お医者さんは過労気味   作:マシュマロ

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お医者さんは運動不足

 

 

 

夏の暑さが示す気温はわたしの気を削いだ。

やはり、暑さというのは苦手である。

本来であれば、外出なんてしないんだが…

 

「ああクソ、なんで俺はこんなところにいるんだ?」

「あはは、キミがついてくるって言ったからでしょ」

 

そういえばそうだった気がする。

どうにも暑さによって思考が回らない。

鬱陶しいほどに今日は快晴である。

 

「うーん…そんなに辛いならちょっと休憩する?」

「ああ、申し訳ないがそうさせてくれ…」

 

普段の運動不足に加え、この暑さ。

それはわたしにとってあまりに厳しい環境だった。

わたしたちは少し向かった先にベンチがあったのを目指して、なんとかそこまで辿り着く。

休憩がてらに暇なのでわたしたちは適当な雑談をした。

その内容はごく普通の、他愛のないものだった。

しかし特に前触れもなく、彼女はこう言った。

 

「ねぇ、ドクター。何かにずっと縛られるのは、アタシは死ぬよりイヤかも」

 

急にどうしたのかと思ったが、意外にも表情は真剣だった。

しばし考えたのち、茶化すのはやめてわたしもそれなりの真剣さをもって返すことにした。

 

「死ぬより辛いことなんて死ぬまで無い。君にそれがわかるかどうかは知らんがね」

「ふーん、だから生きろって?」

「さあ?俺は死を知らないし知る気もない。仮にもしそれが本当だったとして、俺にはきっとわからないだろうな」

 

それでも一つだけ、言えることはある。

それは揺るぐことのない、わたしの私的感覚。

言ったところで意味はないのだろうが。

どうせ、この会話に意味もないのだから、言ってしまえ。

 

「誰かが傷つくのは、見ていられない」

 

結局わたしは、それに縛られている。

死より苦しい何かを、わたしは知らない。

しかし彼女もまた、知らないのだろう。

それを知るのは死ぬときだけだ。

 

「それがキミの基本理念、ってわけね」

「甘く見るなよ。俺は常にそれに従って生きてきた。それは死よりよっぽど重い」

 

そうだ、死よりよっぽど。

際限なく続く無の価値なんて、わたしがこれから過ごす1秒にすら満たない。

死より辛いことはわからない。

だが、望ましい行動ができない状況はある種その者にとって死と同等だと言えるだろう。

それを見るのは、ひどく退屈だ。

 

「なるほどなるほど…キミ、面倒くさいね」

「それは君も言えないだろうに。だからこそ、対立を経て俺達は解決へ向かう必要がある」

「カッコつけちゃって。本当はどうなの?」

「君の考えを変えることは出来なくとも、ただ一瞬それを忘れさせればいい」

 

おそらくは、相当に難しいのだろうが。

長く続く人生において、レースというのはほんの一瞬の輝きでしかない。

やってみるだけの価値はある。

 

「君を揺るがすことができたなら、俺の勝利だ。降参はいつでも受け入れるぞ」

「キミが先に音を上げないか、アタシは心配だけど…ね」

「どうせ時間制限付きの勝負だ、気楽にやるさ」

 

 

吹く風が先ほどと打って変わってわたしに涼しさを与える。

ベンチから立ち上がって、わたしたちは再び歩き出した。

 

 

_______

 

 

生物というのは、光のある方へ進む。わざわざ暗雲立ち込める道を進む変わり者というのはそういないだろう。

だが、それをしなければならない人間はいる。進んで、というわけでもなしに。

まったく、腹立たしい。

このような仕組みはどうにもならないのだろう。

で、あれば…

せめて誰か一人くらいは笑って見せてほしいものだ。

そうすればこの行いにも、少しの意味ができる。

 

「あ、ごめんごめん。ちょっと待たせちゃった?」

「別に構わないさ。好きにすればいい」

 

多少待つことに抵抗はない。

これくらいは仕事をする時だろうとなんだろうといくらでもある話、気にすることもない。

わたしが言いたいのはそんなことではない。

 

「いくらなんでもはしゃぎすぎだ。付き合うと言ったのは俺だが、流石に外出が多すぎる。付き人じゃないんだぞ」

「あははっ!そうかな?確かにちょっと多かったかもね」

 

何を笑っているんだこいつは?

わたしの体力は無尽蔵じゃないんだぞ。

この前は遊園地、その更に前は水族館だった。

そして何より、わたしを苛立たせるのは…

 

「目的地もなくただ歩くのは意味がわからない。何回目だ?今日だってどうせ決めていないんだろう!」

「よくわかったね?」

「目的地を決めたのは全て俺の提案だからな。当たり前だ」

 

目的地を決めたところで彼女はすぐに何処かへ行ってしまう。

それについていくだけでわたしは精一杯だ。

まったく、ここまで労を要するとは思わなかった…

 

「競技者がこの時期に遊び呆けてるとは誰も思わないだろうな。ましてや君は二冠ウマ娘だぞ?」

「他の子はそうかもね。アタシは違うけど」

 

あいも変わらず彼女は定型に縛られない。

縛られてくれないのだ。

しかし、度重なる外出によって少しずつその在り方がわかってきたというのは唯一の救いだろう。

 

「今日は個人的に行きたいところがある。強制はしないが、付き合ってくれると助かる」

「ん、いいよ。どこに行くの?」

「さて、それは着いてからのお楽しみというやつだ。飽きられて君に途中で何処かへ行かれては困るのでな」

「わざわざ飽きないようにって?ドクターも意外と優しいね」

 

本当は若干遠く、疲れるのでタクシーだろうがなんだろうが使ってしまいたいのだが、それも興が削がれるかと断念した。

まあ、ウマ娘の体力であれば問題はないだろう。

一番問題なのはわたしの体力が持つかだが…

そこはなんとかするしかない。

 

 

 

それからしばらく歩き続けたが、わたしたちは目的地へ未だ辿り着けていなかった。

しかしまあ、なんだ。

案外緑が豊かで悪くは…

 

「ねぇ、ドクター。ちょっと遠すぎない?」

「…これは流石に、想定外だった」

 

 

いつも車で来ていたからか、あまり徒歩での到着時間を考えていなかったのだ。

しかし、あともう少し歩けば辿り着くはずだ。

 

「いや、アタシはいいんだけど…キミ、もう限界きてない?」

「もう少しなんだ。流石にここで止まっては時間が無駄だ」

 

限界を訴えかける足に無理を言わせて体を動かす。

普通に車で行けばよかっただろうか…?

一瞬そう思い始めたが、ようやくたどり着いた。

 

「あー…悪いんだが、少しだけ待っててくれ。用があってな」

「はいはい、さっき待たせちゃったしね。いいよ」

「すぐに戻るから、そのまま居てくれよ」

「…それ、フリだったりする?」

 

 

微妙な目をされたが、わたしは振り返らず進んだ。

一歩、二歩と進む度に距離が縮まる。

そうしてようやく辿り着くと、目の前には一人の男がいた。

その顔には少し不機嫌な表情を浮かべている。

 

「ようやく来たのか、待ちくたびれたぞ」

「申し訳ない、少し手間取ってしまって…」

 

少し不機嫌だが、これくらいは許容範囲だ。

彼が本当に怒っていれば、追い返されてしまうだろう。

 

「まあいい。にしても、なんでわざわざお前が来る?相手はウマ娘なんだから、そいつに来させればいいだろ」

「贈り物でそれは無粋だろう?」

 

そう伝えれば顔を顰めて、よくわからないと言った表情でこちらを見つめてきた。

相変わらず顔が怖い。

 

「まあなんでもいいが、お前がごちゃごちゃ注文つけてくるせいで作るのに苦労したんだ。そう簡単に壊してくれるなよ」

「わたしにとっても稀有なことなんだ。約束はできない」

「…用が終わったならさっさと帰れ」

 

仕事を中断して来ているからか、急かすようにそう言った。

一応挨拶だけ済ませておいて、振り返る。

手には一つの木箱を携え、わたしはそこを離れた。

またいつかここに来ないといけないのか…

そう思ってしまうのは、失礼だろうか?

 

 

 

「ねぇ、ドクター。それ何持ってるの?」

 

そんなことを考えていれば、戻ってきていたらしい。

うーん、少し考えすぎていたのだろうか。

ここからあそこへはそう遠くないし、不思議ではないか…?

ああいや、返答しなければ。

 

「蹄鉄だよ。君たちウマ娘には欠かせないだろう?」

「蹄鉄?わざわざ箱に入れてるんだ」

 

彼女は不思議そうに箱を見つめた。

まあ、それもおかしくはないだろう。

本来はあまり一つ一つ丁寧に入っているようなものでもない。

 

「特注品なんだ。おそらく、一つしかないだろうな」

「へぇ…なんか、凄そうだね?」

 

感想がお粗末だと心密かに笑ってしまった。

しかし、わたしもそれくらいしか言葉が出てこないのだから、言えたものではないか…

そう思いつつ、わたしは彼女へそれを持たせた。

 

「あれ、もしかしてアタシにくれるの?」

「ああ。元々、君のそれについてはどうにかしなければならないと思っていたところだ」

 

彼女の抱える脚部不安の原因として、蹄の薄さが挙げられる。

それだけが原因というわけではないものの、対処しなければならない問題ではある。

本来であればわたしがどうこうする義理はないが、それもまた勝負としての側面だろう。

 

 

「キミに教えたことあったっけ?」

「目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。俺からすれば、君のことくらい見ればわかるとも」

 

まあ、そんなのは普通に嘘である。

彼女の友人から聞いた、というのが本音だ。

シンボリルドルフやカツラギエースなどを筆頭に、それなりに広く周知されていて知らなかったのはわたしだけだったのかと少し悔しさを覚えてしまった。

…医師に教えないのはなぜなんだ?

そう思ったが、どうせ理由はないだろう。

そんなことを考えているうちに彼女は更に近寄ってきて、なにやら口を開こうとしている。

その前に、わたしは一つ言っておくことにした。

 

「先に言っておくが、礼をする必要もなければ言葉も求めていない。これは単なる医療行為にすぎない」

「…感謝くらい素直に受け取ればいいのに」

 

目を細めて彼女はそう言った。

納得がいかない様子だが、わたしは話を変えるよう促す。

 

「結構作るのに苦労したんじゃない?」

「完成するまでの経緯を子細に言えば小一時間ほど語れてしまうが、聞きたいか?」

「あはは、それならやめておく」

 

 

 

最初は既製品でどうにかしようと思ったのだが、どうにも解決できそうになく結果的に一から作ることになってしまった。

気難しい装蹄師にああしてほしい、こうしてほしいと口を出していたら、危うく制作破棄になりかけた。

あまりに面倒で多少取り乱したが、作れないとなると全てが水の泡になるためなんとか抑えた。

お酌をしたり、趣味に付き合ったり。

とにかくまあ、ご機嫌取りだ。

本来わたしがする必要のないことまで、する羽目になった。

まあ、労力に対して見合っているかは怪しいが、職人との関係は良好になったのだから悪くはないはずだ。

 

 

「まあせいぜい、無駄にならないようにしてくれ」

「素直じゃないなあ。ありがとね、ドクター」

 

彼女はクシャッと笑ってそう言った。

それを見て少しだけ気分が良くなったのはなぜだろう。

実際、どれほどこの行いに意味があるかはわからないのだ。

もしかすれば、あまり影響はないのかもしれない。

彼女の問題は、それだけではなかったのだから。

しかし、それがたとえ既定路線、定められた運命だとしても。

わたしはそれに意味があると思っている。

彼女については、これからも考えなければならないだろう、

しかしそれもまた、仕事のうちだ。

経費には、ならんがね。

 

 

その翌日、彼女は一日中上機嫌だった。

それはもう、パワフルに。

逆に脚を痛めるのではないかと心配したものだ。

結局1週間ほどして、またわたしは装蹄師に会いに行った。

保険は効かず、経費にもならないのでわたしの口座からは金が目減りした。

 

 





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