統一暦一九一七年。
帝国軍士官学校、第三魔導演習場。
「ヴァルターァァァ!!」
教官の怒声が演習場に響き渡った。
「貴様は何度言えば分かるんだ!!」
「申し訳ありません、教官殿!」
エーリヒ・ヴァルター候補生、十八歳。
彼は現在、教官の前で直立不動の姿勢を取っていた。
その顔は煤で真っ黒に汚れ、軍服の袖からは細い煙が立ち上っている。
足元には、原形を留めていない訓練用小銃が転がっていた。
そして、その背後には――。
壁の一部が吹き飛んだ校舎があった。
「……ヴァルター候補生」
「はっ!」
「私は貴様に何を命じた?」
「射撃術式の基礎訓練であります!」
「そうだ。基礎訓練だ。では、なぜ小銃が破裂している?」
「魔力を込めすぎました!」
「なぜ校舎の壁が吹き飛んでいる!?」
「射線が逸れました!」
「そもそも校舎に向けて撃つ馬鹿がどこにいる!!」
「申し訳ありません!!」
幸い、被害を受けたのは改修工事のため立入禁止となっていた旧校舎であり、負傷者はいなかった。
しかし、だからといって許される話ではない。
教官は額に手を当てた。
「……今月、貴様が破壊した小銃は、これで何丁だ?」
「はっ! 七丁であります!」
「七丁……」
「先月より二丁少なくなりました!」
「改善したつもりか!!」
「はい!」
「褒めておらん!!」
演習場の隅で、候補生たちが必死に笑いをこらえていた。
「おい、聞いたか。今月は七丁目だってよ……」
「さすがはエーリヒ・デストロイヤーだな」
「今度は校舎まで吹き飛ばしたぞ。次は何を壊すつもりなんだ?」
エーリヒ・デストロイヤー。
それは、士官学校の候補生たちがエーリヒにつけた、なんとも不名誉なあだ名だった。
訓練のたびに小銃を壊し、演算宝珠を故障させ、ときには演習場の設備まで破壊する。
その被害の多さから、いつしかそう呼ばれるようになったのである。
もっとも、本人はそのあだ名を耳にしても、特に怒る様子はなかった。
「……デストロイヤーか。確かに、よく壊しているからなぁ」
むしろ少し申し訳なさそうに、足元の小銃を見つめていた。
エーリヒは真剣だった。
誰よりも真面目に訓練へ取り組み、誰よりも熱心に教本を読み、誰よりも多くの時間を演習場で過ごしている。
それなのに、結果はいつも同じだった。
飛行術式を使えば、一センチも浮かない。
射撃術式を使えば、小銃が破裂し壊れる。
防御術式を使えば、魔力を無駄に消費してしまう。
複雑な術式に至っては、まともに構築することすらできない。
そんな彼にも、一つだけ突出した才能があった。
魔力量である。
帝国軍の適性検査記録において、エーリヒ・ヴァルターの保有魔力量は、確認されている魔導師の中でも最高水準に位置していた。
並の魔導師ならば数回の術式行使で魔力が枯渇するような状況でも、彼の魔力は底を見せない。
だが、魔力量が多いだけでは航空魔導師にはなれない。
術式を正確に構築し、必要な量の魔力を送り込み、それを安定して維持する。
その基本ができなければ、どれほど膨大な魔力を持っていても意味がない。
そしてエーリヒは、その基本が致命的に苦手だった。
◇ ◇ ◇
同日夕刻。
士官学校の教官室。
グスタフ・リヒター大尉は、一枚の成績表を前に頭を抱えていた。
エーリヒ・ヴァルター。
入学から一年が経過しようとしている候補生である。
魔力量――最上位。
体力――優秀。
射撃技術――不良。
術式構築――不良。
魔力制御――極めて不良。
飛行技術――評価不能。
「……どうしてこうなった」
リヒターは深いため息をついた。
入学時、この青年には大きな期待を寄せていた。
これほどの魔力量があれば、将来は帝国軍でも指折りの航空魔導師になれるかもしれない。
そう考えたのだ。
しかし、一年近く指導しても成果は芳しくない。
教官たちが考えられる限りの指導方法を試しても、状況はほとんど変わらなかった。
魔力を抑えさせれば術式が成立しない。
魔力を流させれば、必要量を大幅に超えてしまう。
飛行術式では姿勢制御どころか浮揚すらできず、射撃術式では小銃そのものが耐えられない。
「……魔力を扱う才能が、ここまで欠けているとはな」
リヒターは窓の外を見た。
夕暮れの演習場では、候補生たちが飛行訓練を続けている。
その片隅に、一人だけ地面に立っている青年がいた。
エーリヒだ。
彼は教本を片手に、何度も空を見上げていた。
「……それでも、諦めんのか」
リヒターは小さく呟いた。
エーリヒは失敗を繰り返している。
同級生たちからは、魔力量だけの落第生と陰口を叩かれることもあった。
それでも彼は、翌日になれば必ず訓練場へ現れる。
失敗すれば謝罪し、教えられれば礼を言い、また挑戦する。
決して手を抜かない。
だからこそ、リヒターには分からなかった。
これほど努力している青年が、なぜ一向に上達しないのか。
「……ヴァルター。貴様をどう育てればいいのだ」
答える者はいなかった。
机の上には、今日の事故報告書が置かれていた。
損害――訓練用小銃一丁。
旧校舎外壁、一部崩落。
人的被害――なし。
リヒターは報告書を見つめ、疲れ切った声で呟いた。
「……せめて明日は、何も壊さんでくれ」
◇ ◇ ◇
その頃。
演習場の片隅では、エーリヒが一人、空を見上げていた。
夕日に照らされた候補生たちが、頭上を飛んでいく。
「……いいなぁ」
思わず声が漏れた。
自分も、あんなふうに飛びたかった。
立派な航空魔導師になって、祖国を守る。
そのつもりで士官学校に入学した。
だが、現実は厳しかった。
「……今日も駄目だったな」
エーリヒは足元を見た。
どれほど頑張っても、空へ浮かぶことはできない。
教官には毎日のように叱られ、訓練用の小銃まで壊してしまう。
それでも。
「……まあ、明日があるか!」
彼は顔を上げた。
「百回やって九十九回失敗しても、一回成功すればいいんだ!」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
そして教本を開き、もう一度、術式の構築手順を読み始めた。
エーリヒ・ヴァルター。
帝国軍士官学校において、最も魔力量が多く、最も教官を悩ませる候補生。
この時、彼が後に帝国軍屈指の地上戦闘魔導師へと成長することを、誰も想像していなかった。
本人でさえも。