未来を予習して動く緑谷出久、なぜか周囲から未来視のヒーローだと思われている』【別稿】 作:まだら模様
作者はにわかなので設定等に間違いがありましたら申し訳ございません。
※文章が長いですが、地味に大切な内容なので最後までお付き合いいただけますと幸いです。
出久の意識が途切れた、その直後。
脳無の拳が、緑谷の頭を狙って振り下ろされた。
視界はぼやけ、耳鳴りが頭の奥で響いている。
身体を動かそうにも、もう指先にさえ力が入らなかった。
避ける余裕も、防ぐ手立てもない。
迫り来る拳を前に、出久の思考はひどくゆっくりになっていく。
思考も働かない、体も動かない…致命的な状況にあった。
(あ……これ、まずい……)
そう理解したところで、何かができるわけではない。
腕を上げることも、身体を転がすこともできない。
脳無の拳が、すぐそこまで迫っていた。
――終わった。
そう思った、その瞬間だった。
太い腕が、拳と出久の間に割って入った。
轟音が響く。
受け止められた拳の衝撃が床を砕き、周囲に破片を撒き散らした。
舞い上がった粉塵の向こうに立っていたのは、誰よりも見慣れた大きな背中だった。
「オール……マイト……」
声になったのかどうかも分からない。
それでも、出久には分かった。
自分を守るために、間に入ってくれたのだ。
オールマイトは一歩も退かなかった。
脳無の拳を受け止めた右腕に力を込め、相手の動きを押し返す。
その一方で、もう片方の腕を伸ばし、床に倒れた出久の身体を慎重に抱き上げた。
「……よく、持ちこたえてくれたな」
いつものような、朗らかで力強い声ではなかった。
出久を労うその声には、抑え込まれた怒りと、間に合ったことへの安堵が滲んでいた。
出久は何かを伝えようとした。
けれど、唇を動かすことすら難しい。
身体の痛みも、頭の重さも、もう遠くの出来事のように感じられる。
「大丈夫だ。もういい」
オールマイトの声が聞こえた。
「ここから先は…私がやる!」
最後に見えたのは、脳無を睨みつけるオールマイトの横顔だった。
その表情に浮かんでいたのは、いつもの笑顔とはまるで違う、隠しようのない怒りだった。
出久の意識は、その光景を最後に、深い闇の底へと沈んでいった。
◇
オールマイトと脳無の戦いは、出久の知らないところで続いていた。
出久が倒れたことで、オールマイトの動きに迷いはなくなった。
目の前の敵を倒し、生徒たちを守る。
今やるべきことは、それだけだった。
脳無はオールマイトの攻撃を受けても倒れず、傷ついた身体を再生させながら何度も立ち上がる。
その異常な耐久力を前にしても、オールマイトは拳を止めなかった。
一撃を叩き込み、体勢を崩させ、再び拳を振るう。
しかし、戦いがいつまでも続くわけではなかった。
黒霧が残された生徒たちをさらに散らそうとした、そのとき。
校舎の方から、複数の足音が響いた。
「生徒は全員、保護しろ!」
「負傷者の応急処置を優先するぞ!」
駆けつけたのは、雄英の教師たちだった。
飯田が校舎まで走り、教師たちに襲撃を知らせたおかげである。
現場に到着した教師たちは、状況を確認する間も惜しむように、それぞれの役割を果たし始めた。
生徒たちの保護、負傷者の確認、ヴィランの拘束。
混乱していた現場に、ようやく秩序が戻り始める。
黒霧も逃げ道を失い、教師たちの連携によって動きを封じられていった。
そして、脳無もまた、オールマイトの連撃を受けて地面に倒れ込んだ。
それでも、あの怪物は止まらなかった。
砕けた身体を無理やり動かし、倒れた状態から腕を伸ばす。
壊れた身体を引きずるようにして立ち上がり、再びオールマイトへと向かってくる。
「しつこいなぁ…!」
オールマイトの拳が、脳無の腹部にめり込んだ。
その一撃は、先ほどまでとは違う重さを伴っていた。
脳無の身体が大きく吹き飛び、今度こそ動きを止める。
戦いは終わった。
だが、現場に歓声は上がらなかった。
教師たちが勝利を喜ぶより先に、確認しなければならないことがいくつも残されていたからだ。
倒れた相澤は、すぐに医療班へと引き渡された。
13号も重傷を負っている。
そして、担架に乗せられた出久の右腕は、誰の目にも明らかなほどひどい状態だった。
あれだけの戦いを繰り広げたのだ。
無事で済むはずがない。
相澤は薄れゆく意識の中で、運ばれていく出久の姿を見ていた。
襲撃が始まった直後、黒霧の攻撃を避けさせた少年。
自分が動けない状況を理解し、飯田を走らせて増援を呼ばせた少年。
それだけではない。
自分たちが到着するまでの間も、生徒たちを守るために動き続け、最後には脳無の前へ一人で立ち塞がった。
(……増援を呼んだのも、その到着まで踏みとどまったのも、こいつか)
意識が途切れそうになる中、相澤はその事実を頭の中で整理していた。
偶然で片づけるには、あまりにも多くのことが重なっている。
黒霧の攻撃を避けたことも、飯田を走らせた判断も、脳無を相手にあれほど長く持ちこたえたことも。
何より、あの状況で自分にできることを探し、実際に行動へ移したことが気にかかった。
(……こいつは、一体どこまで考えていた…?)
疑問は残る。
しかし、今はそれを問いただす時間ではなかった。
まずは生徒たちが無事に保護されたことを確認しなければならない。
出久も、まだ生きている。
それだけを確かめると、相澤はゆっくりと目を閉じた。
(……まずは、生きて戻った。話はそれからだ)
称賛するにしても、疑問をぶつけるにしても、今すぐ結論を出す段階ではない。
相澤はそう考えながら、意識を手放した。
◇
保健室のベッドで、出久は目を覚ました。
最初に目に入ったのは、見慣れない白い天井だった。
ぼんやりとした視界の中で、しばらくそれを眺める。
身体が重い。
頭も痛む。
自分がどこにいるのかを考えようとしても、思考がうまくまとまらなかった。
「……ここは?…あのヴィランは!?…一体どうなって…?」
かすれた声が漏れる。
すると、すぐ近くから聞き慣れた声が返ってきた。
「起きたのか、緑谷くん!」
声の方へ顔を向けると、麗日が心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
その隣には飯田も立っている。
二人とも制服姿のままだった。
おそらく、出久が目を覚ますのを待っていてくれたのだろう。
「麗日さん……飯田くん……」
「無事で何よりだ! 君が倒れたときは、本当に心配したぞ!」
飯田はいつものように背筋を伸ばしていたが、その声には隠しきれない安堵があった。
麗日も、ようやく出久が目を覚ましたことにほっとしたように、表情を緩める。
しかし、出久が最初に尋ねたのは、自分の怪我についてではなかった。
「みんな……無事、なんだよね?」
身体を起こすこともできないまま、出久は二人の顔を見比べた。
あの場所にいた生徒たちはどうなったのか。
誰か取り残されていないか。
自分が倒れたあと、何が起きたのか。
確かめたいことはいくつもあった。
けれど、何よりも先に聞かなければならないのは、みんなが無事だったかどうかだった。
麗日は、ほんの少しだけ表情を曇らせた。
「うん。クラスのみんなは……みんな無事だよ」
「よかった……」
出久は胸の奥に詰まっていた息を、ゆっくりと吐き出した。
その言葉を聞けただけで、ひとまず安心できた。
自分が倒れたあとも、誰も取り返しのつかないことにはならなかった。
そう思いたかった。
けれど、麗日の表情は完全には晴れていない。
「でも、相澤先生と13号先生が……怪我しちゃって」
その言葉を聞いた瞬間、出久の顔から血の気が引いた。
「相澤先生は……大丈夫なんですか?」
思わず身を乗り出そうとして、身体に力を入れる。
その途端、右腕に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
「緑谷くん! 動いてはいけない!」
飯田が慌てて制止する。
「相澤先生は、命に関わるほどじゃないって。でも、かなり酷いみたい」
麗日は出久を落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を続けた。
「13号先生も怪我をしてるけど、みんな治療を受けてるよ。だから、今は心配しすぎないで」
「そう、なんだ……」
出久は布団の中で、左手をぎゅっと握った。
右腕には激痛が残っている。
脳無と戦ったときに負った傷だ。
骨も筋肉も、無理をさせすぎた。
医者からすれば、まずは安静にしろと言いたくなるような状態なのだろう。
けれど、今の出久にとって、その痛みは二の次だった。
(黒霧を止められなかった……)
あの霧のような身体を持つヴィラン。
触れたものを転送する能力。
知っていたはずなのに、結局、完全に封じることはできなかった。
(13号先生も、危ない攻撃を一つ避けただけだった……)
あのとき、もっと早く動けていれば。
もう少し状況を把握できていれば。
何か一つでも違う行動を取れていれば、結果は変わっていたのではないか。
そして、脳無。
(脳無だって、再生するのを知っていたのに……)
知っていた。
黒霧の能力も、脳無の再生能力も、この施設が襲撃されることも。
出久にとっては、初めて遭遇する敵ではなかった。
これから起きる出来事として、あらかじめ知識を持っていたはずの相手だった。
だからこそ、準備をしていた。
教師たちに警告し、できる範囲で対策を考え、襲撃が起きたときに備えていた。
それでも、実際に目の前で起きたことは、知識だけでどうにかできるようなものではなかった。
(知っていれば助けられる、なんて……そんな簡単じゃなかった……)
頭の中で何度も考えていた展開と、現実に起きた出来事は違う。
誰かが傷つく瞬間を目の当たりにすれば、考えていた通りに身体が動くとは限らない。
目の前の状況は刻一刻と変わり、助けを求める声が重なり、判断を誤れば誰かが危険にさらされる。
分かっていたつもりだった。
けれど、自分は何もかもを守れるほど強くなかった。
「……緑谷くん?」
麗日の声に、出久ははっと顔を上げた。
気づけば、ずいぶん長い間、二人の前で黙り込んでいたらしい。
「あ、ごめん。なんでもない……」
「ううん。謝らなくていいよ」
麗日は首を横に振った。
「今はゆっくり休んで。緑谷くんだって、あんなに怪我してるんだから」
「そうだぞ! 君は自分の身体の状態を正しく理解し、回復に専念するべきだ!」
飯田も真剣な顔で頷く。
「……うん。ありがとう」
出久は二人にそう答えた。
心配をかけていることは分かっている。
だからこそ、これ以上余計な心配をさせたくはなかった。
それでも、頭の中では考えが止まらない。
自分の準備が足りなかった。
そう思う気持ちは、どうしても消えてくれなかった。
◇
その日の夕方。
保健室の窓から差し込む光が、少しずつ橙色を帯び始めたころだった。
扉が開き、相澤が姿を現した。
腕には包帯が巻かれ、顔には隠しきれない疲労が浮かんでいる。
それでも、ぼさぼさの髪と気だるげな目つきだけは、普段とほとんど変わらなかった。
「……起きたか」
「は、はい。先生、お怪我は……?」
「死んではいない」
相澤は短く答えた。
そのままベッドの横まで歩いてくると、傍らに置かれていた椅子を引き、腰を下ろす。
動作はいつも通りゆるく、どこか眠たげだった。
しかし、出久へ向けられた視線だけは、少しも緩んでいない。
「先生、本当に大丈夫なんですか? あのとき、かなり怪我をしていたように見えたので……」
「お前が心配することじゃない。治療は受けている」
「でも……」
「それより、自分の心配をしろ」
相澤は出久の右腕へ目を向けた。
包帯で固定された腕は、少し動かすだけでも痛みが走る状態だ。
出久自身も、それが分かっている。
それでも、反射的に姿勢を正そうとしてしまった。
「動くな。医者に言われたんだろ?」
「す、すみません……」
「謝るところでもない」
相澤はそれだけ言うと、しばらく口を閉ざした。
沈黙が、二人の間に落ちる。
出久はその沈黙をどう受け止めればいいのか分からなかった。
相澤は、何かを聞きに来たのだろうか。
それとも、怪我の具合を確認しに来ただけなのだろうか。
どちらにしても、出久の胸の内には落ち着かないものがあった。
何を聞かれるのか、見当もつかない。
けれど、聞かれるとすれば、きっとあの襲撃についてだ。
なぜ黒霧の攻撃を避けられたのか。
なぜ飯田を走らせたのか。
どうして脳無のことを知っていたのか。
どれも、簡単には答えられない。
答えようとすれば、頭の中で激痛が走る。
そして、たとえ痛みに耐えて話せたとしても、信じてもらえるとは思えなかった。
「未来で見たんです」と告げたところで、相手はまず困惑するだろう。
次に疑う。
どうしてそんなことを知っているのか。
何を根拠に、あれほど正確な行動を取れたのか。
最後には、オールマイトと関わりのある自分が、なぜそんな情報を持っているのかと問い詰められるかもしれない。
最悪の場合、ヴィラン側の内通者ではないかと疑われる可能性だってある。
(どうしよう……)
出久は喉の奥が締めつけられるのを感じた。
何も隠すつもりはない。
本当は、知っていることを全部話してしまいたい。
けれど、話そうとすれば頭が痛む。
それに、未来を知っているという話を、誰が信じてくれるというのだろう。
「……飯田を走らせたのは、お前だ」
相澤が口を開いた。
出久は、びくりと肩を揺らす。
「はい」
「黒霧の攻撃を避けたのも、お前だ」
「はい……」
「脳無と渡り合ったのも、お前だ」
「……はい」
一つずつ、事実を確かめるような口調だった。
相澤は出久をじっと見ている。
怒っているようには見えない。
かといって、ただ褒めるために来たという雰囲気でもなかった。
むしろ、目の前の生徒が何を考え、何を根拠に行動したのかを見極めようとしているようだった。
それが、出久には余計に怖かった。
「なぜだ?」
「え……?」
「なぜ、そこまでできた…?」
短い問いだった。
しかし、出久にはその一言がひどく重く感じられた。
どう答えればいいのだろう。
本当のことは言えない。
かといって、何も答えなければ、余計に疑われる。
出久は視線を泳がせながら、必死に言葉を探した。
「あの……僕は、その……事前に、いろいろ調べて……」
「何をだ?」
「えっと……USJの訓練について、です。災害対応とか、集団での行動とか……」
嘘ではない。
実際に、訓練施設について調べたことはある。
けれど、それだけで今回の行動を説明できるわけではなかった。
相澤の目が、わずかに細められる。
「それで、黒霧の攻撃が分かったのか?」
「……いえ。あれは、その……運が、良かっただけで……」
「運か」
相澤は短く繰り返した。
その声には、からかいも怒りもない。
ただ、出久の言葉をそのまま受け止めた上で、まだ納得していないという響きだけがあった。
出久は視線を落とした。
何も言えない。
言えないのに、黙っていること自体が、相澤の疑いを深くしているような気がした。
自分が何を知っているのか。
どうしてあの場で動けたのか。
それを説明できないままでは、相澤も納得できないだろう。
けれど、話せないものは話せない。
出久は膝の上で左手を握りしめた。
長い沈黙のあと、ようやく口を開く。
「……でも、先生たちが怪我をしたのは、僕の準備が足りなかったからです」
相澤の眉が、わずかに寄った。
「……何だって?」
「僕がもっと、ちゃんと準備できていれば……先生たちも、怪我しなくて済んだかもしれないので……」
声は小さかった。
それでも、その言葉ははっきりと相澤の耳に届いていた。
(……準備が、足りなかった?)
相澤は、改めて出久の顔を見た。
黒霧の攻撃を避け、生徒を逃がし、増援を呼び、最後まで戦い続けた生徒。
自分が倒れたあとも、誰かを守るために動き続けた少年。
その少年が、今、自分の行動を「準備不足」だと言った。
(こいつは、何を基準にして……何を、一人で背負おうとしている…)
そもそも、今回の襲撃は生徒が責任を負うような出来事ではない。
相手はヴィランだ。
それも、雄英の教師たちが対応に追われるほどの敵が複数集まっていた。
そんな状況で、生徒がすべてを防げるはずがない。
それなのに、出久は自分の準備が足りなかったから教師たちが怪我をしたのだと考えている。
相澤には、その考え方そのものが気にかかった。
出久は相澤の沈黙に耐えきれず、慌てて言葉を付け足した。
「で、でも! 次は、もっとちゃんとやります!」
言い終えた直後、相澤の眉間の皺が深くなった。
「……だから、一人でやるなと言っているんだ」
「え?」
「お前は、また一人で何かを背負う気だろ?」
「そ、そんな……僕は、ただ……」
「ただ、じゃない」
相澤は椅子から立ち上がった。
椅子の脚が床を擦り、静かな保健室に小さな音が響く。
出久は思わず肩をすくめた。
相澤はそんな出久を見下ろし、いつもより少し低い声で言った。
「今回は、生きていた。次もそうとは限らない」
出久は言葉を失った。
その言葉が、単なる脅しではないことは分かっていた。
相澤自身が倒れ、13号も負傷した。
出久も、あと少し遅ければ脳無の拳を受けていた。
一つ判断を誤っていれば、誰かが命を落としていたかもしれない。
「お前が何を考えていたのか、何を知っていたのかは、まだ分からない。だが、少なくとも今回の行動を見ていれば、お前が自分の限界を考えずに動いていたことくらいは分かる」
「……」
「自分にできることを考えるのは悪くない。だが、自分一人で何とかしようとするな。教師がいる。クラスメイトもいる。お前だけで全部を背負う必要はない」
相澤はそれ以上、言葉を重ねなかった。
出久は俯いたまま、黙って聞いていた。
「……怪我が治るまで、無茶はするな」
「は、はい……」
相澤は扉の方へ向かいかけた。
しかし、出久の返事を聞いたあと、ふと思い出したように足を止める。
「それと」
一度だけ振り返った。
「次に何か知っていることがあるなら……一人で抱え込むな」
出久は息を呑んだ。
それは、先ほどの問いとは少し違う言葉だった。
何を知っているのか、なぜ知っているのか。
その答えを今すぐ話せとは言っていない。
ただ、次に何かが起きるときは、一人で抱え込むなと。
そう言われたような気がした。
「……はい」
出久は小さく頷いた。
相澤はそれ以上何も言わず、保健室を出ていった。
扉が閉まる。
その音を聞いてから、出久はようやく身体の力を抜いた。
気づかないうちに、ずっと肩に力が入っていたらしい。
布団の中で、身体を小さく縮こまらせる。
(先生は……怒って、くれてるのかな)
叱られた。
一人で背負うなと、無茶をするなと、はっきり言われた。
それなのに、出久は少しだけ安心していた。
相澤が怒ってくれたことが、どこか嬉しかったのかもしれない。
けれど、同時に怖さも残っていた。
相澤は、出久が何かを隠していることに気づいている。
それでも、無理に聞き出そうとはしなかった。
それは、出久を信頼してくれたからなのだろうか。
それとも、今は怪我人だから追及しなかっただけで、いつか必ず聞き出すつもりなのだろうか。
(……どっちにしても、ちゃんと考えないと)
出久は天井を見つめた。
未来のことを話せない。
話せないからといって、何も伝えずにいるわけにもいかない。
その矛盾を、どうにかしなければならなかった。
◇
夜。
保健室の明かりが落ち着き、周囲が静かになったころ。
出久は、枕元に置いてあったノートを手に取った。
右腕は動かしづらい。
包帯の下では、壊れた骨がうずくように痛んでいた。
無理に動かせば、また医者に怒られるだろう。
それでも、左手なら書ける。
出久はノートを開き、ペンを握った。
今まで何度も使ってきた、見慣れたノート。
授業の予習や、個性の分析、これから起こる出来事への対策を書き込んできたものだ。
けれど、今夜開いたページに書こうとしているのは、いつもとは少し違う内容だった。
出久はページの上部に、大きく見出しを書いた。
『次回の確認に向けた想定問答』
これから先、また何かが起きるかもしれない。
今回のように、事前に知っている出来事が現実になることもある。
そのとき、今度こそ教師たちと情報を共有したい。
自分一人で判断するのではなく、周囲に協力してもらえるようにしたい。
そのためには、まず自分が何を伝えられるのかを整理する必要がある。
相澤に聞かれたこと。
答えられなかったこと。
説明しようとしても言葉に詰まってしまったこと。
それらを一つずつ書き出しておけば、次に同じような状況になったとき、少しは落ち着いて対応できるはずだ。
出久は、最初の問いを書いた。
問:なぜ知っていた?
ペン先が、そこで止まった。
一番聞かれそうな質問だった。
そして、答えも分かっている。
未来で見た。
それだけだ。
余計な説明を付け加える必要もない。
本当のことをそのまま伝えればいい。
そう考えて、出久は答えを書こうとした。
しかし――。
「っ……!」
頭の中に、鋭い痛みが走った。
ペンを握っていた左手から力が抜け、ノートの上に転がる。
出久は反射的に頭を抱えた。
視界が一瞬、白く飛ぶ。
頭の奥を鋭い針で刺されたような痛みだった。
ほんの数秒。
痛みはすぐに引いていったが、出久の額には冷たい汗が浮かんでいた。
「はぁ……っ」
呼吸を整えながら、落としたペンを拾う。
ノートには、まだ問いだけが残っている。
答えは書けないままだった。
出久はしばらくの間、その白いページを見つめていた。
何度も考えてきたことだ。
未来のことを話そうとすれば、頭痛が起きる。
ならば、別の言い方をすればいいのではないか。
直接的な言葉を避ければ、少しは伝えられるのではないか。
けれど、今日の相澤との会話を思い返すと、それだけでは足りない気がした。
曖昧な説明をすれば、相澤は納得しない。
かといって、無理に話そうとすれば頭が痛む。
(うーん……どうしよう?)
出久はペンを持ち直し、ノートの端を見つめた。
それから、小さく息を吐く。
(対策より先に……事情聴取の予習が必要になっちゃった……!)
思わず、少し笑ってしまった。
笑ってしまったけれど、胸の奥にある重さは消えない。
未来視のことは、話せない。
話せないから、警告も曖昧になる。
今回、相澤は出久の忠告を無視したわけではなかった。
むしろ、警戒してくれていた。
それでも、襲撃を防ぐことはできなかった。
教師たちが負傷し、生徒たちも危険にさらされた。
そして、自分自身も最後には倒れてしまった。
(僕が、もっとちゃんと伝えられていたら……)
出久は唇を噛んだ。
自分が話せなかったことが、結果的に情報不足につながったのではないか。
そう考えると、やはり悔しかった。
ただ、今日の相澤の言葉も頭に残っている。
一人で抱え込むな。
次に何か知っていることがあるなら、相談しろ。
自分だけで何とかしようとするな。
(次は……もっと、伝えられる方法を考えなきゃ)
出久はノートのページをめくった。
今度は、別の見出しを書き込む。
『先生に相談する方法』
書き終えると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
一人で考えているだけでは、どうにもならないこともある。
自分では思いつかなかった方法を、相澤やほかの先生たちが考えてくれるかもしれない。
それに、次に何かが起きたとき、事前に相談できていれば、今回よりもずっと多くの人を守れる可能性がある。
(予習を先生に見てもらえるのは、助かるけど……)
出久は、ふと閉じた扉の方を見た。
相澤の顔が思い浮かぶ。
自分の言葉を聞いたときの、あの険しい表情。
「準備が足りなかった」と言ったとき、どうしてあんなに眉間に皺を寄せたのだろう。
(でも……予習不足ですって言ったら、なんで余計に怖い顔になったんだろう……?)
出久は首を傾げた。
自分としては、次に備えるために必要なことを言ったつもりだった。
もっと準備をすれば、次は今回よりも上手くやれる。
そう考えるのは、間違っているのだろうか。
疑問は、残ったままだった。
出久は答えを見つけられないまま、ノートを閉じた。
窓の外はもう暗い。
昼間の騒ぎが嘘のように、雄英の校舎は静まり返っていた。
けれど、出久の中では、いくつもの問いが渦巻いている。
どうすれば、未来のことを伝えられるのか。
どうすれば、先生たちを守れるのか。
どうすれば、今回のように誰かが傷つく前に動けるのか。
そして――どうすれば、自分が「底の見えない生徒」だと思われずに済むのか。
考えても、すぐに答えが出るものではなかった。
今までの予習は、これから起こる出来事を知っている自分が、どう行動するべきかを考えるものだった。
けれど、今回の襲撃で分かったことがある。
自分が知っているだけでは足りない。
知っていることを、どう伝えるのか。
誰に伝え、どう協力してもらうのか。
それもまた、考えておかなければならないことだった。
出久には、まだ分からないことばかりだ。
それでも、一つだけ決めたことがある。
次に何かが起きるときは、一人で抱え込まない。
自分だけで何とかしようとするのではなく、先生たちに相談する。
それが、今の出久にできる、最初の一歩だった。
1話にする判断の基準がまた難しい…
悩みどころです。
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