偽伝:異聞の花々 作:頭デルタギア
「──お隣、いいですか?」
嫌だ。
邪魔だ。
どっかいけ。
そう断ったはずなのに、声は「あははお招きありがとうございますそれじゃあ失礼しちゃいますねー」なんて言いながら、ほとんどぶつかるみたいな形で隣に座ってきた。
初めに言っておくが、今腰を下ろしている横倒しの丸太は確かに、ひとりで座るには少々大きい代物かもしれない。
だが、だからと言ってふたりで足をひろげて座るとなると、いささか窮屈すぎる。
ゆえに、夜のキャンプの準備が終わった瞬間、そこへ素早く陣取ったのである。
そして、今日は誰が料理当番やるんだ言っとくがオレはやらんぞだの、トネリコの隣はボクに決まってんだろアホライネックだの、誰がアホだこのバカトトロットだの、それよりも早くメシつくれメシだの、作るから杖で尻をつつくのはやめてくれないかグリムだの、とにかくやかましいったらありゃしない仲間たちを遠巻きに眺めながら、久々に1人の時間を満喫していたところでこれだ。
癪に触って黙っていると、隣の少女──トネリコが、おそるおそるといった調子で話しかけてきた。
「……あれ、もしかして本当に嫌な感じだったりします?」
なにを今さら。
というか、視えてるくせにいちいち聞いてくんじゃねーよ。
するとトネリコはぶう、と頬を膨らませつつ、膝の上で頬杖を突いた。
「だって、モルドレッドはやることなすこと毎回メチャクチャなんですもん。
お気に入りの宝石を落として泣いてる妖精には『いちいち泣くなうざってえ』とか『新しいの買えば済む話だろ』とか言ってたくせに、いざとなったら誰よりも真剣に探してるし。
状況と証拠と証言──どれをどう見たって犯人じゃないくせに、最終的に面倒くさくなって『おれがやった。それで良いだろ』とか言い出すし。
挙げ句の果てには勝手に氏族間のいさかいに介入して、勝手にどっちもボコボコにして、勝手に両方に戦力として勧誘されてるし!
ほんっと、モルドレッドはモルドレッドなんですから!
フォローに奔走する私の身にもなって欲しいんですけどっ!!」
トネリコはぷんぷんと鼻を鳴らして憤りを示しているが、自分としてはこうしか思わない。
知るか。
「知るかぁ!?
──いい度胸してんじゃん。久々に戦闘訓練やっちゃう? うん?」
だいたい、無理やり旅に引きずり込んできたのはお前じゃねーか。
だったらお前がやらかした奴のケツ拭くのは当然だろ。
「うっ」
そう言うと、戦意を剥き出しにしていたトネリコは、突然胸を突き刺されたかのように胸を押さえた。
「そ、それを言われると痛い……。
というかっ、女の子にケ、ケツとか、よくそーいうコト平気で言えますね」
女の子?
誰が。
「それは、私が」
……。
…………ぷっ。
「わ、笑ったな! いま心のなかで笑ったなぁっ!!」
赤面涙目でぎゃーすか吠えて、トネリコは襟をつかんで揺さぶってきた。
こんなのが巷で『救世主』と謳われているのが、実はいまだに信じられていない。いつかエクターが称していた『魔猪の氏族』とかいうあだ名の方が、よっぽど似合っているだろう。
というか、今すぐそっちに改名した方がいい。そうすれば他の氏族も言うことを聞きやすくなってくれんじゃないかとさえ思っていた。
トネリコはしばらく暴れていたが、疲れたのか諦めたのか、渋々といった風に襟を離して前に向き直った。
どうやらあちらも丸く収まったらしい。
今はウーサーが担当することになった料理を全員で──ライネックだけは「なぜ牙の氏族の長たるオレがそのような些事にかかずらわなければならんのだ」とふんぞり返っている──手伝っていた。
手先の器用なエクターは材料を切り、智慧に富んだグリムは調味料を調節し、小さなトトロットは火加減を確認し、まとめ役たるウーサーはあれこれ指示を飛ばしている。
そこにあるのは、今の妖精國では滅多にみられない、人間と妖精が対等に振る舞い、お互いに支え合い、協力している光景──トネリコが理想としている光景だった。
「──随分、にぎやかになったよね」
なにかを感じ入ったのか。ふとした拍子に零れたような小さな声に、無言で頷く。
初めは自分ひとりしかいなかった、少女の旅の道連れは、今ではこうしてひと騒ぎできるぐらいの人数になった。
「暴れん坊のトトロットは、最初はモルドレッドと揉めて、そのあと私と一騎打ちして仲間になってくれた。
頑固なエクターは、とりあえずモルドレッドと揉めて、それでも私の話をちゃんと聞いてくれて仲間になってくれた。
智慧者グリムは私が召喚したからノーカン。でも普通にモルドレッドと揉めたね。
勇者ライネックは、やっぱりモルドレッドと揉めて、そのあと私の力を認めて仲間になってくれた」
指折り数えて出会いを振り返っていたトネリコは、じとついた視線を送りつけてきた。
「……なんか、モルドレッドのせいで面倒くさい事態になってること多くない?」
気のせいだろ。
「……気のせいかなぁ……」
世界の真理へ手を掠めかけた哲学者のごとく首を傾げているトネリコは放っておく。
氏族も性格も目的も、なにもかもがバラバラなくせに、トネリコというひとつの少女の元に集った連中。
それはきっと、トネリコが歩んだ道のりの──ある種の成果と呼べるようなものなのかもしれない。
目の前のこれはきっと──トネリコにしか作れなかった光景だ。
トネリコがトネリコだったから、作れたのだ。
「……私、さ」
そんなことを考えていると、拭えない昏さを滲ませた声が聞こえた。
横目を送ると、焚き火の光に照らし出された、トネリコの乾いた横顔がある。
こっちが見ていることに気づいているのかいないのか、前を向いたままトネリコは話し出した。
「──正直なこと言うと、妖精たちみんなを救うって気持ちとか、もう残ってないんだよね。
厄災を祓って、争いを収めて。
強きを挫いて、弱きを助けて。
何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も──……最後には排除されて。
その繰り返しだから、流石にね。
私だって、折れるときはちゃんと折れるんだよ?」
少女の相貌に似つかわしくない、あまりにも重苦しい諦観が浮かび上がる。
その諦観が偽りではないことをよく知っている。
ずっと一緒に旅をしてきたのだ──そして、ともに裏切られ続けてきた。
トネリコは魔女として。
自分は──魔物として。
「それでもブリテンを救ってきたのは、ここが私の居場所だったから。
ここしかなくて、ここ以外にあり得なかったから。
妖精を救ったのも、人間を守ったのも、みんなを誘ったのも──あなたをこの旅に巻き込んだのも。
結局は全部、自分のためだったんだ」
そうか、としか言えなかった。今この瞬間、それ以外のなにかを告げれば、トネリコがもっとも忌み嫌う嘘偽りになるだろうから。
その気持ちを読み取ったかのように、トネリコは仄暗い笑みを浮かべてみせた。
「そうだよ。
だからさ、私はモルドレッドが思ってるほど綺麗じゃないし、強くもない。
みんなのことなんて、『大切な道具』ぐらいにしか思ってない。
モルドレッドも勿論、『生意気で扱いづらいけど頑丈だから一番長く使ってる道具』としか思ってない。
ずーっと『救世主』だなんて呼ばれてきたけど。
やっぱり私は──どこまでいっても『魔女』なのです」
えへへ、なんて照れ臭そうに笑いながら、トネリコは言葉をそこで締めた。
……自分が口下手なことはわかっている。
なんの因果か知らないが、この不可思議な國に流れ着いて何千年と経った今でも──交渉事は他に任せっきりにしているのだから。
トトロットはよく『新しいことが覚えられない』と落ち込んでいるが、学ぼうとしている分、自分よりよっぽど上等だ。
ならば。
言葉で表現できないのなら、まずは行動で示すまでだった。
「……? なに?」
ちょっとツラ貸せと言ってみると、トネリコは特に躊躇うことなくこっちを向いた。
突然の提案に驚いているのだろうか。不思議そうに瞬きしているトネリコ目がけて──
デコピンした。
躊躇うことなく。
思いっきり。
「っ──────ぃい、ったあ~~~っ!!」
妖精だから人間よりは頑丈だろうと考えて、かなり本気でやったのが功を奏したらしい。
気持ちいいぐらいの打撃音が、夜のしじまに響き渡った。
「えっ、えっ、えぇっ!?
なんで!?
なんでいま私デコピンされたのっ!?」
赤くなった額を両手で押さえながら、トネリコは潤んだ目で問いかけてくる。
残念だ。どうやらわかってくれなかったらしい。
すかさず二発目を用意しようとすると、流石に危機を察知したのか。素早く防御姿勢を取られてしまったので、あえなく断念した。
「いったぁ……えっ、私、今なにか変なこと言ったっ?」
言ってない。
「じゃあなんで!?」
なんとなく。
「なんとなくぅ!?!?」
最後の問いかけは、ほとんど発狂に近かった。
人は己の理解を超えるものに出会うと、漏れなく思考回路をショートさせてしまうと聞いたことがある。今のトネリコはそれに近い。
無理もないと自分でさえ思う。たぶんかなりの勇気がいったに違いない。それまで抱えていた割と重ためな内心を打ち明けてみたら、直後にデコピンを喰らわされてしまったのだ。不意打ちにも程があるだろう。
けれど、こうするしか思いつかなかったのだ。
口下手が、口下手なりに考えた言葉を──真っ直ぐ伝えるには。
状況を上手く把握しきれていないのか、固まったままのトネリコへゆっくり話しかけていく。
確かに、お前は『救世主』じゃなくて『魔女』かもしれないな。
で?
それがどうした。
「え……」
その道を歩いていこうと決めたのは、トネリコ自身の選択なのかもしれない。
いくら嫌になっても諦められなかったのは、それ以外に道が無かったからかもしれない。
何度も何度も裏切られた末に、守るべきものに価値を見出せなくなったかもしれない。
──どうでもいいだろ、そんなこと。
そう、どうでもいいのだ。
魔女が魔女のまま、世界を救ったって。
救世主が救世主のまま、世界を疎んだって。
大体、誰も彼からも好かれようは勿論、誰も彼もを好きになろうだなんて、土台無理な話なのだ。
いちいちうるさい奴もいれば、お人よし過ぎてウザい奴もいるし。
なにを考えているかわからなくてムカつく奴もいれば、あまりにも『良い子ちゃん』過ぎて逆にイラつく奴もいる。
妖精國にたどり着くよりはるか昔。
かつて、そういう連中に囲まれて暮らしていた。
腹を立てることもあった。うんざりすることもあった。
けれど──すべてが嫌いだったのかと言えば、決してそうではない。
うるさい奴には、それでも確かに支えられた。
ウザい奴には、それでも確かに救われた。
ムカつく奴は、それでも確かに仲間だった。
イラつく奴は──何度も敵対し、それでも最期には手を取り合えた。
記憶はとっくに擦り切れ果てて、もはや顔や声も鮮明ではないが──そいつらとの日々は、確かに心の一番奥へ刻み込まれている。
それが当たり前だったのだ。
それが大切だったのだ。
なにを懸けても、守りたいと思うぐらいには。
……あのな、お前はなんか深刻に考えてるかもしれないが。
ぜんっぜん、大したことじゃないからな。それ。
「大したこと、ないって……」
今にも喉の奥から溢れかえってしまいそうななにかを必死になって堪えるような、ひどくみっともない顔をして、トネリコは問いかけてくる。
コイツはクソ真面目な上にクソ頑固だ。そういうヤツの意見はたぶん、世界を逆さまにしたって曲げることはできないだろう。
だから、真っ向からぶつかるしかない。
お前が──
「……」
お前が負けず嫌いで、意地っ張りで、往生際が悪くて、向こう見ずで。
「……ん?」
とりあえず殴れば解決すると思ってて、恥ずかしいぐらい図太くて。
「……あれ?」
三度の飯より正面突破が大好きな、筋金入りの魔猪の氏族ってことがだ。
「……もしかして、私、今ものすっごく喧嘩売られてます?」
トネリコは頬をぴくぴく引き攣らせて、虚空より愛用の武器を引きずり出しかけている。
初対面での戦い。そしてこれまでの長い旅のなかで、幾度となく体験してきた戦闘訓練──という名の憂さ晴らし──に付き合わされた身体が、条件反射のように震える。
だが、ここで退くなどあり得ない。
お前がそういう奴だってことは、ここにいる全員が知ってる。
知ってて、お前についてきてんだよ。
「……それが、なに?
私が──まぁ、もろもろ気になるけど……そういう人なんだってことを、みんなが知ってて。
なんでそれが、私が『魔女』でいていいことに繋がるの?」
本気でわからない顔で、トネリコは聞いてくる。
だから答えてやった。
「────」
そう。
トネリコは、それでも世界を救ってきた。
妖精たちの悪辣ぶりに嫌気が差して、一度ぐらいは「もうやめた」と投げ出したってよかったのに。
妖精たちの奔放さに呆れかえって、一度ぐらいは「痛い目を見るといい」と嘲笑ったってよかったのに。
それでも、ここまで走ってきたのだ。
たったひとつの、譲れない夢に向かって。
ひたむきに、我武者羅に。
どれだけ傷ついても、どれだけ落ち込んでも。
立ち上がって、前を向いて。
走れる強さを、持っていたのだ。
トネリコはそういう奴だと、エクターが知っていた。
トトロットが知っていた。
グリムが知っていた。
ライネックが知っていた。
ウーサーが知っていた。
そして──■■が知っていた。
ブリテンを救うために立ち上がった『救世主』だから、じゃなくて。
ブリテンを自分のモノにしたい『魔女』だから、でもなくて。
──『
なぜかその瞬間、ある男の姿が頭に過った。
■■■■■■である自分に苦しみ、人間でいたいと願う自分に苦しみ、彷徨いながら戦い続けて、その末に青い炎とともに消えていった男。
すれ違ってばかりだった。
手を取り合えたと思ったときも、実は苦悩を抱えていたことに気づいてすらやれなかった。
あのとき──なんでもいい。思っていることの一端でも伝えられていれば、辿った結末はもっと違ったものになっていただろうかと、偶に思うことがある。
少なくとも。
──守る価値のないものを、守っても仕方ない。
あんな言葉を、言わせてしまうことだけは──
「……モルドレッド?」
はっ、とする。
いつの間にか黙り込んでしまっていたらしい。隣のトネリコが、心配そうにこちらを見上げてきていた。
なんでもねえよ、と誤魔化しかけて、そういえば妖精眼持ってるんだっけか、と思い直す。
……お前のせいでヤなこと思い出した。
「ええ……ここで私のせいにしちゃう?」
ああ、お前のせいだ。
正面からそう断言してみせると、トネリコはぽかん、と口を開き、腹を抱えて笑い出した。
ぱたぱたと両足を上下に揺り動かし、身体をくの字に折り曲げた、それは実に堂の入った爆笑だった。
トネリコはしばらくぷるぷるしていたが、震えがおさまるや否や、まなじりの涙を拭いながら姿勢を正した。
「はー……もう、なんか、なに話してたか忘れちゃった。これはモルドレッドのせいだからね」
はいはいわかったわかった。
「む、テキトーな返事……まぁいいか。将来困るのは私じゃなくてモルドレッドだもんねー」
トネリコは目を閉じてべーっ、とガキっぽく舌を出している。そういうところをエクターは直せと言ってんじゃないかと一瞬思ったが、将来困るのはコイツなので知らないことにした。
そんなやり取りをしているうちに、料理の方はもうじき完成を迎えようとしていた。研ぎ澄まされた感覚が、鍋のなかから漂い出した食欲をそそる香りを、鋭敏に感じ取っている。
「もうすぐ出来るかな?」
同じく気づいたらしいトネリコが、やけに楽しげにこっちに尋ねた。
無言で頷いてやると、やたっ、とその場でいきなり小躍りしそうな声を出して喜ぶ。
「ウーサー君の料理は絶品だからなー。
ねね、今日の献立はなにか予想しません? 外したら相手におかわり権をひとつ譲るってことで」
しねぇよ。
大体、そんなに気になるなら聞いてくりゃいいだろ。
そう答えると、トネリコはつまらなそうに目をすがめて、
「……モルドレッドさぁ。せっかく再現してあげたんだから、もうちょっと愛想よく振る舞ったら?」
今の自分は、トネリコが記憶から再現してくれた人間時代の姿を、童話魔術の応用で身に纏っている──らしい。
あくまでも『身に纏っている』だけなので、通常の人間のように年齢を重ねて見た目が変化することは一切ない。
要するに不老なわけだが、長寿であることが当然の常識となっている妖精國においてはさして珍しくもないので、そこに調整を加える必要はないとトネリコが得意げに語っていた。
「妖精が妖精と人間を区別するのは、カタチと魔力量、匂いの3つ。
カタチは元のままだと流石に異質すぎるから、ヒト型に。
魔力量は礼装でカバー。
それで、匂いは──」
トネリコは不意に顔を首筋まで近づけてくると、すんすん、と鼻を動かした。うざったいのでやめて欲しい。
「──元から牙の氏族っぽいから、香水が無くなっても問題なし。
これであとは愛想がよければ、救世主一行にますます箔がつくのになー」
わざとらしく鬱陶しい流し目を送ってくるトネリコは無視する。
そして焚き火の元へ行こうとゆっくり立ち上がったところで、横から手を差し伸べられていたことに気づいた。
「ん」
……。
「ん!」
なんだよ。
「なにって、引っ張って。無理やり座ってたせいで足しびれちゃったから」
…………。
「そ、その『コイツって本当にどうしようもなくバカなんだな』みたいな目つきはなに?」
お前って本当にどうしようもなくバカなんだな。
「わざわざ口に出すな───────っ!!」
背後に魔猪のエフェクトを出して荒ぶりながら、咆哮一閃。
正直言ってかったるいにも程があるが、これ以上ダラダラやってると、ライネックに目をつけられかねない。短く舌打ちを繰り出してから、差し出されていたトネリコの手を掴み、強引に引っ張り上げた。
「──」
トネリコは目をまんまるく見開きながら、握られたほうの手をぐーぱー閉じたり開いたりしている。
ぼそりとひと言。
「……まさか、本当にやってくれるとは……」
またデコピンされたいならいつでも言えよ。
「だ、大丈夫大丈夫っ! もう大丈夫ですからっ!」
額をガードするトネリコを置いて、今度こそ本当に焚き火へと向かっていく。
距離が縮まるにつれて、喧噪と暖かさが大きくなっていくのを感じていると、隣に並んできたトネリコがこちらを見ずに口を開いた。
「──さっきはありがとう。
モルドレッドが真正面からあんなこと言ってくれるなんて、ちょっと驚いちゃったけど……でも、嬉しかった」
……なにを言ってるかサッパリだ。
お前は勝手にひとりで喋って、勝手にひとりで立ち直った。
それだけだろ。
「……──ふふ。そうだね、そういうコトにしといてあげる。
裏切りは決して許さないけど。
仲間の隠し事のひとつやふたつぐらいは、まあ、呑み込んでみせましょう」
それと、とトネリコは続ける。
「私が『魔女』でもいいのなら、モルドレッド──ううん、■■■もそのままで良いと思うのです。
今は『
でも、モルドレッドは大丈夫。
本当に恐れるべきなのは■■■■■■の力じゃなくて、その力に溺れてしまう弱さだってことを、ちゃんと知ってる■■■なら。きっと。
明日も、明後日も、その先も」
──ああ。
そうだといいな。
「もし万が一、億が一、力に呑まれてしまったときには──私たちがなんとかしてあげます。
そりゃもーボッコボコにしてあげるし、殺戮衝動が無くなっても戦ってあげるし、勘弁してくださいって泣いて謝ってきたってやめてあげないから」
そこは手加減とかしろよ。
「やーだっ!」
言って、トネリコは一歩先に前へと踏み出した。
そして振り向く。
煌々と光る焚き火を背にして、淡い陰影をつけたまま、少女はどこまでも軽やかに笑っていた。
「だって私は───救世主トネリコ、なんだから!」
ただ、笑っていた。
▼ ▼ ▼
「──モルド、レッド……?」
男の名前を聞いた瞬間、ホープがまず浮かべたのは『似ているな』という感想だった。
なにに似ているのかと言えば勿論、女王陛下に仕える騎士がひとり、ブリテンでもっとも謎めいている妖精騎士と目下のところ噂されている──
女王歴1800年に勃発した『キャタピラー戦争』。
『土地食いの厄災』によって大量発生したケムシ型モースの大群が、ブリテン全土を蹂躙せんと蠢き続けた戦いのなかで、ガウェインと同時に女王から任命された妖精騎士がひとり。
どこからともなく現れては、赤き光とともに女王の敵を殲滅し、どこへともなく去っていく。
どの氏族なのかも、どこに領地を持っているかもわからない。
およそ騎士らしからぬ、不可思議な鎧に身を包んでいるから、性別さえもわからない。
ゆえに彼──あるいは彼女──の正体を知るものは、女王陛下を置いて他にいないだろう。
なぜならば、正体を知ってしまったものは1人残らず抹殺されているからだ。
そんな噂が流れたものだから、ついた渾名が『沈黙卿』。
赤雷のモードレッド──寡黙なるモードレッド。
けれどホープが見たところでは、彼は鎧を身につけてもいなければ剣を刷いてもいないし、そもそも妖精ですらないように思える。
そして、新たな妖精騎士に人間が任命された……という噂も、今のところは流れてきていない。
つまり彼は、たまたま妖精騎士の1人と名前が似ているだけの、女王陛下とはまったく関係ない別人/別妖精ということになる。
「……ほっ」
そう結論づけたホープは胸に手を置き、安堵の吐息をひとつ吐いた。
人間と妖精が共存する平和な街であるソールズベリーにおいても──あるいは、だからこそ。モルガンが敷く圧制政治によって苦しむ下級妖精たちの話は、ある種の教訓として取り扱われていた。
当然、それらの話がホープの耳に入ってくる機会もそれなりに多く、彼女は自然と顔を合わせたこともない女王陛下や兵士に対する恐怖を膨ませていっていたのである。
ただ、名前を尋ねた次の瞬間にため息を吐き出した自分が、相手からどういった目で見られるかは、まるで予想していなかったらしい。
「なにやってんだ」
男──モルドレッドが、どこか呆れたような口調でそう言ってきた。
ホープは我に返ると、顔を真っ赤にしながら俯く。火の光につられてきたらしいアリが、足元でふらふらと歩いていた。叶うのならば今すぐアリになって地面に潜り込みたいと、切に願った。
「……」
「……」
モルドレッドも最初から追及するつもりはなく、会話を続けるつもりもさらさら無かったらしい。
沈黙が、淀んだ黒雲のごとく立ち込めかけたなかで、それまでふたりを照らしていた焚き火が、ふとその勢いを弱める。
見てみれば、薪となっている枯れ木がとうとう燃え尽きかけようとしていた。
モルドレッドは目を細めると、近くに投げ捨てた木の枝を取りに行こうとして──
「あ、あの」
ぴたり、と動きを止めた。
声を投げかけたホープは、モルドレッドの視線に晒されながら、そっと腕を差し出す。そのなかにはすでに、薪として持ってきた木の枝が抱えられていた。
モルドレッドはわずかに目を動かしてから、突っつくための細長い木を使って、無言で焚き火のなかを指し示した。
意図を理解したホープはこくり、と頷き、抱えていた枝々を火のなかへ放り込む。
焚き火は一瞬だけその形を大きく揺らがせたが、しばらくすると勢いを取り戻して、ふたたび夜を切り払い始めた。それがまるで無邪気にはしゃいでいるように見えたので、ホープはこっそり頬を緩ませる。
それからホープは、モルドレッドへとおもむろに問いかけた。
「わたしは、お役に立てましたか?」
「……」
モルドレッドは数秒間だけ黙ってから、こう答えた。
「知るか」
「……」
どうやら、役には立てなかったらしい。ホープの表情に陰が差し込みかけたそのとき、モルドレッドがうんざりしたような顔で話しかけてきた。
「いつもそうやってんのか?」
「……え?」
「役に立った立たなかったで、いちいち落ち込んでんのかよ」
「それ、は……」
言葉に詰まるホープの様子を見て、おおよそを察したのか。モルドレッドはくだらなさそうに鼻を鳴らして、焚き火をつつき始めた。
「生きづらそうだな」
「……」
ぱちり。
近くで弾けた火花の音が、どこか遠くで聞こえたみたいに、ひどくくぐもって響いた。
モルドレッドの言葉は、初対面の相手にぶつけるには無遠慮きわまりないものだったが、それでもホープはどうしてか怒る気にはなれなかった。
それはきっと、心の引き出しのどこかに、思い当たるものが入っているからなのだと思う。
誰にも感謝されず。
誰も助けてくれず。
ずっとひとりぼっちで。
けれどホープはそれでも良かったし、構わないと考えていた。
だって、みんなの役に立つことが──希望になることが、自分の生まれた目的なのだから。
「ありがとう」と感謝されないことよりも「この役立たず」と罵られることのほうが、ホープにとってはよっぽど辛いのだから。
膝に置いた手をぎゅっと握りしめながら、ホープはたどたどしく否定の意を露わにしてみせた。
「そんなこと、ありません。
こんなわたしを、まだ必要としてくれる方がいるんですから」
「必要?」
モルドレッドは怪訝そうに眉をひそめて、冷め切った笑みを浮かべた。
「必要って言われたなら、ブラックドッグに囲まれることになっても構わないってのか?」
「……それは」
「お前、ソールズベリーから来たんだろ」
図星だった。それが顔に出たようで、モルドレッドはやっぱりな、と言わんばかりに唇を歪めた。
「目的地は──エディンバラか?」
「……はい」
まるで、これまでのすべてを見透かしたかのように、モルドレッドはホープの行動を正確に当ててくる。
なんとなく気まずくなって、ホープは顔を俯ける。モルドレッドはちっとも気にせず、淡々と話し続けた。
「チョコが欲しけりゃ、畑から取ってこいよ。ここ来る途中にあっただろ」
「そんなことっ! ……したら、いけません。人が大事に育てたモノを、勝手に貰ってしまうだなんて」
「見つかったところで、金を払えばそれで済む。
よっぽどノクナレアと馬が合わないか、運が悪くない限り、大体はそれで終わりだ。
対価をきちんと用意してるヤツをちくちくいじめてられるほど、アイツは暇じゃない」
「──でも」
でも。
みんなはホープに、エディンバラまで行ってこいと頼んできたのだ。
エディンバラまで行ってきて、チョコレートを手に入れてこいと、望んできたのだ。
だったら、そのように叶えなければ。
それがホープも知っている──正しい希望の在り方なのだから。
「でも、皆さんからは、エディンバラまで行ってほしいと頼まれたから。
だから、そうしないとって、わたし思って……」
「お前──」
そこでモルドレッドは言葉を切ると、カップの中身をすべて飲み干した。そして唇の端についた水滴を指で拭い去ると、馬鹿にしているような憐れむような、複雑さが垣間見える口調でこう言った。
「どうかしてるぞ」
モルドレッドは、なんでもないひと言のつもりだったかもしれない。
けれどホープは──そう捉えなかった。
「──……じゃあ、」
気づいたときには立ち上がり、心の奥底から濁流のごとく押し寄せてきたドス黒い衝動を、留めることなく吐き出していた。
「───じゃあ、どうしたらいいんですかっ!!」
無意識のうちに少女の矮躯から放たれた怒気と膨大な神秘が、周囲の空気を強く揺らがせる。
空腹に苦しむ獣ですら足踏みしてしまいそうな魔力を至近距離で受けながら、それでもモルドレッドはさっきまでとなにひとつ変わらない様子で、そこに座っている。
それがホープを、さらに苛立たせた。まるで、お前が悩み苦しむ姿などあり触れていると言外に告げられているみたいで。
「ずっとひとりぼっちで!
ずっといたくて!
さびしくてつらくてかなしくてっ!!
それでも助けてくれなかったから! 手を伸ばしてくれなかったから!!
わたしはここにいるんですよっ!!」
止まれ、と思った。
もう十分だろう、とも思った。
けれど喉はまるきり言うことを聞いてくれず、声は嘲笑うかのように次々と飛び出していく。
自身の器官のはずが、他人のそれとしか思えない。いまどういった意味の言葉を発しているのか、自分でさえ理解できないような有様だった。
はたから見た今の自分は、言葉にすらならない感情の汚泥を、ただひたすらに吐き出しているだけなのかもしれないと考えると、哀れさと滑稽さに思わず笑いだしそうになってしまう。
「どこまでやれば、あなた達の欲は満たされるんですか!?
どこまですれば、あなた達の望みは叶うんですか!?
押しつけて、擦りつけて、そればっかりで!
なにも──なにも! 言ってくれないから!
ねえ、教えてくださいよ。
どうすれば、いつになったら!
わたしは──
もはやホープはモルドレッドに対して話しているのか、それともかつて自分に希望を
けれどもう、どちらでもよかった。どうでもよかった。なにもかも無くなってしまえばいいと本気で思っていた。
だけど、結局のところ。
散々吐き出して、吐き出して、吐き尽くして──ホープのなかに残っていた最後の言葉は、こういう質問だった。
「……なんで、わたしを助けてしまったんですか…………?」
半ば直感的に、ホープはモルドレッドこそが、ブラックドッグの群れから助けてくれた張本人であることを察していた。
確証はない。けれど、焚き火を挟んでカップを渡されたときの、ぶっきらぼうなまでの暖かさを感じた瞬間にホープにはわかったのだ。
わかったからこそ、聞いてみたくなったのだと思う。
「どうして……?」
モルドレッドはやはり変わらない調子のままで、淡々と答えた。
「助けられたから、助けた──それだけだ」
しがみついてきたものを、強く突き放すような答え方だった。だからこそ、ホープにはモルドレッドが噓偽りのない真実を話していることが、如実に知れた。
助けられたから、助けた。
それなら、とホープは思う。いっそ見捨ててくれていたほうが何倍もマシだった。
だって、もう知ってしまったのだ。
誰かが助けてくれることへの嬉しさを。
誰かが優しくしてくれることへの喜びを。
知ってしまったから、期待を投げ捨てられなくなってしまった。
何十年と前に──ようやく。
ようやく、諦められたのに!
「……ふ、ふふ。あはは、あははは」
焚き火の音に飲み込まれてしまいそうなほど小さい笑い声が、口の端から零れ落ちる。なにが面白いのかわからないけど、笑っていなければどうにかなってしまいそうだった。
「──そんなにイヤなら辞めりゃいい。
向いてねぇんだよ、そもそも」
静かに見守っていたモルドレッドは、最後にそう呟いて、唇を閉じる。
たぶん二度と開かないだろうな、とホープは思った。その通り、疲れ切ったホープが眠りに落ちる瞬間まで、モルドレッドは無言を貫いていた。
ぱちり、と目を開く。
夜はすっかり明けて、見慣れた黄昏色が空に根ざしていた。
朝特有の冷たい空気を毛布で防ぎながら、ホープは寝ぼけ眼をこすりつつ、きょろきょろと辺りを見渡す。
焚き火はすでに消されており、地面には燃え尽きた残骸しか転がっていない。
そして対面に座っていた男──モルドレッドは、痕跡ひとつ残すことなく、すっかり姿を消していた。
まるで、昨日の出来事はすべて夢だったように思えてくる。全身にこびりついた疲労と、心の奥から這い出てきた孤独感が入り混じった夢幻だと。
けれど枕元に置いてある銀色のカップが、ホープに現実であることを教えてくれていた。
教わりたくは、なかった。
「……」
ホープは無言で立ち上がり、丸めた毛布と荷物を一緒に持ち上げた。昨日よりもやけに重たく感じるのは、休息をとったとはいえ、まだまだ疲れが貯まっている証拠だろうか。
それでも、足を止めるわけにはいかない。時間はいつも几帳面で、ホープが呑気に休んでいる間にも、どんどん先へと行ってしまうからだ。
成し遂げなければ、叶えなければ。
それすらできない自分になど、価値は───
「……行かなきゃ」
不意に浮き出た考えを振り切って、準備を終えたホープは歩き出す。
それにしても、なぜだろうか。
行く先ははっきりしているのに、出口のない迷宮に足を踏み入れたかのような──そんな気がした。
▼ ▼ ▼
やがて、誰もいなくなったその場所に、1匹の獣が現れた。
「────」
狩りに出たはずの手下どもが、一向に戻ってこないことに痺れを切らした群れのボスより指令を受けていたそいつは、まず初めに焚き火の炭っぽい残り香に鼻をひくつかせてから、ゆったりと首を巡らせた。
目に見える痕跡は見当たらない。
だが、血の匂いがした。
薄く、小さく、ふとした瞬間に見失ってしまいそうなぐらい儚いが──確かにこれは血の匂いだった。
それも、大量の獣を蹴散らさなければ説明がつかないようなほど濃い。
仲間のモノだとわかっているのに、獰猛な歓喜に湧き立つ全身の細胞が、それを証明してくれていた。
その匂いだけに意識を集中させる。
何度も何度も嗅いだ末に、確かな道筋をようやく見つけた。
匂いは────北へと向かっている。
「────!」
遠吠えで付近を捜索していた仲間を呼び寄せた。
伝えるべきはただふたつ。
ひとつは、獲物は北に向かったこと。
そして、もうひとつは──
────狩りはまだ、終わっていないということだ。