翌朝。
「……よし、準備完了」
東雲優は、自室の姿見を前に装備の最終確認をしていた。
黒を基調とした軽装の戦闘服。その上から防御性能を持つ薄手のジャケットを羽織り、腰には二振りの刀を差している。
右腰に差した黒い鞘の刀は、重量があり、一撃の威力に優れる。
対して左腰の白い鞘の刀は、やや短く、取り回しを重視したものだ。
どちらも優が鍛冶師のジョブで自作した武器だった。
もっとも、現時点では名工の作品と呼べるほどの代物ではない。
素材も決して高価ではなく、特殊な能力が備わっているわけでもない。
それでも、優にとっては何よりも使い慣れた武器だった。
「装備よし。回復薬よし。食料よし……っと」
スマートフォンに表示したチェックリストを一つずつ確認していく。
昨日までなら、こうした準備はクランの仲間たちと分担していた。
しかし、今日からは違う。
装備の点検も、物資の調達も、戦闘中の判断も。
すべて自分一人で行わなければならない。
「ま、気楽でいいか」
優は小さく笑い、部屋を後にした。
◇
東京に出現した巨大な《塔》。
その周辺は、二年前とは比べものにならないほど発展していた。
塔を囲むように建設された冒険者関連施設。
装備品を扱う専門店。
魔石や魔物素材を買い取る商業施設。
さらには、冒険者向けの宿泊施設や飲食店まで立ち並んでいる。
かつて異常事態として扱われた塔は、今や日本経済の一部を支える存在となっていた。
「相変わらず人が多いな……」
優は人混みを抜け、冒険者協会の受付へ向かった。
受付に設置された端末へ冒険者カードをかざす。
『冒険者情報を確認しました』
『氏名:東雲優』
『所属:無所属』
『入塔申請を受け付けました』
画面に表示された文字を見て、優は少しだけ苦笑した。
「本当に無所属になったんだな」
昨日まで当たり前のように表示されていたクラン名は、もう存在しない。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
優は端末を操作し、攻略予定の階層を選択する。
「今日は第十二階層でいいか」
第十二階層。
広大な森林地帯が広がる、中級冒険者向けの階層だ。
出現する魔物は、主に獣型と植物型。
突出して強力な魔物は少ないものの、群れで行動する個体が多く、油断すれば熟練の冒険者でも命を落とす危険がある。
通常、協会は複数人での攻略を推奨している。
しかし、優にとっては何度も訪れたことのある場所だった。
「素材もそこそこ高く売れるし、実験にはちょうどいいな」
申請を終えた優は、塔の入口へ向かった。
巨大な門をくぐった瞬間、周囲の景色が歪む。
視界が白く染まり、足元の感覚が一瞬だけ消失した。
次の瞬間。
優の目の前には、青々とした森林が広がっていた。
「……さて、始めるか」
◇
塔の第十二階層。
木々の隙間から差し込む陽光が、地面にまだら模様を描いている。
鳥のさえずりに似た音が響き、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。
一見すると、普通の森林と何ら変わらない。
しかし、ここは塔の内部だ。
どこに魔物が潜んでいるか分からない。
優は足を止め、静かに目を閉じた。
「……まずは索敵からだな」
意識を集中させ、体内の魔力をゆっくりと循環させる。
魔法使いのジョブで習得した基礎技術。
魔力感知。
周囲に存在する魔力の反応を読み取り、生物や魔法の存在を探る技術だ。
ただし、万能ではない。
対象との距離が離れるほど精度は低下し、地形や魔力の濃度によっても感知結果は変化する。
それでも、何も知らずに歩くよりは遥かに安全だった。
「……前方に三体。いや、四体か」
優は目を開いた。
木々の向こうから、低い唸り声が聞こえてくる。
やがて姿を現したのは、灰色の毛皮を持つ狼型の魔物だった。
フォレストウルフ。
第十二階層では比較的よく見られる魔物である。
単体なら脅威度は低い。
しかし、群れで連携して獲物を追い詰める習性があり、複数体を同時に相手取る場合は注意が必要だった。
「四体か。ちょうどいい」
優は腰の白刀に手をかけた。
その瞬間、先頭の一体が地面を蹴った。
「ガァッ!」
鋭い牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
優は半歩だけ身体をずらした。
それと同時に、白刀を抜く。
銀白色の刀身が陽光を反射した。
一閃。
フォレストウルフの身体に赤い線が走る。
「ギャンッ!」
魔物は地面へ転がり、そのまま動かなくなった。
だが、残る三体は怯まない。
二体が左右へ散開し、最後の一体が正面から距離を詰めてくる。
「連携してくるよな、そりゃ」
優は刀を構え直した。
通常なら、ここで後退して敵の包囲を崩すのが定石だ。
しかし、今日は違う。
優には試してみたいことがあった。
「……展開」
左手を軽く持ち上げる。
その掌の前に、小さな青白い魔法陣が浮かび上がった。
初級魔法《ウィンド》。
圧縮した空気を放出する、風属性の基礎魔法だ。
威力は低く、単体では魔物を倒すことすら難しい。
だが、使い方次第では十分に役立つ。
「吹き飛べ」
魔法陣が輝いた。
次の瞬間、正面から迫っていたフォレストウルフの身体が横へ弾かれる。
致命傷には程遠い。
しかし、それで十分だった。
「そこ!」
優は踏み込んだ。
白刀が弧を描き、体勢を崩した魔物の首元を切り裂く。
二体目。
その直後、右側から別の個体が飛びかかってきた。
「っと!」
優は身を沈め、牙を回避する。
そして、左足を軸に身体を回転させた。
刀の柄頭を魔物の顎へ叩き込む。
鈍い音が響いた。
相手が怯んだ隙に、白刀を突き出す。
三体目。
「残り一体」
優は最後のフォレストウルフへ視線を向けた。
魔物は低く唸りながら、こちらの様子を窺っている。
仲間を三体倒されたことで、警戒しているのだろう。
優は白刀を下ろした。
「じゃあ、次は別の方法を試すか」
刀を鞘へ戻す。
そして、右手を前に突き出した。
足元に小さな魔法陣が展開される。
「《アースバインド》」
地面が隆起した。
土が縄のように伸び、フォレストウルフの四肢へ絡みつく。
「グルルッ!?」
魔物が暴れる。
しかし、足元を固定されているため、思うように動けない。
「……拘束成功」
優はその様子を観察した。
土属性の拘束魔法。
通常なら、後衛の魔法使いが敵の動きを封じ、前衛の仲間がとどめを刺すために使用する。
だが、今の優には仲間がいない。
ならば、自分で両方を行えばいい。
「《ファイアボルト》」
新たな魔法陣が浮かび上がる。
炎が収束し、一本の矢のような形状を取った。
次の瞬間。
炎の矢が一直線に放たれた。
拘束されたフォレストウルフは回避できず、その一撃をまともに受ける。
短い断末魔。
そして、静寂。
「……ふぅ」
優は息を吐いた。
戦闘開始から、わずか数十秒。
四体のフォレストウルフは、すべて倒されていた。
「悪くないな」
優は刀を確認しながら呟く。
剣術と魔法の組み合わせ。
これまでにも、似たような戦い方を試したことはあった。
しかし、クランに所属していた頃は、前衛と後衛の役割が明確に分けられていた。
魔法使いは後ろで魔法を撃つ。
剣士は前で敵を倒す。
それが効率的だとされていたからだ。
だが、優は違和感を覚えていた。
「魔法使いが前に出ちゃいけない理由なんて、ないよな」
もちろん、問題はある。
魔法陣を構築するには集中力が必要だ。
近接戦闘中に術式を組み立てれば、その一瞬の隙が命取りになる。
しかし、それはあくまで一般的な魔法使いの場合だ。
優には剣士としての経験がある。
武闘家として身体操作を学び、ガンナーとして動く標的を捉える技術も身につけている。
それらを応用すれば、戦闘中でも魔法を構築できるのではないか。
「……試す価値はあるな」
優は小さく笑った。
◇
それから一時間ほどが経過した。
優は森林の奥へと進みながら、魔物との戦闘を繰り返していた。
ゴブリン。
フォレストウルフ。
トレントの幼体。
いずれも、この階層では珍しくない魔物だ。
しかし、優にとって重要なのは討伐数ではなかった。
戦い方そのものを検証すること。
それが今日の目的だった。
「……やっぱり難しいな」
優は木の幹に背を預け、右手を見つめた。
先ほどの戦闘で、魔法陣の構築に失敗したのだ。
剣を振るいながら魔法を展開しようとした瞬間、集中が乱れ、術式が崩壊した。
魔力だけが無駄に消費され、発動には至らなかった。
「単純に二つのことを同時にやろうとするから駄目なのか……?」
優は考える。
剣術と魔法。
それぞれの動作を別々に意識すると、どうしても集中が分散してしまう。
ならば。
「……一つの動作にまとめれば?」
優は立ち上がった。
白刀を抜き、ゆっくりと構える。
呼吸を整える。
肩の力を抜き、足元の重心を安定させる。
そして、刀を振るった。
横薙ぎ。
返す刀で斬り上げ。
さらに一歩踏み込み、突きを放つ。
何度も繰り返してきた基本動作。
身体が覚えている動きだ。
「……ここに魔法陣を組み込む」
優は刀を振るう動作に合わせ、魔力を循環させた。
肩から腕へ。
腕から手首へ。
そして、刀身へ。
通常、魔法使いは魔法陣を身体の前方に展開する。
だが、それが絶対の決まりというわけではない。
重要なのは、術式を安定して構築できるかどうかだ。
「だったら……」
優は刀を構え直した。
今度は、刀身のすぐ横に小さな魔法陣を展開する。
青白い光が浮かび上がった。
「……お?」
魔法陣は崩れなかった。
優は慎重に刀を振るう。
すると、魔法陣が刀の動きに追従するように移動した。
「……できた?」
思わず声が漏れる。
しかし、次の瞬間。
パリンッ!
乾いた音とともに、魔法陣が砕け散った。
「……あー、駄目か」
優は苦笑した。
だが、落胆はしていなかった。
むしろ、目を輝かせていた。
「今の、途中までは成功してたよな?」
刀の動きに合わせて魔法陣を維持できた。
ほんの一瞬ではあったが、確かに成功していた。
ならば、あとは安定性を高めればいい。
「……面白くなってきた」
優は再び刀を構えた。
一度目。
失敗。
二度目。
失敗。
三度目。
魔法陣は展開されたものの、刀を振るった瞬間に崩壊した。
四度目。
五度目。
六度目。
何度も繰り返す。
魔力が減少し、額に汗が滲み始めた。
それでも優は止まらなかった。
「……もう少し」
七度目。
刀を振るう。
魔法陣が追従する。
そして――。
「《ウィンド》!」
青白い光が弾けた。
刀の軌道に沿って、風の刃が放たれる。
数メートル先の木の幹に、浅い傷が刻まれた。
「…………」
優はしばらく、その傷を見つめていた。
そして。
「……できた」
小さく呟く。
「できたぞ……!」
思わず拳を握った。
威力は低い。
精度も不安定だ。
魔力消費も通常の発動より多かった。
だが、それでも。
剣を振るいながら魔法を発動できた。
その事実が、何よりも重要だった。
「これを安定させれば……」
優の頭の中で、無数の可能性が広がっていく。
剣を振るうと同時に炎を放つ。
斬撃に合わせて風を操る。
敵の攻撃を受け流しながら、足元に拘束魔法を展開する。
そして、いずれは。
複数の魔法陣を同時に展開し、近接戦闘と魔法を完全に融合させる。
「……ははっ」
優は笑った。
誰もが不遇職と呼ぶ魔法使い。
だが、本当にそうなのだろうか。
魔法使いが弱いのではない。
まだ、その可能性が十分に研究されていないだけではないのか。
「……絶対、面白いことになるな」
優は刀を鞘へ戻した。
その表情には、昨日までの迷いなど微塵もなかった。
◇
夕方。
塔から帰還した優は、冒険者協会の素材買取窓口に立っていた。
「本日の買取金額はこちらになります」
受付の女性が端末を操作する。
表示された金額を見て、優は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
想定していたよりも、少しだけ多い。
これなら当面の生活費は確保できそうだった。
もっとも、今後の装備更新やジョブ育成を考えれば、決して余裕があるわけではない。
「……まだまだ稼がないとな」
優は冒険者カードを受け取り、協会を後にした。
外へ出ると、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
塔の巨大な影が、街を覆っている。
優はその姿を見上げる。
「……今日は収穫があったな」
剣術と魔法の融合。
まだ実用段階には程遠い。
しかし、確かな一歩だった。
そして何より、優は今日一日を心から楽しんでいた。
クランに所属していた頃は、周囲の評価を気にしてばかりだった。
どのジョブを育てるべきか。
どうすれば仲間の役に立てるか。
どうすれば器用貧乏と呼ばれずに済むか。
だが、今は違う。
自分のために戦い、自分のために学ぶ。
それが、こんなにも楽しいものだったとは。
「……さて、明日は何を試そうかな」
優はスマートフォンを取り出した。
ジョブ一覧を開く。
そこには、これまで経験してきた数多くのジョブが並んでいた。
剣士。
武闘家。
ガンナー。
鍛冶師。
魔法使い。
そして、まだ十分に育成できていない職業も数多く存在する。
「……先は長いな」
思わず苦笑する。
だが、嫌な気分ではなかった。
むしろ、その果てしない道のりに胸が高鳴っていた。
「全部、極めてやるよ」
優は静かに呟いた。
その言葉を聞く者はいない。
だが、この日。
東雲優は確かに、後の自分へとつながる一歩を踏み出していた。
魔法使いは後衛であるべき。
一つのジョブを極めるべき。
異なる技術を組み合わせるのは非効率。
そんな常識を、彼は少しずつ覆していく。
そして、いつの日か。
彼が生み出す魔法は、既存の魔法体系そのものを変えることになる。
――だが、それはまだ先の話。
今はただ、一人の青年が、自らの可能性を追い求めているだけだった。
東雲優。
二十歳。
元クラン所属の、無名の冒険者。
後に《万職の創造魔導士》と呼ばれる男の、本当の冒険は始まったばかりだった。
そして、彼はまだ知らない。
この塔の奥深くに、自分自身の常識さえ覆す存在が待ち受けていることを。
自分とまったく同じ姿を持つ、もう一人の自分が。
――運命の歯車は、静かに回り始めていた。