生きたければ飯を食え~とある料理人の異世界繁盛記~ 作:混沌の魔法使い
メニュー4 ホーンブルの腿肉の赤ワイン煮込み
見習いとはいえ冒険者をやっていればサガーク公益社の名前は嫌でも聞く。採集や討伐依頼でも、用心棒や護衛の依頼でも、移動の足は大体がサガーク公益社の乗り物が使われる。それが当たり前であり、常識だったのだが……まさかそのサガーク公益社がディナプトの市場に圧力を掛けているとは夢にも思っていなかった。
「じゃあこれが魔法が掛けられてるっていうレシピか?」
「おう、ほれ。そこにドラゴンと馬車の絵があるだろ? ドラゴンはサガークの紋章で、馬車は公益社を示してる。奴らの紋章だ」
カワサキが購入した調味料にもレシピはついていたけど……当然私は見ても全然意味が分らないわけで気にしてなかったけど、確かに良く見ると少しぼんやりとしていて、レシピが良く分らない。多分この場合は購入者のカワサキにしか分からないように魔法が掛けられているのだろう。
「カワサキからみてどうかな? その料理は美味しい物なのかな?」
料理人のカワサキのこのレシピはどれくらいの代物なのかを尋ねてみる。
「うーん……基本は抑えてるし、そう悪いレシピではないと思うが……」
カワサキはサガーク公益社から提供されてるレシピを見て何とも言えない表情をしている。
「なんだ? なんか問題があるのか?」
「俺の視点からだとちょっと足りない物があるって感じだな、意図的にレシピを未完成にしているかどうかは分らんが完成度は7割って所だな。例えばここだが牛骨の出汁の事が書いてないし、ここはワインビネガーを使うと酸味が強すぎて味が纏まらないんじゃないかって俺は思うが……レシピだけじゃちょっと自信がない。俺の知らない食材が多すぎて出汁とか風味が分らんし」
レシピ的には不満はあるが、食材の味と風味でフォロー出来るかもしれないらしいが……。カワサキ的には7割程度の完成度のレシピらしい。
「未完成のレシピで市場の人の店の評判を下げてる?」
「まぁ可能性だけどな? これを1回試してみても良いが……まぁまずはリオンに出す料理を考えないとな」
リオンさんと協力出来るかどうかでトラフロンの大宿屋とサガーク公益社への対抗策が変わってくる。だからなんとしてもリオンさんと協力態勢を取りたいんだけど……正直カワサキの料理でリオンさんを納得させれるかどうかに全てが掛かっている。
「で、実際どうなんだ? この肉で納得させれるのか?」
「あん? 何言ってるんだ爺さん。俺はこの肉は使わないぞ?」
「「は?」」
捨ててしまう部位から美味しい部位を沢山切り出していたのでそれを使うと思っていたんだけど、カワサキは使わないと言い出して、私もおじさんも思わず変な声が出てしまった。
「美味い部位を使って料理を作ればそりゃ美味いもんが出来るだろうよ。サガークとつるんでいるトラフロンと同じでな。んで、リオンって奴はそんな料理で納得するのか?」
確かにそれを言われると多分無理だろう。トラフロンとサガーク公益社を摘発しようとしているのに、それと同じやり方をしてリオンさんが協力してくれると到底思えなかった。
「誰でも手に入れられる食材を使うからこそ料理人の腕前が1番分るってもんさ。だから俺はこれを使う」
カワサキが選んだ食材はホーンブルの腿肉――安くて誰でも買える。だけど固くてまともに食べるのは難しい食材で、大体燻製肉などに加工する食材だ。
「本気ですか?」
「本気も本気だが? こういう食材で美味い物を作ってこそ料理人の腕が分るってもんさ。だろ? 爺さん」
「まぁ分らんでもないが……頼むからしくじってくれるなよ?」
「任せな。じゃあ行くか、そろそろ準備をしないと間に合わなくなる」
「え? まだ昼を少し過ぎた頃ですよ? 夜まで時間はまだありますけど?」
夕食に来るのに、昼少しすぎから準備をする必要があるとは思えなかったんだけど……カワサキは真顔で私を見つめていた。
「美味い料理は時間が掛かるもんだ。今から始めても遅すぎるくらいだ」
「ええ!? そうなんですか」
「だから急いで帰るぞ。じゃあな爺さん!」
「おじさん、また来るね!」
お爺ちゃんの店を潰さないように戻ってきたのに、何時の間にかこの街の根底に関わる事件に巻き込まれていた。だけど……お爺ちゃんの店を守る事と、市場の皆を守る事はきっと同じだ。
(お爺ちゃんもそうしたよね)
厳しくて優しくて強いお爺ちゃん。おじさんと一緒にこの街がドラゴンに襲われた時に何の見返りも求めずドラゴンを退治したお爺ちゃんならきっと市場の皆の為に戦っていたに違いない。だけど私はお爺ちゃんみたいに強くないし、お爺ちゃんみたいに皆に美味しいと言って貰える料理は作れない……。
「自信はありますか?」
「んなもんねえよ。だけどな、人間死ぬ気でやれば大概何とかなるもんだ! 後は自信だな。自分が自分を信じてなきゃ上手くなんか行くわけないだろ」
そうやってニッと笑うカワサキの姿はお爺ちゃんとは余りにも違っているのに、私にはお爺ちゃんの姿にダブって見えた……。
「私は何をすれば良いですか?」
「レナは出迎えの準備をしてくれれば良い、テーブルの準備とかな。料理は俺に任せてくれ」
「はい! 頑張ります」
だからこそカワサキに全てを押し付けるのではなく、私も出来る範囲でリオンさんの協力を得れるように、そしてリオンさんが協力者と認めてくれるように頑張ろうと気合を入れ、先を歩くカワサキの後を早足で駆け出すのだった……。
店に戻って来た俺は使える食材を前に献立を考えていた。メインに使うのはホーンブルとかいう角の生えた牛の腿肉。ちょいと硬いが煮込み料理に使う事を考えれば全然問題ない。次に野菜はソラという人がやっていた八百屋で買ったものを使う。
「不揃いだが、これは良いもんだ」
濃い緑色をしていて蕾が硬く密集、そして茎の切り口が白くてみずみずしいブロッコリーは少々形が悪いが味は問題ない。それに人参もずっしりと重く、濃いオレンジ色をしている。他の野菜もそうだが、形は不恰好だがどれもこれも品質はかなり良い。これならオリーブオイルと塩胡椒で焼くだけでも、いや、マヨネーズを掛けて食べるだけで美味いと断言出来るレベルだ。調理器具は少々不安は残るが鍋やフライパンがあるからこれも問題ない。食材も少々不恰好だったり、見た事のない動物やモンスターの物で勘で調理する事になるだろうが、これも問題は無い。だが料理をする上で必要不可欠な物……すなわち調味料に俺は一抹の不安を抱いていた。
「野菜はこれで行くとして問題は……調理器具と調味料か」
使い慣れた日本の調理器具や調味料はない、試行錯誤や味見をしつつやるしかないんだが……不思議と笑みが口元に浮かぶ。
「なんだろうな……この感じ。なんか楽しいな」
まだまだ駆け出しだった時……いや、流れで料理人をしていた時か? 誰にも期待されず、まともな場所も使えずに料理をした時の事を思い出す。負けてたまるか、舐められてたまるかと負けん気だけで料理をしていた時と似ているが……今回は少し違うか。
「期待されてるなら、その期待には応えないとな」
レナとぺトラの爺さんに期待されている。命の恩人の期待と信頼には応えないとなと気合を入れ調理を始める。
「まずはっと牛腿の下拵えだな」
牛腿肉にフォークで全面に穴を空け、ボウルの中に塩と砂糖を小さじ3ずつ溶かした水を用意し牛腿肉を沈めて冷蔵庫の中に入れる。
「……時間が分らないのが面倒だな」
時計がないので正確な時間は分らないが、これで3時間ほど寝かせておけばある程度は柔らかくなる筈だ。そこから煮れば夕食の時間には恐らく間に合うはずだ。
「次は調味料か……」
この世界ではどんな調味料が使われているか分らない。少々怖くはあるが味見をして俺の知ってる調味料に近いかどうかを調べる事にする。俺の知ってる調味料に味が近いのか、遠いのか、それが分らなければ料理の組み立てなんか出来ないので厨房の調味料を片っ端から味見する。
「……これは……コンソメ……に近いか? これはありだな」
様々な旨みが凝縮している粉末。少々物足りなさは感じるがかなり顆粒コンソメに近い、少し味の調整は必要だがこれはこのまま使える。
「これは……ぺっ! ぺっ!! げほっ! やっぱり五香粉かッ!?」
空けた時から薄々感じていた。独特な八角やシナモンの甘い香りにもしや? と思っていたが、実際に口にして花椒と漢方のような独特の香りに口にした調味料を吐き出し、用意していた水で口の中をすすぎ、他の調味料の蓋も開けて香りと味を次々と確かめる。
「ふいー……これはガラムマサラに似てるな、これはありがたい」
今回は使わないがターメリックやクミン等のスパイスを混ぜたガラムマサラに似た調味料があった。これがあればカレーも作れるようになるのでガラムマサラは本当にありがたい。
「……結構似たタイプの調味料も多いな」
味の精度は違うが中南米で使われるカイエンペッパーやエチオピアなどで使われるベレベレといったトウガラシの粉末をベースにし、様々なスパイスを混ぜた物もかなりの種類があった。
「これは……エルブド・プロバンスか? いや、流通の拠点とはいえ凄いな」
フランスなどで使われるオレガノやタイムなどの粉末ハーブをミックスしたエルブド・プロバンスにも似た調味料もあった訳だが……。
「なんで醤油とか味噌がないんだよ……」
これだけ調味料があって醤油と味噌がないんだと嘆いた俺は絶対に悪くない筈だ。だが入手出来る望みはあるので今は我慢する事にする。
「極東って事は日本だよな。なら入手出来る機会はある筈だ」
余り美味くなくとも醤油と味噌、それと米は絶対に欲しいので何とかして入手したいと思いながら冷蔵庫の中身も改めて確認する。
「ケチャップとかはないが、バターとかはあるんだよな……なら問題ないな」
調味料は俺の知ってる物と少し違うが似たような物もあればスパイスもある。完全に味が俺の知るものと違っていればどうにもならないが、俺の知ってる調味料に似たものがあるのならばある程度の味覚も似通ってる筈だ。味関連について感じていた不安が払拭出来た所で改めて料理に取り掛かる。
「まずはスープだな」
濃い味付けの赤ワイン煮込みを作るつもりなので、スープはさっぱりとした野菜スープに決めた。
「本当に良い野菜だな。これが売れないとか頭おかしいんじゃないか?」
野菜の皮や、虫食いのある部分を切り落とし、人参の茎などの本来は食用に使わない部分を1度綺麗に水洗いし、水を張った鍋の中に入れて中火でじっくりと煮出す。今俺が作っているのはベジブロスという出汁の一種だ。野菜の切れ端や皮、茎などを中火でじっくりと煮て野菜の甘さと旨味が溶け出したベジブロスは使う野菜によって洋風や中華風にもなり、何よりも栄養価も豊富と中々に使い勝手が良い。煮込んでいるうちに浮かんできた灰汁を掬っては捨てながら具材になる野菜の下拵えも平行して行なう。
「まずはっと」
ベジブロスを取る為に皮を剥いた野菜をそのままスープの具材にする為に下拵えに入る。人参とじゃがいもは乱切り、玉葱は1Cm幅に切る。キャベツは1口大、ブロッコリーは茎を含めて小房にして、茎の部分の川を包丁の先で剥く。
「本当は茸とかも欲しいんだが……な」
茸類は余りにも見た事がない物が多いので今回は断念。これがしめじとか舞茸なら使うんだが、全然見たことない種類しかないので正直言って恐怖が勝ったので使うのは断念する。
「ベジブロスも良い感じだな。あちちち……」
ザルで野菜カスを取り除き、ボウルにたまった琥珀色のスープを口にする。味付けをしていないので野菜の甘さと香りが強調されている、癖がなくまろやかな味わいに1人頷いた。
「うん、これなら良いスープになるな」
ベジブロスを鍋に移し、下拵えをした野菜を入れて蓋をして10分ほど弱火で煮る。ベーコンやウィンナーを入れても良い味になるが、今回は見送り野菜をメインにしたスープに仕上げる。
「良し。OK」
10分ほど煮た所でじゃがいもとブロッコリーを入れて再度蓋をして煮ている間に他の献立を考える。
「ロウガもそうだったが、レナも良く食うんだよな」
ロウガは分厚いサーロインステーキを3枚ぺろりと食べていたし、レナはホットケーキ3枚、ロウガから少し奪ったサーロインステーキ、そして爺さんのところの焼肉もかなり食べていた事を考えるとこの世界の住人はかなり大食いなのかもしれない。
「となると後はパスタとバゲット……後はサラダもつけるか」
普通だと少し多い気もするが、魔法やモンスターと戦う事を考えるとそれだけカロリーが必要なのかもしれないなと思いながら野菜スープに顆粒コンソメと塩、ブラックペッパーで味を調え味見をする。
「良し、OK。完璧だ」
コンソメとは少し違うがスープにかなり深みが加わった。それにブラックペッパーのピリリとした刺激が実に良く合う。牛腿肉の赤ワイン煮込みに合わせるのにぴったりなスープが出来た。メニューは大体決まったのでメインの牛腿肉の赤ワイン煮込みの調理に入る。
「これならいけるな」
ブライン液に漬け込んでいた牛腿肉。その水気を細長いヘアアイロンのような道具に魔石を嵌めて、牛肉の表面を撫でると水気が取れてゆく。
「どういう理論なんだこれは? いや便利だから良いが……」
キッチンペーパーで拭くよりかは早いし、これはこれで良いんだよな? とぼやきながら水気を拭き取った牛腿肉に小麦粉を塗し、オリーブオイルをひいたフライパンで表面をカリッと焼き上げる。
「後はハーブと野菜……」
大きめの鍋に焼いた牛腿肉を2つ入れ、牛腿肉が浸るまで赤ワインを加え、玉葱、セロリ、人参などの香味野菜とハーブを入れて弱火で火に掛ける。
「これで良しっと」
ここからは余りに動かさず、灰汁が浮いてきたら灰汁を掬って捨て、ワインが蒸発してきたら少しずつワインを足して肉がホロホロになるまで丁寧に丁寧に煮込んでいくが、勿論牛腿肉の赤ワイン煮込みだけに意識を向けるわけには行かないので、それと平行して他のメニューの調理も行う。
「パスタはシンプルに、バゲットはガーリックバターで……サラダは……グリーンサラダで行くか……」
まずはグリーンリーフ。これを良く洗ってから手で千切って水を張ったボウルに入れる。包丁を使うと切断面が黒くなって見た目が悪くなるし、少し鉄臭くなる。人間なら気にしないだろうが、相手は獣人なのでもしかすると気にするかもしれないのでそこにも気を使う。
「後はトマトもだな」
グリーンサラダは本当にシンプルなサラダだ。だからこそ下拵えとドレッシングが味の全てになる。
「良し。OK」
グリーンリーフの水気を素早く魔石アイロン?で取り、ボウルに入れて冷蔵庫で冷やし、味の決め手のドレッシングの作成に入る。
「次はドレッシングと……」
小さめのボウルにオリーブオイル、塩、砂糖、ワインビネガーを入れて白っぽくなるまで泡たて器で良く掻き混ぜてこれも冷蔵庫で冷やしていると外から聞こえて来る声が賑やかしくなって来た。
「今日はどこの店にする? トラフロン?」
「あそこは高いからやだ。ギルドの近くで良いでしょ?」
「えーやすいけどあんまり美味しくないんだよねぇ……」
「我侭言わない、お金ないんだから」
「へへ。今日は依頼料がたんまり入ったからな! 夕食は期待してくれよ!」
「兄貴! 俺肉が良い!」
「俺も!」
「俺もだ! 良し! 今日は肉を食うぞぉ!!」
「今日は魚にでもしようかしら」
「旦那が帰ってくるから今日は奮発しちゃお!」
「……案外タイムリミットは近いみたいだな」
何を食うか、どこかで食うか、夕食のメニューはどうするか、夫が帰ってくるから材料を奮発しようか……生活感溢れた賑やかな声。それ自体は良いが、夕食時が近いのは少々不味い。
「赤ワイン煮込みは良し……サラダは冷やし時間が少し不安か……調べるのに時間を食ったのが痛いな」
後どれくらい時間の猶予があるのか分からないので少し料理のペースを早める事にする。調味料を調べている時間や、爺さんとの問答で時間を消費したのが痛いが、その程度のロスを理由に料理が間に合わないかもしれないなんて情けない事をいうつもりはない。むしろ夕食の時間が近いということが分かった事で料理を仕上げて行っても問題ないという事が分かった事の方がありがたい。
「冷めた料理なんて冗談じゃないからな」
完成させたはいいが美味い時期を逃したなんて洒落にならない。だからもうじきリオンとロウガ来るという前提で料理を仕上げていく。
「赤ワイン煮込みはOK、サラダもOK。次はパスタだな」
厨房を調べている間に見つけたパスタを使う事にする。平たく長い麺――フェットチーネの乾麺があったのでこれを茹でている間にフライパンにバターを溶かし、塊のチーズを削り粉チーズを準備する。
「もうすぐリオンさん来ますけど大丈夫ですか!?」
「後少しで仕上げる! レナは出迎えの準備をしててくれ!」
血相を変えて飛び込んできたレナに大丈夫だと返事をし、バタバタと店に戻っていくレナを見送り料理の最後の仕上げに入る。
「うっし! 行くかッ!」
茹で上がったフェットチーネをバターを溶かしたフライパンに入れ、バターを良く絡ませる。そしてフェットチーネを茹でるのに使っていた鍋から茹で汁をお玉で1杯取りフライパンの中にいれ、削ったチーズを加えて全体を良く混ぜ合わせる。
「良し。OKッ!」
フェットチーネを皿に盛り付け、その上から黒胡椒を散らせばフェットチーネ・アルフレードの完成だ。そのまま別のフライパンを手に取りバター、オリーブオイル、にんにくの摩り下ろしを入れて中火で火に掛けるのと同時に野菜スープの鍋も火に掛けてスープを温める。
「2人前でここまで梃子摺るとは……まあこれも良い経験だ」
普段使う調理器具がない、調味料がない。それだけでここまで苦戦するかと苦笑しながらバターを溶かしたフライパンにバゲットを加えて焼き、冷蔵庫に入れておいた野菜を取り出しドレッシングと良く絡めて皿に盛り付ける。
「本日は招いていただいて感謝するよ。レナ嬢」
「ようこそお越しくださいましたリオンさん」
落ち着いた男性の声と少し上擦ったレナの声が聞こえてきた所でバゲットが焼き終わった。
「ふー……ギリギリセーフ」
ガーリックバターを染み込ませたバゲット、グリーンサラダ、コンソメスープ、フェットチーネ・アルフレード、そして牛腿肉の赤ワイン煮込み……。何もかもない中で作った割には中々の出来栄えだと自分で自分を褒めながら完成した料理をトレイに乗せる。
「さてと行くとするか」
俺が今出来る全力は出したつもりだ。あとは俺の料理がリオンの口に合うかどうかに全てが掛かってる。少しの不安を抱きながら俺は料理を持って厨房を出るのだった……。
王都や聖都などでも使われる最高級の素材で作られた家具と調度品で彩られた部屋の中にその獣人はいた。腰元まで伸びる白銀に輝く長髪から飛び出している狼を思わせる獣耳。彼が狼の獣人である証拠だ。筋骨隆々の獣人が多い中、彼は細身だが鍛え上げられた肉体と深い知性を感じさせるアイスブルーの瞳。獣人でありながら卓越した魔法使いであり、獣人族の神官でもあり……ここディナプトの街を拠点としているSランク冒険者のリオンその人だ。
「……中々にあくどい。だが違法ではないのが厄介だな」
サガーク公益社によってディナプトは流通の拠点として発展してきた。だが先代社長であるモガリさんが病に倒れ、ボンクラ息子と蔑まれているタージェンが臨時社長になってから雲行きが怪しくなって来ていた。他国から取り寄せた品を市場の商人に無理に買わせる。買わなければ市場での販売に圧力を掛けられるのでサガーク公益社の品を売らなければならないが、原価が高い他国の品を売っても利益は余り出ない。
「地元の人間相手の商売は難しく、他国から来た相手を照準にした商売か……」
地元の人間が買うには高い値段設定にしなければならないので地元の人間は買わず、サガーク公益社の馬車や飛行船、あるいは船に乗ってやって来た者が好んで買うので売れないわけでは無いが、そうなるとサガーク公益社から仕入れ続ける必要があり、このままでは流通網だけではなく、売り物まで全てサガーク公益社に支配される事になるだろう。私はディナプトの街の温かさや人の繋がりが好きだ。だからSランクになった後も拠点としているが……このままではこの街の良さが消えてしまうような気がしていた。だからトラフロンの大宿屋とサガーク公益社の事を調べていたのだが……そこで知りたくない事実を知ってしまった。
「教会め……」
四神教ではない、その分派のサガーク教の司祭がどうも公益社に関わっているという事が明らかになった。王都ではアルパーナ、魔法都市ではヴェルメリアと都市によっては最高神と祭っている神が違うのは良くある事だ。王都に近いディナプトは基本はアルパーナ教の信者が多いが、冒険者や旅人の守護者であるサガークも同じ位祭られている。だから公益社の暴挙に強く出れず、市場への圧力が強まってしまっているのだ。
「さてどうしたものか」
とはいえ違法ではないので検挙することも出来ない。何か明確な犯罪行為の証拠でも掴めればよいのだが……。
「このままだと極東の姫が来日したが怖い」
極東との国交強化の為に来日するが、その時に公益社とトラフロンが気に入られればますます圧制が強くなるが、食道楽として有名な極東の姫を納得させる味の料理人など知り合いにいるわけもなくどうしたものかと頭を抱えていると部屋の扉が行き良く開かれた。
「兄貴! リオンの兄貴! 飯を食いに行こうぜッ!!」
転がり込むように部屋の中に入ってきたのは私の弟であるロウガだった。私の10人いる弟の中で1番若く、才能溢れたロウガだがやりすぎる事と少々頭が弱いのが難点だ。
「ロウガ。もう少し大人しくできないのか?」
家具や調度品を壊せばトラフロンに何を言われるかと思いながらジト目を向けるが、ロウガはそんな私の目を真っ直ぐに見つめてきた。普段なら都合が悪ければ目を逸らすロウガが……だ。
(何かあるな)
ロウガは頭は弱いが馬鹿ではない、ここに拠点を構えた初日に調度品を破壊した事を叱ったので普段のロウガならさっきのようなまねはしない。つまり「馬鹿な事をして私をここから連れ出そうとしてる」と私は判断した。
「へへ。ごめん兄貴! それより飯を食いに行こうぜ!」
飯を食いに行こうと繰り返し言うロウガの目は真剣だ。ただ飯を食いたいだけではない何かほかの思惑があるのが見て取れた。
「やれやれしょうがない奴だ。何が食べたいんだ?」
「肉! でけぇ肉が良い! ここの飯は美味いけど量が少ないからさ!」
「冒険者向けの店ではないからな。まぁ良い行こうか」
羊皮紙を鞄にしまい魔法を掛けてからロウガと共に宿屋を出る。
「それで何があった?」
「……神域から流れてきたって奴がレナの店にいるんだ。兄貴にも会ってもらおうと思って」
神域から人が流れてくる……それはありえない現象だ。四神教のそれぞれの司祭が張った結界だからだ。高位の司祭か、シスター、神父で無ければ通れない神域から人が来た。口にすれば一言だが、それはとんでもない異常事態でもあった。
「……なるほど、それは確かにお前の手に余るな。どんな奴だ?」
「料理人。ギリアムの爺さんみたいに怖いけど優しいんだよ、それに飯が美味い!」
私が危惧していた乱暴者などではないようで一安心だが、結界が張られている神域から人が流れてきたというのは四神教の関係者に知られてはいけないことでもあった。下手をすれば犯罪者、良くて神からの使いとして王都に連れて行かれ、政治闘争に利用される。知らない相手だが、軟禁状態や処刑されるのは気の毒なのでなんとかしてやりたいとは思う。
(何が起きているのかこの目で確かめてみるか)
公益社の――いや、タージェンとサガーク分派の暴虐を止める一助になるかもしれないとギリアム・ウェルナの店に足を向ける。
「……これは……」
「うは! 美味そうッ!」
獣人の鼻だから分る――ギリアム・ウェルナの店から食欲を誘う濃厚な香りが漂っている。他の獣人達もチラチラとギリアム・ウェルナの店を見ているのが良く分る。だが店に行っていないのは何故かと思いながら店の前に行き納得した。
「本日貸切か」
「レナがしてくれたんだ。行こうぜ兄貴」
満面の笑みを浮かべるロウガと共に店の中に足を踏み入れれば良く分る。外とは比べ物にならない香りが店の中に満ちている。その香りだけでトラフロンの料理人よりも腕が良いと分る。
「いらしゃいませ! リオンさん」
エプロン姿のレナ嬢が私とロウガに気付き笑みを浮かべて出迎えてくれる。
「本日は招いていただいて感謝するよ。レナ嬢」
「ようこそお越しくださいましたリオンさん、こちらへどうぞ」
真っ白なテーブルクロスが広げられた机に案内され、ロウガと共に腰を下ろすと厨房から料理を手にした男が姿を見せた。
(こいつ……出来る)
黒髪黒目の極東人――だがその重心は低く、かなりの数の料理を運んでいるのに姿勢が全くぶれていない。料理人ではなく冒険者と言われても納得するレベルだ。
「失礼いたします。こちら牛腿肉の赤ワイン煮込み、フェットチーネ・アルフレード、特製野菜スープ、グリーンサラダでございます。それとこちらお邪魔致します」
屈強な体格からは想像できない柔らかく丁寧な口調で料理が机の上に配膳され、レナ嬢が配置したであろうカトラリーやグラス、ナプキンの位置を手早く置きなおして一礼する。
「カワサキ。それなんか変」
「んん? そうですかね?」
「めちゃくちゃ変だぞ、カワサキ。なぁ兄貴」
レナ嬢とロウガは変というのも分る。貴族相手なら普通だが、冒険者相手にやれば変な奴にしか見えないだろう。
「貴族相手ではない、もっと楽で構わない。肩肘張った食事は好きではない」
「それは悪かった。あんたが凄い相手って聞いてたんでね、それなりの立ち振る舞いが必要だと思ったんだ」
乱暴な口調に一転するが、その口調の方が親しみがあり愛嬌と親しみを感じさせた。
「私等どこにでもいる冒険者に過ぎないからな、所でこの料理はどれも見たことがない。どんな料理か説明して貰えるだろうか?」
「フェットチーネ・アルフレードは塩、バター、チーズで味付けをしたシンプルなパスタだ。その野菜スープは野菜の美味さを最大限に生かしたスープで、野菜の甘さを楽しんでくれ。こっちの赤ワイン煮込みは牛腿肉を香味野菜と赤ワインで煮込んだ物、驚く食感を約束しよう」
「なるほど……ならば驚かせて貰うとしよう」
見たことのない料理だがどんなものかと期待しながらナイフとフォークを手に取り牛腿肉にフォークを当て……。
「これは……」
「や、やわらけえ……ッ」
全然力を入れていないのにフォークを当てただけで簡単に肉が崩れた。一体どれほど煮込んでいたのかと驚かされながらナイフで肉を丁寧に切り口へ運ぶ。軽く噛んだだけで肉は口の中でほろりと解け、肉汁とソースが口の中で弾けた。
「うっまぁッ!! これめちゃくちゃ美味いぞ! カワサキッ!」
「確かに美味い。これほどの味は王都でも口に出来るかどうかだな」
赤ワインで煮込んだと言っていたが、赤ワインの酒精は感じず。赤ワインの甘みとコク、そして香味野菜の旨みが溶け出したソース……これだけでも美味いのだが、ホロリと口の中で解ける腿肉も絶品だ。一緒に提供されている赤ワインとの相性も抜群の一品だ。
「このパスタも美味いな。味付けは確かにシンプルなのだが……癖になる味だ」
平打ちのパスタはバターとチーズのシンプルな味付けなのだが、ピリリとした黒胡椒の刺激が味をグッと引き締めている。
「おお、このソースをパスタに乗せても美味いな!」
「ロウガ……行儀悪いよ?」
レナ嬢のいう通りソースをパスタに乗せているロウガを注意しようとしたが、カワサキは楽しそうに笑っていた。
「濃厚なソースに仕上げてるからな、そりゃパスタに乗せても美味いだろうよ」
「怒らないのか?」
自分の料理を台無しにされたはずなのに怒っていない所か笑っているカワサキに少し驚いて、怒っていないのか? と尋ねる。
「他の客に迷惑とか掛けないなら俺は気にしない。美味いものを食う時は穏やかな気持ちじゃないとな!」
なんと愛想の良い男なのだと思った。トラフロンの宿屋の偉そうな料理人や、王都のこちらを見下している料理人とは余りにも違う。食べる相手の事を考えた料理人なのだと分った。
「勿論このバゲットにソースをつけても美味い」
「なるほど、では試してみるとしよう」
にんにくの香りがするソースが染み込んでいるバゲットをソースに付ける。当然だがソースにバゲットに染み込んでいるソースが広がっていく、余りつけるとソースの味が変わってしまうか? と思ったがカワサキが何も言わないのならば問題ない筈だ。肉を煮込んだソースが染み込んだバゲットに齧りつくとバリッという香ばしい音と共に様々な旨味が溶け込んだソースが口の中に広がる。
「確かにこれは美味い」
「うめえッ! いや本当に美味いぜカワサキ!」
どれも決して派手ではない、基本的な煮込む、焼くという調理だけでここまでの味を引き出している事には正直驚きしかない。
「うげ、野菜はなぁ……おお? 美味いッ!? なんでだ!?」
「下拵えを丁寧にして味付けを考えればそう不味くなるモンじゃないぞ?」
冷たい良く冷やされたサラダのシャキシャキとした食感とその食感を良くする際立たせるドレッシング。そして野菜の甘さと美味さを楽しんでくれと言っていたスープは驚くほどに旨みが凝縮されていて、野菜しか使われておらず、獣人である我々にはどこか物足りない筈なのに……溜息が思わず口から零れるほどに美味かった。
「美味い。この野菜スープ……もう一杯貰えるだろうか」
「勿論ロウガは?」
「俺も貰おうかな、後パンも」
野菜嫌いのロウガでさえもう一杯と頼む濃厚な野菜の味が溶け出したスープ。全ての料理を食べて思ったがどれもこれも基本に忠実に、そして丁寧に作られている。食べに来た客を見て食材や調理を変えるトラフロンや王都の料理人とは違う。ギリアム老と同じ「本物」の料理人だと確信した。
(カワサキならば上手く行くかもしれん)
公益社が企みを砕く助けにカワサキはなってくれると確信した、確信したが……。
「この煮込みもう1皿貰えるだろうか?」
少々物足りないので赤ワイン煮込みとやらをもう1皿頼もうとしたのだが、カワサキは気まずそうな笑みを浮かべた。
「あー時間がなかったからなぁ……2人分しかないんだよ。ステーキでも焼くか?」
「兄貴! カワサキのステーキは美味かったぜ! あのサーロインって奴のミディアムレアが美味いぜ兄貴ッ」
「ではそのサーロインのステーキを2人前、焼き加減はミディアムレアとやらで頼む。それとワインの追加もな」
肉を焼いただけのステーキかと私が返答に悩んでいるとロウガが美味かったと言うのでステーキを頼むことにする。
「すぐに準備しよう。レナかまわないよな?」
「え? う、うん。全然OKッ! お願いするね!」
トラフロンで半ば監視されながら立ち振る舞いに気にして食事をしてもどこに入ったかも分からん。ギリアム老とは違うが自然体の私でい
られ、なんともいえない居心地の良さを感じながら私はステーキとワインを追加で注文する。
(どうせこの後は胸糞悪い話になる。素面ではしてられん)
レナ嬢の後にはぺトラ老がいる。サガーク公益社の悪辣なやり方に対抗しているぺトラ老も私と同じ所に突破口を見出したのだろう。すなわち……1ヵ月後の極東の姫が来日する際の祭で公益社とトラフロンを上回る品を出し、極東の姫をこちらの味方にする。圧倒的な資産と冒険者にコネを持つ公益社と戦うには公益社よりも強い権力を持つ相手を味方に引きこむしかないのだ。だが生半可な権力者や金持ちでは役に立たない、教皇や国王ですら無碍には出来ない権力者――他国の王族に気に入られ、協力者になって貰う。それがディナプトを支配しようとしているサガーク公益社に立ち向かう唯一の方法なのだった……。
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