最高を体現するために 作:競馬ファン
2008年7月某日北海道苫小牧市には、一人の男がいた。その男は、20代ばかりで会社を立ち上げ、事業を軌道に乗せ20年たった今では業界では割と名が知られる企業にまで成長させ、今年JRAの馬主資格を取った男──東雲がいた。
「ここが会場かぁ、結構緊張するな」
彼が来たのはセレクトセールの初日──1歳馬セールだ。
一日で10億円以上が動く会場には、独特の独特の熱気と緊張感が漂っており、20年会社の代表を務めてきた東雲であっても緊張を感じさせるものだった。
暫くセールの動向を眺めていた彼だが、ある一頭の馬が入場すると無意識のうちにその馬体に視線が釘付けにされてしまう。
【上場番号110番ダンスールファビュルー号の2007オス青毛1月〇日生まれ、父シンボリクリスエスでございます。】
青毛の艶を纏った漆黒の馬体。比較的大きな馬体に大きく発達した胸囲。トモや背腰には特筆すべき点は見当たらないが、その歩様は綺麗であり落ち着いた雰囲気を感じさせるものだった。
ダンスールファビュルーといえば、産駒にはG1馬が2頭居る名牝に分類されるような牝馬ではあるが、日本に輸入されてからは、活躍馬があまり出ずにそのまま今年繫殖牝馬を引退した馬だった。
落札開始額もそのことがあってか、1000万円となっていた。
「馬体の割に安いな……よし、こいつにしよう」
【1000万円一声ありますか?】
「はい!」
東雲は迷わずパドルを掲げた──
「1400万円です。番号をお願いいたします……○○△番のお客様ありがとうございました」
三日間のセレクトセールが終わった後、東雲は高揚感に包まれていた。
「あの馬は絶対に走るぞ……あの馬体間違いないはずだ。あぁ来年からが楽しみだなぁ」
馬主生活初年度から自分のお眼鏡にかなう馬を落札できたことに終始上機嫌な様子で彼は、一日を過ごすのだった。
◇◇◇◇
やぁ、みんな俺改め、アオだ。
生まれてから1年と数か月がたち、8月と思われる今日この頃。
俺に熱い視線……もといラブコールを送ってきた人に落札された俺は今日も普段通りに過ごしてたわけだが
「お~~い、アオ~~戻ってきてくれ」
と、俺の厩務員ーー無神経男から呼び出しがかかった。なんだなんだと俺寄っていくと、珍しく寂しそうな顔をした奴が立っていた。
なんだぁ?彼女にでもフラれたんか?それとも、親族の誰かがやべぇのか?
俺が不思議そうにしていると、その雰囲気を察したのか説明を始める。
「今日はお前が育成牧場に行く日なんだよ。あそこに車が見えるだろ?あれに乗ってここから移るんだよ」
ほーん、なるほどなぁ、時期的にももうすぐなんか。……てか、こいつ寂しそうにしてるよな普段のこいつの発言からは考えられないほどしおらしいぞ。明日は槍でも降るかもなぁ。
「俺は結構お前のことを気に入ってたんだよ。妙に人間臭くて、きれい好きで楽しそうに草食ってる。……だから少しだけ、寂しいんだよ」
…………こいつマジで毒でも盛られたんか?おら、もっとシャキッとしろよ。数年後には俺がG1で無双してる姿をテレビで見れるんだから。それまでの辛抱だろ?
「励ましてくれてるのか?まさか馬畜生に励まされる時が来るとはなぁ。これはいよいよ俺も引退を考えねばならないかもしれん」
前言撤回。明日はきっと快晴だ。最後の最後までなんなんだお前は。
そして馬運車らしきものまで引かれた俺は、一度だけ振り返り我が生地に向かって首を垂れて別れの挨拶を済ませ馬運車に乗り込んだ。
俺はそのまま歩き空いている部屋にまで誘導され入れられる
中には俺と同年代であろう馬たちが数頭おり、みんな狭いだの怖いだの叫んでいる。
かく言う俺も少し怖い。狭いし身動きが取れないし。
少しすると車のエンジンがかかる。きっともうすぐこことはお別れなのだろう。外からは奴の声が聞こえる
「元気でなー!アオー!」
姿は見えないがきっと手でも振っているのだろう。俺はそんな……名前分からん。まぁとにかくそんな奴の姿を見てちょっぴり寂しさを覚えるのであった。
馬運車に揺られた後、育成牧場についた俺たちは降ろされた。
『うぅ…………』
『コワかったぁぁぁ』
俺と一緒に運ばれてきたやつらはなぜかげっそりしてた。…………騙馬にされる夢でも見たのだろうか?ここは日本だから大丈夫だぞ。
2か月後俺はようやく新しい新居に適応した。
まず今の俺の状態だが、一匹狼である。なんか群れ放牧されたりしていたが、群れるよりも強くなりたいので一人で?一頭で?走りまくっていたら見事に孤立した。
まぁ人の人格がある時点で群れることは無理だと思うので遅かれ早かれこうなっていただろう。
翌日、初めて人を上にのせてみた。最初の感想は、ちょっとバランスとりにくくて邪魔やなといったものだ。どうにも曲がろうとしても自分の上に自分の体とは独立して動く重しがあるせいか思ったように体重移動ができないのだ。
気性の荒い馬がなんで騎手を振り落とすのかがわかった。これはもう慣れていくしかないだろう。
俺にできるのは人間のトレーニング内容に従い放牧中に適度に自主トレをすることしかないので今日もこの放牧地を走ることにする。
拙作を読んでいただきありがとうございます。