十一月の朝。車は渋滞し、ラジオは世界の終わりを告げている。ゴジラに蹂躙された東京へ、国連軍が最終作戦――L作戦を決行しようとしていた。
あなたと娘の若葉は、政府から届いたシェルター『希望』の入場許可証を持って、自衛隊基地へ向かう。だが基地のゲート前はシェルターに入れない人々で溢れていた――
【投稿者コメント】
・一話完結のゴジラの二次創作の短編です。オリジナルストーリー。
・簡単にいうと、ゴジラ映画版『グリーンランド -地球最後の2日間-』です。
・本作では珍しい2人称スタイルを実験的に採用しています。読むのはちょっと疲れるかも?
・全体的に重い話で、虫による吸血描写もあるので、苦手な人は要注意です。救いはありません。
・『ゴジラ(1984年版)』及び『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(GMK)』の要素を一部オマージュ・発展させていますが、世界観は独立しています。
【備考】
※プロットの推敲、劇中の細かい表現・描写の発案、基本情報の調査に一部生成AI(DeepSeek及びLeo AI)を使用した。
【追記】
ハーメルンはまだ仕様に不慣れで、記法や小説の体裁・情報の各項目の扱い方がいまいちです。
あなたは朝早くから車を運転している。
十一月の朝の空気は乾いていて、車の窓がうっすら白く曇っている。ヒーターの効きが悪いのか、足元だけが冷たい。
道路はどこも渋滞で車はなかなか進まない。
クラクションがやかましい。
そのクラクションからは焦りや恐怖が感じられる。――みんな少しでも安全な場所に逃げたいのだ。
あなたはニュースを聞こうとラジオをつける。
『――東京はまさに生物の墓場といった惨状です……国連軍による酸素破壊剤の投入にも耐え抜いた……は、破壊活動を再開……これを受けて、札幌の臨時日本政府は……』
背筋が凍る。
ラジオはノイズが多い。信号待ちの車内で、自分の呼吸の音だけがやけに近い。
以前なら気が滅入れば、チャンネルをすぐに変えていたが、今ではあらゆるチャンネルが悲惨な報道だ。
窓の外では、どこかのビルから黒い煙が細く立ち上っている。ただの火事か。それとも略奪か。風が煙を南へ流していく。十一月の乾いた風。
助手席に座る娘、若葉の様子を見る。
高1の少女、若葉はとても不安そうな顔でスマホを見ている。
若葉はスマホを見つめ、感情のない声でつぶやく。
「この攻撃が失敗したから――始まるんでしょ。……L作戦」
安心させようと、あなたは口を開く。
「L作戦が始まっても……俺たち父娘は大丈夫だ。入場許可証があるんだから。心配するな」
けれども、若葉は困惑する。
「――そうじゃなくて。L作戦、国連の核攻撃が始まったら、地上のみんなは全員……」
「……」
「シェルターに入れない人はみんな死んじゃうよ。……お父さんは本当にそれでいいの?」
若葉はスマホの待ち受けを見つめている。海辺で笑う母と幼い若葉。
「――お母さんなら、こんな時どうしたかな」
「……分からない」
「お母さんなら、きっと怒るよね。『自分だけ助かるなんて……』とか。『こんなの無理っ!助けなきゃっ!』とか言ってさ……」
若葉の問いかけに思い悩みながらもあなたは切り出す。
「――そのことはもう考えないって約束しただろう!……忘れろ、忘れるんだ……」
「……お父さん、忘れろだなんて」
若葉は悲痛な声を上げる。
「……ごめん。……ごめんな、若葉。言い過ぎた……」
――俺たち父娘は運がよかったんだ。スマホに通知されたこの『入場許可証』がある。今から安全なシェルターに入場できるはずだ。シェルターに入ることができれば、俺と大事な娘は助かる。
「――あ、そうだ、お父さん」
若葉が、場の空気を切り替えようとしているのか、少し明るい声を作ってつぶやく。
「ん、なんだ?」
あなたもぎこちなく明るい声を作って言葉を返す。
「今から行く基地ってWi-Fiあるかな」
「……分からない。……だけど、多分、あるんじゃないかな。……ははは」
『――攻撃が失敗したことを受けて、各国の政府は人類存続計画を開始……一部の人間のみを保護するこの計画には批判が強く……各国で抗議や暴動が……』
けれども、ラジオが伝えるのは悲惨な世界のニュース。
『――ゴジラに蹂躙された各国では……特異型寄生虫、通称"ショッキラス"が蔓延し、大きな脅威と……』
「……早く基地に行って輸送機に乗らないと。なのに……」
あなたは目の前の渋滞を呪う。
――L作戦の開始まで時間はまだある。
ゴジラが人口密集地を離れた後に、最初の核攻撃が行われる。
ゴジラは多少北上しているが、いまだ都心を焼いている。基地まであと数分のところにいるんだ。間に合うはずだ。
◇
ようやく渋滞が動き出す。
車を少し進めると、自衛隊基地の正門が見えてくる。
「――なんだ、あれ?」
基地のゲート前は群衆で溢れている。
窓を開けなくても分かる。汗と、怒号と、不安が混ざった熱気を。この群衆は入場許可証を持った避難者ではない。
「……抗議者……だね」
若葉が的確に表現する。
怒り、憎しみ、嘆き……
負の感情が渦巻くゲート前はもはや戦場のようだ。
「乗せろ」のプラカード。スマホを掲げて配信する若者。警察官に詰め寄る男。――いつ暴動になってもおかしくない。
その中に、赤いコートを着た若い母親が赤子を抱き、ゲート前に立ち尽くしている。泣きそうな顔でふと車の方を見る。茶色の巻き髪は乱れ、化粧も落ちているが、日常が崩れ去っていなかった数年前ならギャルママと呼ばれていたかもしれない。
彼女は我が子を必死に愛おしそうに抱きしめている。不意に視線が交わる。けれどあなたはすぐ目をそらす。
――この基地は、入場許可証を持った民間人が輸送機に乗るための秘密の指定場所のはず。……どこからか情報が漏れたのだろうな。
幸い、警察官と警備の自衛官らが基地に入る車道を確保して規制線を張っている。基地の中には入れそうだ。
「――抗議している人たち、シェルターに入れないんでしょ?あの赤ちゃんも……警察官や自衛隊の人も……」
若葉のいう無慈悲な事実があなたの心をかき乱す。
――L作戦が始まってしまったら、シェルターに入れなかった人たちの無念はいったいどこに行くのだろう……
そんなことをあなたは考えて、けれども、すぐに頭を振る。
「――やめてくれ。お願いだから、そのことは考えないでくれ。……お父さんは若葉に生きていてほしいんだ。ただ、それだけなんだ……それだけで、お父さんは、精一杯なんだ……」
必死に吐き出したあなたの言葉に、若葉はしばし言葉を失う。
ダッシュボードに貼られた、笑顔と希望にあふれた3人の家族写真に目を移す。
あなたと若葉、そして数年前、交通事故で天国に旅立った愛する妻の家族写真。
あなたはダッシュボードから家族写真を外し、胸ポケットにしまおうとする。その時、ふと『入場許可証』に添付されていた政府の説明を思い出す。
「……『希望』」
◇
――北海道の某所に密かに建造されていたという地下シェルターの名前も『希望』だった。
けれども、『希望』はその名前とは裏腹にたった2万人しか収容できないとも添付ファイルには記されていた。
……2万人。
それも収容人数のうち1万人は選抜枠だ。
L作戦――正しくは
コンピューター抽選で世帯ごとに選ばれる、ただの民間人の枠も僅か1万人。1億を超える日本人のうちの……
――こんなことが許されるのか?
あなたは毎日そう自問してきた。自分のスマホに「【重要】シェルター『希望』入場許可証」という日本政府からの秘密のメッセージが届けられた日から。
最初の数日は夜もろくに眠れなかった。仮に眠れても見る夢は決まって悪夢だった。
夢の中で自分と娘はシェルターで無事生き延びる。けれども、肉親や友人は、核の炎で生きながら焼かれていく。
多くの人間を見殺しにするという残酷な選択肢を前に、毎晩毎晩うなされた。
そして、シェルターに入り、一人娘を守るという道をあなたは選んだ。
――若葉を守るためなら、生き残るためなら、知らない人間の不幸や無念なんて俺には……そうだ、いつもやってきたことだ……
あの国では戦争が続いている。
その国では内戦と水害のせいで大きな被害が。
どこかの国では学校にミサイルが――。
あなたもそんな戦争や災害のニュースを見れば、本当は胸が痛んでいた。
けれども、あなたはチャンネルを変えて、いつもこう言ってきた。『いや、楽しいことだけ見ていよう』『俺たちには関係ないことだ』と。
自分にはどうすることもできない世界の出来事なんて考えてもしょうがないじゃないか、とあなたは自分に言い聞かせてきた。
そうやって自分を騙してきた。世の中があまりにも残酷だから。
あなたは心の中で繰り返す。
――そうだ、俺は……赤の他人の生き死になんて……
◇
やがて、抗議の喧騒の中、車の列が進む。
コンコンと車の窓が叩かれる。
「――お名前とスマホの入場許可証をどうぞ。」
入場許可証の確認を行っている自衛官がスキャナーを持って立っている。
自分の名前を告げ、スマホ画面の入場許可証を提示する。
入場許可証が無事にスキャンされる。
「問題なし。――急いでください。L作戦の実施が早まるって話ですから」
自衛官の言葉に思わず聞き返す。
「L作戦が早まる?」
「ゴジラが都心を焼き尽くしたんでね。待つ必要がなくなった。――国連軍は焦土の東京に、さらに核を落とすつもりなんです。……あぁ、クソ。この基地だって東京からそんなに離れちゃいねえってのに……」
自衛官は天を仰ぐ。
――しかし、その名が示すのは、人類最後の反撃ではなく、地上の全ての
だから人々は
「……」
言葉を失っていると、警笛と群衆の叫び声が後ろから聞こえてくる。
「乗せろ!」「入れて!」「通せ!」
抗議者が規制線を突破して、ゲートに殺到してくる。
赤子を抱いた赤いコートの若い母親が、あなたの車の窓を必死に叩く。窓ガラス越しに、彼女の手のひらの温度が伝わってくる気がする。赤子の泣き声が、ガラスを震わせている。
「お願い!せめてこの子だけでもさ!お願い!」
しかしその若い母親は先程の自衛官に止められる。
「下がって、下がってください。」
「お父さん!入れようよ!」
若葉が叫び、窓を開けようとする。
「駄目だ!開けるな!絶対に開けるな!」
あなたはドアノブに伸びた若葉の手首を強く掴む。
その細さに、あの日の記憶がよみがえる。
――妻の事故の日。俺は若葉の手を握っていた……スーパーの帰り、アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢者の車が暴走してきて……妻はブロック塀に押し付けられて……パニックを起こした運転手はアクセルを踏み続け……若葉は動き続ける車に近付こうとして、俺は必死にその手を掴んで……
「……開けるな」
自分の手が震えているのが分かる。若葉の手首を掴む力が、少し緩む。
若葉は手首を痛いほど強く掴まれているが、それでも赤子を抱いた若い母親から目を離さない。
「――本当の親と引き離した方がずっと不幸だ……それに、許可証がない赤ちゃんだけが乗れるわけもない……」
若葉は言葉に困り、震えながら赤子を抱いた若い母親を見つめる。
「――人でなし!人でなし!」
赤いコートの女が、狂ったような声で窓を叩き始める。その声は、ガラスを震わせ、あなたの鼓膜を直撃する。
自衛官が仲間を呼び、赤いコートの女を押さえつける。
「おい、基地の中に入れるなよ!……あなたたちは早く基地に入って!さあ、早く!」
先程の自衛官は警察官と協力して、抗議者の制圧に乗り出し、あなたに指示を飛ばす。
車を基地の中に走らせるが、あなたの脳裏に残るのは――赤いコートの若い母親の「人でなし!人でなし!」という絶叫。赤子の泣き声。抗議する者たちの怒りと憎しみと嘆きの視線。
◇
『――先月ゴジラに蹂躙されたヨーロッパでは……被災を免れたイギリスに多くの難民と特異型寄生虫が……』
『――国連軍はLA作戦、大規模核攻撃の実施を早めるとの声明を出しました……これを受けて、札幌の臨時日本政府は東日本の全住民に屋内待機を呼びかけています……』
『――ゴジラの正体を戦争の犠牲者の怨念だと捉える投稿がSNSで拡散され、支持されていることについて、専門家も、ある種のエネルギー、残留思念とでも呼ぶべき……』
基地の内部――避難者のために用意された格納庫の中は、静かで落ち着いている。ゲート前の戦場のような騒然さが嘘のよう。
だが、ラジオが洪水のように垂れ流している世界の話は悪夢だ。
あなたはニュースから気をそらそうと、胸ポケットから家族写真を取り出して、別のことを考えようとする。
――けれども、頭の中で浮かぶのは、赤いコートの女の悲痛な叫びと無垢な赤子の泣き声。それが決して離れない。
『お知らせします。入場許可証をお持ちの民間人は北海道行きの輸送機の搭乗準備をお願いします。』
格納庫の中で自衛官が一人、拡声器を使って呼びかけている。
若葉はスマホを眺めている。
不安を紛らわしたいのかYouTubeで推しのVチューバーの配信を見ている。けれども、イヤホンがないので音が漏れている。避難の混乱の中、忘れてきたらしい。
◇
『――皆さん、おかにちはー!今日も世界の闇を動画で暴く、オカルト系Vチューバー「シオン」……だよー!これが最後の配信……』
若葉のスマホの中でVチューバーが何やら語っている。
あなたは格納庫の自衛官が配ってくれた温かいコーヒーを持って若葉に近付く。紙コップから立ち上る湯気が、冷えた指先を温める。インスタントの、少し安っぽい匂い。けれど、この状況でこれほど心安らぐ匂いもない。
「このVチューバー、母さんも好きだった配信者だよな。――ほら、飲むか?温かいコーヒーだ。」
あなたは若葉に語りかける。
「え?ああ、コーヒーありがとう……お母さん、超常現象好きだったからね――あ、あたしもか。あはは」
声をかけられて一度驚くが、若葉は微笑む。あなたもつられて頬がゆるむ。けれど、コーヒーを受け取る若葉の手が少し震えていることに気付く。紙コップが、かたかたと小さく音を立てる。
「これから飛行機に乗るんだ。トイレ行っとけよ」
「やだ、お父さん。……もう」
スマホの中ではVチューバーが配信に寄せられたコメントをいくつか読み上げている。
『――ゴジラの正体? ボクはチャンネルで何回も言ってるけど、あれは戦争や暴力で死んだ人たちの残留思念の集合体だと思うよ。だって、あの怪獣、戦場や軍事基地に気付くと真っ先に軍隊を攻撃してきたじゃん。ウクライナ、ガザ、ホルムズ海峡、アフリカの内戦地帯、38度線、沖縄……ゴジラ自身も戦争の被害者なのかもね。だって、あんなに苦しそうな目をしてるじゃん』
「――残留思念ねぇ」
訝しむあなたに若葉が反論する。
「でも、ゴジラは砲弾が当たっても死なないよ。生き物なら死ぬはずだよね?」
「……戦争の犠牲者の……残留思念?つまり怨念がゴジラなら……なんで……俺たちまで巻き込むんだ……」
「……わかんない。」
『――うん。うん。このゴジラ、公式情報だとウクライナで初めて出現したことになっているから、「昔の原発事故の放射能が生んだ化け物!」って噂も最初は確かにすごく流れたけどさ。……どうも東アフリカの某国での目撃が一番古いんだよね。えっとね、この辺……』
スマホの中でVチューバーがアフリカ大陸の地図を映し、ゴジラの目撃場所を説明している。――まったく知らない国だ。
「ゴジラはアフリカから来た? 初めて聞いたな……」
Vチューバーの解説に驚いていると若葉があなたを見て言う。
「え、お父さん知らないの? ちょっと前からSNSで流れてたよ。――みんな気付かなかっただけで、ずっと前からいたのかも、ゴジラ」
『――ただ、その国、世界最悪の内戦が何年も続いているのに、世界からずーっと無視されてきた、気の毒な国だからさ。詳しい情報が全然なくて、本当なのかはボクにも分からないんだけどね』
ゴジラに破壊されたのか、内戦で破壊されたのかは定かではないが、動画には、潰され、焼かれた集落や森の映像が映されている。
格納庫内の空気が、一瞬重くなった。
「……ゴジラ、アフリカの奥地からそのまま出てこなければ……世界は平和だったのに……」
あなたが思わずこぼした本音を聞き、若葉は一瞬眉をひそめる。
「……いや、そんな言い方はよくないな。うん。」
『――うん、みんなお別れだねー!いくらゴジラを倒すためだからってあんなに核ミサイルを撃ち込んだら、日本は、ううん、世界は完全におしまいだもんね……虫が蔓延してる地域も全部焼くって噂だし。もう人類も半分以上死んでいるんだから、ここまで生き残っただけでもすごい方なんだけどさぁ。……それじゃ、本当にさような――ん、え、この揺れって……』
◇
Vチューバーの配信が途中で止まる。
直後、地鳴りのような低い振動を感じる。
「え、なにこれ」
若葉がスマホを落として天井を見上げる。
格納庫の天井の照明が揺れて、埃が落ちてくる。避難者が次々悲鳴を上げる。自衛官が「動くな!」と叫んでいる。
地震?――いや……いきなり鋭い衝撃が来るこの感じは、いつもの『地震』とは少し違う。そして、この揺れがいきなり収まることをあなたは奇妙に思う。
『――速報です。先程関東で強い揺れを確認しました。気象庁は……えー、失礼しました。状況と振動の特性から判断して、これは……メガトンクラスの巨大核爆発による振動の可能性が高いというコメントを出しました。……LA作戦の第一撃、国連軍の核攻撃が実施された模様です。関東にお住まい、あるいは移動中の方は直ちに窓を閉め、換気扇を止め、屋内に待機してください。繰り返します――』
ラジオが伝える内容に格納庫の中は一瞬静寂に包まれる。
◇
『――お知らせします。次の輸送機に搭乗する避難者の受付番号とお名前をお知らせします。受付番号……』
あなたは格納庫に流れるメッセージがなかなか自分たち父娘の名前を呼ばないことにいらだち始める。
「――見えたよ、お父さん」
格納庫のシャッターの近くまで行って、空の様子を見てきた若葉が告げる。
「……都心の方に――バカみたいに大きなキノコ雲」
「……死の灰がこれから降ってくる。輸送機に乗るまで外には出ないでくれ……ここで待とう」
立ち上がる気力もないあなたは弱々しく返事をする。
『――都心には大きなキノコ雲が見えます。国連軍の偵察ドローンは核爆発で形成されたクレーターの映像を送っていますが、ゴジラの存在はいまだ確認できていません。専門家はゴジラが地下に潜った可能性を指摘しており、国連軍はゴジラが健在の場合、直ちに第二撃、同時かつ多重的な核の飽和攻撃を実施するとの声明を――』
ラジオの音声は途中で金属的な乾いた音で遮られる。
「――銃声!」
あなたは叫び、立ち上がる。格納庫の中も再び騒がしくなる。
外から一人の自衛官が格納庫の中に走ってきて他の自衛官に何かを連絡している。
あなたは近くにいる自衛官に尋ねる。
「な、何があったんですか?」
「例の虫だ。ショッキラスだ。ゲートで交戦している。――いいから、避難者は早く輸送機に乗ってくれ!」
そう言うとその自衛官も格納庫の外に走り去っていく。
◇
『――お知らせします。次の輸送機に搭乗する避難者の受付番号とお名前をお知らせします。受付番号……』
ようやくあなたは自分たち父娘が呼ばれたことに安堵する。
「急ごう」
あなたは荷物を持って若葉に声をかけ、輸送機に向かって歩き始める。
格納庫の外に出てみると、十一月の晴れた空が、まだそこにある。――けれども、都心の方角には忌々しい形の雲が立ち上っている。青と灰色の境目が、くっきりとしている。空が灰色がかって、太陽がぼやけている。乾いた風が、死の灰の匂いを運んでくる気がする。
――死の灰、放射性降下物の飛来はもう始まっているのだろうか。
あなたは空を見上げる。
けれども、ゲートから聞こえる銃声にも注意を奪われてしまう。
基地のゲート近くには自衛隊の車両が何台も集まり、バリケードを築いて、何かに必死に銃撃している。銃撃だけでは決定打にならないからか、時折火炎放射器まで使っている。
――もう、ここも戦場だ。早く輸送機に……
「あの虫、この基地の中に入ってきたんじゃ……」
自分たちと同じ輸送機に搭乗する避難者らが話し合っている。
「ショッキラス――普通の銃弾じゃまず殺せないらしいからな。入られたら終わりだ」
「あの虫、人間の体液を全部吸ってミイラにしちゃうんでしょ。それにあの虫が変に湧くと大抵近くにはヤツが――」
ゲートはひどい有様であなたは直視できない。
何人もの死体の山が見える。
それは虫に体液を吸い尽くされてミイラになった死体の山。その近くには何発もの銃弾を受けて、火炎放射でようやく駆除された虫の死骸も転がっている。
輸送機に向かいながらあなたはこう思う。
――多分、抗議者の一団の後ろからあの虫は現れたのだろう。
混乱の中、規制線がまた崩壊して、抗議者の一部が基地の内部に逃げ込み、警察と自衛隊が今、必死でゲートで虫を阻止しているのか……
「おい、あれ……」
避難者の一人が指をさす。
人間の子供くらいの大きさの虫が、自衛官を押し倒して、吸血し、腹部を風船のように膨れ上がらせている。虫の腹部はあまりにも膨張しているせいで透けて見える。
けれども、風船のような見た目のその虫は自衛官らの自動小銃による攻撃を受けても、傷一つ付かない。
「……若葉、見るんじゃない」
若葉に声をかけるが、あなたも声の震えを隠せない。
――こんな化け物が……この世にいるのか。
◇
あなたが言葉を失いながら輸送機の座席に搭乗すると、ゲートの混乱に紛れて敷地内に隠れていたのだろう、赤いコートを着た女が、輸送機に向かって必死になって走ってくる。
隣の席に座る若葉が輸送機の搭乗口から外を見てつぶやく。
「……お父さん、あの女の人」
近付いてくる女性は、ゲートであなたに助けを求めた、赤子を抱いた若い母親。
基地に侵入した虫の駆除に追われているのか、見える範囲に自衛官の姿はほとんどない。
輸送機の警備をしているのは、基地警備隊の自衛官がたった一人。
「お願い乗せて!」
「許可証がなきゃ駄目なんです!」
赤子を抱いた若い母親は輸送機の搭乗口手前で自衛官に止められる。
その様子を見ていた、ある避難者が叫ぶ。
「虫だ!虫が来ている!」
「早く輸送機のハッチを閉めてくれ!」
バリケードを突破した虫が、獲物を求めてこの輸送機に迫ってきている。数は見える範囲で5、6匹。
あなたは目を閉じる。
――見なければいい。見なければ、後で後悔しない。逃げて……何が……悪いんだ……?
けれども、閉じたまぶたの裏に、赤いコートが焼き付いて離れない。
「……こんなの無理っ!助けなきゃっ!」
あなたは一瞬、妻の声が聞こえてくる気がして、驚き、目を見開く。
『自分だけ助かるなんて……』
車内で若葉が言った言葉が、妻の声と重なる。
しかし、すぐに首を振って叫ぶ。
「わ、若葉!立つんじゃない!危ない!」
あなたは叫び、座席から立ち上がる若葉の腕を握る。細い。骨の感触が指に残る。
「事故でお母さんが死んだ時もそうだった!お父さんは『危ないから』って、あたしに何もさせてくれなかった!」
「!」
あなたは固まり、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。
若葉はあなたの手を振り払い、輸送機の外に駆け出そうとする。
「何をしてるんだ!死にたいのか!この機はもうすぐ離陸する!」
屈強な自衛官が若葉を背後から押さえつけ、身動きを封じる。
「離して!離して!助けなきゃ!」
若葉はただ涙声で叫ぶばかり。
「諦めろ!席に戻れ!――後部ハッチ、閉めろ!早く!早く!」
機内の自衛官が怒鳴る。
あなたは閉まる寸前の搭乗口から外の様子を一瞬見る――虫の群れに囲まれた母子と、母子を守るために9mm拳銃一丁で虫に立ち向かう基地警備隊の自衛官。
自衛官はたった一人で母子に迫る虫に9mm弾で応戦している。あの虫には拳銃なんて無意味だと知っているはずなのに。必死になって。
無情にも輸送機の扉が閉まる直前、虫が1匹、母子に飛びかかる。自衛官は叫びながら母子に駆け寄る。……その後のことはあなたには分からない。
――扉が閉まる。金属の重い音が、すべてを遮断する。
直後、機体が揺れ、エンジン音が轟音に変わる。あなたは若葉の肩に手をやろうとする。――けれども、若葉はその手を振り払う。振り払われた手のひらが、行き場をなくして宙に浮く。機内の空調の音が、やけに冷たい。
◇
輸送機が基地を離陸する。
あなたは外の様子を眺める。
十一月の澄んだ青空の下、都心の方にはあまりにも巨大なキノコ雲が見える。大量の火の手と煙が上がり、青空の下半分を焦がしている。上部はまだ、嘘のように青い。
あなたは胸ポケットから家族写真を取り出し、しばらく見つめる。写真の中で妻が笑っている。若葉も、幼い顔で笑っている。
――輸送機は無事飛び立った。俺たちはなんとか生き残れる。
けれども、避難者の誰かが叫ぶ。
「おい、見ろ。向こうのあの道路――盛り上がっている!何かが出てくるぞ!」
「あ、あれって……」
「……やっぱりだ。あの虫が湧くとヤツが近くにいるんだ……」
避難者がその名を叫ぼうとするが、あまりにも巨大な獣の咆哮によってかき消される。
鼓膜が痛い。
避難者が次々に外の様子を眺める。
「――ご、ゴジラ……!地中から……!」
「ぶつかるぞ……!」
ゴジラは滑走路の前方の地中から土煙を巻き上げながら巨体を現している。
輸送機が回避しようと上昇しながら旋回を始める。
あなたも輸送機の窓に近付いて、息を止めたまま外の様子をよく見ようとする。――すると、あなたの目の前にゴジラの巨大な目が現れる。
瞳孔が動く。こちらを見ている。ガラスに映った自分の顔が、その瞳の中に小さく浮かんでいるように見える。
ゴジラと目が合った気がする。
ゴジラの意思や目的などあなたには分からない。
――けれども、あなたは、ゴジラと目が合った時、ゴジラの濁った瞳の奥に、何かを見た気がする。
怒り、憎しみ、嘆き……
気のせいだったかもしれない。けれど――
『ゴジラの正体?』
『あれは戦争や暴力で死んだ人たちの残留思念の集合体だと思うよ。』
あなたの脳裏に格納庫で聞いたVチューバーの最期の言葉が響く。
「残留……思念……ゴジラ、お前は――」
若葉があなたの袖を無言で掴む。
あなたは家族写真を握りしめながら、若葉の肩を抱き寄せる。
ゴジラとすれ違ったのはほんの一瞬の出来事。
けれども、まぶたの裏に焼き付いたゴジラの悲しそうな瞳から、あの若い母親の絶叫が聞こえてくる気がする。
『せめてこの子だけでもさ!』
『人でなし!人でなし!』
まぶたの裏に、光景が流れ込む。
――虫に体液を吸われ、干からびた母子。その近くに倒れ、同じように体液を吸い尽くされてミイラになった自衛官。見ていないはずの光景だ。なのに、なぜだか鮮明に浮かぶ。
「……」
あなたは息を呑む。咄嗟に口を覆おうとすると手から家族写真が滑り落ちる。目に涙を浮かばせながら、写真を拾おうとするが、震える指が、紙の端を捉え損ねる。
外から何かが破裂して放電していくような奇妙な音が聞こえてくる。――それはゴジラのニュース映像で何度も聞いた音。ゴジラが熱線を放つ直前に背びれから発するバースト音。
目から涙が溢れ出す。
この熱線が一度放たれると、大都市ですら一瞬で焦土になる。
絶対的な死の光から逃れようと輸送機が加速して急上昇を始める。
機内が激しく揺れ始め、あなたの背中も座席に押しつけられる。
歯が鳴る。揺れが増し、誰かの悲鳴が一瞬だけ聞こえる。けれど、すぐにエンジン音にかき消される。
あなたは隣の席の若葉の顔を見る。――若葉は窓の外を見ている。涙は流していない。けれども、唇を噛んで、何かを堪えるように目を細めている。
窓の外が、突然、真っ白になる。音はない。
――そして、あなたの世界もまた、真っ白になった。