九尾襲撃事件から数日が経過した木ノ葉隠れの里。
未曾有の災厄に見舞われた里では、昼夜を問わず復興作業が続けられていた。倒壊した家屋の撤去や道路の整備、負傷者の搬送など、やらなければならない仕事は山ほど存在している。
当然ながら、そうした復興作業には忍達も駆り出されていた。
普段であれば護衛や情報収集、他国からの依頼などを請け負っている忍達も、今は里の復興を最優先に動いている。とりわけ、比較的危険度の低い任務を担当する下忍達にとって、復興支援は重要な仕事となっていた。
そんな木ノ葉隠れの里に、最近一人の変わった下忍が現れた。
その名は、へカーティア・ラピスラズリ。
赤を基調とした衣装にwelcome Hellと書かれた服を身にまとい、首からは三つの球体に繋がる鎖を下げた、何とも風変わりな女性である。
名前からして異国の者を思わせるが、本人は至って気さくであり、いつも楽しそうに笑っている。
そして何より、彼女は木ノ葉の正式な下忍だった。
少なくとも、書類上は。
もちろん、その正体は地獄の女神である。
九尾の尾獣玉を片手で弾き、巨大な身体を蹴り飛ばした張本人が、何故か木ノ葉の下忍として暮らし始めていたのだ。
その経緯は、実に単純だった。
へカーティアはこの世界へ来た当初、観光客として自由に歩き回るつもりだった。しかし、実際に里を見物してみると、どうやら外部から来た人間が好き勝手に行動できる場所ではないらしい。
里の出入りは管理されており、怪しい人物がいれば忍達から事情を尋ねられる。ましてや、現在の木ノ葉は九尾襲撃直後という非常事態である。
そんな状況で、出自のわからない奇妙な服装の女性がうろついていれば、当然ながら目立ってしまう。
そこで、へカーティアは考えた。
どうせならば、この里の人間になってしまえばいいのではないか。
もちろん、本当に人間になるわけではない。
自分に対する周囲の認識を少しだけ弄り、元から木ノ葉に所属していた者として扱ってもらえばいいのである。
神である彼女にとって、人間達の認識へ僅かに干渉することなど、それほど難しい話ではなかった。
書類を用意し、必要な情報を整え、それに合わせて関係者の認識を少しだけ調整する。
ただ、それだけだった。
その結果、へカーティア・ラピスラズリという名の下忍が、何の疑問も抱かれることなく木ノ葉の住民として登録されることになったのである。
無論、これは相当に恐ろしい行為だった。
木ノ葉の厳重な情報管理や身元確認を、神の力によって根本からすり抜けてしまったのだから。
しかし、当の本人に悪意はない。
むしろ、里の人間達に迷惑をかけず、普通に観光するための工夫だと考えている。
「ふふっ。これで私も立派な木ノ葉の住人ねん!」
そう言って満足そうに笑う女神の姿は、どう見ても危険人物には見えなかった。
もっとも、彼女が危険な存在であることと、本人に悪意がないことは、まったく別の話なのだが。
そして、木ノ葉の下忍となったへカーティアには、新たな楽しみが生まれていた。
忍者である。
異界を渡り歩く中で、これまでにも様々な文化や職業を見てきた彼女だったが、この世界の忍という存在にはなかなか興味を引かれていた。
何しろ、彼らはチャクラと呼ばれる不思議な力を操り、分身したり、壁を駆け上がったり、火や水を生み出したりするらしい。
神や妖怪の扱う能力とはまた異なる、独自の技術体系である。
それだけでも、観光好きの彼女にとっては十分に魅力的だった。
そして何より。
忍者という響きが、何となく格好いい。
「……なるほどねえ。こういう格好をするのね」
木ノ葉の通りを歩きながら、へカーティアは周囲の忍達を観察していた。
彼らの多くは動きやすそうな衣服を身につけ、腰には忍具袋を装着している。額当てと呼ばれる金属製の装備には、木ノ葉の印が刻まれていた。
中でも、へカーティアの興味を引いたのは、一部の忍達が着用している緑色のベストだった。
複数の収納部分が付いたその装備は、なかなか実用的に見える。
「あら、いいじゃない。あれを着たらもっと忍者らしくなるかしら?」
そう思い立つと、彼女の行動は早かった。
どこからか手に入れた緑色のベストを、自慢の赤い衣装の上から羽織ってみたのである。
本来、木ノ葉のその種のベストは主に中忍や上忍が着用するものだったが、へカーティアはそんな事情など知らない。
そして、周囲の人間達も彼女の格好に特別な疑問を抱かなかった。
少々変わった服装を好む下忍。
彼女はそういう存在として認識されていたからである。
「んー……なかなかいいじゃない!」
へカーティアは自分の姿を眺めながら満足そうに頷いた。
赤い衣装の上に緑色のベスト。
元々相当に目立つ服装だったものが、さらに独特な雰囲気を醸し出している。
しかし、本人は気にしていなかった。
さらに、どこからか手に入れた木ノ葉の額当てを左腕へ巻きつける。
これで忍としての身分を示す装備も整った。
そして最後に、忍具店で購入したクナイを右手に構える。
「……ふむふむ」
へカーティアは手に持ったクナイを興味深そうに眺めた。
小さな刃物である。
幻想郷でも似たような武器を扱う者はいるが、この世界では忍達が日常的に使用する基本的な装備らしい。
刃を観察し、軽く手首を動かしてみる。
当然ながら、彼女にとってその重さは無いに等しい。
「こうかしら?」
クナイを構え、少しだけ腰を落としてみる。
続いて、見よう見まねで忍らしい姿勢を取ってみた。
「……おお!」
何となく、それらしくなった気がする。
へカーティアは満足そうに笑った。
「どこからどう見ても忍びね!」
自信満々だった。
しかし、実際にはどう見ても奇抜な服装の女性である。
赤い衣装に緑色のベストを重ね、腕には額当てを巻き、首からは奇妙な鎖と球体がぶら下がっている。
忍というより、何かの祭りに参加している人物と言われた方が納得できそうな姿だった。
だが、彼女にとってそんなことは些細な問題である。
楽しければ、それでいいのだ。
「ふふっ。これなら忍者としても立派にやっていけそうねん!」
へカーティアは上機嫌でクナイをしまった。
こうして、地獄の女神による忍者ごっこが始まったのである。
もっとも。
下忍として登録された以上、楽しいことばかりではなかった。
何しろ、木ノ葉の忍達には仕事がある。
そして今は、九尾事件からの復興という大仕事の真っ最中だった。
当然ながら、へカーティアにも任務が回ってくるのである。
――――――
「復興支援、ねえ……」
へカーティアは手元の任務書を眺めながら、少々面倒そうに呟いた。
そこには、九尾襲撃によって被害を受けた区画の瓦礫撤去と、建築資材の運搬について記載されていた。
危険度の低いDランク任務。
下忍にとっては、ごく一般的な仕事である。
もちろん、彼女がその気になれば、任務など放り出して好きな場所へ遊びに行くこともできる。
木ノ葉の忍達が束になって追いかけてきたところで、へカーティアを捕まえることなど不可能だろう。
しかし、それではせっかく忍として登録した意味がない。
それに、観光するためにはお金も必要だった。
この世界には、この世界の通貨がある。
食事をするにも、宿に泊まるにも、店で何かを購入するにも、お金を支払わなければならない。
神の力を使えば、食べ物を手に入れることくらいは簡単だ。
人目につかないように料理を持ち去ることもできるだろうし、その気になればどこからでも好きなものを取り寄せられる。
しかし。
「……いやいや、それは駄目よねえ」
へカーティアは首を横へ振った。
神様が人間の食べ物を盗む。
そんなことをしてしまっては、あまりにも格好がつかない。
地獄の女神が無銭飲食で騒ぎを起こしたなど、仮に幻想郷の連中に知られたら何を言われるかわかったものではなかった。
特に、あの博麗の巫女あたりには散々からかわれそうである。
「まあ、ちゃんと働いてお金を貰うのが筋よねん」
へカーティアは一人で頷いた。
働かざる者食うべからず。
それは神であっても、異界を観光する際には守るべき礼儀なのだろう。
もっとも、普段の彼女が人間のように働いて生活費を稼ぐ必要があるかと問われれば、当然ながらそんなことはない。
今回はあくまで、忍者という職業を体験してみたいという好奇心もあってのことだった。
「よーし! それじゃあ、初任務に行ってみましょうか!」
へカーティアは任務書を折り畳み、楽しそうに歩き始めた。
首から下がる三つの球体が、彼女の動きに合わせて揺れていた。
――――――
任務先となったのは、木ノ葉の南東部に位置する住宅街だった。
そこは九尾の尾によって甚大な被害を受けた地域の一つであり、現在も多くの建物が倒壊したままになっている。
道には砕けた木材や石材が散乱し、焼け焦げた家屋の残骸も残されていた。
既に住民の救出作業は一段落していたものの、本格的な復興へ向けて撤去しなければならないものは多い。
現場では複数の忍達と作業員が協力し、瓦礫を運び出していた。
「おお、来たか」
へカーティアが到着すると、現場を監督していた中忍が声をかけてきた。
年齢は三十代ほどだろうか。
額には木ノ葉の額当てを巻き、緑色のベストを着用している。
「へカーティア・ラピスラズリだな?」
「はーい! そうよん!」
へカーティアは元気よく片手を上げた。
中忍は手元の名簿を確認すると、頷いた。
「今日からこの区画の復興支援を頼む。仕事は主に瓦礫の撤去と木材の運搬だ。危険な場所も残っているから、無理はするなよ」
「わかったわ! 任せてちょうだい!」
「それと、まだ倒壊の危険がある建物もある。勝手に中へ入らないようにな」
「はーい!」
随分と素直な返事だった。
中忍はその様子に少しだけ安心したようだった。
何しろ、復興作業には人手が必要である。
下忍であっても、真面目に働いてくれるならば非常にありがたい。
ただし、一つ気になることがあった。
「……しかし、お前は随分と変わった格好をしているな」
中忍はへカーティアの服装を眺めながら呟いた。
「そうかしら?」
「まあ、忍の服装に決まりがあるわけじゃないが……」
中忍の視線が、彼女の首から下がる球体へと向けられる。
一体何なのだろうか。
装飾品にしては随分と大きいし、動き回る際には邪魔になりそうだった。
「それ、重くないのか?」
「あら、全然平気よん!」
へカーティアは笑顔で答えた。
実際、彼女にとっては何の問題もない。
そもそも、首から伸びる鎖と三つの球体は、単なる装飾品ではなかった。
しかし、そんな事情を説明する必要もないだろう。
「そうか。まあ、作業の邪魔にならないならいいが」
中忍はそれ以上追及しなかった。
少々変わった格好の下忍ではあるが、木ノ葉には様々な一族や個性的な忍達が存在している。
今さら服装程度で驚く必要もない。
「それじゃあ、まずは向こうの区画を頼む。あそこに積まれている木材を運び出して、指定された場所へまとめてくれ」
「了解よん!」
へカーティアは軽く敬礼すると、指定された場所へ歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、中忍は小さく息を吐いた。
「……元気な奴だな」
少なくとも、働く意欲は十分にありそうだった。
そう判断した中忍は、他の作業員へ指示を出すためにその場を離れた。
そして、この判断が後に彼を大いに困惑させることになるとは、この時はまだ知る由もなかった。
へカーティアが担当することになった区画には、破壊された家屋の残骸が大量に積み上がっていた。
大きな柱。
砕けた屋根瓦。
折れた梁。
その他にも、建築資材として再利用できそうな木材が山のように置かれている。
通常であれば、複数人で協力して運び出す必要がある量だった。
しかし。
「……ふむ」
へカーティアは目の前に積み上がった木材を眺めた。
そして、首を傾げた。
「これを運べばいいのよね?」
任務書を確認する。
指定された場所へ、木材を運搬する。
確かにそう書かれている。
ならば、やることは簡単だった。
「よいしょっと」
へカーティアは足元にあった太い木材を片手で持ち上げた。
それは成人男性が二人がかりで運ぶような、相当に大きな柱だった。
しかし、彼女は何の苦労もなく持ち上げると、肩へ軽く担いでみせた。
「……あら、軽いわねえ」
当然である。
九尾の巨体を蹴り飛ばせる女神にとって、木材の重さなど問題になるはずもなかった。
へカーティアは少し考えた。
一本ずつ運ぶのは面倒である。
どうせならば、まとめて運んでしまえばいい。
そう思い立つと、彼女は周囲に人がいないことを確認した。
「……誰も見てないわよね?」
左右を見回す。
近くでは作業員達が別の建物の解体に取りかかっており、こちらへ注意を向けている者はいなかった。
それを確認すると、へカーティアは満足そうに頷いた。
「よしよし」
次の瞬間、彼女は大量の木材を一度に持ち上げた。
太い柱も、長い梁も、まとめて抱え上げる。
普通の人間であれば、持ち上げるどころか下敷きになってしまいそうな量だった。
しかし、へカーティアは平然としていた。
「んー……これくらいなら大丈夫かしらねん」
片手で支えながら、軽く重心を調整する。
そして、そのまま指定された資材置き場へと歩いていった。
足取りは実に軽やかだった。
まるで買い物袋でも持っているかのような気軽さである。
やがて目的地へ到着すると、彼女は運んできた木材を丁寧に積み上げた。
「はい、おしまい!」
一度の運搬で、作業員数人が何往復もする量の木材が移動した。
しかも、木材は綺麗に種類ごとにまとめられており、そのまま建築作業へ使用できる状態になっている。
へカーティアは満足そうに手を払った。
「……ふふっ。なかなか楽しいじゃない!」
最初は面倒だと思っていた復興任務だったが、実際にやってみると案外悪くなかった。
何より、自分が少し手を動かすだけで、目に見えて作業が進んでいく。
それはそれで、なかなか気分のいいものだった。
「よーし! 次いきましょ!」
彼女は再び瓦礫の山へと向かった。
続いて目をつけたのは、道路を塞いでいる巨大な石材だった。
九尾の襲撃によって建物の基礎部分が砕かれ、その一部が道路へ転がり出てしまったらしい。
石材は相当に大きく、通常であれば複数の忍が協力して運ぶ必要がありそうだった。
しかし、へカーティアにとっては問題ではない。
「……これも邪魔ねえ」
彼女は石材の前に立つと、軽く足を持ち上げた。
そして。
「えいっ」
小さく蹴った。
次の瞬間、巨大な石材が地面から浮き上がった。
凄まじい勢いで吹き飛んだそれは、道路の反対側に用意されていた瓦礫の集積場所へ向かって飛んでいく。
そして、積み上げられていた廃材の上へと落下した。
轟音が響きそうなものだったが、へカーティアは僅かに力を加え、周囲へ衝撃が伝わらないようにしていた。
結果として、巨大な石材はほとんど音も立てずに集積場所へ収まった。
「あら、綺麗に入ったわねん!」
へカーティアは満足そうに笑った。
もちろん、普通の人間が同じことをすれば、周囲の建物まで巻き込んで大惨事になるだろう。
しかし、彼女は神である。
物体を動かす際に、どこへどれほどの力を加えればよいのかなど、わざわざ計算するまでもなかった。
「……さて、次はこっちかしら?」
へカーティアは次々と瓦礫を撤去していった。
大きな石材は蹴り飛ばし、長い木材は片手で運び、細かな瓦礫はまとめて集積場所へ移動させる。
もちろん、他の忍達に見られないよう注意していた。
何しろ、自分は普通の下忍という設定なのである。
あまりにも派手なことをすれば、また九尾事件の時のように目立ってしまうかもしれない。
「……私だって学習するんだからねん」
へカーティアは得意げに呟いた。
もっとも、現在進行形で行っていることが普通の下忍の仕事ぶりから大きく逸脱している点については、残念ながら学習できていないようだった。
彼女にとって重要なのは、誰にも見られていないという事実だった。
それさえ守れば問題ない。
そう考えているらしい。
そして、作業は驚くほど順調に進んでいった。
――――――
「……ん?」
しばらくして、現場監督の中忍が奇妙なことに気づいた。
先程へカーティアへ任せた区画から、作業音がほとんど聞こえてこないのである。
普通であれば、木材を運ぶ音や瓦礫を片づける音が聞こえてくるはずだった。
しかし、今は妙に静かだった。
「……何かあったのか?」
中忍は眉をひそめた。
まさか、作業中に怪我でもしたのだろうか。
あるいは、仕事が面倒になって勝手に休んでいるのかもしれない。
そう考えながら、彼は担当区画へ足を向けた。
すると。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
そこには、先程まで存在していたはずの瓦礫の山がなかった。
大量に積み上がっていた木材は綺麗に整理され、道路を塞いでいた巨大な石材も撤去されている。
倒壊した建物の残骸もほとんど片づけられており、作業前とは見違えるほど綺麗な状態になっていた。
「…………」
中忍はしばらく、その場に立ち尽くした。
見間違いだろうか。
いや、そんなはずはない。
つい先程、自分は確かにこの区画へへカーティアを案内した。
そして、大量の瓦礫を撤去するよう指示したはずである。
しかし、目の前の光景はどう見ても作業完了後のものだった。
「……おい」
中忍は近くにいた作業員へ声をかけた。
「ここ、誰か他の班が作業に入ったのか?」
「いえ? そこは下忍の方が担当していたはずですが……」
「……そうだよな」
「何かありました?」
「いや……」
中忍は改めて周囲を見回した。
どう見ても、数人がかりで半日以上はかかりそうな作業量だった。
それが、ほんの短時間で終わっている。
「……どうなってるんだ?」
困惑する中忍の背後から、陽気な声が響いた。
「あら、監督さん!」
振り返ると、そこにはへカーティアが立っていた。
赤い衣装に緑色のベスト。
左腕には額当てを巻き、首からは相変わらず奇妙な球体がぶら下がっている。
本人は実に満足そうな表情を浮かべていた。
「ちょうどよかったわ! こっちのお仕事、終わったわよん!」
「……終わった?」
「ええ! 木材も運んだし、瓦礫も全部片づけたわ!」
へカーティアは胸を張った。
中忍は彼女と、綺麗になった区画を交互に見つめた。
「……お前、一人で?」
「そうよ?」
「……全部?」
「全部よん!」
何とも気軽な返事だった。
中忍は思わず額を押さえた。
「……いや、待て。あれだけの量を一人で片づけたのか?」
「ええ。そんなに難しい仕事じゃなかったわよ?」
「難しいとか、そういう問題じゃないんだが……」
中忍は改めて周囲を確認した。
確かに、仕事そのものは完璧だった。
再利用できる木材は種類ごとに整理され、廃棄する瓦礫も指定された場所へまとめられている。
道路には危険な破片も残っておらず、今すぐにでも次の復興作業へ取りかかれそうだった。
手抜きなど、どこにも見当たらない。
むしろ、これ以上ないほど丁寧な仕事である。
「……お前、随分と力持ちなんだな」
ようやく出てきた言葉が、それだった。
へカーティアは笑顔で頷いた。
「あら、ありがとう! 力仕事は得意なのよん!」
それは紛れもない事実だった。
ただし、得意という言葉で片づけてよい水準ではない。
何しろ、彼女はほんの数日前、九尾そのものを蹴り飛ばしている。
木材や瓦礫の運搬など、文字通り児戯に等しかった。
もちろん、中忍がそんな事情を知るはずもない。
「……まあ、仕事が早いのは助かるが……」
中忍は困惑した様子で呟いた。
復興作業は人手が足りていない。
予定よりも早く担当区画が片づいたのならば、それは喜ばしいことだった。
しかし、それにしても早すぎる。
一体どうやって作業を進めたのだろうか。
「……なあ、どうやって運んだんだ?」
「普通に持って運んだわよ?」
「……普通に?」
「ええ!」
「……そうか」
中忍はそれ以上追及することを諦めた。
少なくとも、作業は完璧に終わっている。
ならば、今はそれでよしとするべきなのだろう。
何しろ、他にも仕事は山ほど残っているのだ。
「……わかった。それなら、次は西側の区画を手伝ってくれ」
「あら、まだあるの?」
「当然だ。見ての通り、里全体がこの有様だからな」
中忍は周囲へ目を向けた。
そこには、まだまだ大量の瓦礫が残されている。
九尾の襲撃によって破壊された地域は広く、一つの区画が片づいた程度では復興は終わらない。
へカーティアもその光景を眺めた。
「……確かに、まだまだ大変そうねえ」
少しだけ考え込む。
そして、何かを思いついたように笑った。
「まあ、いいわ! どうせなら全部綺麗にしちゃいましょう!」
「……いや、全部は無理に決まっているだろう」
中忍は苦笑した。
「今日中に終わらせる必要はない。焦らず、できる範囲で進めてくれればいい」
「あら、そうなの?」
「ああ。怪我でもされたら困るからな」
「ふふっ。優しいのねん!」
へカーティアは楽しそうに笑った。
そして、次の担当区画へ向けて歩き始めた。
その背中を見送りながら、中忍は小さく首を傾げた。
「……変わった奴だな、本当に」
ただ、仕事ができることだけは間違いなさそうだった。
――――――
その日の夕方。
木ノ葉の復興作業を担当していた忍達の間で、ちょっとした話題が広がっていた。
「おい、聞いたか?」
「何をだ?」
「南東部の瓦礫撤去が、予定より大幅に早く終わったらしいぞ」
「はあ? あそこは相当被害が酷かっただろう?」
「ああ。俺もそう聞いていたんだが……どうも、下忍が一人で相当な量を片づけたらしい」
「下忍が?」
「そうだ」
二人の忍は顔を見合わせた。
いかに忍が常人より優れた身体能力を持っているとはいえ、瓦礫の撤去には相応の時間がかかる。
ましてや、今回は九尾によって破壊された建物の残骸である。
巨大な木材や石材も多く、簡単に片づけられるものではない。
「……誰なんだ、その下忍は?」
「確か、へカーティアとかいう名前だったな」
「へカーティア?」
「ああ。ちょっと変わった格好の女だよ。赤い服に緑色のベストを着ていて、首から妙な飾りをぶら下げている」
「ああ……あいつか」
もう一人の忍は納得したように頷いた。
どうやら、彼女の姿を見かけたことがあるらしい。
「確かに変わった奴だよな。いつも楽しそうにしているし」
「そうそう。まあ、仕事は真面目らしいぞ」
「そりゃありがたい話だな。今は一人でも働き手が欲しいところだからな」
二人はそんな会話を交わすと、それぞれの仕事へ戻っていった。
彼らにとって、へカーティアは少々変わった下忍でしかなかった。
仕事が早く、力持ちで、何故かいつも楽しそうにしている女性。
それ以上でも、それ以下でもない。
まさか、その女性が数日前に九尾を蹴り飛ばした張本人だとは、夢にも思っていなかったのである。
一方その頃。
「ふうー! 終わった終わった!」
へカーティアは満足そうに伸びをしていた。
結局、彼女は西側の区画でも驚異的な作業速度を発揮し、予定されていた仕事を大幅に前倒しで終わらせてしまった。
もちろん、今回も誰にも見られないよう注意している。
巨大な木材を片手で運び、瓦礫を蹴り飛ばし、時には僅かに力を使って崩れかけた建物を安定させる。
その結果、彼女が担当した区画だけは、周囲と比較して明らかに復興が進んでいた。
もっとも、本人には特別なことをしたという自覚はなかった。
「いやあ、意外と働いたわねえ」
へカーティアは楽しそうに笑った。
正直なところ、最初は少々面倒だと思っていた。
しかし、実際にやってみると、これがなかなか悪くない。
自分が片づけた場所を見て、作業員達が喜んでいる。
住民達も、綺麗になった道路を見て安心した表情を浮かべていた。
それを眺めるのは、決して不快なものではなかった。
何より、里が早く元通りになれば、その分だけ観光も楽しめるというものだ。
「……そうよねえ」
へカーティアは周囲を見渡した。
壊れた家屋。
瓦礫の山。
立ち入りが制限されている通り。
これでは、せっかく異界へ観光に来たというのに、満足に街歩きもできない。
食べ物屋も休業しているところが多く、土産物を探すのも難しそうだった。
「……やっぱり、早く復興してもらわないと困るわねん」
彼女は腕を組みながら頷いた。
木ノ葉という里がどのような文化を持ち、どんな料理が食べられ、どんな祭りが開かれるのか。
まだ何も知らない。
せっかく訪れたのだから、色々と楽しんでみたいではないか。
そのためには、まず里が元気になってもらわなければならない。
「よし! 明日も頑張りましょうか!」
へカーティアは満足そうに笑った。
地獄の女神が、観光を楽しむために人間の里の復興を手伝う。
何とも奇妙な話である。
しかし、彼女にとっては十分に筋の通った行動だった。
神だからといって、何もせず人間達からもてなされる必要はない。
自分が楽しむために少しばかり手を貸す。
それくらいの気軽さで構わないのだ。
「それにしても……」
へカーティアは左腕に巻いた額当てを眺めた。
木ノ葉の印が刻まれた金属板が、夕日に照らされて輝いている。
「忍者って、なかなか面白いわねえ」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そして、腰の忍具袋からクナイを取り出すと、軽く構えてみせた。
「ふふっ。どこからどう見ても立派な下忍よねん!」
相変わらず、自信満々だった。
その姿を客観的に見れば、どう考えても普通の忍ではない。
しかし、本人が楽しそうなのであれば、それでよいのかもしれない。
こうして、地獄の女神へカーティア・ラピスラズリは、木ノ葉の下忍としての初任務を無事に終えた。
その仕事ぶりは極めて優秀であり、担当した区画の復興は予定を大幅に上回る速度で進められることになった。
もちろん、誰も気づいていない。
彼女が大量の木材を片手で運び、巨大な瓦礫を軽々と蹴り飛ばしていたことなど。
そして何より。
木ノ葉の忍達が総力を挙げて調査している九尾事件の謎の介入者が、今では下忍として復興支援の任務をこなしていることなど、誰一人として知らなかったのである。
一方、へカーティア本人は、そんなことなどまったく気にしていなかった。
今日の仕事も終わった。
報酬も貰える。
そして、明日もまた忍者としての仕事が待っている。
「さてさて、今日は何を食べようかしらねん!」
彼女の関心は、既に夕食へと移っていた。
地獄の女神にとって、忍界での生活はまだ始まったばかりである。
そして木ノ葉隠れの里は、知らず知らずのうちに、忍界の常識を遥かに超える存在を一人の下忍として抱え込んでしまっていた。
その事実が後にどのような騒動を巻き起こすことになるのか。
今はまだ、誰にもわからなかった。