TS娘の曇った心を義理の兄がVRMMOゲームを通じて徐々に癒していくお話 作:乾いた布団
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その日の放課後。
学校から帰宅した悠真は、制服から部屋着に着替えると、夕飯の準備をするために、早速キッチンへと向かった。
(……え〜っと、昨日はハンバーグだったから、今日は魚料理のがいいか?)
昨夜のメニューを思い出しつつ、献立を考えながら、何気なく冷蔵庫を開ける。
……すると、その時だった。
(……ん?)
悠真の視線が、冷蔵庫の中で止まる。
そう。
今朝まで、冷蔵庫の最上段に入っていたはずのプリンが、跡形もなく消えていたのだ。
(……あれ?)
念のため、冷蔵庫の中を隅から隅まで確認してみたが、やはり見当たらない。
そこでふと、背後のテーブルに置かれていた、見覚えのあるトレーへ目を向けると……。
「あ……」
そこには、食事の終わりを告げる空のお皿とともに、空になったプリンの容器が置かれていた。
なんてことはない、ほんの些細な出来事。
けれど……。
(よしっ!)
悠真は、思わず小さく拳を握った。
何しろ、乃亜がプリンを食べてくれたのだ。
それは即ち、今朝の言葉が乃亜に届いていたということになる。
悠真の声かけに対して、反応を示さない乃亜。
だからこそ――。
こうしてほんの僅かでも、声が届いていたという証拠を見つけられたことが、悠真にとっては何よりも嬉しかったのだ。
(……よし、明日もプリンを買って帰ろう)
そう内心で決意を固めながら、悠真は夕食の準備に取りかかるのだった。
◇◇◇
全ての家事を終え、就寝の準備が整った頃には、時刻は午後十時を過ぎていた。
自身の部屋へと戻った悠真は、ベッドへ腰を下ろすと、慣れた手つきでVRゴーグルを装着した。
そして、電源を入れる。
すると視界が暗転し、やがて見慣れたタイトルロゴが浮かび上がった。
【エターナル・クロニクル】
現実世界と見紛うほどの仮想世界を実現した世界初のVRMMO。
悠真が愛用しているゲームなのだった。
(……さて、と)
ログインを済ませた悠真は、早速所属するギルドのアジトへ向かった。
悠真にとっては、見慣れたいつもの場所。
そして――。
「遅えぞ、ルーク!」
扉を開けた瞬間、中から勢いよく飛んできた、聞き慣れた声。
反射的に目線を建物の中へ向ける。
すると、そこには黒い軽鎧に身を包んだ、一人の男がいた。
黒髪に、少し切れ長の瞳。
百八十センチはあろう、がっしりとした体躯に、両腰に携えられた一対の黒剣。
彼の名前は、レイド。
何を隠そう。
悠真がこの世界で最も親しくしている存在――いわば相棒とも呼べるプレイヤーだった。
「悪い悪い、色々あって、少し夕飯の準備に時間がかかってな」
「なんだよそれ。お前のくせにまるで主婦みたいな発言じゃねぇか」
「別にいいだろ。それを言うならお前はもう少し家事をしたほうがいいと思うぞ。年中無休、二十四時間体制でゲームにログインしている、この引きニートが」
「はぁ!?うるせぇ、誰がニートだ!ていうかお前は俺のことをなんだと思ってるんだよ!」
「家に引きこもりながら、親のすねをかじってるニートの中年男性」
「んなわけあるか!ふざけんな、俺はニートでもなければ、中年男性でもないわ!」
「……さて、どうだかな」
悠真は呆れたように、肩をすくめる。
「今日も元気に、真っ昼間からログインしてる奴に言われても、全く説得力がないんだが?」
「だから、それについて何度も言っているだろう?俺は選ばれた特別な存在だから、それも普通なんだって」
「……選ばれた、特別な引きニートってか?」
「おい!ふざけんな!結局ニートになってるじゃねぇかよ」
(……ふふっ)
レイドとくだらないやり取りを続けている間に、いつの間にか自然と口元に、笑みを浮かべていた悠真。
こうして、レイドとくだらないやり取りをする時間が、悠真にとっては、とても大切な時間なのだった。
悠真にとって、レイドはこのゲームで気兼ねなく接することのできる、数少ない相手の一人だ。
冗談を言えば、必ず何かしら言い返してくる。
恥ずかしい失敗をすれば、遠慮なく笑われる。
時には、失礼なことまで、平然と言ってくる。
けれど、それはお互い様。
だからこそ、いつの間にか一緒にいることが、当たり前のようになっていた。
……とはいっても。
出会った当初は、少しだけ違った。
昔の悠真は、レイドのことを少し薄情で淡白な奴だと思っていたのだ。
だけど、それが変わったのは、ある日のこと。
その日、悠真は学校で仲のいいクラスメイトと意見がぶつかった。
そのこと自体は、決して珍しいことではないのだろう。
ただ少し、気まずくなっただけ。
だから、ゲームにログインした後も、悠真は普段通りにルークとして振る舞っていた……。
……つもりだったのだが。
『お前、今日なんかあったか?』
突如として、レイドから投げかけられた、そのような言葉。
『……急になんだよ?』
『いや、なんだかいつもよりテンションが低そうだったからよ』
『……そうか?』
『そうだな』
珍しく、真剣な表情のレイド。
普段なら、細かいことなど何も気にしていなさそうな奴だというのに……。
いつもとは、全く違う雰囲気で……。
その日は、やけに鋭かったのだ。
――だからこそ、なのだろう。
気がつけば悠真は、今日あった出来事をぽつりぽつりと話し始めていた。
仲のいい友人と、意見が対立したこと。
そのせいで、少し気まずくなってしまったことを。
その話を聞いたレイドは、しばらく考える素振りを見せると……。
『まぁ、そんな日もあるだろ』
……と、なんてことのないように言ったのだった。
『お互い、別の人間なのだから、どんなに仲が良かったとしてもぶつかることはある』
『だから、少しの間だけお互いに距離をとって、気持ちが落ち着いたら、ちゃんと謝ってまた仲良くすればいいだろ』
……と。
その言葉自体が、特別な慰めだったわけではない。
ましてや、気の利いた助言だったわけでもない。
本当に、何気ない意見。
けれど、悠真はその言葉に、少しだけ救われたのだった。
自分の悩みは、決して特別なものではない。
誰にでも、そういう日はある。
だから、今日はたまたま自分がそういう日だっただけなのだと。
レイドは、当たり前のように言ってくれたのだ。
それからだった。
悠真が、レイドと積極的に遊ぶようになったのは。
色々な場所を冒険した。
難しいダンジョンにも挑戦した。
何度も失敗して、その度に笑い合った。
そして気づけば、レイドと過ごす時間が、一日の楽しみとなっていたのだ。
(……さて、と)
悠真は小さく息を吐き、思考を切り替える。
「そういえば、昨日挑戦していた装備強化の素材集めについてだけど……」
「おう、今日もよろしく頼む」
「やっぱりか。別に構わないが、昨日みたいに無策で突っ込んで、せっかく集めた素材をあっさりとロストさせるのだけはやめてくれよ」
「……いや、それは約束できんことだな!」
「ふざけんな、お前!?」
悪びれる様子もなく、堂々とサムズアップするレイド。
本当に、こいつは懲りないな。
そう呆れてしまう。
だけど、それがレイドの良さなのは間違いなかった。
「ならば善は急げだ!早く行くぞルーク!」
「……はい、はい」
こうして、揃ってアジトを出た二人。
「……お前がいてくれて助かってるぞ、レイド」
「ん、何か言ったか?」
「いや、特には」
「そうか、なら行くぞ相棒!」
「おうよ」
最後……。
悠真の口から少しだけ漏れた本音は、レイドの耳に届く前に、風に流されて消えたのだった。