあえず暫定的に国の代表が天子に戻っているのでそのあたりの身辺護衛が欲しくて……それはそれとして反乱分子は潰したくて……」
「あ、ちゃんと肉体労働的な仕事もあるんスね……」
こうして我々一蓮托生と相成りました。
恩の押し売りに過剰返済された結果、このように付き合いがズルズルと続いております。どうしよっかなこれ。
「——び……ビビらせんな処刑とか言い出して……」
銀さんが椅子に這い上がる。このひと兄上に対して、テメーをぶった切る! とか言っていたくせ、一応処刑予定が組み込まれるとビビるくらいの感傷はあるらしい。人間って複雑怪奇ですね。
「正確には明後日処刑され次第、人権のない馬車馬労働に従事する羽目になるのでちょっと処理している暇がないんですよね」
「可哀想。俺一般人でよかった」
その観点から哀れまれることあるんだ。
「空いている時間も最低限最終的な死者数の把握と遺族への遺品・遺骨の返却と補填と」
兄上が指折り数える。
「天導衆如きに構っている暇がねえ」
「如き……まあ虚もいねえ今、如き、でしかねえが……」
「実際、虚は死んだのか」
小太郎さんが尋ねる。
兄上が天導衆の培養槽に肘をつき(やめなさい)坂本さんは腕組みをしたまま、少し首を傾げた。彼らは宇宙で火之迦具土神相手に奮戦していたのだから、地上の経緯は把握していても、実際に有様を見たわけではない。
わたしと銀さんは顔を見合わせた。
「……どうなんでしょうね」
「それな」
「曖昧やのお……」
「虚の血が今でも機能しているのは、そこの天導衆が一応生きているように、単なる事実です。それが虚が未だ存在として維持されているからなのか、単に地球由来のアルタナによって生き永らえているからなのかは、判然としません。天照院奈落が反抗的意思を見せることはなくなりました、がこれも真意は不明です」
大人しく組織構成を教え、大人しく普段の居所を教え、大人しく牢に留まり、大人しく沙汰を待ち、正直こちらとしては不気味に思うくらいには本当に大人しい。今の指揮権って柩にあるのかしら。
片腕と片足を落として黙する大柄な男は、牢でちらりと見かけた。天照院奈落の三羽烏が一羽とくれば、わたしのことなど気配で悟るだろうに、こちらに視線すら向けなかった。
彼らの沈静について、しいて心当たりがあるとすれば——〝やめろ〟〝もう、いい〟——わたしは脳裏の声を振り払う。
「虚は、虚で……アルタナに落ちていきましたし」
「……やつはもともとアルタナから生まれた存在。アルタナに飲み込まれたところで、それは海から生まれた一滴の雫が海に還ったようなモンだ」
溜息混じりに銀さんは椅子に座りながらも足を組んだ。
わたしがすかさず、膝小僧を平手で叩くと「チッ!」と高らかに舌打ちして足を下ろした。
「つまりその海のいずこから、やつが生まれ出でてきてもおかしくねえってこった……が、」
視線が空に向く。
あの夜、色とりどりに素っ頓狂に輝いていた空は、今は単なる蒼穹を保っている。雨が降る気配はない。アルタナの光に照らされて、虚は——あのひとは——憑き物が落ちたような顔を。していた。
嘆息した銀さんが机に肘をつき、頭を掻いた。
「まあ。そうだな。ハー。……てめーらはもう、てめーらで好きにしろ。俺は俺で好きにする」
「なら天導衆はよろしく」
「あのマジで銀さんは万事屋だけどなんでもかんでも丸投げできる便利人間ではねえのね。ハイハイ。なんとかすりゃいンだろなんとか。バーカバーカ。てめえらも若白髪で苦労しろ」
「おまえの場合若白髪なぞわからんだろ」
「人のコンプレックスつつくな殺すぞ」
「……言い出したのは、おまえの方、なのだが……?」
頭を掻くどころか天然パーマをぐしゃぐしゃにかき回し、銀さんは深々と溜息をついた。
「そこの電波と厨二病と末っ子は落ち着いたら連絡寄越せ」
「電波ではない桂だ!」
「糖尿病がほざきやがる」
「あー、はい、落ち着くのがいつになるかはわかりませんけれども……」
それそれ返答なさるってことは、それぞれちゃんと自分だという心当たりがあるってことなんですよね……。
「わしゃ仲間はずれか……」
「オマエはだって言わなくても連絡寄越すじゃん……こいつら言わなきゃ寄越さねえもん……なんなら言っても寄越さねえもん特にそこ兄妹……」
「言っても連絡寄越さんのはおまんにだけは言われたくなか」
坂本さんの舌鋒鋭い指摘に、わたしたちは揃って頷いた。「エ何、俺が悪い流れなのこれ」銀さんが駄々をこねる。悪いもなにも、戦後十年消息を掴ませなかったひとに筆不精とか絶対に言われたくない。以前にも申し上げましたけれど、わたしは死亡説を推してましたからね。
「結婚式にはスピーチしちゃる。新郎のダチ枠ぜよ。もう決まっちょるか?」
「そのあたりのお話は、なにも……?」
「なら俺新婦親族枠」
「俺を差し置いててめえが???」
「し、侵食する兄貴分……」
「もはやそういう怪異に近いな」
➤
ところで本当に忙殺されていたら一年が経っていた。
➤
「ハーイ松下村塾同窓会〜パチパチパチ正直俺はこいつら絶対俺の話忘れてんなと思ってました」
これはやたらと厭味ったらしい銀さんのお言葉。根に持っていらっしゃる。
実際に忘れていたわたしが連絡を取ると〝へー。おまえが一番乗り。へー。一年も経っておいて。へー。もういいわ。ヒカリおまえクソろくでなしの方も呼んどいてくんない〟〝あの、めちゃくちゃ拗ねるのやめていただけませんか〟〝拗ねてねーけど。何。拗ねてるように見えんの。俺ヅラ引きずってくるから〟〝あのひとこそ休めるの……?〟拗ねている以外の逆に何? という態度で日時と集合場所を伝えられた。指定された時間帯がそこそこ早朝だったのでそもそも銀さんが起床できるか危ぶんだけれど、ちゃんといた。
「たった四人で同窓会? 他に参加者はいないのか。攘夷志士同窓会でも黒子野くんを呼んで五人だったぞ。欠席が目立っただけで」
「総理と世間的に死んでるはずのテロリスト二人と他の塾生を一堂に会せるか! 下手すりゃ刃傷沙汰で死人が出るわ!」
「だったら最初から同窓会冠する必要ねえだろ」
「おまえらずっとマジレスしてくンだけどガチなんなの連絡忘れてた分際でよンなこと言ってると二度と幹事やってやんねーから出欠連絡期日提出しねえ参加者にやきもきしろ」
「まずべつに誰も頼んでねえだろ」
拗ねた天パをなんとなくもしゃもしゃと撫でると「……あ、もうちょっと右。うんそこそこ。もうちょっと指力込めて。あ〜生き返る〜」「ヒトの妹を頭皮マッサージ師代わりにしてんじゃねえよ自称兄貴野郎」「そろそろ自称外していいだろいい加減よォ」何度目? と聞きたくなるようなネタで揉め始めた。
「テメーが寝こけてる間まァじで大変だったんだからなこの女。俺はめちゃくちゃ頑張りましたが。もー許されるね。兄貴名乗ってもお天道様だって許すわ」
「そ、その……」
そしてなんだか話がおかしな方向に流れ始めた。わたしに標的が逸れていませんか。
喧嘩のダシにすることじゃございませんのにどうして、という気持ちで見つめると、銀さんがわたしの顔面をビシッと指差す。
「ほら! ほらその顔! テメーが百悪いのにジブン被害者ですと言わんばかりの猫とおんなじ顔! テメーの二番目くらいにタチ悪ィところ!! 悪いことしたってわかってるよーなふりして掘り返されるとその顔すんの!!!」
「で、ですけれどわたしだって、方法がないなりに精一杯頑張ったのに……」
「頑張りは認めるけど出力が最悪だよおめーはいつもそう。二番目にタチ悪いのがさっきので一番タチ悪いのはそこな」
「どうしてそんなひどいこと仰るのですか」
「言ってない言ってない俺は今正論しか言ってない」
本当に一ミリもこちらに矛先が飛んでくるとは思ってなかったので、わたしは弁明しながらじりじりと後退る。小太郎さんの袖を掴んで後ろに隠れると「はいはい」肩をとんとんと叩かれて、そのまま肩を捕獲されると突き出された。
突き出された!?
「怒られておこうか」
「あーっ裏切った! 裏切りましたね!? わたしの信頼を!!!」
「おまえたまに言い方ずるいからな」
小太郎さんは言いながらもまるで手を緩めない。
「兄上!!!」
「こっち縋んな」
兄上は一言で切り捨てた。
わたしは絶望した。
「ガキの頃からよく考えるとまァじで治っちゃねえよな〜まじでそのまんま。自分に非がねえことで怒られ続けてきたから感覚バグってんだろ! 黙って冤罪被るか謎の言い訳入るかどっちかなのやめてくんない!? 叱られてる時に初手弁明が入るの印象悪いからな!!」
「後半に至っては果たして銀時が言えたことかはさておき……」
「せ、正論って使い方によっては人を傷つけるんですよ」
「おめーはその前にてめーで傷つけた人の数を数えろ。食べたパンの枚数覚えてないタイプか???」
「……たぶん十枚くらい……?」
「たまに素で通じないのやめてねちょい待て嘘だろそんな少ねえの鬼兵隊は和食派が優勢か!?」
「鬼兵隊の食事情は今なんら関係ないと思います」
「それはそうなんだけど答えたおまえが言うなよマジで。ジャンプを読んで情緒を鍛えろ。オイマジでコイツ甘やかしたの誰だよ!!!」
わたしを指差して頭を抱える銀さん(ひとのこと指差すのって、よくない)に、小太郎さんと兄上が顔を見合わせた。
「俺とおまえと高杉と先生」
「俺とおまえと桂と先生」
「二十年前と比べて甘やかした自覚が芽生えてなによりだよ!!! 俺は近年厳しめに接してきましたァ!!!」
銀さんは地団駄を踏んだ。
「……そう、か……?」
「ヅラおまえガチの疑問符やめろよ……」
「あと武市と万斉とまた子」
「増えてる増えてるよ増えてるまた子ってあのミニスカの子だよな年下に甘やかされてんの?」
「ヒカリ側が甘やかすからミラーリングで甘やかしが比例する」
「ああ……」
わたしは一歩引き、二歩引き、三歩引いて、今度こそ小太郎さんの背後に隠れた。小太郎さんは、仕方ないなと言わんばかりの顔でわたしを見て肩をすくめると、自らの腕を組んだ。今度は突き出されないみたい。
「……で、この集まりはなんだ?」
「存じ上げません」
わたしは首を横に振った。しっかり予定空けてこいできれば数日、と指定されたのでその通りにしたけれど、実際なにが目的かは明かされなかった。
「近況報告会?」
「うーむ、であればエリザベスに影武者として立ってもらう必要はなかったかもな……一日任せてしまった……」
いくら信頼なさっている相棒兼ペット(……ペット……?)といえども、なかなか斬新な方を自らの影武者に選出なさるのね。
「あーそうそう。それね。まあ要件てーか」
銀さんがカランと木桶を掲げた。
「松下村塾同窓会、墓参りのお誘い」
わたしたちは言葉もなく木桶を見つめた。
「てめーら揃いも揃って忙しそうだったろ。だから、俺の暇な時間で塾の跡地に墓作った。……松陽の」
不意に小太郎さんが端末を取り出すと、タタタッと文字を打ち、すぐにしまった。
「エリザベスに三日分の影武者を頼んだ。江戸からあそこまでは、行き帰りだけでも一日かかるだろう」
「五分でバレるに一票」
「一分でバレるに愚妹の分含め二票」
「わたしの投票権……」
「三十秒か?」
「案外三日間バレない、に一票」
兄上が鼻で笑った。
「俺以外のやつが普通免許を持ってねえ。知ってたよ。ンなこったろうと思ったよ」
「かもしれない運転に気をつけろ!」
「もうその話やめてほしい。トラウマなの。繊細なの俺はドSだから」
「俺だって車なんざ運転しようと思えばできる」
「なまじできそ〜なのヤダなこいつ。かわいげを妹から取得してこい」
「宇宙船はちょっとだけ運転できますけれど、車は、運転手は他に上手な方に任せきりだったのですよねえ。……わたしも免許取ろうかしら」
「おめーら死んでる扱いだろ。免許取れんの」
「同姓同名の戸籍を作っていただきました。まっさらです。書類上の血縁は兄上だけ。生家ともおさらば!」
「……」
「ウレシソウダネー。ヨカッタネー」
「そういえば万事屋は今は新八くんが社長なのか。この間近藤がそのようなことを言っていたが」
「おめーまだゴリラと交流あるんだ」
「いろいろあってな。猩猩星との婚姻も進めていることだし」
「……もしかしたら、わたしの記憶違いやもしれませんけれど、近藤さんって真選組の局長殿ですよね。えーと……その、猩猩星の天人は、ほぼゴリラでいらっしゃいませんでしたか……? いくら普段ゴリラと呼ばれていたところで……」
「ゴリラの王女ってことはバブルス王女か? 前破談になってなかった?」
「……心当たりがあられる。そう。そうなんですね。そうですか」
「オイすべてを諦めんな」
「だァれか奢ってくんないかな〜。備前の饅頭美味いらしいんだよな〜。そこの道の駅とかで売ってそうだよな〜。ぶっ続け数時間運転手やってる哀れな金欠一般人に恵んでくんねーカナ!?」
「移動手段に車選んだのてめーだろ」
「公共交通機関使えねえ公的死人どもと謎に新政府で台頭する公人に気遣った俺の優しさを十倍にして返してほしいというこの心」
「何個食べたいんですか」
「兄貴とか言いながら妹分にタカるカス」
「まるで威厳がないヒモ」
「てめーらこういうときだけ団結すんじゃねえよてか末っ子に気ぃ遣わせてねえでてめーらが奢れよ!」
「気ぃ遣わせたのはどっからどう見てもどう考えてもてめーの方だろ」
「高杉くんに至っては何! なーんか妹さんにやたらとお優しくなりましたねえ! 反省したんか!! ようやく反省したんか!!!」
「うるせえ黙れ」
「そんな、兄上は今でも意地悪ですよ。まるで変わっていらっしゃらないの」
「は? 変わっただろうが」
「えーなに、たとえば?」
「この間洗面所の入口通せんぼされました」
「……ホントに変わってなくてビックリするよ俺ァ」
「一時期毎朝やってたな」
「やってたやってた」
「ありゃアそもそも——」
休憩を挟みつつ、八時間ほどかけて、わたしたちは松下村塾跡地に辿り着いた。江戸を出立したのは朝方の早い時間だったけれど、もうとっくに午後だ。最近長くなってきた日差しもだいぶ西の方に傾いていた。あと一刻もすれば黄昏時だ。松下村塾前はまだ道路の舗装がいまいちで、我々はコインパーキングに車を停めて、歩くことになった。
あのとき掘り返した焼け跡は、年月を経て、折れた柱の角も丸く削れていた。
骨はなく、遺品はなく、吉田松陽が生きていた軌跡はやがて拭い去られていく。焼け跡さえ風化した。取り壊すとなったら地面を均して、瓦礫を撤去することになる。半世紀もすればどのみち跡形もなくなるのだろう。
焼け跡の奥地に、当時は存在しなかったはずの竿石が立っていた。本当に墓がある。頂点は四角錐のかたち——兜巾だ。神道形式の墓みたい。表面は砂埃でざらついていた。建ててからしばらく立ち寄っていないことがうかがえた。
湧き水を木桶に汲んで、我々は揃って墓の周りを掃除した。
「おらよ」
銀さんは、道中で購入したペットボトルの抜け殻に、適当に摘んだ野草を挿して墓の横に置いた。
「雑ッ……」
わたしは思わず本音が漏れた。
「さっきの饅頭供えろよ。ちょうどいいじゃねえか」
兄上が煙管で指し示すと、銀さんがさっと飛び退いて懐を抑えた。冷や汗をかいていらっしゃる。
「……ヤ、これは、ほら、死人は食えねえから。気持ちがだいじ的な。生きてるやつが食った方がね」
「お供え物などどのみち墓参りが済めば回収するだろう。獣にたからせるわけにもいくまい」
「でもさ」
「往生際が悪い」
兄上が銀さんの背中を蹴飛ばし、小太郎さんが銀さんの懐を探って饅頭(支払い:わたし持ち)を取り上げた。箱で買ったはずなのに残り一個だった。
饅頭に加え、同じく道の駅で購入したお酒(選出:兄上)と、仏花の花束(選択:小太郎さん)も供えたから、墓前はすっかりごちゃごちゃで狭苦しい。
「ありえねえんだけど……」
「ありえねえのはてめえだよ」
「だいたい俺たちとて事前に言われたらもう少しきちんと準備してきたというのにおまえと来たらお供え物の手持ちすら用意していないとは」
「この件は銀さんが悪いですねえ」
「正論は人を傷つけるんじゃなかったのか!!!」
「しかし暴論は誰も救いません」
「その通りだよ畜生ッ!!!」
認めちゃうんですね。
「いンだよ墓参りは近状報告まともになってりゃいいの! あとはご歓談の場!! お供え物なんてテキトーでいいの!!!」
「近状報告こそまともなものがございませんよ。立身出世は小太郎さんくらいでしょう? 片やプー太郎、片やテロリスト兄妹」
「俺・は・自・営・業! ……最近サボってるけど!!」
「サボってはいらっしゃるのね」
「弟子としてまともにやってりゃオッケー!!!」
「ラーメンこぼして教本を捨てた弟子に斬り合って教本だめにした弟子二人か」
「これ破門にしねえ先生はとんだ人格者だな」
「なあ団結して楽しい? そんなに楽しい?」
「うん」
「ウン!?」
「めちゃくちゃ楽しい」
「ダシにしてんじゃねえよマジでよ」
騒がしいやり取りの傍ら、兄上がふと、何かに気づいた様子でガサゴソと袂を漁る。
「……ニコチン切れですか?」
尋ねると額を拳で強めに小突かれた。痛みに声もなく蹲るわたしに「どうしておまえたちはそう……」小太郎さんは口を噤み、もう手遅れですとばかりに首を横に振る。諦めないでほしい。いっぱい頑張って。
「い、たかった……」
わたしがようやく立ち上がったころ、兄上も目当てのものが見つかったみたいだ。一部どす黒く汚れた書物を取り出した。「おらよ」流れるように渡されたのでなんとなく受け取る。
草紙を束でまとめた書物だ。ひっくり返した表紙は青染めで、わたしは記憶に引っかかるものがあって首を傾げた。
「てめえの教本」
「……教本、え!?」
慌てて紙束をめくる。だいぶ汚れてよれて、なんなら一度乾かした形跡もあった。
たしかにほとんどのページに、当時のわたしの拙い字が這っている。教本はそのまま書き込むように使っていたから、先生の流麗な字も補足や採点の文言を加えている。たまに小太郎さんの解説や、銀さんの落書き、兄上の悪口じみた辛口コメントまでしっかり残っていた。
「ど——どこから!? どうして!? ありがとうございます!」
「……一年ぐらい前に手に入れた。余裕もねえしでそのまま渡せてなかったけどな」
「手に入れたときに仰ってくださいよ! う、うれしい、ずっと心残りだったんですけれど、しょうじき諦めていたんです……!」
「……しってる」
銀さんと小太郎さんがそれぞれわたしの両肩から覗き込んで「……あ、ほんとに松陽の字じゃん。なっっっつ」「俺も写したいな……ところでこれは、なんの染みだ?」「コーヒーとかじゃねえのこの色」「ラーメンにコーヒー、不届き者が多過ぎるだろう……」「いい加減こするのやめない」なまじ体格が大きいお二方が左右からくるぶん、縮こまるように肩をすぼめて、それからわたしはつぶやいた。
「このひと、どなたでしょう?」
「あ? 松尾芭蕉?」
「違います、その下の筆跡……」
それこそ、みみずがのたくったような字だ。あんまり字自体を書き慣れていない気配を感じる。我々の中で一番文字の書き方が雑なのは銀さんだけど、彼は〝先生〟に徹底的に叩き込まれていたから、書き順くらいはちゃんとしている。その他の塾生——は、わたしはさすがに、教本に書き込みを許すほど仲良くなかった。
銀さんと小太郎さんもそれぞれ覗き込んで「……うーん?」「さあ……」首をひねる。お二人とも心当たりがないらしい。
真正面から指が伸びてきて、教本を雑に押し下げる。兄上が上下逆さまに筆跡を眺めて、不意にページをめくった。指が彷徨って、不意に一点を指し示す。
「これもか」
「本当ね……」
「あ、こっちもそうじゃん」
「ミッケ感があるな」
「あるいはウォーリーを探せ? それにしてもなにかしら。兄上が入手なさる以前にお持ちだった方の書き込み、だとか……?」
書き込みはいくつものページに散見される。ほとんどろくに読み取れないほどひどい字だった筆跡は、あとの方をめくればめくるだけ、だんだんとかたちが整えられて、多少読めるなりになってきた。
裏表紙・その裏にまで、同じ筆跡の記述は及んでいた。
「【 学は人たる所以を学ぶなり。 】」
わたしはハッキリと読み取れるその一節を読み上げた。〝先生〟のお言葉のひとつだ。
「松陽先生の教えに感銘を受けたのだろうか」
「……まー、あいつとしても本望なんじゃねえの。教本だけでも必死に辿って、学んでくれるやつがいたのはさ」
銀さんがぼんやりとつぶやいた。
「……あ、ヒカリにとっちゃ、教本汚されたのはちょっと癪か?」
「え? べつに構いませんよ。戻ってきただけでも充分ですもの。どなたの書き込みかは気にかかりますけれど」
わたしは銀さんを見上げた。
「一度お話してみたいですよね、話が合いそうではございませんか」
「たしかに、松陽先生の教えに感銘を受けたとなればそれはすなわち同志だからな。我々の思想にも共鳴してくれるやも知れん」
「おめーはもしかしてそれ一生言ってんの……?」
「時代は共和党、英霊たちよ共に戦おう!」
「突然熱入れるのやめて」
「どうなんだ、高杉。前の持ち主を知らんのか」
「ウワァ突然正気に戻るな」
兄上は筆跡を指の腹でなぞって「知らねえ」と言った。
「古本屋で端金で売られてただけだ。そこも店主が高齢だとかでとっくに閉じて、なんなら店主は死んでる」
「ううん、それは辿れそうにありませんね。残念……」
古本のルート調査でありがちなテンプレートパターン八割網羅だった。これにて真相は迷宮入りってワケ。
「第一、見つけたとして電波と天パとじゃじゃ馬で何話すんだよ。カツアゲの絵面じゃねえか」
「兄上はすぐそういうこと仰る……」
「おまえがいないのだからまだカツアゲの絵面ではないだろ」
「誰がカツアゲする側だ」
「そりゃあもう、冷血硬派気取りオトボケ厨二キレ杉くんに決まってるじゃないですかねッ゙」
兄上のアッパーカットが銀さんの顎にクリーンヒット!
「イッ……テェなてめえ!」
銀さんの左フックが兄上の右頬にジャストイン!
「おい先生の墓前だろうが!! ゴッ、」
兄上のハイキックと銀さんのローキックが小太郎さんのこめかみと腰にクリティカル!
「……き・さ・ま・ら・ァ……!!!」
「終わりましたね」
とうとう三人で揉め出したものだから、わたしは呆れて笑ってしまった。兄弟子たちは、お供え物の仏花が四方八方に飛び散りそうになってようやく、慌てて移動する程度の可愛げを見せた。
「昔みたい」
〝先生〟がいらっしゃったら、どのような反応をなさっただろうか。拳を落としただろうか。案外笑って許しただろうか。
取り戻せなかった過去である。戻れなかった過日である。松下村塾は焼け落ちて、我々はとうに幼子ではなく、〝先生〟の墓は物言わぬ石でしかない。すべてなにもかもあの頃のままとはいかない。わたしは言いつける先がないので止められない。
墓の横にちょこんと座って、三人の喧嘩を眺める。もはやほとんど取っ組み合いと化していた。兄上の頭突きが銀さんの鼻っ柱にぶち当たり、銀さんの手が小太郎さんの長髪を引っ張り、小太郎さんの蹴りが兄上の鳩尾に入る。ねえ本当にちゃんとしっかり喧嘩し始めましたけれど、まさか刀持ち出したりしませんよね。わたしさすがにこのひとたちの本気の喧嘩は仲裁できませんよ。天照院奈落に立ち向かうより難しいもの。
ゆるく息を吐き出して、わたしは空を仰ぐ。まだ空は青々と澄んでいた。雲が穏やかに漂っていた。周囲の桜の木も、見頃はとうに過ぎてほとんど散っていて、よくよく目を凝らさないと花も見つけられない。風は濃厚な甘い芳香を未だにまとっていたけれど——これは、藤だろうか——たっぷりと、湿気た空気もはらんでいた。やがて梅雨が猛暑を連れてくることを既に予期させる、そういう気配の春風だ。
わたしは目を閉じる。かつて存在した松下村塾、縁側に座って兄弟子たちの喧嘩を眺めた記憶を想起する。冬のつめたさに身震いして、雪合戦ではしゃいだ。秋には萩が咲き、鈴虫やコオロギの鳴き声がよく聞こえた。夏の猛暑に皆が喘ぎ、西瓜やアイスを食べて、食べ過ぎた人はお腹を壊した。春は——そういえば、皆でお花見もしましたよね。焼け跡の記憶ばかりでもありませんでしたね。
少し汗ばむ肌を感じる。気温が高い。そろそろ、春と呼ぶには相応しくない陽気だ。次の季節の予感を、風に含まれる春の花の残り香とともに、矛盾のように味わった。
もうじき、夏が来る。
春去りて、春風は未だ
完。
➤
——松下村塾跡地から御暇して、少しあとのことになる。
たっぷり時間を使った乱闘で、兄弟子たちは三人とも息を切らしていた。夕焼けの鮮やかな色を眺めて、わたしは嘆息する。銀さんには片道八時間ほぼぶっ続けで運転していただいたので、もとより宿を取るつもりではあった。
あったのだけれど。
「この時間でどこか空いているかしら……わたし、さすがに一人部屋でお願いしとうございますよ」
なぜなら、とりあえず今日はもう乱闘になど巻き込まれたくないので!
「風流で静かで飯が美味い宿にしておけ」
「兄上は注文が多過ぎやしませんか」
無言で頭に手を乗せられたので「こめかみはいやッ!」わたしは首を振った。ハイハイと銀さんが兄上の腕を引き剥がし、その隙にわたしは小太郎さんの後ろに避難した。
「死人テロリスト兄妹はもちろんだけど、ヅラもそもそも取れるんか宿。騒ぎにならねえか。ドナルド・ヅランプでもヅラ小太郎でも」
「ヅラではない桂だ。まったくおまえはわかっていないな、こういうときのために変装道具はいつ何時であろうとも持っておくべきなのさ」
「指名手配犯の思考のまんまだよコイツ」
小太郎さんはドヤ顔で度の強い眼鏡をかけた。
「勉三さんふたたび」
「ただのヅラだろ」
「イメチェン未満じゃねえか」
「馬鹿にするな。真選組をも騙し通した変装だぞ」
兄上も銀さんも鼻で笑う様子なので「事実ですよ。具体的には鳳仙殿の件で、顔を合わせたのにまるで気づいていらっしゃらない様子でした」わたしが補足を入れると、今度は揃って愕然とした顔をなさった。
「ロケット団の変装よりお粗末だってのに……!」
「その眼鏡、なんだ。洗脳機能でもあるのか」
「ないでしょ」
兄上が笠を被り直し、わたしは小太郎さんから眼鏡をお借りした。度は入っていない。以前江戸城に侵入する際も利用した眼鏡である。これで本当にどうにかなるものだろうか……わたしも笠は被っておこう。
ふと、わたしは足を止める。二股の路地の左手先、大木の前に数人の人々が集い、なにやら困り果てたように顔を見合わせて、話し合っていた。
「……んー?」
銀さんが同じく気づいて足を止め「どーしたおばちゃんたち」のらくらとした態度でぬるっと話に入り込んだ。小太郎さんと兄上もそれぞれ、立ち止まる。
「あれはあれで、ある種の才能だな」
「癪なことに」
「まあ美徳とも難儀とも……あ、あら?」
銀さんの肩がガシッと掴まれて連れて行かれそうになっているので、わたしは慌てて小走りに駆けて「ど、どうしたんですか。連れですけれども」割って入った。
「あんたら……もしやアンタが産んだのかい!?」
「は↓い↑!?」
わたしは大混乱した。
「なァんで事実無根の隠し子疑惑が人生一度ならず二度も降りかかんだよ!!! 今回はよりによって妹分とォ!!!」
銀さんが絶叫した。
「どうしたどうした。おまえがヒカリに手を出していたとしたらさすがにフレネミー過ぎて手打ちにする他ないとして……」
「出して! ねえよ!! 俺はむしろだいぶ誰よりもおまえらの成就を願って辛労辛苦してきた側だろそろそろ俺も末っ子のごとく駄々をこねてやろうか!? 声を上げて泣いてやろうかァ!?」
「そもそもわたし子ども作れませんから産めるはずもありませんよ!?」
「てめーは一回口閉じてろ」
混乱のままに口走ったわたしの後頭部を兄上が引っ叩いて、小太郎さんの背後に押し込んだ。
「……で? この状況は何が何で何だ」
兄上もちゃんと混乱していた。
黄昏時は誰彼時と書くように、薄暗くて人の顔が見えづらい時間帯だ。幸いにして皆様は、割って入った相手が処刑されたはずの大罪人高杉晋助とも、今をときめく政治家ドナルド・ヅランプとも気づかなかった。知らない人だったから早とちりしちゃった、なんかごめんね……というかんじのノリで謝られ、ヤこっちも通りすがりで話にテキトーに入ってきてごめんね……という調子で謝り、なあなあに和解が成立したところで。
「赤子が神木の根元に捨てられていたんだ。ひとりは髪が白いからてっきりアンタの種だと」
「前もだいたいこんな流れだったんだけど。染めればいいんかこの髪」
「しかも癖毛だし」
「ああ〜ッ呪われし天パァ!」
のたうち回る銀さんを尻目にわたしは言った。
「わたしは……白髪でも癖毛でもありませんから少なくともわたしの子ではないかと存じます」
「おい! 流れるように見捨てようとすんな!! 兄貴に優しくしろ!!!」
地面から跳ね起きて訴える銀さんから顔を背ける。ここで兄ではないと反論すると確実にややこしくなることだけはわかっていた。
溜息をついた小太郎さんが「……その赤子とは?」と、口にした。
「地面に放置というわけにもいかんだろう」
「そこに」
「おおウン全然放置されているのか。まあよい、どれどれ、俺はかつて人妻たちに子守が得意と持て囃された神童……」
「おまえ本当にこいつでいいのか」
「ウーン……ハイ……他の方は嫌……」
「見る目があるけどまるでねえよこの子ったら……」
わたしたちも小太郎さんを追って、人々が集まっていた大木——たぶんこれが神木——の根元を覗き込んだ。
〝ひとりは〟という表現から薄々察していた通り、赤子はふたりいた。片方は眠っているのか目を閉じている。指摘された通り、薄暗くてもはっきりわかるほど、白く、うねった髪だった。片方はぱっちりと目を開けて、わたしたちを見た。薄色の……すすき色の髪に、不可思議な色合いを醸し出す、瞳。
「……オイ」
銀さんが引き攣った声を漏らす。
気持ちは大変よく分かった。わたしたち、たぶん誰もが一様に、信じられないという面持ちで赤子たちを見つめていた。
片方の赤子は、うねった白髪である。
もう片方の赤子は、すすき色の髪に、瞳は光の加減によって暗がりでは血の色のようにも見える。
「……まさか、まさかだよ? まさかだけど、」
パチリと白髪の赤子の目も開いた。黒々とした瞳が寸暇、宙を彷徨い——くしゃっと顔を歪める。
「ぅ、」
「あっ」
火がついたように泣き出した。
わたしは慌てて抱き上げてあやそうとして——かつて晴太さんと接した時期の癖が抜けきっていない己を今更知る——ふやふやとした頼りない感触に、途端に怖気づく。どっどうしよう。七年半ぶりですよこんなの。とりあえず縊り殺すのはだめなんですよね!?
「た、助けてください小太郎さん銀さんこれこの子どうしましょう」
「待て待て落ち着け。赤子は不安を的確に読み取るというからァア勢いが増したァ!? そうだなまずは子守唄を」
「子守唄なぞ生まれてこの方ろくに聞いたこともございませんよ!?」
「鬼滅の刃を思い出せ、炭治郎は作中子守唄を歌っていた! そう、僕たちは燃え盛る旅の途中で……ンこれ違う!?」
「おまえら両方落ち着け? てか赤ん坊ならあやしゃいいけどよ、中身どうなの、マジの赤ん坊なの、それ次第じゃだいぶキッツ——エこっちの方いつの間に指をコイツ力強くねッア゙指指指折れる痛いイッテェ! てめー赤ん坊の力じゃねえからつかガチ赤ん坊なら俺の悲鳴で泣かねえでもビビるふりぐらいしろや!! 今どこの何バージョンか知らねえけどこっちは中身確定だろ!!!」
「あにうえ、」
「や……宿取りに行ってくる」
「あにうえ! 置いてかないで! いよいよわたしが泣きますよ! 成人女性二十七歳恥知らずにも大声で号泣して差し上げますからね!! なんならもう既にけっこう泣きそう!!!」
「こ、こ、この愚妹……」
しかし人生は未だ途上!
ご高覧ありがとうございました。
気が向いたら後日談も投げにきます。