前世で読んだ少女漫画の悪役令嬢・吉祥院麗華に転生した私。破滅を避けるため「謙虚、堅実」に生きると決めた入学式の日、漫画には出てこなかった男の子を見つけてしまう。
一人だけ立ったまま微動だにしない、六歳とは思えない落ち着き。もしかして、この子も転生者……!?


※原作未読でも読めます

1 / 1
謙虚、堅実をモットーに生きております!の二次創作が少なすぎるので自給自足
原作めっちゃ面白いのでぜひ読んでみてください!

原作様↓
https://ncode.syosetu.com/n4029bs/

※本作は少しでも原作への入口になれるように原作未読でも読めるようにしております。


悪役令嬢に転生したら、原作にいない男の子がいた。

 私、吉祥院麗華には、前世の記憶がある。

 そしてここは、前世で大好きだった少女漫画『君は僕のdolce』、通称・君ドルの世界だ。

 問題は、私の役どころである。

 君ドルの吉祥院麗華は、ヒロインをいじめ抜いたあげく、最後は皇帝こと鏑木雅哉に、家ごと叩き潰される悪役令嬢なのだ。

 冗談じゃない。

 なので私は、破滅を避けるべく「謙虚、堅実」をモットーに、目立たず、敵を作らず、こつこつ貯金をしながら、ひっそりと生きていくことにした。

 そう決意して、瑞鸞学院初等科に入学した、その日。

 私は、出会ってしまったのだ。

 君ドルには、出てこなかったはずの男の子に。

 

――――――――――

 

 入学式は、退屈だった。

 偉い方々のお話が、とにかく長い。前世の小学校の校長先生も話が長かったけれど、瑞鸞の偉い方々は、話が長いうえに品がある。品のある長話というのは、なかなか逃げ場がない。

 

「それでは皆さん、ご起立ください」

 

 ようやく立てる。座りっぱなしでお尻が痛かったから、ありがたい。

 壇上では、白いおひげの理事長先生が、ゆっくりと、丁寧に、とても長いお話を始めた。私は立ったまま、心の中で今日のおやつの予想をして、なんとか時間をやり過ごした。

 

「――ご着席ください」

 

 やっと終わった。私は、すとんと腰を下ろした。

 ところが、講堂が、ざわざわし始めた。

 なんだろうと顔を上げると、新入生の席の中に、一人だけ、まだ立っている男の子がいた。

 黒い髪の、色の白い男の子だった。少しうつむいて、目を伏せたまま、微動だにしない。まわりが全員座っても、保護者席がざわついても、ぴくりとも動かない。

 え、何あの子。

 隣の席の女の子に袖を引っぱられて、その子はようやく動いた。まず、こくん、と頭が下がった。それから、ゆっくりと腰を下ろした。

 

「いま、一礼なさったわ」

 

「壇上の理事長先生に向かって……」

 

 保護者席から、ため息のような声がもれる。壇上を見ると、理事長先生がハンカチで目元を押さえながら、深々とおじぎを返していた。

 いやいやいや。

 六歳ですよ? 六歳が、入学式の最後に、壇上へ一礼? あの落ち着きっぷり、あの、まわりに何を言われても動じない感じ。

 まるで、中身が大人みたいじゃないか。

 ……中身が、大人?

 私は、はっとした。

 それって、つまり、私と同じってこと?

 あの子も、前世の記憶を持っている、転生者なんじゃないの!?

 背中に、冷たい汗が流れた。

 もしあの子が転生者で、しかも君ドルを読んでいたら。私が将来の悪役令嬢だと、知っているかもしれない。目をつけられたら、どうしよう。破滅のきっかけが、皇帝より先に、あんなところに!?

 ひいいっ。

 その日の帰り、車寄せで迎えの車を待っていると、少し離れたところに、例の男の子がいた。入学式で袖を引っぱっていた女の子と一緒に、車を待っているらしい。

 女の子が、小さな紙の包みを渡していた。中から出てきたのは、桜の形をした、ピンク色の和菓子だった。

 男の子は、それを一口かじった。

 その瞬間、あの無表情が、ほんの少しだけ、ゆるんだ。

 ふわっと、目元がやわらかくなった。たったそれだけなのに、まわりの空気まで、ぽかぽかとあたたかくなったように見えた。

 ……あの顔、知っている。

 前世で、仕事帰りの先輩が、コンビニの新作プリンを一口食べたときの顔だ。一日の疲れが、全部とけていく顔だ。

 六歳の子どもが、する顔ではない。

 やっぱり、中身が大人なのでは。

 ……でも。

 帰りの車の中で、窓の外を流れていく街並みを見ながら、私は、もうひとつのことを考えていた。

 もし、本当に、あの子が転生者だったら。

 前世の話が、できるかもしれない。

 駄菓子屋さんの十円のガムのこと。給食の揚げパンのこと。夜中にやっていたテレビの通販番組のこと。コンビニの新作スイーツのこと。この世界の誰に話しても、絶対に通じないあれこれを、「分かる!」と言い合えるかもしれない。

 生まれ変わってから、私はずっと、一人だった。

 家族は大好きだ。お兄様は優しい。でも、私が本当はド庶民の元短大生だということは、誰にも言えない。言ったら、たぶん、病院に連れていかれる。

 この世界で、私と同じものを見てきた人が、もう一人いるかもしれない。

 怖い。けれど、ほんの少しだけ、胸がどきどきした。

 ……いやいや、浮かれている場合じゃない。相手は、私の破滅を知っているかもしれないのだ。気を引きしめないと。

 

――――――――――

 

 しかも、同じクラスだった。

 教室で、その子と目が合った。思わずちょっとだけ首をかしげてしまったけれど、向こうは、無表情のまま、じっとこっちを見ているだけだった。何を考えているのか、まったく読めない。

 ……ちょっと変な子なのかしら? それとも、やっぱり。

 怖い。

 自己紹介が始まった。さすがは瑞鸞、みんな好きなものが大きい。ポニーだの、パパのヘリコプターだの、うちのクルーザーだの。前世の私なら、好きなものは「駄菓子」一択なのに。

 私は、にっこり笑って、無難に名前だけを言っておいた。謙虚、堅実。目立たないのが一番だ。

 そして、例の男の子の番がきた。

 

「……あさぎり、なぎ」

 

 朝霧凪くん、というらしい。朝霧といえば、確か大きな病院のグループだ。

 先生に、好きなものも言うように促されて、朝霧くんは、面倒くさそうにもう一度立ち上がった。そして、たっぷり間をあけてから、ひとことだけ言った。

 

「……ごはん」

 

 教室が、しんとなった。

 ごはん。

 ポニーとヘリコプターとクルーザーの流れで、ごはん。

 私は、その意味を、必死に考えた。

 ……もしかして。

 前世の、白いご飯のことでは?

 瑞鸞の給食は、シェフが作る豪華なフレンチばかりで、ほかほかの白いご飯にお漬物、なんて質素なものは出てこない。わが家の食卓だってそうだ。前世の安舌を持つ私は、毎日、炊きたてのご飯と、たくあんと、お味噌汁が恋しくて恋しくてたまらない。

 まさか、あの子も、同じなの?

 前世の庶民の食卓が恋しくて、思わず「ごはん」と口にしてしまったの!?

 分かる。分かるよ、その気持ち!

 ……いや、だめだ。共感してどうする。相手は、私の破滅を知っているかもしれない転生者なのだ。

 見極めなければ。

 あの子が、本当に転生者なのかどうか。

 

――――――――――

 

 翌朝、朝霧くんの机の上には、お弁当が三つ並んでいた。

 どうやら、昨日の「ごはん」を聞いたクラスの子たちが、「おなかがすいているのかしら」と心配して、おうちのシェフに作らせてきたらしい。瑞鸞の子どもたちは、心が優しくて、財力がある。

 黒い漆塗りの重箱には、大きなエビの天ぷら。銀色のランチボックスには、耳を切り落としたサンドイッチ。紫色の風呂敷の中からは、朝霧くんの頭くらいある、まんまるのおにぎりが出てきた。

 どれも、シェフの本気が見える。

 朝霧くんは、その三つを、一時間目のチャイムが鳴る前に、全部食べた。

 黙々と。表情ひとつ変えずに。おにぎりの中から具が四つも出てきても、眉ひとつ動かさずに。

 教室中から、拍手が起きた。

 次の日には、五つになっていた。

 

「うちのシェフのほうが、おいしいもん!」

 

「ちがうよ、うちのシェフはフランスでいちばんになったんだから!」

 

 机のまわりでは、シェフ自慢の言い合いが始まっていた。瑞鸞の子どもたちは、張り合うものの規模が違う。

 朝霧くんは、それも全部食べた。

 私は、自分の席から、その光景をこっそり眺めていた。

 前世の運動会の日、母が作ってくれたお弁当を思い出した。唐揚げと、甘い卵焼きと、ウインナーのタコさん。シェフのお弁当には、たぶん一生かなわない。でも、あれはあれで、世界で一番おいしかった。

 ……いけない。しんみりしている場合ではない。

 あの子のお腹、いったいどうなっているのかしら。

 ……少し、うらやましい。

 いや、違う違う。私は見極めに来ているのだ。

 お弁当は、その日のうちに先生に止められた。空っぽのお弁当箱を見たおうちの人から、学校に電話があったらしい。そりゃそうだ。

 

――――――――――

 

 次の手がかりは、思いがけないところからやってきた。

 生活科の時間に、「しょうらいのゆめ」を一人ずつ発表することになったのだ。

 これは、チャンスだ。

 転生者なら、前世で何をしていたかが、将来の夢ににじみ出るはずだ。前世がお医者さんなら、お医者さん。前世が学校の先生なら、学校の先生。前世が公務員なら……いや、公務員は私の夢だった。

 クラスの子たちは、元気に発表していった。

 

「パパのかいしゃを、つぎます!」

 

「おうじさまと、けっこんします!」

 

「うちのクルーザーの、せんちょうになります!」

 

 クルーザーの子は、ぶれない。

 私は「みんなの役に立つお仕事がしたいです」と、ふんわりとした答えでやり過ごした。本当は公務員だけれど、吉祥院家の娘が「公務員になりたいです」と言ったら、大騒ぎになる。

 そして、朝霧くんの番がきた。

 朝霧くんは、のろのろと立ち上がった。教室中が、しんとなる。先生も、少し身を乗り出している。大病院の跡取りと言われている子の、将来の夢だ。みんな、気になるのだ。

 私も、ごくりとつばを飲んだ。

 朝霧くんは、たっぷりと間をあけて、言った。

 

「……ねたい」

 

 ……は?

 

「……いっぱい、ねたい」

 

 朝霧くんは、それだけ言って座った。

 ねたい。

 将来の夢が、寝たい。

 六歳の子どもの将来の夢が、「いっぱい寝たい」。

 そんな子ども、いる? いない。普通の六歳は、お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか、電車の運転手さんとか言うものだ。

 寝たい、なんて言うのは。

 

 ――前世で、寝る間もなく働いていた大人だけだ。

 

 私の頭の中に、満員電車に揺られ、終電で帰り、栄養ドリンクを片手に机にかじりつく、くたびれた大人の姿が浮かんだ。前世の私は社会人になってすぐに記憶が途切れているけれど、会社の先輩たちが「とにかく寝たい」「休みの日は一日中寝ていたい」と言っていたのは、よく覚えている。

 まさか、あの子。

 前世で、働きすぎて……!?

 なんてことだ。気の毒すぎる。もし本当にそうなら、今世ではゆっくり寝てほしい。いくらでも寝てほしい。

 私が一人で胸をいっぱいにしていると、先生が、感動したように手をたたいた。

 

「まあ、朝霧くん。すてきな夢ね! 患者さんが、いっぱい安心して眠れるような病院を作りたい、ということね?」

 

 教室中から、「すごーい」「さすがあさぎりくん」と拍手が起きた。

 ……絶対、違うと思う。

 朝霧くんは、拍手の中で、もう半分目を閉じていた。

 その日の帰り、私は車の中で、こっそりと決意した。

 もし朝霧くんが、前世で働きすぎた大人なのだとしたら。せめて今世では、彼の眠りを邪魔しないようにしよう。同じ転生者のよしみとして。いや、まだ転生者と決まったわけではないけれど。

 ……なんだか、だんだん、怖いよりも気の毒のほうが勝ってきた。

 

――――――――――

 

 こうなったら、まわりから攻めるしかない。

 次の休み時間、私は、朝霧くんの隣の席の女の子に話しかけた。入学式で、朝霧くんの袖を引っぱっていた子だ。

 

「日向さん、ちょっとよろしいかしら」

 

「はい。なんでしょうか、吉祥院さん」

 

 日向柚葉さん。背筋がぴんと伸びていて、言葉づかいがとても丁寧な子だ。六歳とは思えないくらい、落ち着いている。

 

「日向さんは、朝霧くんと、昔からのお知り合い?」

 

「はい。家がとなりです。生まれたときから、ずっといっしょです」

 

 生まれたときから。それなら、何か知っているかもしれない。

 

「朝霧くんって、その……とても大人びていらっしゃるわよね。入学式のときも、壇上の理事長先生に一礼なさったりして」

 

「あれは、ねていました」

 

「…………え?」

 

「立ったまま、ねていました。一礼ではありません。首が、かくんとおちたのです」

 

 日向さんは、ぴくりとも表情を変えずに言った。

 

「凪は、ねむいか、おなかがすいているか、どちらかです。それ以外のときは、ありません」

 

「……一つも?」

 

「ありません」

 

 日向さんは、きっぱりと言い切った。

 そんな人間、いる?

 ……いや、待って。生まれたときから一緒の幼なじみにまで、本当の顔を隠しているのだとしたら。それはそれで、筋金入りの転生者ということになるのでは。

 

「あの、日向さん。朝霧くんが、たまに、大人みたいなことを言ったりは……」

 

「しません」

 

「昔のことを思い出して、遠い目をしたりは……」

 

「するのは、お昼ごはんの前だけです」

 

 日向さんはそう言うと、小さくため息をついた。六歳のため息とは、とても思えない、深いため息だった。

 

「吉祥院さん。凪のことで、何かお困りでしたら、わたしにおっしゃってください」

 

 この子も、この子で、六歳とは思えない。

 まさか、この子のほうが……?

 と、思った瞬間、日向さんは自分のかばんから小さな紙の包みを取り出して、机に突っ伏している朝霧くんの頭の横に、そっと置いた。和菓子らしい。それから、朝霧くんの寝ぐせを、ちょいちょいと手で直してあげていた。

 ……ただの、世話焼きの幼なじみだった。

 日向さんは、直し終わった寝ぐせを見て、満足そうに小さくうなずいていた。保護者だ。完全に、保護者だ。六歳にして、もう保護者の風格がある。

 それにしても、日向さんの言うことが本当なら、朝霧くんはずっと眠いか、お腹がすいているかのどちらかということになる。

 でも、私は見てしまったのだ。

 次の算数の時間。朝霧くんは、教科書を立てて、その陰で、明らかに寝ていた。頭が、ゆっくりと前後に揺れていた。先生も、それに気がついたらしい。

 

「では、この問題を……朝霧くん」

 

 教室中が、朝霧くんを見た。朝霧くんは、のろのろと顔を上げて、黒板を見た。

 三秒ほど、黒板を見ていた。

 

「……じゅうに」

 

「せ、正解です」

 

 朝霧くんは、また教科書の陰に戻っていった。

 ちょっと待って。

 今、寝てたよね? 確実に寝てたよね? 寝ていたのに、黒板を三秒見ただけで、答えが分かるの?

 いや、小学一年生の算数だから、私だって分かる。前世の記憶があれば、誰だって分かる。

 

 ――前世の記憶があれば。

 

 やっぱり、怪しい。

 

――――――――――

 

 こうなったら、直接試すしかない。

 私は、作戦を立てた。

 転生者なら、前世の言葉に反応するはずだ。瑞鸞の子どもたちが絶対に知らない、庶民の小学校の言葉を、さりげなく聞かせてみればいい。

 問題は、どの言葉にするかだ。

 「給食当番」? いや、これは瑞鸞の子でも、言葉くらいは知っているかもしれない。「ソフト麺」? 地域によっては出ないと聞いたことがある。前世の出身地が違ったら、空振りだ。「冷凍ミカン」? 悪くない。でも、普通のミカンを凍らせただけだと思われたら、それまでだ。

 もっと確実に、全国の小学生の心をつかんで離さない、あの給食の王様がいい。

 私は、決めた。

 給食の時間。食堂で、朝霧くんの近くの席になった私は、あくまで独り言のように、小さな声でつぶやいてみた。

 

「……揚げパン」

 

 前世の給食の、王様である。きなこと砂糖をまぶした、あの揚げパン。瑞鸞の子は、まず知らない。

 朝霧くんの肩が、ぴくりと動いた。

 反応した!

 朝霧くんは、ゆっくりとこっちを向いた。眠そうな、伏し目がちの目が、まっすぐに私を見た。

 来る。何か、来る。

 

「……たべたい」

 

 やっぱり、知ってるの!?

 

「……あげぱん、って、なに?」

 

 知らないんかい。

 肩から、すとんと力が抜けた。ほっとしたのと同時に、ほんの少しだけ、がっかりしている自分がいて、私はちょっとびっくりした。

 

「……たべもの?」

 

「……ええ、まあ」

 

「……たべたい」

 

 知らないのに、食べたいの!?

 朝霧くんは、名前しか知らない揚げパンに思いを馳せるように、遠い目をしていた。そして、そのまま、お皿の上に積み上げられた野菜の山を、黙々と食べ始めた。クラスの子たちが、嫌いなピーマンやにんじんを、次々に彼のお皿へ押しつけていたのだ。それを全部、文句ひとつ言わずに食べている。

 この子は、たぶん、食べ物なら何でもいいのだ。

 ……いや、まだだ。まだ分からない。前世の私だって、知らない食べ物の名前を聞いたら、とりあえず「食べたい」と言ったと思う。

 

――――――――――

 

 そして、運命のデザートの時間がきた。

 その日のデザートは、プリンだった。とろとろの、カラメルがほろ苦い、シェフ特製のプリン。私は一口ずつ大事に食べて、あっという間に食べ終わってしまった。

 

「デザートのおかわりをご希望の方は、どうぞこちらへ」

 

 給仕さんの声に、私はさりげなく、あくまで優雅に立ち上がった。食堂の壁ぎわのワゴンに、プリンが、ひとつだけ残っていたのだ。

 ひとつだけ。

 私は、ワゴンに近づいて、プリンの器に手を伸ばした。

 そのとき、反対側から、もうひとつの手が伸びてきた。

 朝霧くんだった。

 私たちは、ひとつのプリンを、二人で持っていた。

 

「あら。朝霧くんも、プリン、お好きなの?」

 

「……ん」

 

「そう。わたしも、だいすきなの」

 

 笑顔は崩さない。でも、指は離さない。これは譲れない。前世から、プリンは私の大好物なのだ。

 朝霧くんも、指を離さない。じっと、私の目を見ている。

 これは、試されているのかもしれない。

 転生者同士の、無言の駆け引き。どちらが先に引くか。ここで負けたら、私は、彼に弱みを握られるのでは――。

 いや、そもそも、ここで引いたら、私の大事なプリンが食べられない。それは弱みとか以前に、純粋に悲しい。

 朝霧くんの目は、伏し目がちで、何を考えているのか読めない。ただ、プリンへの思いだけは、指先から、ものすごく伝わってくる。私も負けじと、指先に力をこめた。

 小学一年生が二人、ワゴンの前で、ひとつのプリンを握りしめて見つめ合っている。冷静に考えると、ものすごく間抜けな絵だ。でも、今はそんなことを考えている場合ではない。

 食堂中の子どもたちが、息をのんでこっちを見ていた。隣のクラスのテーブルの鏑木雅哉まで、頬杖をついたまま、ちらりとこっちを見た。やめて。皇帝の視線だけは、本当にやめて。

 私は、朝霧くんの目を見つめ返した。

 朝霧くんの目は、だんだん細くなっていった。

 だんだん、だんだん、細くなっていった。

 そして、完全に閉じた。

 ……ん?

 すう、すう、と、小さな寝息が聞こえた。

 朝霧くんの指が、プリンの器から、するりと離れた。

 寝た。

 この子、プリンを賭けた真剣勝負の真っ最中に、立ったまま寝た。

 

「あさぎりくんが、れいかさまに、ゆずった!」

 

「プリン、ゆずってあげたんだ!」

 

「おうじさまみたい……!」

 

 食堂が、わっと沸いた。ちょっと待って。違う。これは譲られたんじゃない。この子が、寝ただけだ。

 朝霧くんは、隣の席の女の子に肩を揺さぶられて、ぼんやりと目を開けた。私は、彼にだけ聞こえる小さな声で言った。

 

「……あなた、いま、寝てたわよね?」

 

「……ねてない」

 

「目、閉じてたわよ」

 

「……やすめてた」

 

「すうすう言ってたわよ」

 

 そんな転生者がいるか。

 大人の中身を持った人間が、プリンの前で寝るか。寝ない。前世の私なら、プリンを前にして寝るなんて、絶対にありえない。

 私は、みんなのほうを振り返った。

 

「あの、みなさん。これは、ゆずってもらったのではなくて――」

 

「あさぎりくん、かっこいい!」

 

「おうじさまー!」

 

 私の声は、拍手にかき消された。

 ……もう、いい。

 

「ありがとう、朝霧くん。いただくわね」

 

 私は、にっこり笑って、プリンを受け取った。

 席に戻ると、芹香ちゃんと菊乃ちゃんが、目をきらきらさせて待っていた。

 

「麗華様、よかったですね。朝霧くんに、ゆずってもらえて」

 

「朝霧くん、おやさしいですね」

 

「……ええ。ほんとうに」

 

 私は、にっこり笑ってうなずいた。笑いながら、スプーンを持つ手に、ぎゅっと力が入った。

 違うのよ。譲られたんじゃないのよ。あの子は寝ていたのよ。

 でも、そんなことを言ったら、「せっかく譲ってもらったのに、なんてことを」と思われるに決まっている。謙虚、堅実。和を以て尊しとなす。ここは、黙って受け取るのが正解だ。

 プリンは、おいしかった。とても、おいしかった。

 なのに、なんで負けた気がするのかしら。

 ちらりと振り返ると、朝霧くんは、自分の席で、空っぽのガラスの器をじっと見つめていた。とても、とても悲しそうな顔で。

 ……もしかして、本当は、ものすごく食べたかったの?

 だったら、寝なければよかったのに。

 私は、最後の一口を、ゆっくりと味わった。ほんの少しだけ、申し訳ない気がした。でも、返さない。これは、もう私のプリンだ。

 

「……やっぱり、ちょっと変な子ね」

 

 小さくつぶやいた声は、たぶん、誰にも聞こえなかったと思う。

 

――――――――――

 

 その夜、お兄様にプリンの話をした。

 もちろん、寝ていた件は伏せた。「同じクラスの朝霧くんという子に、プリンを譲っていただいたの」とだけ話した。悔しいけれど、世間的にはそういうことになってしまったのだ。

 

「朝霧くん? ああ、朝霧さんの弟さんか」

 

「お兄様、ご存じなの?」

 

「お姉さんが、僕の同級生だよ。朝霧椿さん」

 

 お兄様はそう言って、ほんの少しだけ、楽しそうに笑った。

 

「どんな方ですの?」

 

「そうだなあ。学院では、とてもおしとやかな人だと言われているね」

 

「学院では?」

 

「うん。学院では」

 

 お兄様は、それ以上は何も言わずに、にこにこしていた。

 ……お兄様? 今の笑顔は、何ですの? 「学院では」って、どういう意味ですの?

 朝霧くんの謎を解く前に、新しい謎が増えてしまった。

 

――――――――――

 

 最後の確認は、プティピヴォワーヌのサロンでするつもりだった。

 サロンは、お菓子が食べ放題なのだ。もし朝霧くんが、大人の中身を持った転生者なら、少しは遠慮するはずだ。前世の大人の常識というものがある。

 サロンに入ると、入り口のあたりに、上級生のお姉様方の人だかりができていた。

 

「まあ! あなたが、椿お姉さまの弟さん?」

 

「目元が、椿お姉さまにそっくり……!」

 

 人だかりの真ん中で、朝霧くんが、お菓子の乗ったお皿を次々に渡されていた。

 椿お姉さま、というのは、お兄様の言っていた朝霧椿さんのことだろう。どうやら、プティピヴォワーヌでは、知らない人のいない有名なお姉様だったらしい。「おしとやかで、小鳥のように少しずつ召し上がる方だった」と、お姉様方がうっとりと話していた。

 あのお兄様が、少し楽しそうに笑うほどのお姉様。いったい、どんな方なのかしら。

 お皿をお菓子でいっぱいにしてもらった朝霧くんは、ぺこりと頭を下げると、窓際の隅のソファに座った。

 ケーキを食べていた。

 マカロンを食べていた。

 クッキーと、シュークリームと、タルトと、ゼリーを食べていた。

 隣に座った女の子が、紅茶を飲みながら、静かに「それで、十個目です」と数えていた。

 遠慮のかけらもない。

 あの子、来てからずっと食べてるわね……。

 ちなみに、部屋のまんなかの特等席では、鏑木雅哉が、チョコレートをつまみながら、退屈そうに窓の外を眺めていた。うっかり目が合ってしまったので、私は「あら、教室に用事を思い出しましたわ」という顔で、さりげなくサロンを後にした。皇帝の観察は、命がけなのだ。

 翌日、サロンで、上級生のお姉様から、こんな話を聞いた。

 

「昨日、朝霧様がケーキのお皿を持ったまま、ソファでお休みになっていらしたの。それがあまりにお可愛らしくて、みんなで『朝霧様を見守る会』を作りましたのよ」

 

 また寝てたのか。

 ケーキを持ったまま、寝てたのか。

 しかも、会ができている。見守る会。いったい何を見守るのだろう。寝顔だろうか。食べっぷりだろうか。瑞鸞のお嬢様方の考えることは、ときどき、私の想像を軽々と飛び越えていく。

 

「麗華さんも、よろしければ入会なさらない?」

 

「い、いえ。私は、遠くから応援しておりますわ」

 

 謙虚、堅実。余計な会には入らない。

 私は、心の中で、そっと結論を出した。

 あの子は、転生者ではない。

 前世の記憶も、大人の中身も、たぶん、ない。

 あるのは、食欲と、睡眠欲だけだ。

 

「……ただの、変な子だわ」

 

 私は、ため息をついた。

 まったく、人騒がせな。入学式の日からずっと、無駄にびくびくしてしまったじゃないか。

 でも、まあ。

 あの子が転生者でないのなら、私の破滅を知っている人は、やっぱりこの世界に、私一人だけということだ。

 揚げパンの話ができる相手も、十円のガムの話ができる相手も、この世界には、いない。

 それは、少しだけ心細くて、少しだけ、ほっとすることだった。

 まあ、いいか。前世の話はできなくても、プリンを取り合う相手くらいは、いるみたいだし。

 次こそは、ちゃんと勝ってみせる。起きている朝霧くんに。

 ふと、サロンの窓際を見る。

 今日も朝霧くんは、隅のソファで、黙々とマカロンを食べていた。窓から差しこむ光の中で、伏し目がちに、静かにお菓子を口に運ぶ姿は、まるで一枚の絵のようだった。上級生のお姉様方が、少し離れたところから、うっとりと見守っている。

 ……見た目だけなら、孤高の王子様ってところかしら。

 中身は、プリンの前で寝る子なのだけれど。

 




この男の子・朝霧凪の本当の中身は、連載『【謙虚堅実】朝霧様を見守るスレ【孤高の王子様】』で読めます。
連載はこちら:https://syosetu.org/novel/431981/

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。