アビスの瘴気を浄化し、無事に千代を治した俺は、ゆっくりと立ち上がり、剣を拾って納めた。
そして仰向けにして穏やかに眠る彼女に、普段から左腕だけ隠す羽織を外し、そのまま身体に掛ける。
保険として彼女の周りに元素バリアを張ってアビスの魔物くらいなら容易く守れるし、雷神くらいならぶっ壊せるような脆さだ。
『そこまでする必要はある?』
「こんな所に居たら、こいつが風邪を引いちまうだろ」
心身共にアビスを浄化したとはいえ、ある種の病み上がりのような状態の可能性も考えての行動だ。
鬼が風邪を引くなんて笑い話にされるよりはマシだろと思い、身体を引きずりながら、山の下へ向かう。
『何処に行く?』
「アビスが濃く反応してる…あの山にある奴を浄化する」
『まだ左肩は治ってない。なにより地脈ごと吸収して浄化なんて無茶だ』
「山に着く頃には治る。やってみねぇと分からねぇだろ」
『はぁ……きみという人間は…いい加減にしろ!!』
トゥオネタルは呆れるような溜息を吐き、一呼吸してから怒鳴った。
だいたい諦める彼女が、珍しく怒るもんだから俺は思わずビクついて驚いた。
『不死の呪いを受けているとはいえ、きみは人間な事には変わりない!!』
『どれだけ治ろうと、痛み、苦しみ、疲労…精神の痛みはずっと残る!限りなく治らない傷だ!』
『カーンルイアのしてきた事が許されないとしても、それらの罪を償おうと…きみが一人で背負えるなんて傲慢だ!』
『きみは何も悪くないのに…怪我してばかりの姿を見て、わたしも心から苦しくて…辛くて…痛い…』
『頼むから、自分をもっと大切にしてほしい…』
カーンルイアに入ってから、何も出来なかった己の無力感から逃れようと、償いの為に剣を振るい、怪我しようが不死の呪いを利用して無視していた。
しかし、その行為がトゥオネタルの心を傷つけ、
相棒を泣かせるなんて…ひとりの人間として恥ずかしく俺は情けなかった。
「……悪い」
『嫌い…きみなんて嫌いだ…全て背負って無茶する…きみなんて』
「本当に…悪かった」
ここで無理なんて言ったら、二度とトゥオネタルが聞く耳も口も開かない自信がある。
それ程までに、こいつの説教と怒りは俺にとって一番効いた。
『本当に悪かったと思うなら、約束して』
『一人で背負わない。背負うなら、わたしも一緒だ』
『あとは過度な無茶…自己犠牲は今日で最後にして。特に自分の身を大切に』
『それでも約束を破ったら、わたしの力を全て使って…きみと死ぬから』
「マジの心中かよ!?覚悟決まりすぎだろ!」
『フン、不死の呪い関係なくきみを一人にするつもりはない』
約束を破ったら心中する覚悟に、流石の俺もドン引きした。
だが、それくらいトゥオネタルにとって俺は大切な存在なんだと心から理解し、同時に俺は反省した。
「約束する。無茶するのは、これで最初で最後だ」
『なら、速く行こう』
「ああ、さっさと終わらせるぞ」
足元が覚束ない状態で、俺は桃色の花が咲く大樹がある山へ向かう。
それにしても…誰かに怒られるなんてソリンディスとレリルくらいだったな。
「こんな所に大樹があるなんてな。あー…ナタの民たちから借りた本で見た桜って奴か?」
『この大樹から稲妻の地脈と強く繋がっている』
「なるほどな…アビスにとって取り込む餌って訳か」
アビスの気配を感じる所に向かった先は、1本の桜の木が立派に立っていた。
しかし、所々に花が枯れており、微かにアビスに染まっているのが見える。
2回ほど深呼吸し、俺は覚悟を決めて両手で桜を押さえる。
「行くぞ」
『準備はできてる』
「よし…ふぅ…うおおおおおぉぉぉ!!」
桜を汚すアビスを左腕で吸収し、浄化した光界の力を桜を通じて地脈へ送る。
所々に枯れていた桜の花弁は、再び息を吹き返した。
『くっ…地脈に侵食するアビスの方が速い!』
「だろうな!」
だが、現実は残酷だ。
どれだけアビスを吸収して浄化出来ようとも、所詮は人間一人の力だ。
ましてや稲妻の地脈を全て浄化しようものなら、アビスの侵攻速度の方が圧倒的に上といえる。
「それでもなぁ…諦めるつもりはねぇんだよ!」
だからといって諦めるつもりは俺にない。
普段より更に吸収と変換して放出を倍以上に加速させる。
心臓と全身の血管という血管が巡り、地脈の記憶や知識も脳に入らないよう受け流すが、それでも火の中で焼かれるような激痛と熱さを受け止める。
「ごふっ…!!」
『ダメだ!それ以上は不死の呪いがあっても…きみが…!』
暫く続けると、全身に変換された光界の力の結晶が血管と皮膚を突き破り、血が噴水のように飛び散って吐血する。
身体中に次々と光の結晶が生え、結晶だらけの俺の状態に、トゥオネタルは悲鳴に近い声で叫んぶも、それでも俺は緩めなかった。
死ぬことはないし、どつせ光の結晶だらけの人生を送る可能性が高いだけだと覚悟を決める。
「貴方は、まだ終わって良い人間じゃない」
突如、知らない女性の声が左側から聞こえた。
声が聞こえた方へ僅かな力で振り向くと、金色の瞳、毛先がまるで砂のような長い白髪の女性がいた。
微かに目を凝らすと、彼女の頭上には小さな金色の棒や時計のような装飾がぶら下がった、時計や天体を彷彿とさせる2つの巨大な金色の輪が浮かんでいる。
「誰…だ?」
『っ!?なぜ、きみが…』
「しー…私のことは後、手伝ってあげる」
そう言ってアビスを吸収する俺の左手の隣に、謎の女は右手で触れた。
すると、一瞬だけ巨大な力を感知すると同時に、アビスの勢いが急激に弱まったのを感じた。
「何をして…」
「稲妻の地脈に侵食するアビスを遅くした」
「遅く…した?」
「そう、今なら貴方が変換した光界の力で、一気に浄化できる」
俄には信じられない事を彼女は口にしたが、その真っ直ぐな目に、嘘をつく様子がなかった。
あまりの規格外な力で希望が切り開かれ、思わず俺は乾いた笑い声が出た。
「誰か知らねぇが…ありがとうよ!!」
そんな彼女に、感謝を口にした俺は肉体を限界ギリギリな状態で、一気にデカい桜を浄化した。
身体を突き破った光の結晶は消えていき、残ったのは光の結晶によって空いた傷穴だけだった。
「はぁ…はぁ…終わったのか?」
「うん、貴方のおかげで…無事に稲妻は救われたよ」
「ハハ……そうかよ…いってぇ…!」
やり遂げた俺は、思わず力が抜けて仰向けに倒れ直前、彼女は片手で背を支え、ゆっくりと横に倒してくれた。
それでも結晶で突き出た傷に激痛が襲いかかるが、そんな事はどうでも良かった。
俺の代わりにトゥオネタルは、目の前の知らない女に尋ねた。
『きみが自ら人前に姿を現すなんて…どう言う風の吹き回しなの?イスタロト』
「かの■■■■■の血を色濃く継いでいる彼に、監視もあるけど個人的に興味があったからだよ。分霊」
『…元祖帰りか』
「うん、彼は可能性があるからね」
聞いたことある名前が、トゥオネタルの口から出た。
イスタロト──天理の影とし四大執政の一柱。
馬鹿な俺でも理解できるように、当時トゥオネタルが天理と執政に関して教えてくれた中で知った執政の一人だ。
「ぐっ…一部何を言ったのか分からねぇが、そんな大物が俺に姿を見せて良いのかよ?」
「大丈夫だよ。貴方は誰にも言わない良い人なのは、カーンルイアの時からずっと見ていて知っている」
世間に知られるような話じゃないから、2人だけの秘密としていた。
仰向けの状態で話しかける形になっちまったが、特に気にすることはなかったようだ。
「そうかい……あん?ずっと見てる?」
だが、それ以上に危機捨てならない発言が飛んできて、思わず思考が止まった。
「なあ、ずっと見てるってそれ俺のプライバシー…」
「稲妻の問題も解決したことだし、私は行くね」
「あ、おい!?」
俺は思わず声を上げて止めようとしたが、それを無視したあいつは、左手で砂時計のような形をしたゲートを開く。
「まだ私に話したいことがあるなら、モンドに来ると良いよ」
足を止めて振り返り、そう言い残した彼女は帰って行った。
色々と言いたいことはあるが、一先ず俺のプライバシーが全て見られている事実に、何とも言えない気持ちになった。
『カスラ…』
「お前に言いたいことが沢山あるが…一先ず寝て良いか?」
『取り敢えず、休むといい』
何処か不安な気持ちが籠もった声でトゥオネタルに見守られながら、俺は瞼を閉じた。
カスラ
■■■■■の血を最も色濃く継いでいる故に、イスタロトにずっと監視という名の観察されていた。
イスタロト
カスラの観察は、無意味な時間を潰せる数少ない物であり、幼少期から今までずっと見てきている。
トゥオネタル
イスタロトの事を知っているらしく、彼女から分霊と呼ばれている。