メイア・アクトバーン。このときわずか三歳の少女はある日、自分の末路を夢に見てしまう。物心がついたばかりのまだ幼い少女には夢の全容が理解できなかったが、このままでは夢のようになってしまうことを漠然と予期していた。
夢を見たショックでその日高熱にうなされたメイアは医者から極度のストレスと診断され、数日間療養することとなる。ようやく体調が回復したとき、メイアの性格は一変していた。それまで親に甘やかされてきて我儘し放題だった彼女が真面目に勉学に勤しみはじめ、メイドへの癇癪もなくなっていた。
最初はメイドたちに不気味がられていたが、メイドたちも次第に大人しくなったメイアに慣れていった。公爵も娘の変貌ぶりに混乱していたが令嬢らしくなったメイアを好意的に受け止めていた。
夢の中のメイアは己の美を磨くことしか興味がなかった。けれどそれでは死の運命から逃れられないと知った少女は他者の言葉に耳を傾け、自分で深く考えることを覚えた。
真面目に勉学に取り組みはじめたメイアは才覚を見せはじめ、六歳の頃には官僚の卵が学ぶような経済学や法学にも手を出すようになる。
「お嬢様の才能は私の手に負いかねます。より高名な学者を呼ぶべきでしょう」
「それほどなのか。あまり学問に精を出されるのも困るが、将来のことを考えれば無理に潰すのは得策ではないな」
娘の隠れた才覚の発露を喜んだ公爵はもっと難しい学問を学びたいというメイアの我儘に応えて様々な学術本を買い与えたり、高名な学者を呼んで講義させたりした。
メイアも公爵の期待に応えるように次々と知識を吸収していき、公爵に呼ばれた学者からも是非自分の教え子にしたいという声が相次いだ。
「お父様、今日はイルガンティア王国の歴史について学びましたわ。ヘイレレス博士が記したレイストの内蔵システムの解析論の考証を先生と話し合いましたの」
「ほう、素晴らしいではないか……ん、それ、歴史……なのか?」
気づけばメイアは十歳の時点でイルガンティア上層部からも注目される存在となっていた。
同時にメイアは公爵家の令嬢としての振る舞いも完璧にこなしていた。勉学に勤しむ傍ら、貴族の流行にも敏感でお茶会では高価過ぎずデザインが凝っている装飾品を身につけ、同年代の令嬢や貴族の夫人から好評だった。
「メイア様がお召しになる宝石はいつもおしゃれですわね」
「なんでもお抱えの腕が確かな若手職人のものだとか。人を見る目もあるだなんて素晴らしいお方だわ」
尤もメイア自身は夢の自分を想起させるような派手な宝石や装飾品を好んでおらず、普段は質素な服装をしていた。
当然メイアの評判は王国の貴族や王族に知れ渡っており、早い段階で婚約の申し込みが殺到する。しかし公爵はメイアを安売りするつもりはなく、メイアを未来の王妃にして将来的に自身が外祖父として王国で権勢を振るうために第一王子であるレオポルトとの婚約を画策していた。
王族側も聡明なメイアを欲しがったが、同時に公爵の権力が増大することも恐れており、レオポルトとの婚約には慎重な姿勢を貫いていた。ところが王族の警戒に反して公爵は婚約の圧力を強めることはなかった。
それは公爵家側の事情があった。ある日、公爵はメイアにレオポルトとの婚約に興味があるかと尋ねる。もしメイアが望むのであればすぐにでも婚約の打診をするつもりであった。しかしメイアはレオポルトとの婚約の話になると顔を青く染めて首を横に振る。
「申し訳ございません。婚約については、あまり……」
「なぜだ? 公爵家の力とメイアほどの器量があれば殿下の婚約者につくことは容易いだろう?」
公爵は何度も説得したがメイアは婚約について首を縦に振ることはなかった。このとき、メイアの脳裏には幼い頃見た夢が鮮明に蘇っていた。
あの夢に登場する自分はレオポルトの婚約者で実家と婚約者の権威を盾に我儘な振る舞いをしていた。あの夢の自分と今の自分が違っていても、婚約が成立すればいずれ夢の自分になってしまうのではないかという恐怖がメイアを襲ったのだ。あの断頭台で見たレオポルトの冷酷な表情が明瞭に蘇る。メイアにとってあの夢はある種のトラウマとなっていた。
夢の自分とかけ離れた人生を送りたい。できるだけ王族に近づきたくない。それがメイアの本心だった。
これまで公爵に反発することがなかったメイアがここまで頑なに抵抗するとは思わなかった公爵は結局結婚適齢期になるまで婚約を保留することで折れることとなった。公爵としては無理矢理にでも婚約に持ち込むことも可能だったが、愛する娘の才能を潰すような真似をとることはできなかったのだ。
公爵の温情を受けたメイアは今まで以上に勉学に専念するとともに、ある時期から体力作りにも手を出しはじめていた。
(もしあの夢が未来を暗示していたのなら遠くないうちに戦争が起こる。夢だとアリスという少女がこの国を救ってくれたけど、現実であの子が本当に現れるかはわからない。あの子がいなければ間違いなく王国は滅びるでしょうね。特にあの皇帝なら尚更容赦しないでしょうし)
最近、西の隣国ザルガイマータ帝国が代替わりした。皇帝が急逝し、若い第二皇子が後を継いだのだ。
病弱だった第一皇子はすでに亡くなっており、目下のライバルと思われていた第三皇子も皇帝が亡くなる数日前に謎の死を遂げていた。
軍部との繋がりが強いと言われていた第二皇子は軍部を統括する将軍らに支持されて皇帝の座に就くと、レイストの大量生産をおこなうなど積極的な軍事産業の投資を始めた。
皇帝となった第二皇子──クェーサー・アダモニクスは以前から黒い噂が絶えない人物らしい。
温和だった前皇帝の子とは思えないほど残虐な性格かつ同時に人心掌握にも長けており、彼の狂信者は多かった。かなりの嗜虐的な性格の持ち主で気に入らない付き人を毒蛇が大量に放り込まれた浴槽に沈めたという噂もあるくらいだ。
皇帝就任に伴い、帝国はクェーサー派に牛耳られ、政策もそれまでの穏健なものから軍事的なものへ大きく転換される。明らかに将来的な侵略を意識してのものだった。
このままでは夢のように戦争が起きることは避けられない。夢でのメイアは戦争が起きているにもかかわらずまるで他人事のように贅沢を続けていたが、今のメイアにとって愛する国や家族、使用人を喪うことを考えるだけでも辛かった。
「わたくしだって死にたくない。でもみんなが苦しむ中、ひとりだけ安全なところで救世主の出現を祈るだけの人生も嫌……」
「お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」
メイアの専属侍女であるクララが心配そうにメイアを覗き込む。夢の中だと彼女はメイアの癇癪の犠牲となり屋敷を追われた。その後どうなったかメイアは知らない。いや知ろうとしなかった。
けれど今のクララは周囲が気味悪がる中で最初にメイアの変化を受け入れてくれた。親身にメイアに寄り添うその姿にいつしかメイアも心を許していた。
「クララ、教授を通じて軍部のルイス様に手紙を出すわ。くれぐれもお父様に悟られないように」
「かしこまりました」
メイアは筆をとり、とある願いを手紙にしたためる。ようやく書き終えるとそれまであった肩の重みがとれた気がした。
(もしこの願いが叶うのならば……)
「お嬢様、その、表情が……怖くなってます」
「ごめんなさいね。怖がらせるつもりはなかったの。ただ、そうね。ちょっと気負っているかもしれないわ。いつものミルクティーお願いできる?」
「仰せのままに」