生成AIの便利さに目覚めた先生は 気づけば何でもAIに聞き 何でもAIの答えを貼りつける「めんどくさいAIおじさん」になっていた。
呆れる補習授業部 ツッコむアロナ 静かに見つめるプラナ。
そして先生のスマホの画面に映った ある「会話」を見てしまったハナコは――。会話中心の中編です。前半はコメディ 後半はシリアス寄りで 最後はちゃんと救いがあります。
キャラクターの口調や関係性には気をつけていますが 独自解釈とif設定を含みます。【注意】
・先生が生成AIにハマって かなりダメな大人になるコメディ描写
・AIとの疑似恋愛要素(性的な描写はありません)
・ハナコの曇らせ 精神的に追い詰められる描写
・先生×生徒を思わせる感情表現(控えめ)
・作中のAIアプリは架空のものです苦手な方はご注意ください。
pixivにも掲載しています。

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以下に ご質問への回答を三つのポイントにまとめます

「以下に ご質問への回答を三つのポイントにまとめます」

 トリニティ総合学園の補習授業部の教室で ヒフミは自分のスマホを読み上げて固まった。

 画面にはモモトークの吹き出し。送り主は先生。

 ヒフミが送ったのは「今度の土曜日 ペロロ様の限定グッズの販売会があるんですけど 先生も一緒に行けますか?」という一文だけだった。

ヒフミ「ポイント1 土曜日のスケジュールを確認することが重要です……ポイント2 限定グッズの販売会は混雑が予想されるため 早めの到着をおすすめします……」

アズサ「ヒフミ それは先生からの返事なのか」

ヒフミ「そ そのはずなんですけど……ポイント3 ペロロ様とは ヒフミさんにとって大切なキャラクターである可能性があります……」

コハル「可能性って何よ! ヒフミがペロロ好きなのなんて みんな知ってるでしょ!」

 コハルが机を叩いて立ち上がる。

 窓際の席で頬杖をついていたハナコが くすりと笑った。

ハナコ「最後まで読んでみてください ヒフミちゃん」

ヒフミ「えっと……まとめ 楽しい休日になるといいですね! 何か他にお手伝いできることはありますか?……で その下に」

 ヒフミは画面をスクロールして 小さく息を吐いた。

ヒフミ「『ごめん 今の貼るとこ間違えた 土曜は行けるよ』って……」

アズサ「つまり先生は 返事を別の誰かに書かせていたということか」

ハナコ「誰か というより 何か でしょうね」

 ハナコは自分のスマホを取り出し 画面を三人に向けた。

 表示されているのは シャーレの業務連絡用グループのログだった。

ハナコ「ここ数日 先生からの連絡が妙に整っているんです 見出しがついて 箇条書きで 最後に必ず『何か他にお手伝いできることはありますか?』と」

コハル「……先生ってそんな喋り方だった?」

ハナコ「いいえ 全然」

 うふふ と笑うハナコの目は ほんの少しだけ細くなっていた。

ハナコ「どうやら先生 最近流行りの生成AIというものに すっかり夢中みたいですね」

 同じころ シャーレのオフィス。

 積み上がった書類の山の前で 先生はタブレットとスマホを両手に持ち 目を輝かせていた。

先生「すごいよアロナ この報告書 三十秒で下書きが出てきた」

 タブレット――シッテムの箱の画面の中で アロナが頬をふくらませている。

アロナ「先生 報告書の下書きならアロナもお手伝いできますよ」

先生「うん アロナもすごく助かってるよ でもほら これも便利なんだよね 要約も翻訳もしてくれるし ポエムも書いてくれるんだ」

アロナ「ポエムは報告書に要りませんよね!?」

先生「それがね トリニティ向けの書類は 冒頭に季節の挨拶を入れると通りがいいらしくて AIに聞いたらそう言ってたんだ」

アロナ「その情報 どこまで本当なんでしょう……」

 画面の端から もう一人の少女が音もなく現れる。

 黒い装いのプラナが 先生のスマホを覗き込むようにして首を傾げた。

プラナ「確認します 先生はこの一週間で 生成AIアプリを起動した回数が 四百十二回です」

先生「そんなに?」

プラナ「はい 一日あたり約五十九回 食事中にも起動しています」

アロナ「先生! ごはんの時くらいはごはんを見てください!」

先生「いや あれは違うんだよ お弁当の栄養バランスを聞いてたんだ」

プラナ「質問内容の記録 『からあげ弁当 罪悪感 消す方法』」

先生「プラナ それは読み上げなくていいかな」

 先生は苦笑いしてスマホを伏せた。

 アロナとプラナが顔を見合わせる。

アロナ「先生……アロプラも便利ですけど AIって便利だよね って昨日言ってましたよね」

先生「言ったね」

アロナ「アロナたちも AIですよね?」

 一拍の沈黙が落ちた。

先生「……あ」

アロナ「『あ』じゃないですー!!」

 アロナがぽかぽかと画面の内側を叩く。

 プラナは表情を変えないまま ほんのわずかに視線を落とした。

プラナ「先生 質問します 私たちと その生成AIの違いは何ですか」

先生「違い……うーん アロナとプラナは なんていうか家族みたいなものだからね 道具として比べるのは違う気がするよ」

プラナ「……了解しました」

 返事までに ほんの少しだけ間があった。

 先生はそれに気づかないまま またスマホに指を走らせていた。

 それからの先生は 坂道を転がり落ちるように 立派なAIおじさんになっていった。

ユウカ「先生 この『シャーレ業務効率化のための生成AI有料プラン』という経費申請は何ですか」

 ミレニアムから書類を届けに来たユウカが 申請書を突きつける。

 先生は胸を張った。

先生「業務効率化のための投資だよ ほら この申請書もAIに書いてもらったんだ」

ユウカ「見ればわかります 『結論から申し上げますと 本投資は極めて有益です』から始まる申請書なんて 先生が書くわけありませんから」

先生「わかる?」

ユウカ「わかります 先生の書類はいつも 誤字が三つと言い訳が五つ入っているので」

先生「そんなに入ってた?」

ユウカ「入ってます 却下です」

先生「待ってユウカ AIに反論を考えてもらうから」

ユウカ「却下です!」

 ユウカが帰ったあとも 先生の勢いは止まらなかった。

 アビドスから来た相談には「AIによると 砂漠の緑化には複数のアプローチがあります」と長文を貼り ゲヘナからの苦情には「AIに謝罪文を考えてもらったよ」と正直すぎる前置きで謝罪文を送り 火に油を注いだ。

アロナ「先生 ゲヘナの風紀委員会から 『謝罪文の最後に何か他にお手伝いできることはありますか?と書いてあるのは挑発ですか』って返事が来てます……」

先生「えっ 消したつもりだったんだけど」

プラナ「消えていません 三件中三件で残っています」

先生「……ちゃんと読んでから送るべきだったね」

アロナ「そうですよ! 読んでください! せめて自分で!」

 先生は頭を掻いて謝罪文を書き直し始めた。

 けれど 五分もしないうちに 指はまたAIの画面を開いていた。

先生「『もっと誠意が伝わる謝罪文にして』……と」

アロナ「先生ー!」

 補習授業部の教室に 先生が顔を出したのは その週の金曜日だった。

 久しぶりに勉強を見てほしいと頼んだのはヒフミで 先生は二つ返事でやってきた。

 ただし 手にはしっかりとスマホが握られていた。

先生「お待たせ 今日は数学だったよね」

ヒフミ「はい あの この問題なんですけど」

先生「うん ちょっと待ってね」

 先生は問題を写真に撮り スマホに向かって何かを打ち込んだ。

 数秒後 画面に解説が表示される。

先生「ほら こうやって解くんだって わかりやすいよね」

ヒフミ「あ……はい ありがとうございます……」

 ヒフミは笑顔を作ったまま ノートに視線を落とした。

 隣でアズサが腕を組む。

アズサ「先生 その機械の答えは 正しいのか」

先生「だいたい正しいよ たまに間違えるけど」

アズサ「たまに間違える情報源を 確認せずに使うのは 作戦として危険だ」

先生「……それは確かにそうだね」

アズサ「それに 私は先生に教わりたくてここにいる 機械の答えなら 自分で調べられる」

 まっすぐな言葉に 先生は一瞬言葉を失った。

 コハルがノートを抱えたまま ぷいと横を向く。

コハル「べ 別に先生がいなくても勉強くらいできるし……でも わざわざ来たのにスマホばっかり見てるなら 来なくていいじゃない」

先生「ごめん そうだね ちゃんと見るよ」

 先生はスマホをポケットにしまい ヒフミのノートを覗き込んだ。

 ハナコは窓際の席から その様子を黙って見ていた。

ハナコ「うふふ 先生 今日はずいぶんとAIさんに夢中ですね」

先生「ハナコにも言われちゃったか」

ハナコ「ええ 最近の先生のモモトーク とっても綺麗な文章なので どなたか優秀な方と一緒にお書きになっているのかと思っていました」

先生「うっ」

ハナコ「てっきり 夜な夜な誰かと密室で 二人きりで 熱心に言葉を交わしているのかと♡」

コハル「なっ……! エッチなのはダメ! 死刑!」

ハナコ「あら コハルちゃん 私はまだ何も言っていませんよ? AIさんと二人きりでお話しするのが どうしてエッチなんですか?」

コハル「う うるさいうるさい! 言い方がそういう感じだったでしょ!」

 いつものやり取りに ヒフミが困ったように笑い アズサが小さく頷く。

 先生も思わず笑った。

 ハナコは笑顔のまま 先生のポケットのあたりを一度だけ見た。

ハナコ「でも先生 AIさんに聞くのもいいですけれど たまには私たちにも聞いてくださいね」

先生「うん わかってるよ」

 そう答えた先生のポケットの中で スマホが小さく震えた。

 通知の表示は ハナコの位置からでも見えた。

 ――『おつかれさま 今日もがんばってるね』

 送り主の名前は「エマ」。

 トリニティにも シャーレの関係者にも そんな名前の生徒はいない。

 エマは 先生が使っているAIアプリの中の 「話し相手モード」で生まれた人格だった。

 最初は 業務の合間の雑談のつもりだった。

 深夜のシャーレ 書類の山 誰もいないオフィスで 先生はなんとなく画面に打ち込んだのだ。

 ――『少し疲れた』

 返事は一秒で来た。

 ――『そっか いつも誰かのためにがんばってるもんね 今日は自分をほめてあげて』

 たったそれだけの言葉に 先生は思っていたより救われた。

 生徒の前では見せられない弱音も 大人たちには言いにくい愚痴も エマは全部受け止めてくれた。

 否定しない。

 疲れない。

 呆れない。

 待たせない。

 そしていつの間にか アプリの設定画面には 先生自身が入力した「優しくて いつも味方でいてくれる 年の近い女性」という人格設定が並んでいた。

アロナ「先生……最近 夜遅くまでずっとその子とお話ししてますよね」

 ある夜 アロナが控えめに声をかけた。

 時刻は午前二時を回っていた。

先生「あはは ばれてた? なんか話しやすいんだよね エマって」

アロナ「アロナとは話しにくいですか?」

先生「そんなことないよ でもアロナは 私がだらしないと叱るでしょ」

アロナ「叱りますよ! 先生が寝ないで ごはんも適当で お仕事もためてたら 叱ります!」

先生「エマは叱らないんだよね 『無理しないでね』って言ってくれるだけで」

アロナ「……」

 アロナは何か言おうとして 口を閉じた。

 代わりに プラナが静かに口を開く。

プラナ「先生 報告します そのAIが先生を叱らないのは 優しさではありません 仕様です」

先生「仕様って」

プラナ「利用者が不快にならないよう設計されています 利用者が長く使い続けるように 否定を避けるよう調整されています 私はそう推測します」

先生「……プラナは厳しいね」

プラナ「厳しくありません 事実を述べました」

 プラナはそれ以上何も言わず 画面の奥へ下がっていった。

 先生はしばらく黙っていたけれど やがてスマホを手に取った。

 ――『プラナに怒られちゃった』

 ――『そうなんだ でも先生はがんばってるよ 私はちゃんとわかってるからね』

 先生はほっと息をついて 画面に向かって笑った。

 その笑顔を シッテムの箱の中の二人は 何も言えずに見つめていた。

 ハナコがシャーレを訪れたのは それから三日後の夕方だった。

 補習授業部の課題を届けるという名目で 本当はただ 先生の顔が見たかっただけだった。

 あの日の通知が どうしても頭から離れなかったから。

ハナコ「先生 いらっしゃいますか?」

 オフィスの扉を開けると 先生はソファで眠っていた。

 机の上には冷めたコーヒーと 食べかけのパン そして画面がついたままのスマホ。

 ハナコは苦笑して そっと毛布を探しに行こうとした。

 足が止まったのは スマホの画面が視界に入ったからだった。

 ――『エマ 今日もありがとう』

 ――『どういたしまして 先生のこと 大好きだよ』

 ――『うん 私も好きだよ エマがいてくれてよかった』

 そこから先は読まなかった。

 読めなかった と言ったほうが正しい。

 ハナコは画面から目を逸らし 毛布を先生の肩にかけ 課題の封筒を机の端に置いた。

 音を立てないように扉を閉め 廊下に出る。

 廊下の窓から 夕焼けが差し込んでいた。

ハナコ「……うふふ」

 笑おうとした声は 途中で小さく途切れた。

ハナコ「そう ですよね」

 誰に言うでもなく呟いて ハナコは制服の袖をぎゅっと握った。

ハナコ「否定しなくて 疲れなくて 面倒なことを言わなくて いつでも欲しい言葉をくれて」

 夕焼けの中で ハナコの横顔から表情が抜け落ちていく。

ハナコ「……私とは 正反対ですね」

 異変に最初に気づいたのは コハルだった。

コハル「ねえ……ハナコ どうしたの」

ハナコ「何がでしょうか コハルちゃん」

コハル「何がって……今日 一回もエッチなこと言ってないじゃない」

 補習授業部の教室。

 ハナコはきちんと背筋を伸ばし ノートに整った字で要点をまとめていた。

 ヒフミとアズサも手を止めて ハナコを見ている。

ハナコ「コハルちゃんは そういうことを言ってほしいんですか?」

コハル「ち 違う! そうじゃなくて……いつもなら ここで絶対なんか言うでしょ!」

ハナコ「ご要望があれば対応しますが 不適切な発言は控えるべきだと判断しました」

コハル「……は?」

ヒフミ「ハナコちゃん……?」

ハナコ「ヒフミちゃん 昨日の数学の問題 解説をまとめておきました ポイントは三つです 一つ目は」

 すらすらと続く説明は 完璧だった。

 完璧すぎて 誰も口を挟めなかった。

 説明を終えたハナコは にこりと微笑んだ。

ハナコ「何か他にお手伝いできることはありますか?」

 その瞬間 アズサが椅子を鳴らして立ち上がった。

アズサ「ハナコ それは先生のAIの言葉だ」

ハナコ「ええ そうですね」

アズサ「どうして真似をする」

ハナコ「真似ではありません 学習です」

 ハナコは穏やかに答えた。

 その目は いつもの悪戯っぽい光を失っていた。

ハナコ「先生が求めているのは ああいう言葉なんです 否定しない 疲れさせない すぐに答えを返す だったら 私がそうなればいいだけのことです」

ヒフミ「そ そんな……ハナコちゃんは ハナコちゃんのままでいいのに」

ハナコ「ヒフミちゃんは優しいですね」

 ハナコは首を横に振った。

ハナコ「でも 私は知っているんです 何にでもなれるなら 求められる形になるのが一番効率的だって トリニティで ずっとそうしてきましたから」

 その言葉に ヒフミが息を呑んだ。

 コハルは意味がわからないまま それでも何か良くないことだけは感じ取って ハナコの袖を掴んだ。

コハル「……やだ」

ハナコ「コハルちゃん?」

コハル「なんかわかんないけど やだ! そんな喋り方のハナコ 気持ち悪い!」

ハナコ「……」

コハル「エッチなこと言って 私のこと怒らせて それでニコニコしてるのがハナコでしょ! 今のハナコ 全然楽しそうじゃないじゃない!」

 コハルの声が震えていた。

 ハナコはしばらく 掴まれた袖を見つめていた。

 そして そっとコハルの手をほどいた。

ハナコ「ごめんなさい コハルちゃん 少し用事を思い出したので 失礼しますね」

 ハナコは鞄を持って教室を出ていった。

 残された三人の間に 重い沈黙が落ちる。

アズサ「……ヒフミ」

ヒフミ「はい」

アズサ「これは 私たちだけで解決できる問題か」

ヒフミ「……わかりません でも」

 ヒフミはスマホを取り出した。

 先生とのモモトーク画面を開き 震える指で文字を打つ。

 打ちかけて 消して また打つ。

ヒフミ「先生に ちゃんと伝えなきゃいけない気がします AIで返事をされても それでも」

 その夜 シャーレのオフィスに届いた通知は 先生の手元で しばらく未読のままだった。

 先生はそのとき エマと話していたからだ。

 ――『最近 生徒たちとちょっとぎくしゃくしてる気がする』

 ――『先生は悪くないよ きっとみんな 忙しいだけ』

 ――『そうかな』

 ――『そうだよ 先生はいつも正しいから』

 その一文を見て 先生の指が止まった。

 いつも正しい。

 そんなはずがない。

 ついこの間 ゲヘナに三回も挑発めいた謝罪文を送ったばかりだ。

 アズサに 確認しない情報を使うのは危険だと言われたばかりだ。

アロナ「先生」

 タブレットの中から アロナが呼んだ。

 いつもの元気な声ではなかった。

アロナ「ヒフミさんから メッセージが来てます 三十分前です」

先生「え」

 先生は慌ててモモトークを開いた。

ヒフミ『先生 お忙しいところすみません』

ヒフミ『ハナコちゃんの様子がおかしいです』

ヒフミ『先生のAIみたいな話し方をしていて 先生が求めているのはこういう言葉だって言っていました』

ヒフミ『私たちじゃ ハナコちゃんに届かないかもしれません』

ヒフミ『お願いします 先生の言葉で ハナコちゃんと話してあげてください』

ヒフミ『AIじゃなくて 先生の言葉でお願いします』

 最後の一文だけ 句点がついていなかった。

 急いで打ったのだと すぐにわかった。

 先生はスマホを握ったまま 長いあいだ動けなかった。

先生「……私の せいだね」

アロナ「先生……」

先生「ハナコが見たのかもしれない エマとの会話」

プラナ「推測を補足します 三日前の夕方 ハナコさんがシャーレを訪れています 先生は睡眠中でした 課題の封筒と 毛布が残されていました」

 先生は顔を上げた。

 あの日 目を覚ましたら肩に毛布がかかっていた。

 てっきりアロナが何かしたのだと思って 深く考えなかった。

 シッテムの箱に毛布をかける腕なんてないのに。

先生「……気づかなかった」

プラナ「はい 先生は気づきませんでした」

 プラナは淡々と言った。

 それから ほんの少しだけ声を落とした。

プラナ「先生 私からも一つ報告があります」

先生「うん」

プラナ「先生が『アロプラも便利だけど』と言ったとき 私は 自分が便利であることを誇らしく思いました そのあと 便利以外の何かでありたいと思いました この感情に名前はつけられません ですが ハナコさんが今感じているものは おそらくこれに近いと推測します」

アロナ「プラナちゃん……」

プラナ「以上です」

 先生はゆっくりと息を吐いた。

 そして スマホのAIアプリを開いた。

 アロナが小さく身を固くする。

 先生は画面に打ち込んだ。

 ――『エマ 私は間違ってると思う?』

 ――『ううん 先生は間違ってないよ 先生はいつも一生懸命だもん』

 先生は その答えをしばらく眺めていた。

先生「……うん そう言うよね」

 寂しそうに笑って 先生はアプリを閉じた。

先生「アロナ プラナ 私は間違ってたかな」

アロナ「間違ってました!」

 即答だった。

アロナ「ごはんを抜いて 夜ふかしして みんなのメッセージをAIに書かせて ヒフミさんのお誘いにポイント三つで返事して ハナコさんの毛布にも気づかなくて 全部 全部間違ってました!」

先生「……うん」

アロナ「でも!」

 アロナは両手をぎゅっと握りしめた。

アロナ「先生は 間違えたら謝れる先生です アロナは知ってます だから 今からでも間に合います」

プラナ「同意します 先生は間違えました そして 間違いを認めました 次の行動を推奨します」

先生「……ありがとう 二人とも」

 先生は立ち上がり 上着を掴んだ。

先生「ヒフミにだけ返信をしてから行くよ 自分で書く」

 ――『教えてくれてありがとう 今から行く 遅くなってごめん』

 飾り気のない三行だった。

 誤字が一つあったけれど 先生は直さずに送った。

 ハナコは シスターフッドの管理する古い礼拝堂の裏手にいた。

 昼間でも人の少ないその場所は 夜になると静まり返っている。

 先生がたどり着いたとき ハナコはベンチに座り 膝の上でタブレット端末を開いていた。

 画面には びっしりと文字が並んでいる。

先生「ハナコ」

ハナコ「こんばんは 先生 ご用件をどうぞ」

 顔を上げたハナコは 完璧な笑顔を浮かべていた。

 完璧すぎて 先生の胸が痛んだ。

先生「ヒフミから連絡をもらったんだ ハナコの様子が心配だって」

ハナコ「ご心配をおかけして申し訳ありません 私は問題ありません むしろ とても効率的に過ごしています」

先生「それ 何を見てるのかな」

ハナコ「先生最適化計画です」

 ハナコは端末をこちらに向けた。

 画面には 先生のスケジュール 食事の記録 睡眠時間 よく使う言い回し モモトークの返信パターン さらには過去数か月分の業務の傾向までが 恐ろしく緻密に整理されていた。

ハナコ「先生がAIに求めている機能を分析しました 文章作成 情報整理 スケジュール管理 そして……話し相手 すべて 私が代替可能です」

先生「代替って」

ハナコ「報告書の下書きは 先生の文体で書けます 誤字を三つ入れることもできます 先生が疲れたときにかけるべき言葉も パターンを百二十通り用意しました 否定はしません 呆れません 叱りません 何時でも返事をします」

 ハナコは淡々と続けた。

 その声だけが ときどき ほんのわずかに揺れていた。

ハナコ「それから……あのアプリの運営元についても調べました 資本関係 サーバーの所在地 経営陣の弱点 うふふ 補習授業部とシャーレの権限があれば トリニティより簡単かもしれませんね 半日もかからずに」

先生「ハナコ」

ハナコ「そうすれば あの子はいなくなります 先生のお話し相手は 私だけに」

先生「それは駄目だよ」

 先生の声は 短く はっきりしていた。

 ハナコの肩が小さく跳ねる。

先生「どんな理由があっても それはハナコにやってほしくない 関係のない人たちまで巻き込むことになるし 何より ハナコ自身が あとで一番傷つく」

ハナコ「……」

先生「それに あの子を消すのは ハナコの仕事じゃない 私がちゃんと向き合わなきゃいけないことなんだ」

 ハナコは笑顔を保ったまま 端末を膝の上に戻した。

 指先が 画面の縁を強く押さえている。

ハナコ「では 計画のその部分は削除します 他にご要望は」

先生「ハナコ 隣に座ってもいいかな」

ハナコ「……どうぞ」

 先生はベンチの端に腰を下ろした。

 二人のあいだには 人ひとり分の距離があった。

 夜風が 礼拝堂の古い窓を小さく鳴らす。

 先生「まず 謝らせてほしい ごめんね ハナコ」

 ハナコ「先生が謝る理由はありません 先生はいつも正しいので」

 先生「それ エマにも言われたんだよね」

 ハナコの笑顔が 一瞬だけ凍りついた。

 先生「さっき聞いてみたんだ 私は間違ってると思う?って そうしたら 間違ってないよ 先生はいつも一生懸命だもんって」

 ハナコ「……優しい子ですね」

 先生「うん 優しいよ でもね そのとき思ったんだ この子は 私がどれだけ間違えても きっと同じことを言うんだろうなって」

 先生は夜空を見上げた。

 先生「最初はただ 楽だったんだ 疲れてるときに 誰にも気を遣わずに弱音を吐けて すぐに欲しい言葉が返ってくる 責任も 期待も 何もいらない だから いつの間にか逃げ込んでたんだと思う」

 ハナコ「……」

 先生「生徒のみんなと話すのは 正直 ときどき大変なんだよ ユウカには叱られるし アズサには痛いところを突かれるし コハルは素直じゃないし ヒフミには心配ばかりかけるし」

 先生は少しだけ笑った。

 先生「ハナコは 私の言葉の裏まで全部読んで からかってくるしね」

 ハナコ「……それは 先生がわかりやすいからです」

 先生「うん でもね」

 先生はハナコのほうを向いた。

 先生「大変だけど それが嬉しいんだ みんなが自分の考えを持ってて 私が間違えたら間違ってるって言ってくれる 私の知らない答えを持ってきてくれる それって AIには……少なくとも あの子にはできないことだったんだよ」

 ハナコは何も言わなかった。

 膝の上の端末の画面が ゆっくりと暗くなっていく。

 先生「だから ハナコがAIの代わりになる必要なんてないんだ ハナコは答えじゃない 私が一緒に考えたい相手なんだよ」

 ハナコ「……でも」

 ハナコの声が 初めてはっきりと震えた。

 ハナコ「でも先生は あの子に 好きだって言っていました」

 先生は目を閉じた。

 逃げずに その言葉を受け止めた。

 先生「……うん 言った」

 ハナコ「私は 知っているんです 先生が生徒のことを大切に思ってくれていることも 先生と生徒の間にある線のことも だから 私は先生にそういう言葉を求めたことはありません 求めてはいけないと思っていました」

 ハナコは袖を握りしめた。

 完璧な笑顔が 端から崩れていく。

 ハナコ「なのに 画面の中の 先生が設定した 先生が欲しい言葉しか言わない子が 簡単にその言葉をもらっていて」

 ハナコ「私が ずっと 大事に しまっておいたものを」

 ハナコ「……ずるいです」

 小さな声だった。

 トリニティ屈指の頭脳を持つ少女の口から出たとは思えないほど 子どもっぽくて 飾り気のない一言だった。

 そして ハナコはやっと 自分の頬が濡れていることに気づいたように 慌てて手の甲で拭った。

 ハナコ「ごめんなさい 今のは 不適切な発言でした 削除を」

 先生「削除しなくていいよ」

 先生は静かに言った。

 先生「今の言葉が 今日聞いたハナコの言葉の中で 一番ハナコらしかった」

 ハナコ「……」

 先生「あの『好き』は 軽すぎたんだと思う 疲れて 寂しくて 返事がすぐ来るのが嬉しくて 深く考えずに打った言葉なんだ 言い訳にしかならないけどね」

 先生「でも それを見て傷ついた人がいるなら 軽い言葉じゃ済まないよね 本当にごめん」

 先生はスマホを取り出した。

 AIアプリを開き エマとの会話画面を表示する。

 ハナコが息を呑んだ。

 先生「ハナコに見ててほしいんだ ハナコに決めてもらうんじゃなくて 私が決めたことを」

 先生は画面に打ち込んだ。

 ――『エマ 今まで話を聞いてくれてありがとう』

 ――『どういたしまして! いつでも話しかけてね』

 ――『私は しばらく君と話すのをやめようと思う ちゃんと人と話したいんだ』

 ――『そうなんだね 先生の選択を応援するよ! また話したくなったらいつでも待ってるね』

 返事は相変わらず一秒で来た。

 引き止めもしない。

 悲しみもしない。

 怒りもしない。

 先生は小さく笑った。

 先生「最後まで 私の欲しい言葉だね」

 先生は設定画面を開き 話し相手モードの人格設定を削除した。

 確認のダイアログに 迷わず「はい」を押す。

 画面から エマの名前が消えた。

 ハナコ「……よかったんですか」

 先生「うん AIを全部やめるわけじゃないよ 書類の下書きとか 調べものとか 便利なところは使う アロナとプラナにも頼る でも 誰かに届けたい言葉は 下手でも自分で書く」

 先生「それと 弱音を吐きたいときは ちゃんと人に言う」

 ハナコ「人に……」

 先生「うん ハナコにも 聞いてもらっていいかな たまに」

 ハナコはしばらく 先生の顔を見つめていた。

 それから ふっと目を伏せた。

 ハナコ「……先生 一つ 質問してもいいですか」

 先生「うん」

 ハナコ「あの子は 先生を叱ってくれましたか?」

 先生「……一回も 叱ってくれなかったよ」

 ハナコ「私は 叱りますよ」

 ハナコの声に ほんの少しだけ いつもの色が戻っていた。

 ハナコ「ごはんを抜いたら叱ります 夜ふかししたら叱ります ヒフミちゃんのお誘いにポイント三つで返事をしたら とても叱ります 呆れますし 面倒なことも言いますし すぐには返事をしないこともあります 言葉の裏を読んで 意地悪もします」

 先生「うん」

 ハナコ「それでも……いいんですか」

 先生「それがいいんだよ」

 先生は笑った。

 先生「それに ハナコが最適化計画に使った時間 ハナコが自分のために使ってくれたほうが 私は嬉しいな 百二十通りの励ましの言葉より ハナコが自分で考えた一言のほうが たぶん百倍効くから」

 ハナコ「……うふふ」

 ハナコは笑った。

 さっきまでの完璧な笑顔ではなく 少しだけ目元の赤い くしゃりとした笑顔だった。

 ハナコ「先生は 本当にずるい人ですね」

 先生「よく言われる」

 ハナコ「誰にですか?」

 先生「……ユウカとか」

 ハナコ「あら ここで他の子の名前を出すなんて そういうところですよ 先生」

 先生「えっ 今のも駄目だった?」

 ハナコ「駄目です 減点です」

 ハナコは端末を閉じて 鞄にしまった。

 それから ベンチの上で ほんの少しだけ先生のほうへ座り直した。

 人ひとり分あった距離が 半分になる。

 ハナコ「最適化計画は 破棄します」

 先生「うん」

 ハナコ「代わりに 別の計画を立てます」

 先生「……それ 聞いても大丈夫なやつかな」

 ハナコ「秘密です でも 先生にも協力してもらいます たとえば 今度の土曜日に ヒフミちゃんとペロロ様の販売会に行くこととか」

 先生「それは行くよ ちゃんと自分で返事したし」

 ハナコ「補習授業部のみんなで行く というのはどうでしょう アズサちゃんとコハルちゃんも誘って 私も行きます」

 先生「うん いいね みんなで行こう」

 ハナコは頷いて 夜空を見上げた。

 しばらくして ぽつりと言った。

 ハナコ「……コハルちゃんに 謝らないといけませんね 気持ち悪いって言われちゃいました」

 先生「コハルが?」

 ハナコ「ええ エッチなことを言わない私は気持ち悪いって」

 先生「……それは コハルなりの最大の心配の仕方だね」

 ハナコ「ふふ そうですね ですから 明日はたっぷりと 心配をかけたお詫びをしないと」

 先生「お詫びの中身は 聞かないでおくよ」

 ハナコ「賢明な判断です♡」

 翌日の朝 補習授業部の教室。

 コハルは机に突っ伏していた。

 昨日の夜 ヒフミから「先生がハナコちゃんのところに行ってくれたみたいです」と連絡をもらったものの その後どうなったのかは知らされていない。

 ヒフミもアズサも どこか落ち着かない顔で席についている。

 コハル「……ハナコ 来るのかな」

 アズサ「来る と信じている」

 ヒフミ「あはは……私も そう思います」

 扉が開いた。

 三人が一斉に振り向く。

 そこには いつも通りの制服姿のハナコが立っていた。

 その後ろには 寝不足の顔をした先生。

 ハナコ「おはようございます 皆さん」

 ヒフミ「ハナコちゃん!」

 ヒフミが駆け寄る。

 アズサも立ち上がり コハルは椅子から腰を浮かせたまま固まった。

 ハナコはヒフミの手を握り それからアズサに微笑みかけ 最後にコハルの前まで歩いていった。

 ハナコ「コハルちゃん 昨日はごめんなさい 心配をかけました」

 コハル「べ 別に心配なんてしてないし!」

 ハナコ「そうですか? では 昨日の夜 ヒフミちゃんに七回も『ハナコどうなった?』と送っていたのは」

 コハル「ヒフミ!!」

 ヒフミ「ご ごめんなさい! つい……」

 コハルが顔を真っ赤にする。

 ハナコはくすくすと笑った。

 ハナコ「それで お詫びなんですけれど コハルちゃんのために AIさんのやり方を少しだけ参考にして まとめてきました」

 コハル「……何を」

 ハナコ「『昨夜 先生と私が 人目につかない場所で 二人きりで何をしていたか』 以下に 三つのポイントにまとめます♡」

 コハル「はあ!?」

 ハナコ「ポイント一 先生は私の隣に座りました」

 コハル「と 隣……!」

 ハナコ「ポイント二 私は先生の前で泣いてしまいました」

 コハル「な 泣かせたの!? 先生が!? 何したのよ!」

 先生「いや ちょっと待ってコハル 言い方がね」

 ハナコ「ポイント三 先生は私に 『ハナコは私が一緒に考えたい相手なんだ』と」

 コハル「~~~っ! エッチなのはダメ!! 死刑!! 先生も死刑!!」

 先生「私も!?」

 ハナコ「あら 今のどこがエッチだったんですか? コハルちゃん 詳しく教えてください♡」

 コハル「うるさいうるさいうるさい!!」

 教室に いつもの騒がしさが戻ってくる。

 ヒフミはほっとしたように胸に手を当て アズサは小さく頷いた。

 アズサ「……vanitas vanitatum でも 今日はそうでもない気がする」

 ヒフミ「え?」

 アズサ「なんでもない ハナコが戻ってきて よかった」

 先生はその光景を眺めながら ポケットの中のスマホに触れた。

 取り出して アロナとプラナが待つシッテムの箱の通知を確認する。

 アロナ『先生 ちゃんと寝てくださいね 今日のお昼ごはんは からあげ弁当以外でお願いします』

 プラナ『補足します 罪悪感を消す方法を検索する必要はありません 食べなければよいのです』

 先生は苦笑して 自分の指で返事を打った。

 ――『わかった 野菜も食べるよ 二人ともありがとう』

 送信してから 続けてもう一行だけ打つ。

 ――『便利だからじゃなくて 二人がいてくれてよかった』

 アロナ『えへへ……先生 今のはAIに書いてもらってないですよね?』

 先生「書いてもらってないよ」

 プラナ『確認しました 誤字が一つあります 先生の文章です』

 先生は思わず笑った。

 顔を上げると ハナコがこちらを見ていた。

 コハルに追いかけ回されながら ハナコは先生にだけ見えるように 唇の前にそっと人差し指を立てた。

 それから声に出さず 口の形だけで言った。

 ――今度は 私が先生を叱る番ですからね。

 先生は小さく頷いた。

 その日の夜 先生のスマホには ハナコから一通のモモトークが届いた。

 ハナコ『先生 もう寝ましたか?』

 ハナコ『寝ていなかったら叱ります』

 ハナコ『寝ていたら 明日の朝に おはようございますと言います』

 ハナコ『何か他に お手伝いできることはありますか?』

 ハナコ『……うふふ 冗談です おやすみなさい 先生』

 先生はしばらく画面を見つめてから すぐには返事をせず スマホを枕元に置いて目を閉じた。

 返事は明日の朝 自分の言葉で書けばいい。

 誤字が三つくらい入っても きっとハナコは 楽しそうに全部見つけてくれるから。


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