戦争にともなう昂奮と激情、勝った者の行き過ぎた驕り、負けた者の度を越した卑屈、故意の中傷、誤解から生まれた流言、そうしたいっさいのいわゆる世論も、いつかは冷静を取り戻し、正常に返る時が来るだろう。
 その時はじめて、神の法廷で正しい判決が下されるだろう。

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秘密会 S310507

一

 

「鈴木義男さん、お願いします。だいたい二、三十分以内でお話しください」

 

 委員長の青木一男が名を呼んだのは、午後三時を回ったころだった。その日、参議院の内閣委員会に呼ばれた参考人は四人で、鈴木は最後だった。案件は憲法調査会法案で、内閣に調査会を置いて憲法を調べ直させるという、与党の自由民主党の議員が出した法案である。参考人は、法案について外から意見を述べるために呼ばれた人で、まず二、三十分ずつ意見を述べ、そのあと委員の質問に答える。

 

 机の上に、委員に配られた刷り物の束があった。外国の憲法の訳があり、その中に、十年前に民間の憲法研究会が出した草案要綱も入っていた。高野岩三郎を会長に、鈴木も加わって書いたものだ。

 

 頼まれたのは、調査会を設けるのがよいかどうかについての意見だった。だが調査会を設けるのは、今の憲法を改めたいからである。鈴木は、話をそこから始めることにした。

 

「結論から先に申しますと、今の憲法にも、技術的に改めたり直したりした方がよいと思う箇条が、二つ三つ、あるいは四つ五つ、ないわけではありません。しかし、これは一刻を争う問題ではない。今のままでもやっていけます」

 

 改正を唱える人たちの本当のねらいは、天皇制のある意味での復活、第九条の大改正、家族制度のある意味での復活にある、と鈴木は続けた。それだけを持ち出せば抵抗が強すぎるから、項目をたくさん並べて目をくらませる。抱き合わせの改正だから反対する。

 

「では、なぜ私が今の憲法でよいと言うのか。それを説明するには、まず、この憲法が作られた当時の国民の気持ちと、制定の事情をふり返らなければならないと思います」

 

 二、三十分では足りない。鈴木はそれを承知で、十年前から話を始めた。

 

 終戦のあと、憲法研究会に加わり、草案を作った。これなら民主革命ができそうだと望みを持ち、国会にも出る気になった。第九十議会の議員になり、憲法改正の特別委員になり、修正を話し合うために作った十四人の小委員会の一人にもなった。

 

 改正を唱える人たちの議論を聞いていると、根拠はだいたい二つある、と鈴木は言った。

 

「一つは、占領中に押しつけられた憲法だということ。もう一つは、中身がどうもおもしろくないということです」

 

 占領下で作ったからいけないと言うのなら、憲法は無効だと言わなければ筋が通らない。だが、そこまで言う人はあまりいない。どんな改正論者も、今の憲法のよいところは認めている。鈴木はそう言ってから、制定のいきさつに入った。

 

 ポツダム宣言を受け入れた以上、真っ先に自分たちの手で民主的な憲法を作るべきだった。だが、日本人に、ことに当時の政府に任せておいては、約束したような民主的な憲法はできそうにない。そういう見通しから、手本を示されることになった。日本の側も、ただ待っていたわけではない。近衛公は自分が頼まれたと信じて佐々木博士に草案を作らせ、政府は松本国務大臣のもとで委員会を作り、各党も、民間の団体も、それぞれ案を出した。

 

「ここに資料として配られているようですので、比べてご覧いただければ、わかっていただけると思います」

 

 研究会では、天皇制を残すかどうかを何度も議論した。権力にも実際の政治にも関わらない形で残そう、と皆の意見はまとまったが、会長の高野だけが承知しなかった。天皇を廃して共和国にしなければ日本は救われない、と言って譲らず、草案には「高野は共和制を主張した」と書き添えて発表した。鈴木はその話もした。当時日本で出た案の中で、のちの司令部の案にいちばん近かったのは、この研究会の案だった。手前みそのようだが、と鈴木は断った。

 

 司令部は日本で出た案をみな英訳して読み、これでは日本を本当に民主化することにならないと見た。極東委員会では、天皇制をやめて共和国にせよという声が強まっていた。天皇制を残すなら、日本が先に自分から草案を出したことにしなければならない。だから司令部はひどく急ぎ、手本を一つ出すから、これにのっとってやってみたらどうか、ということになった。

 

 押しつけだ、という改正論者の言い分に、鈴木はここで答えた。

 

「私は押しつけられたとは思いません。もっとよい案があったのに、それを蹴って悪い案を与えたのなら、それは押しつけです。確かに押しつけではありますが、私たちが出したものより、はるかによい案を持ってきたのですから、押しつけと言うべきではない。むしろ、与えられた憲法、手本を示されて作らされた憲法、と言うのなら当たっていると思います」

 

二

 

 話は議会に入った。

 

「その頃、この憲法は向こうから原案が示されていて、一か条でも、一字一句でも、勝手に直すことは許さないのだ、というデマが飛んでいました」

 

 金森国務大臣は、修正はご自由です、と折にふれて答えていた。だが別の筋から伝わってくる話は違った。小委員になり、これから本当に手をつけるかどうかという瀬戸際だった。鈴木は、出過ぎたことと思いながら、司令部へ行ってケーディスに会った。

 

「むやみに修正してはいけない、といううわさがあるが、本当か。そう尋ねますと、いや、そんなことはない、と言うのです。日本国民が、国会の代表者が、本当に日本のためによいと思う所があるなら、反動的に、封建的に直すのは賛成できないが、直すのはけっこうなことだ。少しも拒むつもりはない。ただ、天皇の性格を象徴でないものに変えること、それから軍隊をふたたび持つこと、この二つは、極東委員会と司令部の方針として賛成できない。そういう話でした。大いに修正してよろしい、ということでしたから、私はそうだろうと思い、安心して引き下がってきたのです」

 

 修正した箇所を、鈴木は一つずつ挙げていった。

 

 前文と第一条には、英語の案ではソヴランティとあるのに、日本語の案では「国民至高の総意」と書かれ、主権という言葉がどこにもなかった。

 

「ですから私は、真っ先に本会議で質問しました。ここにごまかしがあるのではないか、なぜ主権とはっきり言わないのか、と。これが司令部の耳に入ったようで、司令部から、ごまかしているではないか、主権ということを憲法の中にはっきり書かなければならない、という注意が出まして、小委員会の途中で、『主権が国民に存することを宣言し』と、はっきり書くことに変わったのです」

 

 第六条では、最高裁判所の長官を、総理大臣と並べて天皇が任命することにした。三権分立の建前からそうあるべきだと、鈴木が出した案だった。

 

 それから第九条に移った。

 

 本会議で共産党の野坂参三さんぞうが、自衛のための戦争もできないとはおかしい、と迫った。吉田茂首相は、これまで自衛の名で行われなかった戦争はない、だから自衛の名においても戦争は許されない、と答えた。

 

「私は今でもよく覚えておりますが、吉田さんは偉いなと思っています」

 

 委員席から笑い声が上がった。

 

 委員長だった芦田均も、これからは小さな国が軍隊を持つ時代ではない、国際警察が発達すれば、小さな国が軍隊を持つ必要はなくなる、と説明していた。

 

「本会議の委員長報告でも、そう述べておられます。今はお忘れになったようですが」

 

 ふたたび笑いが起きた。鈴木は笑いが引くのを待ってから、小委員会の話に戻った。

 

 いかにもいやいやながら軍備を捨てるように見えるから、高い理想を掲げて捨てると文章にもうたおう、ということになった。それで「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という言葉を入れた。すると、一項と二項がうまくつながらない。そこで芦田さんが、つなぎの言葉に「前項の目的を達するため」を入れよう、と言い出した。私たちも賛成した。

 

「あとで聞くと、芦田さんには深い考えがあって、この言葉を入れておけば自衛のためなら軍隊が持てることになるのだ、という。そんなことは、夢にもおっしゃらなかった。おっしゃっていたら、私たちは反対しました」

 

 鈴木はそこで一度、言葉を区切った。

 

「実は小委員会の速記録はまだ公開されておらず、残念ですが、そう遠くないうちに公開されると思いますので、私がいまここで申し上げていることは、そのときすべて明らかになるはずです」

 

 小委員会は秘密会だった。だが速記者はいて、十四人の言葉は書き取られている。その紙がいつか開かれれば、自分の話の裏が取れる。鈴木はそう信じていた。

 

 第二十五条の一項は、もとの案になかった。社会党の森戸辰男と相談し、ドイツの憲法にある、人間に値する生活という規定を入れたいと考えた。それでは直訳のようだからと考えたすえ、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という言葉にした。自由党と進歩党も賛成してくれた。

 

 修正の数々を並べ終えて、鈴木は改正論者がよく口にする言い方を、そのまま繰り返した。

 

「こうした跡をご覧になっても、一字一句も変えることを許されなかった、泣く泣く、いやいや作った――」

 

 言葉を切り、それから自分の言葉で言った。

 

「ほかの方はどうか存じませんが、私は、きわめて自由な、朗らかな気持ちで、この憲法の制定に加わり、修正にも加わったつもりでおります。当時の気持ちに一度返って、ご理解をいただきたいのです」

 

 通らなかった修正もあった。前文に「搾取と窮乏きゅうぼう」を加える案、天皇の章の前に「国権」の章を立て、国権は国民から発すると書く案、財産権を公共の福祉の目的の内で保障する案。どれも自由党と進歩党が賛成しなかったから通らなかっただけで、GHQ に退けられたのではない、と鈴木は言った。

 

「両党が賛成して GHQ へ持っていっていれば、GHQ は百パーセント認めたと私は信じます。持っていったもので、一つも蹴られたものはないのですから」

 

「時間がありませんので、手短に結論を申します」

 

 と言ってから、鈴木はなお、改正論を三つに分けて退けた。最後に、次の世代の話をした。

 

「今の子どもたちが、小学校で新しい憲法のもとで育ち、中学、大学を出て一人前になったとき、その新しい頭で批判して改正しようと言うのなら、やらせてよいと思っています」

 

三

 

「質疑のおありの方は」

 

 と委員長が促した。

 

「鈴木さんに、二、三質問します」

 

 手を挙げたのは廣瀬久忠ひさただだった。内務省の役人から大臣になった人である。

 

「あなたは、今の日本国憲法が、マッカーサーの草案をほとんど九割翻訳してできている、ということはお認めになると思う」

 

 天皇と軍備と貴族制度について、マッカーサーがホイットニー准将に示した基本原則も、この中にそっくり守られている。マッカーサー草案のほとんど全部が入っている。だから、これは翻訳の憲法であり、マッカーサーの示唆でできた憲法だ。それもお認めになると思う、と廣瀬は続けた。問いの形をとっていたが、答えは先に置かれていた。

 

 そのうえで、廣瀬は本題を出した。

 

「アメリカの初期の占領政策の第一には、日本を二度とアメリカの脅威にさせてはならない、とあるはずです。その意味を、あなたはどう解釈されますか」

 

 廣瀬が話をどこへ運ぼうとしているのか、鈴木には見当がついた。占領は日本を弱くするためのもので、この憲法はその道具だった。そう言わせるための一問目だった。

 

「日本を誤った方向に導いた軍国主義の勢力を砕け、というポツダム宣言の言葉、それに基づいて占領政策が決められたことは承知しております。しかし、アメリカの脅威というのは、聞いたことがありません」

 

 アメリカのためではなく、世界のためだった、と鈴木は続けた。

 

「日本が軍国主義で、東洋と世界の平和に大きな脅威を与えたことは否定できません。二度とそういう危険がないようにするのは、ポツダム宣言を受け入れて降伏した日本にとって、至上の命令だったと私は考えています。私だけでなく、当時の人は皆、当然のことと考えていたと思います」

 

 廣瀬は二問目に移った。

 

「日本を最後に負かした力のうち、いちばん大きかったのは、広島と長崎に原爆を落としたことです。もう一つは、中立条約を結んでいたソ連に、理由のない宣戦をさせたことです。原爆はトルーマンが、ヤルタ協定はルーズヴェルトがやった。この二つを、あなたは正しいことだとご覧になりますか」

 

「憲法の改正とはあまり関係のない問題ですが、ご質問ですから喜んでお答えします。私は、広島と長崎に原子爆弾を落としたことは、最大の罪悪だと思っています」

 

 アメリカでも、そう反省している者は多い。国際法違反とまでは言えないが、良心と道徳の問題として、史上最大の罪悪だと内外に言ってはばからない。ソ連の参戦も卑怯で、けしからぬと思う。ただ、と鈴木は付け加えた。自分はゾルゲ事件を担当して、細かく知っている。中立条約はあったが、日本の首脳もソ連へ攻め入ろうかと相談し、結局はソ連はやめて南へ行くと御前会議で決めた。それがソ連に筒抜けだった。

 

「向こうに言わせれば、中立条約を破ったと言うが、自分たちは鉄砲で破った、日本は御前会議で破っているではないか、そう言えたと思うのです」

 

 どちらも、相手だけを責められる立場にはない。鈴木はそう答えた。

 

「今のことは、憲法の改正にも、マッカーサー草案にも、深く関係があると思うから伺ったのです」

 

 廣瀬は、問いの狙いを自分で明かした。原爆のような人道を無視したことまでして日本にとどめを刺した国が、日本を占領した。そうまでして抑えた相手には、旧敵国への憎悪と、力を取り戻せばまた復讐されるという恐れが、腹の中になかったとは言えない。平和主義、民主主義という立派な言葉の下で、日本を強くさせないという心が動いていた。

 

「その点を、あなたはどうお考えになりますか」

 

「日本の軍事力をすべてなくし、一艦一兵も持たせないというのは、決まった方針でした。だからそうしたのだと思います。それが憎悪から出たとは、私は思いません。憎悪を持っていた人もいたでしょう。けれども、それは当然のことです」

 

 負けた国は……と言いかけて、鈴木は言い直した。

 

「負けたから救われた、と思った人はたくさんいました。当時も、今もいます。ですから、それは世界観の違いとしか申し上げられません」

 

 司令部へ交渉に行っていた頃、ケーディスが、アメリカにも軍国主義者がいるからね、君たちはそこをよく区別して聞かなくてはいけない、と言ったことがある。確かにそうだと思った、と鈴木は話した。

 

 廣瀬は、鈴木の「憎悪から出たとは、私は思いません」をとらえた。

 

「そこはあなたと私とで見方が違うのですが、憎悪はなかったというのは……」

 

「なくはない。あるかもしれません」

 

「あるかもしれない」

 

 廣瀬は鈴木の言葉を引き取って繰り返し、それを足場に先へ進んだ。今も戦犯として裁かれた何百人もの人が出られずにいるのは、その憎悪が続いている現れだ。マッカーサーも、朝鮮で戦争が始まる前は日本を「海のスイス」にすると言っていたのに、始まったあとは九条の解釈まで変わった。だから、この憲法の根には、日本を弱くしようという精神が流れている。

 

「先ほどのお話をうかがって、いろいろな条文を改められたご苦心はよくわかりますし、けっこうな点もあると思います。けれども、根本には、その日本弱体化の精神が流れている。勝った国が旧敵国にそういう心持ちを持つのは当然だと思います。それが、この憲法の根に流れているのです」

 

 そう言ってから、廣瀬は次の問いを出した。

 

「憲法というものは、世界に通じる真理というだけでなく、その国その国の特色も入っているべきものではないでしょうか。その国の、世界の中での精神が打ち込まれている所に、憲法の意味があると私は思うのですが、どうお考えになりますか」

 

 日本の憲法は日本の精神から生まれるべきで、翻訳ではだめだ、と言っている。鈴木は答える前に、一つ確かめておきたかった。

 

「逆に私からお尋ねしたいのですが、明治憲法は、日本独特のものだとお考えでしょうか」

 

「私が答弁を……」

 

「答弁というほどのものでなく、話し合いのつもりでお願いします」

 

「明治憲法が全部が全部、日本の国情を表しているとは思いませんが、日本の特徴も表していると思います。けれども、私の先の質問にお答えください」

 

「世界観のようなものが違うと困るので、お尋ねしたのです」

 

 鈴木は明治憲法の生い立ちを話した。明治憲法は明治天皇がお作りになった日本独特のものだと、自分たちも長いあいだ固く信じてきた。だが実際は、伊藤博文がドイツへ渡ってシュタインに学び、グナイストの助言も受けて、プロシアの憲法をもらって帰ってきたもので、だいたいはその直訳だ。万世一系の天皇とカイゼルの違いくらいで、あとはたいてい同じである。

 

「日本には、残念ながら憲法の思想がなかったのです。ですから、世界のほかの国々が持っているものの中から、よいものを学ぶほかはないと私は思います」

 

 自分は学校で憲法を教えていたこともある。マッカーサー草案を見たとき、比べてみて、比較的進歩的だと思った。ただ十八、十九世紀の個人主義のにおいが強く、社会主義的な要素を入れなければならないと思った。それはアメリカの力ではできない。自分たちの手で直すしかないと思った。

 

「とにかく、私はよい憲法だと思いました。当時日本で出た草案のどれと比べても、マッカーサー草案がいちばんよかった。悪かったとおっしゃるなら、どこが悪いのか示していただきたい」

 

 そこまで言って、鈴木はもう一言、足した。

 

「私は、憲法第九条だけは、あれをあんなふうにしておかなかったら、改正論もそう早く頭をもたげなかったろうに、惜しいことをしたな、と思っております」

 

 廣瀬はその一言には取り合わず、自分の論に戻った。

 

「日本に憲法思想がなかったと決めつけるのは、少し行き過ぎです。日本にもやはり民主主義はあり、日本らしい民主主義と言われるかもしれないが、日本にも民主主義はあって――」

 

「それは聖徳太子のときにありました」

 

 鈴木が口をはさむと、笑いが起きた。廣瀬は笑いの中で話を続けた。

 

「日本にも民主主義の思想はあったと思います。では、今度の日本国憲法にはどういう精神が入っているかといえば、あなたがおっしゃるのは、おそらく平和主義と民主主義でしょう。そうでしょう」

 

「そうです」

 

「その平和主義です。この憲法の前文に書いてあるのは、いかにも他力本願の平和主義です」

 

 廣瀬は前文の一節を読み上げた。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。これでは、自分のことは自分でやらなくてよい、外国を信頼していればよい、ということになる。日本が孤立して独立を守れとは言わない。だが、中立条約を破ったソ連が、公海に勝手な制限を加えようとするソ連が、韓国の李承晩イ・スンマン大統領の態度が、公正で、信義に値するのか。

 

「そういうものを信頼することだけで、われわれの安全と生存を守ればよい、という平和主義を憲法に打ち込むのは、いかがなものでしょうか。この点はどうお考えになりますか」

 

 前文を問われて、鈴木は九条で答えた。

 

「それは、一部分はあなたのおっしゃる通りで、よくわかるのです、私には。ですから、第九条をあのとき、もう少しなんとかしておけばよかったという気持ちはあります。けれども、当時は、ごく少数の人を除いて、日本は軍隊など持つべきでない、という考えで皆一致していました。ですから、そういう議論も起こらなかったし、抵抗もなかったのです」

 

 悔いは認めた。だが鈴木は、話をそこから先へは運ばせなかった。

 

「新しく日本も軍隊を持つべきだというなら、それも一つの議論で、新しい問題として議論を進めることにやぶさかではありません。ただ、今の情勢で日本が軍隊を持つのが適当かどうかなら、大いに議論があります。そう急がなくてもいいではないか、もう少し天下の大勢を見ようではないか、というのが私の立場なのです」

 

「国民の精神の問題として、私はこの点では、はなはだ急ぐ立場に立つのです」

 

 廣瀬はそう言い、一年や二年のことを言っているのではない、と断ってから、もう一つの論を出した。国民が国家に自由や平等や文化的な生活を求めるなら、国家の側にも権利を認めなければ、それに応えられない。税を納めてもらう権利、働いてもらう権利、国を守ってもらう権利、秩序を守ってもらう権利。廣瀬はアメリカ合衆国憲法の前文を読み上げた。正義を樹立し、国内の静謐せいひつを保障し、国防に備え、そののちに一般の福祉を増進する。日本国憲法のどこに、正義と秩序と国防があるのか。

 

「だいぶ長く意見を言ってしまったから、あなたのご見解もうかがいたい」

 

「大変有益なご意見をうかがい、得るところが多かったのですが、あなたのご意見は、マッカーサーが今アメリカで考えていることに似ていると思うのです」

 

 マッカーサーは、日本に二度と軍隊を持たせないことが、日本のため、アジアのため、世界の平和のためと信じて、憲法に織り込んだ。侵略されても国連が守れると思った。だが朝鮮動乱が、その理想をあまりに早く打ち砕いた。自分の日本統治には成功もあれば失敗もある、しかしその失敗は、日本に悪かれと思ってやった失敗ではない――そう言っている。ニクソン副大統領が来て、あの規定は誤りだったと言ってから、改正論がにわかに強くなった。人の考えは、立場で変わる。

 

「私などは、そういう動機で与えられたものではありますが、まあ、あと十年か十五年は、このままずっと見ていきたいと思っている一人です」

 

 国民の義務については、法律で決めれば足りる、と鈴木は答えた。親孝行の義務を今度は憲法に書くそうだが、親を捨てれば刑法の遺棄いき罪で監獄に入れられるし、扶養の義務は民法にある。

 

「田舎の方へ行ってみると、今度は親孝行の義務を書くから、それで自由党に投票する、という。選挙の策としては大変うまいが、私は、憲法論としてはナンセンスだと思います」

 

 国を守る義務だけは別だ、と鈴木は付け加えた。九条があの規定だった以上、書きたくても書けなかった。九条を改めるときには、そういうものも出てくるだろう。

 

「親孝行の義務がどうなるかなど、先のことはまだ決まったものではありません。私は自由党でも自民党でもないので……」

 

 自由党の選挙の話を、自分に向けられたものとは受け取らない。廣瀬はそう断った。

 

「それは存じております」

 

 廣瀬は最後に、自分の見方をまとめた。国家と個人は離れられない。この憲法は、マッカーサーの心だけでなく、司令部のケーディスやハッセーやローウェルといった、「アメリカを代表する、まあ二流の弁護士」が書き上げたものが大きく動いている。憲法は国民の中から湧いてくるものでなければならないのに、これは翻訳の憲法、マッカーサーが指示した憲法だ。よいからよいではないか、というわけにはいかない。松本烝治じょうじは司令部に、憲法はその国の根から生えるように作らなければならない、押しつける前に、こちらの案をよく調べて意見を聞かせてくれ、と言った。

 

「むしろ私は、マッカーサーの憲法より、松本烝治先生の憲法を、司令部が十分に親切に議論して、民主化するなり修正するなりして持っていく方が、はるかに日本のためによかったのではないかと思うのです。そういう点で、私は非常に意見を異にするわけです。これ以上お伺いするのもなんですから……」

 

 廣瀬の最後の言葉は、問いではなかった。意見が違う、という表明だった。鈴木はそれを、答えずに受け取った。

 

四

 

 次に手を挙げたのは、社会党の吉田法晴ほうせいだった。

 

「私は議論はしません。質問だけします」

 

 先ほどの社会党の修正の話の中に、芦田さんがどうこう、というお話があった。ところが、当時の自由党、進歩党がどういう態度だったのか、そのお話はなかった、と吉田は言った。当時、巣鴨におられたり、追放されていたりした方々に、その頃ご意見がなかったのは当然かもしれない。追放されていたからといって、復讐や憎悪でご意見を出されるのは別問題だが、と吉田は続けた。

 

「今、改正を唱えている自由党や、当時の改進党が、党として修正案を用意されたのか。芦田さんの名前が出ましたから、党の態度をうかがっておきたい」

 

「当時、小委員会では、修正案を出すときは、一つ一つ党に持ち帰り、党の承認を得てから出していました。私が社会党の方でそうでしたから、自由党も進歩党も同じだったと信じます。ですから、その人個人の意見ではなかった。党の意見として修正案を出し、賛成するのも党の意見として賛成したのです。反対したのも、党の意見として反対したのです」

 

「芦田さん個人が、というわけではありません。発言したのは芦田さんですが、その後ろには党があった、と私は考えています」

 

「関連して」

 

 と田畑金光かねみつが続いた。社会党の若い議員で、この日に委員に差し替えられて来ていた。

 

「鈴木先生にうかがいます。マッカーサー憲法だの、翻訳憲法だの、国民の意思に沿わない憲法だのと、最近は議論が百出しておりますが」

 

 第九十議会の議事録を読み、敗戦後の国民の気持ちを考えると、松本の私案などは、あれが敗戦後の日本政府の草案だったのかと恥ずかしく思う、と田畑は言い、問いを三つ重ねた。

 

 一つ目は、国民の意思はどこにあったか、だった。

 

「私はたまたま資料をいただきましたが、先ほどお話のあった憲法研究会の憲法草案要綱などは、基本的な原則で、今の憲法とほとんど通じています」

 

 鈴木が陳述の初めに、比べてご覧いただければ、と言った刷り物だった。田畑はそれを読んできていた。国民の意思は、研究会のような所に自然と盛られていた。もし占領下でなかったら、日本はむしろ一歩進んで、共和国の憲法か、高野岩三郎あたりの案まで行っていたのではないか。占領という制約があって、研究会の線にとどまった。その辺の事情をもう一度聞きたい、と田畑は言った。

 

 二つ目は、速記録だった。

 

「例の第九十帝国議会の憲法改正小委員会の議事録、あれが公開されれば、押しつけられたのか、自主的にやったのか、自分たちの判断で憲法を審議したのか、そういうことの真相や経過が判断できると思うのですが、この点について先生のご意見をうかがいたい」

 

 三つ目は、昭和二十三年から二十四年にかけて、極東委員会が、日本の実情に合わない所があれば見直してよいと言ってきたときのことだった。ちょうど鈴木が法務総裁の頃である。そのとき、国会や各党はどう動いたのか。

 

 鈴木は一つ目から答えた。

 

 研究会でも高野が、共産党も、天皇制をやめろと言っていた。外国でも、天皇制こそ日本の軍国主義のもとだと見られていて、極東委員会のソ連、ニュージーランド、オーストラリアははっきりそう言っていた。廃止の指令が来そうだった。マッカーサーも日本に来るまでは天皇をやめさせるつもりだったと思われるが、来てみて、天皇が日本の道徳の支えになっていると見て、残す方が統治にもよいと考えたらしい。天皇に会ってから、なおそう考えるようになったと伝えられている。だから、あれは非常な好意から出ている。あのまま抵抗していたら、天皇制をやめて共和国にしろという指令が出て、それこそ押しつけられていただろう。

 

「ですから私は、天皇制を救ったのはマッカーサー憲法草案であり、またそれを素直に取り入れたためだ、と見ております」

 

 それから、二つ目の速記録の話をした。

 

「小委員会の速記録については、二年ほど前に芦田さんから、社会党の意向を聞いてまとめてもらいたい、と頼まれました。学問の研究の資料としても必要だから公開したい。公開するには衆議院の本会議で議決しなければならないが、各党がばらばらでは困るから、君もまとめてくれ、と」

 

 党の中には、また憲法改正のために使うつもりではないか、と疑う者もいた。鈴木は党議にかけた。

 

「動機がどうであれ、歴史の事実なのですから、いつまでも隠しておくべきものではない。発表して、世の批判にゆだねるべきものだ。ですから、私たちは公開に賛成だ、と答えておいたのです。ところが、いっこうに話が進まない。どうしたのかと思って、このあいだも、どうですかね、と聞いたのですが」

 

 返ってきたのは、はっきりした答えではなかった。

 

「まあ、憲法調査会でもできたら、あれはぜひ必要になるから、そのとき公開を求めよう――はっきりそう言われたわけではありませんが、私の想像では、そう聞こえるようなことを聞いております。ですから自由民主党は、憲法調査会ができたら公開を迫る、そう考えているのだと思います」

 

 鈴木は、その調査会を設ける法案に反対するために、ここへ来ていた。自分の話の裏を取ってくれるはずの紙は、反対している調査会ができたときに開かれるのかもしれなかった。

 

 三つ目には、短く答えた。極東委員会から見直してよいと言ってきたとき、どこで聞いても、よくできている、直す所はない、という意見だった。

 

「衆議院で委員会を設けて再検討しようではないか、ということで、松岡議長が松平参議院議長に相談されたのですが、皆満足しているのだから、そんなものを作って再検討する必要はない、という答えでした。政府としても、今急いで直さなければならないほどの欠点は見つからなかったので、これでけっこうです、と答えたのです」

 

「質疑はこれで終わります」

 

 青木委員長が言った。

 

「参考人の方々、お忙しいところをおいでいただいて、ありがとうございました。本日はこれで散会します」

 

 午後五時八分だった。

 

 鈴木は席を立った。机の上には、委員たちの刷り物が置かれたままになっていた。十年前の草案要綱は、その束の中にあった。小委員会の速記録は、まだ衆議院のどこかにしまわれている。次に芦田に会ったら、また聞いてみるつもりだった。

 






覚え書き(史実と創作の境)

史料
・台詞はすべて、参議院内閣委員会会議録第38号(第24回国会、昭和31年5月7日)による。順は発言の順番号。
・本文では、意味を変えないよう平易な現代語に訳した。原文は下の対照表に載せた。
・長い陳述(順77、約1万8千字)は、要所の台詞と地の文の要約に分けて使った。

創作した所
・鈴木の陳述が「午後三時を回ったころ」に始まったことは推測。会議録の時刻(開会10:33、再開13:45、散会17:08)と、田上が三時から用事があったこと(順64)から推した。
・机の上の刷り物の束:資料が配られていたこと(順41・77・104)は会議録による。机の上の様子と、その中に「外国の憲法の訳」があったことは創作。
・鈴木の内心「紙は…開かれるのかもしれなかった」は創作。順105の言葉から逆算した。
・改正論者の言い分を「そのまま繰り返した」という読み方は推測。原文の「一字一句といえども変えることを許されなかった。泣きの涙でいやいやながら作った。——」を、改正論者の言い方を引いた皮肉と解した。
・退出の様子と「次に芦田に会ったら」は創作。
・質疑の場面で、問いの狙いを鈴木が受け取る内心(「廣瀬が話をどこへ運ぼうとしているのか」)は創作。廣瀬の順83・87の言葉から逆算した。
・「君たちはそこをよく区別して聞かなくてはいけない」をケーディスの言葉と読んだのは推測(原文「君方、十分区別して聞かなくちゃいけない」は、鈴木が委員に向けた言葉とも読める)。
・地の文で要約した鈴木の陳述(改正論の二つの根拠、手本を示されたいきさつ、司令部が急いだわけ。いずれも順77)と、廣瀬・田畑の論(順83・87・95・97・101・104)と鈴木の答え(順82・92・98・105)は、会議録の順と中身に沿って縮めた。順105の「このごろもどうですかねと言った」から逆算した。
・順92「あれをあんなふうに」が何を指すかは、会議録で鈴木が言っておらず、本文でも決めなかった。前後(順96・98)からは九条二項(戦力の不保持)の書き方と読めるが、推測。
・午前の岸倉松(幣原の元秘書官)の陳述は使わなかった。鈴木が聞いていたかは会議録で分からない。

訳と原文(主なもの)
本文(訳)会議録の原文
結論から先に申しますと…今のままでもやっていけますそこで結論から先に申しますると、私は現行憲法にも技術的に改正、または修正した方がよいと思われる個条も二、三ないし四、五ないわけではないのであります、と思っているのであります。しかしこれは一刻を争うような問題ではない。今のままでもやっていける。(順77)
では、なぜ私が今の憲法でよいと言うのか…と思いますしからば私が何ゆえに現憲法でよいと言うのか。これを説明いたしまするのには、まずこの憲法が作られた当時の国民の気持、制定の事情などを回顧しなければならないと思うのであります。(順77)
一つは、占領中に押しつけられた憲法だということ。もう一つは、中身がどうもおもしろくないということです一つは占領中に押しつけられた憲法であり、一つは内容がどうもおもしろくない。(順77)
ここに資料として配られているようですので…と思いますこれは一つここに資料として配付になっているようでありますから、比較してごらん願えればわかっていただけると思うのであります。(順77)
私は押しつけられたとは思いません…当たっていると思います私は押しつけられたとは思わないのでありますが、よりよい案があったのにそれを蹴って悪い案を与えたなら、これは押しつけであります。確かに押しつけでありますが、われわれの出したものよりもはるかによい案を持ってきたのでありますから、これは押しつけというべきでなくして、やはりむしろ与えられた憲法、日本に示して作らせられた憲法であるというならば当っておる言葉であると思うのであります。(順77)
その頃、この憲法は…デマが飛んでいましたそのときこの憲法は、あちらから原案が示されておって、一カ条といえども、一字一句といえどもみだりに修正することは許さないんだというデマが飛んでおった。(順77)
むやみに修正してはいけない…引き下がってきたのですこれはむやみに修正しちゃいけないといううわさがあるが、ほんとうか。いや、そんなことはない。日本国民が、そして国会の代表者がほんとうに日本のためによいと思うところがあるならば、反動的に、封建的に直すのはどうも賛成できないが、直すことはけっこうなことなんである。少しも拒むつもりはない。ただ天皇の性格を象徴でないものに変えるということ、及び軍隊を再び持つということは、これは極東委員会及び司令部の方針として賛成ができないんだ、こういう話があって、大いに修正してよろしいと、こういうことでありまするから、私はさもありなん、安心して引き下ってきて、(順77)
ですから私は、真っ先に本会議で質問しました…変わったのですだから私は一番先に本会議でまず質問をし、ここにごまかしがあるんじゃないか、なぜ主権ということをはっきりいわないのか。これが司令部の方に聞えたようでありますが、この司令部から、ごまかしておるじゃないか、はっきりソヴランディということを憲法の中にうたわなければならないという注意が出て、小委員会の途中で、主権の存する国民、「主権が国民に存することを宣言し、」というふうに、はっきりうたうことに変ったのであります。(順77)
私は今でもよく覚えておりますが、吉田さんは偉いなと思っています私は今でも記憶しておるが、吉田氏は偉いなと思っておる。(笑声)(順77)
本会議の委員長報告でも…お忘れになったようですがそして本会議の委員長報告でもそれを述べておる。今忘れたようなことになっておりますが、(笑声)(順77)
あとで聞くと…私たちは反対しましたあとで聞くと、これは芦田さんは深謀遠慮があって入れておいたのだ。この言葉を入れるというと、自衛のためには軍隊が持てることになるのだ。——こんなことは夢にも仰せられなかった。仰せられたらわれわれは反対した。(順77)
実は小委員会の速記録は…明らかになるはずです実はこの小委員会の速記録は、まだ非公開で、発表になっておりませんので、残念でありまするが、いずれ遠からざる将来に公開されると存じまするから、私がただいまここで申すようなことは皆明らかになるわけであります。(順77)
こうした跡をご覧になっても…ご理解をいただきたいのですこういうあとをごらん下すっても、一字一句といえども変えることを許されなかった。泣きの涙でいやいやながら作った。——ほかの人はどうか存じませんが、私はきわめて自由な気分で、朗らかな気分でこの憲法制定に従事し、修正にも従事いたすつもりでおるのであります。当時の気持に一つ返って御了解を願いたいのであります。(順77)
両党が賛成して…ないのですからこれを御賛成下すってGHQに持っていったとすれば、私は百パーセントGHQはこれを容認したと信ずるのでありまして、持っていったもので一つも蹴られたものはないということで証明されるのであります。(順77)
時間がありませんので、手短に結論を申します私は時間がありませんから簡単に結論づけまするが、(順77)
今の子どもたちが…やらせてよいと思っています今の子供が小学校で新憲法で育てられて、中学、大学を出て、一人前になったときに、その独立の新しい頭で批判したところで改正しようというならやらせていいと思っておりますが、(順77)
質疑のおありの方は質疑のおありの方は……。(順78)
あなたは、今の日本国憲法が…お認めになると思うあなたは現行日本国憲法がマッカーサーの草案をほとんど九〇%翻訳してできておるということはお認めになると思うが、(順79)
アメリカの初期の占領政策の第一には…どう解釈されますかアメリカの初期の占領政策の第一にこういうことがあるはずであります。日本の占領政策は、日本をして再びアメリカの脅威になるようにさしてはならぬということが一番最初にある。私はその意味を一つあなたはどういう工合に御解釈になるかお伺いをしたい。(順79)
日本を誤った方向に導いた…聞いたことがありません私は、日本を誤まりたる方向に導いた軍国主義の勢力を破砕すべしというポツダム宣言の言葉、それに基いて日本の占領政策をきめられたことは承知しておりますが、アメリカの脅威ということは聞いたことがありません。(順80)
日本が軍国主義で…考えていたと思いますしかし、とにかく日本が軍国主義で東洋及び世界の平和に偉大なる脅威を与えたことは、これは否定できてないのでありますから、再びそういう危険のないようにすることが、ポツダム宣言を受諾して降伏した日本のこれは至上命令であると私は考えておる。私だけでなく、当時の人は皆当然のことと考えておったと思うのであります。(順80)
日本を最後に負かした力のうち…ご覧になりますか日本を最後に敗北に陥れた力、それについて最も大きな力であったのが具体的にあげるというと広島、長崎に原子爆弾を落したということ、…それからもう一つは、日本と中立条約のあったソ連をして理由なき宣戦を日本に布告せしめたということ、…これはルーズヴェルト、トルーマンがやったのは原子爆弾の投下、ヤルタ協定はルーズヴェルト、この二つのことは、これはあなたは正しいこととごらんになりますか。(順81)
憲法の改正とはあまり関係のない問題ですが…最大の罪悪だと思っていますこれは憲法改正とあまり関係のない問題でありますが、御質問でありますから喜んでお答えいたしますが、私は原子爆弾を広島、長崎に落したことは最大の罪悪だと思っております。(順82)
向こうに言わせれば…そう言えたと思うのですあちらに言わせれば、中立条約を破るというが、おれの方は鉄砲で破ったが、日本は御前会議で破っておるではないか、こういうふうなことを言い得たと思うのでありまして、(順82)
今のことは、憲法の改正にも…伺ったのです私は今の問題が憲法改正に、マッカーサー草案に関係がある、深く関係があると思うので、あなたにあなたの意見を聞いたのでありますが、(順83)
その点を、あなたはどうお考えになりますかその点についてはあなたはどういう工合にお考えになるか。(順83)
(地の文)旧敵国への憎悪と…腹の中になかったとは言えないそういうつまり復讐をおそれること、並びに憎悪の念、こういうものが何としてもその下に、腹の中にないということは私は言えない。(順83)
日本の軍事力をすべてなくし…それは当然のことです日本の軍事力を全部なくして、一艦一兵といえども持たせないということは既定の方針であります。それだからそうやったと思います。それが憎悪から出たとは私は思わない。憎悪を持っていた人もあるでしょう。けれどもそれは当然なことであります。(順84)
負けた国は……/負けたから救われた…としか申し上げられません負けた国は……。負けたから救われたと思っている人はたくさんあった、当時、今でもありますが。ですからそれはどうも世界観の相違としか申し上げられません。(順84)
ケーディスが、アメリカにも軍国主義者がいるからね、君たちはそこをよく区別して聞かなくてはいけない、と言った私、司令部に行って交渉しているときに、アメリカにも軍国主義者がいるからねとケーディスが言った言葉、君方、十分区別して聞かなくちゃいけない、確かにそうだと私は思いました。(順84)
そこはあなたと私とで見方が違うのですが、憎悪はなかったというのは……これはあなたと私と見解がそこに違うのでありますが、憎悪ということはないのだということは……。(順85)
なくはない。あるかもしれません/あるかもしれないなくはない、あるかもしれません。(順86)/あるかもしれない。(順87)
先ほどのお話をうかがって…けっこうな点もあると思います私は先ほどあなたのいろいろなお話を承わって、いろいろな条文において御改正になった御苦心は了といたしますし、これはけっこうな点もあると思うが、(順87)
勝った国が旧敵国に…根に流れているのですこれは旧敵国に対する勝った方の国がこういう心持を持つのは当然だと思う。それがこの憲法の根底に流れておる。(順87)
憲法というものは…どうお考えになりますか憲法というものはやはり普遍的の、国際的の真理というだけでなしに、その国、その国の特色というものも私は入っておるべきものじゃないか。私はむしろその国の世界的立場における精神が打ち込まれておるところに憲法というものの意味があるのだと思うのですが、そういう点についてはどういう工合にお考えになりましょうか。(順87)
逆に私からお尋ねしたいのですが…お考えでしょうか私の方から逆にお尋ねしたいが、明治憲法は日本独特のものとお考えになっておられましょうか。(順88)
私が答弁を……/答弁というほどのものでなく、話し合いのつもりでお願いします私から答弁を……。(順89)/答弁というほどでなく、懇談でお願いいたします。(順90)
明治憲法が全部が全部…お答えください私は明治憲法が全部が全部、日本の国情を表わしておるとは思わぬが、日本の特徴をも表わしておると思います。けれども、私の質問に対して、先の質問に対してお答え願いたい。(順91)
世界観のようなものが違うと困るので、お尋ねしたのですそれでつまり世界観のようなものが違うと困るからお尋ねしたのですが、(順92)
日本には、残念ながら…学ぶほかはないと私は思いますそういうのがやはり日本にはなかったのですから、憲法思想が、遺憾ながら。そこでやはり世界の他の国々の持っているものの中のよいものを学ぶほかはないと私は思うのでありまして、(順92)
とにかく、私はよい憲法だと思いました…示していただきたいとにかく私はよい憲法だと思いました。当時日本で出した草案のうちのどれと比べても、マッカーサー草案の方が一番よかった。もし悪かったというなら、一つそこをお示し願いたい。(順92)
私は、憲法第九条だけは…と思っております私は憲法第九条だけ、あれをあんなふうにしておかなかったら、改正論もそう早く頭を持ち上げなかった、惜しいことをしたなと思う次第であります。(順92)
日本に憲法思想がなかったと…民主主義はあって――私は日本に憲法思想がなかったと断定するのは少し行き過ぎである。日本にもやはり民主主義もあり、日本らしい民主主義という非難を受けるかもしれぬが、日本にも民主主義もあり、(順93)
それは聖徳太子のときにありました(参考人鈴木義男君「それは聖徳太子のときにありました」と述ぶ、笑声)(順93)
日本にも民主主義の思想は…そうでしょうそこで日本にも民主主義の思想があったと思います。今度の日本国憲法には、どういう日本国の精神といいますか、日本国だけでなくてもよろしいが、どういう点がこの中に入っているかといえば、おそらくおっしゃることは平和主義と民主主義であろうと思うのです。そうでしょう。(順93)
そうですそうです。(順94)
その平和主義です。この憲法の前文に…他力本願の平和主義です平和主義について、この憲法の前文に書いてあることは、いかにも他力本願の平和主義が書いてある。(順95)
そういうものを信頼することだけで…お考えになりますかこういうものに対して、これを、われわれの安全と生存をこれに信頼することのみによっていいのだという平和主義を憲法に打ち込むということは、私はいかがなものであるか、この点はどういう工合にお考えになりますか。(順95)
それは、一部分は…抵抗もなかったのですそれは、一部分はあなたの仰せられるごとくもっともだ、よくわかるのです、私には。ですから第九条をあのときにもう少し何とかしておけばよかったという気持はありますけれども、当時はしかし何人も日本は軍隊などを持つべきでないという考えに一致しておった。ごく小数の人を除いて……。ですからそういう議論も起らなかったし、抵抗もなかったのです。(順96)
新しく日本も軍隊を…私の立場なのですですから新しくこれから一つ日本も軍隊を持つべきだというなら、それも一つの議論で、それならそのように一つ新しい問題としてわれわれは議論を進めることにやぶさかでない。ただし今の現状において日本が軍隊を持つことが適当であるかどうかということなら大いに議論があります。…そう急がぬでもいいじゃないか、もう少し天下の大勢を見ようじゃないかというのが私の立場なんです。(順96)
国民の精神の問題として…急ぐ立場に立つのです国民精神の問題、私はその点においてはなはだ急ぐ立場に立つのであります。(順97)
だいぶ長く意見を言ってしまったから、あなたのご見解もうかがいたいだいぶ長く意見を言っちゃったから、まああなたの御見解もお伺いしたい。(順97)
大変有益なご意見をうかがい…似ていると思うのです非常に有益な御意見を拝聴しまして、得るところ非常に多かったのでありますが、あなたの御意見は、マッカーサーが今アメリカにいて考えておることに似ておると思うのです。(順98)
(地の文)自分の日本統治には…失敗ではない私の日本統治には成功もあれば失敗もある。しかしその失敗は、日本にあしかれと思ってやった失敗ではないと言っている。(順98)
私などは…一人です私などは、そういう動機で与えられたものであるが、まあもう十年か十五年はこのままでずっと見ていきたいと思っておる一人であります。(順98)
田舎の方へ行ってみると…ナンセンスだと思いますいなかの方へ行ってみると、今度親孝行の義務を規定するからそれで自由党に投票する、選挙政策としては非常にいいことですが、私は憲法論としてはナンセンスだと思います。(順98)
親孝行の義務がどうなるかなど…ないので……親孝行の義務であるとか何とか将来のことはあまりきまっているものじゃない。私は自由党でも自民党でもないので……。(順99)
それは存じておりますそれは存じております。(順100)
アメリカを代表する、まあ二流の弁護士アメリカを代表しておるまあ二流の弁護士(順101)
むしろ私は…これ以上お伺いするのもなんですから……むしろ私はマッカーサーの憲法よりも、それは松本烝治先生の憲法を十分に司令部において親切に論議して、これを民主化するなり、何らかの方法によってこれを修正して持っていく方が、はるかに日本のためによかったのじゃないか。…そういう点について私は非常に意見を異にするわけであります。だからこれ以上お伺いするのは何でありますから……。(順101)
私は議論はしません。質問だけします私は議論をいたしませんで、質問をいたしますが、(順102)
今、改正を唱えている自由党や…うかがっておきたい今改正云々と言っておられる自由党あるいは当時の改進党が、党として修正案を御用意になったのか芦田さんの名前が出ましたから、党の態度を伺っておきたいと思います。(順102)
(地の文)当時、巣鴨におられたり…別問題だがその当時あるいは巣鴨におられたり、追放でおられた人たちが、御意見がまあその当時なかったということはこれは当然かもしれません。その当時追放されておったからということで、復讐なり憎悪によって御意見を出されるのは別問題でありますが、(順102)
当時、小委員会では…党の意見として反対したのです当時小委員会では修正案を出すとき、一々党に持ち帰って党の承認を得て出てきてやっておったのです。私社会党の方でそうでありましたから、自由党も進歩党も同様であったと信じます。ですからその人個人の意見じゃなかった。党の意見として修正案を出し、またそれに賛成するのも党の意見として賛成せられた。ですから賛成できない、反対をされたのは党の意見として反対されたわけであります。(順103)
芦田さん個人が…と私は考えています芦田さん個人がというわけではありません。それは小委員会ではそのようにしてやっておりますから、発言されたのは芦田さんですけれども、その背後には党があったと考えているわけです。(順103)
関連して関連して。(順104)
鈴木先生にうかがいます…百出しておりますが鈴木先生にお伺いいたしますが、大へんまあマッカーサー憲法だの、翻訳憲法だの、あるいは国民の意思に沿わない憲法だの、最近議論、百出しておりますけれども、(順104)
私はたまたま資料をいただきましたが…ほとんど通じています私はたまたま資料をいただきましたが、先ほどお話の中にありました憲法研究会の憲法草案要綱等は、基本的な原則において現行憲法とほとんど通じておる。(順104)
例の第九十帝国議会の…うかがいたい例の第九十帝国議会における憲法改正小委員会のときの議事録、この議事録等が公開なされるならば、この辺の押しつけられたとか、自主的にやったとか、あるいは自発的な判断に基いて憲法審議をやったとか、こういうことの真相、経過というものが判断できると思いますけれども、この点について先生の御意見を承わりたい。(順104)
ですから私は、天皇制を救ったのは…と見ておりますですから、私はやはり天皇制を救ったものはマッカーサー憲法草案であり、またそれをすなおに取り入れたためである、こう見ております。(順105)
(地の文)だから、あれは非常な好意から出ているだから非常な好意から出ている。(順105)
(地の文)プロシアの憲法を…だいたいはその直訳だ大体プロシア憲法の直訳であります。(順92)
小委員会の速記録については…君もまとめてくれ、とそれから小委員会の速記録は、二年ほど前に芦田さんが、私に社会党の意向を徴してもらいたい。一つあれは公開したいから、学問的研究その他の研究の資料として必要なのであるから公開したいと思う。公開をするには、衆議院の本会議において議決しなければならぬのだが、各党がまちまちでも困るから、君もまとめてもらいたい、こういうお話がありましたので、(順105)
動機がどうであれ…聞いたのですが動機がどうあろうと、歴史的事実であるのだからして、これはいつまでも隠しておくべきものじゃない、発表すべきものであり、公開して世の批判にゆだぬべきものである。だからしてわれわれは公開に賛成である。こういうお答えをしておいたのです。ところが一向お運びにならない。どうしたのかなと思って、このごろもどうですかねと言ったのですが、(順105)
まあ、憲法調査会でもできたら…考えているのだと思いますまあ憲法調査会でもできたらぜひあれは必要になるから、そのとき公開の要求をしよう——はっきりそう言ったのじゃありませんが、私の想像ではそういうふうに聞えるようなことを聞いております。ゆえに自由民主党は憲法調査会ができたら公開を迫る、こういうふうに思っていると思うのであります。(順105)
衆議院で委員会を設けて…と答えたのです衆議院で一つ委員会を設けてやろうじゃないか、再検討を。それで松岡議長が松平参議院議長に御相談になったのですが、いや、皆満足しているからそんなものをこしらえて再検討をする必要はない、こういうお答えであったのです。それから政府としても、私どもは今急いで修正しなければならぬほどの欠点も見出せなかったから、いや、これでけっこうであるという答えをしたわけです。(順105)
質疑はこれで終わります。参考人の方々…散会します質疑はこれで終ります。参考人の方、お忙しいところをおいでいただいてありがとうございました。本日は、これにて散会いたします。(順106)


事実の注
・「前項の目的を達するため」:1946年7月29日の小委員会速記録では、芦田の試案の字は「前掲の目的を達するため、」。今の条文の形になったのは8月1日。鈴木の1956年の記憶による語りとして、そのまま使った。
・「健康で文化的な」:1946年8月1日の小委員会で、鈴木の発言として速記録で確かめられる。
・主権の明記を司令部の「注意」によるとするのは鈴木の言い方。古関彰一『日本国憲法の誕生』、小宮京『昭和天皇の敗北』も GHQ の要求によるとする。
・[補足]小委員会速記録が衆議院で公開されたのは1995年。鈴木は1963年、芦田は1959年に亡くなり、どちらも公開を見ていない。
・[補足]憲法調査会法はこの国会で成立し、調査会は1957年に発足した。社会党は委員を出さなかった。
・[補足]廣瀬久忠は内務官僚の出で、厚生大臣などを務めた(明治22年生まれで、鈴木より五つ年上)。委員長の青木一男は東条内閣の大東亜大臣。吉田法晴・田畑金光は社会党の参議院議員。
・[補足]憲法調査会法案は、自由民主党の議員が提出した法案(会議録では衆議院議員の山崎巌が提案者を代表)。参考人の仕組みの説明も[補足]。
・人名・外来語の表記(ハッセー、ローウェル、ソヴランティ)は会議録の書き方に従った。[補足]ふつうはハッシー、ラウエル、ソヴリンティ(sovereignty)と書く。
・人名の読み(ひろせ ひさただ、よしだ ほうせい、たばた かねみつ、まつもと じょうじ、のさか さんぞう)は、国立国会図書館の国会会議録・帝国議会会議録検索システムに載る発言者の読みで確かめた。
・田畑金光がこの日に委員に差し替えられたことは会議録(冒頭の委員の異動)による。「若い議員」は[補足](大正3年生まれ)。

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