どうやら、俺は何かを間違えたらしい。
目の前の男を見て、まずそう思った。
「……おい、聞いとるのか?」
緑色のマント。
鈍い光沢を放つ、灰色の甲冑。
そして、顔のすべてを覆い隠す鉄仮面。
男は、そんな奇妙な格好で俺の前に立っていた。
いや、格好だけならまだいい。
問題は、その口調である。
「おみゃあ、さっきから黙っとるけど、俺が何言っとるか分からんのか?」
名古屋弁だった。
どう聞いても、名古屋弁だった。
……おかしい。
俺の知る限り、英霊とは過去に偉業を成し遂げ、死後もなお人々の信仰を集める英雄たちのことだ。
もっとも、英雄という定義には悪人も含まれるらしいが。
ともかく。
そんな存在を呼び出す儀式を、俺はつい先ほど執り行ったはずなのだ。
ところが、いざ出てきたのはこれである。
「おい!」
「……あ、はい」
「何が『はい』だ! 人が聞いとるのに、ぼさっとしてからに!」
いきなり叱られた。
俺が召喚したサーヴァントに。
何だ、この状況は。
「いや、すみません。少し混乱してまして」
「混乱? 何を混乱することがあるんだね?」
「そりゃあ……」
俺は男の姿を改めて眺めた。
鉄仮面の目元には、細長い二つの穴が開いている。
その奥は暗く、表情はまったく窺えない。
マントは肩から床近くまで垂れ下がり、両腕には無骨な金属製の手甲が装着されていた。
安っぽい衣装ではない。
少なくとも、近所の量販店で買えるような代物ではないだろう。
となれば、この男は本当に――。
「あの、確認したいんですけど」
「なんだね?」
「あなた、サーヴァントですよね?」
「何を言っとる! 俺を呼び出したのはおみゃあだろうが!」
ごもっともである。
「クラスは?」
「キャスターだとよ」
「……キャスター」
魔術師のクラス。
なるほど。
それなら、この奇妙な格好にも一応の説明はつく。
魔術師というものは、元来、世間一般の常識から少々外れた存在なのだ。
実際、俺の父親もそうだった。
もっとも、あの人の場合は魔術師としての能力より、奇人としての側面が際立っていた気もするが。
「それで、あなたの真名は?」
「名前かね?」
「ええ。サーヴァントには真名があるはずですから」
その問いを聞いた瞬間、男は妙に嬉しそうな様子を見せた。
鉄仮面だから、もちろん表情は分からない。
ただ、両手を腰に当て、胸を大きく張ったので、恐らくそうなのだろう。
「おー、そうかそうか! 俺の名前が知りたいというわけだな!」
「はあ」
「よろしい! だったら教えてやろう!」
男は一歩前へ踏み出した。
金属製の靴が床を叩き、がしゃり、と重たい音を立てる。
「よぉく聞いとけよ! 俺は世界一の天才科学者にして、世界征服を目指す男!」
……世界征服?
「その名も、悪魔博士だよ!」
しん、と。
作業場に静寂が訪れた。
「…………」
「…………」
「……悪魔博士?」
「そうだよ!」
男は満足げに頷いた。
「どうだ、バッチリした名前だろうが!」
何がバッチリなのかは分からない。
だが、それ以上に。
悪魔博士。
その名前には、奇妙な聞き覚えがあった。
確かに、どこかで聞いたことがある。
そして、この喋り方。
緑色のマントに、鉄仮面。
何かが、記憶の底で引っ掛かった。
「……ちょっと待ってください」
「今度はなんだね?」
「悪魔博士って、もしかして……」
俺は男の顔を見つめた。
「……ゴームズ?」
途端に、鉄仮面がこちらを向いた。
「何!?」
その反応で確信した。
「宇宙忍者ゴームズに出てくる、あの悪魔博士ですか?」
「おお! なんだ、知っとるじゃにゃあか!」
男は大きく腕を広げた。
「そうだよ! まったく、あのゴームズめ! 今度会ったら、この恨みを晴らしてやらにゃあ気が済まん!」
…………。
俺は、静かに天井を仰いだ。
蛍光灯の白い光が、やけに眩しかった。
聖杯戦争。
七人の魔術師と、七騎の英霊が、万能の願望機を巡って争う儀式。
その参加者として選ばれた俺が呼び出したのは。
昔の外国アニメに登場する、名古屋弁の悪役だった。
……どうしてこうなった。
◇
間宮修一。
二十四歳。
冬木市にある小さな電器店の店員であり、ついでに言えば、その店の経営者でもある。
『間宮電器』。
商店街の外れにひっそりと建つ、築三十年ほどの古い店だ。
表向きは家電の販売と修理を請け負っているが、代々続く魔術師の家系でもある。
もっとも、魔術師と言っても大層なものではない。
間宮家はせいぜい数代の歴史しか持たず、魔術回路も貧弱。魔術刻印に至っては、父親の代ですでに相当な損傷を受けていた。
家伝の魔術は接続と修復。
それも、物体の構造や魔力の流れを補助的に整える程度の、地味な術式ばかりである。
おかげで俺がまともに扱える魔術といえば、簡単な補強や探査くらいのものだった。
父親はそんな家系を何とか立て直そうと、魔術の研究を続けていた。
しかし、俺にはどうにも理解できなかった。
どれだけ魔術を研究したところで、家の経営が良くなるわけでもない。
研究成果を誰かに見せられるわけでもない。
それなら、壊れたテレビを一台修理して、お客さんに喜んでもらう方がよほど建設的ではないか。
そう考えていた俺は、大学を出た後も家業を継いだ。
父親はすでに他界している。
店は大きくないし、儲かってもいない。
それでも、食べていくには困らなかった。
そんな俺の日常が壊れたのは、三日前のことだ。
右手の甲に、見覚えのない赤い紋様が現れた。
令呪。
聖杯戦争のマスターに与えられるという、三画の命令権。
最初は何かの間違いだと思った。
そもそも、俺は聖杯戦争に参加するつもりなどなかったのだから。
しかし、父親の遺した資料を調べるうちに、状況は次第に明らかになっていった。
冬木市で、数十年ごとに行われる魔術儀式。
七人のマスター。
七騎のサーヴァント。
そして、最後まで生き残った者が手にする聖杯。
願望を叶える奇跡の器。
……まったく。
誰が考えたのか知らないが、迷惑な話である。
令呪が現れた以上、参加する意思がないと言っても安心はできない。
ほかの魔術師が俺をどう扱うかは、俺自身にも分からないのだから。
そこで、せめて自衛の手段を確保しようと、父親の遺した召喚術式を使ってみることにした。
だが、触媒がない。
過去の英雄と縁のある品など、普通の電器店に転がっているはずもない。
結局、俺は特定の英霊を指定せず、召喚を行うことにした。
それが、つい一時間ほど前のこと。
魔術回路を起動し、詠唱を終え、魔法陣が輝いた。
そして現れたのが――。
「おい、マスター! この機械は何だね?」
現在進行形で、作業机を物色している鉄仮面の男である。
◇
「……それはテレビです」
「テレビ?」
「ええ。映像を見る機械です」
「そんなことは分かっとる!」
博士は、こちらを振り向きもせずに答えた。
「俺が聞いとるのは、この装置の形式だよ! 見りゃあ分かるだろうが!」
いや、分かるわけがない。
「……ブラウン管式ですけど」
「ふむ」
悪魔博士は、テレビの裏側を覗き込んだ。
そのテレビは、数日前に客から修理を依頼されたものだった。
電源を入れると画面が乱れ、時々音声も途切れる。
俺は接触不良を疑っていたが、いまだ原因を特定できていない。
博士はしばらく何も言わなかった。
ただ、鉄の指先を使って、内部の部品を一つずつ確かめている。
「……おみゃあ、これは壊れとるな?」
「ええ。修理中です」
「ふうん」
博士は、興味深そうに回路を眺めた。
「随分と古臭い方式だのう」
「まあ、新しい型ではありませんけど」
「新しいとか古いとかいう問題じゃにゃあ!」
博士は手を振った。
「もっと効率のいい構造にできるだろうが! 何だ、この無駄な配線は!」
俺は少しむっとした。
「そう言いますけど、そんな簡単なものじゃありませんよ」
「ほう?」
「部品の規格もありますし、製造コストだってかかります。理論上できることと、実際に商品として作れることは違うんです」
博士の手が止まった。
「……おみゃあ、技術者かね?」
「一応、そうですけど」
「ふうん」
博士は俺を一瞥した。
そして、何事もなかったかのように作業を再開した。
「ま、それなら話が早いわ」
そう言って、机の上からドライバーを一本取り上げる。
「ちょっと借りるぞ」
「あ、それは構いませんけど……」
博士はテレビの内部を調べ始めた。
しばらくして、ある部品を指差した。
「こいつだ」
「……え?」
「ここの接続が不安定になっとる。ついでに、こっちの部品も劣化しとるな」
俺は思わず身を乗り出した。
博士が示したのは、俺がまだ確認していなかった箇所だった。
「……本当ですか?」
「疑うんなら自分で調べてみりゃあいい!」
言われるままに測定器を持ち出し、慎重に確認する。
結果は。
「……あ」
間違いなかった。
博士の指摘した箇所に、明らかな異常があった。
「……すげえ」
思わず声が漏れた。
「何が?」
「いや、そこ、俺がずっと調べてたところなんですよ。それなのに、一目見ただけで……」
「一目じゃにゃあ。ちゃんと調べたがね!」
「……そうですけど」
それでも異常だ。
分解してから、まだ数分も経っていない。
俺が何日も費やしていた作業を、この男はあっさりと終わらせてしまった。
「まったく、これくらいで驚いとったらいかんぞ!」
博士は得意げに胸を張る。
「俺は天才科学者だでな!」
……確かに。
天才科学者。
自称ではないらしい。
「ところで、博士」
「なんだね?」
「このテレビ、直せますか?」
「当たり前だろうが!」
「じゃあ、お願いします」
「……おい」
「はい?」
「俺に修理させるつもりか?」
「ええ。できるんですよね?」
博士は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ふん! よぉし、見とれ!」
どうやら、自尊心を刺激してしまったらしい。
鉄仮面の男は、妙に張り切り始めた。
ただし、それから始まった作業は、俺の予想とは少々違っていた。
博士は、必要な部品を探すように机の上を見回した。
そして、何かに気づいたらしく、俺の方を向く。
「おみゃあ、さっきの魔法陣を描いたのは自分かね?」
「え? そうですけど」
「なるほど。ならば、おみゃあも多少は魔法が使えるわけだな」
「魔術です。まあ、多少は」
「どっちでもいいがね!」
博士は手をひらひらと振った。
「魔術と科学を、まるっきり別物だと思っとるから話がややこしくなるんだ!」
「……はあ」
「よぉく見とけよ」
そう言って、博士は右手を持ち上げた。
金属製の指先に、小さな光が灯る。
俺は息を呑んだ。
魔力だ。
だが、奇妙だった。
少なくとも、俺の知る術式ではない。
光は細い線となり、空中に幾何学的な模様を描き始めた。
まるで、電子回路の図面がそのまま立体化したかのような光景だった。
「……それは?」
「簡単な補助だよ」
博士は事もなげに答えた。
「足りん道具の代わりに、ちょっと使うだけだがね」
俺は、その言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
足りない道具の代わり。
魔術を。
科学技術の補助として使っている?
そんなことが、できるのか。
いや、理屈の上では可能かもしれない。
だが、この男の術式は、俺の知る魔術体系とどこか違っていた。
そうして数分後。
博士は作業を終えた。
「よし! これでバッチリだ!」
テレビの電源を入れる。
画面が点いた。
音声も正常。
先ほどまでの不具合が、嘘のように消えている。
「…………」
「どうだね?」
「……直ってる」
「そりゃそうだろうが!」
博士は大げさに腕を広げた。
「俺様が直したんだぞ!」
……なるほど。
少しだけ分かった気がする。
悪魔博士。
奇妙な格好。
妙な口調。
世界征服を夢見る、どこか間の抜けた悪役。
だが、その技術は本物だ。
しかも、科学と魔術を同時に扱えるらしい。
少なくとも、俺のような三流魔術師とは比較にならない。
もしかすると。
案外、当たりのサーヴァントを引いたのかもしれない。
◇
「ところでマスター」
テレビの修理を終えた博士が、突然そんなことを言い出した。
「おみゃあ、聖杯についてどこまで知っとる?」
「……聖杯ですか?」
「そうだよ。俺を呼び出した、その聖杯戦争とかいうやつだ」
俺は少し考えた。
「七人のマスターがサーヴァントを召喚して、最後まで生き残った陣営が聖杯を手に入れる。基本的には、そういう儀式だと聞いています」
「ふうん」
「聖杯には、あらゆる願いを叶える力があるらしいです」
「願いをねぇ……」
博士は腕を組んだ。
「それで、その聖杯はどこにあるんだ?」
「分かりません」
「どういう構造になっとる?」
「知りません」
「誰が作った?」
「……それも、詳しくは」
「おみゃあ!」
博士が突然声を張り上げた。
「何も知らんのか!」
「仕方ないでしょう! 俺だって好きで参加したわけじゃないんですから!」
つい言い返してしまった。
博士はしばらく黙っていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「ふん。まあ、いいわ」
「……いいんですか?」
「知らんなら調べりゃあいいだけだろうが!」
そう言って、博士は作業机の端に置かれていた魔術書を取り上げた。
「これが、おみゃあの家に伝わる魔術の本かね?」
「ええ。父親が遺したもので……」
「ふうん」
博士はページをめくる。
紙が擦れる音だけが、静かな作業場に響いた。
数ページ。
十数ページ。
博士は驚くほどの速さで読み進めていく。
「……おい」
「何です?」
「この術式、無駄が多いぞ」
「……はい?」
「ここだよ、ここ!」
博士は、ある箇所を指差した。
「同じ処理を何度も繰り返しとる。もっと簡単にできるだろうが!」
「いや、それは魔力の安定性を確保するためで……」
「だから、その安定性を別の方法で確保すりゃあいいだろ!」
……簡単に言ってくれる。
こちらは代々、その術式を研究してきたのだ。
そんな簡単に改良できるなら、誰も苦労しない。
「……博士」
「なんだね?」
「一応、それはうちの家伝の魔術なんですけど」
「それがどうした?」
「いや、だから……」
「おみゃあ、家伝の魔術だからという理由だけで、改良せずに使っとるのか?」
俺は口を噤んだ。
「……いえ、そういうわけでは」
「だったら問題にゃあ!」
博士は、再び魔術書に目を落とした。
「何でもかんでも古いものが正しいと思っとったら、進歩できんぞ!」
……正論だ。
少なくとも、俺には反論できない。
魔術の世界では、長い年月をかけて蓄積された研究成果に大きな意味がある。
それは理解している。
しかし、目の前の男は、そんな伝統にまるで興味がないらしい。
重要なのは、術式が何を実現できるか。
そして、どうすればそれを改良できるか。
ただ、それだけ。
「……博士って、もしかして本当にすごい人なんですか?」
「何を今さら!」
博士は顔を上げた。
「俺は最初からそう言っとるだろうが!」
そうだった。
確かに、そう言っていた。
世界一の天才科学者。
世界征服を目指す悪魔博士。
……世界征服。
そういえば。
「博士、聖杯を手に入れたらどうするつもりなんですか?」
「どうする?」
「願いですよ。何かあるんでしょう?」
博士の手が止まった。
俺は何気なく続ける。
「世界征服したいとか、ゴームズに復讐したいとか……」
「……ふうん」
妙な間があった。
博士はゆっくりと魔術書を閉じた。
「おみゃあ、ちょっと勘違いしとるな」
「……勘違い?」
「俺が欲しいものを手に入れるのに、どうして他人に頼まにゃならんのだ?」
その声は、不思議と落ち着いていた。
「……え?」
「世界を征服したけりゃ、自分でやればいい。それだけのことだろうが」
何でもないことのように、博士は言った。
だが、俺にはそれが冗談に聞こえなかった。
「……じゃあ、聖杯はいらないんですか?」
「いらんとは言っとらん!」
博士は即座に答えた。
「何でも願いが叶うというんなら、その仕組みには興味があるでな」
「仕組み?」
「そうだよ!」
博士は、机の上に置かれたテレビを指差した。
「おみゃあ、このテレビを見て、映像が映るから不思議だなぁ、で済ませるのか?」
「……いえ」
「そうだろうが! どうやって映るのか、どんな部品が使われとるのか、調べるだろう?」
「まあ、そうですね」
「それと同じだよ!」
博士は両手を広げた。
「願いを叶える力があるんなら、どういう理屈でそんなことができるのか、知りたくなるのが当然だろうが!」
俺は、思わず笑いそうになった。
いや。
そうか。
この男は、本当に科学者なのだ。
どれほど突拍子もない存在であろうと、まず仕組みを知ろうとする。
聖杯すら、研究対象として見ている。
そんな発想は、少なくとも俺にはなかった。
「……なるほど」
「分かったかね?」
「ええ。ちょっとだけ」
「ちょっとだけか!」
博士は不満そうに腕を組んだ。
「まったく、これだから素人は困るんだがね!」
そして、また魔術書を開こうとして――。
ふと、その手を止めた。
「……ん?」
「どうしました?」
博士は答えない。
鉄仮面の顔が、ゆっくりと窓へ向けられる。
作業場の小さな窓。
その向こうには、電器店の裏手に続く狭い路地がある。
「……博士?」
「おみゃあ」
声が、少し低くなった。
「ここには、俺たちのほかに誰かおるのか?」
「……いえ。今日は俺一人ですけど」
「そうかね」
博士は立ち上がった。
がしゃり、と。
甲冑が重たい音を立てる。
「何かいるんですか?」
「ちょーっと静かにしとれ」
博士は窓に近づく。
そして、右手を持ち上げた。
金属製の指先から、淡い光が漏れる。
瞬間。
窓の外で、小さな音がした。
何かが、地面に落ちたような。
「……え?」
俺は慌てて窓を開けた。
路地には誰もいない。
ただ、雨樋の下に小さな黒いものが落ちていた。
虫だ。
いや。
よく見ると、普通の虫ではない。
体の表面に、微細な魔術的加工が施されている。
「……使い魔?」
「そうらしいのう」
博士が、俺の背後から覗き込んだ。
「おみゃあの知り合いかね?」
「違いますよ!」
「ふうん。じゃあ、誰かがこっそり覗いとったわけだ」
俺は息を呑んだ。
聖杯戦争。
その言葉が、改めて頭をよぎる。
誰かが、俺たちを監視していた。
……つまり。
すでに、ほかのマスターが動き始めているということか。
「……まずいな」
「何が?」
「敵に見つかったかもしれないんですよ!」
「ふん」
博士は、あまり気にした様子もなかった。
「見つかったからどうしたというんだ?」
「どうしたって……!」
「おみゃあ、敵がどこにおるかも分からんのに、今から心配してどうするんだね?」
……それは、そうだが。
「それより、あいつはなかなか面白いぞ」
博士は、地面に落ちた使い魔を眺めた。
「魔力を使って、小さな生き物の動きを操っとる。しかも、離れた場所へ情報を送れるらしい」
「……分かるんですか?」
「少し調べただけだがね」
博士は、使い魔を拾い上げた。
「もっと詳しく調べてみる価値はありそうだのう」
その言葉に、俺は妙な違和感を覚えた。
この男は、敵の偵察を受けたというのに、まるで珍しい機械を見つけた子供のように興味を示している。
恐怖も、焦りもない。
ただ、知的好奇心だけがある。
「……博士」
「なんだね?」
「それ、危なくないんですか?」
「危ないかもしれんのう」
「だったら!」
「だから調べるんだろうが!」
博士は呆れたように言った。
「危ないものだからといって、何も知らんままで済ませるのかね?」
俺は黙り込んだ。
「どんな仕組みで動いとるのか。何ができて、何ができんのか。そういうことを知らずに、どうやって対処するつもりだ?」
「……それは」
「分からんものがあれば、まず調べる。調べたら、理解する。理解したら、今度はこっちが利用すりゃあいい!」
博士は、手の中の使い魔を見つめた。
「簡単なことだろうが」
そのとき。
俺は初めて、目の前の男に対して奇妙な恐ろしさを覚えた。
この男は、自分の知らないものを恐れない。
少なくとも、知らないという理由だけでは。
それどころか。
未知のものに出会ったとき、まず考えるのは、それをどう理解するかということなのだ。
相手が敵であろうと。
自分より強大な存在であろうと。
恐らく、この男にとっては大した違いがないのだろう。
その頭脳を使って、観察し、理解し、利用する。
ただ、それだけ。
……ひょっとすると。
本当に、とんでもないものを呼び出してしまったのかもしれない。
◇
結局、その夜。
博士は作業場の一角を占拠した。
工具を並べ、魔術書を読み漁り、使い魔の残骸を調べ始めたのである。
時折、奇妙な装置の設計図らしきものを描いている。
……英霊って、召喚されて早々こんなことをするものなのだろうか。
俺は、すっかり冷めてしまったお茶を口に運んだ。
時計を見る。
午前一時を過ぎていた。
いい加減、寝たい。
「……博士」
「なんだね?」
「俺、そろそろ寝ますけど」
「おー、そうかそうか」
「博士は?」
「俺はもう少し調べもんをするでな」
「……分かりました。あまり散らかさないでくださいよ」
「ふん! 誰に向かって言っとるんだ!」
いや、あんたにだよ。
そう言いたいのを堪え、俺は立ち上がった。
と、そのとき。
「おい、マスター!」
博士が声を上げた。
「……今度は何ですか?」
「腹が減ったがね!」
…………。
「……はい?」
「何か食うもんはにゃあのか?」
「いや、サーヴァントって食事しなくても平気なんじゃ……」
「食っちゃいかんという決まりはにゃあだろうが!」
それは、確かにそうだ。
「……何が食べたいんです?」
「何でもいいわ! ただし、バッチリしたもんを頼むぞ!」
……バッチリした食べ物とは。
結局、俺は台所に向かい、冷蔵庫の中身を確かめることになった。
卵が二つ。
食パンが数枚。
あとは昨日の残り物くらいか。
仕方ない。
適当に何か作るか。
そんなことを考えながら、ふと作業場を振り返った。
博士は、机の上に魔術書を広げていた。
その隣には、分解された使い魔。
さらに横には、見たこともない幾何学的な図形が描かれた紙。
鉄仮面の男は、時折何かを書き込みながら、それらを見比べている。
……本当に、何者なんだろうな。
そんな疑問が頭をよぎった。
だが、その答えを知るのは、もう少し先のことになる。
今はただ。
自分が呼び出したサーヴァントが、思っていたものとは随分違うことだけが、確かだった。
俺は、小さくため息をついた。
「……とんでもない聖杯戦争になりそうだな」
すると、作業場から声が飛んできた。
「おーい! まだできんのか!」
「今から作るんですよ!」
「何だ、まだ作っとらんのか! 早くしてちょうだい!」
…………。
前言撤回。
とんでもない聖杯戦争になる、ではない。
もう、なっている。
俺はもう一度、大きなため息をついた。
悪魔博士。
キャスターのサーヴァント。
自称、世界一の天才科学者。
……そして、どうやら、相当に面倒くさい男らしい。
俺の第四次聖杯戦争は、こうして幕を開けた。
少なくとも、平穏な日々とは、しばらく縁がなくなりそうだった。