幻想郷。
そこは外の世界から忘れ去られたものが流れ着く、結界に隔てられた秘境である。
かつて人々から畏れられ、あるいは信仰されていた妖怪や神々が今なお息づくこの土地には、外の世界ではとうに役目を終えた道具や、時代の移り変わりによって不要となった品々が、時折ひっそりと姿を現すことがある。
そうした品々が流れ着く場所の一つが、無縁塚であった。
人間の里からも離れたこの場所は、普段から訪れる者が少なく、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。季節の移ろいに合わせて草木が生い茂り、風が吹けば乾いた葉が地面を転がっていく。周囲には人の手が入らなくなって久しい品々が散乱しており、何の役に立つのか分からない道具や、錆びついた金属片などが、土や草の隙間から顔を覗かせていた。
もっとも、そうした場所であるからこそ、価値あるものを見つけ出そうと足を運ぶ者もいる。
そして今日、そんな無縁塚を訪れていたのが、妖怪の山に暮らす河童の少女、河城にとりであった。
「思いつきで来たけど……なんもないなあ」
頭に被った帽子の位置を直しながら、にとりは少々残念そうな声を漏らした。
河童といえば、古くから水辺に暮らす妖怪として知られているが、幻想郷の河童たちは優れた技術力を持つ技術者集団としての側面も備えている。とりわけにとりは機械いじりを好み、見慣れない道具を発見すれば、その仕組みを知りたくなる性分であった。
無縁塚は、そんな彼女にとって宝探しの場所でもある。
外の世界では何の価値もなくなった道具であっても、幻想郷では貴重な技術の塊である場合が少なくない。壊れた機械から部品を取り出すこともできれば、構造を研究して新しい発明に役立てることもできる。
もっとも、いつ訪れても都合よく掘り出し物が見つかるわけではなかった。
にとりは足元に転がっていた金属製の箱を拾い上げ、軽く振ってみた。内部で何かが動くような音がしたものの、外側はひどく錆びついており、蓋も開きそうにない。
「うーん……これは別にいらないかな」
元の場所へ戻すと、今度は周囲を見渡してみる。
壊れた傘、用途の分からない金具、割れたガラス片。ほかにも何かの機械に使われていたらしい部品が落ちているものの、にとりの興味を引くものは見当たらなかった。
そろそろ帰ろうか。
そう考え始めたとき、草むらの中に埋もれていた黒い物体が、ふと彼女の目に留まった。
「ん? これはなんだろ、ケータイってやつかな? それにしては折りたためないし画面だけじゃないか」
しゃがみ込んで拾い上げてみれば、それは手のひらより少し大きい程度の、薄く平たい長方形の機械だった。
片面のほとんどを黒いガラスのような素材が覆っており、反対側には何やら見慣れない印が刻まれている。側面には小さなボタンがいくつか取り付けられているものの、それ以外に目立った操作部分は見当たらない。
少なくとも、にとりが以前に見たことのある携帯電話とは、ずいぶん異なる形状をしていた。
「ふーん……なんだろうね、これ」
表と裏を交互に眺めながら、にとりは興味深そうに目を細めた。
彼女が拾い上げたのは、スマートフォン。
外の世界では電話や電子メールといった通信手段としてだけでなく、写真の撮影、音楽の再生、情報の検索、さらには娯楽に至るまで、実に多種多様な用途に使われている電子機器である。
かつて主流だった折りたたみ式の携帯電話に代わり、人々の生活に深く浸透したその道具も、技術の進歩によって次々と新しい製品が登場する。そうして型落ちとなり、人々から忘れられたものが、こうして幻想郷へ流れ着くこともあるのだ。
もっとも、外の世界の流行など、にとりには知る由もない。
彼女にとって重要なのは、目の前にある機械がどのような仕組みで動いているのか、そして自分の技術に応用できるかどうかという点であった。
何気なく側面のボタンを押してみる。
すると、それまで真っ黒だった画面が突然明るくなり、鮮やかな絵柄と数字が浮かび上がった。
「お! 電源生きてる!!」
思わず声が弾む。
画面には現在の時刻らしき数字が表示されており、その下には何やら小さな文字が並んでいた。
にとりが恐る恐る指先で画面に触れると、それに反応するように表示が変化する。
「おおっ!? なんだこれ、触ったら動いたぞ!?」
今度は画面の上を指でなぞってみた。すると表示されていた絵柄が滑らかに移動し、別の画面が現れる。
どうやら単なる表示装置ではなく、画面そのものが操作部分になっているらしい。
そのことに気づいたにとりの表情が、たちまち好奇心に満ちたものへと変わっていった。
ボタンを押す必要もなく、画面に触れるだけで操作できる機械。しかも、これほど小さな本体に収まっているというのだから、技術者として興味を持たないはずがなかった。
「面白そうだねー。よし! 持ち帰ろ!」
もはや帰ろうとしていたことなど、すっかり忘れてしまっている。
にとりは拾った機械を大切そうに持ち直すと、傷がつかないよう自分の荷物の中へしまい込んだ。
「大収穫だなあ~」
先ほどまでの落胆した様子はどこへやら、上機嫌で無縁塚を後にする。
足取りは軽く、頭の中では早くも拾った機械を分解し、その内部構造を調べるための段取りが組み立てられていた。
こうして河城にとりは、一台のスマートフォンを持ち帰った。
そして、この何気ない拾い物が、やがて幻想郷中を巻き込むスマートフォンブームの幕開けになるとは、このときの彼女はまだ知る由もなかったのである。
◇ ◇ ◇
それから数日後。
妖怪の山の一角にある、河城にとりの作業場。
山から流れ落ちる清流の音が聞こえるその場所には、彼女がこれまでに集めてきた機械部品や工具、設計図などが所狭しと並べられていた。
壁際には大小さまざまな歯車や金属板が整理され、棚には用途の分からない装置がいくつも置かれている。作業台の上には細かなネジや配線が散らばっており、普段から何かしらの発明や修理が行われていることが窺えた。
そんな作業場の中央で、にとりは無縁塚から持ち帰ったスマートフォンと向き合っていた。
すでに本体の外装は慎重に取り外され、内部に組み込まれていた電子部品が露わになっている。
小さな基板には無数の部品が整然と並び、細い配線や金属製の接点が複雑に組み合わされていた。その構造は、にとりがこれまで扱ってきた機械と比べても、明らかに異質なものだった。
もちろん、河童たちの技術力も決して低くはない。
幻想郷では珍しい高度な機械を生み出すこともできれば、水力を利用した設備や特殊な装置を作ることもできる。技術者としての知識と経験において、にとりは十分な自信を持っていた。
しかし、目の前にある機械には、それでもなお感心させられる部分が多かった。
「外の世界ってすごいなあ~。こんな小さな板に通信からゲーム、色々詰めるなんて……」
拡大鏡を覗き込みながら、にとりは独り言のように呟いた。
調べてみれば、この薄い機械には電話としての機能だけでなく、写真を撮影するための小型装置や、音を再生するための部品、さらには複雑な計算処理を担う電子回路まで組み込まれているらしい。
画面に触れるだけで操作できる仕組みも実に興味深い。
そして何より驚かされたのは、これらの機能が一つの小さな機械として成立していることだった。
通常、異なる機能を持つ装置を一つにまとめようとすれば、それだけ構造は複雑になり、必要な部品も増えていく。しかし、このスマートフォンは、そうした問題を極めて小さな部品の組み合わせによって解決している。
精密さという点では、さすがのにとりも感嘆せざるを得なかった。
「これだけ小さいと修理するのも大変そうだねえ……。でも、この作り方は参考になるなあ」
内部の構造を確認しながら、紙に簡単な図を書き込んでいく。
外の世界の技術をそのまま再現できるとは限らないが、構造や原理さえ理解できれば、河童の技術で代用する方法はいくらでも考えられる。
そうして作業に没頭していると、不意に入口の方から聞き慣れた声が響いた。
「にとりー、何してるんだぜ?」
声の主は、霧雨魔理沙であった。
黒い魔女帽子を被り、いつもの白黒の服に身を包んだ彼女は、特に遠慮する様子もなく作業場へ顔を覗かせた。
魔理沙がにとりの作業場を訪れること自体は、それほど珍しいことではない。二人は以前から面識があり、機械や道具について話す機会も少なくなかった。
「あ、魔理沙いらっしゃい。今外の世界にあるスマートフォンってやつを調べてるんだ」
にとりは作業の手を止め、入口に立つ魔理沙へ顔を向けた。
その言葉を聞いた魔理沙は興味を示したらしく、作業台の近くまで歩み寄ってくる。
「へー、それ香霖堂で見た事あるぜ? 紫はスマホだとか言ってたな」
「スマホねー」
にとりはその呼び方を確かめるように繰り返した。
香霖堂には外の世界から流れ着いた道具が数多く並んでいるため、魔理沙もこうした機械を目にする機会があったのだろう。
とはいえ、目の前に置かれた分解途中のスマートフォンを見れば、彼女にもその複雑さは十分に伝わってくる。
魔理沙は作業台に身を乗り出し、小さな基板や取り外された画面をしげしげと眺めた。
「便利らしいぜ? 連絡もしやすいし、写真も撮れるらしい」
「うん、そうみたいだね。調べてみたけど、なかなか面白い機械だよ」
にとりはそう答えながら、基板に取り付けられた小さな部品を指先で示した。
魔理沙には細かな電子回路の仕組みまでは分からなかったものの、にとりが普段以上に興味を示していることだけは、その様子から容易に理解できた。
何しろ、目の前の河童は新しい技術や珍しい道具を見つけると、決まってこうした表情をするのである。
魔理沙はしばらく分解された機械を眺めていたが、ふと思いついたように口を開いた。
「なんだ、分解して複製でもするのか?」
「……複製か……面白そうだね」
にとりの手が止まった。
それまで内部の仕組みを調べることばかり考えていた彼女にとって、魔理沙の何気ない一言は、新しい発想を与えるものだった。
もちろん、拾ってきた機械を分解し、構造を理解して自分の発明に応用するというのは、これまでにも何度となく行ってきたことである。
だが、今回はどうだろうか。
このスマートフォンという機械は、単純に便利なだけではない。離れた相手との連絡、写真の撮影、情報の保存、娯楽など、日常生活に役立つ機能が数多く備わっている。
それを幻想郷でも使えるようにしたならば、どうなるだろう。
河童たちの間で連絡を取り合うことはもちろん、人間の里との商売にも利用できるかもしれない。妖怪の山で何か問題が起きた際にも、わざわざ相手のもとへ走っていく必要がなくなる。
もっとも、外の世界の通信設備が存在しない幻想郷では、そのまま持ち込んだだけで電話が使えるわけではない。
通信するための仕組みを整え、必要な設備を用意し、場合によっては機械そのものにも改良を施さなければならないだろう。
それでも、不可能だと決めつける理由はなかった。
むしろ、そうした問題が山積みになっているからこそ、技術者としての好奇心が刺激されるのである。
「お?」
突然黙り込んだにとりを見て、魔理沙が首を傾げる。
にとりは何やら考え込むように腕を組んでいたが、やがて顔を上げると、満面の笑みを浮かべた。
「……うん! 複製しよっか!」
その声には、先ほどまでとは明らかに異なる熱意が込められていた。
にとりは勢いよく作業台から立ち上がると、目の前に広げられたスマートフォンの部品を見下ろした。
「幻想郷版スマートフォン……! いや……私が作ったから……ニトフォン!!」
自分で口にした名前がよほど気に入ったのか、にとりは何度か小さく頷いている。
幻想郷版スマートフォン、ニトフォン。
名前の響きも悪くないし、何より自分の名前が入っているというのがいい。これを河童の新製品として売り出すことができれば、きっと面白いことになるだろう。
そんな彼女の様子を見て、魔理沙は愉快そうに笑った。
「ニトフォンかー、いいじゃないか。私は嫌いじゃないぜ」
「でしょでしょ?」
にとりは嬉しそうに笑い返すと、早速作業台の上に広げていた設計図を引き寄せた。
単に外見を似せるだけなら、それほど難しいことではないかもしれない。しかし、本来の機能まで再現するとなれば話は別である。
小型の電子回路、操作用の画面、電源となる蓄電池、音声をやり取りするための装置。そして、何よりも通信設備の確保が必要だった。
幻想郷には外の世界のような携帯電話網が存在しない以上、通信方式そのものを考えなければならない。
さらに、これを量産するとなれば、部品の調達方法や組み立ての手順についても検討する必要がある。
考えるべきことは数え切れないほどあったが、それらはにとりを尻込みさせるどころか、ますます意欲を掻き立てるものだった。
「そうと決まれば早速量産だね! 通信も必要だし……やることは沢山ある!」
にとりは目を輝かせながら、真新しい紙に大きく『ニトフォン開発計画』と書き込んだ。
その横では、魔理沙が相変わらず面白そうに作業の様子を眺めている。
つい先ほどまで、単に珍しい機械を分解していただけだったはずなのに、いつの間にか話は幻想郷での量産計画にまで発展してしまっていた。
もっとも、魔理沙にとっては、にとりがこうした思いつきから大掛かりな発明を始めることなど、今さら驚くようなことでもない。
それに、話を聞く限りでは実際に便利そうな道具である。
うまく完成すれば、自分も一台くらい使ってみたい。
そんなことを考えながら、魔理沙は目の前で意気揚々と設計図を書き始めた河童を眺めていた。
こうして、河城にとりによる幻想郷版スマートフォンの開発が始まった。
無縁塚で拾った一台の小さな機械から生まれた、ささやかな思いつき。
それがやがて、妖怪の山はおろか、人間の里や幻想郷の各地にまで広まっていくことになるのだが、今の二人にとって重要なのは、目の前にある新しい発明の可能性だけだった。
そして何より、にとり自身もまだ気づいていなかった。
自分が作ろうとしているものが、単なる便利な道具に留まらず、幻想郷の住人たちの暮らしそのものを少しずつ変えていくことになるという、その可能性に。