九尾襲撃事件から、半年の月日が流れた。
あの日、未曾有の災厄に見舞われた木ノ葉隠れの里は、今では見違えるほどの復興を遂げていた。
九尾の巨大な尾によって薙ぎ払われた住宅街には新たな家屋が建ち並び、瓦礫によって塞がれていた道路も綺麗に整備されている。焼け落ちた商店の中には営業を再開したものも多く、通りには買い物を楽しむ人々の姿が戻ってきていた。
もちろん、すべてが元通りになったわけではない。
里の各所には未だ工事中の建物が残されており、九尾の襲撃によって家族を失った者達の悲しみが癒えたわけでもなかった。
しかし、それでも人々は前を向いていた。
失われた日常を取り戻すために、一人一人が自分にできることを続けてきたのである。
そして、その復興作業には数多くの忍達が携わっていた。
上忍や中忍はもちろんのこと、普段であれば比較的簡単な任務を担当する下忍達も、瓦礫の撤去や建築資材の運搬、道路の整備などに積極的に参加していた。
そんな下忍達の中に、一際変わった人物がいた。
へカーティア・ラピスラズリ。
赤を基調とした奇抜な服装に、緑色のベスト。左腕には木ノ葉の額当てを巻き、首からは奇妙な鎖と三つの球体を下げている。
その姿は忍というより、何処か遠い異国からやってきた観光客のようだった。
しかし、彼女はれっきとした木ノ葉の下忍である。
少なくとも、里の住民登録と忍者名簿にはそう記載されていた。
そして何より、本人が下忍としての生活を大いに楽しんでいるのだから、今さら誰も文句を言うことはできなかった。
もちろん、彼女の正体は地獄の女神である。
地球、月、異界にそれぞれ身体を持ち、幻想郷においても規格外の実力を誇る存在。
そんな神が、木ノ葉の下忍として毎日のように任務へ出かけている。
こんな下忍がいてたまるかという話だったが、本人が満足している以上、特に問題はないのだろう。
むしろ問題なのは、彼女が下忍として優秀すぎることだった。
何しろ、へカーティアが担当した復興現場は、例外なく驚異的な速度で作業が進んでいたのである。
普通ならば数日かかる瓦礫の撤去が一日で終わり、複数人で運搬する予定だった木材が、いつの間にか指定された場所へ綺麗に積み上げられている。
倒壊の危険がある建物も、彼女が作業に加わった途端、不思議なほど安全に解体されていた。
もっとも、本人はあくまで普通の下忍として活動しているつもりだった。
巨大な木材を片手で運ぶ時も、誰かに見られていないか確認する。
邪魔な瓦礫を蹴り飛ばす時も、周囲の建物を壊さないよう注意している。
そして、その結果だけが異常なほど優秀だった。
そんな彼女は、いつしか現場を監督する中忍達から、非常に頼りになる人材として認識されるようになっていた。
人手が不足している現在の木ノ葉にとって、へカーティアのように仕事の早い忍は、たとえ下忍であっても貴重な存在だったのである。
もっとも、彼女自身が復興作業に励んでいた理由は、至って単純だった。
早く観光を楽しみたい。
ただ、それだけである。
壊れた建物ばかりでは街歩きも楽しめないし、飲食店が営業していなければ、その土地の料理を味わうこともできない。
せっかく異界へ観光に来たのだから、できるだけ早く里が元通りになってもらわなければ困る。
そう考えたへカーティアは、今日も今日とて、真面目に任務をこなしているのだった。
――――――
木ノ葉隠れの里。
火影屋敷の最上階に設けられた執務室では、今日も三代目火影、猿飛ヒルゼンが書類仕事に追われていた。
九尾襲撃から半年が経過したことで、事件直後の混乱は随分と収まっている。
当時は机の上に山のような書類が積み上がり、どれだけ処理しても次から次へと新たな報告書が運び込まれていたものだった。
現在では、その量もある程度落ち着いてきている。
とはいえ、火影の仕事が楽になったわけではない。
里の復興計画に関する報告書。
各忍部隊の再編成。
任務の割り当て。
他国との外交。
そして、今後の木ノ葉の防衛体制についての協議。
九尾によって多くの忍を失った影響は大きく、未だに人員不足が解消されたとは言い難かった。
何より、四代目火影である波風ミナトを失った損失は計り知れない。
若くして火影となり、これからの木ノ葉を担っていくはずだった男。
その死によって、既に火影の座を退いていたヒルゼンは再び里を率いることになったのである。
年齢を重ねた今、火影としての重責を担い続けることは決して楽なものではなかった。
しかし、里が危機に瀕している以上、弱音を吐いている場合ではない。
ヒルゼンは手元の報告書に目を通しながら、時折筆を走らせていた。
「……ふむ」
復興状況をまとめた資料を確認すると、その表情が僅かに和らいだ。
事件直後には壊滅的な被害を受けていた住宅街も、現在では大部分の修復が完了している。
商店街の営業再開率も上昇しており、主要道路についてはほぼ復旧したようだった。
「ふむ、復興は順調そうじゃの」
ヒルゼンが満足そうに呟くと、少し離れた机で作業をしていた男が顔を上げた。
奈良シカク。
木ノ葉隠れに所属する上忍であり、優れた知略を持つ奈良一族の忍である。
普段から里の様々な業務に携わっている彼は、現在も復興計画や人員配置に関する仕事を手伝っていた。
「ええ、8割は終わってますね」
シカクは手元の資料を確認しながら答えた。
「住宅地の復旧はかなり進んでますし、主要な施設もほとんど使えるようになっています。まだ細かい工事は残っていますが、ひとまず日常生活に大きな支障が出るような状態ではなくなってきました」
「それは何よりじゃわい」
ヒルゼンは安堵したように頷いた。
「事件直後はどうなることかと思ったが……皆、よく頑張ってくれておる」
「そうですね。現場の連中も随分と無理をしていましたから」
シカクはそう言いながら、別の資料へ視線を落とした。
そこには各地区の復興状況と、作業に参加した忍達の報告がまとめられている。
「もっとも、復興が進んだ分だけ、通常任務へ戻せる人員も増えてきました。そろそろ各班の配置を見直してもいい頃合いでしょうね」
「うむ。いつまでも復興ばかりに人手を割いておるわけにもいかんからのう」
ヒルゼンはゆっくりと頷いた。
里の復興が進むのは喜ばしいことだが、木ノ葉は忍の里である。
通常の任務を請け負い、国や依頼人からの信頼を維持することも重要だった。
九尾襲撃によって低下した里の戦力を立て直すためにも、今後は忍達の育成や部隊の再編成に力を入れる必要がある。
そんなことを考えていたヒルゼンの耳に、シカクの何気ない言葉が届いた。
「なんでも、仕事の早い下忍がいるとかで助かるとか中忍の奴らが言ってましたね」
「ほう? 下忍が」
ヒルゼンは興味を引かれたように顔を上げた。
下忍が復興作業で活躍すること自体は珍しくない。
むしろ、こうした人手を必要とする任務は、下忍にとって重要な仕事の一つである。
しかし、現場の中忍達がわざわざ名前を挙げるほど評価しているというのなら、相当に働きぶりが優秀なのだろう。
「うむ。頼もしいことじゃな。若い忍達が頑張ってくれておるのは、里にとっても喜ばしいことじゃ」
「まあ、若いかどうかはともかく、仕事はかなり早いみたいですよ」
シカクは苦笑した。
「瓦礫の撤去や資材運搬を担当させると、予定より随分早く終わるらしいんです。現場の中忍達も最初は驚いていたそうですが、最近じゃ人手が足りない場所に優先的に回すようになっているとか」
「それほどか?」
「ええ。聞いた話じゃ、普通なら三、四人で作業するところを、ほとんど一人で片づけちまうそうです」
「……ほう」
ヒルゼンは感心したように髭を撫でた。
下忍とはいえ、優れた身体能力を持つ者はいる。
特に体術を得意とする忍であれば、並の成人男性を遥かに上回る力を発揮することも珍しくない。
しかし、現場の中忍達が揃って評価するというのは、それなりに珍しいことだった。
「なかなか優秀な下忍がおるようじゃな。誰なのじゃ?」
「確か……へカーティアとかいう下忍ですね」
「へカーティア?」
ヒルゼンはその名前を口の中で繰り返した。
聞き慣れない響きだった。
木ノ葉には様々な一族が暮らしており、中には珍しい名前を持つ忍もいる。
しかし、へカーティアという名前は、長年里を率いてきたヒルゼンにとってもあまり馴染みがなかった。
「ふむ……あまり聞かん名じゃな」
「俺も最初に聞いた時は、何処の出身かと思いましたよ」
シカクは肩を竦めた。
「まあ、本人を見れば忘れられないでしょうけどね」
「……というと?」
「何というか、随分と変わった格好をしている女なんですよ。あれは一度見たら覚えますね」
「ほう?」
ヒルゼンは少しだけ興味を引かれた。
木ノ葉には個性的な忍が多い。
忍装束に関しても一律の決まりがあるわけではなく、所属する一族や本人の好みによって実に様々な服装をしている。
そのため、多少変わった格好をしている程度では、今さら驚くこともなかった。
しかし、シカクがわざわざ言及するほどなのだから、相当に特徴的なのだろう。
「……ちょっと待っておれ」
ヒルゼンは椅子から立ち上がると、執務室の壁際に設けられた棚へ向かった。
そこには木ノ葉に所属する忍達の情報をまとめた名簿が保管されている。
本来であれば、火影がすべての下忍の情報を詳細に把握している必要はない。
しかし、今回のように目立った働きを見せる忍がいるのなら、一度確認しておくのも悪くないだろう。
「へカーティア……へカーティア……」
ヒルゼンは名簿を取り出すと、慣れた手つきでページを捲り始めた。
紙を捲る音が、静かな火影室に響く。
やがて、目的の名前を見つけた。
「……おお、あったわい」
ヒルゼンは小さく頷き、名簿を机の上へ広げた。
そこには、一人の女性の情報が記載されていた。
氏名:へカーティア・ラピスラズリ
所属:木ノ葉隠れの里
忍階級:下忍
さらに、その下には経歴についての記載が続いている。
十年前より木ノ葉隠れの里に在住。
それ以前は雷の国、雲隠れの里近郊に位置する村で生活していた。
両親は離婚しており、母親は既に他界。
そして、その母親の名前は――。
純狐。
実に立派な経歴だった。
少なくとも、書類としては。
もちろん、すべて嘘である。
へカーティアが木ノ葉へやってきたのは、ほんの半年前のことだった。
それ以前にこの里を訪れたことなど一度もなく、十年前から暮らしていたという記録は完全な捏造だった。
雲隠れの近くの村に住んでいたという経歴についても、まったくの出鱈目である。
そして何より、母親が純狐であるという記載。
純狐。
幻想郷と関わりを持つ者達の中でも、極めて強大な力を有する存在であり、へカーティアとは親しい間柄にある人物だった。
しかし、当然ながら親子関係など存在しない。
ましてや、純狐が他界したという話も完全な嘘である。
もし本人がこの書類を見れば、何と反応するだろうか。
少なくとも、母親扱いされた挙げ句、勝手に故人にされているなどとは夢にも思っていないだろう。
もっとも、この場にその事実を知る者はいなかった。
何しろ、これらの情報はへカーティアが神の力を使い、木ノ葉の記録へと紛れ込ませたものだったからである。
単純に書類を書き換えただけではない。
その内容を確認した者達が、不自然さを感じないように認識まで調整されていた。
存在しなかったはずの十年間の居住歴。
確認しようと思えばいくらでも不審な点が見つかりそうな経歴。
それらが、当然の情報として受け入れられているのである。
そして、その影響は木ノ葉の最高責任者である三代目火影にも及んでいた。
「……ふむ。十年前から里に住んでおるのか」
ヒルゼンは何の疑問も抱かず、名簿を読み進めた。
「元々は雷の国の出身らしいのう。なるほど、珍しい名前なのも納得じゃ」
「雷の国ですか。道理であまり聞かない名前だと思いましたよ」
シカクもまた、自然に頷いた。
本来であれば、二人とも木ノ葉でも有数の頭脳を持つ忍である。
ヒルゼンは長年火影として里を率いてきた経験豊富な人物であり、シカクは優れた分析力と判断力を持つ知将だった。
そんな二人が揃って、あまりにも不自然な経歴を何の疑問も抱かず受け入れている。
もし事情を知る者がいれば、その光景に恐怖すら覚えたかもしれない。
しかし、当の二人には何の違和感もなかった。
「……それにしても、変わった名じゃのう」
「名前以上に見た目が特徴的ですよ」
シカクはそう言うと、名簿に貼りつけられた写真へ目を向けた。
そこには、満面の笑みを浮かべながらピースサインを決める女性の姿があった。
黒と赤を基調とした衣装。奇妙な帽子。首元から伸びる鎖と3つの球体。
そして、実に楽しそうな笑顔。
どう見ても忍の登録写真とは思えない。
「奇抜な服装なんでわかりますよ。俺も一目でわかりました」
シカクは苦笑した。
「最初に見た時は、どこかの祭りにでも行くのかと思いましたね」
「確かにのう……」
ヒルゼンは写真を眺めながら、髭を撫でた。
あの衣装も相当に目立つが、何より頭に乗せている赤い球体と首から下げている球体が気になる。
忍として活動する際には、明らかに邪魔になりそうな装飾品だった。
それを平然と身につけているというのだから、よほど気に入っているのだろう。
「まあ雲出身ならば……わからんでも……?」
ヒルゼンは一度言葉を止め、改めて写真を眺めた。
雷の国は火の国とは異なる文化を持ち、忍達の服装も木ノ葉とは違う。
しかし、だからといって、この服装を説明できるだろうか。
少なくとも、ヒルゼンが知っている雲隠れの忍達は、こんな格好をしていなかったはずである。
「いや無理があるのう」
結局、ヒルゼンはそう結論づけた。
シカクも同意するように頷いた。
「本人が言うには最先端ファッションだとか」
「……最先端、か」
ヒルゼンは再び写真を眺めた。
どの辺りが最先端なのか、正直なところ理解できなかった。
赤と黒を基調とした衣装に、奇妙な装飾品。そしてwelcome Hellと書かれた文字。
特に三つの球体は、どう考えても忍の任務には不向きなものに見える。
もっとも、それは自分達の感覚でしかない。
他人の服装に口を出す必要などないだろう。
「まあセンスは人それぞれじゃな。特に服装に規定もない、里のために尽力を尽くしてくれておるならばよい」
「ですね。現場からの評価も悪くありませんし」
シカクは頷いた。
「それに、あれだけ仕事が早いなら十分戦力になります。今は下忍だろうが何だろうが、人手が欲しいですからね」
「うむ。まったくその通りじゃ」
ヒルゼンは名簿へ目を戻した。
下忍。
その階級は、決して高いものではない。
しかし、忍の価値は階級だけで決まるわけではなかった。
任務に対して真面目に取り組み、里の人々のために尽力してくれる。
それだけでも、今の木ノ葉にとっては十分にありがたい存在である。
「……それにしても、随分と優秀な下忍のようじゃな」
ヒルゼンは感心したように呟いた。
「今後も任務を通じて経験を積めば、いずれ中忍への昇格も考えられるやもしれん」
「まあ、本人が望めばでしょうけどね」
「む?」
「どうも、あまり出世欲のある性格には見えませんでしたから」
シカクは苦笑した。
「任務を終えたら、さっさと街へ遊びに行っちまうそうですよ。仕事は真面目なんですが、休みの日は観光客みたいにあちこち歩き回っているらしいです」
「……ほっほっほ」
ヒルゼンは思わず笑った。
「それもまた、若さというものじゃろう」
「まあ、仕事をちゃんとこなしてくれるなら文句はありませんけどね」
「うむ。里の復興に尽くしてくれたことには、感謝せねばならんのう」
そう言って、ヒルゼンは名簿を閉じた。
へカーティア・ラピスラズリ。
少々変わった名前と服装を持つ、仕事熱心な下忍。
二人の認識では、それ以上でもそれ以下でもなかった。
まさか、その女性が九尾事件の際に不可解な現象を引き起こした張本人であるなど、想像すらしていない。
そもそも、へカーティアが九尾を片手で拘束し、蹴り飛ばした存在であると知れば、下忍として扱うこと自体が無理のある話なのだ。
しかし、それを知る者は誰もいなかった。
こうして、地獄の女神は今日もまた、木ノ葉の下忍として極めて自然に受け入れられていたのである。
――――――
その頃。
話題の中心となっていたへカーティア本人は、木ノ葉の商店街を上機嫌で歩いていた。
「ふふふーん♪」
軽快な鼻歌を口ずさみながら、通りに並ぶ店を眺めている。
九尾襲撃から半年が経過したことで、商店街にはようやく活気が戻ってきていた。
事件直後は営業を休止していた店も多かったが、現在では飲食店や雑貨店を中心に、再び営業を始める店が増えている。
道沿いには食べ物の香ばしい匂いが漂い、買い物客の楽しそうな声が聞こえていた。
へカーティアにとって、それは待ちに待った光景だった。
「いやあ、ようやくねえ! これよこれ!」
彼女は嬉しそうに周囲を見渡した。
これまでも任務の合間に街を歩くことはあったが、以前は瓦礫の山や工事中の建物ばかりが目立っていた。
しかし、今は違う。
人々が買い物を楽しみ、店主達が客へ声をかけ、子供達が元気に走り回っている。
まさしく、彼女が望んでいた観光地らしい賑わいである。
もっとも、木ノ葉は観光地ではなく忍の里なのだが、その辺りはへカーティアにとって些細な問題だった。
「せっかく異界に来たんだもの。こういうのを楽しまなくちゃ損よねん!」
彼女は財布を取り出すと、中身を確認した。
そこには、この半年間の任務で得た報酬が入っている。
もちろん、すべてを持ち歩いているわけではない。
日々の食費や生活費を差し引いた分は、きちんと貯めていた。
何しろ、観光を楽しむためにはお金が必要なのである。
神の力を使えば、金銭などいくらでも用意できそうなものだったが、それでは面白くない。
この世界の人間達と同じように働き、その報酬で買い物をする。
それもまた、異界観光の醍醐味というものだった。
「……さてさて、今日は何を食べようかしら?」
へカーティアは楽しそうに辺りを見回した。
すると、通りの向こうに小さな団子屋が見えた。
店先では焼き団子が並べられており、甘辛いタレの香りが漂っている。
「……あら、美味しそう!」
へカーティアは迷わずその店へ向かった。
「いらっしゃい!」
店先に立っていた年配の女性が、明るい声で出迎えた。
「おや、へカーティアちゃんじゃないか」
「あら、おばちゃん! 今日も元気そうねん!」
どうやら、既に顔馴染みになっているらしい。
女性はへカーティアの姿を見て、嬉しそうに笑った。
「おかげさまでねえ。あんた達忍者さんが頑張ってくれたおかげで、ようやく店を開けられるようになったんだよ」
「ふふっ、それはよかったわ!」
「聞いたよ。あんたも復興作業で随分頑張ってくれたそうじゃないか」
「まあねん! こう見えて力仕事は得意なのよ」
へカーティアは自慢げに胸を張った。
もちろん、力仕事が得意どころの話ではない。
しかし、店の女性はそんな事情など知らないため、感心したように頷いた。
「偉いねえ。若いのにしっかり働いて」
「あら、ありがとう!」
神に向かって若いと言うのもなかなか奇妙な話だったが、へカーティアはまったく気にしていなかった。
そもそも、外見だけを見れば彼女は十分に若い女性である。
人間達からそう思われることにも、特に抵抗はなかった。
「それじゃあ、お団子を三本貰おうかしら!」
「はいよ。焼きたてを用意するからね」
女性は手際よく団子を焼き始めた。
へカーティアはその様子を興味深そうに眺める。
炭火で焼かれた団子の表面に、少しずつ焼き色が付いていく。
そこへ甘辛いタレが塗られると、香ばしい匂いが一層強くなった。
「……んー、いい匂いねえ」
「ほら、できたよ」
「ありがとう!」
へカーティアは代金を支払い、焼きたての団子を受け取った。
そして、その場で一口頬張る。
「んー!」
思わず頬が緩んだ。
柔らかな団子の食感と、香ばしいタレの風味。
決して珍しい料理というわけではないが、なかなか美味しい。
「美味しいわねん!」
「そうかい? そりゃよかった」
女性は満足そうに笑った。
「またいつでもおいで」
「もちろん! また来るわねん!」
へカーティアは片手を振ると、団子を片手に再び商店街を歩き始めた。
忍としての仕事を終え、報酬で美味しいものを買い、気ままに街を散策する。
実に充実した日常だった。
地獄の女神という立場から考えれば、随分と庶民的な楽しみ方である。
しかし、本人は心から満足していた。
「ふふっ。忍者生活も悪くないわねえ」
へカーティアは団子を頬張りながら呟いた。
その表情は、どこからどう見ても休日を満喫する観光客のものだった。
もっとも、彼女には今日、もう一つ楽しみにしていることがあった。
「……さて、そろそろ行きましょうか!」
残っていた団子を食べ終えると、へカーティアは商店街を抜け、住宅街の方へと歩き始めた。
向かう先は、里の一角に建つ集合住宅だった。
そこは九尾の襲撃による被害が比較的小さかった地域であり、現在ではほとんど以前の生活を取り戻している。
道沿いには洗濯物が干され、近くの家からは夕食の準備をする音が聞こえていた。
へカーティアはそんな住宅街を歩きながら、時折周囲を見渡していた。
「……うんうん。なかなかいい場所じゃない!」
彼女が向かっているのは、最近新たに借りた部屋だった。
この半年間、へカーティアは忍として任務をこなしながら、木ノ葉での生活を楽しんできた。
しかし、そろそろ一つくらい拠点があってもいいのではないかと考えるようになっていたのである。
異界を渡り歩く彼女にとって、住居を持つこと自体は必須ではない。
その気になれば、地球にも月にも異界にも自由に移動できる。
宿泊する場所に困ることなど、普通はあり得なかった。
しかし、せっかくこの世界で忍として暮らしているのだ。
どうせならば、人間達と同じように部屋を借りてみるのも面白い。
そんな好奇心から、彼女は任務で得た報酬を使い、木ノ葉の中に小さな部屋を借りることにしたのである。
「……ここね!」
へカーティアは一軒の集合住宅の前で足を止めた。
二階建ての建物で、外観はごく普通の住宅だった。
特別豪華というわけではないが、生活するには十分な設備が整っている。
周囲には食料品店や日用品を扱う店もあり、商店街へも歩いて行ける距離だった。
観光を楽しみたい彼女にとっては、なかなか都合のよい立地である。
へカーティアは階段を上がり、二階の一室へ向かった。
そして、懐から鍵を取り出した。
「……ふふふ」
思わず笑みが漏れる。
自分の部屋。
それも、この世界で働いて稼いだお金によって借りた部屋である。
神である彼女にとって、住居を手に入れることなど何の苦労もないはずだった。
しかし、今回は少しだけ事情が違う。
人間達と同じように任務を受け、報酬を貰い、そのお金で部屋を借りた。
その過程を楽しんでいたからこそ、彼女は妙に嬉しかったのである。
鍵を差し込み、扉を開ける。
室内には、まだ新しい畳の香りが漂っていた。
部屋はそれほど広くない。
しかし、一人で生活するには十分な広さがあり、小さな台所や収納も備えつけられていた。
窓を開ければ、木ノ葉の住宅街を一望できる。
遠くには火影岩も見えていた。
「……おお!」
へカーティアは目を輝かせた。
「なかなかいいじゃない!」
部屋へ足を踏み入れ、ぐるりと周囲を見回す。
まだ家具はほとんど置かれていなかったが、それでも十分に満足できる空間だった。
何より、ここは自分だけの部屋である。
任務を終えたら帰ってくる場所。
気ままに昼寝をしたり、買ってきた食べ物を楽しんだり、観光の計画を立てたりするための拠点。
そう考えるだけで、何だか楽しくなってくる。
「ふふ、ようやくだわ。ようやく私の部屋を手に入れたわよん!」
へカーティアは両手を広げ、嬉しそうに声を上げた。
そして、そのまま部屋の中央へ進むと、満足そうに腰を下ろした。
「んー……さてさて、まずは何を置こうかしら?」
彼女は周囲を見回した。
寝具は必要だろう。
小さな机も欲しい。
それから、買ってきたお菓子を保管する場所もあった方がいい。
せっかくなら、少しばかり部屋を飾ってみるのも面白そうだった。
幻想郷の自宅とは違う、この世界ならではの部屋。
そう考えると、自然と想像が膨らんでくる。
「……あ、そうだわ!」
へカーティアは思いついたように手を叩いた。
「明日は家具を見に行きましょう! あと食器も欲しいわねえ」
この世界には、まだ見たことのないものがたくさんある。
家具一つ取っても、幻想郷とは違う文化が感じられるかもしれない。
それに、せっかく部屋を借りたのだから、できるだけ快適に過ごせるようにしたかった。
「ふふっ。楽しみだわよん!」
彼女は嬉しそうに笑った。
そして、ふと窓の外へ目を向けた。
夕日に照らされた木ノ葉の里が、穏やかな景色を広げている。
遠くでは子供達が遊び、商店街からは人々の声が聞こえていた。
半年前。
彼女がこの世界へ落ちてきた時、この里は炎に包まれていた。
巨大な狐が暴れ回り、多くの人間が命を落としていた。
あの時は、何とも物騒な世界へ来てしまったものだと思った。
しかし、今ではこうして人々が笑い、普通の生活を送っている。
それを眺めていると、何となく嬉しくなってくる。
「……いやあ、よかったわねえ」
へカーティアは小さく呟いた。
「最初はどうなることかと思ったけど、なかなかいい里じゃない」
もちろん、ここにはまだ多くの問題が残されている。
九尾襲撃によって失われた命も、壊された家屋も、完全に元通りになったわけではない。
しかし、人間達は確かに前へ進んでいた。
その姿を見ていると、彼女もまた、この里での生活をもう少し楽しんでみたくなる。
「……まあ、しばらくはここで暮らしてみましょう」
へカーティアは満足そうに頷いた。
元々、異界観光に明確な期限など存在しない。
面白ければ長居すればいいし、飽きたら別の世界へ行けばいい。
それだけの話である。
しかし、今のところ木ノ葉での生活に飽きる気配はなかった。
忍者という職業も面白い。
街には美味しい食べ物がある。
人間達もなかなか親切で、話していて退屈しない。
そして何より、自分の部屋まで手に入れた。
これで、いつでも好きな時に観光へ出かけられる。
「……よし!」
へカーティアは立ち上がると、両手を腰に当てた。
「明日からも頑張って任務をこなしましょうか! お金もまだまだ欲しいし!」
実に現実的な目標だった。
地獄の女神が、家具や食べ物を買うために下忍の任務を頑張る。
幻想郷の住人達が聞けば、きっと呆れ返ることだろう。
しかし、彼女にとっては十分に楽しい生活だった。
こうして、へカーティア・ラピスラズリは木ノ葉隠れの里に自分の部屋を手に入れた。
既に住民登録も済ませ、正式な下忍として任務をこなし、現場の中忍達からも高い評価を受けている。
そして、とうとう住居まで確保した。
もはや、完全に居座る気満々である。
一方、火影屋敷では三代目火影が今日も書類仕事を続けていた。
復興は順調。
忍達の働きぶりも良好。
特に、へカーティア・ラピスラズリという下忍は、今後も貴重な戦力として期待できそうだった。
少なくとも、ヒルゼンはそう認識していた。
もっとも。
彼がその下忍の本当の実力を知ることになれば、果たして同じ評価を下せるだろうか。
九尾の尾獣玉を片手で弾き、巨大な身体を蹴り飛ばし、死神さえ平然と眺めていた地獄の女神。
そんな存在が、一人の下忍として木ノ葉の忍者名簿に登録されているのである。
しかも本人は、そんな状況を心から楽しんでいた。
忍界の常識から考えれば、あまりにも異常な光景だった。
しかし、へカーティアにとっては、ただの気ままな異界観光に過ぎない。
「ふふふーん♪」
新しく借りた部屋の中で、彼女は上機嫌に鼻歌を口ずさんでいた。
明日はどんな任務があるのだろう。
仕事が終わったら、何を食べようか。
それとも、家具屋へ行って新しい机でも買おうか。
そんなことを考えながら、地獄の女神は忍界での新たな生活に胸を躍らせていた。
木ノ葉隠れの里は、知らず知らずのうちに、世界の理すら超越する女神を一人の下忍として雇い入れてしまったのである。
そして、その女神は今日もまた、至って平和に生活していた。