そんな噂がある神社に肝試しに向かった主人公の話。
狐に魅入られたものは、魂すらむさぼられて死ぬ。そう語られる古い神社に、休日の夜に肝試しに向かった。
どうせオカルトなのは分かりきっているので、恐れることは何もない。といっても、迷惑系配信者みたいに神社を汚したり破壊したりするつもりはない。
そもそも、そういう配信者でも平気で配信できている場所。まず何も起きない。どうせ神などいないと、ただ証明されるだけ。
曖昧な記憶を元に、塗装が剥げている鳥居の端の方をくぐる。オレンジ色をした薄明かりの中、道を避けながら本殿に向かう。
そこはとても静かで、ただ風だけを感じた。
正直に言えば、合っているのか間違っているのか分からない。それでも、できる範囲で礼を尽くしたつもりだ。
確か、二礼二拍手一拝。二回頭を下げて、パンパンと手を打つ。そしてガラガラと鐘のようなものを鳴らした。左手のブレスレットから、同時に音が鳴る。一度だけそこを見てから賽銭を投げて、もう一度頭を下げた。
「うーん、なんか知ったかぶりって感じだね。手水の扱い方とか、知ってる?」
女の声が後ろから聞こえて、振り向く。そこには、巫女服を着た女がいた。いやらしくニヤニヤと笑いながら、それでも目を引く整った顔つきの女が。
この神社にも、巫女さんがいたらしい。ボロボロだし、管理されていないのかと。
巫女さんは気軽に話しかけてくるタイプらしい。ひとまず、話を合わせておこう。参拝自体が久しぶりだし、間違いもする。
「なんだっけ……? 半分だけで手を洗って、それで残りを口に含むとかだったか?」
「柄杓を口につけたらダメなんだよー? ここの神様も、不敬だって言ったりしてね」
「神様なんて、いるわけないだろ。いてたまるものか」
ブレスレットを握りながら、吐き捨てるようにこぼす。巫女さんに対して失礼だとは分かっていても、抑えきれなかった。
対する巫女さんは、何かに納得したように頷いている。そして、ニンマリとした笑みを向けてきた。
「あー、そういう感じ。ここの噂とか、信じてないタイプなんだ?」
「それはそうだろ。今の時代に、狐の妖怪なんているはずがないんだし」
「妖怪を否定するのなら、今の時代も何もなくない?」
「それもそうか。なら、くだらないオカルトなんて信じていなくていいか?」
「神社で言うことかな? そもそも、信じてないのなら作法なんて守らなくていいのに」
「それは違うだろ。マナーとして、守るべきものはある」
俺の言葉に、巫女さんはきょとんとしたように目を丸くしていた。それからしばらくして、ケラケラと笑い出す。
ちょっとむせているレベルだったので、軽く背中をさすった。
少しずつ息が整っていったようなので、すぐに離れる。巫女さんを放って去る気にもならなかったので、石段に座り込む。合わせるように、巫女さんもあぐらをかいていた。
「ふふ、面白い人だね。気に入っちゃったかも。もう少し、ここで話していかない?」
「構わないが……。何がそんなに気に入ったんだ?」
「ここを荒らすような人とは、何もかもが違うんだなって」
「ああ、迷惑系配信者みたいな。いくら遊びだからって、妙なことはしない」
「その割には、作法を間違えていたみたいだけどね? 鐘を鳴らす順番とか、賽銭を入れるタイミングとか、さ」
「もしかして、不愉快だったか?」
「ううん。どうせ人間の決めた作法だからね。神が喜ぶかどうかには、あんまり関係がないよ」
「そうだよな。じゃなきゃ、祈りが無駄になることだって……」
ブレスレットの方を見る。また左手を握りしめると、少しだけ音が鳴った。そう。祈っても、誰も助けてなんてくれない。
「ああ、ごめんね。嫌なことを思い出させちゃった?」
「構わないさ。初対面の相手の事情なんて、知るはずもないんだし」
「やっぱり、もっとあなたと話したくなってきちゃった」
「別に面白いことなんて無いんじゃないか?」
「面白いかどうかも、気に入るかどうかも、全部私が決めることだよ。……ね?」
最後は、息がかかるほど近くにまで顔を寄せながら言われた。かなり近いし、気に入られているのは確かだろう。
「まあ、それもそうか。あなたが面白いと思うのなら、否定することでもない」
「神に失望しているのに、私みたいな子の気持ちを大事にできるんだもん。とっても素敵だよ」
「失望、か。あなたの言う通りなんだろうな。神なんて、バカバカしい」
「やっぱり、あなたってのも他人行儀だよねー。私のことは、
心からの笑顔と言い切れるくらいに、ニコニコしていた。そんな顔のまま、手を取ってくる。
クズって単語みたいで、呼びづらい。でも名前だし、否定するのも良くない。気にしていない風にするのが一番か。
「よろしくな、くず。短い間かもしれないが」
「そうだね。短い間だと思うよ。あなたみたいな人とは、ずっと一緒にいたいけどね」
「この神社に次来るかも怪しいからな。まあ、楽しんでいるのなら良いが」
「ひねくれてるけど、なんだかんだで気を使うタイプなんだね。ちょっと嫌なことを言われても、相手を尊重しちゃう。いいね、そういうの」
とても楽しそうに笑いながら、首の横をなでられる。指先で感触を確かめるように、じっくりと。それこそ、細かい膨らみすら確認するかのように。
くずが舌なめずりをして濡れた唇に、妙に目が惹きつけられた。花の蜜が染み渡るように、甘い香りが肺の奥まで広がっていく。
つばを飲み込んでしまって、くずはもっと微笑んだ。つい、目をそらしてしまう。
「別にそんなんじゃ……」
「ふふ、私に見とれちゃってるくせにー。音の鳴るブレスレットなんてつけてる割に、純情なの?」
もしかして、音が鳴るのはマズいか。ちらりとブレスレットを見る。じゃらりと音が鳴る。
いや、マナー違反だとしても、これだけは外す気はない。右手で、ブレスレットを握り直した。
「純情とか、そんなの関係ないだろ……」
「ふふ、チャラチャラした感じじゃないんだ。ブレスレットとか、趣味じゃなさそうなのにね」
「うるさい……。俺が、どうしようが、勝手だろ……」
少し、息が荒くなってきた。もう割り切っているはずなのに、案外忘れられていなかったのだろうか。
くずの方を見ると、唇を吊り上げていた。
「ああ、ごめんごめん。じゃあ、お詫びが必要かな。こういうこと、興味ない?」
そう言いながら近寄ってきたくずに、そっと胸に手を当てて押し倒される。なぜか力が入らなくて、されるがまま。
「ほれは……」
なんか、うまく舌が回らない。だんだん頭がぼんやりしてきた。まだ寝る時間じゃないのに、どうして。
そうしている間にも、くずに抱きしめられていく。頭が柔らかいものに包みこまれて、温もりも感じる。甘い香りが深く侵食するよう。
そしてまた、眠気が強くなっていく。それなのに、香りはどんどん広がっていくようで、くずの暖かさも柔らかさもやけに強く感じる。
くずは俺を抱きしめる力を強めた。抵抗するだけの力は、もう入らない。
何かがおかしい。分かっていても、動くことすらできなかった。
「ふふ。君みたいな人、私は大好きなんだ。信仰は持っていないけど、他人の信仰を大事にできる人は」
「いっはい……らりを……」
「あはは、何言ってるのか分からないや。私のせいなんだけどね。かわいいね、弱々しくて」
そう言いながら、キスをされる。何度も、触れるだけのものを。
吸い付くような感触が、ただじんわりと染み渡る。力がどうとか関係なく、抵抗する気が失せていった。
すると、今度は口に温かいものが入ってくる。とても甘く、喉まで満たしていくようなものが。
「むぅ……」
声が出ると、くずはゆっくりと離れていく。そして、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、とろけちゃって。ここからが本番だね。私も、あなたの価値観を大事にするから。大事なものは、最後にしてあげるから」
そう言って、頬ずりをされる。頭の中に、なにか違和感があった。だが、言葉にならない。
ただされるがままになっていると、くずはそっと俺の右手を取った。
俺の手を頬に触れさせてから、緩やかに口を開く。俺の指が、くずの小さな口の中に入っていく。柔らかくて、暖かくて、ねっとりした感触。
それがいつしか硬い感触に変わって、喉が鳴る音が聞こえた。すぐにまた、くずは口を開く。少しずつ、深くなりながら。
気づけば指先の感触は無くなっていて、次は手のひらあたりに暖かくて粘りつくような感触が届く。
くずの口元から、赤い液体がこぼれていった。胸騒ぎが、染み込む甘さに溶けていく。
ただくずにされるがままになって、だんだん手首に暖かさが移る。何度もくずは口を開いては閉じて、包みこまれるような感触とぬめりは、ゆっくりと奥へ奥へと浸透していく。先の感覚から、順番に無くなって。
肘も通り過ぎて、もっと深くなる。気づけば肩まで、くずの口は進んでいた。
「短い付き合いだったね。いや、これからは長い付き合いになるのかな?」
そんな事を言いながら、くずは右の耳元で囁いてくる。すぐに、耳に温かい感触が届く。とろけるような生暖かさと湿り気が、奥底にまで響いた。
だんだんと広がっていって、やがて脳にまでぬかるみのような暖かさと甘さが広がる。まるで、ゆりかごの中にいるようだとすら感じるほどに。
いつの間にか、右目が見えなくなっていた。それなのに、頭の中はずっと甘いまま。
「ふふ、気持ちいいでしょ? 最期まで、ずっと心地よくしてあげるからね、ともり君」
あれ、名前……。くずの方を見ようとすると、また抱きしめられていく。左手の方で、わずかにじゃらりと音が鳴った。
「そろそろ、限界みたいだね。私の中で、ゆっくり眠ってね。妹さんの形見は、私が預かるから」
「あ……」
ああ、くずはきっと……。何かを言おうとして、言えもしない。
ただぬくもりにつつまれるがままに、目の前でくずが口を開いた。
「おやすみ。あなたの記憶と魂が、一番美味しかったよ」