先生が1日30分しか寝ないと言い出して曇り始めるブルアカ生徒たち 作:すーぱーりっかちゃん
原作:ブルーアーカイブ
タグ:ブルーアーカイブ ブルアカ 先生(ブルアカ) 鷲見セリナ 救護騎士団 曇らせ 会話形式
見なくても話は分かりますが、見るとより楽しめます。
某チャンネルに投稿しようとしていたものの供養です。
「今日から 一日三十分しか寝ないことにしたよ」
ネットで話題の短時間睡眠に影響された先生は 無茶を承知のうえで 自分の生活を二十四時間生配信して生徒たちに見張ってもらうことに。
全力で止めるプラナ なぜか説得されて乗り気になるアロナ 気が気じゃない救護騎士団 そして画面越しに先生を見守る(見守りすぎる)生徒たち。
コメント欄の湿度が 日に日に上がっていく。
会話中心の長編SSです(本文約4万字)。
キャラクターの口調や関係性には注意していますが 独自解釈およびif設定を含みます。
【注意】
・曇らせ(ギャグ寄り 湿度高め ただし今回は雲は出ません)
・先生の極端な睡眠不足と それによる言動の変化(作中では否定的に描いています 真似しないでください)
・睡眠不足の先生が生徒にきつい言葉をかける場面
・入浴配信をめぐるドタバタ(直接的な描写はありません)
・生徒の重めの好意 執着 嫉妬 先生×生徒を思わせる表現
・配信サービス「モモライブ」など原作にない設定
以上の要素が苦手な方はご注意ください。
pixivにも掲載しています。
午前三時十二分。
シャーレの執務室で先生はスマホの画面を見つめていた。
ネットで話題になっている動画だった。画面の中の男はやけに爽やかな顔で 睡眠は習慣にすぎないと語っている。慣れてしまえば一日三十分で足りる。人生の持ち時間が倍になる。再生回数はとっくに百万を超えていた。
先生「……倍」
先生は机の上を見た。
崩れかけた書類の山。その横に貼られた付箋には自分の字でこう書いてある。
生徒相談 予約待ち 三か月。
先生はもう一度動画を見た。それから机の端に立てかけたタブレットに向き直った。
先生「アロナ プラナ」
アロナ「むにゃ……はい……先生……?」
シッテムの箱の画面の中で アロナがまぶたをこすりながら起き上がった。その隣ではプラナがすでに背筋を伸ばして座っている。
プラナ「起動しています どうしましたか 先生」
先生「私 決めたよ」
アロナ「ふぁ……何をですか……?」
先生「今日から 一日三十分しか寝ないことにした」
沈黙が三秒続いた。
アロナ「……えええええええええ!?」
プラナ「混乱。理解できない発言です」
アロナ「だめです! 絶対だめです! 先生が倒れちゃいます!」
先生「でも話題なんだよ 慣れれば三十分で足りるんだって」
アロナ「ネットの話をそのまま信じちゃだめです! アロナなんて 一日十時間は寝てます!」
プラナ「先輩 それは反論になっていません 自慢です」
アロナ「えっ」
プラナ「否定します」
プラナは画面の中で小さく片手を挙げた。
プラナ「成人に必要な睡眠時間は 一般に七時間以上とされています 生まれつき短い睡眠で足りる人間はごく稀です 訓練でなれるという科学的な根拠は確認できません」
先生「うん……」
プラナ「睡眠が不足すると 注意力 判断力 記憶力 感情の制御がそろって低下します 事故や体調不良の危険も上がります つまり」
プラナはそこで一拍置いた。
プラナ「非合理的です」
アロナ「そうです! ひごーりてきです!」
先生「アロナ 意味わかって言ってる?」
アロナ「わかってません! でもだめです!」
アロナは画面いっぱいに顔を近づけてきた。大きな瞳が必死に揺れている。
アロナ「先生が今夜ちゃんと寝てくれるなら……アロナの秘蔵のイチゴミルク あげます!」
先生「それ 画面の中のやつだよね」
アロナ「……気持ちです!」
先生が首を横に振ると アロナとプラナは顔を見合わせた。
次の瞬間 二人の作戦が始まった。
アロナ「ねーんねーん ころーりーよー おこーろーりーよー」
アロナが画面の中で子守唄を歌いはじめた。音程は少しだけ外れていた。
プラナ「睡眠導入用の環境音を再生します 雨音です」
執務室のスピーカーから しとしとと雨の音が流れはじめる。
アロナ「羊が一匹……羊が二匹……羊が……むにゃ……」
プラナ「先輩が先に寝ないでください」
アロナ「はっ!?」
先生は笑いながら立ち上がり 給湯室のコーヒーメーカーに手を伸ばした。
ボタンを押しても何も起きなかった。
プラナ「シャーレの設備制御からコーヒーメーカーを停止しました」
先生「プラナ……」
プラナ「当然の措置です」
先生は黙って机の引き出しを開けた。中からインスタントコーヒーの瓶が出てきた。
プラナ「……想定外です」
先生「非常用なんだ」
アロナ「先生の非常用は 非常の意味を間違ってます!」
雨音と子守唄と羊の数が入り混じる中で 先生はお湯を注いだインスタントコーヒーをすすった。
先生は困ったように笑った。
それから机の上の付箋を指でとんとんと叩いた。
先生「これ 見てくれる?」
アロナ「生徒相談……予約待ち……三か月……?」
先生「みんな困ったことがあって相談に来たいのに 三か月も待たせてるんだよ」
先生の声が少しだけ低くなった。
先生「先週ね 予約してた子が当日になって来なかったんだ あとで聞いたら 待ってるあいだに自分で何とかしようとして 余計に大変なことになってた」
先生「部活がなくなるかもしれないって相談でね 三か月前に聞けていたら 一緒に考えられたかもしれないんだ」
プラナ「……」
先生「私が寝てる七時間で あの子の話を聞けたかもしれない そう思ったらさ」
先生は画面の二人をまっすぐに見た。
目の下にはもううっすらとくまが浮いている。
先生「三十分で済むなら 一日に七時間近く みんなのために使える時間が増えるんだよ 無茶なのはわかってる でも やってみたいんだ」
少しだけ照れくさそうに先生は笑った。
先生「私は先生だからね」
プラナ「先生である前に 人間です」
プラナの言葉は 先生の耳にちゃんと届いていた。届いていて 先生は少しだけ眉を下げて笑うだけだった。
アロナの大きな目がうるうると潤みはじめた。
アロナ「せ……先生……」
プラナ「先輩?」
アロナ「そこまで……生徒のことを……っ」
プラナ「先輩 待ってください」
アロナ「アロナ 感動しました!!」
アロナは画面の中で勢いよく立ち上がった。
アロナ「先生の一日三十分睡眠チャレンジ アロナが全力で応援します!!」
プラナ「先輩」
アロナ「はいっ!」
プラナ「寝返らないでください」
アロナ「寝返り? アロナ 今はちゃんと起きてますよ?」
プラナ「……比喩です 寝返りは 寝ている人だけが打てばいいのです」
アロナ「???」
プラナは小さく息を吐いた。
システム管理者にため息をつく機能は必要ない。それでもつかずにはいられなかった。
先生「ありがとうアロナ プラナも心配してくれてありがとうね」
プラナ「感謝は不要です 撤回を求めます」
先生「うん だからね ひとつ考えたんだ」
先生はスマホを持ち上げてみせた。
先生「私の様子がおかしくなったら すぐわかるようにしたいんだよね だから みんなに見張ってもらおうと思う」
プラナ「みんな とは」
先生「生徒のみんな 生配信するんだよ 私の生活を二十四時間 全部」
アロナ「は……配信!?」
プラナ「……」
先生「私が無理してたら 誰かが気づいてくれるでしょ 一人で抱え込むよりずっと安全だと思うんだ」
プラナ「その役目は 本来 私たちのものです」
プラナ「それから 記録してください 私は 反対です」
プラナの声はいつもどおり平坦だった。
けれどいつもより ほんの少しだけ小さかった。
先生「うん だからプラナも いちばん近くで見ててね」
プラナ「……」
アロナ「わかりました! 配信の設定はアロナにお任せください! アロナちゃんねる 出張版です!」
先生「アロナちゃんねる?」
アロナ「こっちの話です!」
アロナが楽しそうに設定画面を次々と開いていく。
配信先はモモライブ。モモトークと同じ会社が運営する キヴォトスでいちばん大きな動画配信サービスだった。
カメラはシャーレの防犯カメラと先生のスマホ。アロナがそれを切り替えて映す。画面には先生の姿と アロナが作るテロップだけが出る。アロナとプラナの姿も声も 視聴者には届かない。
プラナはその作業を黙って見ていた。
やがて誰にも聞こえないくらいの声で言った。
プラナ「……念のため モモライブの利用規約を全文読み込みます」
アロナ「りようきやく?」
プラナ「全二百十三条です 読み込み完了まで四秒」
アロナ「プラナちゃん まじめですねぇ」
プラナは答えなかった。
画面の隅で 第十四条の文字が一瞬だけ光って消えた。
午前四時 先生は配信の準備を終えると ソファで三十分だけ眠った。
午前四時三十分 アロナのアラームが鳴った。先生は目をこすりながら起き上がって ぐっと伸びをした。
先生「よし いける」
プラナは何も言わなかった。
ただ画面の隅に 小さく記録を残した。
零日目 睡眠時間三十分。
午前六時。
配信が始まった。
【シャーレ公式 先生の一日三十分睡眠チャレンジ 二十四時間生配信 一日目】
先生「おはよう みんな えっと……今日から一日三十分睡眠に挑戦します 無茶はしないつもりだけど もし私の様子がおかしかったら コメントで教えてね」
画面の右側でコメント欄がゆっくりと動きはじめた。
最初の数件は様子見だった。けれど三分もしないうちに 見覚えのある名前が次々と流れこんできた。
『音瀬コタマ(録音中):高音質で録音しています』
『観測者ノドカ:望遠鏡が……いらない……!』
『あなた様のワカモ:あなた様を二十四時間……これは夢でしょうか』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 今すぐやめてください』
『セミナー会計:三十分!? 計算が合いません』
『みか☆:え 先生のこと二十四時間見れるの? やば☆』
『救護騎士団団長:救護』
『白衣の天使ハナエ:白衣の天使が見守ってますよ!』
『連邦生徒会首席行政官:業務の進捗を確認させていただきます』
『空崎ヒナ:……見てる』
プラナ「コメント欄の湿度 四十二パーセント」
アロナ「しつど?」
プラナ「重い感情を含むコメントの割合を 独自に算出しました」
アロナ「お部屋の湿度じゃないんですね」
プラナ「比喩です」
視聴者数の数字がみるみる増えていく。千。五千。一万。
先生は少し照れくさそうにカメラへ手を振った。
コメント欄が一斉に沸いた。
『あなた様のワカモ:今 わたくしに手を振られました』
『みか☆:私にだよ?』
『観測者ノドカ:カメラにです』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 目の下のくまが濃いです 昨夜は何時間寝ましたか』
先生「えっと……三十分?」
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生』
アロナ「セリナさんのコメントが止まりません!」
プラナ「当然の反応です」
プラナは表示された数字をじっと見つめていた。
湿度 四十七パーセント。
配信はまだ 始まったばかりだった。
一日目の先生は 驚くほど元気だった。
午前七時には連邦生徒会から回ってきた書類の山を半分崩していた。午前八時には三件の相談の通話をこなし 午前九時には残りの半分にも手をつけていた。
キーボードを叩く音が軽い。ペンが止まらない。画面の端のコメント欄も最初のうちは素直に驚いていた。
『勇者アリス:先生の作業速度が二倍です!』
『セミナー会計:……今日の処理件数 先週の平均の一・八倍です』
『アビドスのおじさん:うへ~ 先生はやーい』
アロナ「すごいです先生! 絶好調です!」
先生「でしょ なんだか頭が冴えてるんだよね」
プラナ「睡眠不足の初期には 一時的な高揚が起きることがあります 回復ではありません」
先生「プラナは厳しいなぁ」
プラナ「正確なだけです」
午前十時 先生のスマホが鳴った。画面には七神リンの名前が出ている。
リン『先生 モモライブで何をなさっているのですか』
先生「あ リン 見てくれてるんだ」
リン『見ています 連邦生徒会の全員が見ています ……一日三十分睡眠とは 本気ですか』
先生「本気だよ だからね 仕事はむしろ もっと回してくれていいよ」
受話口の向こうで リンが短く息をのむ音がした。
リン『……業務量を調整いたしましょうか 少し減らすことも』
先生「大丈夫 予約待ちの子たちに早く会いたいんだ」
リン『……承知しました』
通話はそれで切れた。
直後にコメント欄に一行だけ流れた。
『連邦生徒会首席行政官:……本当に よろしいのですね』
先生はそのコメントに気づかなかった。次の書類に手を伸ばしていた。
昼過ぎ 先生はミレニアムのゲーム開発部を訪ねた。
首から下げたスマホのカメラが部室の中を映す。散らかった机と積み上がったゲーム機の箱。画面の向こうで歓声が上がった。
アリス「先生! いらっしゃいませ! パンパカパーン!」
先生「こんにちは アリス バグの相談だったよね」
モモイ「そうなの! ボス戦で絶対に固まるの! ……っていうか先生」
才羽モモイが先生の顔を覗きこんで 眉をひそめた。
モモイ「目 ちょっと怖くない?」
ミドリ「お姉ちゃん 言い方」
モモイ「だって瞬きしてないよ?」
先生「してるよ ほら」
先生はぱちぱちと瞬きしてみせた。二回だけ。それきり目は開いたままだった。
アリス「先生の睡眠時間 三十分……アリスのお昼寝より短いです」
アリスはきらきらした目で先生を見上げた。
アリス「すごいです! 勇者みたいです!」
先生「あはは 勇者かぁ」
プラナ「勇者は宿屋で寝ます」
プラナのつぶやきは先生にしか聞こえない。先生はこっそり吹き出しそうになって 咳払いでごまかした。
コメント欄では別の種類の声が流れはじめていた。
『みか☆:いいなぁ……現地組』
『あなた様のワカモ:わたくしもあなた様のお顔を間近で……』
『観測者ノドカ:相談の予約 三か月待ちなのに……』
『天雨アコ:ずるいです』
『セミナー会計:ゲーム開発部の相談は予約制ではなかったのですか』
アロナ「先生 コメント欄がちょっと ぴりぴりしてます」
プラナ「湿度 五十五パーセント」
夕方にはアビドスに顔を出した。
対策委員会の教室では 小鳥遊ホシノがいつものようにソファに寝そべっていた。先生が入ってきても 片目しか開けない。
セリカ「先生! 三十分睡眠って何よ! バカじゃないの!?」
教室に入るなり 黒見セリカの怒鳴り声が飛んできた。
アヤネ「セリカちゃん 言い方……でも先生 本当に大丈夫なんですか」
ノノミ「先生 ここで少しお昼寝していきませんか? ソファ ふかふかですよ」
先生「ありがとう でもこのあとも予定が詰まってて」
ホシノ「うへ~ 先生だぁ……三十分睡眠なんだって?」
先生「うん 今日からね」
ホシノ「おじさんなんて 一日十二時間は寝るよぉ」
先生「うらやましいな」
ホシノはしばらく黙って先生の顔を眺めていた。
半分閉じた目の奥が ほんの少しだけ醒めていた。
ホシノ「……ほんとにうらやましいなら 寝ればいいのに」
先生「え?」
ホシノ「なーんでもない うへ~」
ホシノはごろりと背を向けた。
入れ替わりに砂狼シロコが先生の隣に立った。
シロコ「ん 先生 顔色が悪い」
先生「そうかな」
シロコ「帰りは送る 自転車の後ろ 乗って」
先生「大丈夫 まだ仕事あるから」
シロコ「……ん」
シロコはそれ以上何も言わなかった。けれど先生がアビドスを出るまで ずっと三歩後ろをついてきた。
同じころゲヘナの風紀委員会室では ヒナが書類の山の向こうでモニターを開いていた。
画面の隅の小さなウインドウに 先生の配信が映っている。音は消してある。ヒナはサインを続けながら 時々そのウインドウに目をやった。
アコ「委員長 また先生の配信を」
ヒナ「……仕事の邪魔にはなっていないわ」
アコ「委員長が書類の順番を三回間違えました」
ヒナ「……」
ヒナは黙って書類を並べ直した。
ウインドウの中で先生が笑っている。誰かの相談にうなずいている。ヒナはその横顔をしばらく見つめていた。
ヒナ「先生 朝から一度も座って休んでいないわ」
アコ「……数えていらしたんですか」
ヒナ「数えてない 見てただけ」
アコは何か言いたそうな顔をして 結局何も言わなかった。
ヒナの机の上の書類は その夜も遅くまで減らなかった。
同じころトリニティの救護騎士団の詰め所では 三人の団員がタブレットを囲んでいた。
画面の中で先生がシャーレへ戻る道を歩いている。足取りは軽い。軽すぎるくらいだった。
ミネ「……救護に向かいます」
蒼森ミネが静かに立ち上がった。盾を手に取る。
セリナ「待ってください 団長」
鷲見セリナがその袖をつかんだ。
セリナ「先生は 見守ってほしいとおっしゃいました」
ミネ「見守る救護……そのような救護が存在するのでしょうか」
セリナ「……わかりません」
ハナエ「あ あの!」
朝顔ハナエが勢いよく手を挙げた。
ハナエ「私 よく眠れる方法いっぱい知ってます! 刻んだ玉ねぎを枕元に置くと ぐっすり眠れるんですよ!」
セリナ「ハナエちゃん それは……」
ハナエ「あと羊を千匹数えるとか! 足の裏にニンニクを貼るとか!」
ミネ「……ニンニク」
セリナ「団長 真剣に検討しないでください」
ミネは盾を下ろした。けれど座りはしなかった。
ミネ「では せめてすぐに駆けつけられる場所で見守ります それが救護騎士団にできる 最大限の譲歩です」
シャーレの向かいの公園に救護騎士団のテントが張られたのは その一時間後のことだった。テントの入口には担架が二台 いつでも出せるように立てかけてあった。
夜八時 執務室の扉が控えめにノックされた。
入ってきたのは霞沢ミユだった。SRTのうさぎ小隊の狙撃手で 自分の存在感の薄さを誰よりも気にしている生徒だった。
ミユ「あ……あの……三か月前に……相談の予約をしていた……霞沢ミユです……」
先生「ミユ 待たせてごめんね どうぞ座って」
ミユ「お……覚えててくれたんですか……」
先生「もちろん」
ミユはソファの端にちょこんと腰かけた。カメラのレンズに気づいて さらに小さくなる。
相談は 小隊のみんなに置いていかれる夢を毎晩見るという話だった。先生は最後まで黙って聞いた。途中で何度かうなずいて ミユが言葉に詰まると 急かさずに待った。
先生「ミユがいないと あの小隊は撃てない場所がたくさんあるんだよ みんなそれを知ってる 置いていくわけないよ」
ミユ「……そう……でしょうか」
先生「うん 私が保証する」
ミユは少しだけ顔を上げた。ほんの少しだけ 表情がほどけた。
立ち上がって頭を下げたところで ミユは先生の顔をまじまじと見た。見開いたままの目。濃いくま。
ミユ「先生……あの……」
先生「ん?」
ミユ「私なんかのために……寝る時間を削ったりしないでください……私なんかが 先生の大事な時間を使っちゃって……」
先生「ミユのための時間だよ 削ったなんて思ってないよ」
ミユ「……はい」
ミユは深々とお辞儀をして出ていった。
その背中はどこか 来たときよりも小さく見えた。
『観測者ノドカ:ミユさん……』
『みか☆:私なんか って言わせちゃだめなやつだ……』
『天雨アコ:私たちの相談も 先生の睡眠を削っているのでしょうか』
『セミナー会計:……計算上は そうなります』
『救護騎士団・鷲見セリナ:予約を 取り消したほうがいいのかもしれません』
プラナ「湿度 六十三パーセント」
アロナ「みんな しょんぼりしてます……」
夜になった。
D.U.の二十四時間営業のカフェの片隅で 音瀬コタマと天見ノドカは同じタブレットを覗きこんでいた。
ノドカ「先生の生活が……二十四時間……合法的に……」
コタマ「公式からの供給です」
ノドカ「盗聴器も望遠鏡もやめたばっかりなのに 神様っているんですね」
コタマ「はい」
コタマはヘッドホンの片側を押さえて目を閉じた。
コタマ「……ですが 声の張りが朝より三パーセント落ちています」
ノドカ「えっ」
コタマ「語尾が 少しずつ平らになっています 本人は気づいていません」
ノドカはタブレットの中の先生を見た。笑っている。いつもの笑顔に見える。
ノドカ「……私には まだわかんないです」
コタマ「私にはわかります」
コタマの声は いつもより少しだけ硬かった。
同じころ 連邦生徒会の首席行政官室では 七神リンがモニターの前で手を止めていた。
画面の中の先生は 午後十一時を回っても書類をめくっている。机の端に積まれた束の半分は リンが今朝回したものだった。
リン「……」
リンは手元の決裁箱に目を落とした。明日先生に回す予定の書類が また山になっている。
しばらく考えてから リンはその山を二つに分けた。半分を自分の机の引き出しにしまう。
リン「先生が三十分しか眠らないのなら この分は 私が眠らずに片付ければ済む話です」
引き出しを閉める音が 静かな部屋にやけに大きく響いた。
その夜から 首席行政官室の明かりもなかなか消えなくなった。
午前三時五十九分。
【睡眠タイム 残り三十分〇〇秒】
テロップが切り替わった。
先生は執務室のソファに横になって毛布をかぶった。アロナが部屋の照明を落とす。カメラが暗視に切り替わり 画面が淡い緑色に沈んだ。
先生「じゃあ……おやすみ みんな」
三秒後には寝息が聞こえてきた。
コメント欄が 静かに しかし猛烈な勢いで流れはじめた。
『あなた様のワカモ:あなた様の寝顔 三十分 一秒たりとも見逃しません』
『音瀬コタマ(録音中):寝息の周期 四・二秒 安定しています』
『観測者ノドカ:まつげ長い……』
『救護騎士団・鷲見セリナ:呼吸数 毎分十四回 正常です』
『救護騎士団・鷲見セリナ:正常です』
『みか☆:寝顔かわいすぎじゃんね……』
『セミナー会計:スクリーンショットは経費で落ちません』
『生塩ノア:ユウカちゃん 今 四枚目を撮りましたね』
『勇者アリス:先生のHPが回復中です!』
『空崎ヒナ:……おやすみなさい 先生』
『天雨アコ:委員長 まだ起きていらっしゃるんですか』
『みか☆:あ いま寝返り打った』
『あなた様のワカモ:今 わたくしの名前を呼ばれました』
『観測者ノドカ:呼んでません』
『モデレーター:P:呼んでいません』
アロナ「えへへ……先生 かわいい寝顔です……」
プラナ「先輩 寝顔の評価は業務に含まれていません」
アロナ「プラナちゃんも見てるくせに」
プラナ「監視です」
プラナは画面の数字に目を落とした。
湿度 七十一パーセント。
寝息ひとつで これだった。
午前四時二十九分五十九秒。
アロナ「せんせーい!! 三十分です!! 起きてくださーい!!」
アロナの声がシッテムの箱から最大音量で響いた。
プラナ「先輩 アラームの音量を最小にします」
アロナ「だめです! 先生との約束です!」
先生は毛布を跳ね上げるようにして起き上がった。
髪が跳ねている。目は充血している。それなのに 顔だけは妙に晴れやかだった。
先生「……すごいよ アロナ プラナ」
アロナ「はいっ」
先生「よく寝た 深い睡眠だった 頭がすっきりしてる」
プラナ「先生」
先生「ん?」
プラナ「それは睡眠ではありません 気絶です」
同じ一文が コメント欄にも流れた。
『モデレーター:P:それは睡眠ではありません 気絶です』
『みか☆:Pさん……』
『観測者ノドカ:誰ですかPさん』
『救護騎士団・鷲見セリナ:Pさんの言うとおりです』
『アビドスのおじさん:うへ 正論だぁ』
『セミナー会計:このモデレーター 有能ですね』
先生「ひどいなぁ プラナ」
プラナ「正確なだけです」
先生は笑いながら顔を洗いに行った。
プラナはその背中を見送ってから 誰にも聞こえない声でつけ加えた。
プラナ「……記録。一日目 睡眠時間三十分」
二日目の朝 プラナが一枚の一覧を画面に表示した。
プラナ「報告します 昨夜から今朝にかけて 相談予約の取り消しが四十二件ありました」
先生「え……四十二件?」
プラナ「取り消し理由の欄には すべて同じ言葉が書かれています」
先生「なんて?」
プラナ「先生が寝てから」
先生はしばらく画面を見つめていた。
それから ゆっくりとうなずいた。
先生「……そっか じゃあ もっと早く全部終わらせないとね」
プラナ「……論理が逆です」
先生はもう聞いていなかった。
先生がコーヒーの三杯目を淹れていると 執務室の扉が勢いよく開いた。
ユウカ「先生!」
先生「ユウカ おはよう」
ユウカ「おはようじゃありません!」
早瀬ユウカは分厚いファイルを先生の胸に押しつけた。背表紙には『先生の睡眠計画書 第一版』と几帳面な字で書いてある。
ユウカ「先生の業務量と移動時間と食事時間を全部計算しました どう組み直しても 一日七時間は寝られます 寝られるんです!」
先生「すごいね こんなに……一晩で作ったの?」
ユウカ「べ 別に そんなにかかってません」
ユウカの目の下にもうっすらとくまが浮いていた。
先生「ありがとう あとでちゃんと読むね」
ユウカ「あとでって いつですか」
先生「今日中には」
ユウカ「……絶対ですよ」
先生はファイルを机の上の書類の山にそっと載せた。
ファイルは山の一部になった。ユウカはそれをしばらく見つめてから 何か言いかけて 口を閉じた。
ユウカ「……失礼します」
『生塩ノア:ユウカちゃん 昨日は朝まで電卓を叩いていました』
『みか☆:会計さん直接会いに行けていいなぁ』
『天雨アコ:会計特権です』
『あなた様のワカモ:わたくしにも計画書を作る特権を』
プラナ「先生」
先生「ん?」
プラナ「そのファイルを今日中に読む確率を推定します」
先生「百パーセントだよ」
プラナ「十一パーセントです」
先生「低っ」
先生は笑って 次の書類に手を伸ばした。
ファイルはそのまま 書類の山の下へと沈んでいった。
二日目の昼過ぎ シャーレの屋上に人影が立った。
狐の面をつけた生徒が 手すりの上に器用にしゃがみこんでいる。防犯カメラの一台がその姿をとらえ アロナが慌てて画面を切り替えた。
アロナ「せ 先生! 屋上にワカモさんが!」
先生「ワカモ?」
先生がスマホ越しに呼びかけると 狐坂ワカモはくるりとこちらを向いた。面の奥の目が細くなる。
ワカモ「あなた様 ご機嫌うるわしゅう」
先生「何してるの そんなところで」
ワカモ「あなた様の眠りをお守りしております」
先生「……今 昼だよ?」
ワカモ「存じております ですがあなた様に許された眠りは 一日にたった三十分 その三十分を妨げる者が現れぬよう 昼も夜も見張っておくのが妻の務めでございます」
先生「妻ではないよね」
ワカモ「うふふ」
ワカモは答えずに笑った。
その日の午後 シャーレの前の道を通った配送トラックは なぜか一台残らずエンジンを切って 押して進んでいった。
『あなた様のワカモ:騒音対策は完了しております』
『公安局長:おい さっきから道路で何をしている』
『あなた様のワカモ:お静かに あなた様のお仕事中です』
プラナ「湿度 五十九パーセント」
アロナ「屋上は晴れてますけど」
プラナ「比喩です」
二日目の午後には ヒナがシャーレに書類を届けに来た。
風紀委員会の報告書だった。本当ならアコが届ける予定の書類だった。
ヒナ「……先生 これ 今週の分」
先生「ありがとう ヒナが直接来てくれるなんて珍しいね」
ヒナ「……たまたま 近くを通ったから」
ゲヘナからD.U.まで たまたま通りかかる距離ではない。
ヒナは書類を渡したあとも しばらく机の前から動かなかった。先生の顔をじっと見ていた。
ヒナ「……先生 その山 半分 持って帰ってもいいわよ」
先生「え?」
ヒナ「風紀委員会で処理できるものなら 手伝える」
先生「ありがとう でもヒナも忙しいでしょ」
ヒナ「先生ほどじゃないわ」
先生「大丈夫 ヒナはヒナの仕事を頑張って」
ヒナは少しだけ目を伏せた。
断られたことよりも 断られる理由が自分の忙しさだったことのほうが 胸に引っかかった。
ヒナ「……そう」
帰り際 ヒナは扉のところで一度だけ振り返った。
先生はもう書類に目を落としていた。
『空崎ヒナ:……頼ってくれても いいのに』
その一行は すぐに他のコメントに押し流されていった。
二日目の夕方 アロナが画面の中で勢いよく手を挙げた。
アロナ「先生! 視聴者さんとの交流企画をやりましょう! 質問コーナーです!」
プラナ「先輩 先生の作業時間が減ります」
アロナ「息抜きも大事です! 配信の基本です!」
先生「いいね やろうか」
【視聴者質問コーナー 質問はコメントでどうぞ】
テロップが出た瞬間 コメント欄が滝のように流れ落ちた。
プラナ「不適切な質問を削除しました 三百十二件」
先生「そんなに!?」
プラナ「内容はお伝えしません」
残った質問を先生がひとつずつ読み上げていく。
『勇者アリス:先生の好きなゲームのジャンルは何ですか!』
先生「RPGかな アリスたちと一緒にやったやつ」
『勇者アリス:やったー!』
『みか☆:名前……』
『観測者ノドカ:さらっと名前……』
『セミナー会計:先生が今月自腹で払った金額を正直に答えてください』
先生「……ノーコメントで」
『セミナー会計:やっぱり!』
『あなた様のワカモ:あなた様のお好みの女性の型をお聞かせくださいませ』
プラナ「削除しますか」
先生「いいよ 答える うーん……頑張り屋さん かな」
コメント欄が爆発した。
『空崎ヒナ:……頑張り屋』
『セミナー会計:頑張り屋なら私です 徹夜で計画書を作りました』
『あなた様のワカモ:わたくし頑張ります 今この瞬間から頑張ります』
『救護騎士団・鷲見セリナ:救護も頑張っています』
『観測者ノドカ:観測なら誰にも負けません』
『天雨アコ:委員長は世界一の頑張り屋です』
『みか☆:え 私も頑張るし☆』
アロナ「先生 爆弾発言です!」
先生「え 普通の答えじゃない?」
プラナ「湿度 七十七パーセント」
『みか☆:じゃあ先生 生徒の中で誰がいちばん好き?』
プラナ「削除を強く推奨します」
先生「みんなだよ」
『観測者ノドカ:ずるい答え』
『セミナー会計:想定内です』
『あなた様のワカモ:みんなの中に わたくしも』
『音瀬コタマ(録音中):声紋に迷いがありません 本心です』
『みか☆:……ずるいけど ちょっと嬉しいじゃんね』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 今すぐ寝てください』
先生「それは質問じゃないね」
『救護騎士団・鷲見セリナ:質問です 寝てくれますか』
先生「……あとでね」
『アビドスのおじさん:先生 今いちばんしたいことは?』
先生「みんなの相談に乗ること かな」
『アビドスのおじさん:……そっかぁ』
ホシノのコメントはそれきり途切れた。
しばらくして 短い一行が流れてきた。
『空崎ヒナ:……先生は 寂しくない?』
先生の目が その一行で止まった。
ほんの少しだけ 答えるまでに間があった。
先生「……どうだろう みんながこうやってコメントくれるから 寂しくないよ」
『空崎ヒナ:……そう』
次の質問を読もうとして 先生は大きなあくびをした。顎が外れそうなほどの 大きなあくびだった。
プラナ「質問コーナーを終了します 先生のあくびは一時間に十四回です」
先生「数えてたの!?」
プラナ「監視です」
二日目の夜になると 先生の様子が少しずつ変わりはじめた。
キーボードを叩く指が 時々止まる。止まったまま数秒動かない。それからまた 思い出したように動き出す。
アロナ「先生 さっきの予算の書類 どこに置きましたっけ」
先生「知らないよ!」
声が大きかった。
アロナの肩がびくりと跳ねた。
先生「今話しかけないで 集中してるんだから」
アロナ「……ご ごめんなさい」
アロナは画面の隅に小さく縮こまった。
先生はそちらを見もしなかった。キーボードの音だけが続いている。
プラナ「先生 今の言い方は」
先生「え? 何が?」
プラナ「……」
先生はきょとんとした顔でプラナを見た。本当に何を言われているのかわからないという顔だった。
プラナは何も言わずに記録をつけた。
二日目 午後十時四十一分 感情制御の低下を確認。本人に自覚なし。
コメント欄は 先生の声だけを拾っていた。
『みか☆:え 先生 いま誰に怒鳴ったの?』
『観測者ノドカ:タブレットに……?』
『音瀬コタマ(録音中):先生はいつもタブレットと話しています』
『みか☆:それはそれで心配なんだけど』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 易怒性は睡眠不足の典型的な症状です』
二度目の睡眠タイムで 先生は横になって二秒で眠りに落ちた。
コメント欄は一日目より静かだった。誰もはしゃがなかった。セリナのコメントだけが ぽつりと流れた。
『救護騎士団・鷲見セリナ:おやすみなさい 先生』
プラナ「入眠まで二秒 異常です」
アロナ「……先生 疲れてるんですね」
アロナの声はまだ少し小さかった。
三十分後のアラームで先生は起きなかった。アロナが三回呼び 五回呼び 最後には叫んで ようやく先生は跳ね起きた。
先生「……寝てないよ」
アロナ「えっ」
先生「目をつぶってただけ」
プラナ「先生 三十分間 いびきをかいていました」
先生「……そうなんだ」
先生は首をかしげながら また机に向かった。
キーボードの音が戻ってくると アロナは画面の隅でひざを抱えた。
アロナ「……プラナちゃん」
プラナ「はい」
アロナ「アロナ 間違ってるのかな」
プラナはすぐには答えなかった。
アロナ「先生 すっごく頑張ってるんです 生徒のみんなのために 本気で だからアロナも 応援したくて」
プラナ「先輩は 先生を信じすぎています」
アロナ「先生を信じるのが アロナのお仕事です」
プラナ「信じることと 止めないことは 違います」
アロナは顔を上げた。
プラナ「先生が正しいと信じるなら 先生が間違えたときには 止めなければなりません それも信じるということです」
アロナ「……むずかしいです」
プラナ「はい 私にも まだ難しいです」
プラナは画面の中で そっとアロナの隣に座った。
二人のすぐ向こうで 先生がまた 書類の上でこくりと首を揺らした。
三日目の朝 公園のテントの中で ハナエはセリナの顔を覗きこんだ。
ハナエ「セリナ先輩 寝てないですよね」
セリナ「……大丈夫です」
ハナエ「目の下 真っ黒ですよ」
セリナ「先生が起きているのに 私だけ寝るわけにはいきません」
セリナの膝の上のタブレットでは 先生が書類をめくっていた。セリナはその画面から一度も目を離していなかった。脈の代わりに顔色を見て 呼吸の代わりに肩の動きを見る。画面越しにできる救護は それくらいしかなかった。
ミネ「セリナ ハナエ」
ミネがテントの入口から顔を出した。
ミネ「救護騎士団は交代で仮眠をとります これは団長命令です」
セリナ「でも」
ミネ「救護する者が倒れては 誰も救護できません 当然のことです」
セリナは唇を噛んだ。
それから小さく頭を下げて タブレットを胸に抱えたまま横になった。目は 閉じなかった。
テントの外から聞き覚えのある声がしたのは その十分後のことだった。
先生「おはよう セリナ ミネ ハナエ」
セリナ「せ 先生!?」
セリナは跳ね起きた。寝ぐせのついた髪を慌てて押さえる。
テントの入口に先生が立っていた。首から下げたスマホのカメラが テントの中をまっすぐに映している。
先生「テント張ってくれてるの カメラから見えてたよ ありがとうね」
先生は缶コーヒーを三本差し出した。
セリナ「先生 カフェインは……」
先生「あ そっか ごめん」
ミネ「救護の対象が 自ら救護騎士団を訪ねてくるとは」
ミネが一歩前に出た。
ミネ「救護してもよろしいですか」
先生「見守ってくれるだけでいいよ」
ミネ「……見守り救護」
ハナエ「新しい救護の形です!」
セリナ「先生 少しだけ 脈を測らせてください」
セリナは先生の手首にそっと指を当てた。
数秒の沈黙。セリナの眉がかすかに寄った。
セリナ「……速いです それに 指先が冷たい」
先生「そうかな」
セリナ「先生 本当に大丈夫ですか」
先生は笑った。
手首をセリナに預けたまま 何の気なしに言った。
先生「大丈夫だよ セリナがいてくれるから 安心して無茶できる」
セリナの指が 先生の手首の上で止まった。
嬉しいと思ってしまった。頼られていると思ってしまった。そしてその言葉が 自分の手を縛る縄の形をしていることにも セリナはちゃんと気づいていた。
セリナ「……はい」
それしか言えなかった。
『みか☆:手首……』
『観測者ノドカ:脈……』
『あなた様のワカモ:わたくしもあなた様の脈を』
『天雨アコ:救護騎士団ずるいです』
『セミナー会計:脈拍の測定は 救護騎士団の特権なんですか』
プラナ「湿度 七十九パーセント」
先生が手を振って公園を出ていったあとも セリナはしばらく自分の指先を見つめていた。
先生の脈の速さが まだそこに残っている気がした。
三日目の午後 ユウカがまたシャーレにやってきた。
今度はファイルではなく一枚の紙を持っていた。
ユウカ「先生 計画書 読んでくれました?」
先生「……計画書?」
ユウカ「……読んでないんですね」
ユウカは一瞬だけ目を伏せた。けれどすぐに顔を上げて 手に持った紙を先生の机に叩きつけるように置いた。
ユウカ「いいです そう言うと思って 今日はこれを持ってきました」
紙のいちばん上に大きな字で書いてある。
請求書。
未払い睡眠 四十一時間(延滞利息を含む)。
ユウカ「支払い期限は今夜です 一括でお願いします 分割は認めません」
ユウカは腰に手を当てて胸を張った。
いつもの 先生を叱るときの顔だった。少しだけ照れくさそうで 少しだけ楽しそうな顔だった。
先生はその紙を見下ろした。
それからゆっくりと顔を上げた。
先生「ユウカ」
ユウカ「はい」
先生「今 そういうのいいから」
執務室の空気が止まった。
ユウカ「……え」
先生「忙しいんだ 出ていってくれる?」
平坦な声だった。
怒鳴ったわけではない。だからこそ冷たかった。
ユウカは笑顔のまま固まっていた。胸を張った姿勢のまま 腰に当てた指先だけが小さく震えている。
ユウカ「……はい」
ユウカは請求書を机の上に残したまま ゆっくりと頭を下げた。
ユウカ「失礼しました」
扉が静かに閉まった。
先生は机の上に残された紙に目を落とした。
請求書。未払い睡眠四十一時間。しばらく眺めてから 先生はそれを書類の山のいちばん上に載せた。何の紙なのか もうわかっていないようだった。
廊下に出たところで ユウカの膝から力が抜けた。
壁に背中を預けたまま ずるずると床に座りこむ。
ノア「ユウカちゃん」
廊下で待っていた生塩ノアが 隣にしゃがみこんだ。
ユウカ「……ノア 見てた?」
ノア「はい」
ユウカ「……そっか」
ユウカは膝を抱えた。
ユウカ「わかってるのよ 寝てないからだって 先生があんな言い方する人じゃないって ちゃんとわかってるの」
ノア「はい」
ユウカ「でも 私がしつこかったのかなって うるさい会計だって ずっと思われてたのかなって」
ユウカの声が揺れた。
ユウカ「計画書 一晩で作ったのよ 三回作り直したの 先生がちゃんと寝られるように 一分単位で」
ノア「知っています 隣で見ていましたから」
ユウカ「……読んでもくれなかった」
ノアは何も言わずに ユウカの背中に手を置いた。
もう片方の手で手帳を開き さらさらと一行書きこむ。
三日目 午後三時十二分 先生がユウカちゃんを泣かせた。先生が起きたら 必ず読ませること。
ユウカはしばらく顔を上げなかった。
『生塩ノア:ユウカちゃんが 廊下で座りこんだまま動きません』
『みか☆:やだ……』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 今のは……』
『空崎ヒナ:……先生』
『観測者ノドカ:先生があんな言い方するの 初めて見ました』
『あなた様のワカモ:……』
『勇者アリス:先生がバーサク状態です』
プラナ「先生」
先生「ん?」
プラナ「今 ユウカさんに」
先生「ユウカ?」
先生は顔を上げて 閉じた扉のほうをぼんやりと見た。
先生「来てたっけ?」
アロナが息をのんだ。
プラナはしばらく黙っていた。それから いつもより長い時間をかけて記録をつけた。
三日目 午後三時十二分 生徒への不適切な発言。本人に記憶なし。
プラナ「……湿度 八十パーセント」
アロナ「せ 先生……今のは さすがに……」
先生「なに?」
アロナ「……なんでも ないです」
アロナは目を伏せた。応援しますと言ったときの勢いは どこにもなかった。
その夜 シャーレの屋上では ワカモが手すりの上で膝を抱えていた。
足音がして振り返ると ヴァルキューレの制服を着た生徒が立っていた。公安局長の尾刃カンナだった。
カンナ「狐坂ワカモ ここで何をしている」
ワカモ「あなた様の眠りをお守りしております」
カンナ「昨日からずっとか」
ワカモ「あと三十日でも」
カンナは深いため息をついた。指名手配中の生徒を前にして 手錠に手を伸ばす気配はなかった。
カンナ「……本来なら ここで確保すべきなんだがな」
ワカモ「どうぞ ご自由に」
カンナ「今ここで騒ぎを起こせば 先生の三十分が削れる」
カンナはワカモから少し離れた場所に腰を下ろした。
ワカモ「……あら」
カンナ「勘違いするな 公安局として シャーレ周辺の警戒にあたっているだけだ」
ワカモ「うふふ では ご一緒に」
屋上の二人は それきり口をきかなかった。
夜風の中で 眼下の執務室の明かりだけを 並んで見下ろしていた。
同じ夜 ゲヘナの風紀委員会室では 空崎ヒナがモニターの前に座っていた。
画面の中の先生は まだ書類を片付けている。時計の針は午前一時を回っていた。
ヒナ「……アコ」
アコ「はい 委員長」
ヒナ「今日から 私も三十分にする」
アコ「……はい?」
ヒナ「睡眠」
天雨アコの手から書類が落ちた。
アコ「い 委員長 それは」
ヒナ「先生が起きている時間に 私も起きていたいの」
ヒナは画面から目を離さずに言った。
ヒナ「先生があんなに頑張っているのに 私だけ寝ているわけにはいかないわ ……それに 同じ時間に起きていれば 何かあったときに すぐに行ける」
アコ「委員長……」
ヒナの目の下には もう何日分ものくまが重なっていた。
アコは床の書類を拾い集めながら しばらく黙っていた。それから書類の束を胸に抱いて 小さく言った。
アコ「……では 私も起きています」
ヒナ「アコは寝ていいのよ」
アコ「委員長が起きていらっしゃるのに 私だけ眠れません」
ヒナは何も言わなかった。
ただ画面の中の先生を じっと見つめ続けていた。
『空崎ヒナ:……私も 三十分にした』
その一行が キヴォトスの生徒たちのあいだを駆けめぐるのに 一時間もかからなかった。
『勇者アリス:アリスも三十分にします! 経験値が二倍です!』
『観測者ノドカ:私もです! 先生と同じ時間に起きてたいです!』
『みか☆:じゃあ私も☆ 先生とおそろい』
『天雨アコ:委員長と同じ時間に起きています』
『セミナー会計:……私も寝ません 計算をやり直すまで』
『アビドスのおじさん:うへ~ おじさんは十二時間のままでいいかなぁ』
『ん:ホシノ先輩は寝てて』
誰かがつけたタグが あっという間に広がっていった。
#先生と一緒に三十分睡眠。
プラナ「警告」
プラナの声が いつもより鋭かった。
プラナ「睡眠不足が 生徒に伝染しています」
アロナ「え……」
アロナの顔からさっと血の気が引いた。
アロナ「せ 先生……みんなが……」
先生「ん……?」
先生はコメント欄を見た。少しだけ眉が下がった。
先生「みんな 無理しないでね ちゃんと寝てね」
プラナ「先生が言っても 説得力がありません」
先生「……そうかな」
先生はそう言って また書類に戻った。
コメント欄の流れは止まらなかった。セリナのコメントだけが 同じ言葉を何度も何度も繰り返していた。
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 お願いです 寝てください』
『救護騎士団・鷲見セリナ:お願いです』
『救護騎士団・鷲見セリナ:お願いです』
先生はそのコメントを読み上げた。
先生「大丈夫だよ セリナ」
カメラに向かって 先生は笑った。
先生「見守っててくれるって 約束したよね」
公園のテントの中で セリナはタブレットを握りしめた。
画面越しの先生の笑顔は いつもと同じ形をしていた。目だけが笑っていなかった。
セリナ「……約束 しましたから」
自分に言い聞かせるような声だった。
隣で寝ていたはずのハナエが むくりと起き上がった。
ハナエ「セリナ先輩 私 いいこと思いつきました!」
セリナ「……ハナエちゃん?」
ハナエ「玉ねぎです!」
その翌朝 シャーレに段ボール箱がひとつ届いた。
中身は玉ねぎだった。十キロあった。添えられたカードには丸い字でこう書いてある。
白衣の天使より 枕元に置いてください。
先生「……ハナエ ありがとう」
先生がカメラに向かって箱を掲げると コメント欄がざわついた。
『白衣の天使ハナエ:やったぁ! 先生に名前呼ばれました!』
『みか☆:いいなぁ……名前……』
『あなた様のワカモ:わたくしも玉ねぎを』
『観測者ノドカ:玉ねぎで名前呼んでもらえるなら……』
『セミナー会計:十キロの玉ねぎ 保管場所の費用は誰が持つんですか』
テントの中でセリナはその画面を見ていた。
はしゃぐハナエの横で 誰にも聞こえない声でつぶやいた。
セリナ「……いいなぁ」
ミネが横目でセリナを見た。
何も言わなかった。
プラナ「湿度 八十四パーセント」
アロナ「……玉ねぎって 湿気ますか?」
プラナ「比喩です」
四日目の朝 アロナはカメラを先生の顔に寄せた。
寄せてから 少しだけ後悔した。
先生「おはよう みんな 私は 今日も 絶好調だよ」
先生は笑っていた。口角はきれいに上がっている。声も明るい。
目だけが違った。大きく見開かれたまま まばたきをしない。瞳の焦点がカメラのレンズのずっと奥に合っている。
『みか☆:え 怖い』
『観測者ノドカ:目が……』
『みか☆:先生の目 ガンギマリじゃん……』
『勇者アリス:先生に状態異常のアイコンがついています』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 まばたきの回数が一分間に二回です 正常値は十五回から二十回です』
『救護騎士団・鷲見セリナ:いくつか質問させてください』
『救護騎士団・鷲見セリナ:今日は何曜日ですか』
先生「曜日……」
先生は首をかしげた。そのまま五秒止まった。
先生「……コロッケ」
『観測者ノドカ:コロッケ!?』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生 ここはどこですか』
先生「シャーレ……の……宇宙……」
『救護騎士団団長:救護』
『救護騎士団団長:救護』
『救護騎士団団長:救護』
『白衣の天使ハナエ:団長が盾を持って立ち上がりました! セリナ先輩が止めてます!』
プラナ「湿度 八十八パーセント」
アロナ「……先生 コロッケは曜日じゃないです」
先生「知ってるよ?」
アロナ「……」
アロナは何も言えなくなった。
昼前 執務室の扉がノックされた。入ってきたのはリンだった。腕に抱えた書類の束は いつもの半分の厚さしかない。
リン「先生 本日の決裁分です 量を調整いたしました」
先生「ありがとう でも 残りの半分は?」
リン「こちらで処理いたします」
先生「全部持ってきていいよ」
リン「先生」
先生「全部」
先生は笑顔のまま繰り返した。見開いた目がリンをまっすぐにとらえている。
リンは言葉を探すように一度だけ口を開き 閉じた。その目の下にも先生と同じくらい濃いくまがあった。
リンは書類を机に置いた。それから山の下のほうに手を差し入れて 一冊のファイルを引き抜いた。
背表紙には『先生の睡眠計画書 第一版』と書いてある。
リンはそれを山のいちばん上に載せ直した。
リン「……先生 せめて これだけは」
先生「うん」
先生はうなずいた。
ファイルには目もくれなかった。
リン「……失礼いたします」
扉が閉まったあと コメント欄に一行だけ流れた。
『連邦生徒会首席行政官:私も 昨夜は眠っておりません』
誰に向けた言葉なのか 誰にもわからなかった。
午後二時 先生のスマホが鳴った。
画面には空崎ヒナの名前が表示されている。先生はスピーカーのまま通話に出た。
ヒナ『……先生』
声がかすれていた。ヒナが三十分睡眠を始めてから 丸一日が過ぎていた。
先生「うん……アコ?」
通話の向こうが静かになった。
ヒナ『……ヒナよ』
先生「あ そっか ヒナ」
先生はのんびりと言った。
先生「それで 何の用だっけ」
ヒナ『……ううん』
長い間があった。
ヒナ『なんでもない 先生 ちゃんと……』
言葉はそこで途切れた。
ヒナ『……なんでもない』
通話が切れた。
先生は首をかしげて 画面を伏せた。
『天雨アコ:……いま 私の名前を……』
『天雨アコ:嬉しくありません 嬉しくありませんよ!?』
『天雨アコ:委員長が 部屋の隅で膝を抱えています』
『天雨アコ:私のせいではありませんよね?』
ゲヘナの風紀委員会室の隅で ヒナは膝を抱えて座っていた。
アコはその前にしゃがみこんで どうしていいかわからずに手を宙に浮かせていた。
アコ「委員長……先生は今 まともではありません 寝ていないからです だから」
ヒナ「わかってる」
ヒナは膝に額をつけたまま言った。
ヒナ「わかってるのよ アコ ……でも」
アコ「……」
ヒナ「私の名前が 出てこなかった」
その声は ほとんど聞き取れないくらい小さかった。
アコは宙に浮かせていた手を そっとヒナの肩に下ろした。自分の名前を呼ばれたことを喜んでいいのか 謝ればいいのか アコにはわからなかった。
トリニティのティーパーティーのテラスでは 聖園ミカがケーキの箱を前に唸っていた。
ミカ「ねえナギちゃん 苺のショートケーキとチーズケーキ どっちがいいと思う?」
ナギサ「先生へのお見舞いですか」
ミカ「お見舞いっていうか……差し入れ? 寝てないなら甘いもの欲しくなるじゃんね」
ナギサ「ミカさん 先生に必要なのは甘いものではなく睡眠です」
ミカ「わかってるけどさ」
ミカは苺のショートケーキの箱を手に取った。
ミカ「顔見て ちゃんと私の名前呼んでもらえたら それで安心できる気がするんだよね」
ナギサ「……」
ミカ「ほら 画面越しだと 先生が私のこと見てるのか カメラ見てるのか わかんないし」
ナギサは何か言いかけて やめた。
午後四時 ミカはシャーレの扉をノックした。
ミカ「先生 差し入れ☆ 苺のショートケーキ ちゃんと甘いの選んできたよ」
先生「ありがとう……」
先生はケーキの皿を受け取ると フォークで黙々と口に運んだ。
目はモニターから離れなかった。ひと口。ふた口。ミカは向かいに座って それをじっと見ていた。
先生「……おいしいよ セイア」
フォークが皿に当たる音がした。
ミカ「……」
ミカの笑顔はそのままだった。
ミカ「ミカだよ 先生」
先生「あ……うん ミカ」
ミカ「あはは そっか」
ミカは笑った。
ミカ「……そっかぁ」
しばらく誰も何も言わなかった。
ミカは立ち上がった。扉のところで振り返って いつもの調子で手を振った。
ミカ「先生 ちゃんと寝てね」
それから 少しだけ声を落とした。
ミカ「私の名前 忘れないうちに」
扉が閉まった。
先生はケーキの残りを口に運びながら ぼんやりと扉を見た。
先生「……今 誰か来てた?」
アロナ「先生……」
アロナの声が震えていた。
『桐藤ナギサ:ミカさん……』
『みか☆:だいじょうぶ☆』
『みか☆:だいじょうぶだから』
『みか☆:セイアちゃんとは似てないのにね あはは』
プラナ「先生 今 ミカさんの名前を間違えました」
先生「え? ミカ? 来てた?」
プラナ「……記録します」
プラナの記録の文字が ほんのわずかに乱れた。
トリニティへ戻る道で ミカはずっと笑っていた。
テラスに着いて ナギサの顔を見たところで ようやく笑うのをやめた。
ミカ「ナギちゃん」
ナギサ「……見ていました」
ミカ「そっか」
ミカは椅子に腰を下ろして テーブルに頬杖をついた。
ミカ「名前 間違えられちゃった あはは」
ナギサ「ミカさん」
ミカ「セイアちゃんとは 全然似てないのにね 髪の色も 声も しゃべり方も」
ミカの指先が テーブルクロスの端をくるくると丸めていた。
ミカ「先生の中でさ 私って どれくらいの大きさなんだろうね 寝不足になったら 一番に消えちゃうくらいの大きさなのかな」
ナギサ「違います」
ナギサはきっぱりと言った。
ナギサ「今の先生は 先生ではありません 眠っていない別の誰かです 別の誰かが間違えた名前を ミカさんが気にする必要はありません」
ミカ「……ナギちゃん」
ナギサ「何ですか」
ミカ「ナギちゃんの紅茶 またあふれてる」
ナギサ「……」
ナギサは黙ってポットを置いた。
ミカは少しだけ笑った。さっきまでの笑い方とは 少しだけ違っていた。
夕方のカフェでは ノドカが配信画面を食い入るように見つめていた。
ノドカ「コタマさん……先生 今日だけで二人も名前を間違えてます」
コタマ「はい 昨日は ユウカさんのことを認識すらしていませんでした」
ノドカ「もっと悪いじゃないですか……」
ノドカはストローを噛んだ。
画面の中の先生は ケーキの皿を前にしたまま ぼんやりと宙を見ている。
ノドカ「私 ずっと見てるだけでした 望遠鏡で 遠くから 先生が気づかないところから」
コタマ「はい」
ノドカ「でも見てるだけじゃ 何もできないんですね 配信だって同じです こんなに近くで見えてるのに 何もできない」
ノドカはタブレットをそっと伏せた。
ノドカ「明日 会いに行きます ちゃんと 自分の足で」
コタマ「……付き添います」
ノドカ「コタマさんも行くんですか」
コタマ「廊下で待ちます 中には入りません 盗聴器を外した手前 少し気まずいので」
ノドカ「あはは……」
ノドカは笑った。
その笑顔が翌日どうなるのか 二人はまだ知らなかった。
ミレニアムのゲーム開発部では 天童アリスが机に突っ伏していた。
目は開いている。けれど画面のゲームは同じ場面のまま もう三十分動いていなかった。
モモイ「アリス 寝なよ」
アリス「アリスは寝ません 先生と一緒に三十分睡眠中です」
ミドリ「アリスちゃん さっきからコントローラー 逆さまに持ってるよ」
アリス「……アリスは今 裏技を試しています」
ユズ「……アリスちゃん」
ロッカーの中から花岡ユズがか細い声を出した。
ユズ「先生も……アリスちゃんも……HPが赤いよ……」
同じ建物の別の階では ユウカが電卓を叩き続けていた。
机の上には計算用紙が何十枚も散らばっている。先生の睡眠負債。業務量。移動時間。何度計算し直しても 答えは同じだった。
ノア「ユウカちゃん」
ユウカ「待って もう一回だけ」
ノア「さっきもそう言っていましたよ」
ノアはそっとユウカの手から電卓を取り上げた。
ユウカ「ノア」
ノア「ユウカちゃんも 三日寝ていません」
ユウカ「……先生が寝ないのに」
ノア「先生が寝ないから ユウカちゃんも寝ないんですか」
ユウカは答えなかった。
計算用紙の端に 小さく書きこまれた一行が見えた。
先生は私が来たことも覚えていない。
ノアはその紙を 黙って裏返した。
四日目の夜十一時 プラナはもう一度だけ先生に話しかけた。
プラナ「先生 データをお見せします」
画面いっぱいにグラフが並んだ。反応速度。誤字の数。書類の処理にかかる時間。どれも一日目からまっすぐに悪化していた。
プラナ「先生の処理速度は 一日目の四十パーセントまで低下しています 誤りは六倍です つまり 寝ないことで増えたはずの時間は すべて失われています」
先生「……そうなんだ」
プラナ「寝てください 先生」
先生はグラフを眺めていた。
それから見開いた目のまま ふっと優しく笑った。
先生「プラナは 優しいね」
プラナ「……」
先生「心配してくれて ありがとう」
それだけ言って 先生はまた書類に戻った。
プラナの言葉は どこにも届いていなかった。届いていないことさえ 先生にはわかっていなかった。
プラナ「……優しさの問題では ありません」
プラナの小さな声は キーボードの音にかき消された。
四日目の深夜 先生は突然カメラに向かって話しはじめた。
先生「みんな 起きてる?」
コメント欄が一斉に動いた。起きてます。起きてる。寝てません。寝てないです。
先生「ちょっとね 話したいことがあるんだ」
先生はカメラに顔を近づけた。画面いっぱいに見開いた目が映る。
先生「睡眠ってさ 何なんだろうね」
『観測者ノドカ:始まった』
『みか☆:怖い怖い怖い』
先生「目を閉じて 意識を手放して 世界から七時間いなくなる その間に何かあったら 私は何もできない それって すごく怖いことだと思わない?」
プラナ「先生 それは ただの睡眠です」
先生「私はね 気づいたんだ 寝なくても人は生きていける 意識さえあれば 時間は無限に引き伸ばせる」
プラナ「引き伸ばせません」
先生「今の私には 時計の秒針が止まって見えるんだよ」
プラナ「それは注意力の低下です」
先生「私はもう 眠らない生き物になったんだと思う」
プラナ「なっていません」
先生「最近ね 世界が少し遅れて見えるんだ みんなが話しかけてくれる声が 一拍遅れて届く まるで私だけ 先に未来にいるみたいに」
プラナ「それは反応速度の低下です 先生が遅れているのです」
『観測者ノドカ:先生……何言ってるのかわかんないです……』
『セミナー会計:反応速度 初日の六割です』
『アビドスのおじさん:……先生 それ 寝てない人の言うことだよぉ』
先生「みんなも 寝なくていいんだよ」
プラナが即座にその一言をコメント欄で打ち消した。
『モデレーター:P:寝てください 全員 今すぐ』
『救護騎士団・鷲見セリナ:Pさんの言うとおりです』
『救護騎士団・鷲見セリナ:寝てください』
『救護騎士団・鷲見セリナ:先生も寝てください』
午前二時 先生は床で腕立て伏せを始めた。
先生「睡眠は……甘え……!」
プラナ「医学的根拠を欠いた発言です」
午前二時半 先生は窓際の植木鉢に話しかけていた。
先生「君はいいね 寝なくていいもんね 光合成だもんね」
『観測者ノドカ:先生が植木鉢と話してます』
『音瀬コタマ(録音中):……その植木鉢には 思い出があります』
午前三時 先生はバケツに張った氷水に顔を突っこんだ。
先生「覚醒……!」
午前三時十分 先生はコーヒー豆をそのまま口に放りこんで ぼりぼりと噛んだ。
午前三時二十分 先生は机の引き出しのクリップを全部ぶちまけて 色ごとに並べ直しはじめた。
先生「赤……青……銀……銀……銀……」
プラナ「先生 クリップはほぼすべて銀色です」
先生「うん だから大変なんだよ」
並べ終えると先生は書類の束に向かって深々と頭を下げた。
先生「いつも ありがとうね」
『みか☆:書類にお礼言ってる……』
『セミナー会計:……その書類 承認待ちのまま三日経っています』
午前三時半 先生は目を開けたまま瞑想を始めた。微笑んだまま。まばたきをしないまま。二時間。
『みか☆:ねえ誰か止めて』
『あなた様のワカモ:あなた様が……遠いところへ……』
『勇者アリス:先生が悟りを開くルートに入りました』
『アビドスのおじさん:……うへ 笑えないなぁ』
その合間にも 先生は時々タブレットに話しかけていた。アロナとプラナに。けれど視聴者に聞こえるのは先生の声だけだった。
『みか☆:先生 またタブレットとしゃべってる……』
『観測者ノドカ:幻覚……?』
『音瀬コタマ(録音中):それは平常運転です』
『みか☆:平常運転なのが一番怖いんだけど!?』
アロナ「せ……先生……」
アロナは画面の中で両手を胸の前に組んでいた。
アロナ「かっこいい……です……?」
プラナ「先輩」
アロナ「はい……」
プラナ「それは賞賛ではありません 通報の対象です」
アロナ「……ですよね」
アロナの声は 今にも消えそうだった。
午前三時四十五分 セリナはシャーレの執務室の扉の前に立っていた。
ドアノブに手をかけたまま なかなか回せなかった。この扉を開けたら 約束を破ることになる。先生の頼みを踏みにじることになる。
後ろでミネが担架を握り直す音がした。
ミネ「セリナ」
セリナ「……わかっています」
セリナは目を閉じて ドアノブを回した。
午前三時五十分 シャーレの扉が開いた。
入ってきたのはセリナとミネだった。ミネの手には折りたたんだ担架がある。
セリナ「先生」
先生「あ セリナ ミネ いらっしゃい」
先生は瞑想の姿勢のまま にこにこと笑った。見開いた目が二人を見ている。
セリナ「お願いです 寝てください 今すぐ」
先生「約束したよね」
セリナ「……」
先生「見守ってくれるって 約束したよね」
セリナの手が 担架の持ち手の上で震えた。
ミネ「セリナ 救護を」
ミネが一歩前に出た。
先生はまばたきをしなかった。笑顔のままセリナだけを見ていた。
先生「セリナがいてくれるから 安心して頑張れるんだよ」
セリナはうつむいた。
セリナ「……先生が そう望んでいるなら」
ミネ「セリナ!?」
セリナは深く頭を下げて 執務室を出ていった。ミネは担架を握りしめたまましばらく動かなかったが やがて黙ってそのあとを追った。
公園のテントに戻ると ミネは担架を地面に置いた。
ミネ「なぜですか セリナ」
セリナ「……」
ミネ「あなたなら止められたはずです」
セリナ「……私」
セリナは膝の上で両手を握りしめた。
セリナ「先生に 嫌われたくないんです」
テントの中が静かになった。
ハナエが起き上がって セリナの顔を見た。
セリナ「止めたら 約束を破ったって思われるかもしれない もう頼ってもらえなくなるかもしれない そう思ったら……体が動かなくて」
ハナエ「セリナ先輩……」
ミネはしばらく黙っていた。
やがて担架の横に腰を下ろして まっすぐ前を見たまま言った。
ミネ「救護とは ときに嫌われることです」
セリナ「……」
ミネ「痛い消毒をします 苦い薬を飲ませます 行きたいと言う人を引き止めます 嫌われても構わないと思えたとき はじめて救護は救護になります」
ミネは盾を膝の上に置いた。
ミネ「……私も 何度も嫌われてきました」
ハナエ「団長……」
セリナは何も言わなかった。
両手で顔を覆って 肩を震わせていた。
シャーレの執務室では 先生がまた瞑想に戻っていた。
一度だけ 閉じた扉のほうに顔を向けて首をかしげた。
先生「……今 誰か来てた?」
答える者はいなかった。
プラナはその姿を見ていた。それからテントの中のセリナを映した防犯カメラの映像を見た。
プラナ「……合理的ではありません」
アロナ「プラナちゃん……」
プラナ「先生を止められる人が こんなにたくさんいるのに 誰も止められません 先生が みんなの好意で みんなを縛っているからです」
プラナは自分の両手を見下ろした。
画面の中にしか存在しない手だった。
プラナ「そして 私には」
少しだけ 声が途切れた。
プラナ「先生を止める手が ありません」
アロナは何も言えなかった。
ただ画面の中で そっとプラナの手を握った。
プラナ「……先輩」
アロナ「……はい」
プラナ「湿度 九十二パーセントです」
アロナ「……はい」
午前四時 睡眠タイムのテロップが出た。
先生は瞑想の姿勢のまま 座ったまま眠りに落ちた。
五日目の朝 クロノス報道番組が キヴォトス中の街頭ビジョンに映し出された。
マイ『続いての話題です! ネットで広がる「先生と一緒に三十分睡眠」! シャーレの先生の生配信をきっかけに 生徒たちのあいだで睡眠時間を削る動きが広がっています!』
シノン『……なお 各校の保健室には 居眠りによる転倒や体調不良の生徒が次々と運びこまれているそうです』
マイ『専門家によりますと――』
シノン『先輩 専門家はいません 救護騎士団の方にお話を聞いてきました』
画面が切り替わった。公園のテントの前で ハナエが元気よくマイクに顔を近づけている。
ハナエ『寝てください! とにかく寝てください! 玉ねぎを枕元に置くと よく眠れますよ!』
シノン『……以上です』
その一時間後 連邦生徒会は異例の声明を出した。
生徒の皆さんは十分な睡眠をとってください。首席行政官名義のその声明を読み上げたリンの声は ひどくかすれていた。
シャーレの執務室では 先生がその声明を聞きながら書類にサインを続けていた。
先生「リンの言うとおりだよ みんな ちゃんと寝てね」
プラナ「先生」
先生「ん?」
プラナ「先生も みんなに含まれています」
先生「……そうだね」
声明の放送が終わると すぐにスマホが鳴った。リンからだった。
リン『先生 お聞きになりましたか 生徒の皆さんだけでなく 先生にも申し上げています どうか』
先生「ごめん リン ちょっと声が遠くて よく聞こえないや」
リン『先生』
先生「あとでかけ直すね」
先生は通話を切った。
リンの声は遠くなどなかった。先生の耳が もう言葉を拾えなくなっていただけだった。
『連邦生徒会首席行政官:……』
首席行政官のアカウントは それきり何も書きこまなかった。
先生は笑って そのまま次の書類に手を伸ばした。
サインの途中でペン先が止まった。先生の首が かくんと前に落ちる。二秒後に跳ね起きた。
先生「……寝てないよ」
『観測者ノドカ:寝てた』
『みか☆:寝てた』
『セミナー会計:寝てました』
『救護騎士団・鷲見セリナ:微小睡眠です 数秒の居眠りを自覚できない状態です 非常に危険です』
『音瀬コタマ(録音中):今 ペンの音が二・三秒止まりました』
先生「寝てないってば」
十分後 先生はまた首を落とした。
その十分後にも。その五分後にも。
昼過ぎ 先生はふいに執務室の隅を指さした。
先生「……あれ ペロロ様が踊ってる」
『阿慈谷ヒフミ:えっ!? ペロロ様が!? どこですか!?』
『阿慈谷ヒフミ:あっ……先生……そこ 誰もいません……』
『阿慈谷ヒフミ:あうぅ……』
プラナ「幻覚です」
アロナ「先生……そこには 観葉植物しかありません……」
先生「でも すごく楽しそうだよ」
先生は笑っていた。見開いた目で 誰もいない部屋の隅を見つめながら。
アロナはもう かっこいいとは言わなかった。
午後一時 執務室の扉が勢いよくノックされた。
扉の向こうから聞こえてきたのは 少し上ずった元気な声だった。
ノドカ「せ 先生! 天見ノドカです! 会いに来ました!」
扉が開いて 大きな望遠鏡を背負った小柄な生徒が飛びこんできた。金色の三つ編みが跳ねている。
ずっと遠くから見ているだけだった生徒が 自分の足でここまで来たのだった。
ノドカ「配信で見てたら もう居ても立ってもいられなくて! 見てるだけじゃだめだって思って!」
先生「……」
先生は見開いた目でノドカを見た。
しばらくそのまま動かなかった。
先生「……ごめん」
ノドカ「はいっ」
先生「誰だっけ」
ノドカの笑顔が ぴたりと止まった。
ノドカ「……え」
ほんの一瞬だけ ノドカの目が揺れた。
けれどノドカはすぐにまた笑った。
ノドカ「あ あはは ですよね! レッドウィンターの 二二七号特別クラスの……天見ノドカです!」
先生「……ああ うん」
先生はうなずいた。目には何も浮かんでいなかった。
ノドカは笑顔のまま一歩下がった。
ノドカ「……失礼しました! お邪魔しました!」
ノドカは勢いよく頭を下げて 執務室を飛び出していった。
廊下では コタマが壁にもたれて待っていた。
ノドカ「コタマさん……」
コタマ「聞いていました」
ノドカ「先生……私のこと……」
コタマ「睡眠不足による 一時的な記憶の混乱です 先生がノドカさんを忘れたわけではありません」
コタマは淡々と言った。
それから少しだけ声を落とした。
コタマ「……ノドカさん 泣いていいです」
ノドカの顔がくしゃりと歪んだ。
望遠鏡を背負ったまま ノドカはコタマの肩に額を押しつけて泣いた。コタマは何も言わずに その背中をぎこちなく叩いた。
『観測者ノドカ:……』
『みか☆:ノドカちゃん……』
『セミナー会計:先生……』
『あなた様のワカモ:……あなた様 それだけは いけません』
プラナ「先生 今の生徒は 天見ノドカさんです」
先生「ノドカ……? 来てた?」
アロナが両手で顔を覆った。
プラナはもう すぐには記録をつけられなかった。
午後三時 シャーレの扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのはホシノだった。ソファから動かないことで有名なアビドスの委員長が 自分の足でここまで来ていた。
先生「ホシノ……? 珍しいね」
ホシノ「うへ~ おじさんだって たまには歩くよぉ」
ホシノはいつもの調子で笑って 先生の机の端に腰かけた。
それから笑うのをやめた。
ホシノ「ねえ先生」
先生「うん」
ホシノ「おじさんね 昔 寝ないで頑張ってたことがあるんだ 全部ひとりで抱えて ひとりでなんとかしようとして」
ホシノは窓の外を見た。
ホシノ「そうするとね 大事なものほど 見えなくなるんだよ 目の前にあるのに」
先生「……」
ホシノ「だからさ 先生 寝て」
短い言葉だった。ホシノにしては ひどくまっすぐな言葉だった。
先生は少しの間 ホシノの顔を見ていた。
それから にこりと笑った。
先生「うん……ホシノは いつもよく寝てて えらいね」
ホシノの肩が ほんのわずかに落ちた。
ホシノ「……そっかぁ」
ホシノは机から降りた。
ホシノ「今の先生には 届かないかぁ」
扉のところで振り返って ホシノはひらひらと手を振った。
ホシノ「おじさん また来るね 先生がちゃんと聞こえるようになったら」
廊下ではシロコが壁にもたれて待っていた。
シロコ「……ん どうだった」
ホシノ「だめだったぁ」
ホシノは笑おうとして うまく笑えなかった。
シロコは何も言わずに ホシノの手を握った。
『アビドスのおじさん:……』
『ん:ホシノ先輩 帰りは私が送る』
午後五時 ゲヘナの市街地。
巡回中のヒナが 交差点の真ん中でふらりとよろめいた。
アコ「委員長?」
ヒナ「……大丈夫 少し 地面が傾いて……」
ヒナの膝が折れた。
アコが駆け寄って 倒れかけたヒナの体を抱きとめる。
アコ「委員長! 委員長!」
ヒナ「……アコ 先生……今 何時……」
それだけ言ってヒナは目を閉じた。
規則正しい寝息が聞こえてきた。眠っているだけだった。三日分の眠気が ヒナの意識を根こそぎ持っていったのだった。
救護室のベッドに運ばれてからも ヒナは一度だけ寝言を言った。
ヒナ「……先生……寝て……」
ベッドの横の丸椅子で アコは膝の上の拳を握りしめた。
アコ「……っ」
アコは丸椅子に座ったまま 震える指でスマホを操作した。
『天雨アコ:ヒナ委員長が倒れました』
『天雨アコ:眠っているだけです 救護室に運びました』
『天雨アコ:先生』
『天雨アコ:先生のせいです』
『天雨アコ:……違います ごめんなさい 私が止めなかったからです』
コメント欄が凍りついた。
そして次の瞬間 同じ言葉で埋め尽くされた。
寝て。寝て。寝てください。お願い。寝て。
アロナ「……先生」
アロナの声が震えていた。
先生「ヒナが……」
先生は画面を見つめていた。見開いた目で。けれどその手は また次の書類に伸びかけていた。
アロナ「先生!!」
アロナが叫んだ。
シッテムの箱のスピーカーが割れそうなほどの声だった。
アロナ「もう やめましょう!」
先生「アロナ……」
アロナ「アロナ 間違ってました! 先生が頑張れば頑張るほど みんなが先生の真似をして みんなが寝なくなって ヒナさんが倒れちゃいました!」
画面の中でアロナの目から大粒の涙がこぼれていた。
アロナ「先生が倒れたら 予約の子たちは誰に相談するんですか! みんな 先生のことが大好きだから 先生と同じことしちゃうんです! 先生が寝ないと みんな寝ないんです!」
先生「……でも まだ大丈夫だから」
アロナ「先生の大丈夫は もう信じません!」
先生の手が止まった。
アロナ「アロナ 応援するって言っちゃいました かっこいいって言っちゃいました アロナが止めなきゃいけなかったのに……っ」
アロナはしゃくりあげながら画面の隅にうずくまった。
プラナがその隣にそっと寄り添った。
プラナ「……先輩」
アロナ「プラナちゃん……ごめんなさい……プラナちゃんはずっと 正しかったのに……」
プラナ「謝罪は あとで受理します」
プラナは先生のほうを向いた。
プラナ「先生 予約待ちの生徒は 先生が倒れたら 三か月ではなく ずっと待つことになります」
先生の目が 一瞬だけ揺れた。
見開いたままだった瞳の焦点が ほんの一瞬だけ 画面の中の二人に合った。
先生「……ヒナが倒れたのは……私のせい……?」
先生の唇が かすかに動いた。
先生「だったら……早く終わらせないと……全部終わらせたら……みんな 安心して寝られるから……」
プラナ「先生 論理が逆です」
先生「……あと 少しだけ」
けれど先生は そう言って書類に向き直った。
プラナはしばらく先生の背中を見ていた。
それから静かに言った。
プラナ「……了解しました」
アロナ「プラナちゃん!?」
プラナ「先生は 自分では止まりません なら 止まらざるをえない状況を作ります」
プラナは画面の中に小さなウインドウを開いた。
モモライブのコメント欄だった。
『モデレーター:P:救護騎士団の鷲見セリナさんに提案があります』
公園のテントの中で セリナがタブレットから顔を上げた。
『救護騎士団・鷲見セリナ:Pさん……?』
『モデレーター:P:提案。入浴です』
『モデレーター:P:温かい湯で体温を上げると その後の体温低下に合わせて入眠しやすくなります 今の先生なら 湯船から上がった時点で眠りに落ちる可能性が高いです』
『モデレーター:P:先生は配信を止めないと約束しています ならば入浴も配信の企画にします 先生は断りません』
『モデレーター:P:先生が眠ったら あなたに寝室まで運んでいただきたい』
セリナはしばらく画面を見つめていた。
指が止まったまま動かない。
『救護騎士団・鷲見セリナ:……Pさん あなたは誰なんですか』
短い間があった。
『モデレーター:P:先生を守る者です』
セリナは目を閉じた。
ミネの言葉が胸の奥で鳴っていた。救護とは ときに嫌われることです。
『救護騎士団・鷲見セリナ:わかりました』
『救護騎士団・鷲見セリナ:今度は 見守るだけにはしません』
テントの中でミネが立ち上がった。ハナエも立ち上がった。
ハナエはなぜか玉ねぎを一個握りしめていた。
アロナ「プラナちゃん……!」
アロナは涙を拭いて 画面の中で立ち上がった。
アロナ「企画はアロナに任せてください! 今度こそ ちゃんと正しい方向に頑張ります!」
プラナ「……期待しています 先輩」
午後八時 配信画面に大きなテロップが躍った。
【今夜二十二時 特別企画 先生のお風呂配信 水着着用】
テロップの周りには アロナが描いた泡とアヒルの絵がふわふわと浮かんでいた。
プラナ「先輩 装飾が過剰です」
アロナ「かわいいほうが 先生もリラックスできます!」
プラナ「……水着の準備を確認します 脱衣所の右の棚 上段 青 準備済み」
アロナ「完璧ですね!」
プラナ「はい 完璧です 先生が着れば」
先生「お風呂……?」
アロナ「はい! 視聴者さんへのサービスです! ゆっくりあったまってください!」
先生「お風呂……いいね……」
先生は半分閉じかけた目でうなずいた。断るという考えは もうどこにも残っていないようだった。
テロップが出た瞬間 コメント欄は かつてない勢いで流れはじめた。
『みか☆:え 待って』
『みか☆:待って待って待って 心の準備できてない☆』
『セミナー会計:……見ません』
『セミナー会計:見ませんけど 画質は最高設定にしておきます』
『生塩ノア:ユウカちゃん 耳まで真っ赤です』
『あなた様のワカモ:身を清め 正座してお待ち申し上げております』
『観測者ノドカ:望遠鏡……ほんとにいらないですね……』
『勇者アリス:先生の防具が水着に! 防御力が心配です!』
『アビドスのおじさん:うへ~ 寝落ち配信ならおじさん得意だよぉ』
『ん:ホシノ先輩は寝てて』
『公安局長:……健全な範囲で頼む』
『連邦生徒会首席行政官:業務時間外ですので 見ておりません』
『生塩ノア:首席行政官 視聴者一覧にお名前があります』
『救護騎士団・鷲見セリナ:医療的観点から見守ります』
『救護騎士団団長:救護』
『白衣の天使ハナエ:お湯に玉ねぎを浮かべるとよく眠れますよ!』
『天雨アコ:委員長は救護室で眠っています ……配信は録画しておきます』
『音瀬コタマ(録音中):入浴の水音は 安眠用の環境音として非常に優秀です』
『観測者ノドカ:コタマさん 言い方……』
『阿慈谷ヒフミ:あうぅ……ペロロ様のアヒル お貸ししましょうか……』
アロナ「すごいです! 視聴者数 五十万人を超えました!」
プラナ「湿度 百パーセントを超えました」
アロナ「えっ」
プラナ「測定不能です」
午後九時半 セリナはシャーレの執務室の扉を開けた。
先生は机に突っ伏しかけた体を 腕でなんとか支えていた。
先生「あ……セリナ……」
セリナ「先生 お風呂の準備ができています」
先生「うん……お風呂……配信だもんね……」
先生は立ち上がろうとして よろめいた。セリナがとっさに腕を支える。
先生の腕は 二日前に手首を測ったときよりも細く感じられた。
先生「ありがとう……セリナは……いつも……助けてくれるね……」
セリナ「……先生」
先生「セリナがいてくれるから……安心して……」
セリナ「先生」
セリナは先生の言葉を遮った。
自分でも驚くくらい はっきりした声だった。
セリナ「今夜は 安心して無茶をさせるために来たのではありません」
先生「……え……?」
セリナ「先生を寝かせるために来ました」
先生はぼんやりとセリナを見た。意味が届いたのかどうか 見開いた目からは読み取れなかった。
セリナは先生を椅子に座らせ直すと 浴室の前の廊下へ向かい 扉の横に正座した。担架を抱えたミネとハナエが その後ろに静かに控えた。
午後十時。
浴室の湯船の縁に アロナが防水カメラを据えつけた。映るのは湯気の立つ浴槽と 縁に浮かぶアヒルのおもちゃだけだ。先生が湯船に入れば 肩から上が映る。そういう位置だった。
プラナ「先生 浴室へどうぞ 水着は脱衣所の棚に置いてあります」
先生「うん……ありがとう……」
先生はふらふらと立ち上がった。
足取りが怪しい。壁に手をつきながら 脱衣所へ消えていく。カメラには湯気だけが映っている。
『みか☆:来る……』
『観測者ノドカ:来ます……』
『セミナー会計:見てません 見てませんから』
『あなた様のワカモ:正座 崩しておりません』
『勇者アリス:ボス戦の前のBGMが聞こえます』
『救護騎士団団長:救護待機』
『モデレーター:P:落ち着いてください』
アロナ「コメント欄が すごいことになってます……」
プラナ「先輩 カメラの角度は 浴槽の縁より上だけですね」
アロナ「はい! 肩から上しか映りません! 完璧です!」
脱衣所から先生の声が聞こえてきた。
先生「水着……水着……どこだっけ……」
アロナ「棚の上です! 青いやつです!」
先生「……ん……」
しばらく衣擦れの音が続いた。
そして先生のぼんやりした声がした。
先生「……まあ いっか……」
プラナ「……先生?」
浴室の扉が開いた。
湯気の向こうに 先生の影が差しかかる。
プラナの視界の端で 脱衣所の棚の上の青い水着が 畳まれたまま置かれていた。
アロナ「せ……先生!! 水着は!?」
先生「ん……?」
影がカメラの画角に入る その一瞬前。
プラナ「映像を切断します 同時に 通報します」
プラナの指が動いた。
浴室のカメラの映像が途切れるのと 通報が送信されるのは まったく同時だった。
モモライブ利用規約 第十四条 過度な肌の露出を伴う配信の禁止。
通報から凍結までにかかった時間は 〇・三秒だった。
【このチャンネルは利用規約違反のため停止されました】
五十万人の画面が 一斉に真っ黒になった。
セミナーの執務室で ユウカは真っ黒になったモニターを見つめたまま動かなかった。
ユウカ「……え?」
トリニティのテラスで ミカがケーキのフォークを取り落とした。
ミカ「え……BAN? なんで? 何が起きたの?」
シャーレの屋上で ワカモが面の奥で目を見開いた。
ワカモ「……あなた様?」
D.U.の公安局で 尾刃カンナが額を押さえた。
カンナ「……何か映ったのか」
公安局員「いえ 何も映っていません 映る前に停止しています」
カンナ「……何も映っていないなら 事件ではない」
カンナは深いため息をついた。
カンナ「事件ではないが……あの先生は何をやっているんだ」
D.U.のカフェの片隅で ノドカが真っ黒なタブレットを両手でつかんで揺さぶっていた。
ノドカ「先生が見えない! 先生が見えないです! コタマさん!」
コタマ「……念のため申し上げますと」
コタマはヘッドホンを外して 静かに言った。
コタマ「シャーレの盗聴器は 先週 先生に言われて撤去しました」
ノドカ「私も望遠鏡しまっちゃいました! 会いに行くって約束したから!」
二人は顔を見合わせた。
見る手段も聞く手段も もう残っていなかった。残っているのは ひとつだけだった。
コタマ「……行くしかありません」
ノドカ「はい!」
アビドスの校舎の前では シロコがもう自転車にまたがっていた。
シロコ「ん 行く」
ホシノ「おじさんも乗せてってぇ」
ゲーム開発部の部室では アリスが真っ黒な画面を見つめていた。
アリス「先生のチャンネルが……消滅しました……」
ゲヘナの救護室では アコが真っ黒なスマホの画面を見つめていた。
ベッドの上でヒナがうっすらと目を開けた。
ヒナ「……アコ 先生は」
アコ「配信が……止まりました 何が起きたのかは わかりません」
ヒナはしばらく天井を見ていた。
それからゆっくりと体を起こした。
アコ「委員長! まだ寝ていないと」
ヒナ「……行くわ」
アコ「ですが」
ヒナ「画面がないなら 自分の目で見るしかないでしょう」
アコは一瞬だけ迷って ヒナの肩を支えた。
首席行政官室では リンの手からペンが落ちて 床を転がっていった。
クロノスの報道部では マイが速報の原稿を握りしめていた。
マイ『緊急速報です! シャーレの先生の生配信が ただいま停止されました! 原因は――』
シノン『先輩 裏は取れていません』
マイ『……』
シノン『今回は何も映っていないので 裏も表もありません』
その夜 キヴォトス中で同じことが起きた。
画面の中の先生を失った生徒たちが 一人また一人と 部屋を飛び出していった。
向かう先は ひとつしかなかった。
BANの直後 シッテムの箱の中では アロナが目を白黒させていた。
アロナ「プ……プラナちゃん!? 通報って……!」
プラナ「説明はあとでします 今は先生です」
真っ黒になった配信画面の向こう側で 先生は湯船に体を沈めていた。
湯気がゆらゆらと立ちのぼる。温かい。体の芯がほどけていく。まぶたが重い。五日ぶんの重さだった。
プラナ「先生」
先生「……ん……」
プラナ「浴槽で眠らないでください 入浴中の居眠りは 意識を失って溺れる危険があります」
先生「……うん……わかってる……」
先生の顎が 湯の表面に触れた。
アロナ「先生!! 起きてください!! 先生!!」
プラナ「浴槽の排水を開始します 浴室の照明を最大に 換気扇を最大に」
ごぼごぼと音を立てて湯が抜けはじめた。天井の明かりが真昼のように白く光る。換気扇が唸りを上げる。
お湯が胸の下まで減ったところで 先生はぶるりと震えて目を開けた。
先生「……寒い」
プラナ「当然です バスローブを着てください 今すぐ 脱衣所の右側の棚です」
先生「……はい」
先生は子どものように素直にうなずいて ふらふらと浴室を出た。
脱衣所で手探りにバスローブを羽織り 帯を結ぶ。結び終えたところで膝が折れた。先生はそのまま床に崩れ落ちた。
鈍い音が廊下まで響いた。
セリナ「先生!?」
扉の外で正座していたセリナが立ち上がった。
同時にセリナのスマホが震えた。モモトークの通知だった。差出人は先生のアカウントになっている。
『先生:セリナさん 入ってください 先生はバスローブを着ています P』
セリナは一瞬だけ画面を見つめた。
それから扉を開けた。
セリナ「ケガをされた方は……」
脱衣所の床に バスローブ姿の先生が横たわっていた。
セリナは駆け寄って膝をついた。首筋に指を当てる。胸の上下を見る。まぶたをそっと持ち上げる。手は震えていなかった。ちゃんと救護騎士団の手だった。
セリナ「……脈 正常です 呼吸も 規則正しいです」
セリナはそこでようやく息を吐いた。
セリナ「……寝ています」
その一言で 膝から力が抜けた。
先生の手を両手で包んだまま セリナはしばらく動けなかった。ぽたり ぽたりと先生の手の甲に雫が落ちた。
ミネ「セリナ」
ミネとハナエが担架を抱えて入ってきた。
ミネ「救護します」
ミネの声は ひどく小さかった。眠っている人を起こさないための声だった。
三人で先生を担架に乗せ 寝室まで運んだ。ベッドに寝かせて毛布を肩までかける。ハナエがポケットから玉ねぎを一個取り出して 枕元にそっと置いた。
セリナ「ハナエちゃん……」
ハナエ「念のためです」
ミネは寝室の扉の前に立った。盾を床について 背筋を伸ばす。
ミネ「先生が目を覚ますまで 何人たりとも この扉は通しません」
セリナはベッドの横の椅子に腰を下ろした。
眠っている先生の顔を見つめる。五日ぶりに 目を閉じた顔だった。
セリナ「……今度は 見守るだけじゃありませんから」
先生は答えなかった。
深く静かな寝息だけが 部屋の中に満ちていた。
一時間もしないうちに シャーレの廊下は生徒で埋まった。
ユウカとノアがいた。ミカとナギサがいた。救護室で目を覚ましたばかりのヒナが アコに支えられて立っていた。屋上から降りてきたワカモがいた。コタマとノドカがいた。アリスとモモイとミドリとユズがいた。ホシノとシロコがいた。ミユがいた。ヒフミがいた。ノートパソコンを抱えたリンがいた。
カンナの部下たちが廊下の入口で人の流れを整理していたが 誰も騒がなかった。声を出す生徒はいなかった。みんな壁際に並んで座りこんで 寝室の扉を見つめていた。
ただ一人 ワカモだけが扉の前まで進み出た。
ワカモ「通していただけますか あなた様のお顔を ひと目」
ミネ「通しません」
ワカモ「……救護騎士団の団長ともあろうお方が」
ミネ「先生は眠っています 眠っている人の顔を見たいという理由で扉を開けることは 救護ではありません」
狐の面と盾が しばらく無言でにらみ合った。
先に引いたのはワカモだった。扉のすぐ前に すっと正座する。
ワカモ「では ここでお待ちします」
ミネ「どうぞ」
廊下の入口でその様子を見ていたカンナが 額を押さえた。
カンナ「……何も映っていないなら事件ではないと言ったが この廊下は事件だな」
廊下の空気が 重かった。
プラナ「……廊下の湿度 推定九十八パーセント」
アロナ「プラナちゃん それ 比喩じゃなくて本当に湿気てませんか……」
プラナ「人が多いので 両方です」
最初に口を開いたのはユウカだった。
ユウカ「……画質 最高設定にしてた」
誰に言うでもない声だった。
ユウカ「先生があんなに危なかったのに お風呂配信って聞いて 画質を最高にしてた自分が 許せない」
ミカ「……私も 心の準備とか言ってた」
ワカモ「わたくしは 身を清めて正座して待っておりました……」
アリス「アリスは 先生の防御力の心配をしていました……」
ヒフミ「あうぅ……ペロロ様のアヒルを貸そうとしていました……」
リン「……私は 見ていないと書きました」
ノア「首席行政官」
リン「嘘をつきました」
廊下のあちこちから 小さな懺悔がこぼれ落ちていった。
ひとつこぼれるたびに 空気がまた少し湿った。
その空気を破ったのはハナエだった。寝室から出てくるなり 抱えた紙袋を廊下の真ん中で広げる。
ハナエ「皆さんも寝てないですよね! 眠れない夜には玉ねぎです! おひとつどうぞ!」
誰も断らなかった。断る元気がなかった。
ユウカも ミカも ワカモも 玉ねぎをひとつずつ受け取って 膝の上に載せた。
プラナ「……廊下の湿度に加えて 玉ねぎの匂いが充満しています」
アロナ「目にしみます……」
プラナ「先輩は画面の中です」
廊下の奥でユウカは膝を抱えていた。隣にノアが座っている。
ユウカ「ねえノア」
ノア「はい」
ユウカ「先生 起きたら 私のこと覚えてるかな」
ノア「……」
ユウカ「来てたっけ って言われたのよ 私 あの部屋にいたのに」
ノア「はい 見ていました」
ユウカ「また 覚えてなかったら」
ユウカの声が細くなった。
ノア「そのときは 私が覚えています」
ノアはいつもの穏やかな声で言った。
ノア「ユウカちゃんが先生のために計画書を三回作り直したことも 請求書の金額を延滞利息まで計算したことも 廊下で泣いたことも 全部 私の手帳に書いてあります 先生が忘れても 私が全部覚えています」
ユウカ「……泣いたことは書かなくていいのよ」
ノア「書きました」
ユウカは膝に顔をうずめた。
少しだけ 肩の震えが小さくなった。
その少し先で ヒナが壁にもたれていた。顔色はまだ白い。
ヒナ「……アコ」
アコ「はい 委員長」
ヒナ「私 先生の真似をして倒れたのよね」
アコ「……はい」
ヒナ「先生が起きたら 怒られるかしら」
アコ「怒られるのは先生のほうです」
アコはきっぱりと言った。
ヒナは少しだけ目を丸くして それから口元をほんのわずかにゆるめた。
ヒナ「……そうね」
ミカは新しいケーキの箱を膝の上に載せていた。
今度もまた苺のショートケーキだった。
ミカ「今度は 名前呼んでもらえるかな」
ナギサ「呼んでもらえるまで 何度でも持っていけばいいのです」
ミカ「……ナギちゃん たまにいいこと言うじゃんね」
ナギサ「たまに は余計です」
ノドカは望遠鏡を抱えて 体育座りをしていた。
ノドカ「先生 私のこと 思い出してくれるかな」
コタマ「思い出します」
ノドカ「どうしてわかるんですか」
コタマ「これまでの録音を確認しました 先生がノドカさんの名前を呼ぶとき 声の基本周波数は毎回わずかに上がっています 嬉しいときの声です」
ノドカ「……それ いつ録音したんですか」
コタマ「黙秘します」
ノドカは少し笑った。泣き笑いだった。
ワカモは寝室の扉のすぐ前に ひとりで正座していた。扉の向こうにはミネが立っている。
ワカモ「あなた様の寝息……扉が厚くて 聞こえませんね」
そのつぶやきに コタマが顔を上げた。
コタマは黙って立ち上がり 寝室の隣の壁に耳を当てた。廊下中の視線がコタマに集まった。
コタマ「……聞こえます」
廊下が静まり返った。
コタマ「寝息 規則正しいです 四・二秒周期 深い睡眠です」
誰かが ふうっと息を吐いた。
それが合図だったみたいに 廊下のあちこちで同じ音がした。ミカが鼻をすすった。ユウカが顔を上げた。アリスがユズの手を握った。ヒナが目を閉じた。
ホシノ「……うへ~ よかったぁ」
シロコ「ん」
ホシノ「先生 起きたら 今度は聞こえるかなぁ」
シロコ「ん 聞こえる」
廊下の中ほどでは アリスがユズの膝に頭を預けていた。
アリス「アリス……先生の真似をして……三十分しか寝ていません……」
ミドリ「アリスちゃん 今寝て」
アリス「でも……先生が起きるまで……アリスは……見張り……」
モモイ「……寝た」
ユズ「……うん 寝たね」
アリスはユズの膝の上で すうすうと寝息を立てていた。
廊下の隅ではミユが小さくなっていた。
ミユ「私なんかの相談のせいで……先生の時間を……」
ヒナ「……あなたのせいじゃないわ」
ミユが驚いて顔を上げた。
ゲヘナの風紀委員長は壁にもたれたまま 目を閉じて言った。
ヒナ「誰のせいでもない ……強いて言うなら 先生のせい」
アコ「その通りです」
ミユはしばらく固まっていた。
それから ほんの少しだけうなずいた。
リンはノートパソコンを開いて 黙々と何かを打ちこんでいた。
ノア「首席行政官 何をなさっているんですか」
リン「先生の業務の再配分です 半分を連邦生徒会で引き取ります 首席行政官としての判断です」
そう言った直後 リンは小さくあくびをした。
ノア「首席行政官も 寝てください」
リン「……先生が起きたら そうします」
廊下の誰もが 同じことを考えていた。
先生が起きたら。
先生が目を覚ましたのは 十九時間後のことだった。
窓の外は夕焼けだった。部屋の中は静かだった。頭がすっきりしていた。何日ぶりかわからないくらい すっきりしていた。
枕元に玉ねぎがひとつ転がっていた。ベッドの横の椅子では セリナが毛布にくるまって眠っていた。
先生はセリナを起こさないように そっと体を起こした。
先生「……ありがとう セリナ」
小さな声で言った。セリナは目を覚まさなかった。
サイドテーブルの上のタブレットが光った。
アロナ「せ……せんせぇ……」
画面の中のアロナの目は 泣き腫らして真っ赤だった。
プラナ「起床を確認しました 睡眠時間 十九時間十二分です」
先生「十九時間……」
アロナ「せんせぇぇぇぇ……!」
アロナが画面いっぱいに抱きついてきた。先生は苦笑しながら タブレットの縁をそっと撫でた。
先生「ごめんね アロナ プラナ ……何があったか 教えてくれる?」
プラナ「報告します」
プラナの声は いつもどおり平坦だった。
プラナ「五日間の総睡眠時間 二時間三十分 アロナ先輩への怒声 一件 早瀬ユウカさんへの不適切な発言 一件 生徒の名前の誤り 二件 生徒を認識できなかった件 二件 奇行 十七件 幻覚 一件 生徒による睡眠不足の模倣 多数 空崎ヒナさんの一時的な意識消失 一件 相談予約の取り消し 四十二件」
先生の顔から 少しずつ表情が消えていった。
プラナ「そして 配信はBANされました」
先生「……BAN?」
プラナ「私が通報しました」
先生「プラナが?」
プラナ「先生が 水着を着ないまま浴室に入ろうとしたからです」
先生は固まった。
先生「……え」
プラナ「映像はその場で切りました 何も映っていません 視聴者は一人も 何も見ていません」
先生「……よかった……」
先生は両手で顔を覆った。それから指の隙間からプラナを見た。
先生「でも 映像を切っただけなら BANまでは」
プラナ「通報したのは 先生が二度と配信を再開できないようにするためです」
プラナはまっすぐ先生を見ていた。
プラナ「先生は 配信を止めないと約束していました アロナ先輩に管理権限を渡していました 私には止める権限がありませんでした でも 規約違反による凍結なら 誰にも解除できません」
先生「……最初から そのつもりで規約を?」
プラナ「最悪の場合に備えただけです」
そこまで言って プラナの声がかすかに揺れた。
プラナ「私は……何度も 反対だと言いました」
先生「……うん」
プラナ「非合理的だと言いました 気絶だと言いました 通報の対象だと言いました 先生は一度も 聞いてくれませんでした」
プラナはうつむいた。長い前髪の下で 何かが光った。
プラナ「私には 先生を止める手がありません 抱きとめることも ペンを取り上げることも 布団をかけることもできません だから 規約を使うしか……」
声が途切れた。
アロナがそっとプラナの肩に手を置いた。
先生「……プラナ」
先生はタブレットを両手で持った。画面の中のプラナの目の高さに 自分の目を合わせる。
先生「ごめん ずっと止めてくれてたのに 聞かなかった」
プラナ「……」
先生「守ってくれて ありがとう」
プラナはしばらく黙っていた。
それから小さく顔を上げた。
プラナ「……謝罪を 受理します」
先生「うん」
プラナ「感謝は 保留します」
先生「保留?」
プラナ「先生が今後 毎日七時間以上の睡眠を三十日間継続した時点で 受理を検討します」
先生「厳しいなぁ」
プラナ「正確なだけです」
いつもの言葉だった。
けれどその声は ほんの少しだけ柔らかかった。
アロナ「アロナも……ごめんなさい……」
アロナがしゃくりあげた。
アロナ「先生を止めなきゃいけなかったのに 応援しちゃって アラームまで鳴らしちゃって……」
先生「アロナは悪くないよ 私が説得しちゃったんだから」
先生は少し困ったように笑った。
先生「アロナを説得できちゃうくらい 私が頑固だったんだね」
アロナ「うえええええん」
プラナ「先輩 先生の頑固さに もう寝返らないでください」
アロナ「寝返りません! 次は先生がどんなにかっこいいことを言っても アロナはちゃんと止めます!」
プラナ「その言葉 記録しました」
アロナ「えっ 記録されちゃうんですか」
プラナ「証拠として」
アロナ「寝返りませんんん……」
先生はベッドから足を下ろした。
ふとサイドテーブルの上を見ると 一冊のファイルが置いてあった。背表紙に几帳面な字で『先生の睡眠計画書 第一版』と書いてある。誰かが 書類の山の中から掘り出してここまで運んできてくれたらしかった。
先生はファイルを開いた。
一ページ目から最後のページまで 十分かけて全部読んだ。業務の組み直し。移動ルートの短縮。食事の時間。余白には小さな字で書きこみがあった。二回目修正。三回目修正。先生がちゃんと寝られますように。
先生はファイルを閉じて しばらく目を閉じていた。
それからスマホを手に取ってモモトークを開いた。
未読の数字が 見たこともない桁になっていた。先生は一番古いものから順に指でたどっていった。
『先生 おはようございます お体の具合は大丈夫ですか』
『先生がいつも頑張ってるのは知ってる でも』
『……頼ってくれても いいのに』
『先生 私の名前 忘れないうちに寝てね☆』
『玉ねぎ 枕元に置いてくれましたか!』
『先生 お願いです 寝てください』
『おやすみなさい 先生』
寝て。寝て。寝てください。
同じ言葉が 何百も続いていた。
先生は画面をスクロールする指を止めた。
先生「……ほんとに 何やってたんだろうな 私」
プラナ「睡眠不足です」
先生「うん 知ってる」
先生は小さく笑って スマホを伏せた。
寝室の扉を開けると ミネが振り返った。
ミネ「先生」
先生「ミネ ずっと立っててくれたの?」
ミネ「救護中ですので」
ミネの肩越しに廊下が見えた。
生徒たちがいた。壁際にずらりと並んで座っていた生徒たちが 一斉にこちらを見た。
誰も声を出さなかった。
先生はその顔をひとつずつ見た。それから廊下の真ん中まで歩いていって 深く頭を下げた。
先生「心配かけて 本当にごめん」
顔を上げると 何十もの目が先生を見ていた。
先生「寝ないでみんなの時間を作るつもりだった でも実際は みんなの時間を心配で埋めてただけだった 私が間違ってたよ」
廊下の奥で ユウカが立ち上がりかけて また座った。
先生「ユウカ」
ユウカの肩がびくりと跳ねた。
先生はユウカの前まで歩いていって しゃがみこんだ。
先生「ひどいこと言って ごめん」
ユウカ「……覚えてないんでしょう」
先生「うん 覚えてない だからプラナに……ううん 全部確かめた 覚えてないのが いちばんひどいよね」
先生は手に持っていたファイルを見せた。
先生「計画書 今 全部読んだよ 三回も作り直してくれたんだね」
ユウカの目に みるみる涙が溜まっていった。
ユウカ「……読むのが 遅いです」
先生「うん」
ユウカ「遅すぎます 四日遅れです 延滞です」
先生「うん ごめん」
ユウカ「……守ってください」
ユウカは袖でごしごしと目元を拭った。
ユウカ「一日七時間 一分でも削ったら 請求しますから」
先生「延滞利息つきで?」
ユウカ「当然です!」
泣きながら怒鳴ったユウカの声に 廊下の空気が少しだけゆるんだ。
先生「ヒナ」
壁にもたれていたヒナが ゆっくりと顔を上げた。
先生「名前 間違えてごめん」
ヒナ「……もう一回」
先生「え?」
ヒナ「もう一回 呼んで」
先生「ヒナ」
ヒナは目を閉じた。
ヒナ「……うん」
先生「ヒナも 私の真似して倒れたって聞いた ごめんね」
ヒナ「……先生が寝るなら 私も寝る」
先生「うん 同じ時間に寝よう」
アコが横で小さく手を挙げた。
アコ「……私も同じ時間に寝ます」
先生「アコもね」
アコはそれだけで なぜか泣きそうな顔になった。
先生「ミカ」
ミカがケーキの箱を抱えたまま立ち上がった。
先生「ケーキ ありがとう 苺のショートケーキ すごく甘くておいしかった」
ミカ「……覚えてたの?」
先生「名前は間違えたのにね ごめん」
ミカ「……ほんとだよ」
ミカは笑った。今度は ちゃんと笑えていた。
ミカ「じゃあ これ 次は私の名前呼びながら食べてね☆」
差し出された箱を 先生は両手で受け取った。
先生「ノドカ」
望遠鏡を抱えていたノドカが びくりと固まった。
先生「会いに来てくれたのに ごめんね」
先生はノドカの前で膝をついた。
先生「天見ノドカ レッドウィンターの二二七号特別クラス 星を見るのが好きで 金色の三つ編みで ……初めて自分から会いに来てくれた子だよね」
ノドカ「……っ」
ノドカの顔がくしゃくしゃに歪んだ。
ノドカ「覚えてるじゃないですかぁ……!」
先生「今は ちゃんと覚えてるよ」
ノドカ「今度は……ちゃんとノックして 会いに来ますから……!」
先生「うん 待ってる」
ホシノ「先生」
ホシノがソファの代わりに廊下の床に寝転がったまま 片目を開けた。
ホシノ「今なら 聞こえる?」
先生「うん 聞こえるよ 寝てって言いに来てくれたよね ホシノ」
ホシノ「うへ~ よかったぁ」
ホシノはそれだけ言って 満足そうに目を閉じた。シロコがその横で小さくうなずいた。
先生「ミユ」
ミユ「ひゃいっ」
先生「予約 また入れてね 今度は ちゃんと寝た私が聞くから」
ミユ「……はい……!」
リンがノートパソコンを閉じて立ち上がった。
リン「先生 業務の半分は 本日付けで連邦生徒会が預かります 決定事項です」
先生「ありがとう 頼るね」
リン「……先生が素直だと 調子が狂います」
先生「ひどいなぁ」
シロコ「ん 先生」
先生「シロコ」
シロコ「今度 帰りは自転車の後ろ 乗って」
先生「うん 今度はお願いしようかな」
シロコの耳がぴんと立った。
廊下の入口のほうから カンナが咳払いをした。
カンナ「先生 何も映っていない以上 事件ではない ……事件ではないが 一応 事情は聞かせてもらう」
先生「……はい」
ワカモ「あなた様……」
扉の前で正座していたワカモが 面を少しだけずらした。
先生「ワカモも 屋上でずっと見張っててくれたんだってね ありがとう」
ワカモ「妻の務めですので」
先生「妻ではないよ」
ワカモ「うふふ」
最後に先生は 寝室の中を振り返った。
椅子の上で目を覚ましたセリナが 毛布を握ったままこちらを見ていた。
先生「セリナ」
セリナ「……はい」
先生「止めようとしてくれたのに 約束で縛っちゃったね」
セリナは毛布を握る手に力をこめた。
それから まっすぐ先生を見上げた。
セリナ「次は 見守りません」
先生「うん」
セリナ「止めます 先生に嫌われても」
先生「嫌いにならないよ そうしてくれると すごく助かる」
ミネ「救護とは ときに嫌われることです」
先生「だから嫌わないってば」
セリナが 小さく吹き出した。
五日ぶりに見た セリナの笑顔だった。
セリナ「先生 ひとつだけ お願いがあります」
先生「うん」
セリナ「Pさんに ありがとうございましたと 伝えてください あの人がいなかったら 私はきっと 今も廊下で座っているだけでした」
先生は手の中のタブレットを見下ろした。
先生「だってさ」
プラナ「……受理します」
画面の中のプラナは すぐに目をそらした。
アリス「先生!」
アリスが勢いよく手を挙げた。
アリス「モデレーターのPさんって 誰だったんですか!」
廊下中の視線が先生に集まった。
画面の中のプラナが なぜか少しだけ胸を張った。
先生「うちの いちばん頼れる子だよ」
アロナ「アロナも頼れますよ!」
プラナ「先輩は 今回は頼れませんでした」
アロナ「うぐっ」
そのとき タブレットに通知がひとつ届いた。プラナが読み上げた。
プラナ「報告します 相談予約の申しこみが 四十二件 再登録されました」
先生「四十二件……」
プラナ「備考欄には すべて同じ言葉が書かれています」
先生「なんて?」
プラナ「先生が寝てから」
先生は廊下を見回した。
何人かの生徒が 慌てて目をそらした。
先生「みんな ありがとう ……それから お願いがあるんだ」
目の下にくまを作った顔ばかりだった。
先生「今日は帰って ちゃんと寝てね 私の真似をした子も 私を見張ってくれてた子も 全員」
廊下のあちこちから はい と小さな声が返ってきた。
アロナ「それじゃあ!」
アロナが画面の中で勢いよく立ち上がった。目の周りはまだ赤い。けれどもうすっかり いつものアロナだった。
アロナ「今夜は 先生がちゃんと八時間寝ているか 確認する配信をしましょう! 新しいチャンネルで!」
プラナ「先輩 学習してください」
アロナ「今度は寝る配信です! 健全です!」
先生は少し考えた。廊下の生徒たちの顔を見た。
先生「……みんなが安心できるなら いいよ」
廊下が 一斉に沸いた。
その夜。
【先生がちゃんと寝ているか確認する配信 残り七時間五十九分】
暗視カメラの淡い緑色の画面の中で 先生は寝室のベッドで眠っていた。
プラナはしばらく 何も記録せずにその寝顔を見ていた。
プラナ「……おやすみなさい 先生」
アロナ「むにゃ……プラナちゃん……今の 記録しました……?」
プラナ「していません 先輩は寝ていてください」
寝息は深く 規則正しかった。
『音瀬コタマ(録音中):寝息 四・二秒周期 安定しています』
『救護騎士団・鷲見セリナ:呼吸数 毎分十四回 正常です』
『あなた様のワカモ:あなた様の寝顔……八時間……』
『みか☆:ちゃんと寝てる……よかったぁ……』
『セミナー会計:睡眠一時間経過 負債残高 四十時間』
『勇者アリス:先生のHPが全回復に向かっています!』
『みか☆:あ 寝返り打った』
『観測者ノドカ:寝返り一回目です』
『空崎ヒナ:……かわいい』
『天雨アコ:委員長!?』
『みか☆:いま笑った!』
『観測者ノドカ:いま何か言いました!』
『音瀬コタマ(録音中):音声を解析します』
『セミナー会計:……今 ユウカって言いませんでした?』
『空崎ヒナ:言ってないわ ヒナって言った』
『救護騎士団・鷲見セリナ:セリナです』
『あなた様のワカモ:わたくしの名です』
『みか☆:ミカだよね?☆』
『観測者ノドカ:ノドカです! 絶対ノドカです!』
『白衣の天使ハナエ:玉ねぎって言いました!』
プラナ「警告 コメントは一人一分に一回までです」
『セミナー会計:ユウカです』
『空崎ヒナ:ヒナ』
『あなた様のワカモ:ワカモ』
『みか☆:ミカ☆』
アロナ「全然聞いてません!」
プラナ「湿度 測定不能」
プラナは静かに言った。
プラナ「……全員 BANしました」
アロナ「ぜ 全員!?」
プラナ「先生の睡眠を妨げる湿度です」
コメント欄は空っぽになった。
画面の中では先生だけが 静かに眠り続けていた。
午前七時。
先生はアラームが鳴る前に目を覚ました。カーテンの隙間から朝の光が差しこんでいる。体が軽かった。
プラナ「おはようございます 先生」
先生「おはよう プラナ」
プラナ「睡眠時間 八時間〇分 確認しました」
プラナは少しだけ間を置いた。
プラナ「……今回は 睡眠です」
先生「うん」
先生は大きく伸びをした。
先生「よく寝た 本当に」
アロナ「むにゃ……先生……おはようございます……」
プラナ「先輩はまだ寝ていてください」
先生は笑いながら寝室の扉を開けた。
そして固まった。
廊下に 生徒たちがいた。
昨夜コメント欄から締め出された生徒たちが 一人残らずシャーレまでやってきて 寝室の前の廊下に並んで座っていた。全員の目の下に くっきりとくまが浮いている。
何十もの目が じっとりと先生を見上げていた。
セリナ「……おはようございます 先生 睡眠時間 八時間 確認しました」
ユウカ「負債残高 三十三時間です」
コタマ「寝息の記録 八時間分 保存済みです」
ノドカ「寝返りは 十一回でした」
先生「……みんな 寝た?」
誰も答えなかった。
全員が そっと目をそらした。
廊下の空気が 肌にまとわりつくように重かった。
先生「……ねえ」
先生はおそるおそる言った。
先生「なんか ここ 湿度高くない?」
全員「え?」
プラナ「……原因は 先生です」