統一暦一九一九年。
クルスコス陸軍航空隊試験工廠。
エレニウム工廠で始まったエーリヒ専用演算宝珠の研究は、脚部補助装具の開発にまで発展していた。高速走行や大跳躍を試すには従来の試験場では手狭なため、今回はクルスコスの広大な飛行場が選ばれた。
『エーリヒくん! 聞こえるかね!』
「はい! 感度良好です、ドクトル!」
飛行場の一角で元気よく答えたのは、士官学校の最終学年を迎えた二十歳のエーリヒ・ヴァルターだった。肩に固定された無線機の送話器を確かめながら、遠くに見える管制塔へ視線を向ける。
『よろしい! 装具の調子はどうかね?』
「問題ありません! 準備はできています!」
エーリヒは軽く膝を曲げ、足元を確かめた。
両脚には膝と足首を覆う金属製の補助装具が取り付けられ、腹部には帝国軍の紋章が刻まれた四角い装備箱が固定されている。
一見すると航空魔導師の装備によく似ているが、その箱の内部には脚部制御装置が収められ、太い導線が腰から両脚へと伸びていた。
『よしよし! それでは、さっそく始めようではないか!』
「了解しました!」
エーリヒは大きく息を吸い、管制塔へ向かって親指を立てた。
◇ ◇ ◇
飛行場を見渡す管制塔の観測室では、シューゲルがマイクを握りしめ、嬉々として試験の準備を進めていた。
その背後では数名の研究員が計測器を取り囲み、演算宝珠から送られてくる魔力出力や装具の動作記録を確認している。
「……ドクトル。本当に大丈夫なのでしょうな?」
隣に立つリヒター大尉が、不安げに口を開いた。
「何がかね?」
「安全装置です。前回の試験でも問題があったでしょう」
「今回は脚部補助装具に大幅な改良を加えた! 理論上は完璧だ!」
「その『理論上』という言葉が、私は一番信用できんのですが……」
しかし、シューゲルはリヒターの心配など気にも留めず、さっそくマイクを口元へ寄せた。
「エーリヒくん! まずは身体強化術式を起動したまえ!」
『了解しました!』
管制塔の窓から、エーリヒが腰を落とす姿が見えた。
「魔力入力、正常です!」
「脚部制御装置、起動を確認!」
研究員たちの報告を聞いたシューゲルは、満足そうにうなずいた。
「よし! エーリヒくん! 前方へ全力で跳躍したまえ!」
『了解しました、ドクトル!』
エーリヒが地面を蹴った。
ドゴォォンッ!!
土砂が爆ぜ、凄まじい衝撃音が飛行場に響き渡った。
次の瞬間、エーリヒの身体が斜め上空へと飛び出した。
『うおおおおおおっ!?』
あっという間に地面が遠ざかり、十メートル、二十メートル、そして三十メートルと高度が増していく。
跳躍というより、もはや人間を大砲で撃ち出したような有様だった。
「す、すごい……!」
研究員の一人が思わず声を漏らした。
しかし、シューゲルはそれ以上に興奮していた。
「ハハハハッ! 見たまえ! これが私の新しい脚部補助装具だ!」
リヒターは、窓の向こうを猛烈な勢いで横切っていくエーリヒを見つめ、思わず顔を引きつらせた。
「……待て。あれは跳躍なのか? 人間を大砲で撃ち出したようにしか見えんぞ!?」
そのとき、研究員が声を上げた。
「ドクトル! 脚部制御装置の出力が、予定値を超えています!」
「何?」
「加速制御が追いついていません! 出力が上昇し続けています!」
シューゲルは計器に目を向けた。
そして、笑った。
「素晴らしい! 想定を超える性能ではないか!」
「ドクトル! 喜んでいる場合か! このまま続けて大丈夫なのか!?」
リヒターが詰め寄るが、シューゲルは構わず再びマイクを握った。
「エーリヒくん! 出力を維持したまえ! まだ測定が終わっていない!」
◇ ◇ ◇
『ドクトル!? ちょっと待ってください!!』
エーリヒは必死だった。
眼下を飛行場の地面が猛烈な速度で流れていく。
上空へ跳び上がったのはいいが、そこから先をまったく考えていなかった。というより、考える暇などなかった。
「ドクトル! 止まりません! どうやって着地すればいいんですか!?」
『落下速度に合わせて脚部制御装置を調整したまえ!』
「それができません!!」
『何だと!?』
エーリヒは胸元を見た。
演算宝珠の表面で、赤い警告光が激しく点滅している。
「警告灯が光っています! ドクトル、試験の中止をお願いします!」
◇ ◇ ◇
「ドクトル! 制御信号に異常が発生しています!」
管制塔の研究員が悲鳴に近い声を上げた。
「脚部制御装置が入力を正常に処理できていません!」
「ならば出力を落とせばいい!」
「減速指令が反映されません!」
別の研究員も顔を上げた。
「安全装置も作動していません! このままでは危険です!」
リヒターがシューゲルの肩をつかんだ。
「ドクトル! 直ちに試験を中止させてください!」
「馬鹿なことを言うな! 今が最も貴重な測定段階だぞ!」
「実験よりヴァルターの命が大事だろうが!!」
リヒターの怒号が観測室に響いたが、シューゲルはマイクを離そうとしない。
「エーリヒくん! 君なら制御できる! 集中したまえ!」
『ドクトル! 前に建物があります!!』
「何?」
シューゲルが窓の外を見た。
エーリヒの進行方向には、試験場の端に建つ資材倉庫があった。
もちろん、試験のために内部は無人となっている。
だが、無人だからといって、突っ込んでよい理由にはならない。
「ドクトル!!」
リヒターが叫んだ。
その直後。
◇ ◇ ◇
「うわああああああっ!!」
エーリヒは必死に身体をひねった。
空中で停止することも、方向転換することもできない。
ならば、せめて足から受け止めるしかなかった。
迫り来る倉庫の壁。
屋根のすぐ下。
エーリヒは両脚を前に突き出し、防御術式を展開した。
ドガァァァンッ!!
激突。
壁板が砕け、窓ガラスが吹き飛んだ。
「ぐあっ……!!」
身体に凄まじい衝撃が走ったが、防御術式のおかげで壁を突き破ることだけは免れた。
エーリヒの両脚が、壁に押しつけられる。
その瞬間。
ガキンッ!
脚部装具から、不気味な金属音が響いた。
「……え?」
膝の関節が勝手に曲がったかと思うと、次の瞬間、猛烈な勢いで伸びた。
「ちょっ、待っ――」
ドンッ!!
エーリヒの身体が、再び射出された。
倉庫の壁を蹴りつけるように、斜め下へ。
しかも、今度は頭からだった。
「ぎゃああああああっ!!」
地面が迫る。
エーリヒは咄嗟に頭を両腕でかばい、防御術式に残る魔力を注ぎ込んだ。
ズガァァァンッ!!
試験場の地面が爆ぜ、土煙が高く舞い上がった。
◇ ◇ ◇
管制塔。
「ヴァルターッ!!」
リヒターが叫んだ。
研究員たちは一斉に立ち上がり、計器を確認する。
「魔力反応は!?」
「あります! ですが、装具の出力が異常です!」
「何だと!?」
土煙の向こうから、奇妙な金属音が聞こえ始めた。
ガクンッ。
ガガガッ。
ギギギギッ!
煙が少しずつ晴れていく。
そこには、地面に倒れたエーリヒの姿があった。
そして。
両脚の装具だけが、勝手に動き続けていた。
膝が曲がり、足首が跳ね、片脚が伸びたかと思えば、もう片方が激しく震える。
まるで壊れた機械人形だった。
『ド、ドクトル! 脚が! 脚が勝手に動いています!!』
無線からエーリヒの悲鳴が響く。
シューゲルは計器をのぞき込んだ。
「ほう!? まだ動いているのかね!?」
「ドクトル! 装具内部の魔力が遮断できません!」
「回路温度が急上昇しています!」
「このままでは装具が持ちません!」
研究員たちの報告が次々と飛ぶ。
リヒターはシューゲルからマイクを奪い取った。
「ヴァルター! 聞こえるか!」
『きょ、教官!?』
「直ちに宝珠への魔力供給を止めろ! 脚を動かすな!」
『止めています! でも勝手に動くんです!!』
そのとき。
バチバチッ!
装具の関節部分から青白い火花が噴き出した。
『……あ』
エーリヒの声が、無線に漏れた。
次の瞬間。
ボガァァンッ!!
脚部装具が爆発した。
飛び散る破片。
噴き上がる土煙。
観測室に、沈黙が落ちた。
「…………」
リヒターは、しばらく動けなかった。
そして。
「衛生班を出せ!! 私も行く!!」
弾かれたように管制塔を飛び出していった。
一方、シューゲルは――。
「……素晴らしい」
計器を見つめたまま、つぶやいた。
「実に素晴らしい……!」
研究員たちは、顔を見合わせた。
「ド、ドクトル……?」
「見たまえ! 跳躍距離も初速も予想を大幅に上回っている! しかも壁面接触後の再加速まで記録できた!」
シューゲルは満面の笑みを浮かべた。
「大成功だ! 実験は大成功だぞ!!」
誰も答えなかった。
◇ ◇ ◇
数分後。
「ヴァルター! しっかりしろ!」
「……うう……」
駆けつけたリヒターは、地面に横たわるエーリヒの傍らに膝をついた。
「痛むところはないか!? 意識ははっきりしているか!?」
「きょ、教官……」
「何だ!?」
「……自分……」
エーリヒは、ゆっくりと口を開いた。
「……ものすごく、跳べました……!」
「そんなことは見ればわかる!!」
リヒターの怒声が飛行場に響いた。
エーリヒは苦笑した。
「でも……やっぱり、空は飛べないみたいです。跳んだあとは、何もできませんでした……」
「……当たり前だ! あんな欠陥品で何かができてたまるか!」
幸い、防御術式が致命的な衝撃を防いでいた。
全身に打撲があり、しばらく安静と精密検査が必要だったが、エーリヒの意識はしっかりしていた。
リヒターはようやく息を吐いた。
その背後から、やけに上機嫌な声が聞こえてくる。
「エーリヒくん! 見事な試験だったぞ!」
シューゲルだった。
リヒターはゆっくりと振り返った。
「……ドクトル」
「いやあ、実に素晴らしい! 脚部補助装具の潜在性能は、私の予想を超えていた!」
「……安全装置は?」
「うむ! そこは少々改良が必要だな!」
「少々?」
リヒターの声が低くなった。
「少々とおっしゃいましたか?」
「何か問題でも?」
「問題しかないでしょうが!!」
シューゲルは涼しい顔で胸を張った。
「新しい技術に失敗はつきものだよ、大尉!」
「失敗で済ませるな!!」
リヒターは拳を握りしめた。
だが、その横で担架に乗せられたエーリヒが、嬉しそうに笑っていた。
「……教官」
「今度は何だ!?」
「自分……もっと練習すれば、ちゃんと着地できるようになると思うんです」
「…………」
「次は、きっとうまくいきます!」
リヒターは天を仰いだ。
この青年も、あのドクトルも、どうしてこう、危険な実験ほど嬉しそうなのだろうか。
「……次の実験は、安全装置が完成してからだ」
「はい!」
「絶対だぞ!」
「了解しました!」
そして、少し離れた場所からシューゲルの声が響いた。
「よし! 次は装具の関節部を強化するぞ! 出力はそのままだ!」
「出力を下げろと言っているだろう!!」
リヒターの怒号が、再び飛行場に響き渡った。