DEATH NOTE ~新世界のバカ~ 作:Monutaka
その日、夜神月は空から黒いノートが落ちてくるのを見た。
授業中だった。
窓の外を眺めていた月の視線の先で、ノートは校庭へ向かって落下していた。
ところが、地面に着く寸前、強い風が吹いた。
ノートはふわりと浮き上がり、校庭を横切って、学校の外へと飛ばされていった。
「……?」
月はわずかに眉をひそめた。
放課後、気になってその辺りを探してみたが、ノートは見つからなかった。
誰かが拾ったのだろう。
月はそれ以上気にせず、帰路についた。
このとき月は知らなかった。
自分が拾い損ねたものが、世界の運命を左右する恐るべきノートだったことを。
そして、それを拾った人間が――
**よりにもよって、バカだったことを。**
◇ ◇ ◇
馬神鹿斗(ばがみ・しかと)二十二歳。
無職。
本人は自分を天才だと思い込んでいる。
その日、鹿斗は古本屋で漫画を立ち読みした帰りだった。
「ふあぁ……」
あくびをしながら住宅街を歩いていると、道路脇に黒いノートが落ちているのを見つけた。
「ん?」
拾い上げる。
表紙には白い文字が書かれていた。
*DEATH NOTE*
「…………」
鹿斗はしばらく眺めた。
「……デスノート?」
奇跡的に読めた。
ゲームで見た単語の知識が、奇跡的に役立った瞬間だった。
表紙を開く。
英語の文章が並んでいる。
鹿斗は一行目を見て、静かにノートを閉じた。
「……読めねえ」
そのまま持って帰ることにした。
何となく格好いいノートだったからだ。
しばらく歩いたところで、鼻がむずむずした。
「……ずずっ」
鼻水が垂れてきた。
ポケットを探る。
ティッシュはない。
鹿斗は手にしていた黒いノートを開いた。
ビリビリッ。
一ページを破り取る。
「ふーーーんっ!!」
思い切り鼻をかんだ。
丸めた紙をポケットへ押し込み、何事もなかったように歩き出す。
――デスノート。
名前を書かれた人間を死に至らしめる、死神のノート。
その記念すべき最初の用途は、鼻紙だった。
◇ ◇ ◇
五日後。
「……おい」
馬神家の二階。
ゲームに夢中になっていた鹿斗の背後から、低い声が響いた。
「ん?」
振り返る。
そこには、黒い翼を広げた異形の存在が浮かんでいた。
「よう。俺は死神のリュークだ」
「…………」
鹿斗は硬直した。
リュークが不気味に笑う。
「ククク……驚いたか?」
「う……」
「う?」
「うわああああああああああっ!!」
鹿斗は椅子から転げ落ちた。
「母ちゃああああん!! お化けええええ!!」
「お、おい!」
階段を駆け上がる音がした。
母親がドアを開ける。
「鹿斗! 何騒いでんの!」
「母ちゃん! あそこ! あそこに化け物!!」
母親は部屋を見渡した。
「……何もいないじゃない」
「いるだろ!! 黒くて羽の生えたやつ!!」
「…………」
母親はしばらく息子を見つめた。
「……鹿斗」
「何!?」
「……あんた、ちゃんと寝てる?」
「寝てるよ!! 昨日なんか十二時間寝たわ!!」
「……そう」
母親はますます心配そうな顔になった。
「ゲームもほどほどにしなさいよ」
そう言い残して、ドアを閉めた。
鹿斗は呆然とした。
背後から、笑い声が聞こえる。
「クククク……」
「笑ってんじゃねえよ!!」
リュークは腹を抱えていた。
「いやあ、面白えな、お前」
「何なんだよ、お前!」
「だから死神だって。五日前にノート拾っただろ?」
「……ノート?」
「黒いやつだよ」
鹿斗は机の端を見た。
「ああ、あれか!」
「そうだ」
「鼻かんだやつ!」
「…………」
リュークの笑いが止まった。
「……鼻?」
「うん。あれ、紙がちょっと硬かったわ」
「…………」
リュークは机の上のノートを見た。
確かに、一ページ減っている。
「……お前、デスノートで鼻かんだのか?」
「だってティッシュなかったし」
「…………」
リュークは初めて、人間界にノートを落としたことを少し後悔した。
◇ ◇ ◇
「いいか。このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」
リュークは説明を始めた。
「ただし、相手の顔を知っていなければならない。名前だけじゃ駄目だ」
鹿斗は真剣に聞いていた。
「なるほど……」
「分かったか?」
「つまり……」
「おう」
「……名前を書けば死ぬ?」
「そうだ」
「すげえ!!」
鹿斗は目を輝かせた。
「マジかよ! 俺、すげえもん拾っちゃったじゃん!」
「ククク……そうだな」
リュークは少し安心した。
ようやく、まともな反応が返ってきた。
「でもさ」
「ん?」
「これ、鉛筆でもいいの?」
「ああ。文字が読める状態で残れば、何で書いてもいい」
「消しゴムで消したら生き返る?」
「生き返らねえ」
「修正液は?」
「生き返らねえ」
「じゃあ、間違えて書いたら?」
「名前を間違えたら死なない」
「何回まで?」
「……何回?」
「間違えていい回数」
リュークは少し考えた。
「四回だ。ただし、わざと間違えるのは別だぞ」
「四回!?」
鹿斗は驚いた。
「結構チャンスあるじゃん!」
「……チャンス?」
「俺、漢字苦手だからさ!」
「…………」
リュークは、妙な胸騒ぎを覚えた。
しかし、そのとき。
鹿斗が急に真剣な顔になった。
「……なあ、リューク」
「何だ?」
「これ、本当に人を殺せるんだよな?」
「ああ」
鹿斗はノートを見つめた。
「だったら……悪い奴、全部殺せるじゃん」
リュークは目を細めた。
「……ほう」
「ニュース見てるとさ、ムカつく奴ばっかりなんだよ。人を殺したり、子供をいじめたり、金を騙し取ったり……」
鹿斗は拳を握った。
「警察だって全部捕まえられねえし、捕まえてもすぐ出てくる奴がいる」
「……それで?」
「俺が裁く」
その声には、奇妙な確信があった。
「悪人がいなくなれば、みんな安心して暮らせるだろ?」
リュークは口元を歪めた。
(……なるほどな)
ただの間抜けかと思っていたが、考えていることはずいぶん過激だった。
人間の正義感というものは、時に恐ろしい方向へ向かう。
この男も、案外面白いことを始めるかもしれない。
「……それで、悪人を裁いた後はどうする?」
鹿斗は立ち上がった。
黒いノートを高々と掲げる。
「決まってんだろ!」
リュークを見据え、堂々と宣言した。
「**俺が新世界の神になるんだ!!**」
リュークは笑った。
「クククク……面白え!」
退屈しのぎのつもりで落としたノート。
それが、思いがけない野望を持つ人間の手に渡った。
これは楽しめそうだ。
「じゃあ、まず誰から裁く?」
リュークが尋ねる。
鹿斗はテレビの時計を見た。
午後十時五十八分。
「あっ、やべ!」
「……ん?」
「十一時からアニメだった!」
鹿斗は慌ててリモコンを取った。
「おい、裁きは?」
「明日!」
「……明日?」
「今日はもう遅いだろ!」
「…………」
鹿斗はテレビの前に座り込んだ。
「よっしゃ、間に合った!」
リュークは黙っていた。
「……おい」
「何?」
「新世界の神になるんじゃなかったのか?」
「なるよ」
鹿斗は画面から目を離さず答えた。
「じゃあ、何で今やらないんだ?」
「だってこのアニメ、今日最終回なんだよ!」
「…………」
「世界の平和は明日から!」
リュークはしばらく、その後ろ姿を眺めていた。
そして、ゆっくりと天井を仰いだ。
(……まあ、いい)
たった一日だ。
明日から始めればいい。
人間の寿命は短いが、それでも一日くらいなら大した違いはない。
そう自分に言い聞かせた。
そのとき、階下から母親の声が響いた。
「鹿斗ー! お風呂入りなさーい!」
「あとでー!」
「昨日もそう言って入らなかったでしょ!」
「明日入るって!!」
「毎日それじゃない!!」
リュークは、鹿斗を見た。
鹿斗はテレビを見ながら笑っていた。
「…………」
死神はまだ知らなかった。
**馬神鹿斗という男にとって、『明日から本気出す』とは、何もしないことを意味する言葉なのだと。**