カンテラの中で鈍くその身を光らせる
腰のベルトに差し込んでいた桐の筒に匙を突っ込んで、中の粉白粉を山盛りに盛り付けた。
「ほら、ご飯ですよ〜」
側面の扉を開けてそれを差し出せば、掌ほどの大きさの火守はその毛足を伸ばして、吸い付くように白粉を食らい始めた。白粉が減るごとに、その橙の輝きが増す。
俺はカンテラの扉を閉めた。そして下部についたねじを回す。そこに仕込まれた螺旋のような機構が作動し、火守を抱えたそれは他のカンテラのようにふわりと宙に浮かんでいった。
「もう18時か……」
首に下げた白銀色の懐中時計に目を落とす。雲を象った針が規則正しく時刻を刻んでいた。
視線を上げ、残した仕事がないか確認すると、真っ先に目に飛び込むのは、天井にまで伸びる書架。びっしりと並んだ背表紙が、火守の光に照らされて、ひとつのタペストリーのように鮮やかに並んでいるのがわかる。
「ふぁー……」
残された仕事はなさそうだ。あくびをしながら貸し出しカウンターの前の椅子に座り、一際大きな火守が鎮座する据え置きのランプと、和綴じの冊子を引き寄せる。
えんじ色の表紙には「業務日誌」を意味する星霜公語が記されていた。冊子をめくり、星図のような文字列を慣れた手つきで読み飛ばしたあと、最新の白紙のページを開く。
手に取ったボールペンは、インクがなくなりかけていた。地元から持ってきた品は、館長たちが物珍しがって使い倒してしまう。また実家から余った試供品をもらってこなければならない。
【
今日はよく晴れていたので三ノ宮さんと3階の蔵書の本干しをしました。本の隙間から栞虫が数匹発見されたので、念のため各階も確認を願います。
─中略─
※館長がポットで
「……さて、帰るか」
そろそろ肌が突っ張ってきているのを感じる。早くメイクを落として保湿しなければ─そんなことを考えながら見上げた螺旋階段に、終端は見えない。
「あれ、白縫くんまだ残ってたの?」
名前を呼ばれて振り返れば、すでに消灯を終えた上階の闇から、朗らかな男の声が落ちてくる。
「ああ、はい、今日は色々立て込んでたんで」
「ポットの件はすみません……」
「いーえ。でも次から砂子水はミルクパンで沸かしてくださいね、館長」
「はーい……それにしても若いっていいねえ。白縫くんのほうが“こっち”に馴染んでるんじゃない?」
みしり、と階段を踏みしめる音とともに、スラックスと革靴を履いた足が暗闇のなかに現れた。
「今日、実家に顔出すって言ってなかった?お詫びに舟代奢らせてよ」
「えー、良いんですか?俺そういうとき遠慮しませんよ?」
「どうぞどうぞ、お構いなく」
「じゃあお願いしまーす」
俺は腰に下げた丸い鏡を手に取る。パーマをかけたばかりの黒髪のセットが、夜になって少し乱れてきていた。見慣れた己の顔の背後に、幻想的な図書館が広がる様は、見るたびに少しだけ鼓動を速める。
「こんばんは〜、こちら
館長はどこかに呼びかけるような声を出す。念話通信の原理は未だに分からない。
「はい、はい、
営業の電話のような挨拶の後、再び螺旋階段の奥の闇から朗らかに声がかけられた。
「今予約ないから、すぐ出せるって。準備できてる?」
「はい」
「じゃあお疲れ様、白縫くん。おやすみ」
その言葉に返事をする間もなく、俺の意識は一瞬途切れた。そして、グラリと頭が揺れる感覚で我に返る。無意識に伸ばした手が、滑らかな木に触れた。
「やあ、中天の相よりの御方。いつもいつもご贔屓に」
顔を上げると、俺はいつの間にか、薄闇の中小舟に乗っていた。舟の先端では、立襟の黒いシャツに赤い羽織を合わせた男が、笠を目深にかぶったまま頭を下げているので、慌ててそれに応じる。
男がゆっくりと櫂を潜らせるのは水面ではない。前方を確認できない薄闇でも、それが隙間なく敷き詰められた鏡の破片であることは理解できた。
破片をかき分け、舟は進む。しゃりしゃりと、硬質な金属が擦り合う微かな音が、四方から響く。
船頭が時折何かを確認するように、縁に足をかけて前方に身を乗り出すが、舟が傾くことはない。
欠片たちは、船頭が持つ提灯の光を吸い込んで、複雑な彩りへと変え、それを表面に放つ。鏡面には、瞬きするたびに違う光が映る。天をつく摩天楼、古い城郭、青々とした森、すべては舟にかき分けられるたびに消え、移り変わる。
船が向かう先は、この破片たちが知っているのだろうか。
「ああ、そろそろですよ、お客さん」
縁に手をかけ、じっと破片を覗いていると、船頭が櫂を鏡の湖から引き抜いて、俺のもとへと向かってきたのが視界の端に見えた。腹に力を入れ、覚悟を決める。何度乗ってもこの瞬間は慣れないが、なかなか自分から「越える」勇気は出ないものだ。
「お足元にご注意を」
刹那、俺は両足を抱え上げられ、ひっくり返るように欠片の中に落ち─
「いってぇ!」
視界がぐるりと反転した刹那、額に強烈な木の板の衝撃。鼻を突くのは、安っぽい芳香剤の匂い。じわじわと額に広がる痛みに耐えながら、俺は天井を見上げる。
「……よりによってトイレかよ」
鏡舟は、交通費が高い割に大雑把だ。館長が契約してる運送会社の質が悪いのかもしれない。
こちらに戻って来た途端にずしりと重くなった道具入れのサコッシュと革ベルトを外してエコバックに詰め込んだあと、なぜか施錠されたドアを開いて個室を出る。幸いにもトイレは無人だった。その内装に見覚えがある俺は、額を押さえて更に外に出る。
そこには、窓口と券売が2つ並ぶ、小さな空間が広がっていた。見慣れた、仙台駅東口にある高速バスの案内所だ。
「まあ、大体合ってるか?」
観光客の脇をすり抜け、自動ドアをくぐれば、ようやく外の空気が吸い込める。排気ガスと、湿ったアスファルトと、人の匂いが混じり合う、仙台の空気が肺いっぱいに満ちる。
丁度、大宮に向かうバスの出発が近いらしく、スーツケースを持った人々がバス乗り場へと向かっていた。
ネオンが輝く摩天楼を見回せば、見慣れた日本語の看板が立ち並び、スマホを手にした人々が行き交う。現実に戻るときはいつも少しだけほっとして、少しだけ物悲しい。
「さ、エスパル寄ってくか」
目指す先は駅ビルだ。重いエコバッグを担ぎ、雑踏に紛れて歩き始める。
栞虫は、こちらの世界の防虫剤の匂いを非常に嫌う。買い込んでおけばしばらくは安泰だろう。