魔女は実在する   作:ベータテストマン

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ルフィ視点


04

■

 ルフィは、腹が減っていた。

 小舟の上で仰向けに寝転がり、麦わら帽子で顔を覆っている。空は青く、雲はのんびり流れ、波は穏やかだ。

「腹減ったなァ……」

返事はない。当たり前だ。この小さな舟にはルフィ一人しか乗っていない。

仲間が欲しい。海賊王になるには、最低でも十人は必要だ。船には船長と、剣士と、航海士と、狙撃手と、コックと、音楽家がいる。それがルフィの考えるいい海賊団の条件だった。

だが、今は一人だ。

「しっかし、なんか静かだな、この海」

ルフィは体を起こして、あたりを見回した。

海賊がいない。

東の海は最弱の海と呼ばれている。それでも時々、海賊船とすれ違うはずだった。ところがここ数日、一隻も見ていない。

代わりに見かけるのは、黒い旗の船ばかりだった。

黒地に、白い魔女の横顔。

魔女教の船だ。

ルフィはその旗を見るたびに首を傾げていた。悪い連中には見えなかったからだ。船員たちは手を振ってくれた。「航海の無事を祈る」と、わざわざ声をかけてきた者もいた。

けれど、ルフィは何となくその船に近づきたくなかった。

理由はわからない。ただ、鼻の奥がツンとするのだ。甘い匂いなのに、嫌な匂い。そういう匂いが、あの黒い船から漂ってくる。

ルフィは考えるのをやめた。腹が減っているときに考え事をすると、もっと腹が減る。

 

夕方、小さな島に着いた。

町の名前はシェルズタウン。海軍の支部がある、そこそこ大きな町だった。

ルフィは舟を桟橋に繋いで町に入った。

食堂を探して歩く。道行く人々は皆、どこか俯いて歩いていた。声を出して笑っている者は一人もいない。

「なんだこの町。みんな元気ねェな」

ルフィは通りがかった食堂の主人に尋ねた。

「おっちゃん、飯くれ!」

「はいよ。……お客さん、旅の人かい?」

「おう! 海賊王になる男だ!」

主人は一瞬固まった。それから慌てて周りを見回し、声を潜めた。

「お客さん、その言葉はあんまり大声で言わない方がいい」

「なんで?」

「この町には、魔女教のハンターさんたちがいるからね」

食堂の隅に、黒い制服の三人組が座っていた。静かに食事をしている。ルフィのことは気にも留めていない様子だった。

「ハンター? 海賊を捕まえる奴らか?」

「そうだよ。ありがたいことに、この町の暴君を倒してくださったんだ」

主人はそう言いながら厨房に引っ込んだ。

その背中が微かに震えているのを、ルフィは見逃さなかった。

 

飯を三人前平らげたところで、ルフィはようやく落ち着いた。

「ふー、食った食った! おっちゃん、うまかった!」

「ありがとうございます。お代は結構です」

「え? いや、払うぞ。金あるし」

「いえ、本当に。魔女教の方から、旅人さんには食事を無料で振る舞うようにと通達がありまして」

主人はにこやかに笑っていた。だが、その目は笑っていなかった。

ルフィは何か言おうとしてやめた。代わりに麦わら帽子を深くかぶり直して店を出た。

町外れに広場があった。

広場の中央には、巨大な石像が立っている。斧を構えた屈強な男の像だ。

「モーガン大佐」と台座に刻まれていた。

ただし、その像の首は斬り落とされていた。

台座の下には一枚の板が立てかけられている。

 

『暴君、ここに眠る。魔女教の慈悲により、人々は自由を得た』。

 

ルフィは板の文字をゆっくり読み終えて広場を見回した。

子供たちが広場で遊んでいる。だが石像の周りには誰も近寄らない。大人たちも広場を通るときは足早に通り過ぎる。

誰も石像を見ようとしない。

一人、鎖で繋がれた男が広場の隅に座り込んでいた。

緑の髪。三本の刀を腰に差している。

その男はルフィを見て、ぼそりと言った。

「……おい、お前」

「ん?」

「何をじろじろ見てやがる」

「お前、何してんだ?」

「見りゃわかるだろ。捕まってんだよ」

男は不機嫌そうに言った。ルフィは近づいて男をまじまじと見た。

「お前、名前は?」

「……ロロノア・ゾロ」

「ゾロか。おれはルフィ。お前、強いのか?」

「おれは世界一の剣豪になる男だ」

ルフィは目を輝かせた。

「へェ! いいな、それ! おれの仲間になれ!」

「は?」

「おれ、海賊王になるんだ。お前、剣士だろ? ちょうど剣士が欲しかったんだ!」

ゾロは呆れた顔でルフィを見た。

「お前、頭大丈夫か? おれはここで三日縛られてんだ。ハンターどもに『魔女教に入れ』ってしつこく言われてな」

「入らねェのか?」

「入るかよ、あんな連中」

ゾロの声には強い嫌悪が滲んでいた。

「あいつら、おれをモーガンと同じ目に遭わせるつもりだ」

「モーガンって、あの像の?」

「ああ。あいつは確かにクソ野郎だった。だがあの殺し方は違う」

ゾロは石像を睨んだ。

「あれは見せしめだ。町の人間全員にあの死に様を見せつけた。三日三晩、広場でな」

ルフィは黙って聞いていた。

「それ以来、この町の人間は誰も笑わなくなった。魔女教の連中が町を歩くたびに全員が頭を下げる。感謝してるって言いながらな」

「……ふーん」

「お前、わかってんのか?」

「わかんねェ。けど」

ルフィは鎖を両手で掴んだ。

「お前が嫌な顔してんのはわかる」

ゴムの腕がぐいっと引っ張られた。

ミシミシと音を立てて、鎖が千切れた。

「お、おいお前!」

「よし、取れた! ゾロ、飯食いに行こうぜ! 腹減ってんだろ?」

ゾロは自由になった手首をさすりながら、信じられないものを見る目でルフィを見た。

それから、小さく吹き出した。

「……お前、バカだな」

「なんだとー!」

「いや、いい。気に入った」

ゾロは立ち上がって、腰の刀を確かめた。

「いいぜ、仲間になってやる。ただし条件がある」

「なんだ?」

「おれが世界一の剣豪になる夢を笑うな。笑ったら斬る」

「笑わねェよ! おれの夢も笑われたらぶっ飛ばすからな!」

二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。

その時だった。

 

「おや、これはこれは」

背後から穏やかな声がした。

振り返ると、黒い制服の男が立っていた。先ほど食堂にいた三人組の一人だ。

「脱走ですか、ロロノア・ゾロさん。困りますね」

「……チッ」

ゾロが刀に手をかける。男は両手を軽く上げて苦笑した。

「いえいえ、争うつもりはありません。ただ、貴方にお伝えしたいことがあって」

「なんだ」

「魔女教は貴方のような剣士を歓迎しています。待遇は保証します。月に百万ベリー。魔女教ハンターとして功績を挙げれば昇進も」

「断る」

「そう仰らず」

男はにこにこと笑っていた。

「では、そちらの麦わら帽子の方はいかがですか?」

ルフィは男をじっと見た。

男の笑顔は、人の良さそうな優しい笑顔だった。

だが、ルフィの鼻はあの甘い匂いを嗅ぎ取っていた。

「いらねェ。おれは海賊王になる男だ」

「ほう。海賊王。これはこれは」

男は微笑んだまま、ルフィに近づいた。

「海賊王は素晴らしい夢です。ですが、世界はもう変わりつつあります」

「変わる?」

「ええ。白ひげは倒れました。ビッグ・マムも魔女教の庇護下に入りました。この世界の覇権は、すでに決まりつつあるのです」

男は懐から小さな黒い冊子を取り出した。

「どうぞ。これを読みください。魔女教の福音書です」

ルフィは受け取った。

表紙をめくる。

三行だけ書いてあった。

 

――隣人を愛そう。

――困ったら誰かに相談しよう。

――仲間と助け合おう。

 

「……なんだこれ。いいこと書いてあるじゃねェか」

「そうでしょう。魔女教は愛と助け合いの教えです」

「ふーん」

ルフィは冊子をしばらく見つめて、それから男に返した。

「いらねェ」

「おや」

「だって、お前ら嘘ついてんだろ」

男の笑顔が、一瞬止まった。

「……何故そう思われます?」

「わかんねェ。けど、お前からすげェ嫌な匂いがする。甘ェのに、気持ち悪ィ匂いだ」

ルフィは男をまっすぐに見た。

「ゾロが言ってた。お前らモーガンを見せしめに殺したんだろ」

「……ええ、確かに」

「なんでそんなことした」

「必要だったからです」

男は変わらぬ笑顔で答えた。

「悪を罰することは善です。善を行うために悪を罰する。それが魔女教の教えです」

「でもお前、さっき『愛そう』って書いてあったぞ」

「ええ。隣人を愛そう。私たちはこの町の人々を愛しています」

「じゃあ、なんでみんな怖がってんだ」

男は答えなかった。

その沈黙が、ルフィの質問に対する何よりの答えだった。

ゾロが静かに刀を抜いた。

「おい、麦わら」

「ん?」

「こいつ、斬っていいか」

「ダメだ」

ルフィは手を伸ばしてゾロを制した。

「こいつはまだ何もしてねェ」

「……お前、甘ェな」

「甘くねェ。おれ、もうこいつらがいい奴らじゃねェってわかってる」

ルフィは男に向き直った。

「ご理解感謝します」

男は恭しく頭を下げた。

「では、私どもはこれで失礼します。貴方がたの旅の無事を祈っております」

男は背を向けて歩き去った。

 

その背中が角を曲がって見えなくなるまで、ルフィは動かなかった。

「……行ったな」

「ああ」

ゾロが刀を納めた。

「お前、本当にあいつらと戦う気か?」

「戦う」

ルフィは即答した。

「だって、あいつらムカつく」

「理由が単純だな」

「それが一番大事だろ」

ゾロは苦笑した。

 

その夜、二人は町の宿に泊まった。宿の主人は金を受け取らなかった。理由を聞くと魔女教の通達だという。

布団に入ったルフィは、天井を見つめていた。

ゾロが隣で寝息を立てている。

ルフィは起き上がって窓の外を見た。

町の向こうに海が広がっている。波の音がかすかに聞こえる。

そのとき、ふと枕元の新聞が目に入った。

宿の主人が置いていったものだ。ルフィは何気なくそれを開いた。

一面には大きな見出しが踊っていた。

 

『魔女教、ビッグ・マム海賊団を討伐! 新世界の秩序回復!!』

 

写真が載っていた。

黒い聖堂の前に、白金の髪の少女が立っている。顔ははっきり写っていなかった。ただ、その後ろに無数の人影が並んでいた。

ルフィは新聞のページをめくりながら読んでいった。

三面。五面。八面。

十二面の片隅に、小さな記事があった。

 

『ポートガス・D・エース、海軍へ引き渡し。魔女教、報奨金五億五千万ベリーを受領』

 

ルフィの手が止まった。

しばらく動かなかった。

新聞の文字を、何度も、何度も読み返した。

「……エース」

小さな声が漏れた。

ルフィの兄貴だ。何年も会っていない。海に出てから一度も連絡がなかった。それでも、どこかで元気にやっているだろうと思っていた。

それが、海軍へ引き渡された。

五億五千万ベリーで売られた。

ルフィは新聞をゆっくり畳んだ。

麦わら帽子の影で、その表情は見えなかった。

 

翌朝、ゾロはルフィの様子がおかしいことに気づいた。

笑っていない。

飯を食べている最中も、ほとんど喋らなかった。

「おい、麦わら」

「ん」

「何かあったのか」

「……ゾロ」

ルフィは箸を置いた。

「おれ、行かなきゃなんねェ場所ができた」

「どこだ」

「魔女に会いに行く」

ゾロが目を丸くした。

「魔女教の教祖か? あの虚飾の魔女とかいう」

「ああ」

「何のために」

「エースを取り返す」

ルフィの声は静かだった。

けれどその静けさの下には、ゾロでさえぞくりとするほどの強い強い感情が渦巻いていた。

「あいつは、おれの兄ちゃんを売りやがった」

ゾロはそれ以上何も聞かなかった。

ただ、小さく頷いた。

「付き合ってやる」

「ほんとか?」

「ああ。ただし一つだけ言っておく」

ゾロは真剣な目でルフィを見た。

「あの魔女は、お前が思ってるよりずっとヤバい」

「わかってる」

「いや、わかってねェ。あいつは四皇を二人落とした奴だ。お前が今勝てる相手じゃねェ」

「わかってる。だから強くなる」

ルフィは麦わら帽子を押さえた。

「仲間を集める。世界中の強ェ奴を仲間にする。そして、あいつをぶっ飛ばす」

「……そうか」

ゾロは口の端を少しだけ上げた。

「じゃあ、おれが最初の仲間ってわけか」

「おう! よろしくな、ゾロ!」

ルフィはいつもの満面の笑みを浮かべた。

その笑顔があまりにも眩しくて、ゾロは一瞬目を細めた。

 

二人は宿を出た。

空はよく晴れていた。

港に向かう道すがら、通りの向こうから黒い船の旗が見えた。

魔女教の船だ。

ルフィはその旗をまっすぐに見つめた。

船の甲板に一人の男が立っていた。

望遠鏡でこちらを見ている。

昨日の男とは別人だ。だが、同じあの笑顔を浮かべていた。

見られている。

ルフィはそれに気づいていた。

あの船だけじゃない。きっと、この島のあちこちに魔女教の目がある。

世界中が、あの魔女の目になっている。

……それでも。

ルフィは笑った。

「待ってろよ、魔女」

小さな声で呟いた。

「おれは、海賊王になる男だ」

風が麦わら帽子を揺らした。

遠く、水平線の彼方で誰かが紅茶を飲んでいるような気がした。

甘い匂いがした。

 

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