防衛任務はシフト制だ。今日は自分の隊の出勤日だったので、他の隊が居るか確認しようとした時、見慣れたアサギの名前の入ったスケジュールが綺麗に白紙へと変わっていた。
(シフトからアサギの名前が消えてただけじゃない……綱手さんに担ぎ込まれてたなんて、心配するに決まってるじゃねぇか)
学校で聞いても、アサギが突然シフトから消えた理由を知っている人はいなかった。けれど、人伝に「アサギが綱手さんに担ぎ込まれた」という噂を聞いてしまい、居ても立っても居られずに足は自然とボーダー本部の医務室向かっていたのだ。
(突然押しかけたら迷惑か?)
そもそも本部じゃなくて家にいる可能性もあるんじゃないか、と今更ながら余計なことが頭をよぎる。
(休まなきゃいけない時に、アタシが押しかけたら余計に疲れさせちゃうんじゃ)
廊下の角を曲がると、医務室の扉が見えてきた。思わず足を止める。 行きたい。顔を見てどうしているのか一目だけでも、けど、アタシの「心配」っていうエゴで、アサギの邪魔をしたくない。
「アサギ」
漏れた呟きは、静かな廊下に虚しく消えた。ドアの前で立ち尽くし、何度もノックしようと手を伸ばしては、寸前で引き戻してしまう。
(やっぱり、帰ったほうがいいのかな。ちゃんと休めるように)
そう思って、諦めて足を取り戻そうとした、まさにその時だった。
「そんなところで何をしている」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこにはボーダの医療班長の綱手さんが立っていた。
「アサギ、いますか?」
口が勝手に動いていた。迷惑になるかもしれないという迷いと、それでもアサギに会いたいという想いが交錯する。
「アサギは居るが、面会はできん」
綱手さんの短い一言に、やっぱり来ないほうがよかったのか、肩を落とすが綱手さんは、「だが」と言葉を続ける。
「今は念のため絶対安静だ。全く、余計な心配を掛けさせる厄介なやつだ。アサギが元気になったらまた――」
綱手さんがそう言って光を促し、医務室をあとにさせようとした、その時だった。
「綱手さん、待って!」
中から、聞き覚えのある声が響いた。直後、扉が内側からスライドして開く。
「アサギ! まだ休めと言っているだろう!」
「だって、光さんの声が聞こえたから」
「アサギ、そのメガネ」
「あ、うん……。昨日からこれをつけてるんだ。すごいよね、おかげで普通に視えるよ」
いつもと違う黒縁のメガネを少し気恥ずかしそうに指で押し上げながら、アサギは困ったように笑ってみせる。
そして、険しい顔で自分を睨みつけている綱手さんを見上げて、ねだるような視線を向けた。
「綱手さん、お願い。光さんと少しだけ、話させてよ」
「お前というやつは、口で言っても本当に分からないようだな」
綱手さんは溜息をつき、頭を押さえてやれやれと首を横に振った。だが、それ以上は強く拒絶せず、仕方がないといった様子で一歩身を引いてくれた。
「長居したら、窓から放り投げるからな」
「ありがとう綱手さん!」
(やっぱり、無理して出てきてくれたんだ。私の声が聞こえたからって)
結果としてアサギに会うことはできた。けれど、目の前の彼を見るたび、強い心配と申し訳なさが込み上げてくる。
アサギに「中に入って」と促されるまま、医務室へ静かに足を踏み入れた。ベッドの脇に立ち、少しだけ視線を低くして、そっとアサギに問いかける。
「学校、休んでるんだってな」
努めて明るい声を作ろうとしたが、緊張と遠慮のせいで少しだけ声が掠れてしまった。
「連絡できずにごめんね、色々忙しくて」
黒縁のメガネを指先で少し気恥ずかしそうに直しながら、アサギはいつものように柔らかく笑う。
「綱手さんに運び込まれたって聞いた」
「あ、それも知っていたんだね」
少し驚いたようにアサギが丸い目を瞬かせる。
「結構噂になっている」
「まあ、そうだよね……」
その顔には明らかに「隠しておきたかった」という色が滲み出ている。一呼吸置き、彼の目を見つめてまっすぐに踏み込んだ。
「何があったんだ?」
「正直、俺も原因はまだわかってないんだよね」
「わからない?」
「うん。今、綱手さんとか扉間さんが調べてくれている段階。まだ、これといった手掛かりがなくてさ」
アタシはそういう難しいことは考えられない。多分アサギは不安でしょうがないかもしれない。ここでアタシが暗い顔をしても余計な心配をかけさせるだけだ。
「変な心配かけさせて、ごめんね」
申し訳なさそうな顔のアサギを見て、慌てて首を横に振った。心配なのは本当だ。アタシはただ、一目見れればよかった。そう、それだけよかった。
「アタシはいいんだ」
「よくないよ。わざわざ来てくれたんでしょ」
「そりゃ、あんな話聞いたらな」
アサギが急にシフトから消えて、倒れたなんて聞かされたら、じっとしていられるわけがなかった。自分の想いをそのまま口にするのは恥ずかしくて言葉を濁した。
「来てくれて嬉しかった。ありがとう、光さん」
「……っ」
黒曜石のような綺麗な瞳で感謝を伝えられ、顔が熱くなる。アサギはスチール棚に手を伸ばすと、そこに置かれていた小袋を手に取って差し出した。
「これ、この間のお返し」
「せんべい?」
「そ。ボーダーのスポンサーさんからもらったから、お裾分け」
「スポンサーに知り合いがいるのか」
「うちはコーポレーションだよ、親戚沢山いるからねそのつながり」
以前学校で、悩んでいたアサギにあげた物がこうして返されると嬉しい。それが思いを寄せている人なら、尚更。
「ありがとな!」
その好意に答えるように袋を受け取ると、アサギはどこかホッとしたように息をつき、少し真面目な顔になって言葉を続けた。
「防衛任務に出られなくて本当にごめん。影浦さんたちにもよろしく言っておいて」
「伝えとく。みんな心配してたからさ」
「近いうちに顔出すよ。学校は明後日には行けるから」
「ほんとか!? よかった〜!」
安堵と嬉しさが爆発して、表情が緩む。さて、そろそろ帰らないとアサギが窓から投げられるから、戻るとしよう。席から立ち上がって医務室の扉を開けた。
扉が閉まる直前、もう一度だけアサギの顔を盗み見た。少し前髪がのびて、黒縁のメガネ越しに見える柔らかい目元。いつもと違う知的でどこか儚げな雰囲気が、気持ちが落ち着かなくなる。
(っていうか、メガネ姿のアサギ、反則的にかっこよすぎだろ!!)
手の中にはアサギからもらったせんべいの袋。いつもと違う「イメチェン」の破壊力。今はこの気持ちをバレるにはいかない。
「じゃあな!アサギ! 無理すんなよ!」
逃げるように医務室をでると、緊張感が落ち着いてきた。足取りはすっかり軽くなり隊室へと向かっていた。
〇〇〇〇
影浦隊の隊室へ戻ると、部屋の隅にあるコタツの周りに集まって、それぞれの時間を過ごすメンバーの姿が目に入った。
「光ちゃん来た。おかえり〜」
「アサギさん、いたの?」
声を掛けたのは、ユズルとゾエだった。教科書を広げたり、それぞれ作業をしながら時間を潰していた。
「医務室にいた」
「大丈夫だったの?」
「元気そうだった。今は念のため休んでるだけだってさ」
「そっか。学校も休んでいるから心配したけど……よかったね」
ユズルもアサギに可愛がられている。その先輩を心配するのは当然だ。けど!アサギのあの姿を見せられたからには! 全員に言いふらさないと気が済まない!
「それと…アサギが」
「うん」
「メガネを掛けていた!!」
「えっ? メガネ……? やっぱり視力の影響なのかな」
ユズルが眉をひそめ、真面目な顔で心配そうに呟く。だが、アタシの意識はすでに別のベクトルへ突っ走っていた。コタツに身を乗り出し、言葉を続ける。
「いや! それよりもアサギ、やっぱりなんでも似合うな! もっとアサギの良さが知らしちまったじゃねぇか!」
「心配よりメガネのほうかよ!」
奥から、ずっと黙って話を聞いていたカゲが呆れたように怒鳴り散らす。でも、重かった空気がすっかり無くなって、いつもの賑やかさが戻って嬉しくて、笑ってごまかした。
「あ、そうだ! 思い出した! これ、アサギからもらったんだ」
「あ、スポンサーのところの……」
手に持ってた小袋をテーブルに置く。パッケージに刻まれた「うちはせんべい」の文字と綺麗な和柄の包装を見て、ユズルが興味深そうに手を伸ばす。
「アサギが『みんなにもよろしく』って、お裾分けしてくれた」
人数分あるので、各自一枚取るとカゲがふと思い出したように、しゃべり始めた。
「そういや……さっき、廊下に扉間のおっさんとうちはの人がいたな」
「一瞬、アサギくんの兄弟かと思ったもんね」
「えっ!? アタシ見てない! どんな人だった!?」
「そりゃお前、あの時いなかったからな。どんなふうに似てたんだ?」
カゲに振られたゾエが、せんべいを一口かじり、記憶をたどるように天井を見上げる。
「うーん……黒髪で、黒目で。全体的に顔のパーツが綺麗に整ってたかな」
「それ、まんまアサギじゃねぇか」
うちはの誰を出すかはあらかた決めました。お気に入りや投票ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。