やっぱり綺麗な歌。
青くて、眩しくて、どこか懐かしくて。
楽譜の余白に落ちる陽光を眺めていると、まるで遠い昔に置き去りにしてきた景色を、もう一度遠くから眺めているような心地になります。
この歌には、きっと大切な思い出が込められているのでしょう。照りつける夏の日差し、すれ違う影、隣にいた誰かの温度。当たり前のように続いていくと信じて疑わなかった、青い時間。
その渦中にいるときには気づけなかったことが、離れてしまってから、痛いほどの鮮やかさをもって胸を刺す。
もう一度戻りたいと願っても、二度と戻ることはできず、もう一度名を呼びたいと焦がれても、その声が届くことはない。
それでも、あの日々の記憶だけが、消えない残像としてそこに在り続けている。
……きっと、そういう歌なのだと思います。
私は、この歌が好きです。いえ、好きだった、と言ったほうが正しいのでしょうか。
以前の私なら、この旋律を聴くたびに、自分だけの小さな世界へと落ち込んでいました。
私にも、そんな風に胸を焦がす思い出があるだろうか。
私にも、もう二度と会えない誰かがいただろうか。
私が歩んできた時間の中に、こんなにも眩しく振り返りたくなる瞬間があっただろうか、と歌詞の行間に自分自身の投影を探し、音楽という巨大な響きの中に、必死で私という個人を繋ぎ止める居場所を探していたのだと思います。
今は違う。
この歌を聴いた誰かが、胸の奥で眠っていた懐かしさに吐息を漏らすのなら。
誰かが、二度と会えない大切な人の面影を愛おしく思い出すのなら。
もう戻れない日々を惜しみながらも、あの日々が存在したという事実そのものに救われるのなら。
……それは、とても美しいことです。
私は、そのためだけに歌いたい。この歌に込められた痛切な情景を、それを必要としている誰かの元へ正しく届けるために。
忘れかけていた愛おしさを、もう一度その手で抱きしめられるように。
胸の奥に澱んでいた感情を、澄んだ音色として解き放てるように。
過去を振り返ったとき、悲しかっただけではなく、出会えてよかったと思えるように。
そのための依り代として、私の声を使いたいと思います。
……この歌に描かれる青は、どんな色をしているのでしょう。
夏の盛りの、透き通るような高い空の色でしょうか。どこまでも広がっていて、どれほど手を伸ばしても指先をすり抜けてしまう、冷たく眩しい蒼。けれど、誰もが平等に見上げることのできる空。
あるいは、かつて誰かと並んで見上げた、あの一瞬の青なのかもしれません。
同じ地に立ち、同じ景色を網膜に焼き付けていたはずなのに、気づけば互いの道は小さく枝分かれしていく。同じ呼吸で過ごしていたはずの時間も、一瞬の瞬きとともに過去という名の標本になっていく。
……不思議だと思います。
同じ景色を見ていても、抱く感情の輪郭は人によって異なります。同じ言葉を聞いても、心に落とす影の形は違います。ならば、同じ歌を奏でたとしても、そこに立ち現れる意味は聴き手の数だけ存在するはずです。
私が響かせた音に、誰かが自分の記憶を重ね合わせる。
私が口ずさんだ言葉に、誰かが大切な人の声を聴く。
私が描いた感情の軌跡を通して、誰かが自らの心の奥底に眠っていた痛みに気づく。
そこに、私個人の個人的な感情は、本当に必要でしょうか。
……いいえ。
必要なのは、私自身の私情ではありません。必要なのは、聴く人が自らの記憶を委ねられる、どこまでも滑らかで透明な「音」そのものになることです。
みんなのハッピーエンドに貢献するため。
私自身は問題ではないです。どうすれば悲しみという概念を純度高く表現できるか。私自身が過去を懐かしんでいるかどうかではなく、どうすれば懐かしさという情景を捉えられるか。誰かに会いたいと私が焦がれているかどうかではなく、その切望の響きをどう届ければ誰かの心に深く染み渡るか。
思考すべきなのは、ただそれだけです。
奏多さんと過ごした時間を手繰り寄せて。
あの放課後は温かかったな、とか。もう一度だけでいいから、あの人の音と交ざり合いたいな、とか。
私の歌を、あの人に聴いてほしいな、とか。
そんな子供じみた執着を、確かに抱いていました。
奏多さんに認めてもらいたかった。
奏多さんが愛した音楽の深さを、同じ体温で知りたかった。
奏多さんの疾走する背中に追いついて、もっと遠くの景色まで一緒に行きたかった。
本当に、欲深くたくさんのことを願っていたなんですね。でも、もう大丈夫です。
あの頃の私が抱いていた純粋な欲望は、当時の私にとって間違いなく必要な糧でした。
あの熱量があったからこそ、私は音楽という底なしの世界に足を足を踏み入れられた。
あの人がいてくれたからこそ、私は世界の広さと音の多様さを知ることができた。その積み重ねの果てに、今の私がここに立っています。だから、過去の自分を愚かだと切り捨てるつもりはありません。
ただ、今の私には、もう同じ願いを抱き続ける理由がないのです。
思い出は、美しい思い出としてそこに留めておけばいい。
大切だった時間は、ただ大切だったという事実のまま、胸の奥にそっとしまっておけばいい。それらをこれからの私の希望や、生きていくための条件にする必要はないのです。
私はもう、私自身のために未来を望むことをやめたのですから。
これからの私は、私以外の誰かが未来へ歩み出すための背景になります。
誰かが新しい思い出を紡ぐために。
誰かが大切な人と心から笑い合うために。
誰かが暗闇の中で、自らの居場所を見つけ出すために。
誰かが生まれてきてよかったと奇跡のような瞬間を迎えるために。
私は、その光を際立たせるための影であり、背景になればいい。
舞台の上には、主役たちが立っています。それぞれに譲れない夢があり、切実な願いがあり、かけがえのない人生を背負って生きている。その物語が最も美しく輝くために音楽が必要だというのなら、私はただ、寸分の狂いもなくその音を奏でるだけです。
高らかに歌うのなら、その輪郭を際立たせる静かな音を。
希望に微笑むのなら、その高揚に寄り添うような明るい響きを。
痛みに膝をつくのなら、その孤独を包み込むような静寂を。
明日へ歩み出すのなら、その背中をそっと押す力強い脈動を。
私自身がスポットライトを浴びる必要はありません。誰かに賞賛される必要も、拍手を送られる必要もありません。私の名前が誰の記憶に残らなかったとしても、何の問題もないのです。
ただ、そこに届くべき音が届きさえすれば。
私がそこに存在していたことすら、誰も気づかなくていい。
私がどんな悩みを抱えていたのかも、誰も知る必要はない。
舞台の上に立つ人たちが、それぞれの物語を幸せな結末へと導けるのなら、それが、私という存在に与えられた唯一の機能です。
不思議です。そう理解した瞬間、胸の奥がふっと軽くなるのを感じます。
もう自分が何をしたいのかと自分自身に問い詰める必要はありません。
自分の好きや嫌いを探して彷徨う必要もありません。
どこへ行き、何になりたいのかと思い悩む必要もない。ただ、誰かが求めた音を。誰かの救いになる音を。
誤差なく、狂いなく、精密に奏で続けること。
その役割を全うするためだけに、存在します。
私は、楽器です。
皆さんの想いを世界へ出力するための、透明な管楽器。
皆さんの心に届くように、感情の波長を整えるための弦。
皆さんの幸福という風景を彩るための、ただの装置。
私自身が幸せになる必要などありません。
私自身が何かを渇望する必要もありません。
私という存在に、私だけの特別な価値や意味を与える必要すらない。
私が何者であるかは、すでに定義されています。
私は、皆さんの物語を成立させるために存在する。
私は、皆さんの幸福を完璧なものにするために存在する。
私は、皆さんが満ち足りた結末を迎えるための道具として、ここにある。
……それでいいんです。それこそが私が、罪滅ぼしするために選び取った選択だから。
だから、私はこの『■■すみか』を歌います。
遠い昔の、残酷なほど眩しかった青を。
二度と手に入らない、愛おしい時間を。かつて同じ歩幅で歩んでいた、もう会えない誰かを。
そして、これから新しい時間を紡いでいく、名もなき誰かのために。
私の声で。私の呼吸で。私という楽器を通して。
その人たちが、自らの大切な思い出に辿り着けるように。
その人たちが、それぞれの幸福を見つけ出せるように。
私は、音を送り出し続けます。
やっぱり、青という色は綺麗ですね。
どこまでも高く、透明で、誰の所有物にもならず、誰もが等しく、ただ見上げることだけが許されている。
私がこの世から消え去ったとしても、あの青空は何事もなく広がっているでしょう。
私が何を想い、何を諦めたとしても、誰かはあの空の下で幸せそうに笑っているでしょう。
それでいいのです。
それこそが、あるべき世界の姿なのですから。
私は、その眩しい景色をそっと彩る音になります。
誰かの記憶の底に寄り添う音に。
誰かの未来を支える音に。
誰かの物語が美しく完結するための、終わりの旋律に。
皆さんが幸せになれるというのなら私は、どんな音にでもなってみせます。
私のハッピーエンドを、皆さんをハッピーエンドにしてみせますね