但し、エムピーにご用心
一、宿場町ミラルドの昼下がり
その日の宿場町ミラルドは、朝から妙に賑やかだった。
街道が三本交わる交易の要所で、行商人の荷馬車が長い列を作り、広場には露店がずらりと並んでいる。
焼いた肉の匂い、香辛料の匂い、搾りたての果実水の匂い。
それらがごちゃ混ぜになって、乾いた風に乗って流れてきていた。
「おお、いいねえ。こういう活気のある街、久しぶりだ」
フェルの背から降りたムコーダは、大きく伸びをして深呼吸した。腰に手を当てて首を回すと、ごきりと小気味いい音が鳴る。
元は日本の営業職のサラリーマンだった男も、この世界に来てからすっかり徒歩と野宿に慣れてしまった。
もっとも、野宿といっても、彼の場合は少々事情が違う。
「ふん、人間どもの市など、どこも似たようなものだ。それよりムコーダ、飯だ。ここへ来るまでに半日は歩いたぞ」
低く重い声でそう言ったのは、体長が大型の馬車ほどもある灰色の狼、フェンリルのフェルである。
街の入口で門番が腰を抜かしかけたのを、ムコーダは冒険者ギルドの登録証と、これまで何度も繰り返してきた愛想笑いでなんとか乗り切ったばかりだった。
「歩いたのはほとんど俺じゃなくてお前だけどな。まあ、腹が減ったのは確かだ」
「朝のカレーなんざ、もうとっくに消化しちまったぜ」
ムコーダの頭上をぱたぱたと飛びながら、小さな竜が腹をさすった。
ピクシードラゴンのドラちゃんである。
見た目は掌に乗るほど愛らしいのに、口を開けばすっかりおっさんだ。
「スイもおなかぺこぺこー! あるじー、今日のごはん、なにー?」
肩掛けの鞄から、ぷるんと丸い水色のスライムが顔を出した。
スライムのスイは、ムコーダの顔を見上げて、期待にぷるぷると身体を震わせている。
「はいはい、わかったわかった。まずは広場の露店でも見て回って、食材になりそうなものがあったら…」
そこまで言って、ムコーダは言葉を切った。
フェルが、ぴたりと足を止めたのだ。
二、気配
「…む」
フェルの金色の瞳が、すっと細くなった。
耳が前を向き、鼻先が人混みの向こうの一点を指す。
「おいフェル、どうした。急に立ち止まって」
「…お前も気付いたか、ドラ」
「ああ。ありゃあ、ただもんじゃねえな」
ドラちゃんまでが、さっきまでの腹ぺこの顔をやめて、真剣な目つきで同じ方向を睨んでいる。
二匹のこんな顔を見るのは、ムコーダも久しぶりだった。
ミスリルゴーレムや古龍と向き合ったときの顔だ。
ムコーダの背筋に、すうっと冷たいものが走る。
「な、なんだよ。敵か? 魔物か?」
「魔物ではない。妖精の類だ。…が、纏っている魔力の密度が尋常ではない。あのような小さな身体に、どれほど溜め込んでおるのだ」
「しかもな、魔力の流れが妙に整ってやがるんだよ。なんつーか、きっちり帳簿をつけてるみてえな感じでよ」
「帳簿…?」
魔力が、帳簿。意味がわからない。
ムコーダが首を傾げていると、鞄の中のスイが、ぷるんと身体を伸ばして広場の一角を指した。
「あるじー、あっちにね、ふよふよ浮いてる、ちっちゃい子がいるよー。魔力がね、いーっぱい。でも、イヤな感じはしないの。ただね、ぎゅっと握りしめてる感じー」
「握りしめてる感じ…?」
ますますわからない。
だが、スイが警戒しているということは、少なくとも今すぐ害のある存在ではないらしい。
それでも、フェルとドラちゃんがこれだけ身構えるのだから、油断はできなかった。
「とりあえず、様子を見に行こう。ただし、絶対に先に手は出すなよ。いいな、フェル、ドラちゃん、スイ」
「うむ。だが、向こうが仕掛けてくるなら話は別だ」
「その辺は、お前が判断しろよ、ムコーダ」
「スイもがまんするー」
三匹の返事に、ムコーダは小さくため息をついた。毎度のことながら、この面々を連れていると、平和な街歩きがいつも綱渡りになる。
人混みを縫って進むと、広場の端にある屋台の脇に、見慣れない三人組が立っているのが見えた。
一人は、年若い少年だ。辺境の村から出てきたばかりのような素朴な顔立ちで、人の良さそうな柔らかい目をしている。
腰には使い込まれた短剣と、小さな革の袋。
見るからに優しそうで、冒険者というよりは、親切な村の若者という印象だった。
その隣には、同じくらいの年頃の少女。
こちらは冒険者らしい身のこなしで、周囲にさりげなく目を配っている。
けれど、少年を見る眼差しは穏やかで、どこか安心しきったような柔らかさがあった。
そして、少年の肩のあたりを、ふわりと一匹の妖精が飛んでいた。
手のひらに乗るほど小さな身体。ふわふわとした髪に、透き通った羽。
愛らしい顔立ちは、ぬいぐるみのようだ。
…ように見えた。のだが。
「レント様、さきほどの行商人さんとの取引、先月分の利息が」
「ちょ、ちょっとエムピー。ここ、街中だから」
「あら、失礼しました。つい、運用の話になると熱くなってしまって」
「エムピーは、いつもそうだよね…」
少女が、困ったように、けれど慣れた様子で笑った。
(…レント。エムピー。リンカ、ってことでいいんだよな)
ムコーダは、露店の影に身を寄せながら、三人の会話に耳を傾けた。盗み聞きは行儀が悪いが、フェルたちがここまで警戒する相手の素性は、やはり気になる。
「でも、レントがいなかったら、わたし、あのダンジョンで…」
「リンカ、その話はもういいよ。それより、そろそろお昼にしない? エムピーも、今日はたくさん働いてくれたし」
「では、貸し付け残高の確認も兼ねて、午後の取り立てスケジュールを…」
「ごはんの時間くらいは、お仕事の話を忘れようよ…」
少年が、がっくりと肩を落とす。
その仕草があまりに人間らしくて、ムコーダは少し緊張が解けた。
取り立て。
貸し付け残高。
利息。
聞き慣れた単語が、不穏な響きで並んでいる。
ムコーダの脳裏に、日本で働いていた頃の、ある忌まわしい言葉が浮かんだ。
「…まさか、な」
だが、その『まさか』は、次の瞬間、エムピー本人の口から、はっきりと形になってしまった。
「いいですか、レント様。リボ払いというのは、貸し手にとっては実に健全な仕組みなのです。毎月の返済額を一定にして、残高に対して利息を取り続ける。借り手が完済を急がなければ急がないほど、私たちの運用益は積み上がっていくのですから」
「うん、わかってる、わかってるから、エムピー。あんまり大きな声で言わないで…」
ムコーダは、膝から崩れ落ちそうになった。
「リ…リボ払い…」
異世界で、まさかその単語を聞く日が来るとは思わなかった。
現代日本において、数多のサラリーマンを静かに蝕んできた、あの悪名高い支払い方式。
便利な顔をして近づいてきて、気づけば残高が減らない、あの恐怖の罠。
「おい、ムコーダ。顔色が悪いぞ」
「いや、その、なんというか…世の中には、触れちゃいけない単語ってのがあるんだよ、フェル」
「ふむ。よくわからんが、あの妖精は、相当の手練れだな。魔力の運用に関しては、神にも匹敵する執念を感じる」
「執念って。まあ、借りる側にとっては怖い存在なんだろうけどさ」
ムコーダは、心の中で固く誓った。
(うん。俺は何があっても、現金一括払いでいこう)
そんな誓いを立てていると、広場の向こうから、粗野な怒鳴り声が響いてきた。
三、断空の剣
「見つけたぞ、レント!」
その声に、広場のざわめきが一瞬、波が引くように静まった。
人混みを割って現れたのは、三人組の冒険者だった。
先頭に立つのは、立派な剣を腰に提げた、大柄な青年。
自信たっぷりに胸を張っているが、その目の下には濃い隈があり、鎧はところどころくすんでいる。
少し前までの羽振りの良さが、すっかり剥がれ落ちているのが見て取れた。
その後ろには、杖を握った魔術士風の女性と、白いローブをまとった女性。
魔術士の女性は美しい顔立ちをしているが、口元には落ち着きのない苛立ちが滲み、ローブの女性は、まるで他人事のように、ぼんやりと少年を眺めている。
少年――レントの顔から、すっと表情が消えた。
「…ガイ」
「やっと見つけたぜ。お前、こんなところで何をのうのうとやってやがる。俺たちのパーティーを追い出されたくせに、まだ冒険者ごっこを続けてたのか」
(追い出された? ってことは、元仲間か?)
ムコーダが首を傾げていると、鞄の中のスイが、小さな声で呟いた。
「あるじー、あの人たち、すっごくイヤな感じがするー」
「…ああ、俺もちょっとだけ、そう思う」
三人組は、ガイ、ミサ、エルと名乗った。Bランクパーティー『断空の剣』。
レントがかつて所属し、そして、役立たずとして追放された場所だという。
ガイの言い分は、聞いているだけで耳が痛くなるほど身勝手だった。
「お前が抜けてから、魔力の調子が悪くてな。迷惑してるんだよ。戻ってこい、レント。お前のあの変な力を、また俺たちのために使え」
「ちょっとガイ、言い方がまずいわよ。レント、ね、わかるでしょう? 私たち、幼馴染じゃない。ね?」
「えー、あたし、よくわかんないけど、レントくんがいたほうがラクだったなー、みたいな?」
三者三様の勝手な言い草に、レントは、ふう、と長い息を吐いた。
そして、静かに首を振る。
「断るよ。僕はもう、戻らない」
「なっ」
「それに、ガイたちには、まだ返してもらっていない分があるでしょう。貸していた魔力、忘れたわけじゃないよね」
「き、貴様…!」
ガイの顔が、みるみる赤くなった。
その横で、エムピーが、ふわりと前に出る。愛らしい笑顔のまま、けれど目だけが、まったく笑っていなかった。
「あらあら、お久しぶりですね、延滞中の皆さま。お元気そうで何よりです。残高は、年利と合わせて、現在こちらのようになっておりますが」
「ひ、ひい…!」
ミサが、思わず後ずさった。
リンカは、少し困ったような顔でレントの前に半歩出たが、レントはその肩を軽く叩いて、小さく首を振る。
「大丈夫だよ、リンカ。こういうの、もう気にしないことにしたんだ」
「…うん。レントが、そう言うなら」
「エムピーも、今は街中だから。取り立ては、後で、ちゃんとやろう」
「承知いたしました。では、お気になさらず、というところで」
(気にしないんだ…!)
ムコーダは、露店の陰で、心の中で盛大にツッコんだ。
だが、その『気にしない』という態度こそが、ガイの神経を、致命的に逆撫でしたらしかった。
「なめやがって…! ふざけんな、どいつもこいつも!」
ガイが、腰の剣を引き抜いた。衆人環視の広場で、白昼堂々、である。
悲鳴が上がり、露店の主人たちが慌てて荷を引っ込めていく。
「おい、こっちも気にしろよ! そこの、でかい犬連れた間抜け面! 見世物じゃねえんだ、さっさとどけ!」
振り抜かれた視線が、ちょうど露店の陰で様子をうかがっていたムコーダたちを、まっすぐに捉えた。
「…犬」
フェルの金色の瞳が、すう、と据わった。
「いや待て待て待て待てフェル、落ち着け、落ち着けって!」
「ぷっ。犬だってよ、犬。ははは、フェルが、犬」
「ドラちゃんも煽るな!」
「ねえフェルおじさん、おこってる?」
「スイも、そのままにしておけ!」
ムコーダの制止は、残念ながら、一歩遅かった。
次の瞬間、広場の空気が、凍りついた。
それは、魔力でも殺気でもなかった。ただ、そこに『在る』というだけの、圧倒的な格の違い。
悠久の時を生きる神獣が、ほんの少しだけ、自分の本性を思い出した。
それだけのことだった。
「……ぐ、っ、が」
最初に異変を起こしたのは、ガイだった。
剣を振り上げた姿勢のまま、全身がびくりと痙攣する。
顔から血の気が引いて土気色に染まり、目の焦点が合わなくなった。
「ご、ふっ」
ガイの口から、ごぼり、と赤いものがあふれた。
「ぐおえええっ」
血反吐である。
それも、盛大な。
ガイは広場の石畳に大量の血を撒き散らしながら、膝から崩れ落ちた。
「ガ、ガイ!? どうし、ひっ、な、なに、これ…」
駆け寄ろうとしたミサも、三歩目で動けなくなった。
杖を取り落とし、がくがくと膝を鳴らしながら、顔面蒼白でその場にへたり込む。
白いローブのエルに至っては、白目を剥いて、そのままぱたりと倒れてしまった。
「……な、なんだ、あれ…犬、じゃ…ない…」
ガイが、血の泡を吹きながら絞り出すように言った。
「ほう。ようやく理解したか」
フェルは、ひどく退屈そうに鼻を鳴らした。
「我の飯の前で、ぎゃあぎゃあと喚くな。うるさくて敵わん。…それと、我は犬ではない。フェンリルだ」
「ふ、ふぇ、フェン…リル…」
その名を聞いた途端、ガイは、ひゅっ、と喉を鳴らして、もう一度盛大に血を吐いた。
「ひ、ひいいいっ! む、無理、無理だ、ミサ、エル、逃げ…ぐふっ…!」
ガイは四つん這いのまま、ミサの襟首を掴み、エルの足を引きずって、這うように広場から消えていく。血の跡が、点々と石畳に続いていた。
「お、おぼえ、てろ…! レント…! いつか、必ず…!」
捨て台詞があまりに哀れで、広場の誰も、笑うことすらできなかった。
静寂。
やがて、どこからともなく、ぱらぱらと拍手が起こった。
誰かが、ほっとして手を打ったのだろう。
それがいつしか大きなうねりになり、広場は安堵と困惑の入り混じったどよめきに包まれた。
「す、すげえ…フェンリルだってよ…」
「あの冒険者、フェンリルを連れてるのか…?」
「いや、でも、あの怖い連中を追い払ってくれたんだろう?」
「あああ、すみません、すみません! お騒がせして! 本当にうちの子が、申し訳ありません!」
ムコーダはぺこぺこと四方に頭を下げながら、フェルの前脚をぎゅうぎゅうと押さえ込んだ。
「お前なあ、街中で威圧は禁止って、いつも言ってるだろ!」
「ふん。我は威嚇しただけだ。毛一本、触れておらん」
「それが一番怖いんだよ!」
四、お礼と、お返し
「あの、すみません」
後ろから、遠慮がちな声がかかった。
振り向くと、さきほどの少年が、ぺこりと頭を下げていた。
「レントといいます。助けていただいて、ありがとうございました。僕たちのことで、ご迷惑をおかけして」
「あ、いえいえ、そんな。こちらこそ、うちの連中が勝手にやっただけで。…ムコーダと申します。こっちはフェルに、ドラちゃんに、スイです」
「リンカです。本当に、ありがとうございます。正直、ちょっとだけ、緊張してしまって…」
リンカが小さく頭を下げた。
その頬は、さっきまでの張りつめた様子が嘘のように、ほっと緩んでいた。
そして。
「…ほう」
少年の肩から、ふわりと、エムピーが飛び立った。
エムピーはゆっくりとフェルの周りを一周し、ドラちゃんの前で止まり、スイの鞄の前でも止まって、それぞれをじっと、舐めるように観察した。
「フェンリル。それも、相当に魔力の濃い個体ですね。ピクシードラゴンは種として希少。…そしてスライム。ただのスライムではありませんね、この魔力の澄み方、これは…素晴らしい。運用の観点から見ましても、これほどの資産は、そうそうございません」
「資産、と呼んだか。我を」
「なんだよ、急に褒めたって何も出ねえぞ。…まあ、悪い気はしねえけどな」
「えへへー、ありがとー! ようせいさん、ほめるのじょうずー」
「ちょ、ちょっと待ってください! うちの子たちを、担保にしないでくださいよ!?」
「あら、勘のよろしい方ですこと」
エムピーは、にっこりと笑った。
「冗談です」
(冗談に聞こえない)
「ち、ちなみに、念のためお伺いしますけど、俺から魔力を取り立てるとか、そういうのは…」
「ご安心ください。私どもが取り立てるのは、貸したものだけでございます。…もっとも、貸し付けのご要望がございましたら、いつでもご相談に」
「結構です! 間に合ってます!」
「エムピー、お客さんを困らせないの」
「申し訳ございません、レント様」
そのときだった。
ぐううううううう。
広場に、地鳴りのような音が響き渡った。
「…腹が減った」
「フェルかよ!」
「スイもー!」
「俺様もだ」
続けて、ぐう、と小さな音。レントが、顔を赤くして腹を押さえた。
「あ、す、すみません、その」
「…私も」
リンカまでもが、俯いて、小声で言った。
ムコーダは思わず、ぷっ、と吹き出した。
さっきまでの緊張が、嘘のようにほどけていく。
「あの、よかったら、お礼のかわりに、昼飯をご一緒にどうですか。うちの連中が、腹ペコで我慢の限界でして」
「えっ、でも、そんな、悪いです」
「いやいや、助けてもらったのは、むしろこっちで…っていうか、そうでもないか。まあいいや、とにかく、遠慮は無しで」
「…本日の運用益は、先ほどの行商人様の件で、すでに確保済みですが」
エムピーが顎に手を当て、真剣な顔で言った。
「ご馳走になるのは、収支の観点から申し上げれば、いささか筋が違います。ここは私どもからも、何かお返しを」
「いえいえ、お礼なんで、お気になさらず!」
「では、お言葉に甘えて。…レント様、よろしいですね?」
「う、うん。ありがとうございます、ムコーダさん」
こうして、ムコーダ一行とレント一行の、奇妙な昼食会が決まったのだった。
五、ネットスーパーに、新しいコーナー
広場のはずれ、ちょうど空いていた石畳の一角を借りて、ムコーダは手早く準備を始めた。
アイテムボックスから、折りたたみのテーブルと、コンロ(ネットスーパー産)を取り出す。物珍しそうに見守る街の人々の視線を背中に感じながら、ムコーダは、ふう、と一息ついた。
「さてと。まずは、何を作るかな」
ムコーダの目の前に、半透明の画面が、すっと浮かび上がる。
ムコーダにしか見えない、不思議な買い物サイト。ネットスーパーだ。
「今日は、せっかくお客さんもいるし、ちょっと凝ったものにしたいな。肉は、コカトリスが、まだ山ほど在庫が…」
そこで、ムコーダの指が、ぴたりと止まった。
画面の上部、いつもは見慣れない場所に、見慣れない赤いバナーが点滅している。
『NEW 無印良品コーナー、オープンしました!』
「…は?」
ムコーダは目を擦って、もう一度、画面を見た。
間違いない。『無印良品』と、はっきり書いてある。
「む、無印…!? あの、無印良品!? うおおおおっ、マジか! ついに来たかっ!」
「な、なんだ、急に大声を出して」
「あるじー、どうしたのー?」
「いや、その、すごいんだよ! ネットスーパーに、新しい売り場が増えたんだ! しかも、無印! あの、シンプルで、おしゃれで、しかも味も良くて…!」
ムコーダの目が、キラキラと輝いている。
社畜時代、仕事帰りに、よくお世話になっていた店だ。
文房具に、衣類に、そして何より、レトルトやお菓子が、実に優秀だった。
「食品コーナーは、っと…おお、あるある。カレーに、スープに、お菓子に…これは、バウムクーヘン! 神様たちへのお供え、確定だな」
ずらりと並ぶ商品の中に、ムコーダは、ふと、一つの商品を見つけた。
「…松茸ごはんの素」
炊き立てのご飯に混ぜるだけで、本格的な松茸ごはんが楽しめるという、あれだ。
「これだ。これを、メインに据えよう」
ムコーダの頭の中で、メニューが一気に組み上がっていく。
「だったら、おかずは、ガツンとくるやつがいいな。コカトリスの肉を、ほりにしでがっつり下味つけて、ケバブ風に…そう、チキンケバブだ!」
「けばぶ? 何だそれは」
「肉を香辛料で漬け込んで、串に刺して焼く、旨いやつだ。フェル、お前、絶対に好きなやつだぞ」
「ほう。ならば、量は、期待していいのだろうな」
「はいはい、山盛りで作りますよ」
ムコーダは、にっと笑って、画面に向き直った。
六、松茸ごはんと、チキンケバブ
まずは、米だ。
ネットスーパーで購入した米を、手早く研いで鍋に入れる。
そこへ、無印良品の『松茸ごはんの素』を、袋の指示どおりに投入した。
水加減は、少しだけ控えめに。蓋をして、コンロに火をつける。
「ご飯を、鍋で炊くんですか?」
レントが、興味深そうに鍋を覗き込んでくる。
「ええ。ちょっとコツはいるんですけど、炊き立てが、一番ですから」
鍋の蓋の隙間から、しゅうしゅうと白い湯気が上がり始めた。
その湯気に混じって、ふわり、と何とも言えない芳しい香りが、広場に漂っていく。
「…なんだか、すごく、いい匂いがします」
リンカが、思わず鼻をひくひくさせた。
「これは、松茸っていう、森の高級キノコの香りなんです。俺の故郷だと、秋の味覚の王様でして」
「キノコ…ですか。そんなに、いい香りがするんですね」
「ええ。実物は、さすがに手に入らないんですけど、これは、その風味を、うまく再現したやつで」
続いて、肉だ。
アイテムボックスから、コカトリスの肉の塊を取り出す。
ずっしりと重い、ピンク色の美しい鶏肉。
ムコーダは、まな板の上で、それを一口大に、手際よく切り分けていった。
「ふむ。コカトリスか。悪くない選択だ」
「当たり前だろ。お前ら、これがないと機嫌が悪くなるんだから」
大きめのボウルに、切った肉を入れ、そこへネットスーパーで買ったプレーンヨーグルトを、たっぷりと加える。
おろしにんにく、塩、オリーブオイル。そして、最後に取り出したのは、小さな瓶だった。
「それが、ほりにし、ってやつか」
「そうそう。これがないと、始まらないんだよな」
ドラちゃんが、瓶を見て、にやりと笑った。
万能スパイス『ほりにし』。
肉でも魚でも野菜でも、ひと振りすれば、あっという間に、極上の味に変えてしまう、魔法のようなアウトドア用の調味料。
この世界では、もはや、フェルたちの間では伝説の調味料として扱われている、ムコーダのとっておきである。
キャップを開けた瞬間、スパイスの豊かな香りが、ふわあっと立ち上った。
「…ほう」
小さく息を呑む声が聞こえて、ムコーダは、ちらりと視線を横にやった。
エムピーだった。
いつの間にか、ボウルのすぐ脇まで寄ってきて、じっと、瓶の口元を見つめている。
「…いい香りですね。ずいぶんと、複雑で。…この香りの層…」
(ま、まずい。早速、目をつけられた)
ムコーダは、冷や汗をかきながら、ほりにしを、ぱっぱっ、と肉に振りかけた。いつもよりも、心なしか、手際が早い。
「は、ははは。ちょっと、辛みと香りが強いやつなんで、あまり顔を近づけないほうが」
「ご心配には及びません」
「…そ、そうですか」
手でよく揉み込んで、そのまま、少しだけ寝かせる。
その間に、野菜を洗い、串を用意し、焼き網の準備を整えた。
しばらくして、肉に、しっかりと味が染み込んだ頃合いを見計らって、串に刺していく。肉、ピーマン、玉ねぎ、肉、ピーマン、玉ねぎ。彩りも考えて、リズムよく。
「おお…綺麗ですね」
「ただ、肉を刺すだけなんですけどね」
焼き網に、串を、ずらりと並べる。
じゅううううううっ。
肉が、網に触れた瞬間、小気味よい音とともに、香ばしい煙が立ち上った。ヨーグルトと、ほりにしと、にんにくが焼けるときの、あの暴力的なまでに食欲をそそる香り。
「ぐおおお…」
フェルの喉が、ごくりと鳴った。
「おい、ムコーダ、まだか」
「まだだ。ちゃんと火が通るまで待て」
「こんなにいい匂いをさせておいて、待てというのは、拷問だぞ」
「あるじー、スイ、もうよだれがとまらないよー」
「ほら、串はひっくり返す。もうちょっとだから。…おっと、いい感じに、焼き色がついてきたな」
脂が落ちて、じゅわっと炭が弾ける。表面は、こんがりときつね色。
切り口から、肉汁が、きらきらと光りながら、滲み出している。
そして、鍋のほうからも、蓋が小刻みに揺れ始めていた。ムコーダは、火を止めて、そのまま、数分蒸らす。
そろそろ、頃合いだ。
七、街中が、ひれ伏した
鍋の蓋を開けた瞬間、わあっ、と、歓声が上がった。
いつの間にか、ムコーダたちの周りには、ぐるりと、街の人々が人垣を作っていたのである。
露店の店主、買い物客、行商人、子どもたち。
皆が、鼻をひくひくさせながら、鍋の中身と、焼き網の上の串を、じっと見つめている。
「な、なんだ、この匂いは…」
「あの兄ちゃん、一体何を作ってるんだ?」
「見たことない、白い粒だ…でも、あの香りは、ただ事じゃないぞ」
(あー、やっぱり、こうなるよなあ…)
ムコーダは、苦笑いしつつ、鍋の中身を、しゃもじでほぐした。
炊き立ての松茸ごはんから、ふわあっと、立ち昇る湯気。
ひと粒ひと粒が、つやつやと輝いて、ほんのりと、薄い茶色に染まっている。
器に、ごはんをたっぷりよそい、その脇に、ほかほかのチキンケバブを、串ごと添える。
最後に、ヨーグルトに、レモンと塩を混ぜた、さっぱりしたソースを回しかけた。
「はい、どうぞ。熱いので、気をつけてください」
最初に受け取ったのは、レントだった。
「いただきます。…あっ、すごい、熱い」
串から、一粒、肉を口に運ぶ。
ゆっくりと、噛み締めて。
そして、ぴたり、と動きを止めた。
「…レント?」
リンカが、不安げに声をかけた。
「…おいしい」
レントの口から、ぽつりと、言葉が漏れた。
「すごく、おいしい。お肉が、こんなに柔らかくて、噛むたびに、じゅわって。香辛料の香りが、ふわって、鼻に抜けて。それに、このごはん…」
レントは、おそるおそる、松茸ごはんを、ひと口、頬張った。
「…あったかい。なんだろう、胸の奥が、あったかくなる…」
「どれ、私も」
リンカも、ごはんを口に入れて、目を、まん丸にした。
「…っ、おいしい…! こんなに、おいしいごはん、初めて食べました…!」
リンカの目から、つう、と、一筋、涙がこぼれた。
慌てて指で拭おうとするが、止まらない。
「あ、あれ、ごめんなさい、なんで、わたし」
「いいんだよ、リンカ。僕も、ちょっと、危ない」
レントも、ずず、と鼻をすすった。
(ええ…泣くほど、なのか…?)
ムコーダは、嬉しさと、気恥ずかしさで、頭を掻いた。
そのとき、フェルの前の皿が、すっからかんになっていた。
「おかわりだ」
「早っ! お前、さっき渡したばっかりだろ!」
「肉は、串を二十本、ごはんも、大盛りで頼む」
「そんなに食う気か!?」
「当然だ。これは、実に、良い飯だ」
「俺様にも、串を、追加してくれよ。ほりにしの味が、ガツンときてて、たまんねえ」
「スイもー! このごはん、きのこのかおりがして、おいしいー!」
三匹の盛大な食べっぷりを見て、周りの人々の喉が、ごくり、と鳴った。
「…な、なあ、兄ちゃん」
人垣の中から、中年の露店の店主が、恐る恐る手を挙げた。
「その、俺たちにも、少し、分けちゃもらえないか。もちろん、金は、払う。いくらでも」
「あたしも!」「俺も!」
「いや、その、そんなつもりじゃ…」
ムコーダは、慌てて、手を振った。だが、人々の目は、真剣そのものだ。
「…まあ、いいか。ちょうど、肉は、まだ山ほどあるし」
結局、ムコーダは、コカトリスの肉を追加で取り出し、串を次々に焼き始めた。
広場は、あっという間に、臨時のケバブ屋台と化した。
松茸ごはんを、紙の器によそい、串と一緒に、行列に配っていく。
「はい、次の方どうぞ! 熱いですよ!」
「うめえ…! なんだこりゃ、うめえ…!」
「こんな柔らかい肉、生まれて初めて食った。しかも、この、香辛料の風味、堪らないぜ」
「このごはんの、香りだけでも、酒が飲めるわ」
「お母さん、これ、おいしい! もっと食べたい!」
「こら、順番でしょ! …でも、本当に、おいしいわねえ」
老人が、涙ぐみながら、串を握りしめていた。
「長生きは、するもんじゃのう…。まさか、この歳になって、こんな旨いもんに、出会えるとは…」
「いやいや、そんな大げさな…」
気がつけば、近くの宿屋の主人まで、並んでいた。
「あんた、ぜひ、この料理のレシピを、うちに売ってくれないか。言い値で、買うぞ」
「すみません、それは、ちょっと企業秘密でして…」
(売れるわけがない。ネットスーパー産だし)
ムコーダは、心の中で、そっと、手を合わせた。
八、エムピーの視線
それから、小一時間ほどして。
行列がようやく途切れ、鍋も網も空っぽになったころ、ムコーダは、空いたテーブルの脇に、どさりと腰を下ろした。
「つ、疲れた…。今日は、いつもの三倍は作った気がする…」
「お疲れさまでした、ムコーダさん」
レントが、水の入ったコップを差し出してくれた。
ありがたく受け取って、ごくごくと飲み干す。
フェルは、腹をいっぱいにして、満足げに、石畳の上でごろりと寝転がっていた。
ドラちゃんも、その背中の上で、大の字になって寝ている。
スイは、リンカの膝の上で、ぷるんぷるんと揺れていた。
「ふふ、スイちゃん、柔らかい…」
「えへへー、リンカ、なでなでじょうずー」
平和だ。
実に、平和な昼下がりだった。
…ただ一点を除いては。
「ムコーダ様」
来た。
ムコーダは、ぎく、と肩を強張らせた。
いつの間にか、テーブルの上に、エムピーがちょこんと座っている。
小さな顎を、きゅっと引いて、まっすぐに、ムコーダを見つめていた。
「少々、お伺いしたいことが、ございまして」
「は、はい。何でしょう」
「先ほどのスパイス。ほりにし、とおっしゃいましたか」
「あ、ええ、そう、ですね」
「あの粉末から、魔力の反応は、一切ございませんでした」
エムピーは、淡々と、続けた。
「にもかかわらず、あれを口にした方々の、感情の波形が、尋常ではないのです。幸福、満足、安堵。それらが、魔力による増幅も受けず、あれだけの規模で、一斉に立ち上がる。…これは、私の知る、どの運用理論にも、当てはまりません」
「は、はあ…」
「つまり、魔力ではない何かが、あの粉末の中に、存在している。しかも、ごく少量で、非常に高い利回りを…」
「り、利回り」
「はい。端的に申し上げて、実に、魅力的な資産です」
エムピーの目が、きらきらと輝いている。
…いや、これは、キラキラというより、ギラギラ、と言ったほうが、近い。
「つきましては、ムコーダ様。その粉末を、少し、私にお譲りいただけませんでしょうか。あるいは、レント様の魔蔵庫を担保として、お貸しいただく、という形でも」
「貸すのも、担保も、ダメです!」
ムコーダは、反射的に叫んでいた。
(ほりにしは、渡せない。何しろ、こいつは、ネットスーパー産だ。分析なんてされたら、とんでもないことに…!)
「あ、あのですね、エムピーさん。これは、その、俺が、昔、旅先で出会った、年老いた商人から、譲ってもらった、秘伝のブレンドでして」
「秘伝」
「はい。その商人は、もう、亡くなっていて、レシピも失われてしまって。だから、もう、二度と、手に入らないんです。俺の手元に残っているのも、ほんの、わずかで」
「なるほど。…ですが」
エムピーは、ちらりと、ムコーダの足元を見た。
「先ほど、あなたの袋の中に、同じ瓶が、まだ何本か、入っているのを、お見かけいたしましたが」
「き、気のせいです!」
ムコーダは、慌てて、足元の袋を、ぐい、と蹴り込んだ。
実際には、袋ではなくアイテムボックスの口を、見られていたらしい。
(この妖精、観察眼が鋭すぎる…!)
「おい、ムコーダ。嘘は、もう少し、上手くつけ」
「ドラちゃんは黙ってて!」
「ふぁ…ムコーダ、肉」
「今食ったばっかりだろ! …あ、いや、ちょうどいい、フェル、ナイスタイミング! はいはい、すぐに焼きますからね!」
ムコーダは、これ幸いと、立ち上がろうとした。
だが、エムピーは、その袖を、ちょこんと掴んだ。
「…ムコーダ様」
「は、はい…」
「お話は、まだ、終わっておりません」
「エムピー」
穏やかな声が、割り込んだ。
レントだった。
静かに、けれど、しっかりと、エムピーを見つめている。
「人の秘密を、無理に聞き出しちゃ、だめだよ。ムコーダさんは、僕たちに、こんなにおいしいご飯を、ご馳走してくれたんだから」
「しかし、レント様。これは、運用の観点から見て、非常に」
「だめ」
「…」
エムピーは、むう、と頬を膨らませた。それから、しばらくして、しぶしぶ、ムコーダの袖を離した。
「…承知いたしました。今回は、見送りと、いたします」
「あ、ありがとうございます…!」
「ですが」
エムピーは、にっこりと、天使のような笑顔を浮かべた。
「利回りの良い案件は、必ず、覚えておきます。いつか、必ず、ご縁がございますよう」
(…こ、怖い)
ムコーダは、背筋に、冷たいものが走るのを、感じた。
そんな二人のやり取りを、リンカが、くすくすと笑いながら、見ていた。
「エムピーが、あんなに諦めが悪いの、珍しいです。きっと、本当に、気に入ったんですね」
「えっ。いつもは、もっと、こう…」
「いつもは、もっと、容赦ありません。債務者さんが、泣いても、叫んでも、きっちり、一円…じゃなくて、一魔力、取り立てるんですよ」
「それは、聞かなかったことに、したいです」
九、お供え物
その夜。
ムコーダは、宿屋の部屋に、一人で、こもっていた。ネットスーパーの画面を開いて、神様たちへのお供え物を、選んでいる。
「ええと、今日は、無印の、バウムクーヘンと、あと、クッキーに、ドライフルーツ。…よし、これで、どうだ」
画面に表示された商品を、まとめてカートに入れる。
決済を済ませると、部屋の机の上に、ずらり、と、シンプルな包装のお菓子が、並んだ。
「では、ニンリル様、ルサールカ様、アグニ様、キシャール様。本日は、どうぞ、ご堪能ください」
ムコーダが、手を合わせると、淡い光が、お菓子を包んで、そっと、消えた。
そして、すぐに、頭の中に、賑やかな声が、響いてくる。
『むっ、無印…! 無印良品! しかも、バウムクーヘン! 最高よ、ムコーダさん! ふわふわの、しっとりが、たまらないわ…!』
『ニンリル、少し、落ち着きなさい。…でも、確かに、美味いわね、このクッキー。素朴で、上品で』
『おお、ドライフルーツ! 酒の肴にも、ぴったりだな』
『いいから、早く、ほかのも出せ』
「あはは、はいはい。それと、ニンリル様、今日、会った人の中に、ちょっと、変わった子が、いたんですけど」
『あら、何かしら』
「いえ、やっぱり、なんでもないです。…世の中には、いろんな人が、いるんだなって、思っただけで」
『ふふ、そうね。いいことよ』
神様たちの、のんびりとした声を聞いているうちに、ムコーダの頬が、自然と、緩んでいった。
十、それぞれの道
翌朝。
宿場町ミラルドの、東の門の前に、二組の一行が、向かい合っていた。
「本当に、お世話になりました、ムコーダさん」
レントが、深々と、頭を下げた。その隣で、リンカも、ぺこりと、頭を下げる。
「昨日の、松茸ごはんと、ケバブ。私、一生、忘れません」
「いやいや、そんな。大したことは、してませんから」
「いいえ。レントと一緒に、冒険者を始めて、いろいろ、ありましたけど。…昨日のごはんが、一番、心に、沁みました」
「…そう言ってもらえると、作った甲斐が、ありますよ」
ムコーダは、少し照れくさそうに、鼻の頭を掻いた。
レントたちは、西へ。ムコーダたちは、東へ。向かう先は、まるで、違う。
「ムコーダ様」
エムピーが、ふわりと、前に出た。
「昨日は、ご馳走になりました。…それと、もう一度、申し上げますが」
「ほりにしは、ダメです」
「…まだ、何も、申しておりませんが」
「言う気、満々だったでしょ」
「…ふふ。では、またの機会に、とだけ」
エムピーは、くすりと、笑った。
その笑顔は、昨日の、ギラギラしたものとは、少し違って見えた。
「ムコーダさん」
レントが、ふっと、真面目な顔で、言った。
「僕の魔力は、貸し借りするためのものですけど…ご飯は、さすがに、貸せないですね」
「あはは。うちは、魔力は、貸しません。でも、メシは、貸しません」
「…貸さない、んですか?」
「はい。その代わり」
ムコーダは、にっと、笑った。
「いつでも、ご馳走しますよ。…また、どこかで、会えたら、ですけどね」
レントは、一瞬、きょとんとして、それから、ぱあっと、顔を輝かせた。
「はい! ぜひ!」
「ふん、小僧。その時は、我の分の、肉も、忘れるなよ」
「は、はい…!」
「おいおい、フェル。お前は、結局、それかよ」
「当然だ」
「スイも、また、いっしょに、おいしいごはん、食べたいー! リンカも、エムピーも、レントもー!」
「うん、そうだね、スイちゃん。また、きっと、食べようね」
リンカが、スイの頭を、ふにふにと撫でた。
「…じゃあ、お元気で」
「はい。ムコーダさんたちも、お気をつけて」
それぞれが、それぞれの方角へ、歩き出す。
振り返らない。けれど、不思議と、寂しくはなかった。
「なあ、ムコーダ」
フェルの背に揺られながら、ドラちゃんが、ぽつりと言った。
「あの妖精、絶対、また来るぜ。ほりにしを、狙ってな」
「…やめろよ、縁起でもない」
「でも、また会える気が、するよな。あいつらとは」
「…ああ。俺も、そんな気は、してる」
ムコーダは、遠くなっていく、レントたちの背中を、一度だけ、振り返った。
小さな少年と、少女と、その肩に座る、小さな妖精。
その姿は、朝日の中に、すぐに、溶けていった。
「あるじー、つぎのごはん、なにー?」
「おいおい、さっき、朝ごはん、食べたばっかりだろ」
「でも、スイ、もう、おなかすいたー」
「ふん。我もだ」
「俺様もだ」
「…はいはい。ほんと、お前らは」
ムコーダは、苦笑して、ネットスーパーの画面を、そっと、開いた。無印良品の、赤いバナーが、きらりと光っている。
「次は、何にしようかな。…そうだな、無印のカレーに、コカトリスの、唐揚げでも、乗せてみるか」
「ほう。悪くない」
「楽しみー!」
東へと続く街道に、賑やかな声が、遠ざかっていく。
魔力は貸しても、メシは貸さない。
けれど、美味いメシなら、いつでも、分け合える。
そんな、小さな約束を、それぞれの胸に、そっと、しまって。
ムコーダたちと、レントたちの道は、またいつか、どこかで、交わるのだった。
(了)