「……いい加減にしなさいよ、あんたたち!」
レヴィアタンの叫びを聞きながら、マキは実に残念そうな表情を浮かべた。
どうやら、秘蔵の酒を分けてもらうという計画は失敗に終わったらしい。
「もう、そんなに怒らなくたっていいじゃない。お酒はみんなで飲んだ方が美味しいのよ?」
「そのお酒の持ち主が嫌だって言ってるの!」
「ふむふむ。つまり、今度はちゃんと許可を取ればいいわけね」
「今度なんてないわよ!」
レヴィアタンは銀白色の髪を振り乱しながら怒鳴った。その隣では、ベヒモスが楽しそうに笑っている。
「ははっ! レヴィ、落ち着けって。そんなに怒ってたら話も進まないだろ?」
「誰のせいで話が進まないと思ってるのよ!」
「まあまあ。それにしても、聖女が酒好きとはね。なかなか面白いじゃん」
「あら、あんたは話がわかるわねえ」
マキは満足そうに頷いた。
しかし、二人が意気投合しかけたところで、ベヒモスの背中から伸びる巨大な機械アームが、ゆっくりと持ち上がった。
「……さて。楽しい話はここまでにしとくか」
その声に、マキは顔を上げた。
「……あら?」
「悪いな、聖女さん。あたしたちも、遊んでばかりはいられないんだ」
ベヒモスの赤い瞳が、マキの背後へ向けられた。
そこには、銃を構えたカウンターズと、シンデレラ、グレイブがいる。
先ほどから続いていた奇妙な会話の間も、彼らは一度として警戒を解いていなかった。
「なあ、そこの指揮官。あんたたちも、そろそろ答えを聞かせてくれないか?」
ベヒモスが問いかける。
「シンデレラとグレイブを、こちらへ渡してもらいたい。こっちにもいろいろ事情があってさ。できれば無駄に戦いたくないんだよな」
「断る」
指揮官の返答に迷いはなかった。
その隣で、ラピが一歩前へ出る。
「これ以上近づけば、攻撃します」
「おっと、怖いな。別にあんたたち全員を殺したいわけじゃないんだけど」
ベヒモスは軽く肩をすくめた。
「でも、こっちも手ぶらで帰るわけにはいかないんだ。困ったな」
「困ってるのはこっちよ!」
アニスが鋭く返した。
「あんたたちに付き合う理由なんてないんだから!」
「まあ、それもそうだよな」
ベヒモスは愉快そうに笑った。
しかし、その巨大なアームは徐々に位置を変えていた。
一本はシンデレラの正面へ、もう一本は一行の退路を塞ぐ方向へ伸びている。相手が会話に応じなかった場合、いつでも力ずくで捕らえられるようにするためだろう。
レヴィアタンもまた、足元から黒いダークマターを広げていた。
先ほどまでの口喧嘩が嘘のように、二人は互いの動きを補い合っている。
「……指揮官」
グレイブが低い声で告げた。
「左の通路も塞がれている。強引に突破するしかないかもしれない」
「わかっている。だが、まだ撃つな」
指揮官は周囲を確認した。
この場所は結晶が複雑に入り組んだ谷間であり、無闇に銃撃戦を始めればどのような事態になるかわからない。
しかも、敵は二体のヘレティック。
正面からの戦闘は、可能な限り避けるべきだった。
そんな緊迫した状況を、マキは困ったように眺めていた。
(……あー、これは本格的にまずいわねえ)
レヴィアタンとはそれなりに長い付き合いがある。
短気で口うるさい少女だが、何でもかんでも力で解決する性格ではないことくらいは知っていた。
ベヒモスも、話し合いそのものを楽しむ相手らしい。
だが、いくら話が通じるからといって、自分たちの目的を簡単に諦めてくれるわけではない。
マキは腕を組みかけ、そういえば片手に聖書を持っていたことを思い出して持ち直した。
ここまで来れば、もう少しだけ時間を稼ぐしかない。
しかし、さすがに同じ説法を繰り返したところで、レヴィアタンには通用しないだろう。
ならば、違う方法を考える必要があった。
「……ねえ、ベヒモス」
「ん? 何だ?」
「あんた、さっき対話が大切だって言ってたでしょう?」
「ああ。対話は進化の礎だ。あたしはそう思ってるよ」
「じゃあ、ひとつ提案があるんだけど」
マキは聖書を閉じた。
「相手が嫌だって言ってるなら、どうすればお互い納得できるか考えてみない?」
ベヒモスは目を瞬かせた。
それから、少し楽しそうに笑う。
「へえ。いいじゃん。例えば?」
「そうねえ……あんたたちは、あの子たちから何か知りたいんでしょう?」
「ああ」
「だったら、無理に捕まえなくても、話だけ聞けばいいんじゃないかしら。お兄さんたちが話したくないことまで、無理やり喋らせる必要はないでしょう?」
ベヒモスは、少し考え込んだ。
「……でもさ、それじゃあたしたちが知りたいことを教えてもらえないかもしれないじゃん」
「まあ、そうねえ」
「だったら、やっぱり捕まえた方が早くないか?」
マキは笑顔を浮かべたまま黙った。
(……うん。正論ね)
ベヒモスは気さくなだけで、決して愚かではない。
まして、相手はフォービーストの一員だ。話術だけで何もかも思い通りになるなら、マキは今頃アークで大金持ちになっていただろう。
「……あんたねえ」
レヴィアタンが呆れたように口を挟んだ。
「いい加減にしなさいよ。何を言っても、あいつらを逃がすつもりはないんだから」
「そうなの?」
「そうよ!」
マキは小さくため息を吐いた。
どうやら、自分の出番はここまでらしい。
あとはカウンターズの実力に期待するしかない。
そう考えた時だった。
視界の端で、何かが光った。
「……ん?」
マキは足元へ視線を落とした。
結晶の表面に、細い光の筋が走っている。
それは木の根のように幾重にも枝分かれし、岩壁を伝って遠くへ伸びていた。
この地帯では珍しくもない光景だ。
しかし、先ほどまではなかったはずの筋が、今は一行の足元にまで広がっている。
さらに注意して見ると、周囲の小さな結晶がわずかに成長していた。
まるで、何かに引き寄せられるように。
(……あら? これって確か……)
マキは昔、レヴィアタンに聞いた話を思い出した。
ここの結晶には、ただ硬いだけではない厄介な性質がある。
エネルギーに反応し、それを取り込んで成長するというのだ。
そのため、ニケやラプチャーが不用意に接触すると、体内へ侵入してしまうことがあるらしい。
マキは、改めて足元を見つめた。
自分の機体がどれほどのエネルギーを消費しているのかは知らない。
だが、周囲にいるニケたちが大量のエネルギーを利用して活動していることくらいはわかる。
そして、今まさに、細い結晶の枝が彼女たちの足元へ伸びていた。
「……ねえ、お嬢ちゃんたち」
マキの声が、少しだけ低くなった。
「これ、まずくない?」
レヴィアタンが振り返る。
「何がよ」
「足元よ。ほら、あの光ってるやつ」
レヴィアタンが視線を落とした。
その直後、彼女の表情が変わった。
「……っ! ベヒモス、ちょっと待って!」
「ん?」
「クリスタルの流れがおかしい!」
その警告とほぼ同時に、地面が大きく震えた。
結晶の根が、岩盤の隙間から一斉に伸び始めたのである。
細い針のようだった結晶が、瞬く間に太い枝へと成長していく。
壁面を這い上がり、足元を貫き、逃げ道を塞ぐ。
その進行方向には、カウンターズがいた。
「指揮官、下がってください!」
ラピが叫んだ。
次の瞬間、彼女たちの足元から、鋭い結晶の槍が突き出した。
シンデレラがガラスの靴を動かし、進路を塞ぐ結晶を撃ち抜く。
強烈な閃光が走り、結晶が根元から切り離された。エネルギーの供給を失った先端部分は、細かな塵となって崩れ落ちていく。
しかし、地中に残った根は、別の方向へ伸び始めていた。
「……くっ!」
グレイブが指揮官を庇い、棺を盾にする。
アニスとネオンも後退しながら銃を構えた。
「ちょっと! これ、どうなってるのよ!」
「クリスタルの異常成長です!」
ラピが答える。
「エネルギー反応に引き寄せられています! 不用意に接触しないでください!」
「それを先に言ってよ!」
アニスが慌てて足を引いた。
そのすぐ脇で、小さな結晶が急速に伸びていく。
マキは、それを見て顔をしかめた。
「……あー、やっぱりまずいやつだったのねえ」
レヴィアタンはダークマターを広げ、周囲の結晶を押し潰すように封じ込め始めた。
「ベヒモス! そっちの根を切って!」
「わかった!」
二本の巨大なアームが伸び、結晶の成長を支えている太い根を掴む。
凄まじい力が加わり、硬い結晶に亀裂が走った。
ベヒモスは一気にそれを引き千切ると、断面から広がろうとしていた細かな枝をアームで払い除けた。
「……ったく、厄介だな!」
「だから気をつけなさいって言ってるでしょう!」
「わかってるって!」
二人は互いを庇いながら、周囲の結晶を処理していく。
その様子を見て、マキは少しだけ安心した。
(……まあ、あの子たちなら何とかするでしょう)
しかし、彼女がカウンターズへ視線を戻した時だった。
赤い眼鏡の少女が、仲間から少し離れた場所にいた。
ネオン。
足元の結晶が急速に伸び、彼女の進路を塞いでいる。
しかも、背後からは別の枝が迫っていた。
周囲の状況に気を取られているネオンは、まだそれに気づいていない。
「……あ」
マキの口から、小さな声が漏れた。
その瞬間、遠い昔の記憶が脳裏をよぎる。
血の匂いが染みついた路地裏。
震える手で託された、赤い眼鏡。
そして、最後まで大切なものを守ろうとしていた、ひとりの少女。
「……まったく」
マキは大きくため息を吐いた。
「ほんと、あんたってば……」
誰に向けた言葉だったのか。
彼女自身にも、よくわからなかった。
ただ、次の瞬間には走り出していた。
「ネオン! 後ろ!」
マキの声に、ネオンが振り返った。
その時には、すでに結晶の枝が背後まで迫っていた。
鋭い先端が幾重にも分かれ、獲物を捕らえようとする触手のように伸びてくる。ネオンは咄嗟に銃を構えたが、至近距離で撃てば破片を浴びる危険があった。
何より、足元から伸びた細い結晶が、彼女の靴に絡みつき始めている。
「……っ!」
ネオンは身体を捻った。
しかし、足が動かない。
その瞬間、横から誰かが飛び込んできた。
「はい、ちょっと失礼!」
「えっ!?」
マキだった。
彼女はネオンの腕を掴むと、渾身の力で横へ引っ張った。
思いがけない勢いに、ネオンの身体が地面を転がる。靴に絡みついていた細い結晶が砕け、二人の間に白い破片が飛び散った。
しかし、それで終わりではなかった。
ネオンを捕らえ損ねた太い結晶の枝が、そのままマキの左肩へ突き刺さったのである。
鈍い破砕音が響いた。
「……っ!」
衝撃でマキの身体が大きく傾いた。
肩口の装甲が砕け、内部の駆動機構が潰れる。傷口から赤黒い液体が流れ出し、結晶の先端が複雑な機械構造の奥へ食い込んでいった。
続いて、全身へ鋭い痛みが走った。
「いったぁぁぁぁっ!!」
マキの悲鳴が、谷間に響き渡る。
「ちょっと、何よこれ!? 痛い! ものすごく痛いんだけど!」
彼女は左腕を動かそうとした。
だが、反応しない。
指先がわずかに震えただけで、肩から先は完全に沈黙していた。
「……あら?」
マキは自分の左肩を見下ろした。
結晶はまだ刺さったままである。
しかも、傷口の奥へ向かって細かな枝が伸び始めていた。
「……ちょっと待ちなさいよ」
マキの顔が引きつった。
「これ、もしかして……ものすごくまずいんじゃない?」
「聖女様!」
ネオンが慌てて駆け寄ろうとした。
しかし、マキは右手を伸ばして制止した。
「来ちゃ駄目! まだ動いてるわよ、これ!」
結晶は、マキの肩口で脈動するように明滅していた。
内部の機械構造からエネルギーを吸収しようとしているらしい。
マキ自身は、その仕組みなどまるで理解していなかった。
ただひとつわかるのは、このまま放っておけば、さらにひどいことになるという事実だけである。
「……もう!」
マキは涙目になりながら叫んだ。
「神様! 見てるならちょっとくらい助けなさいよ!」
もちろん、返事などない。
「……でしょうね!」
自分で叫んで自分で納得する。
そんな彼女の前へ、ラピが駆けつけた。
「マキさん、動かないでください!」
「動けないわよ! 肩が壊れちゃったんだから!」
「結晶へのエネルギー供給を遮断します。ネオン、周囲の枝を警戒!」
「はい!」
ラピは銃口を向けたが、すぐには撃たなかった。
結晶の根元は、マキの肩と密着している。狙いを誤れば、彼女の身体そのものを撃ち抜いてしまう。
しかも、根は地面の奥へと続いていた。
どこからエネルギーが供給されているのか、正確にはわからない。
「……指揮官、切断位置が特定できません」
ラピが報告する。
その声を聞いたマキは、ふと顔を上げた。
「……あ」
思い出したのである。
こういう厄介なものを扱うのが得意な知り合いを、ひとり知っていたことに。
「……レヴィアタン!」
マキは声を張り上げた。
「ちょっと! そこのお嬢ちゃん! 助けてちょうだい!」
少し離れた場所で結晶を押さえ込んでいたレヴィアタンが振り返る。
「……はあ!?」
「これ、取れないのよ! あんたなら何とかできるんでしょう!?」
レヴィアタンはマキの左肩を見た。
その瞬間、蛍光色めいた黄緑色の瞳が大きく見開かれた。
「……あんた、何してるのよ!」
「見ればわかるでしょう! 怪我したのよ!」
「何でわざわざそんなところに突っ込むの!」
「私だって好きで突っ込んだわけじゃないわよ!」
レヴィアタンは顔をしかめた。
目の前の女は、また余計なことをしている。
他人を助けるために自分から危険へ飛び込み、しかもその結果、手に負えない状況に陥っているのだ。
まったく理解できない。
この女には、自分の身体を大切にするという発想がないのだろうか。
「……ベヒモス!」
レヴィアタンが叫ぶ。
「ちょっとだけ、あっちを任せるわ!」
「ん? ああ、いいけど。どうした?」
「あの馬鹿が結晶に捕まったのよ!」
ベヒモスはマキへ視線を向けた。
その表情から、先ほどまでの笑みが消える。
「……おいおい。ありゃまずいじゃん」
「だから、ちょっと待ってて!」
「わかった。こっちは任せろ!」
二本の巨大なアームが結晶の根を掴み、強引に押し戻していく。
その間にレヴィアタンはダークマターを広げ、マキへ向かって移動した。
ラピたちが警戒して銃を構える。
「待って!」
マキが慌てて叫んだ。
「この子、助けに来てくれたのよ! たぶん!」
「たぶんって何よ!」
レヴィアタンが怒鳴る。
「助けに来たに決まってるでしょ! そのまま放っておいたら、あんたの身体がどうなるかわからないじゃない!」
「まあまあ、細かいことはいいじゃない」
「細かくない!」
レヴィアタンはマキの肩口を確認すると、顔をしかめた。
結晶の根は、すでに機体の内部まで侵入している。
しかも、周囲の複雑な機械構造が認識を妨げているせいで、どこまで枝が伸びているのか把握しづらかった。
「……本当に厄介な身体ね」
「作ったのは私じゃないもの。文句ならあのクソ博士に言ってちょうだい」
「言えるならとっくに言ってるわよ!」
レヴィアタンはダークマターを細く伸ばした。
黒い流体が結晶の根に絡みつき、その外側から圧力を加える。
しかし、太い根は簡単には砕けなかった。
「……っ!」
レヴィアタンの表情が険しくなる。
その様子を見た指揮官が口を開いた。
「レヴィアタン。根元を固定できるか?」
「……は?」
「こちらで供給経路を切断する。だが、動かれると狙えない」
レヴィアタンは一瞬だけ指揮官を睨んだ。
人間の指揮官に指図されるなど、面白いはずがない。
しかし、状況は理解できた。
「……わかったわよ。ただし、失敗したら承知しないから!」
「任せてくれ」
指揮官はラピへ視線を向けた。
「ラピ。根の接続部分を狙えるか?」
「はい。ただし、位置を固定してもらう必要があります」
「シンデレラ、援護を頼む」
「ええ、もちろん」
シンデレラは頷いた。
ガラスの靴がゆっくりと動き、周囲から伸びてくる結晶の枝へ照準を合わせる。
グレイブも前へ出て、指揮官たちを庇った。
レヴィアタンのダークマターが根を固定し、ラピが射撃位置へ移動する。
そして。
「……撃ちます!」
乾いた銃声が響いた。
銃弾が結晶の供給経路を正確に断ち切る。
接続を失った結晶は、内部を流れていた光を急速に失い、細かな塵となって崩れ始めた。
マキの肩に食い込んでいた部分も、少しずつ砕けていく。
「……あら?」
マキは目を瞬かせた。
先ほどまで身体の奥へ伸びようとしていた結晶が、さらさらと崩れ落ちていく。
やがて、最後の破片が消えた。
しかし、肩の損傷は残ったままだった。
装甲は深く抉れ、内部の駆動系は壊れている。
左腕も、まったく動かない。
「……あーあ」
マキは、自分の肩を見下ろした。
「これ、どうしたものかしらねえ」
レヴィアタンは、大きくため息を吐いた。
「……本当に、あんたって馬鹿よね」
「あら、ひどい」
「自分の身体くらい大事にしなさいよ!」
「はいはい。次から気をつけるわ」
「絶対気をつけないでしょうが!」
マキは、あははと笑った。
そして、レヴィアタンの頭へ右手を伸ばそうとした。
だが、彼女はその手を叩き落とす。
「子供扱いしないで!」
「あら、残念」
マキは楽しそうに笑った。
その様子を見ていたベヒモスも、ようやく大きく息を吐いた。
「……ふう。こっちも何とかなったな」
巨大なアームが、最後の結晶の根を地面へ押し戻す。
周囲の成長は、次第に収まり始めていた。
もっとも、地面の下にはまだ大量の結晶が残っている。いつ再び異常成長が起きるのか、誰にもわからなかった。
「……レヴィ」
ベヒモスが声をかけた。
「今日は、ここまでにしとこうか」
「……何でよ」
「このまま戦っても、また同じことになるかもしれないだろ? それに、あいつらが結晶に捕まったら、情報を聞き出すどころじゃなくなるじゃん」
レヴィアタンは、しばらく黙っていた。
確かに、今の状況で戦闘を続けるのは得策ではない。
それに、マキの肩も気になっていた。
もちろん、本人には絶対に言わないが。
「……わかったわよ」
レヴィアタンは渋々頷いた。
「でも、次に会った時は容赦しないから」
指揮官は、静かに頷いた。
「こちらも、戦う必要がなければ戦いたくはない」
「……ふん」
レヴィアタンは鼻を鳴らした。
その横で、ベヒモスが楽しそうに笑った。
「ははっ! いいじゃん。今日はなかなか面白い経験ができたしな」
そして、マキへ視線を向ける。
「なあ、聖女さん。また会ったら話を聞かせてくれよ」
「あら、いいわよ?」
マキはにっこりと笑った。
「ただし、次は美味しいお酒でも用意しておいてちょうだいね」
「ははっ! わかったわかった!」
「ベヒモス!」
レヴィアタンが叫ぶ。
「何でそんな約束するのよ!」
「いいじゃん。話す時に酒くらいあった方が楽しいだろ?」
「この女にお酒を与えないで!」
マキは楽しそうに笑った。
だが、その笑顔は、左肩に走った痛みによってすぐに引きつった。
「……いったぁ……」
どうやら、この傷は簡単には治りそうになかった。
◇ ◇ ◇
フォービーストの二人が去ったあと、カウンターズは結晶の成長が収まったことを確認し、比較的安全な岩棚へ移動した。
シンデレラとグレイブが周囲を警戒する中、ラピはマキの左肩を調べていた。
傷口は深く、内部の機械構造が露出している。
しかし、それ以上に奇妙なのは、どのような解析を試みても正確な情報が得られないことだった。
「……おかしいですね」
ラピが呟く。
「通常のニケとは構造がまったく異なります。材質も、内部の駆動系も、ほとんど識別できません」
「あら、そうなの?」
マキは首を傾げた。
「私にもよくわからないのよねえ」
「……ご自身の身体ですよね?」
「そうよ?」
「……把握されていないのですか?」
マキは胸を張った。
「さっぱりよ!」
ラピは黙り込んだ。
その隣で、アニスが額を押さえる。
「……何でそんなに自信満々なのよ」
「だって、私が作ったわけじゃないもの。目が覚めたらこうなってたんだから、仕方ないでしょう?」
マキは、あっけらかんと答えた。
ラピは携帯端末を操作し、損傷箇所を確認しようとした。
しかし、表示された情報は意味を成していなかった。
装甲の一部を認識しようとすると、存在しないはずの構造が表示される。
内部の駆動系を調べようとすれば、今度は何もない空間として処理される。
まるで、機体そのものが解析を拒んでいるかのようだった。
「……少なくとも、通常の修理では対応できません」
「あらら」
マキは困ったように笑った。
「じゃあ、当分このままかしらねえ」
「応急処置はできます。ただし、損傷した機構の完全な修復は難しいと思います」
「そう……」
マキは左腕へ視線を向けた。
動かない。
指先がわずかに震える程度で、肩から先はほとんど反応しなかった。
「……まったく、あの研究馬鹿」
マキは小さく呟いた。
「余計なものばっかり仕込んでないで、もう少し修理しやすくしておきなさいよねえ」
その言葉に、指揮官が眉を上げた。
「……研究者に作られたのですか?」
「ええ。昔の知り合いよ」
「その方に、修理を頼むことは?」
マキは少しだけ黙った。
そして、何でもないことのように答えた。
「もういないのよ。随分と昔に死んじゃったから」
「……そうでしたか」
「まあ、変わり者だったけど、腕はよかったのよねえ」
マキは懐かしそうに笑った。
そして、すぐに肩をすくめようとして、痛みに顔をしかめる。
「……いった! あー、もう!」
その様子を見て、ネオンが心配そうに顔を覗かせた。
「……聖女様」
「なあに?」
「本当に、ありがとうございました」
マキは目を瞬かせた。
「……何が?」
「私を助けてくれたことです」
ネオンは、少しだけ俯いた。
「私たち、今日初めて会ったばかりなのに……。それなのに、こんな怪我までして……」
マキは、しばらく彼女を見つめていた。
その視線が、赤い眼鏡へ向けられる。
そして、小さく笑った。
「……別に、大したことじゃないわよ」
「でも……」
「だって、目の前にいたんだもの。見て見ぬふりするのも、後味が悪いでしょう?」
マキは右手で聖書を持ち上げた。
「それに、聖女様としては当然のことよ」
ネオンは、少しだけ目を見開いた。
「……聖女様」
「ただし!」
マキは、人差し指を立てた。
「お礼はちゃんといただくわよ?」
「……え?」
「美味しいものを奢ってちょうだいね。できれば、お酒もあると嬉しいわ」
ネオンは、一瞬だけ呆然とした。
そして、思わず笑った。
「……はい!」
その様子を見ていたアニスが、呆れたように呟く。
「……ほんと、何なのよ、この人」
シンデレラも、楽しそうに微笑んでいた。
「……でも、とても美しい行いだったと思うわ」
「あら、そう?」
「ええ。自分が傷つくかもしれないのに、誰かを助けるために動いたのでしょう?」
マキは、少しだけ困ったように笑った。
「いやー、そこまで考えてなかったのよねえ。今になって後悔してるくらいだもの」
「……後悔?」
「だって、痛いじゃない!」
あまりにも率直な返答に、アニスが吹き出した。
ネオンもつられるように笑い、シンデレラは満足そうに頷いた。
その隣で、グレイブだけは無言のままマキを見つめていた。
彼女は、あの奇妙な機体の構造について考えていた。
通常のニケとは異なる。
ヘレティックとも違う。
そして、何より。
どれほど解析しようとしても、その存在を正確に捉えることができない。
それは、彼女の知るどの技術体系にも当てはまらなかった。
「……マキ」
グレイブが低い声で尋ねた。
「お前、本当に何者だ?」
マキは、にっこりと笑った。
「だから聖女よ、聖女」
「……そういう意味ではない」
「もう、みんな同じことばっかり聞くのねえ」
マキは肩をすくめようとして、また痛みに顔をしかめた。
その様子を見て、指揮官が口を開く。
「……マキさん。よければ、私たちと一緒に来ませんか?」
「あら?」
マキは目を丸くした。
「いいの?」
「傷のこともありますし、ここにひとりで残していくわけにはいきません。それに、あなたにはまだ聞きたいこともあります」
マキは、しばらく考えた。
そして、にんまりと笑った。
「そうねえ。それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」
アニスが露骨に顔をしかめた。
「……指揮官、本当に連れていくの?」
「放っておくわけにもいかないだろう」
「それはそうだけど……。絶対に面倒なことになるわよ、この人」
「失礼ねえ。私はとってもおとなしい聖女よ?」
「さっきまでヘレティックと酒の話で盛り上がってた人が何言ってるのよ!」
マキは、あははと笑った。
その様子を見て、指揮官も思わず苦笑する。
確かに、面倒な人物を拾ってしまったのかもしれない。
しかし、彼女がネオンを助けたことは事実だった。
そして、その身を犠牲にしてまで誰かを助けようとした行動は、決して軽視できるものではなかった。
マキは、そんな彼らの反応など気にも留めていない。
むしろ、指揮官が持っている携行食の方が気になっていた。
「……あ、そうだ。お兄さん」
「何でしょう?」
「さっき言ってた携行食って、まだ残ってる?」
指揮官は、一瞬だけ言葉を失った。
「……ええ。ありますが」
「あら、本当!?」
マキの顔が、ぱっと輝いた。
「いやー、よかった! 実はもうお腹ぺこぺこなのよねえ」
「……あんた、さっき魚を食べてたんじゃないの?」
アニスが呆れたように尋ねる。
「それはそれ、これはこれよ」
マキは胸を張った。
「それに、怪我をした時は栄養を取らないと駄目でしょう?」
「……機械の身体なのに?」
「あら、そうだったわね」
マキは少しだけ考えた。
そして、にんまりと笑った。
「まあ、細かいことはいいじゃない。神様も言ってるわよ。『腹が減っては戦はできぬ』って」
「それ、ただのことわざでしょうが!」
アニスの突っ込みに、マキは楽しそうに笑った。
ネオンもつられて笑い、シンデレラは微笑みながらその様子を眺めている。
ラピは小さくため息をつき、グレイブは相変わらず無言で周囲を警戒していた。
その中心で、指揮官は再び思った。
どうやら、自分たちはとんでもない人物と出会ってしまったらしい。
だが、その出会いが何をもたらすのか。
今はまだ、誰にもわからない。
何しろ、当の本人ですら、自分がどれほど奇妙な存在なのか理解していないのだから。
神様なんて、どこにもいない。
少なくとも、マキはそう信じている。
奇跡を待つくらいなら、自分で動いた方が早い。困っている者がいれば、適当な説法でもして励ませばいい。
そして、うまくいったら、美味しいものを食べて酒を飲む。
それだけで、人生というものは案外どうにかなる。
そんな、何ともいい加減な信条を胸に、ひとりのペテン師は今日も歩いていく。
自分がすでに、ある科学者によって「機械じかけの神」として作り変えられていることも。
その科学者が、自分をどれほど異常な存在にしようとしていたのかも。
まだ、何ひとつ知らないまま。
次回 第4話『聖女様、身元不明につき尋問される』