魔女は実在する   作:ベータテストマン

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■

 

 シェルズタウンの観測員は、ギルバートという名の中年の男だった。

 魔女教の一般教徒の中でも古参に入る。元は東の海の小さな港町で、役所勤めをしていた。真面目で几帳面で、嘘をつくのが下手。だからこそ観測員に向いている。

 その彼が今、聖堂の床に額をつけていた。

「以上が、ご報告です、パンドラ様」

「ご苦労様でした。顔を上げてください」

 ギルバートがゆっくりと顔を上げる。冷や汗が顎の先から滴っていた。

 報告の内容はすべて頭に入っている。

 モンキー・D・ルフィがロロノア・ゾロを解放したこと。福音書を断ったこと。「嘘ついてんだろ」と言ったこと。そして、新聞でエースの記事を見て表情が変わったこと。

「ギルバートさん」

「は、はい」

「貴方は福音書を、麦わらの少年に渡しましたね」

「は……はい。勧誘の手順に従いまして」

「それで、結果は」

「お、お断りになりました」

「そうでしょうね」

 俺は微笑んだ。

「それで構いません。貴方は正しく役目を果たしてくださいました」

 ギルバートの顔から、ほんの少しだけ緊張が抜けた。

 だが、壁際に控えた幹部たちは誰も緊張を解かない。

 彼らは知っているのだ。俺がこういう顔で笑うとき、何かが起きることを。

「ところで、ギルバートさん」

「はい」

「貴方は麦わらの少年に、何を感じましたか?」

「え?」

「感想で構いません。正直にお聞かせください」

 ギルバートは口を開けたまま、しばらく言葉を探した。

「……恐ろしい、と思いました」

「まあ」

「ただの子供のように見えました。ですが福音書を渡したとき、あの目が私を見たのです。まるで、私の中身をすべて見透かすように」

 その声は震えていた。

「彼は私を、嘘をついていると言いました。私は嘘などついていません。魔女教の教えを信じています。ですがあの少年の前では、自分が嘘をついているような気がして……」

 彼はそこで言葉を切った。

「申し訳ありません。支離滅裂で」

「いえ、とても参考になりました」

 俺は頷いた。

 ……やはり、か。

 あの少年は、俺の「虚飾」を本能で嗅ぎ取っている。

 改竄された記憶や書き換えられた認識を、根本的に受け付けないのかもしれない。理屈ではない。あの少年の生き方そのものが、「嘘」を拒むのだ。

 これは使える。そして同時に、危険だ。

 

 紅茶のカップを受け皿に置く。

 カチャリという小さな音が、静寂の中にやけに大きく響いた。

「皆さん」

 俺は幹部たちを見回した。

「麦わらの少年、モンキー・D・ルフィについて、お伝えしておくことがあります」

 大罪司教たちが背筋を伸ばす。

「彼に手を出してはいけません」

 沈黙が落ちた。

「これは命令です。例外はありません。彼の行動を妨害すること、彼の周囲の人間を害すること、彼の船を沈めること。すべて禁止です」

 ペテルギウスが恐る恐る手を上げた。

「パンドラ様。理由をお伺いしても、よろしいのデスか?」

「いいですよ」

 俺は頷いた。

「彼は、私の権能の弱点を知る手がかりになるかもしれないからです」

 空気が変わった。幹部たちの顔に驚愕が走る。

 俺の権能に弱点があるかもしれない。そんな可能性は、彼らの間で一度も口にされたことがなかった。

「弱点、デスか」

「ええ。あくまで可能性ですが」

 隠しても意味はない。俺は正直に言った。

「ですから、まだ彼を殺してはいけません。彼が成長し、私の前に立つまで見守る必要があります」

「しかし、パンドラ様」

 口を挟んだのはシリウスだった。泣きそうな顔で俺を見ている。

「あの少年は魔女教に敵意を持っています。放っておけば、いずれ……」

「ええ。魔女教に牙を剥くでしょう」

「でしたら……」

「ですから、見守ると言っているのです」

 俺が見つめると、シリウスはびくりと肩を震わせた。

「シリウス司教。貴方は私の言葉に、疑問がありますか?」

「い、いえ、決して」

「そうですか。では、一つお聞きしましょう」

 俺は微笑んだ。

「以前、悪魔の実の扱いを好きにして良いと言ったとき、何が起きましたか?」

 シリウスの顔が蒼白になった。

「……殺し合いになりました」

「そうですね。何人死にましたか?」

「七名です」

「では今回、もし誰かが勝手に麦わらの少年に手を出したら、どうなると思いますか?」

「……」

「私がその人を殺します」

 あっさりと告げた。

「ただし、普通には殺しません。『死ぬこと』を許しません。何度殺しても元に戻します。その人は、私が飽きるまで死ねません」

 聖堂に、誰かが息を呑む音が響いた。

 

 これは脅しではない。事実だ。

 隣でマルコが静かに目を伏せた。彼はそれがどういうことかを知っている。かつて彼自身がそうされたのだから。もっとも、今の彼にその記憶はないのだが。

「ご理解いただけましたか?」

「は、はい」

「よろしい」

 俺は手を叩いた。

「では、この件はこれで終わりです」

 誰も動かなかった。幹部たちは全員俯いたまま、石のように固まっている。

 ……少しやりすぎたかもしれない。

 だが、これで麦わらの少年に手を出す馬鹿はいなくなっただろう。

 

 その夜、「大罪の間」で、ライ・バテンカイトスがレグルスに話しかけた。

「ねえ、レグルス」

「……なんだい」

「パンドラ様、あの少年の話をするとき、少し楽しそうだったよね」

「そうかい?」

「うん。いつもの笑顔とは違ったさ」

 レグルスは答えず、しばらく黙って壁を見つめていた。

「……僕は、怖いよ」

「何がさ?」

「パンドラ様に弱点があるという可能性が、だよ」

 ライは目を丸くした。

「なんで? 弱点があった方が……」

「違う」

 レグルスは首を振った。

「パンドラ様が本当に無敵なら、僕たちの安全は保障される。パンドラ様が勝ち続ける限り、僕たちも勝ち続ける権利を持っていられるんだ」

 彼は拳を握りしめた。

「でも、弱点があるなら……いつか負ける日が来る。そのとき、僕たちは――」

 レグルスは言葉を切った。ライは少し考えて、肩をすくめる。

「そのときはそのときだよ」

「君は気楽だね」

「まあね。俺たちは腹が満たされりゃ、それでいいのさ」

 二人はそれ以上、何も話さなかった。ただ、同じ不安を胸の奥に抱えていることだけは、互いにわかっていた。

 

 同じ頃、俺は一人、聖堂の窓辺に立っていた。

 夜の海を見つめながら、頭の中でいくつかの可能性を組み立てる。

 麦わらの少年に手を出さない。これは決定事項だ。

 だが、「手を出さない」ことと「何もしない」ことは違う。

 たとえば東の海。あの海域には今、魔女教の影響力が大きく及んでいる。ハンターたちが町を巡回し、海賊を狩り、民衆に福音書を配っている。

 少年はこれから、その中を旅することになる。

 彼は何を見るだろう。

 人々の怯えた笑顔。見せしめにされた死体。感謝の言葉を強要される日常。

 それはすべて事実だ。何も偽っていない。

 そして少年は、それを見るたびに魔女教への怒りを募らせていくだろう。その怒りが、彼を強くする。

「……面白いですね」

 小さく呟いた。

 敵を育てる。普通なら愚策だ。だが、俺の場合は違う。

 弱点を見つけるために、敵を最強にまで育てる。そして、その敵が俺の弱点を突いてきたとき、それが本当に弱点なのかを確かめる。

 弱点なら、そこで対処する。弱点でないなら、そのとき少年は俺の最高の仲間になる。

 どちらに転んでも損はない。

 ……この考え方は、たぶん性格が悪い。だが、悪が覇権を取るには、このくらいでちょうどいい。

 

「マルコさん」

「なんだよい、パンドラ様」

 マルコが音もなく現れた。

「東の海の配置を見直してください」

「見直す、ってのは」

「ハンターの人数を減らします。麦わらの少年の航路に沿って、巡回を最小限にしてください」

 マルコがわずかに眉を寄せた。

「減らすのかよい?」

「ええ。ただし、完全にはなくしません。あくまで『偶然』を装います」

 窓の外を見たまま、俺は続けた。

「少年が立ち寄る町では、魔女教の一番酷い部分を見せます。ただし、手は出しません。直接接触させず、ただ見せるだけです」

「見せるだけ、か」

「ええ。それだけで十分です」

 マルコはしばらく考えて、静かに頷いた。

「わかったよい。すぐに手配する」

 深く頭を下げる彼に、俺はふと思い出して付け加えた。

「それと、もう一つ。新聞社に指示を出してください。海軍にも話を通しておきましょう」

「何をだよい」

「麦わらの少年の懸賞金を、少しだけ上げてください」

「……あの坊主は、まだ大したことはしてねェよい」

「ええ。ですから、嘘の記事を書かせます」

 俺は微笑んだ。

 

『麦わらのルフィ、海軍基地を襲撃、大佐を殺害』

 

 マルコの眠たげな目が、わずかに開いた。

「だが、あれは……」

「モーガン大佐の死体は広場にあります。魔女教が殺したものです。ですが、新聞では少年が殺したことにします」

 これも虚飾だ。

 事実をほんの少しだけずらす。それだけで世界は少年を「危険な海賊」だと認識する。

 少年は懸賞金と敵と注目を背負い、それらを糧に強くなる。

「少年はこれから、海軍に追われる身になります。世間の目には、魔女教にも追われているように映るでしょう。それでも彼は進むはずです」

 窓ガラスに手を当てると、ひんやりとした感触が指先に伝わった。

「その結果、少年が私のところまで来られたなら――」

 窓に映る自分の顔が笑っていた。

「そのときは、全力でお相手いたしましょう」

 マルコは黙って頭を下げた。その肩が小さく震えている。恐れなのか敬愛なのか、俺にもわからなかった。

 

 翌朝、東の海のすべての新聞の一面に、大きな見出しが踊った。

 

『モンキー・D・ルフィ、懸賞金三千万ベリー 海軍大佐殺害の容疑』

 

 小さな顔写真が載っていた。麦わら帽子の少年の笑顔だ。

 東の海の人々は、それを見て口々に囁いた。

「あの子が……」

「怖いわねェ」

「魔女教の方々が早く捕まえてくださるといいんだが」

 ただ、一部の人間だけは違う反応を見せた。

 シェルズタウンの食堂の主人は、新聞を静かに畳み、そっと厨房の奥に隠した。

「……ありがとうよ、坊主」

 誰にも気づかれないよう、一人で小さく呟く。

 あの日、少年が笑って「うまかった」と言ってくれたことを、彼は一生忘れなかった。

 その言葉は、魔女教の目の届かない厨房の奥で、小さく消えた。

 

 俺は聖堂の大きな椅子に深く座っていた。

 紅茶はすっかり冷めている。それでも一口飲んだ。

 冷めた紅茶は、少し苦かった。

「……ルフィ」

 名前を口の中で転がしてみる。

 原作の主人公。海賊王になる男。ゴムゴムの実の、いや、ニカの持ち主。

 そして、俺の敵。

「いつか、お会いしましょう」

 小さく微笑む。

 その笑顔が何のためのものなのか、俺自身にもよくわからなかった。

 

 




色々と見返して調整したり書き直したりしました。
感想ありがとうございます。
最終章まで書き終わっております。
30話くらいで終わります。(追加やもう少し書きたいことできたら変わると思われ)
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