キャスターを召喚したら悪魔博士が来たんだが   作:晃晃

1 / 1
第一話 俺は悪魔博士だよ

どうやら、俺は何かを間違えたらしい。

 

目の前の男を見て、まずそう思った。

 

「……おい、聞いとるのか?」

 

緑色のマント。

 

鈍い光沢を放つ、灰色の甲冑。

 

そして、顔のすべてを覆い隠す鉄仮面。

 

男は、そんな奇妙な格好で俺の前に立っていた。

 

いや、格好だけならまだいい。

 

問題は、その口調である。

 

「おみゃあ、さっきから黙っとるけど、俺が何言っとるか分からんのか?」

 

名古屋弁だった。

 

どう聞いても、名古屋弁だった。

 

……おかしい。

 

俺の知る限り、英霊とは過去に偉業を成し遂げ、死後もなお人々の信仰を集める英雄たちのことだ。

 

もっとも、英雄という定義には悪人も含まれるらしいが。

 

ともかく。

 

そんな存在を呼び出す儀式を、俺はつい先ほど執り行ったはずなのだ。

 

ところが、いざ出てきたのはこれである。

 

「おい!」

 

「……あ、はい」

 

「何が『はい』だ! 人が聞いとるのに、ぼさっとしてからに!」

 

いきなり叱られた。

 

俺が召喚したサーヴァントに。

 

何だ、この状況は。

 

「いや、すみません。少し混乱してまして」

 

「混乱? 何を混乱することがあるんだね?」

 

「そりゃあ……」

 

俺は男の姿を改めて眺めた。

 

鉄仮面の目元には、細長い二つの穴が開いている。

 

その奥は暗く、表情はまったく窺えない。

 

マントは肩から床近くまで垂れ下がり、両腕には無骨な金属製の手甲が装着されていた。

 

安っぽい衣装ではない。

 

少なくとも、近所の量販店で買えるような代物ではないだろう。

 

となれば、この男は本当に――。

 

「あの、確認したいんですけど」

 

「なんだね?」

 

「あなた、サーヴァントですよね?」

 

「何を言っとる! 俺を呼び出したのはおみゃあだろうが!」

 

ごもっともである。

 

「クラスは?」

 

「キャスターだとよ」

 

「……キャスター」

 

魔術師のクラス。

 

なるほど。

 

それなら、この奇妙な格好にも一応の説明はつく。

 

魔術師というものは、元来、世間一般の常識から少々外れた存在なのだ。

 

実際、俺の父親もそうだった。

 

もっとも、あの人の場合は魔術師としての能力より、奇人としての側面が際立っていた気もするが。

 

「それで、あなたの真名は?」

 

「名前かね?」

 

「ええ。サーヴァントには真名があるはずですから」

 

その問いを聞いた瞬間、男は妙に嬉しそうな様子を見せた。

 

鉄仮面だから、もちろん表情は分からない。

 

ただ、両手を腰に当て、胸を大きく張ったので、恐らくそうなのだろう。

 

「おー、そうかそうか! 俺の名前が知りたいというわけだな!」

 

「はあ」

 

「よろしい! だったら教えてやろう!」

 

男は一歩前へ踏み出した。

 

金属製の靴が床を叩き、がしゃり、と重たい音を立てる。

 

「よぉく聞いとけよ! 俺は世界一の天才科学者にして、世界征服を目指す男!」

 

……世界征服?

 

「その名も、悪魔博士だよ!」

 

しん、と。

 

作業場に静寂が訪れた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……悪魔博士?」

 

「そうだよ!」

 

男は満足げに頷いた。

 

「どうだ、バッチリした名前だろうが!」

 

何がバッチリなのかは分からない。

 

だが、それ以上に。

 

悪魔博士。

 

その名前には、奇妙な聞き覚えがあった。

 

確かに、どこかで聞いたことがある。

 

そして、この喋り方。

 

緑色のマントに、鉄仮面。

 

何かが、記憶の底で引っ掛かった。

 

「……ちょっと待ってください」

 

「今度はなんだね?」

 

「悪魔博士って、もしかして……」

 

俺は男の顔を見つめた。

 

「……ゴームズ?」

 

途端に、鉄仮面がこちらを向いた。

 

「何!?」

 

その反応で確信した。

 

「宇宙忍者ゴームズに出てくる、あの悪魔博士ですか?」

 

「おお! なんだ、知っとるじゃにゃあか!」

 

男は大きく腕を広げた。

 

「そうだよ! まったく、あのゴームズめ! 今度会ったら、この恨みを晴らしてやらにゃあ気が済まん!」

 

…………。

 

俺は、静かに天井を仰いだ。

 

蛍光灯の白い光が、やけに眩しかった。

 

聖杯戦争。

 

七人の魔術師と、七騎の英霊が、万能の願望機を巡って争う儀式。

 

その参加者として選ばれた俺が呼び出したのは。

 

昔の外国アニメに登場する、名古屋弁の悪役だった。

 

……どうしてこうなった。

 

◇

 

間宮修一。

 

二十四歳。

 

冬木市にある小さな電器店の店員であり、ついでに言えば、その店の経営者でもある。

 

『間宮電器』。

 

商店街の外れにひっそりと建つ、築三十年ほどの古い店だ。

 

表向きは家電の販売と修理を請け負っているが、代々続く魔術師の家系でもある。

 

もっとも、魔術師と言っても大層なものではない。

 

間宮家はせいぜい数代の歴史しか持たず、魔術回路も貧弱。魔術刻印に至っては、父親の代ですでに相当な損傷を受けていた。

 

家伝の魔術は接続と修復。

 

それも、物体の構造や魔力の流れを補助的に整える程度の、地味な術式ばかりである。

 

おかげで俺がまともに扱える魔術といえば、簡単な補強や探査くらいのものだった。

 

父親はそんな家系を何とか立て直そうと、魔術の研究を続けていた。

 

しかし、俺にはどうにも理解できなかった。

 

どれだけ魔術を研究したところで、家の経営が良くなるわけでもない。

 

研究成果を誰かに見せられるわけでもない。

 

それなら、壊れたテレビを一台修理して、お客さんに喜んでもらう方がよほど建設的ではないか。

 

そう考えていた俺は、大学を出た後も家業を継いだ。

 

父親はすでに他界している。

 

店は大きくないし、儲かってもいない。

 

それでも、食べていくには困らなかった。

 

そんな俺の日常が壊れたのは、三日前のことだ。

 

右手の甲に、見覚えのない赤い紋様が現れた。

 

令呪。

 

聖杯戦争のマスターに与えられるという、三画の命令権。

 

最初は何かの間違いだと思った。

 

そもそも、俺は聖杯戦争に参加するつもりなどなかったのだから。

 

しかし、父親の遺した資料を調べるうちに、状況は次第に明らかになっていった。

 

冬木市で、数十年ごとに行われる魔術儀式。

 

七人のマスター。

 

七騎のサーヴァント。

 

そして、最後まで生き残った者が手にする聖杯。

 

願望を叶える奇跡の器。

 

……まったく。

 

誰が考えたのか知らないが、迷惑な話である。

 

令呪が現れた以上、参加する意思がないと言っても安心はできない。

 

ほかの魔術師が俺をどう扱うかは、俺自身にも分からないのだから。

 

そこで、せめて自衛の手段を確保しようと、父親の遺した召喚術式を使ってみることにした。

 

だが、触媒がない。

 

過去の英雄と縁のある品など、普通の電器店に転がっているはずもない。

 

結局、俺は特定の英霊を指定せず、召喚を行うことにした。

 

それが、つい一時間ほど前のこと。

 

魔術回路を起動し、詠唱を終え、魔法陣が輝いた。

 

そして現れたのが――。

 

「おい、マスター! この機械は何だね?」

 

現在進行形で、作業机を物色している鉄仮面の男である。

 

◇

 

「……それはテレビです」

 

「テレビ?」

 

「ええ。映像を見る機械です」

 

「そんなことは分かっとる!」

 

博士は、こちらを振り向きもせずに答えた。

 

「俺が聞いとるのは、この装置の形式だよ! 見りゃあ分かるだろうが!」

 

いや、分かるわけがない。

 

「……ブラウン管式ですけど」

 

「ふむ」

 

悪魔博士は、テレビの裏側を覗き込んだ。

 

そのテレビは、数日前に客から修理を依頼されたものだった。

 

電源を入れると画面が乱れ、時々音声も途切れる。

 

俺は接触不良を疑っていたが、いまだ原因を特定できていない。

 

博士はしばらく何も言わなかった。

 

ただ、鉄の指先を使って、内部の部品を一つずつ確かめている。

 

「……おみゃあ、これは壊れとるな?」

 

「ええ。修理中です」

 

「ふうん」

 

博士は、興味深そうに回路を眺めた。

 

「随分と古臭い方式だのう」

 

「まあ、新しい型ではありませんけど」

 

「新しいとか古いとかいう問題じゃにゃあ!」

 

博士は手を振った。

 

「もっと効率のいい構造にできるだろうが! 何だ、この無駄な配線は!」

 

俺は少しむっとした。

 

「そう言いますけど、そんな簡単なものじゃありませんよ」

 

「ほう?」

 

「部品の規格もありますし、製造コストだってかかります。理論上できることと、実際に商品として作れることは違うんです」

 

博士の手が止まった。

 

「……おみゃあ、技術者かね?」

 

「一応、そうですけど」

 

「ふうん」

 

博士は俺を一瞥した。

 

そして、何事もなかったかのように作業を再開した。

 

「ま、それなら話が早いわ」

 

そう言って、机の上からドライバーを一本取り上げる。

 

「ちょっと借りるぞ」

 

「あ、それは構いませんけど……」

 

博士はテレビの内部を調べ始めた。

 

しばらくして、ある部品を指差した。

 

「こいつだ」

 

「……え?」

 

「ここの接続が不安定になっとる。ついでに、こっちの部品も劣化しとるな」

 

俺は思わず身を乗り出した。

 

博士が示したのは、俺がまだ確認していなかった箇所だった。

 

「……本当ですか?」

 

「疑うんなら自分で調べてみりゃあいい!」

 

言われるままに測定器を持ち出し、慎重に確認する。

 

結果は。

 

「……あ」

 

間違いなかった。

 

博士の指摘した箇所に、明らかな異常があった。

 

「……すげえ」

 

思わず声が漏れた。

 

「何が?」

 

「いや、そこ、俺がずっと調べてたところなんですよ。それなのに、一目見ただけで……」

 

「一目じゃにゃあ。ちゃんと調べたがね!」

 

「……そうですけど」

 

それでも異常だ。

 

分解してから、まだ数分も経っていない。

 

俺が何日も費やしていた作業を、この男はあっさりと終わらせてしまった。

 

「まったく、これくらいで驚いとったらいかんぞ!」

 

博士は得意げに胸を張る。

 

「俺は天才科学者だでな!」

 

……確かに。

 

天才科学者。

 

自称ではないらしい。

 

「ところで、博士」

 

「なんだね?」

 

「このテレビ、直せますか?」

 

「当たり前だろうが!」

 

「じゃあ、お願いします」

 

「……おい」

 

「はい?」

 

「俺に修理させるつもりか?」

 

「ええ。できるんですよね?」

 

博士は、しばらく黙っていた。

 

そして。

 

「……ふん! よぉし、見とれ!」

 

どうやら、自尊心を刺激してしまったらしい。

 

鉄仮面の男は、妙に張り切り始めた。

 

ただし、それから始まった作業は、俺の予想とは少々違っていた。

 

博士は、必要な部品を探すように机の上を見回した。

 

そして、何かに気づいたらしく、俺の方を向く。

 

「おみゃあ、さっきの魔法陣を描いたのは自分かね?」

 

「え? そうですけど」

 

「なるほど。ならば、おみゃあも多少は魔法が使えるわけだな」

 

「魔術です。まあ、多少は」

 

「どっちでもいいがね!」

 

博士は手をひらひらと振った。

 

「魔術と科学を、まるっきり別物だと思っとるから話がややこしくなるんだ!」

 

「……はあ」

 

「よぉく見とけよ」

 

そう言って、博士は右手を持ち上げた。

 

金属製の指先に、小さな光が灯る。

 

俺は息を呑んだ。

 

魔力だ。

 

だが、奇妙だった。

 

少なくとも、俺の知る術式ではない。

 

光は細い線となり、空中に幾何学的な模様を描き始めた。

 

まるで、電子回路の図面がそのまま立体化したかのような光景だった。

 

「……それは?」

 

「簡単な補助だよ」

 

博士は事もなげに答えた。

 

「足りん道具の代わりに、ちょっと使うだけだがね」

 

俺は、その言葉の意味を理解するのに数秒を要した。

 

足りない道具の代わり。

 

魔術を。

 

科学技術の補助として使っている?

 

そんなことが、できるのか。

 

いや、理屈の上では可能かもしれない。

 

だが、この男の術式は、俺の知る魔術体系とどこか違っていた。

 

そうして数分後。

 

博士は作業を終えた。

 

「よし! これでバッチリだ!」

 

テレビの電源を入れる。

 

画面が点いた。

 

音声も正常。

 

先ほどまでの不具合が、嘘のように消えている。

 

「…………」

 

「どうだね?」

 

「……直ってる」

 

「そりゃそうだろうが!」

 

博士は大げさに腕を広げた。

 

「俺様が直したんだぞ!」

 

……なるほど。

 

少しだけ分かった気がする。

 

悪魔博士。

 

奇妙な格好。

 

妙な口調。

 

世界征服を夢見る、どこか間の抜けた悪役。

 

だが、その技術は本物だ。

 

しかも、科学と魔術を同時に扱えるらしい。

 

少なくとも、俺のような三流魔術師とは比較にならない。

 

もしかすると。

 

案外、当たりのサーヴァントを引いたのかもしれない。

 

◇

 

「ところでマスター」

 

テレビの修理を終えた博士が、突然そんなことを言い出した。

 

「おみゃあ、聖杯についてどこまで知っとる?」

 

「……聖杯ですか?」

 

「そうだよ。俺を呼び出した、その聖杯戦争とかいうやつだ」

 

俺は少し考えた。

 

「七人のマスターがサーヴァントを召喚して、最後まで生き残った陣営が聖杯を手に入れる。基本的には、そういう儀式だと聞いています」

 

「ふうん」

 

「聖杯には、あらゆる願いを叶える力があるらしいです」

 

「願いをねぇ……」

 

博士は腕を組んだ。

 

「それで、その聖杯はどこにあるんだ?」

 

「分かりません」

 

「どういう構造になっとる?」

 

「知りません」

 

「誰が作った?」

 

「……それも、詳しくは」

 

「おみゃあ!」

 

博士が突然声を張り上げた。

 

「何も知らんのか!」

 

「仕方ないでしょう! 俺だって好きで参加したわけじゃないんですから!」

 

つい言い返してしまった。

 

博士はしばらく黙っていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。

 

「ふん。まあ、いいわ」

 

「……いいんですか?」

 

「知らんなら調べりゃあいいだけだろうが!」

 

そう言って、博士は作業机の端に置かれていた魔術書を取り上げた。

 

「これが、おみゃあの家に伝わる魔術の本かね?」

 

「ええ。父親が遺したもので……」

 

「ふうん」

 

博士はページをめくる。

 

紙が擦れる音だけが、静かな作業場に響いた。

 

数ページ。

 

十数ページ。

 

博士は驚くほどの速さで読み進めていく。

 

「……おい」

 

「何です?」

 

「この術式、無駄が多いぞ」

 

「……はい?」

 

「ここだよ、ここ!」

 

博士は、ある箇所を指差した。

 

「同じ処理を何度も繰り返しとる。もっと簡単にできるだろうが!」

 

「いや、それは魔力の安定性を確保するためで……」

 

「だから、その安定性を別の方法で確保すりゃあいいだろ!」

 

……簡単に言ってくれる。

 

こちらは代々、その術式を研究してきたのだ。

 

そんな簡単に改良できるなら、誰も苦労しない。

 

「……博士」

 

「なんだね?」

 

「一応、それはうちの家伝の魔術なんですけど」

 

「それがどうした?」

 

「いや、だから……」

 

「おみゃあ、家伝の魔術だからという理由だけで、改良せずに使っとるのか?」

 

俺は口を噤んだ。

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

「だったら問題にゃあ!」

 

博士は、再び魔術書に目を落とした。

 

「何でもかんでも古いものが正しいと思っとったら、進歩できんぞ!」

 

……正論だ。

 

少なくとも、俺には反論できない。

 

魔術の世界では、長い年月をかけて蓄積された研究成果に大きな意味がある。

 

それは理解している。

 

しかし、目の前の男は、そんな伝統にまるで興味がないらしい。

 

重要なのは、術式が何を実現できるか。

 

そして、どうすればそれを改良できるか。

 

ただ、それだけ。

 

「……博士って、もしかして本当にすごい人なんですか?」

 

「何を今さら!」

 

博士は顔を上げた。

 

「俺は最初からそう言っとるだろうが!」

 

そうだった。

 

確かに、そう言っていた。

 

世界一の天才科学者。

 

世界征服を目指す悪魔博士。

 

……世界征服。

 

そういえば。

 

「博士、聖杯を手に入れたらどうするつもりなんですか?」

 

「どうする?」

 

「願いですよ。何かあるんでしょう?」

 

博士の手が止まった。

 

俺は何気なく続ける。

 

「世界征服したいとか、ゴームズに復讐したいとか……」

 

「……ふうん」

 

妙な間があった。

 

博士はゆっくりと魔術書を閉じた。

 

「おみゃあ、ちょっと勘違いしとるな」

 

「……勘違い?」

 

「俺が欲しいものを手に入れるのに、どうして他人に頼まにゃならんのだ?」

 

その声は、不思議と落ち着いていた。

 

「……え?」

 

「世界を征服したけりゃ、自分でやればいい。それだけのことだろうが」

 

何でもないことのように、博士は言った。

 

だが、俺にはそれが冗談に聞こえなかった。

 

「……じゃあ、聖杯はいらないんですか?」

 

「いらんとは言っとらん!」

 

博士は即座に答えた。

 

「何でも願いが叶うというんなら、その仕組みには興味があるでな」

 

「仕組み?」

 

「そうだよ!」

 

博士は、机の上に置かれたテレビを指差した。

 

「おみゃあ、このテレビを見て、映像が映るから不思議だなぁ、で済ませるのか?」

 

「……いえ」

 

「そうだろうが! どうやって映るのか、どんな部品が使われとるのか、調べるだろう?」

 

「まあ、そうですね」

 

「それと同じだよ!」

 

博士は両手を広げた。

 

「願いを叶える力があるんなら、どういう理屈でそんなことができるのか、知りたくなるのが当然だろうが!」

 

俺は、思わず笑いそうになった。

 

いや。

 

そうか。

 

この男は、本当に科学者なのだ。

 

どれほど突拍子もない存在であろうと、まず仕組みを知ろうとする。

 

聖杯すら、研究対象として見ている。

 

そんな発想は、少なくとも俺にはなかった。

 

「……なるほど」

 

「分かったかね?」

 

「ええ。ちょっとだけ」

 

「ちょっとだけか!」

 

博士は不満そうに腕を組んだ。

 

「まったく、これだから素人は困るんだがね!」

 

そして、また魔術書を開こうとして――。

 

ふと、その手を止めた。

 

「……ん?」

 

「どうしました?」

 

博士は答えない。

 

鉄仮面の顔が、ゆっくりと窓へ向けられる。

 

作業場の小さな窓。

 

その向こうには、電器店の裏手に続く狭い路地がある。

 

「……博士?」

 

「おみゃあ」

 

声が、少し低くなった。

 

「ここには、俺たちのほかに誰かおるのか?」

 

「……いえ。今日は俺一人ですけど」

 

「そうかね」

 

博士は立ち上がった。

 

がしゃり、と。

 

甲冑が重たい音を立てる。

 

「何かいるんですか?」

 

「ちょーっと静かにしとれ」

 

博士は窓に近づく。

 

そして、右手を持ち上げた。

 

金属製の指先から、淡い光が漏れる。

 

瞬間。

 

窓の外で、小さな音がした。

 

何かが、地面に落ちたような。

 

「……え?」

 

俺は慌てて窓を開けた。

 

路地には誰もいない。

 

ただ、雨樋の下に小さな黒いものが落ちていた。

 

虫だ。

 

いや。

 

よく見ると、普通の虫ではない。

 

体の表面に、微細な魔術的加工が施されている。

 

「……使い魔?」

 

「そうらしいのう」

 

博士が、俺の背後から覗き込んだ。

 

「おみゃあの知り合いかね?」

 

「違いますよ!」

 

「ふうん。じゃあ、誰かがこっそり覗いとったわけだ」

 

俺は息を呑んだ。

 

聖杯戦争。

 

その言葉が、改めて頭をよぎる。

 

誰かが、俺たちを監視していた。

 

……つまり。

 

すでに、ほかのマスターが動き始めているということか。

 

「……まずいな」

 

「何が?」

 

「敵に見つかったかもしれないんですよ!」

 

「ふん」

 

博士は、あまり気にした様子もなかった。

 

「見つかったからどうしたというんだ?」

 

「どうしたって……!」

 

「おみゃあ、敵がどこにおるかも分からんのに、今から心配してどうするんだね?」

 

……それは、そうだが。

 

「それより、あいつはなかなか面白いぞ」

 

博士は、地面に落ちた使い魔を眺めた。

 

「魔力を使って、小さな生き物の動きを操っとる。しかも、離れた場所へ情報を送れるらしい」

 

「……分かるんですか?」

 

「少し調べただけだがね」

 

博士は、使い魔を拾い上げた。

 

「もっと詳しく調べてみる価値はありそうだのう」

 

その言葉に、俺は妙な違和感を覚えた。

 

この男は、敵の偵察を受けたというのに、まるで珍しい機械を見つけた子供のように興味を示している。

 

恐怖も、焦りもない。

 

ただ、知的好奇心だけがある。

 

「……博士」

 

「なんだね?」

 

「それ、危なくないんですか?」

 

「危ないかもしれんのう」

 

「だったら!」

 

「だから調べるんだろうが!」

 

博士は呆れたように言った。

 

「危ないものだからといって、何も知らんままで済ませるのかね?」

 

俺は黙り込んだ。

 

「どんな仕組みで動いとるのか。何ができて、何ができんのか。そういうことを知らずに、どうやって対処するつもりだ?」

 

「……それは」

 

「分からんものがあれば、まず調べる。調べたら、理解する。理解したら、今度はこっちが利用すりゃあいい!」

 

博士は、手の中の使い魔を見つめた。

 

「簡単なことだろうが」

 

そのとき。

 

俺は初めて、目の前の男に対して奇妙な恐ろしさを覚えた。

 

この男は、自分の知らないものを恐れない。

 

少なくとも、知らないという理由だけでは。

 

それどころか。

 

未知のものに出会ったとき、まず考えるのは、それをどう理解するかということなのだ。

 

相手が敵であろうと。

 

自分より強大な存在であろうと。

 

恐らく、この男にとっては大した違いがないのだろう。

 

その頭脳を使って、観察し、理解し、利用する。

 

ただ、それだけ。

 

……ひょっとすると。

 

本当に、とんでもないものを呼び出してしまったのかもしれない。

 

◇

 

結局、その夜。

 

博士は作業場の一角を占拠した。

 

工具を並べ、魔術書を読み漁り、使い魔の残骸を調べ始めたのである。

 

時折、奇妙な装置の設計図らしきものを描いている。

 

……英霊って、召喚されて早々こんなことをするものなのだろうか。

 

俺は、すっかり冷めてしまったお茶を口に運んだ。

 

時計を見る。

 

午前一時を過ぎていた。

 

いい加減、寝たい。

 

「……博士」

 

「なんだね?」

 

「俺、そろそろ寝ますけど」

 

「おー、そうかそうか」

 

「博士は?」

 

「俺はもう少し調べもんをするでな」

 

「……分かりました。あまり散らかさないでくださいよ」

 

「ふん! 誰に向かって言っとるんだ!」

 

いや、あんたにだよ。

 

そう言いたいのを堪え、俺は立ち上がった。

 

と、そのとき。

 

「おい、マスター!」

 

博士が声を上げた。

 

「……今度は何ですか?」

 

「腹が減ったがね!」

 

…………。

 

「……はい?」

 

「何か食うもんはにゃあのか?」

 

「いや、サーヴァントって食事しなくても平気なんじゃ……」

 

「食っちゃいかんという決まりはにゃあだろうが!」

 

それは、確かにそうだ。

 

「……何が食べたいんです?」

 

「何でもいいわ! ただし、バッチリしたもんを頼むぞ!」

 

……バッチリした食べ物とは。

 

結局、俺は台所に向かい、冷蔵庫の中身を確かめることになった。

 

卵が二つ。

 

食パンが数枚。

 

あとは昨日の残り物くらいか。

 

仕方ない。

 

適当に何か作るか。

 

そんなことを考えながら、ふと作業場を振り返った。

 

博士は、机の上に魔術書を広げていた。

 

その隣には、分解された使い魔。

 

さらに横には、見たこともない幾何学的な図形が描かれた紙。

 

鉄仮面の男は、時折何かを書き込みながら、それらを見比べている。

 

……本当に、何者なんだろうな。

 

そんな疑問が頭をよぎった。

 

だが、その答えを知るのは、もう少し先のことになる。

 

今はただ。

 

自分が呼び出したサーヴァントが、思っていたものとは随分違うことだけが、確かだった。

 

俺は、小さくため息をついた。

 

「……とんでもない聖杯戦争になりそうだな」

 

すると、作業場から声が飛んできた。

 

「おーい! まだできんのか!」

 

「今から作るんですよ!」

 

「何だ、まだ作っとらんのか! 早くしてちょうだい!」

 

…………。

 

前言撤回。

 

とんでもない聖杯戦争になる、ではない。

 

もう、なっている。

 

俺はもう一度、大きなため息をついた。

 

悪魔博士。

 

キャスターのサーヴァント。

 

自称、世界一の天才科学者。

 

……そして、どうやら、相当に面倒くさい男らしい。

 

俺の第四次聖杯戦争は、こうして幕を開けた。

 

少なくとも、平穏な日々とは、しばらく縁がなくなりそうだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。