「メイア・アクトバーン公爵令嬢、貴様を国家への反逆の罪で拘束する!」
イルガンティアの王城に呼び出されたメイアは自身の婚約者である王太子レオポルト・イルガンティアの号令によって近衛兵たちに取り押さえられる。
豪華なドレスを身に包んだまま地面に抑えこまれたメイアはレオポルトを見上げて大声で叫んだ。
「これは一体どういうことですの、レオ様!?」
「黙れ。貴様らが敵国に通じて我が国の英雄を害そうと企んでいたことはすでに分かっている」
レオポルトがそう告げると、混乱していたメイアの表情が不意に凍りつく。沈黙の中、ゆっくりとレオポルトを見上げた。その瞳は酷く淀んでいてまるで暗闇そのものだった。レオポルトらは思わず気圧される。
「……英雄? あの血生臭い売女が英雄ですって? やはりレオ様は騙されているのだわ。レオ様の婚約者であるわたくしが目を覚まさせなくては……」
メイアは何かを呟きながら虚空を見つめて笑う。その瞳には理性の光が一欠片もなかった。彼女に気圧された近衛兵たちの背中に冷たい汗が流れる。
「え、英雄アリスの悪口はやめてもらおうか。彼女の活躍で我が国が保たれているのは貴様でも知っているだろう」
思わず喉を鳴らしたレオポルトはメイアを問いただす。
英雄アリス。
その名を耳にするたび、メイアの胸の奥で何かがざわめいた。ああ、憎らしい。
平民でありながら、王都の誰よりも称えられる女。
本来なら自分が隣に立つはずの王太子が、その名を誇らしげに口にする女。
このイルガンティア王国は隣国に攻め込まれて敗戦濃厚だった。だが純白のレイストを駆る『英雄』アリスの登場により全てがひっくり返った。
しかし宮廷で絶大な権力を誇っているアクトバーン公爵家の令嬢でレオポルトの婚約者だったメイアにそんなことは関係なかった。むしろ平民でありながら国民から人気があるアリスを疎んですらいた。
「本当のことを言って何が悪いのですか? あの女は平民の分際でレオ様に色目を使ったではありませんか。そんな身の程知らずなんてレオ様の視界に入れるべきではないのです」
「彼女とはそのような関係ではない」
「あら、身分を隠して何度か会っているレオ様がそれを言いますか?」
「……………………」
メイアはレオポルトが立場を隠してアリスと会っていたことを把握していた。互いに友人関係を貫いていたが、そこに仄かな想いが芽吹いていたことも。
「それを知ったわたくしの気持ちが理解できますか?」
「……たしかに私が軽率だった。それは申し訳ないと思っている。だが彼女は私が王太子だとは知らなかった」
「関係ないですわ。たかが平民がレオ様に相手されているだけでも烏滸がましいのに、賤しい感情も抱くなんて。そんなこと許されるとでも?」
「だから彼女を排除するために敵国と手を結んだのか。公爵すら丸め込んで」
「だってあの女を消してやるっておっしゃるのですから利用しない手はないでしょう。お父様はあまり乗り気ではなかったですが」
まったく悪びれないメイアの様子に近衛兵たちは寒気を覚える。彼らはこの公爵令嬢のことを知ってはいたが、ここまで常軌を逸しているとは思っていなかった。
「まあ、あの女の悪運が強いとは思っていなかったわたくしも人のことを言えませんわね。せっかく激戦区に投入させてあげたのに毎回戦果を挙げるのですもの」
「……なんだと?」
「あら、気づいていなかったのですか?」
そんなレオポルトの様子にメイアはまるで幼子のように無垢な笑顔を浮かべる。それはメイアの純粋な残虐さを象徴していた。レオポルトは初めて目の前の人間に恐怖を抱く。
アリスをレオポルトから遠ざける、ただそれだけのためにメイアは救国の英雄を害そうとしたのだ。
幸運にもアリスはその地獄を潜り抜けたが、一歩間違えれば王国はひとりの令嬢の癇癪によって英雄を失うところだったのだ。
「元は私の不義理が原因とはいえ、貴様が犯した罪は決して許されるものではない。公爵も貴様と接触した敵国の要人もすでに捕らえている。正式な沙汰は後日言い渡されるだろうが、極刑は免れないと思え。おそらく公爵家は取り潰し、貴様との婚約も解消になるはずだ」
「どうして……」
「なんだ?」
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!」
婚約の解消という言葉を聞いた瞬間、メイアはそれまでの落ち着きが嘘かのように暴れ出した。拘束していた近衛兵たちが慌てて強く抑えつける。大の大人数名から抑えつけられ、身体から嫌な音が鳴るにもかかわらずメイアはレオポルトに縋ろうとする。
「わたくしはただレオ様の視界から邪魔な女を消そうとしただけなのに! レオ様の隣に立っていいのはわたくしだけ! わたくし以外の存在がレオ様に並ぶなんて許されない! レオ様はわたくしだけを見ていればいいのよ!」
「ちっ、近衛兵、奴を連れて行け!」
髪の毛を振り乱し、涙を流しながらメイアは独りよがりな想いを吐き出し慟哭する。レオポルトは舌打ちをしつつ、近衛兵たちにメイアを連行するよう命じる。
メイアは部屋を出る最後の最後までレオポルトに手を伸ばすが、レオポルトは視線を下げて応じることはなく、彼女の手は空を切るだけで終わった。
後日、簡易的な裁判の結果、メイアとその父であるアクトバーン公爵、そしてアクトバーン家の一族には国家への反逆という罪で死刑が命じられる。
「いやよ。わたくしがレオ様の婚約者ではなくなるなんて信じられるわけがない。だってわたくし、ずっと婚約者だったのですから。幼い頃から一緒だったのですよ。ねえレオ様、わたくしのこと好きだったから婚約者になってくれたのですよね。わたくし以外の女を迎えることなんてしないですよね」
死への恐怖よりレオポルトへの偏執的ともいえる執着を見せるメイアに処刑人は恐怖を覚え、思わずレオポルトの方を見てしまう。
アクトバーン公爵家の処刑を見届けるために今回立ち会ったレオポルトはメイアに最期の餞を送る。
「……貴様との婚約はアクトバーン公爵の圧力で成立したに過ぎず、私が望んだものではない」
「えっ……」
冷酷な表情を浮かべながらレオポルトはそう吐き捨てる。
その一言で絶望したような表情を浮かべたメイアの頭上に刃が落ちる。
風切り音とともに最後の紅い花が散った。
数か月後、イルガンティア王国はついに隣国との戦争に勝利を収める。
英雄として国民から絶大な人気を誇ったアリスは最終決戦を終えて愛機とともに王都に凱旋する。そして正体を明かしたレオポルトからプロポーズを受けることとなる。
それからひと悶着あったがふたりは結ばれることとなり、アリスは平民として初めて王妃となった。
レオポルトとアリスの恋愛劇はのちに物語として国民に愛され続け、後世まで語り継がれることになる。その名も『イルガンティアの英雄』。
その物語ではレオポルトとアリスの人気が高かった一方で満場一致で嫌われる登場人物もいた。
メイア・アクトバーン。
彼女は国を危機に陥れ、王子と英雄の仲を引き裂こうとする悪役令嬢として国民に嫌われ続けた。
「な、なに……? いまのは、ゆめ?」
顔色を青白く染める幼い少女は両手で己の身体をぎゅっと抱え込む。ガタガタと震えが止まらず、大量の汗が流れている。少女を起こしにきたメイドが彼女の尋常でない様子に気づくと血相を変えて大声で叫ぶ。
「だ、誰か医者の手配を! お嬢様が、メイアお嬢様が!」
慌てふためくメイドたちをよそに、幼き少女は小さく呟く。
「アリス……悪役令嬢……レオ様……?」